季節の行事
※会員相互の親睦をはかる為、文学、歴史、芸術に関係する見学を兼ねて、バス旅行を企画しています。
<2006年度>
※今回は信多先生のご好意により、大原神社見学、希波牟の会講演に出席する運びとなりました。
大原神社見学・希波牟(きはむ)の会(第8回)講演出席
行 先 京都府福知山市三和町大原 大原神社
日 時 2006年9月3日(日)
希波牟の会〜大原志(おはらざし)〜
演 目
お話「日本唯一・大原神社の産屋」 神戸女子大学教授 鈴鹿千代乃
柳川三味線「閨の扇」 戸波有香子
能管「双調神楽」 野中久美子
お話「藤娘のルーツ現る」 大阪大学名誉教授 信多純一
歌舞伎舞踊「藤娘」 村山左近
大原神社(写真左)
社殿は寛政8年(1796)に再建。火神神社、水門神社、絵馬殿などが有り、昭和59年(1974)に京都府指定文化財に指定されている。
「大原志」は大原神社への参詣を意味し夏の季語となっている言葉
大原の産屋(写真中央)
「天地根元造」の建物。京都府有形民族文化財に指定されている、数少ない産屋として現存している。
明治時代までは、臨月を迎えた女性が7日こもって出産したと伝えられている。
藤娘の原型とされる絵馬(写真右)
愛宕参り(京都市愛宕神社…火伏の神)に美女がシキビを持って踊っている「追分絵」がある。
ルーツは大原神社の絵馬。
絵馬に描かれている左側の女性が持っているのがシキビ。後に藤(不死)の枝に変った。
<秋のバスツアー>
石山寺・MIHOミュージアム・信楽陶芸村見学
日 時 2006年11月21日(木) 午前9:00出発 芦屋帰着午後6:45
石山寺(写真左…多宝塔)
聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辨僧正によって開基され、歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院である。
西国巡礼十三番の札所。
本堂は縣下木造建築最古のもので、内陣は平安中期。外陣は淀君の修補になるもの。
本尊観音は勅封になっている。
堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いたところと傳え、本堂下の御堂は蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので、その形見と傳える蓮如鹿の子の小袖を安置している。
多宝塔は美しい均斉美をもった鎌倉期の建築であり、鐘楼・大門は共に鎌倉初期の建立になるものである。
境内の奇岩はいわゆる石山の名の出た石で硅灰石からなり、天然記念物に指定されている。
MIHOミュージアム(写真中央)
1997年11月設立。
建築設計はI.M.ペイ氏(パリ・ルーブル美術館のガラスのピラミッド、ワシントンのナショナルギャラリー東館などを設計)
秋季特別展…「青山二郎の眼」(パンフレット説明文抜粋)
青山二郎は、十代半ば、日本橋の一流店で、宋時代の鈞窯の水盤を買うなど、若くして天才的な審美眼を持っていたとされるが、これはそれまで中国陶磁器といえば茶の器に取り上げられたもの以外、流通しなかった骨董業界に、新しいスタイルの「鑑賞陶器」が生れ、加えて「民芸」「李朝工芸」というジャンルが次々に出現した時代背景がある。それに加え、麻布の大地主だった資産家の育ちだった彼が、当時最もモダンな暮らしを身につけていたことも要因のひとつである。青山は、中国陶磁器からは完璧な形を、民芸からは柳宋悦の眼の追体験と自らの発見を、浅川伯教を通じて買い付けた大量の李朝陶磁器からはその味わいを獲得した。それら陶磁器の本質をその稀有な集中力と吸収力で身内に取り込んだ青山は、その中の逸品に共通する、あるつきぬけた感覚への眼差しを次第に研ぎ澄ませていった。
彼は生涯一定の職業に付くことのなかった、いわば混沌の人であるが、こんな言葉を残している。
「『茶道具』ていふ言葉は偶像崇拝の意味だろうが、茶の根源的な観点は空虚にある様に思われる。真の意味で、道具の無い所に茶はあり得ないのである。1個の道具はその道具の表現する茶を語っている。数個の道具が寄って、それらの語る茶が連歌のように響き合って、我々の眼に茶道が見えるのである。何一つ教わらないのに、陶器に依って自得するのが茶道である。」(日本の陶器)
※出品リストは【中国古陶器・李朝、朝鮮工芸・日本の骨董・青山二郎と交流のあった人々の作品】にまとめられていました。
信楽陶芸村(写真右…登り窯)
日本六古窯のひとつである信楽の登り窯を見学しました。
日本六古窯…☆瀬戸(愛知県瀬戸市)
☆常滑(愛知県瀬戸市)
☆越前(福井県丹生郡織田町宮崎村)
☆信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)
☆丹波(兵庫県多紀郡今田町立杭)
☆備前(岡山県備前市伊部)