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独合点 139号
ゲスト  廿楽 順治

智恵光院通り

廿楽順治

 

 

 

 

 

 

俺はどうにもつかれてしかたない

杖をつき

おゆきにもらした

わたくしごとの陸軍だからかな

智恵光院通りでバスを降り

(もう地面がうすいんだ)

とよろけた

今さら何をおっしゃるのか

かんじんのてろは

これからだというのに

(連れ添って三十年)

なんどこの日の下見をしてきたことか

あのむかいの金物屋の陰から

あなたはご自身の

みっともない大砲を撃つのではなかったですか

ごじぶんのわからないいいわけ

わからない詩を

撃ちまくるのではなかったですか

おゆきと

てろの店をかまえてかれこれ三十年

わたしは恥ずかしい大砲に

閉じこもっている

よくいえば難解

(それはまあたしかに)

おまえの言うとおりなのだが

 

 

 

 


 

 



 

 

 

ふらひらふら

金井雄二

 

 

 

 

桜の花びらが

空から降ってくる

ふらひらふら と

 

三人の子どもが

花びらを

とらえようとしている

お姉さんらしき子が

つかまえた!

と叫ぶと

弟や妹は

大騒ぎになる

 

幼い頃

ぼくにも同じような経験があった

ぼくはつかんだその花びらを

いったいどこにやってしまったのだろう

ただ降りそそいでくるものを

とらえることだけに

夢中になっていて

 

ふらひらふら と

空から降ってくるもの

こんどは弟も

そして妹も

つかんだ

 








菅原克己と千田陽子@

金井雄二

 

 

 

 

 詩人、千田陽子は、菅原克己の姪にあたる。菅原克己の兄弟姉妹は全部で七人。長兄の千里、長姉のたか、次姉のきよ、克己、妹まさ、弟隆三、末妹みどりである。ちなみに、末の妹みどりは、一九五一年に三十一歳の若さで亡くなっていて、菅原克己と千田陽子、それぞれ、みどりの詩を書き残している。

千田陽子は姉、たかの長女で、一九二六年三月十三日、東京練馬区江古田生まれ。所属グループはサークル「P」。詩集に『約束のむこうに』(一九七一年、九月、詩学社刊)『萱の家』(一九九〇年九月、詩学社刊)の二冊がある。ご存命なら九十歳をとうに過ぎているが、残念ながら亡くなられている。二冊とも、すでに貴重な本の部類に入っていて、なかなか読めない。現在ぼくは、詩人の栗原澪子さんから二冊お借りして、この文章を書いている。その第一詩集である『約束のむこうに』という詩集に、叔父である菅原克己が跋文を寄せている。この跋文を紹介するとともに、千田陽子の詩を読み、そのなかから菅原克己の詩を見ていこうと思う。

 跋文は、「夢と童話の後遺症」というタイトルで書かれたもので、菅原自身の詩の源泉に触れるようなところもある。まず書き出しを引用しよう。

 

  ぼくには詩を書く姉がいて、十六、七ごろのぼくはこの姉の影響をうけて〈門前の小僧〉式に詩を書きはじめた。ぼくの妹も詩を書いていたが、胸を患って、戦後、清瀬の病院で亡くなった。このような身内の先輩(?)の影響をうけたらしく、姉の長女の陽子がやはり詩を書き、今度詩集を出すから跋を書いてくれ、という。これでわが家系から四人の詩人が出たことになる。

 

このあとには、「正直のところ、ぼくにとってはあまりいい気持ちのものではない」と続く。菅原は千田が詩人になったことを快く思っていないような感じにもとれる。つまり、詩にはいつも不幸せな感慨が伴っているというのだ。菅原自身は、詩を書くときにそのような思いがすると言っている。跋文の引用を続けてみよう。

 

―中略―ぼくはむかしから、はたに対して何か不幸な思いがするときに詩を書いてきたような気がする。ぼくがもしもほかの才能を持っていて、たとえばソロバンの名人だったり、あるいは数学とか物理化学の問題が苦もなくとけたりするようだったら、ばかばかしい詩など決して書かず、さっさと別な世界に行ったろうという、悔いみたいなものが尾をひいているのである。

 

 詩を書く行為とは、どこかに引け目を感じるものなのだろうか。詩人というものは、世間から外れたアウトロー的な感覚があるのかもしれない。菅原は姉たかの影響もあって、自然に詩の世界に入っていった。そして、中村恭二郎という詩人と出会い、詩を書きだした。菅原の初期の作品をみると、初々しい抒情詩が中心であり、気張ったところがまるでない。何か不幸な思いがするときに詩を書いてきた、ということは、それは自分に対しての慰めにもなっていたのだろうか。〈不幸な思い〉というと、初期の作品には、追悼の意味の詩作品が多い気がする。身近な人が亡くなったとき、菅原は自分の悲しさを慰めるには詩を書くしか手立てがなかったのかもしれない。跋文の続きを引用する。

 

 ―中略―ところで千田陽子をみていると、これまたがっかりするのだが、ぼくとよく似ているのである。年齢よりも気が若く、空想家で現実知らず、おっちょこちょい、新しもの好き……、つまりぼくが自分に嫌気がさすものをみな揃えていて、夫、こども、姑までいる今になっても、どこかにまだ〈足ながおじさん〉でもいるような、寸足らずのところがあるのである。

 

自分で自分の嫌気がさすところを、姪もまたそれを引き継いでいる、そう思ったのであろう。しかしそのコンプレックスと思われる一面は、詩を書くものにとっては素晴らしい魅力の一つではないだろうか。千田陽子もやはり〈不幸な思い〉の時、つまり叔母の死に直面したときに追悼の詩を書いているのだから。それは詩集『約束の向こうに』と、一九八六年出版の『女たちの名詩集』(思潮社刊 新川和江編 ラ・メールブックスU)にも収録されている詩「あざみ」である。引用してみる。

 

あんた/きれいだね と風のように/言ってくれる ひと 待って/年老いた//あざみの花/ばち ばち 切りとって/大きな水に漬けてやった//いっぱい水すって/いっぱい花ひらいて/ぎざぎざの その葉っぱで/たくさん 意地わるして//そして/いちどに 死んでおしまい//あんた/ほんとに きれいだ//死んだとき/だれかが そっと つぶやく

 

テキスト ボックス: ―次ページに続く叔母みどりの死に直面した時の作品である。短く歯切れよい言葉のなかに、凝縮した悲しさがある。そして、美しさの極致のような雰囲気が漂っている。この作品は『女たちの名詩集』のなかに、千田自身の自注があるので、紹介しておこう。

 

おわかれですという声に棺のなかの叔母を見た。紅をさした叔母の顔はとてもきれいだった。それまで見たことのない華やかな叔母に見えた。二十代で自殺未遂、戦後の苦労の十二年がすぎ、四十二歳で結核で死んだ叔母。この詩は、ヨーコちゃんと呼びかけてくる叔母への詩である。

 

この詩にはさりげない詩の技術が見られる。悲しいといいたい部分を悲しいとはいわず、あざみの花に託している。そして、女性への賛辞として用いる言葉の「きれい」を、さりげなく誰かに言わせているのである。千田陽子は、母である高橋たか子、そして叔父である菅原克己の遺伝子を確実に受け継いでいるのである。

―次号へ続く―