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創価大学
宮田幸一 先生

拝啓
 炎暑の候 猛暑と大雨が繰り返しますが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
ホームページとYouTubeを拝見、拝聴してお身体の調子を心配しております。

 さて、初めてメールを差し上げます。
 小生は、創価学会の宗教団体としての教義教学に関心があるものです。
最近、日本宗教学会(昨年)のYou Tubeでの発言を拝聴して、いくつか基本的な
ことを問い合わせたいと思いました。
 できれば、ご回答いただけますようお願い申し上げます。

1.基本的なことですが、創価学会とは元々日蓮正宗の信徒折伏団体と聞いています。
しかし、25年前に日蓮正宗から所謂破門となって、以後独立した宗教団体としての活動をされていると思います。
最近のホームページも拝見しました。
創価学会の目的の一つである、「人間革命」という言葉がありますが、これは今ではどのような意味として説明されているのでしょうか?

2.You Tubeの昨年の日本宗教学会の御発表内容を拝聴しました。
 所謂日蓮本仏論ではなく、釈迦本仏論に移行するように聞こえましたが、これはなぜですか?
日蓮大聖人は末法の御本仏様であるということから、釈迦本仏に切り替える理由を教えてください。
末法時代では、釈迦の説法は効力がないので、末法時代というと理解していましたが。
釈迦本仏で成仏が可能になるのでしょうか?その理由は?

3.御本尊様は日蓮正宗のものから、独自のものへ変更されるお考えですか?
少なくとも、日蓮正宗からは独立する以上は、ご本尊様もいつまでも日蓮正宗時代のものを拝むことはできないと思います。
独自の御本尊様とはどのようなものとさせるお考えですか?

4.御書に関しても、創価学会の独自の編纂をされる予定ですか?
日蓮大聖人の御書全集からどのように変更されるのでしょうか?

 ご回答をお待ち申し上げます。
よろしくお願い致します。


 ご質問いただきありがとうございます。私の個人的見解という限定付きで、回答したいと思います。

1の「人間革命」についてですが、創価学会のHPに掲載されている「『人間革命』とは、自分自身の生命や境涯をよりよく変革し、人間として成長・向上していくことをいいます。戸田第二代会長が理念として示し、池田SGI会長が信仰の指標として展開しました。人間革命とは、現在の自分自身とかけ離れた特別な存在になることでもなければ、画一的な人格を目指すことでもありません。万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮することで、あらゆる困難や苦悩を乗り越えていく生き方です。また、日蓮大聖人は、『冬は必ず春となる』『大悪を(起)これば大善きたる』などと、人生において直面するいかなる困難をも前向きにとらえ前進のバネとしていく変革の生き方を説いています。この哲学を根本に、会員は人間革命の実践に日々取り組んでいます。」という考えが、多くの会員に共有されていると思います。SGIにおいても、wisdom, compassion, courageが、メンバーが獲得すべきvirtueとして強調されています。
 この「人間革命」が日蓮仏法とどのように関係しているかについては、微妙な問題があります。創価学会はこの「人間革命」と「一生成仏」「即身成仏」とを同じ意味だと解釈してきましたが、「一生成仏」という用語は『一生成仏抄』にしかありません。しかし、小林正博の「初見年代一覧」によると『一生成仏抄』の初見は1500年頃の「日朝録外」であり、大聖人の著作であるとするには疑義が生じます。
 「即身成仏」については、最澄の「三生成仏」という解釈もあり、また日蓮滅後の日蓮仏法継承者の議論の中で、「三生成仏論」を主張した者もいたので、その時代にはまだ『一生成仏抄』がなかったか、知られていなかったということが推測できます。大聖人自身の成仏論は『開目抄』『観心本尊抄』で示されている「自然成仏」という思想ですが、詳しく展開されていないので、その思想が「一生成仏」と同じなのかどうかは不明ですが、後の信徒たちは死後成仏よりは、生前成仏、「一生成仏」を好んだのではないかと想像されます。だから『一生成仏抄』が違和感なく、大聖人の著作であると広く受け入れられたと思われます。
 「人間革命」は現世において実現すべき徳目として推奨されているので、「人間革命」と「一生成仏」が創価学会においては違和感なく結び付けられています。私も大聖人個人の考えであるかどうかという問題とは別に、大聖人の成仏論を現代の文化状況に適応すれば、創価学会のような「人間革命」論が生ずるのは、自然の流れだと理解しています。

2のyoutubeの私の発言について誤解があるようなので、ここで明確にしておきたいと思いますが、私が言いたかったのは、信頼できる文献資料に基づく限り、大聖人自身は、自分を本仏だとは自認していなかったのであり、むしろ久遠実成釈尊を「円仏」「純円の仏」と呼んでおり、「本仏」という用語は使用していませんが、久遠実成の釈尊を根本の仏であると認識されていたということです。
 しかしこのことと末法の修行の問題とは直接関わりはありません。末法に於いては妙法五字の唱題ならびに「本門の本尊」を信仰するということが重要であります。大聖人自身は「妙法五字」を久遠実成釈尊から法華経神力品の結要付嘱において上行菩薩として授与されたという自覚を持っています。歴史的観点からすると現行の「法華経」は釈尊の直説ではないし、久遠実成釈尊も仏身思想の一つの展開に過ぎず、地涌の菩薩は「法華経」に説かれる神話に過ぎないという見方もありえます。しかし宗教が文化的伝統の中で継承、発展したということを考えるならば、大聖人自身がどのような自己認識を持っていたのかということは重要な問題です。
 「釈迦の説法は効力がないので、末法時代というと理解していましたが、釈迦本仏で成仏が可能になるのでしょうか?その理由は?」というご質問に関してですが、「法華経」に説かれる修行方法である五種の妙行のみでは、成仏が可能であるとは大聖人は考えていませんでしたが、久遠実成釈尊から結要付属された妙法五字の修行で成仏できると大聖人は考えていたと思われます。つまり妙法五字は大聖人の独創ではなく、久遠実成釈尊から継承したのだという立場です。もし妙法五字が大聖人の独創ならば、それは釈尊と無縁であり、仏教ではないと批判されるのは当然のことです。大聖人はあくまでも仏教という立場を保持しつつ、独創的な妙法五字の修行を主張するために、上行所伝という立場を採用されたと思われます。
 ここでもう一つの誤解について説明すれば、久遠実成釈尊本仏論を採用したからといって、久遠実成釈尊本尊論を採用するわけではないということです。現在の日蓮宗の本尊論は久遠実成釈尊を本尊とし、その表現形態として、一尊四士と曼荼羅との異なった表現があるという見解ですが、日蓮宗の歴史的な本尊論を望月歓厚の『日蓮宗学説史』によって概観すると、江戸時代末期の優陀那日輝の時代までは、曼荼羅本尊、法本尊中心であったわけですが、優陀那日輝は「妙法蓮華経」は法の名前ではなく、『三大秘法抄』『御義口伝』を根拠に「久遠実成無作三身」の釈尊の名前であるという議論を主張することによって、曼荼羅は久遠実成釈尊を表しているという結論を出したわけです。現在の文献学的考察では『三大秘法抄』『御義口伝』によって大聖人個人の思想を議論することはルール違反ですので、望月歓厚は『日蓮教学の研究』において、教法(=要法、結要付属された妙法)、理法(=本法、釈尊の悟りの前にありうる根本の法)を分けることにより、妙法五字の修行は教法なのだから教主をないがしろにすることは信仰者としては問題があるとして、また『観心本尊抄』の後半の流通段で一尊四士を本尊とすることを述べ、『報恩抄』で三大秘法を分けて説明するときに、「教主釈尊を本尊とせよ」と述べていることを根拠にして「一尊四士」本尊論を主張し、曼荼羅については本当の本尊ではないとしました。さすがにこの望月の「一尊四士」のみを本尊とするという議論は過激なので、一尊四士と曼荼羅の両方が本尊の形態であるという現在の見解に至っていますが、曼荼羅は教主久遠実成釈尊の悟りの世界を表現したものという見解は維持しています。
 私は現在準備中の論文において、『観心本尊抄』『報恩抄』を根拠に、「一尊四士」本尊論を主張することは、テキストの不十分な理解による結論であるということを論証し、大聖人の本尊論は、日興上人が継承した曼荼羅本尊論であったという結論を出そうとしています。だから本仏が釈尊であっても、「一尊四士」の久遠実成釈尊を本尊とするのではなく、あくまでも曼荼羅を本尊とするという創価学会の立場に変更が必要であるとは考えません。日蓮正宗の日蓮本仏論には隠れた教義として人本尊としての日蓮御影本尊論があり、これは日興上人の曼荼羅本尊正意説とは矛盾します。創価学会はあくまでも日興上人の本尊思想を継承し、法本尊、曼荼羅本尊正意説を主張することに変わりがないと思います。
 次に、日蓮大聖人自身が日蓮本仏思想を持っていないから、創価学会も日蓮本仏思想を捨てるべきだと私が主張しているという誤解がありますが、私が主張したことは、日蓮本仏論は大聖人自身の主張ではなく、この主張は、SGIを仏教と無縁な教団であるとする誤解を引き起こしやすいから、再検討すべきだということであります。私はSGIにふさわしい日蓮本仏論に関する論文を準備中でありますが、既に創価学会のHPの「日蓮大聖人」の項目では、「度重なる弾圧という最悪の状況下にあっても、日蓮大聖人は揺るぎない金剛不壊の生命境涯を顕現しました。言い換えれば、人間自身が気づいていない生命本来の偉大さを体現することによって、万人成仏の道を開いたのです。ゆえに創価学会では、日蓮大聖人を『末法の御本仏』として尊崇しています。」とあり、日蓮大聖人自身が日蓮本仏論を持っていたという立場ではなく、創価学会の信仰のあり方として日蓮本仏論を採用するという立場を明示しています。

3の曼荼羅本尊の問題ですが、創価学会の立場は、大聖人真筆曼荼羅も歴代書写曼荼羅も十界曼荼羅であるかぎりは、本門の本尊として平等であるという見解であり、私もこの見解を支持しています。私は日興門流の様式に従っていれば、日興の曼荼羅正意説を継承していることを理解しやすいので、特に日蓮正宗の歴代書写の曼荼羅だからといって、拒否する必要はないと思っています。ただこれは会員感情に大きく左右される問題なので、もし日興書写曼荼羅あるいは日蓮真筆曼荼羅がいいという会員が多くなれば、その段階で対応すればよいと思われます。

4の御書の改定については、創価学会では既に十数年前から検討しており、いつとは分かりませんが、何らかの形で、新しい御書全集が発行されると思われます。変更点で重要なのは、文章を読み易くするという点でしょう。現行の御書全集は、句点(。)を使用しないで、読点(、)で代用していますが、「、」を句点として読むか、読点として読むか、により文意が変わる可能性もあり、この点は是非改めて欲しい点です。既に多くの御書全集が刊行されているので、その中で創価学会の思想性を伝える御書全集が発行されることを望んでいます。御書の刊行は最終的には総務会の決議事項であると思われますので、どうなるかは、私には分かりません。

以上でご質問に対してそれなりに回答したと思いますが、まだ説明不足の点がありましたら、お知らせください。この質問を契機に、いろいろの誤解に対して釈明する機会をいただいたことを感謝します。もし許可をいただければ、私のHPのQ&Aに掲載したいと思います。
創価大学 宮田幸一

宮田先生
前略
 早速の詳細なる下記のご返答を賜りまして、恐縮しています。ありがとうございます。
 小生の立場としては、やはり、日蓮正宗と創価学会の違いという観点から追加質問させていただきます。

1.人間革命という言葉について: 創価学会の定義はわかりました。
一方、一生成仏、即身成仏という言葉は、本来日蓮正宗の教学であると思います。
つまり、創価学会の目的の一つ、人間革命という言葉と意味は、創価学会のオリジナル、独創であると思います。
その意味では、日蓮正宗とは異なるといえると思います。
つまり、人間革命という言葉は戸田先生によって作られた用語であり思想であるという点では、日蓮正宗の教義ではないといえます。
日蓮正宗の信仰に基づき、戸田先生の思想が展開されたということも言えると思います。

2.功徳について:先生は、功徳があるかないかは、宗教社会学的にとらえるべきであると言われています。これは、宗教社会学的な統計手法によって(アンケート調査)によって、功徳がある人が多いといえば、あるし、ないという人が多ければないという意味に理解しました。
創価学会における功徳の意味は何でしょうか?それが分からないと功徳があるのかないのか答えられないと思います。
例えば、日蓮正宗の功徳の意味はあると思います。しかし、新生創価学会としての功徳の意味があるのではないかと思います。教えてください。

3.御本尊様、本門戒壇の大御本尊様に関しては、日蓮正宗のものであり、その写しが文字曼荼羅であり、創価学会にも日蓮正宗から授与された文字曼荼羅があると思います。
いずれにしても、日蓮正宗から独立した以上は、日蓮正宗から授与されたご本尊様は返却しなければならないのではないかと思います。
そうではなく、日興門流として、日蓮正宗の本尊を流用するということであれば、日蓮正宗に和解して使用許可を取るべきではないでしょうか?
私は所謂偽本尊問題が出てから、一貫して感じるのは、日蓮正宗から所謂破門乃至独立するにあたり、ご本尊様は独自のご本尊様にすべきではないかと考えています。
分かれた以上は、すっきりと独自路線を生き、日蓮正宗から受けたものは返却するのが本来の道理ではないかと一貫して感じています。
その意味で、本門戒壇の大御本尊様を参拝できなくなったので、大御本尊様に代わる日蓮大聖人及び日興上人のご真筆本尊を探すというのは分かります。

4.日蓮本仏か釈迦本仏かという点に関連しますが、所謂「日蓮大聖人」という名称は、「日蓮上人」という名称とどのように異なるのか?創価学会として正式に意味づけがされているでしょうか?
私の知る限りでは、日蓮という方を「大聖人」と呼称するのは日蓮正宗だけであり、ほかの日蓮宗系は基本的に「日蓮上人」であると思います。
「大聖人」であるということは、「末法の御本仏」であるという意味と聞いています。
「日蓮上人」であれば、偉いお坊様でしかないと思います。御本仏ではない。
また、私の聞いたところでは、釈迦は久遠実成の本仏であり、日蓮大聖人様とは、上行菩薩の再誕であり、その御内証は久遠元初の自受用報身如来、南無 妙法蓮華経如来である。
釈迦は、本果妙の仏であり、大聖人とは本因妙の仏であり、末法における下種仏であるとの意味である。
ところが、日蓮大聖人の血脈を相承されたのは、日興上人であり、ほかの五老僧は残念ながら天台僧として日蓮大聖人の法華経第一を広めてはいるが、日蓮大聖人の末法における即身成仏の下種仏法には至っていない。つまり、末法時代の本未有善の衆生には下種仏法によってのみ初めて成仏の可能性があるのであり、釈迦仏法では成仏できない。日蓮大聖人様の下種仏法の正当性は、日蓮正宗にしか流れていない。いくら身延、池上に行っても釈迦仏法では成仏できないと聞いています。
しかるに、創価学会は、どんな理由があるにしても、日蓮正宗の信仰を捨てて、身延日蓮宗に合流しようということでしょうか?或いは、日興門流として日蓮本宗のような日蓮正宗の亜流としての立場で、創価仏法哲学と思想を布教しようというのでしょうか?

5.私の考えでは、創価学会は、宗教法人資格から公益法人か社団法人資格に変更した方がよいのではないかと思います。
そうすれば、政治活動も平和活動も、疑似宗教活動も展開しやすくなる上に、教義教学についても根幹に当たる本尊問題も無理しないで改変可能と思います。
所謂折伏は末法において必要であるが、現代社会ではなかなかできないので、創価学会という団体に入れば無理なく信心ができると昔聞いていました。
その意味では、現代でも同じではないかと思います。
本尊及び教義は日蓮正宗のものであり、それを独立した団体としていつまでも改変することで日蓮大聖人と大御本尊様、日蓮正宗の下種仏法にこれ以上無駄な関わり合いをする必要ないではないかと日頃思っています。
聞くところによると、日蓮大聖人様のご本尊様には功徳がある代わりに、信心の血脈が切れれば、魔の住処となってあらゆる不幸を起こす原因となると聞いています。
日蓮正宗の教義からしても、創価学会においても以前は、神社神札、他宗の本尊、日蓮宗等のご本尊には悪鬼入其身といって貧乏神や疫病神がついており、不幸にはなっても成仏はおろか四悪道に堕ちると聞いています。さらに、所謂偽本尊によって、人心が迷い、社会が混乱し、世界が混乱するだけでなく、依正不二の原理によって天変地異が頻発するとも聞いています。
話は変わりますが、米国は近代国家といえますか?言えても1960年代の公民権制定からでしょう。黒人−白人問題は再燃しています。
なぜ、イスラム国家に英国人を中心とする白人が参加しているのでしょうか? 私の考えでは、逆十字軍としてのイスラム国家と思います。
カトであれ、プロであれ、キリスト教では21世紀の電子ソフト科学技術時代の若者にはもはや人生の希望の持てる宗教としての魅力はかけていると思います。
グローバルな経済発展と格差によって過激派はイスラム過激思想に影響を受けているのです。
SGIは、キリスト教とイスラム教をどのように取り込むのでしょうか?

6.最後に、創価学会は、折伏団体ではなく宗教世界平和団体に変貌されるのですか?そうであれば、宗教団体ではなく、公益法人として、日蓮正宗の宗教色を薄めることができると思います。
つまり、日蓮正宗の教義教学を尊重し誹謗せず改変しないで、外野から尊重し援用し、その上で創価哲学、平和思想、そして政治活動を展開すれば世界的にも展開可能と思います。
要するに、創価学会とは日蓮正宗折伏信徒団体として発足大発展をしたが、大発展後さらに独自の発展をするべく日蓮正宗から独立し、日蓮正宗の本尊教義を尊重し援用しつつ、世界平和推進団体として活動を展開する本来の創価教育学会の原点で活動を展開する。とすればいいのではないでしょうか?
少なくとも、日蓮正宗の教義の独自性を知る以上は、亜流の日蓮宗等に迎合する必要はないと思います。
先生の言われる通りです。法本尊の意味の一端を知った以上、釈迦や仏像に魅力は感じないのが当たり前です。末法は名字即の凡夫だからですよね。
宗教法人創価学会は解散され破門されましたが、一般公益法人創価学会になれば、和解可能と思います。
学会員としての立場と、日蓮正宗の信者としての立場を望むものは信仰を日蓮正宗に変えることは可能と思います。
学会三世等の新しい学会には、末法時代の下種仏法の意味と、創価学会の大発展の過去を知るうえで、日蓮正宗に回帰することが可能となり、成仏の道を選ぶことができます。
日蓮正宗に縁したものは、三世の永遠の命の中で下種となり、未来世において、必ず成仏の果を得ることができるというのが、下種仏法の意味と聞いています。
その意味でも、いったん日蓮正宗に縁された方は、必ずや成仏の果を得るべく命が蘇る可能性を持っていると聞きました。
そのために、下種折伏行があるのであると聞きました。
先生にはお身体充分お気をつけて、創価学会が日蓮正宗から離脱しても結局離脱できないという道理をご理解いただいて、前向きに平和的な団体へ変化するように、無理な日蓮正宗の教義そのものの改変などの作業で大事なお身体を傷つけ切り売りするようなことのないよう、本来の仏法の功徳を得て、ご壮健で日々生きながらに成仏しながら、日蓮正宗仏法の基調とする、創価哲学思想の展開をされた方がよういのではないかと思います。
敬具


授業の準備で忙殺され、返事が遅れて申しわけありません。

1の「人間革命」の件ですが、その言葉が御書にないことは明らかですが、「人間革命」という言葉が智慧、慈悲、勇気という徳目を体現していくことを目標としているとすれば、それに似たような徳目は御書にもあると思っていますi。日蓮仏法は末法の愚人のための仏法だから、智慧などは必要ないと考える人々もいるかもしれませんが、私の好きな言葉に「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心(概ね)は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり」という四条金吾宛の御書の一節がありますが、これは智慧を得て賢人となるということがどのようなことかを、大聖人が分かりやすく教示された言葉だと思っています。このように成仏と云う概念には何らかの徳目の獲得という意味があるということを「人間革命」という言葉は示唆しています。
 しかし、日蓮正宗の成仏論にそのような徳目の獲得という考えがあるのかどうか私にはよくわかりません。例えば、私は日有上人、日寛上人の成仏に関する種脱の議論がよく理解できません。日寛上人は『取要抄文段』において、次のように述べています。
 「問う、脱は必ず種に還るの証文は如何。
答う、五百品の譬説の大綱に云云。且く一句を引く。経に云く『示すに繋けし所の珠を以ってす』等云云。王子の覆講は珠を繋くるが如し、これを下種と名づく。今日の得記は珠を示すが如し、これを名づけて脱と為す。故に籤一本二十二に云く『聞法繋珠、是を円因と為し、得記示珠、名づけて円果と為す』云云。
 故に知んぬ、得脱とは、彼の下種を覚知するを名づけて得脱と為ることを。故に本尊抄に、或は『大通の種子を覚知せしむ』といい、或は『法華に来至して下種を顕す』というはこれなり。豈脱は必ず種に還るに非ずや。譬えば田家の如し。春に種子を下し、夏に是を調熟し、秋にその実を取る。その秋の実は必ず春の種に還る。これを秋実と名づくるなり。脱は必ず種に還ること、見て自ら知るべし。
 またまた当に知るべし、春の種はこれ一粒なりと雖も、秋に至れば必ず万倍を得て、普く妻子及び眷属を養うなり。下種はこれ妙法の一句なりと雖も、得脱の秋至れば必ず一粒万倍の法門を成ず。妙法五字の一句より八万・十二の法門を出し、普く一切衆生を益せんこと、豈疑あるべけんや。然りと雖も、若し信心退転の輩は、応に三五の塵点を弘むべきこと、身子等の如くならん。若し信心強盛の行者は、一生の中に即身成仏すべきなり。二十八巻の十如是抄の如し云云。」
 この議論は法華経五百弟子受記品第八の「貧人繋珠の譬え(衣裏珠の譬え)」の経文、並びに妙楽大師の『法華玄義釈懺』の注釈を根拠に、「得脱とは、彼の下種を覚知するを名づけて得脱と為る」という解釈をし、さらに『観心本尊抄』を引用して、同様なことを大聖人も認めているとする議論です。
 しかし、『観心本尊抄』の引用部分を拡大してみれば、「又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。」とあります。
 そもそも法華経五百弟子受記品には受記された仏弟子が成仏したということを述べているのではなく、例えば、その一人富楼那に対して、「漸漸具足菩薩之道。過無量阿僧祇劫。當於此土得阿耨多羅三藐三菩提。號曰法明如來應供正遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊(漸漸に菩薩の道を具足して、無量阿僧祇劫を過ぎて、当に此の土に於て阿耨多羅三藐三菩提を得べし。号を法明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん)。」と述べて、これから「無量阿僧祇劫」という時間をかけて修行する結果として「阿耨多羅三藐三菩提」を得て、成仏すると授記しているのであります。しかも「衣裏珠」は仏が菩薩であった時期に教化した結果、弟子たちに生じ、忘れられた「一切智心」「一切智願」「仏の善根」であり、これを思い出したからといって直ちに成仏するとは述べていません。だから妙楽大師の『法華玄義釈懺』の「得記示珠、名づけて円果と為す」という議論は未来の「得記」について述べたものであり、日寛上人の「王子の覆講は珠を繋くるが如し、これを下種と名づく。今日の得記は珠を示すが如し、これを名づけて脱と為す」という解釈においては、繋がれた珠を修行を通じて開発して未来に「阿耨多羅三藐三菩提」を得て成仏するというプロセスを省略して、「大通の種子を覚知せしむ」ということが、あたかも「珠」を思い出せば、成仏できるという主張だという議論をしているように思われますが、これは五百弟子品の未来成仏の議論とは整合性を持たないように思われます。
 また『観心本尊抄』の議論をよく読めば、「二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐる」とあるだけで、「種子を顕わし開顕を遂ぐる」ことが成仏したことであるという議論はありません。あるいはまた「又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し」と述べて、下種、熟、脱が異なったことだと述べて、脱が下種に還るという議論をしているわけではありません。
 また田家の例えに関しても、「その秋の実は必ず春の種に還る」と述べていますが、もし「秋の実」を成仏に喩えているならば、成仏した仏は次に衆生に下種し、教化するのであり、再び下種される凡夫に還るわけではありません。だから「春の種に還る」わけではないと思います。またこのように考えたほうが、「春の種はこれ一粒なりと雖も、秋に至れば必ず万倍を得」という議論と整合性があると思われます。この喩えは妙楽大師の『法華文句記』の「雖脱在現具騰本種」という言葉にヒントを得て、作られた喩えであり、日有上人も使用していますが、成仏するには因位の修行が大事だという議論は納得できますが、果位の成仏に特別なものがないという議論は理解しがたいと思います。
 仏教といえども、一つの精神的セールス商品には変わりがないのであり、使用前と使用後、修行前と修行後にどのような変化が生ずるのかをそれなりに説明しなければ、商品としての魅力はないと判断されると思います。だから日寛上人のように、「若し信心強盛の行者は、一生の中に即身成仏すべきなり」と約束しておきながら、「得脱とは、彼の下種を覚知するを名づけて得脱と為る」と述べて、成仏ということに何か望ましい徳目の獲得はないのですよと言われれば、詐欺に引っかかったような気がすると思う人が出るかもしれません。もちろん、人間はどんなに修行しても悟ることなどないのだというニヒリズム的な成仏論を主張したいのであれば、それなりに説得力を持ちうるでしょうが、日有上人、日寛上人がそのような思想を持っていたとも思えません。どなたか、日蓮正宗の方に、「下種に還る」という日蓮正宗の成仏論について、私にも分かるように説明していただければ、ありがたいと思います。
 大聖人の成仏論は『開目抄』『観心本尊抄』における「自然成仏」の考えであり、特に『開目抄』では「慈悲」と迫害に耐える「勇気」という徳目を強調していると思われますが、日有上人、日寛上人の「得脱は下種に還る」という議論が、これ等の徳目の獲得とどのように関係しているのかは分かりません。

2 功徳に関してですが、功徳に複雑な意味はあるとも思えません。人々が望むことが叶えられたり、悩んでいることが解決できたりすれば、それが信仰者にとっては功徳と感じられ、非信仰者にとっては幸福、幸運と感じられるだろうと思われます。日蓮正宗でも創価学会でも、病気の悩みが解消したとか、学業、就職の希望が叶ったとか、家族が平穏に過ごせたとか、さまざまな事柄が功徳として感じられていると思われます。そこに宗派による功徳観の相違があるとは思われません。信仰を持っている人が、信仰を持っていない人と大きく異なった幸福観、功徳観を持っているとは思いませんが、特定宗派特有の幸福観、功徳観を持つことはありうるだろうと思います。仏教の多くの宗派は建前としては成仏を目標としていますが、浄土系の仏教では途中経過として極楽往生を目標とすることもあります。一般信者にとっては、そのような目標を遠い目標として事実上棚上げにし、とりあえずは非信仰者とも共有可能な、日常的功徳を求めるということが多いと思われます。しかし、熱心な信仰者の中には、建前である成仏や極楽往生のために、世事を省みず、信仰に励むということがあるようですし、その修行に応じた特殊な功徳を実感する人もいるようです。しかし、そのような特殊な功徳を除けば、功徳の意味は多くの宗教で共通していると思われます。でなければ、ある宗派の信者が非信者に対して、「私、こんな功徳を受けたのよ」と言っても、相手の共感を得ることができなくなり、功徳の体験を通じた布教ということが困難になると思われます。

3 本尊の問題に関してですが、多分事実認識が異なっていると思われます。「御本尊様、本門戒壇の大御本尊様に関しては、日蓮正宗のものであり、その写しが文字曼荼羅であり、創価学会にも日蓮正宗から授与された文字曼荼羅があると思います。」とありますが、「その写し」という表現は多分「書写」という言葉の言い換えだと思われます。日蓮正宗では「戒壇本尊」を「書写」した曼荼羅本尊を信徒に授与するという立場を採用しているようですが、この場合「書写」という言葉がどういう意味なのか私にはよく分かりません。「書写」が手本とした曼荼羅本尊、例えば「戒壇本尊」をできるだけ「模写する」という意味で使用されているのでしょうか。通常、書籍を書写して写本を作成する場合、手本となった書籍をできるだけ「模写する」ことが「書写する」ことになります。しかし、「模写する」という意味では、日蓮正宗で書写された曼荼羅本尊はほぼ「戒壇本尊」を模写していません。それは「戒壇本尊」では図顕讃文が「二百二十余年」となっているのに対して書写された曼荼羅本尊はほぼ「二百三十余年」になっているからです。そしてこの違いに関する日蓮正宗からの説明を私は見聞したことがありません。
 また現在では大聖人の御筆本尊も日興上人の書写された曼荼羅本尊も写真集などで拝見することが可能ですが、日興上人の書写本尊で諸尊の勧請が「戒壇本尊」と同一のものがありません。この諸尊の座配という観点から考察すると、日興上人が初期に手本として「模写」されたと思われる大聖人の御筆本尊はいくつか特定できますが、それは「戒壇本尊」ではありません。ですから「戒壇本尊」と書写された曼荼羅本尊との関係について「模写」以外の「書写」の意味が私には分かりません。もちろん日興上人が書写された曼荼羅本尊の大部分は、現存の特定の大聖人の御筆曼荼羅を模写したということはできませんし、現存の大聖人の本尊にはない表記のされている曼荼羅本尊もありますので、多分日興上人が、どの大聖人の御筆本尊も手本とせず、ご自身のインスピレーションに従って自由にお書きになった曼荼羅本尊があり、それにも「書写」と書き入れたと思われます。この場合は日興上人が大聖人の本尊書写の精神を継承して書いたから、「書写」とするということになるかと思います。多分現在の日蓮正宗の見解もこのようなものだと思われます。それでも諸尊の座配という観点から考察すれば、日興上人が「戒壇本尊」以外の大聖人の御筆御本尊を「模写」しているとかなりの蓋然性をもって推定できるということは、「書写」の意味の説明を要求したい、一つの歴史的事実であると思われます。
 次に「日蓮正宗から独立した以上は、日蓮正宗から授与されたご本尊様は返却しなければならないのではないかと思います。」とありますが、日蓮正宗から授与される条件として「日蓮正宗の信徒でなくなった場合には、返却しなければならない」ということが明記され、周知されていれば当然法的な問題として返却しなければならないと思います。しかし私はそのような条件があったという認識は持っていませんし、日蓮正宗も本尊返却を求める訴訟を起こしてはいないようですので、法的問題としては、返却義務はないと思われます。
 これに関連して創価学会は確かに日蓮正宗の信徒団体ではなくなったのですが、日興門流の正統を受け継いでいると自負しているようです。日興上人の本尊論は曼荼羅本尊正意説だと思われます。この立場は日道上人まで継承されていることが文献資料によって明らかです。しかし、日有上人の時代に、日蓮御影像を本尊とするという教義が明確化され、その教義が日寛上人により曼荼羅本尊論との整合性を取るために人法一箇論として整備されました。日蓮御影像を本尊とするという議論は日寛上人の文段集、六巻抄には明示されていましたが、創価学会は日蓮正宗の教義解釈を尊重してあえてこの問題は取り上げずに来ました。しかし、分離以後は創価学会としては自分たちの宗教上の正統性を訴える必要もあり、大聖人の議論、日興上人の議論、日有上人以後の議論と立て分けて、それなりに検討を加えてきました。その結果、少なくとも日蓮御影像を本尊とするという議論は日興上人にはなかった議論であり、曼荼羅のみを本尊とする立場を堅持しなければならないという点に日興門流としての正統性の自負の根拠を見い出していると思われます。創価学会の立場としては、日蓮正宗は日興門流を正しく継承していると思っていたのに、日興上人とは別の本尊思想を持っているから、日蓮正宗は日興門流の正しい継承者ではなく、創価学会こそ正しい教義的継承者だという主張が可能だと思われます。しかも日蓮正宗の本尊は日興門流の様式を継承している本尊ですので、創価学会としては、宗教制度上は日蓮正宗から授与されたという形式を取っているが、教義上は日興門流の本尊として授与されたという立場も採用できます。
 次に「日興門流として、日蓮正宗の本尊を流用するということであれば、日蓮正宗に和解して使用許可を取るべきではないでしょうか?」という点ですが、法的にはご供養も納めているのですから、そもそも「授与」された段階で当該本尊の所有権は授与された人に帰属すると思われます。ですから授与された本尊を拝もうが、返却しようが、授与された人の自由意志に任されると思われます。新たに日蓮正宗に依頼して、日興門流の本尊として日蓮正宗の本尊を授与して欲しいと言うなら、日蓮正宗と和解して許可を得る必要があると思いますが、既に授与された本尊を異なった教義解釈の下で信仰する場合に、日蓮正宗の許可を得る必要があるでしょうか。
 次に「分かれた以上は、すっきりと独自路線を生き、日蓮正宗から受けたものは返却するのが本来の道理ではないかと一貫して感じています。」という点ですが、分離後に創価学会として独自に日寛上人の書写本尊を基にして本尊を作成し、日顕上人の御本尊はさすがに会員感情から受け入れがたいものがあるとして、お取替えをしましたが、それ以前の御本尊については現状維持というスタンスで来ました。歴史的な問題を言えば、日寛上人時代には日蓮正宗はなかったわけですから、日寛上人の書写本尊は日興門流の本尊であっても、日蓮正宗の本尊ではないということが言えます。その本尊を所有していた浄圓寺は日蓮正宗から離脱して単立宗教法人となっており、その寺院から日寛上人の書写本尊を譲渡され、それを基に本尊を作成したのですから、その本尊は日興門流大石寺に由来する本尊ではあっても、日蓮正宗大石寺に由来する本尊ではないと言えるでしょう。ですから分離してからは、独自路線を取り、本尊を自主的に認定したわけです。
 日顕上人以前の御本尊については会員の自主的判断に任されていますが、もしお取替えを希望するのであれば、それに対応すると思いますが、多くの会員はその必要性を認めていないと思われます。その理由の一つは今回の会則改正に見られる「戒壇本尊」も「自宅の本尊」も平等に本尊として信仰するということにあると思われます。創価学会としては会員に強制的に分離以前のすべての御本尊をお取替えするように指導することは、教義的に理由がありません。日顕上人の御本尊についても教義的な問題ではなく、会員感情に対応しただけであります。現在、宗教団体は全て国家による保護統制を離れて、信仰者による自発的な運営がなされています。多くの会員の思想、意志、感情に反した、上からの指導というものは、長期的には成り立たないと思われます。ですから「日蓮正宗から受けたものは返却する」ということを道理と考える会員が多ければ、そうしなければならないと思いますが、多分そのように考える会員は少ないのではないかと思われます。

4 「大聖人」という呼称の問題ですが、多分事実誤認があるようです。日興上人は大聖人を「聖人」と呼称するのが通例であり、私の貧弱な記憶力では「大聖人」と呼称した事例が思い浮かびません1。もしあればどなたかご教示していただきたいと思います。日興上人の書写本尊にも「日蓮在判」の替わりに「日蓮聖人」と書かれているものもありますが、「日蓮大聖人」と書かれているものはないようです。ところが『本尊論資料』という文献に身延山11世行学院日朝上人の書写曼荼羅の写真がありますが、中央に「南無妙法蓮華経妙」とあり、その下に「南無日蓮大聖人」とあり、その下に日朝上人の署名、花押があります。
 どなたから「私の知る限りでは、日蓮という方を『大聖人』と呼称するのは日蓮正宗だけであり、ほかの日蓮宗系は基本的に『日蓮上人』である」ということをお聞きになったのか知りませんが、その人の発言は歴史的事実に反します。したがって「大聖人」という呼称と日蓮本仏論とは全く関係がありません。
 また「また、私の聞いたところでは、釈迦は久遠実成の本仏であり、日蓮大聖人様とは、上行菩薩の再誕であり、その御内証は久遠元初の自受用報身如来、南無妙法蓮華経如来である。」とありましたが、その「御内証は久遠元初の自受用報身如来、南無妙法蓮華経如来である。」とありますが、どうしてそれが分かるのかと問えば、日蓮正宗では『本因妙抄』『百六箇抄』という相伝書を根拠にしています。ところがこの相伝書が日蓮大聖人の御相伝だと言う根拠は文献学的には困難で、あとは日蓮正宗の言い分を信用するか、学問的研究を信用するかという問題となります。小さな教団であれば、教団の言い分だけでも通用するかと思われますが、もし多くの人々を信者として獲得しようとすれば、学問的研究によって、定説とされたことを教団が否定し続けることは、新たな信者獲得という点で、困難を生じさせると思われます。創価学会としては、将来の広宣流布を展望した場合、学問的研究と齟齬を引き起こすような主張はできるだけ避けたいと考え、日蓮本仏論にしても、相伝書に基づいて日蓮本仏論を主張することは避け、学問的研究と抵触せず、しかも信仰上有意義な日蓮本仏論を構築しようとしているところだと聞いております。
 次に「釈迦は、本果妙の仏であり、大聖人とは本因妙の仏であり、末法における下種仏であるとの意味である。」とありますが、通常「本因妙」というは本果に至らない菩薩を指すのであって、「本因妙の仏」というのは自己矛盾した表現ですが、その点は論じないとして、大聖人を「本因妙の仏」として議論を展開したのは、相伝書を別にすれば、日有上人が最初です。ただ私には日有上人が「本因妙」を強調する理由はよく理解できたのですが、その「本因妙」に当てはまるのが、「菩薩」ではなく「仏」だという議論がよく理解できませんでした。日有上人の次代の大石寺教学を担ったのは左京日教ですが、彼の『穆作抄』の中に「互為主伴」ということが次のように説明されています。
 「十一、互為主伴の事
在世滅後の仏法弘通・本来本因妙の菩薩の御内証より本果の成道を遂げられたまふ、釈迦霊山虚空の間には虚空会の時・涌出して上行菩薩等の四菩薩と顕れて・蓮の大なるを以つて池の深さを知るが如く・弟子の髪白うして面皺めるを以つて・師の釈尊の久き事を顕して脇士となりたまふ、而るに釈迦以大音声普告四衆したまふ事・末法の法主を募り御座す、仏法授与有れば末法の導師日蓮聖人にて御座す故に、此の時は霊山の時の釈迦多宝は脇士と成りたまふ互為主伴の法門なり、只上行菩薩の種々の身を現したまふ時、生死共に三世不退に法花修行の御身。」
 つまり日蓮大聖人は「本因妙の菩薩」であるが、「本果の成道」を遂げたのであり、釈尊の霊山説法の時には、上行菩薩として出現し、釈尊の脇士となるが、神力品で末法弘通のために「末法の法主」を募集したときに、任命されたのが上行菩薩であり、末法の時代にあっては、日蓮大聖人が「法主」であり、釈尊はその脇士となるという在世と末法の役割の変化を「互為主伴」として説明しています。いつ本果の成道を遂げたのかは明確に述べていませんが、文脈からは「末法の導師」として出現したときに互為主伴が生じると読めるから、そのときに本果の成道をとげたと思われます。
 また同じく左京日教の『百五十箇条』には次のようにあります。
「円教三身と台家は習ふ当流の時は本門の教主釈尊と、余流には久遠本覚の古仏を指して本門の教主釈尊と成す珍しからざる事なり、此時互為主伴の法門立つべからず、夫れ互為主伴とは本門寿量の説顕して申すとかや、昔虚空会の時は釈迦を本尊として脇士に上行無辺行の四菩薩・迹化他方あり是脱益の導師なり、機縁の薪尽て入滅あれば是好良薬を留めて無明難断の敵を殺すなり、三惑同時断義を顕すと云ふも下れる義なり、不断而断の義成の為の遣使還告なり、或他師は或用神通或用舎利・或用経教云云、此義も一往当文には四依菩薩なり、其菩薩の末代に出でて本門寿量品を弘め玉ふ時、釈迦二度の出世なり、此の下種の導師を以つて本門教主釈尊と申すなり、さてこそ宝塔の中の釈迦多宝塔外の諸仏上行等の四菩薩脇士と成るべし云云、是こそ互為主伴なれ、何れの門徒にも所持の方は御覧あれ、上行等の四菩薩の脇士となるべしと有り、而るを四菩薩を脇士となるべしとよめり、をのの違目なり、」
 つまり虚空会の説法のときは、本門の教主釈尊が本尊で、上行はその脇士であるが、その場合の釈尊は「脱益の導師」であり、末法の弘通に於いては、上行は「下種の導師」となり、その下種の導師が「本門教主釈尊」と呼ばれるのであり、『報恩抄』に「宝塔の中の釈迦多宝塔外の諸仏上行等の四菩薩脇士と成るべし」とあるのは、「脱益の導師」である教主釈尊が、「下種の導師」である「本門教主釈尊」の脇士と為るという「教主釈尊」の対象変化と、役割変化を「互為主伴」の言葉で説明し、『観心本尊抄』の読み方の問題にも言及しています。この議論では日蓮大聖人は「上行菩薩」でもあるが、「本門教主釈尊」としての役割を持つという形で、在世と末法の教主の相違を主張しており、「下種の教主」と「脱益の教主」の間の役割分担とその変化を述べてはいますが、勝劣を論じているわけではありません。日蓮正宗には釈尊を脱仏として軽視する傾向がありますが、互為主伴説は役割分担を説いているので、その後の大石寺教学からは消えていったのかもしれません。
 次に「ほかの五老僧は残念ながら天台僧として日蓮大聖人の法華経第一を広めてはいるが、日蓮大聖人の末法における即身成仏の下種仏法には至っていない。」とありますが、確かに日昭上人、日朗上人という鎌倉の中心的老僧が弾圧を避けるために、「国祷」を行い、「天台沙門」と名乗ったことは歴史的事実であり、熱原の法難の当事者となって幕府と対峙して信徒に犠牲者を出した日興上人から見ると、弱腰に見えたかもしれません。しかし、北条時宗の急死後の貞時への権力継承を巡り、安達泰盛と平頼綱との権力闘争という不安定な時代背景を考えれば、国祷を拒否して、諸宗禁断を要求するという日蓮大聖人と同様なことを行えば、鎌倉の日蓮教団は壊滅的な迫害を受けることが予想できたのであり、日蓮大聖人滅後の不安定な教団事情を考慮に入れれば、やむをえない面があったと思われます。ただそのような迫害の危機がなくなると、日蓮諸門流は「上行所伝」を公称し、「妙法五字」の修行が末法相応の修行だということを主張し、日興門流とその他の門流では、京都で延暦寺と一触即発の関係を持っていた日像門流を除けば、それほど大きな相違は見当たりません。しかし、せっかく他の門流が上行所伝を主張して日興門流と同様な主張をし始めた頃に、大石寺では日蓮本仏論の先行的な資料となる『本因妙抄』が作成され、日興上人の時代にはなかった日蓮本仏論を主張して、門流としての差別化を図っていったようです。
 「いくら身延、池上に行っても釈迦仏法では成仏できない」とありますが、身延、池上では日蓮本仏論こそ採用していませんが、上行所伝の下種仏法を採用していると自負していると思います。
 次に「しかるに、創価学会は、どんな理由があるにしても、日蓮正宗の信仰を捨てて、身延日蓮宗に合流しようということでしょうか?或いは、日興門流として日蓮本宗のような日蓮正宗の亜流としての立場で、創価仏法哲学と思想を布教しようというのでしょうか?」とありますが、私は日蓮正宗から分離したからといって、身延日蓮宗に合流することはないと思っています。その理由は日蓮宗が久遠実成釈尊を本尊とするという本尊論を採用する限りは、日興上人の曼荼羅本尊正意説とは整合しないからです。日蓮宗にも曼荼羅本尊正意説を主張した先師達は数多くいましたが、現在の日蓮宗は、優陀那日輝、望月歓厚の教学の影響によって、久遠実成釈尊本尊論となっています。本尊論が異なるのに、どうして合流できるでしょうか。「日興門流として日蓮本宗のような日蓮正宗の亜流」とありますが、日蓮本宗のどのような教義を指して亜流と述べているのか分かりませんが、私は日蓮本宗の造仏論、読誦論は日蓮正宗とは全く対立する見解だと理解していますので、「亜流」という表現は不適切だと思います。真似をしていたり、似ていたりすれば、「亜流」とは言えるでしょうが、日蓮本宗と日蓮正宗との関係においては「本流」「亜流」という分類は適用できないと思われます。むしろ「分立」という言葉が適切なのではないかと思われます。
 「創価仏法哲学と思想を布教」とありますが、創価学会は日蓮大聖人の信頼の置ける御書、並びに大聖人滅後に大聖人に仮託して作成された日蓮仏法の御書とされるものから信仰上重要であると思われるものを取捨選択して、それらを基礎にして「創価仏法哲学と思想」を構築していこうとしています。その作業はまだ始まったばかりですが、その作業の中で、従来見落とされてきた御書のいくつかの解釈問題も明らかにされつつあります。例えば『開目抄』の有名な「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」という一文の「寿量品の文」とはどの文なのかという問題に関して、従来は日寛上人の解釈に従って、本因妙の文、すなわち「我本行菩薩道」であると解釈してきましたが、この文は『開目抄』では引用されていません。もし大聖人が『開目抄』の中で、その答を用意していれば、少なくとも日寛上人の解釈は誤っています。ここで『開目抄』の中に答があるのかということを探すミステリーのパズルゲームが始まります。その答は皆さんが自分で発見してください。ヒントは日蓮正宗では本因、本果、本国土の三妙合論が説かれることにより、「真の一念三千」が明らかになると考えていますが、『開目抄』からそれに該当する寿量品の文を探すということです。創価学会は従来のさまざまな教学的しがらみから脱して、もう一度御書を丁寧に読解することから、日蓮教学の可能性を開拓したいと考えているようです。

5 宗教法人の問題ですが、あなたの言う「政治活動も平和活動も、疑似宗教活動」は宗教法人では実行困難な活動なのでしょうか。国によっては厳格な政教分離原則を採用して、宗教法人が選挙支援活動を行うことを禁止しているところもあるように聞いてはいますが、少なくとも日本国憲法が、そのような活動を禁止しているとは聞いていません。人によっては創価学会の支援によって当選した公明党の議員が閣僚になれば権力を行使できるから、憲法20条1項後段の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」の規定の「いかなる宗教団体も、・・・政治上の権力を行使してはならない」に違反するのではないかという議論がありますが、閣僚にも信教の自由が認められているのであり、その閣僚が宗教団体の指示を受け、権力を行使したということが明らかになれば別ですが、閣僚が個人の信仰心の結果として権力を行使したとしても、宗教団体からの指示が明確に証明できなければ、憲法違反にならないと思われます。日蓮宗信徒の石橋湛山氏やキリスト教徒の大平正芳氏が閣僚になるのはよいが、創価学会出身の太田昭宏氏が閣僚になるのは憲法違反だという主張は無理だと思われます。創価学会が宗教法人であり続けるのは、創価学会のアイデンティティの一つであり、釈尊から生じた仏教を、民衆に修行可能な形に変革した日蓮大聖人の思想を継承するという自負を込めたものであり、活動のし易さという観点から判断できることではないと思われます。
 次に「所謂折伏は末法において必要であるが、現代社会ではなかなかできないので、創価学会という団体に入れば無理なく信心ができると昔聞いていました。」とありましたが、どのようなことを念頭において、このように述べておられるのか、私には分かりかねますが、私が学生時代、まだ創価学会と日蓮正宗が蜜月であった頃に、大学がストライキになり、1年近く授業がない時代がありました。福島源次郎氏が、支援幹部として、毎週折伏座談会に来てくれて、多くの指導を受けましたが、その中で、舎衛の三億(国民の三分の一を学会員にする)を正本堂建立後の7年間で達成するという過激な激励がありました。部室は東大駒場寮にありましたが、当時寮の建物は3棟あり、その一つを法華経研究会で占めるという目標を立て、下宿していた学生も寮に移るように説得し、一時は三階建ての建物のワンフロアーの半分以上まで拡大したことがありました。その活動の中で、仏教に関心があるという学生が、創価学会について話を聞きたいというので、いろいろ話しているうちに、「なんで、日蓮も、創価学会も他の宗教を悪く言うの」と聞かれて、それを説明するために五重の相対の説明をしなければならず、その説明をするためには、諸経典がどのような順序で釈尊五十年の説法として説かれたかという五時説を説明するはめに陥ったとき、その学生が東大にある仏教青年会という無宗派の仏教研究サークルで大乗仏教経典は釈尊の死後数世紀たってできたと聞いているという話をして、五時説はおかしいのではないかと指摘され、それではお互いによく調べてみようということになって、折伏が中断となったことがありました。私は創価学会の末法理論はおかしいと任用試験を受けた高校生のときから思っていましたが、よく調べてみると五時説もおかしいということが分かりました。五時説iiが成立しなければ、五重の相対も成立しなくなり、他の宗教を批判する教義的根拠がなくなったと思った私は、それ以後の折伏においては、十界論を説明してから、御本尊への唱題により、仏界を涌現できるから、試してみようよという論法でやっていましたが、それにしても、折伏に役立たない五重の相対という教義はなんなのだろうか、いつまでその教義を維持しなければいけないのかと思いました。私は仏教について多少の知識を持つ人に対して説得力のない教義は変えなければ、それらの人々に信仰をしてもらうことは出来ないと思っています。もし日蓮正宗でそのような教義の改革が可能であれば、私は日蓮正宗に帰属しても構いませんし、一時日顕上人が『大日蓮』1985年10月号で「大乗非仏説、仏滅年代につき講義」とあったので、学者肌の日顕上人なら教義改革に着手するかもしれないと淡い期待を抱いたこともありましたが、その後そのような教義改革が行われたこともないようです。
 あなたは多分日蓮正宗の教義に問題はないと思っているようですが、私のように教義に疑問を持ちながらも、よりましな選択という意味で、創価学会に所属している会員も少なからずいるようです。この教義改革の要請は、日蓮正宗、創価学会の固有な問題ではなく、日蓮系仏教団体、さらには、平安、鎌倉期に創唱されたすべての仏教教団に課せられた問題だと私は思っています。「なぜ、あなたのところの宗教が一番いいのか」と問われて、説得力をもった答ができる仏教教団があるのでしょうか。創価学会は、檀家を奪ったということで、伝統的仏教教団から批判されることもたびたびありますが、宗教も、自由競争にさらされた、精神的サービス財の一つなのだから、自分たちの宗教的魅力を高めるための努力をしなければ、創価学会を批判しても、決して檀家は戻ることがないと思われます。
 次に「聞くところによると、日蓮大聖人様のご本尊様には功徳がある代わりに、信心の血脈が切れれば、魔の住処となってあらゆる不幸を起こす原因となると聞いています。日蓮正宗の教義からしても、創価学会においても以前は、神社神札、他宗の本尊、日蓮宗等のご本尊には悪鬼入其身といって貧乏神や疫病神がついており、不幸にはなっても成仏はおろか四悪道に堕ちると聞いています。さらに、所謂偽本尊によって、人心が迷い、社会が混乱し、世界が混乱するだけでなく、依正不二の原理によって天変地異が頻発するとも聞いています。」とありますが、あなたはそれを信じているのでしょうか。多分「天変地異が頻発する」と思われますが、それは70億人を超えたといわれる人類全体の中の1000万世帯程度の創価学会による宗教的影響ではなく、地球温暖化という科学的理由によるのだと思われます。鎌倉時代のように科学的研究手段も発想もない時代であれば、大聖人のように、天変地異は邪宗によって生じるという議論がそれなりに説得力を持っていたと思われますが、今の時代に自然現象を特定宗教の信仰によって説明しても賛同する人はあまりいないと思われます。
 次にSGIの布教方針に関してですが、私はそれについて云々することができるほどの情報も、権限もありません。私が言えることは、できるだけ社会的摩擦を避けながら、苦しんでいる人に信仰を通じての救済をもたらしていただきたいということしかありません。社会的摩擦を避けるために教義的改革が必要だというのなら、日蓮教学研究者として、多少のアドバイスができるかもしれないという程度のことです。

6 「最後に、創価学会は、折伏団体ではなく宗教世界平和団体に変貌されるのですか?」ということですが、私は、創価学会は日蓮大聖人の希望である世界広宣流布を目指す団体であり続けると思います。ただ大聖人は例えば『撰時抄』で「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。」と述べられているように、唱題の広宣流布は構想していたようですが、教義の広宣流布に関しては、『開目抄』に「夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。」とあるように、社会の宗教的状況によって、布教方法を変えることを容認しており、当然それに付随して教義も柔軟にすることを認めていたと思われます。
 「日蓮正宗の教義教学を尊重し誹謗せず改変しないで」とありますが、日蓮正宗の教義で世界広宣流布ができるのであれば、それを尊重し、改変などはする必要がないでしょうが、あなたは、「日蓮正宗の教義教学」が世界の仏教学者に対して説得力を持っていると考えているのでしょうか。仏教学者など相手にしないと言われるかもしれませんが、真面目に仏教に関心を持つ人は、やはり仏教学者の見解を参考にします。現在の日本において、まだ宗派に属していないが、仏教に興味がある人は、ほぼ中村元の仏教に関する入門書を読むだろうと想定されます。つまり中村元の仏教についての見解と大きく異なる教義を主張しようとするときには、その説明責任は、中村元ではなく、それぞれの教団に要求されるということであり、中村元の見解が、仏教初心者のスタンダードになっているということを無視して、布教はできないということです。これは私の周りの折伏対象者にそういう人が多かったから、私がそのような印象をもっているだけかもしれませんが、学問的研究にはそれなりの重みがあり、それを否定するためには、学問的研究を踏まえた上でしなければ、説得力がないということです。
 あなたは「末法は名字即の凡夫」という表現を使っていますが、この表現をどれだけの人が理解できるのでしょうか。日常用語としては「末法」も「名字即」もあるいは「凡夫」すらも、死語になっているかもしれません。現代の時代状況を「末法」という用語を使用して理解している人が、日蓮仏教関係者、浄土教関係者以外には、ほぼいないと思われます。つまり、「末法」という言葉は仲間内のジャーゴン、隠語のようなものになっており、その言葉は説明を要する言葉であり、その言葉を使って何かを説明する用語としては機能していないということであります。あなたは「末法」とはどういう意味か、と尋ねられて、相手が納得できそうな答を用意していますか。大聖人は仏滅後2000年以後を末法と考えていたと思われますが、今では、ある程度世界史に興味のある人の中には、その主張には賛同者はいないと思われます。私も学生時代に、なんとか大聖人の説が正しいことを証明しようとして、仏滅年代について、いろいろ調べてみたことがありましたが、やはりアレクサンダー大王のインド侵略の年代が確定してしまうと、もはや周書異記の仏滅年代には説得力はないと判断せざるをえなくなりました。そのうえで「末法」という用語を使って、なにかを主張したいのであれば、その言葉の意味を明確にして使用することが要求されます。
 いろいろ面倒くさいことを述べましたが、大聖人は『四信五品抄』で「問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり」と述べられているように、成仏と学問的知識とは全く無関係ですが、世界広宣流布を進めるためには、それなりに考えておかなければならないことがあります。
 不幸にも日蓮正宗と創価学会とは分離し、私は創価学会に所属していますが、日蓮正宗に対して教義的な疑問を持ってはいても、日蓮正宗に対して憎しみを持っているわけではありません。ですから、会員の多くが和解を望むのであれば、その決定には従います。ただ残念なのはなぜ正本堂を破壊したのか、私には納得できません。多分日蓮正宗の人々も同じでしょうが、正本堂が建立されたときの、誇らしい気持ち、世界広宣流布をやるんだという決意、これから幸せになるんだという希望、さまざまな思いが正本堂に込められていたのですが、分離した後で、正本堂が破壊されたことを知り、自分たちの信仰活動が一方的に全否定された気持ちになりました。そのときに日顕上人はこんなに創価学会が憎かったのかしらと思いましたが、多分日顕上人なりに広宣流布のためには創価学会の影響を払拭する必要があるとお考えになったうえでの決定でしょうから、その決定に異議を申し立てることはしませんが、多くの会員の心に傷をつけたと思っています。これらの会員感情を慮れば、日蓮正宗との和解は無理なのではないかと思います。
 分離した以上は、別々の教団として、教義的批判はお互いにする必要があるとは思われますが、みっともない泥仕合は避けたいと思っています。日蓮正宗の信仰で幸せになったと感じている人は日蓮正宗の信仰を続ければよいし、創価学会の信仰で幸せになったと思う人は創価学会の信仰を続ければよいと思います。私の親戚にも、日蓮正宗に行った人と、創価学会に残った人がいますが、お互いに相手の信仰を尊重しあって、厚田墓苑の墓地と大石寺の墓苑の墓地を交換するなどして、大きなトラブルになってはいないようです。未信仰の人々は、創価学会、日蓮正宗の姿を見て、日蓮仏法を判断しているということも含めて、それぞれの信仰に精進していきたいと願っております。
 納得いただけないところも多いかと思いますが、私が日ごろ考えていることをこの機会に述べさせていただきました。失礼な表現があるかもしれませんが、お許しをお願いいたします。
創価大学 宮田幸一


1 検索したら『富士一跡門徒存知事』に「一、王城の事。
右、王城に於ては殊に勝地を撰ぶ可きなり、就中仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか、仍つて南都七大寺・北京比叡山・先蹤之同じ後代改まらず、然れば駿河の国・富士山は広博の地なり一には扶桑国なり二には四神相応の勝地なり、尤も本門寺と王城と一所なるべき由・且は往古の佳例なり且は日蓮大聖人の本願の所なり」とありました。ただ都を平安京から富士山麓に移転するということを日蓮大聖人が本願とし、日興上人が構想していたということには、他に資料もなく、違和感を持っています。この部分は日興上人滅後の後加かもしれません。
i 友人から次のような指摘をいただきましたので、転載します。
『戸田会長全集』には、人間革命という言葉はしばしば登場しますが、その理念についての言及は意外に少なく、該当するのは以下の3点程度だと思われます。
@ 「貪瞋癡の三毒が、もっとも不幸の原因であり、地獄、餓鬼、畜生が、もっとも不幸の状態であるとともに、日蓮大聖人によって説き出された仏の境涯こそ、もっとも社会も個人も、幸福の境涯なのである。これこそ、人間革命の究極の目標なのである。」(S24・8巻頭言)
A 「第三に、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである。」(S26・11巻頭言)
B 「小説『人間革命』における最後の項は、著者妙悟空のいわんとする結論であり、人間革命の根本である。ここでいう人間革命とは、人生の目的観を確立して自己完成することである。
   われわれは、生活を営んでいくうえに、何らかの人生観なり、社会観なりをもっているが、現在まで、自分でもっていた人生観・世界観・社会観に、変化を起こすことが人間革命であり、いいかえれば、今までの行き方を、根本的に変化させることである。中小目的より大目的へ、中小善より大善生活へ、現世だけの目先の目的観より、永遠の生命観に立脚した、確固不抜の生命観の確立にある。(中略)小説『人間革命』の巌理事長が、身をもって体験した牢獄の重難のなかに、断っても断っても、はいってくる経典から、仏法求道の眼を開き、題目をかさね、経典ととり組んで、はげしい苦悶の末に、ついに、自らの生命が仏であり、過去久遠のむかしより地涌の菩薩であったことを確信して、歓喜にふるえ、「よし、僕の一生は決まった!この尊い法華経を流布して生涯を終わるのだ」との、強い決意を胸にきざみ「かれに遅るること五年にして惑わず、かれに先立つこと五年にして天命を知る」と叫んだ姿こそ、一切大衆救済の願望する真の人間革命である。裸一貫から、資本金五百万の事業を築きあげた巌さんが、世俗の執着を払い捨てて、心の底から人生に惑わず、真の天命を知った姿こそ、人間革命の真髄である。これは、竜の口における大聖人のご確信にも通じ、宗教革命を叫ぶ者の真の姿である。」(S32/8巻頭言)

以上のうち、Bが最も的確で、まとまった説明ではないかと思います。
これによると、人間革命とは、「人生観・社会観の変革をいい、その究極は『我、地涌の菩薩なり』と自覚して、広宣流布に生き切ることを自己の天命と覚悟すること」だといえます。戸田会長が示した「人間革命の理念」という場合には、宗教的視点を抑える必要があるかと思います。
ii なお現在の創価学会では大聖人が採用された経典を「釈迦如来金口の誠言」(『報恩抄』)と見る考えを捨て、2015年発刊の『教学入門』(創価学会教学部編)では「釈尊が五十年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていきました。その中で、慈悲と智慧を根幹とする教えが大乗経典として編纂されていきます」(同書 pp. 266-7)と、経典が後世の編纂によるとしている。また同書には五時説や五重の相対への言及はない。
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