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日記

12/27
動物病院に行ったら、ロビーに水槽があり、上の照明を見たらLEDだった。なんで?とおもったけれど、獣医さんも詳しくは知らないで世相に流されてそうしてしまうのだろう。新しいものが出てきたら、その原因を一つ一つ調べたり、感じたりしなければならない世の中もおかしいけれど、その中にいるということも気がつかないままいるのだったら、本来を伝えていくしかない。ネットにはLEDの水槽で育てられた脊椎のまがってしまった小魚の写真もある。患者さんが多くて対応に忙しそうだったので、次回じっくり話してみるチャンスをつくりたい。

ミーに玄米おかゆでとろみをつけたスープ(玄米、かつお、こんぶ、鶏肉ひときれ(ねこは肉食なのです。すみません)をあげてみたら飲んでくれた。その日久しぶりに娘の部屋へみーは遊びに行き、今朝はぜんぜん毛の色が違って見えた。



12/25
腰がおかしいながらもバイトに行ってよたよたと仕事していたら店長が手伝ってくれて、申しわけなかったけれど、それとなくお惣菜陳列棚の照明のことを聴いてみたら、やはり棚はまだ蛍光灯で、天井だけ全部LEDに替えたんだと教えてくれた。色の変化のちがいの理由が確認できた。いまのところ手伝ってもらい開店準備で忙しい時間だったのもあり、「何となく明るいな〜とおもって〜」ぐらいにとどめておいた。腰はつらかったけれど、おかげでLEDのこと確認できたし、そのためにこのバイト先に縁したのかもしれないなあとおもえた。今日もオクラのお惣菜が上に重なっているものが下のほうの物よりグレーが混じったような色に変化していた。自分のふらふらとクリスマスですごく厨房が忙しいのとで主任に(それとなくLEDはからだにわるいことを話してみたら、本気で驚いて知らなかった〜とちょっと怯えていました。まだ若いからか、感覚がやわらかいのがうれしいです。)まだいえていないのだけれど、腰痛は役に立った。

むすめがLEDのことを人に説明するのに違う面からの説明もしたらというので調べてみたら、LEDの白い灯りをつくるのには光の3原色とか、2つの色とかの組み合わせが3パターンぐらいあって、その中には必ず青色LEDが入っていた。青が入らなければ白は作れない。今日はバイト先の他の部門の人が珍しく眼鏡をして元気がなかった。会話から目の調子が悪くてと言っているのが聴こえた。品出しで長時間LEDにさらされている。



12/22
主任にLEDにあたったホウレンソウの色を見てもらいたいと思っていても、あの同じ惣菜はなぜか入荷されてこなくて、20日に仕事前にエプロンに着替えていたら腰がおかしくなり、胃は気持ち悪くなり、仕事を早退し今日も休んでいる。そういうことか〜とおもう。手ごわいけれど、どこかで必ず、LEDのおかしさは広がっていく。今日も家の前にある大手文房具会社のビルに自動販売機が4台ほど入っていく。多分LED付の物に交換されるのだろう。その会社の先行きをおもう。つい最近、外にも自動販売機を設置して、夜に照明がともりすごく違和感がある。
わたしはLED照明の下で働くことをどうするかなあ。せっかく初めてといっていいくらいまともに働けていたのになあ。よりによって12月からLEDに全面交換ていうのはあんまりやなあ。仕事をおぼえて、少しでも早くできるようになったら、楽しくて早朝でも続いていたのに、最近なんか行きたくなくなっていたのは疲れの度合いも違ってきたし、LEDだとおもう。せっかくおいてある玄米おにぎりも、国産、無添加にこだわっている自社開発商品も、とてももったいないことになる。



12/19
昨晩バイトで詰めているお惣菜を味見したくて数種類買って帰った。小魚の南蛮漬けの一番上に乗っかっていたものが味はおいしいのだけどゴムのように硬かった。下に行くにつれて普通になったけれど、いちばん上でも酢に漬かって味はしみてやわらかいはずなのになあと、違和感だった。ほかのお惣菜も食べてみた。(味は美味しく、店の厨房で作って、無添加でいる姿勢(パッケージされて入荷されるものは添加物は極力さけてあります)はうれしいし、だから働きたいとも思って、応募した。)で、食べすすめるうちにだんだん胃とかおなかがへんにパンパンになって、おなかいっぱいになって、娘もそういっていた。体調のせいかなと思ったけれど、今朝やっと気がついたのは、店の照明がLEDだということ。自分でさんざん書いておきながら今頃気がついておかしいのだけれど。食べてみて、あんなふうに体が拒否するようなことになるのは、厨房で働いている側として・・・な気持ちになる。ゴムのようだった南蛮漬けの小魚もかさなった一番上のものだった。厨房でみんなが真剣に作っているものが照明のせいでおかしなことになるなんて。



12/16
バイトで惣菜セットのなかにほうれんそうのおひたしが入ったもので昨日の残った分をきれいに並べていた。と、蛍光灯とLEDにさらされていたそれでは、全く色が違っていた。最初同じ日付、同じ売り場なのになぜかなと、おもってみてみたら、蛍光灯だけに照らされた陳列棚の奥にあるものは、緑が残り、黒い容器の中でも緑が鮮やか。ホウレンソウがそこにあるとわかる。陳列棚手前のものは店の天井のLEDの光があたっている。一瞬、ほうれんそうは、入ってなかったっけ?と見なければわからないくらい、容器に同化してしまうような悲し色になっている。同じ日付でここまで違う。地球から緑がなくなることは考えたくない。今度、同じものを見つけたら、主任に言ってみようとおもう。売れ行きにも影響するはずだし、いろいろなことに波及するとおもう。

となりの野菜売り場の野菜たちが、何か反応しはじめるかもしれないなあ。で、多くの人が気がつきはじめるかもしれないなあ。

ねこの、みーに哺乳瓶での食事が慣れて、食欲旺盛になってきたので、おもいきって手作りのスープ(昆布、白菜、ニンジン、ツナ、豆乳、タピオカ粉でとろみをつけました。きのうのうちのおかずスープです。+玄米少し、無添加のねこ用のかつおの煮たもの)をハンドミキサーですりつぶしてあげました。全部飲んでくれてうれしかった。



12/14
LEDはからだによくないんです〜と何かの拍子に複数の人に同時に伝わって、みんな「え〜!?」と、とまどっていた。みんな知らないみたい。ノーベル賞貰ったりしたからそういう意見がつぶされて無視されていく。そんなことまで話せて、少しづつ広がっていくかな。ファミレスでセルフ式のコーヒーの抽出機そうじの様子がたまたま見えた。抽出するところの裏に黄色いLEDが縦一列にならんでいた。目が痛かったから多分LEDだとおもう。そんな心身の違和感を大切にしていたい。そこまではいってるなんてなあ。

LEDが開発された会社とそこをぬけた開発の中心だった人が権利かなにかの裁判沙汰になって、巨額の補償金を中心の人が得ることになったニュースを見た覚えがある。そんな争いを発端にしたものが、みんながよろこぶわけない。

最近お祭りがこわい。

なんでお賽銭やお供えをしないとおこるようなそんざいがかみとされてるのかなと、おもったことがある。じゃあほんらいはどんななのかといわれるとわからなくなっていたけど、やっとほんらいが見えてきた気がする。



12/10
何となく感じることが妄想ではなくピンポ〜ンという、それだけでもなんというか、ありがたい。しんどいことを思い出したけれど、いろんな重たさや思考のくせや本来でいてないことは、全部そこにつながっていた。分厚いふたがあいた。そこからしんどい日々は続くけど、道を歩いてるからなんだろうと思うことでなんとか毎日過ごしている。

更新の方法さえ忘れてしまいかけていたこの2か月間、いろいろありました。猫に哺乳瓶でご飯をあげています。猫という仲間へかかわりを本来にとアドバイスいただきました。で、今すぐ自由に外に行ってもらっても、たぶんご飯を探すことはできないだろうから、今は生命を共に生きる方向へ猫と私と娘と、日々過ごしています。ペットという存在がいなくなる未来をおもいます。

経験とともにいた今までと違い、歩くほどに過去や経験が後ろに去っていく感じがする。今にいる。

学んだことが自分ではない。突然今までやっていた声楽に疑問をもちはじめた。こんなことは今回の人生ではじめて。新しくもらった曲があまりにも内容が???で、少し客観的に見るよいきっかけになった。伝わるのはその人の日常。どんな自分でいるか。そしたら歌いたい曲もかわってくる。でもまだ、自分は声とか声の出し方に耳が反応してしまうので、エネルギーでどうだという曲がわからないでいる。感じられなくなっている。しばらくまだ自然に歌い始めるというときがこない。

あのときをおもったら、もうおもたいひとたちのためには歌いたくない。自分も多分そこに加担していたんだよなあ。でもまだ今は歌うときは来ない。ずっとこないのか、どうかわからない。今はそう、というだけ。

日々を安心してたんたんと暮らすという発想が今までなかった。やっと最近出てきた生活を楽しむ、というひきだし。そこに自分の本来があるのだったら音楽がこれから出てくるだろう。なかったらそのまま。ふつうにたんたんと安心してときをすごしていく。ふつうに生命を生き人間をやるところから。そのなかで縁があれば歌うことがでてくるのだろう。

今、なにをやいりたいのかわからなくなっている。やらなければならない家事をやりたいことと勘違いしていたり、なにかしらがまんして生きるためのことをやらなければならないとおもい、それが普通だと思っていた。けれどそこから外れたら、全てうそで作られたこの世の中の常識から外れたら、わたしは今、次の瞬間なにをほんとうはやりたいのかな。よ〜く心の中をのぞいてみないとわからなくなっている。まだ、さがすのに時間がかかる。でもすこしずつ見えてくるのは、しんどいことはやりたくないということ。だれでもそうか〜。次の一歩も、ほんとうにそうしたいのか本当に楽しくなければそうしないんだ、とおもいながら次の瞬間を迎える。



10/7
まえの日記から一週間ぐらいなのに、久しぶりにパソコンをあけると、数年たったような今日。
歌いたいとおもわなくなってきている。きのうまでこの感覚に、どうしようとおもっていたけど、今はそういうとき。
やらないとどこか楽だし、何か解放されたような気もしている。このあと、自分の方向がどうなっているかな。



9/29
おとといまでときのうからは何かがすっかり変わってしまったような気がして。空間が開いたような感じがして。その分自分のしんどさがうきあがってるのか、だるさのなかで風が心地よくて、ねむくてぼけっとしたくて。



9/23
一週間続いた胃の痛みが病院の薬飲んでも治らなかったのに、おまけを胃にあててねむったら一晩でよくなりました。



9/21
空を見上げるたびに、おわった〜おわった〜って感じる。



9/7
きのうは目に見えるお客さんはふたりだったけど、ほかにもエネルギーがたくさん歌いに来てくれているような気がして、何かうれしかった。



9/1
このごろ周囲がすごく静かになったような感じがする。数日前の景色がとてもきらきらときれいだったこととかおもいだすとうれしい。身の回りは目に見える部分は大変といえば大変だけど、どこかとても落ち着いている、ほわ〜としている。自分が始まる気がしている。ちょっとおおげさかな。



8/20
両足つけられるようになって少し身軽になって、ホームベーカリーでだけど、パンを焼いたらおもいのほか膨らんでくれたり、少しまよっていたことをとりあえず動いてみたら、意外なところから背中を押してくれたり、この1か月ほど谷を味わい、少しずつまだ坂道はのぼりの途中だけど、とりあえず歩く。病院から4本足で久しぶりに歩いて帰ってきた。風が気持ちよかった。いっぽいっぽ歩いたら着くんだな。



8/10
6日と7日のちがいはなんだろう。6日は心身共に動けなくて、7日からは羽が生えたようにかるい。



8/5
動けないなりに動ける範囲のことをやっていると、あたりまえにうごけることのありがたさを感じます。少し骨にひびが入っただけで、こんなに動けない。それは原因は見えること。見えない心の世界や、エネルギーでどれほどのことがされてきたかとおもうと、人間はこれからどれほど自由になれるんだろうと。



8/3
「心の遺伝子」のページを想ったらすっと軽くなって起きられました。



7/24
経験しないとわからないこともあるけど、経験しなくてもいい経験もある。経験しなくてもいい経験をしてしまったらたら、次は他の人にはそれを経験させないようにできる。



7/16
本来でいることや楽でいることをほんとうに拒否してきていたこれまでに気がつきつつあって、いいのかな?で、いたことがOKです!になるのだろうけれど、現実にいっきにそこまではまだまだ、でも、少し先が見える気がする。まだいいのかな?のくせが抜けない。しんどいなかにも、これまでと違う何か。今はからだがしんどいなかで、すべてを原因にできるというのは少しわかってきたけど。



6/22
バイトをしていて、以前ならこの あたりで失敗したりおかしなことがおこったりするはずだけどなあ、とおもうけど、何もおこらない。そういうときなんだなあ。

少し処方箋していた人が変化していた。自然に変化していた。

先週腰痛がおこっていたけど、いたくても、今までみたいに痛み以上に不安にならず、腰を使う作業もできた。痛みの原因が分かったから。そんなことで、不安にならなくていいんだな。もともとなかったもの。



6/12
身体は筋肉痛とかあるけど、セルフしたりすると、何か大きな面積でごそっとはがれていくような感じ。まだ何層もあるけれど。こんな自分を安心してだしていいんやな。出すのが今まではこわかったけど、もういいんやな。

早朝バイトに行くときにポスターもおかしな打楽器の音も聞こえない道をやっと見つけたと思ったら、音だけは聞こえてきて、普通にいたら、早朝からあの音を出すことはできない。音を出す側の責任をそんな仕事をしてるから、おもう。



6/5
バイトで足の筋肉を使うせいで筋肉痛だと思っていて、なにげなくこの前BSで教えてもらった処方箋をやってみたら、ほとんど治ってしまった。筋肉痛さえもそういうエネルギーとは少し驚いた。



6/4
パンを食べていたら、ねこのミーがぼくにもちょうだいと、手をトントンとしてくる。一緒に食べた。

バイトに行きだして1か月とちょっとたった。今までとは全然違って、なにかしら楽。左右のポケットに人間本来と再生をいれてる。あ、自分を守るために入れてたなあ。けど、これからはそうじゃないなあ。

お惣菜はたくさんあるけど、なぜか私は、卯の花とか、オクラのおひたしとか、豆とか、湯葉とか、きくらげの酢の物とかの詰める作業だけやることになっていた。




5/11
最近生きてるなあって感じがする。おもいっきり息を吸ってもこわくないかんじ。ヘンな表現だけど。背中が気持ちいい。むすめの「今日もかるかった〜」ていう言葉に、うれしい。




5/4
このごろどこかが楽になって、むすめは鎖が5本ぐらい取れた感じがするといっていた。




5/1
きのうあるいていて、ずいぶん背中が楽で、ひとごみも楽に歩けた。きょうはバイト先のちょっとするどさが気になる人に、あることで、ありがとうと言ってもらえたり、今までと、何かが違うなあ。




4/23
冊子を読んでくれている人が、なんとなく朗らかに、いつもよりげんきで、得意の工作で動きにくい方の足のほうの靴を改良して歩きやすくしたと言っておられて、いつもより楽そうに歩いていて、受け身でないなにかが出てきたようで。




4/20
ダメージをうけても、なぜかわかるから、今までよりはずいぶんと楽に回復できるような気がする。




4/15
動けるというのは、ほんとにうれしい。面接を受けた結果はわからないけど、動けたことがうれしい。いつのまにか、次はどこにしようかなとおもうまでになっている。




4/13
ちょっと動いてみて、ふと気がつくと、周囲が変わっていたりする。みんなも変えたいという、同じ気持ちの方向性だったんだとはっきりしてくる。変えるより変わる。




4/7
昨日、おととい、歩いてて道をよけるときに、すみませんとか、ごめんなさいて言ってくれる人ばかりだった。なんかうれしい。




4/6
いろいろなことがやっと重なってきた感じ。




4/3
動いてみると、親子でなんか変わってきた感じ。




4/1
みんなで喜び合っている夢を見た。 目が覚めたらとても静かだった。なにか軽い感じがして。