2012年度 文学に親しむつどい

   日 時…2012年2月6日(月)午後1:30〜3:00
場 所…芦屋市民センター401号室
   講 師…片岡 利博(神戸松蔭女子学院大学教授・文学博士)

   議 題…源氏物語の本文




源氏物語の本文

@源氏物語略年表

 1000頃   紫式部 源氏物語を執筆
   ・  (この間に、源氏物語の本文が甚だしく乱れた)
   ・  (この頃には、現存しない巻々も存在した)
 1225     藤原定家、源氏物語を書写(定家本・青表紙本原本?・四帖のみ現存)
 1255     源親行、  源氏物語を書写(河内本・現存せず) 13世紀辺りまでは60巻ほどあった。
 1258     北条実時、源氏物語を書写(尾州家河内本・五四帖現存)
   ・
   ・  (1270年〜80年に54帖と定まった。現在に入っていない源氏物語巻もある)
   ・
 1481     飛鳥井雅康、源氏物語を書写(大島本・青表紙本・五三帖現存)
   ・
   ・
   ・
 16世紀後半(室町時代後半) 明融、源氏物語を書写(明融本・青表紙本・五三帖現存)
   ・
   ・
   ・
 1623     木活字十一行本源氏物語(青表紙本)の刊行
 1650     板本絵入源氏物語(青表紙本)の刊行
 1673     湖月抄(青表紙本)の刊行   


A通行本の作られ方

〇定家本……四帖(花散里・柏木・早蕨・行幸)のみ残存。但し、早蕨・行幸は未公開。
定家様の筆跡で書かれており、柏木と行幸の巻末に定家の「奥入」が付いている。
〇明融本……胡蝶以外の五三帖が残存。そのうち、東海大学付属図書館蔵の九帖(桐壷・帚木・花宴・花散里・若菜上・若菜下・柏木・橋姫・浮舟)は定家様の筆跡で書かれており、巻末に「奥入」の付いている巻がある。柏木巻は定家本と酷似し、臨模本と判断されるが、花散里は定家本とは異なっている。残りの四四帖(実践女子大学蔵)は、筆跡も非定家様で、「奥入」も付いていない。
〇大島本……浮舟以外の五三帖が残存。飛鳥井雅康筆。巻末に「奥入」の付いている巻がある。
★現行の活字本は、「定家本の復元」という目的のもと、定家本・東海大学蔵明融本・大島本を取り合わせて作られている。



B現行本には誤りがある

《例一》

〇『源氏物語』帚木巻……内裏の物忌の雨夜、光源氏の部屋に好き者たちがやってくる。
【明融本】「……」と問ひたまふほどに、左馬頭、藤式部丞、御物忌に籠もらむとてまゐれり。世の好き者にて……
【尾州家河内本】……と・とひたまふほどに、ひだりのむまのかみ・藤しきぶのぞう、御物いみにこもらむとて。まいれる、やがて、この御方のとのゐにとて・まいれり、よのすき物にて……@


注―【明融本】には【尾州家河内本】にある「る、やがて、この御方のとのゐにとて・」が抜けている。



《例ニ》

〇『源氏物語』葵巻……光源氏が若紫とともに葵祭見物に出かけ、来合わせていた源典侍と「かざし」の和歌を贈答する。
【大島本】「いどましからぬかざし争ひかな」とさうざうしく思せど……
【尾州家河内本】「いどましからぬかざしあらそひかな。・おもておこすばかりのけさうもかな」と、・さう\/しくおぼせど……A



注―【大島本】には【尾州家河内本】にある「おもておこすばかりのけさうも」が抜けている。



《例三》

〇『源氏物語』葵巻……葵上の葬送を終えて、自邸二条院に戻った光源氏が久しぶりに若紫を見る。
【大島本】「久しかりつるほどに、いとこよなくこそ大人びたまひにけれ」とて、小さき御几帳ひき上げて……
【尾州家河内本】ひさしかりつるほどにいますこしねびまさり給にけりと見ゆ・見たてまつらざりつるほどに・いとこよなくこそおとなび給にけれとて・ちゐさきみき丁ひき上げて……B



注―【大島本】には【尾州家河内本】にある「いますこしねびまさり給にけりと見ゆ・見たてまつらざり」が抜けている。



《例四》

〇『源氏物語』賢木巻……光源氏が朝顔前斎院から届いた手紙を見て、昨秋、嵯峨の野宮での六条御息所との別離を思い出す。
【大島本】御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。「まして、朝顔もねびまさりたまふらむかし」と思ほゆるも、ただならず。恐ろしや。「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうのもの」と、神恨めしうおぼさるる御癖の、見苦しきぞかし。
【陽明文庫本】御手、こまやかにはあらねど、らうらうじく、草などをかしうなりにけり。「まして、朝顔もねびまさりたまふらむかし」とおぼしやるも、ただならぬ。恐ろしや。「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうのもの」と、秋恨めしくおぼされけり。かやうにやすからぬ事のみ好ましうおぼさるる御癖の、見苦しきぞかし。……C



注―【大島本】には【陽明文庫本】にある「れけり。かやうにやすからぬ事のみ好ま」が抜けている。




《例五》

〇『源氏物語』葵巻……妻葵上が死んだため、光源氏は愛人たちを訪れることができずにいる。
【大島本】大将の君は、二条院にだに、あからさまにも渡りたまはず、あはれに心深う思ひ嘆きて、行ひをまめにしたまひつつ明かしくらしたまふ所どころには御文ばかりをぞ奉りたまふ。かの御息所は…
【尾州家河内本】大将の君は二条の院にだにあからさまにもわたりたまはず・あはれにこゝろふかくおもひなげきて・おこなひをし給つゝ・あかしくらし。かのみやすどころは……D



注―【尾州家河内本】には【大島本】にある「所どころには御文ばかりをぞ奉り」が抜けている。




C現行本と著しく異なる本文が存在する

《例六》
〇『源氏物語』松風巻……上京する明石君に父入道が別れの言葉を述べる。
【大島本】君たちは世を照らしたまふべき光しるければ、しばしかかる山がつの心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ、天に生まるる人の、あやしき三つのみちに返るらむ一時に思ひなずらへて、今日ながく別れたてまつりぬ。命尽きぬときこしめすとも、後の事おぼし営むな。さらぬ別れに御心動かしたまふな」と言ひ放つものから……
【東山御文庫本】君たちは世をてらしたまふべき御ひかりしるければ、・しばしかかる山がつのこゝろをみだりたまふべき御契こそはありけめ、てんにむまるゝひと・あぢきなし。いまは世になくなりぬる物ぞとおぼせ・のちの身のむまれんせかひはいかならむともなおぼしやりそ・としごろをこないしつゝも、かたつかたには思ひなやみ待つる御ことを・心にはなれ侍なば・ひたみちにつとめてすゞしきかたにをもむき侍なん・さらに世の人のけうにおぼしなずらへて、のちのことおぼしいとなむな・さらぬわかれに御こゝろうごかしたまふなといひはなつものから……E



注―【大島本】には【東山御文庫本】にある「あぢきなし。いまは世になくなりぬる物ぞとおぼせ・のちの身のむまれんせかひはいかならむともなおぼしやりそ・としごろをこないしつゝも、かたつかたには思ひなやみ待つる御ことを・心にはなれ侍なば・ひたみちにつとめてすゞしきかたにをもむき侍なん・さらに世の人のけうにおぼし」が抜けている。




《例七》 意図的に書き換えられた。
〇『源氏物語』桐壷巻……光源氏誕生による、弘徽殿女御の不安をかたる。
【明融本】この御子生まれたまひてのちは、いと心ことに思ほしおきてたれば、「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、一の皇子の女御はおぼし疑へり。人より先に参りたまひて、やんごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。
【陽明文庫本】この御子生まれたまひてのちには、ことにおぼしおきてたるけしきなれば、とう宮にも、ようせずは、これをすえたてまつり給べきなめりと、さゝめく人\/あるを、一の宮の女御はあさましくむねつぶれて、さる事もやとおぼしうたがへり。人よりさきにまいりたまひて、やんごとなきかたの御おぼえなべてならず、みこたちもあまたをはしませば、この御方の御いさめをぞ、すこしわづらはしき事にはおぼしめしける。……F



注―【明融本】と【陽明文庫本】とを比べてみると意図的に書き換えられたと考えられる。




《例八》
〇『源氏物語』桐壷巻……藤壷入内をかたる。
 改作である、元の本を新に書いている。
【明融本】后もうせたまひぬ。心細きさまにておはしますに、「ただ、わが女御子たちの同じつらに思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後ろ見たち、御兄の兵部卿のみこなど、「かく心細くておはしまさむよりは、内住みせさせたまひて、御心も慰むべく」などおぼしなりて、参らせたてまつりたまへり。藤壷ときこゆ。げに、御かたち・ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。
【陽明文庫本】后うせたまひぬ。こゝろぼそくをはしますらむを、たゝ女みこたちのおなじつらに思ひきこえんと、せちにきこえ給へば、さぶらふ人\/御うしろみたち、御せうとの兵部卿の宮など、げに、かくつれ\/とおはしまさむよりは、うちずみもし給て、御心もやれかし」などさだめ給て、まいらせたてまつらせ給てけり。御つぼねはふぢつぼなり。御かたちありさまは、きこしめしゝにたがはずめでたきにそへても、げにあやしきまでぞおぼえ給ける。……G



注―【明融本】と【陽明文庫本】とを比べてみると改作であることがわかる。
それぞれ斜体の文字部分が改作である。




《例九》
〇『源氏物語』桐壷巻……光源氏を臣籍降下させる桐壷帝の決断をかたる。
 改作である。
【明融本】「無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ。我が御代もいと定めなきを、ただ人にて、おほやけの御後ろ見をするなむ、行く先も頼もしげなめること」とおぼし定めて、いよいよ道々の才をならはせたまふ。際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、みことなりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に考へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべくおぼしおきてたり。
【陽明文庫本】無品の親王の外しやすくのよせなきにてはたゞよはさじ。わが御よもいとさだめなきを、たゞ人にて、おほやけの御うしろみするなん、ゆくすゑもたのもしげなるとおぼしさだめて、いよ\/御がくもんをさせたてまつり給。みち\/のざえをならはさせ給に、きはことにて、たゞ人にはいとあたらしけれど、みこにおはせば、よのうたがひおいぬべくものし給へば、すくえうのかしこきみちにもかうがへさせ給に、たゞおなじさまにのみかうがへ申せば、源氏になしたてまつらせたまふべくおぼしをきてたり。……H



注―【明融本】は「いよいよ道々の才をならはせたまふ」  【陽明文庫本】は「いよ\/御がくもんをさせたてまつり給。みち\/のざえをならはさせ給に」とが違っている改作であることがわかる。




《例10》
〇『源氏物語』桐壷巻……桐壷帝が故桐壷更衣をなつかしく思い出す。 
 意図的に書き換えたり、元の本を新に書いたりしている。【尾州家河内本】に注目をすべき。
【明融本】絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いと匂ひ少なし。大液の芙蓉、未央の柳も、げにかよひたりしかたちを、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、なつかしうろうたげなりしをおぼし出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。
【陽明文庫本】絵にかきたる楊貴妃は、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いと匂ひ少なし。尾花の風になびきたるよりもなよび、撫子の露に濡れたるよりもなつかしかりしかたち・けはひをおもほしいづるに、花・鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。朝夕のことぐさに、はねを並べ、枝をかはさんと契らせ給ひしに、たれもかなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。……I




【尾州家河内本】絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いと匂ひ少なし。大液の芙蓉も、げにかよひたりしかたちを、唐めいたりけむ装ひはうるはしうけうらにこそはありけめ、なつかしうろうたげなりしありさまはをみなへしの風になびきたるよりもなよび、なでしこの露に濡れたるよりもろうたくなつかしかりしかたち、けはひをおぼし出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。……J





【国冬本】絵にかきたる長恨歌の楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いと匂ひ少なし。大液の芙蓉も、げにかよひたりしかたちの色あひも、唐めいたりけむ装ひはうるはしうきよらにこそありけめ尾花の風になびきたるよりもなよび、なでしこの露に濡れたるよりもなつかしうろうたげなりしかたち、けはひをおもほし出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。

(参考)
【無名草子】1200頃に成立。源氏物語をはじめとする王朝物語を批評した書。
〇あはれなることは、桐壷の更衣の失せのほど、帝の嘆かせたまふほど。『長恨歌の女も、思ひし限りあれば、筆及ばざりけむ。尾花の風になびきたるよりもなよびかに、唐なでしこの露に濡れたるよりもろうたくなつかりし御さまは、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。……』などあるに、何事も、残りの六十巻は、みな推し量られぬ。
【白氏文集】「長恨歌」
大液の芙蓉、未央の柳、此に対して如何ぞ涙垂れざらん、芙蓉は面の如く、柳は眉の如し……。
大液→池
未央→宮殿

注―【国冬本】→天理図書館蔵
   【無名草子】→藤原俊成の娘の書。