本多日生『本尊論』を読む(上) 紹介編

1 はじめに

 顕本法華宗の管長であった本多日生は、田中智学と並んで、国家主義的な日蓮主義の代表者の一人として知られている。戦後教育を受けた私の世代では、本多日生は右翼的な日蓮主義者であり、戦後民主主義の社会においては役に立たない宗教思想家と見なされ、彼の著作はまともな研究対象にはならないと考えられてきた。
 ところが日蓮宗の本尊論を調べていくうちに、社会思想的な問題とは別に、日蓮教学の解釈において、田中智学、山川智応、本多日生の議論は、それなりに検討する必要があると感じるようになった。それで今回は本多日生の『本尊論』(大正14年、立正結社本部)を紹介、検討することにしよう。
 まず本多は「一、緒言」において、「信仰の目標である本尊観」(p. 2)は「全人類の間に有理だと承認されるべきもの」(p. 3)でなければならないから、「第一着に宗教学上よりの考察、第二に仏教全体よりの考察、そして第三に日蓮教学よりの考察」(pp. 3)という三段階において考察する必要があることを述べる。宗教学的考察は、「三」から「六」まで、仏教学的考察は「七」から「十一」まで、日蓮教学は「十二」から「十七」まで続き、「十八」において結論が述べられる。
 次いで「二、宗教と本尊」において、「教団の組織或いはその僧俗の実行というようなことは、皆な教義に基づいて起こるのであり、その教義はいろいろあっても、教義の根本、中心をなすものは本尊である」(p.5)と述べて、「宗教に於ては本尊が一番大事である」(p.6)として、本尊の重要性を述べる。
 その本尊の重要性は宗教の定義によって明らかになるとして、「一般に共通してそうして正しい意味と認められる宗教の定義というものは、『感応』ということにあるのである、感応ということは、『感』は我々の信仰を指すのである、『応』はその信仰に対して与えられる救いの力である。その救い手と救われる信心との結びつく所、ここに宗教というものはある」(p.6)と述べ、「英語で言う『レリヂオン』というのは即ち『結びつき』と訳している位で、二つの物の結合するということを除いては『レリヂオン』というものは無いということは、人類全体から見ての定論である。少しは純他力のものや純自力のものが宗教のような装いをして混じっているけれども、これは無論出来損ないである」(p.7)と述べる。
 また「一切の事柄は自他協力の上に於て向上進歩があるのである。これは哲学上の真理で、単に宗教の信仰問題だけではないのである。・・・先天の能力と後天の経験とを相い結んで初めて人は進歩するということになるのである。その原則は今申す宗教の感応の問題にも及んでくるので、この桁を外したものは今いう哲学上から見ても非真理であるが、むかし天台智者大師がはやい頃からそのことを論じている。・・・自分だけで偉くなれると思うのはそれは慢心の馬鹿である、向こうに頼るばかりで偉くして貰えると思うのは腰抜けの馬鹿である、ということになる。それは天台大師が『止観』という大切な書物の中に書いている」(p.8)と述べて、純自力、純他力を哲学的な観点から批判する。

2 宗教学的考察

 まず宗教学的考察を見てみると、「三、諸種の本尊観」において、動物崇拝、天然崇拝(自然崇拝)、庶物崇拝(聖遺物崇拝)、英雄崇拝などを宗教学的には低級な本尊観であるとする。次に信仰者のニーズに対応した日蓮宗における三十番神のような交替神教や多様な神仏を信じる多神教に関して、「宗教の大事な信仰の純一ということを欠く」(p. 14)と批判する。次に多くの神仏から一つだけを選択し、信仰する一向専念阿弥陀仏のような単一神教は不徹底であるとする。
 これらに対して、「すべての幸福を保障し、すべての力を有つて居る」ただ一人の絶対者を認める、キリスト教のような宗教を唯一神教として、多神教、単一神教などよりは勝れているとする。
 しかし本多は、すべての人が神、仏になれるという哲学的な汎神教が出現したために、「唯一神教の基礎」(p. 16)が動揺してきたとする。
 ところが汎神教はさらに人間のみならず、「宇宙の万物みな神であり、仏」(p. 17)という宇宙神教(万有神教)へと展開していく。これは「汎神の真理」を徹底した思想であるが、本多は「仏教の為に非常な災いである、殊に日蓮教学の基礎の思想というものはそこに在るのであるから、此れは非常な災いを起して居る」(p. 17)と批判する。ところが宇宙神教では信仰対象が不安定になるので、「実際の宗教信仰」(p. 18)としては、真言の場合は人格的なものとして弘法大師が選ばれ、「南無大師金剛遍照如来」(p. 18)と呼ばれ、日蓮門下では祖師信仰へと向かい、中には「日蓮本仏論」(p. 19)までが主張された。本多はこれらの信仰を「非常に頽廃」したものと見なした。
 唯一神教は「信仰情操の側からは良いようだけれども、しかしながら汎神の思想に背いて唯だ一人の神ということを押し切るのは、どうしても真理がこれを許さない」(p. 19)として、「統一神教」ということを提唱する。本多は統一神について「宇宙の絶対において、その本体に帰れば一つであるが、はたらきについて言えば沢山にわかれて現れて来る」(p. 20)とし、天月が本体であり、池月が多様なはたらきとなるという、体用関係で説明する。そして「本体と活動の関係において体用不二として、その天の月と水に映る月の全体を併せて一個の大人格者として拝むことが出来る」(p. 20)とする。本多は「この思想は汎神の真理にも合し、宗教の絶対唯一の情操にも適うこと故に、真理からも認められ、宗教の情操からも是認せられるもので、世界の宗教は最後はこの統一神の思想に帰着しなければならぬ」(p. 20)と結論づける。
 次いで「四、本尊と真理」において、不空訳『金剛頂経』に「本尊」という用語が使用されていることを述べ、その後他の宗派でも使用されるようになったことを指摘する。本尊の「文字の義理」(p. 22)として、「根本尊崇」「本来尊重」「本有尊形」を挙げるが、宗教学では「本尊」よりも信仰の「対象」という用語がより広く使用され、それは「根本尊崇」の意義に当てはまらない低級な本尊観を含めるためであるとする。「理智の側から研究」(p. 22)するならば、本尊は、第一に「実在性」、すなわち、「時間の上に於て始めなく終わりなく存在」(p. 23)する、「本有」であること、第二に「空間の上に於ては限りなく極まりなくその全体に働きうる力を持つ」(p. 23)という普遍性をもつことが必要であるとする。阿弥陀仏はその条件を満たさず、キリスト教の神は、独断的に「ただ始めから神が在った」(p. 24)ということを主張しているに過ぎないとする。さらに「宗教の写象式」(p. 25)に関して、本尊を「文字に顕し、木像画像に造りなす」ことは些末なことであり、それらは「時間も有限、空間も有限」であり、「信ずる上の一つの方法に過ぎない」のであり、「真理の研究の上には何等価値を認めることは出来ない」(p. 25)と具体的な信仰の対象物に関して限界を指摘する。
 そして「従来は理智と信仰を二分して考えたけれども、今日では心理学でも人間の知識と情操というものを二分しない主張になってきた」(p. 26)ので、「真理の批判に落第する宗教は、一時は惰性を以て生命を繋ぐようでも、往いては滅亡に帰する」と予想する。
 「五、本尊と倫理」においては、単に信仰者の欲求をかなえるだけではなく、道徳的な向上を促す宗教でなければならないことを述べる。「六、本尊と救済」においては、「現在および未来に亘って、・・・すべての一切衆生を悉く救済するという普遍的の意味を持つのが、完全なる宗教の本尊」(p. 33)であるとする。

3 仏教学的考察 

 次いで仏教学的考察を「七、仏教の本尊観」から始める。本多はまず「三帰依」、仏宝、法宝、僧宝への帰依に注目し、その上で「一切の救済の力は無論仏様より来る」(p. 36)と述べる。そして「六念法(六念処)」に言及し、「念戒」「念施」という倫理的徳目の重要性を指摘した後で、「念天」に関して、「諸天善神を念ずる」ことであり、「西洋に行けば西洋の人が尊敬しているものを、この念天の中に入れて、キリストでもマホメットでも尊敬して差し支えない」(p. 37)とする。
 次に「八、仏教の三宝観」において、「一体三宝」を論じ、己心に仏性がある、三宝があるということで、「華厳、真言、天台、禅、みな観念系であること故に、そこで自分自身が三宝を具えているというような思想になってきた。向こうを拝むということよりは自分を発見する、自己を開発するということに向かって来た為に、本尊の問題が非常に混乱を来した」(p. 39)と述べる。
 現代においてはこのような思想傾向は多くの人の支持を得ていると私には思われるのだが、本多は、法も僧も仏から出てくるのだから、「仏の一つに法も僧もみな入ってしまう」(p. 39)とする。そして「本仏の三輪の妙化」(p. 39)について、本仏の意輪としての覚り、慈悲から、多様な相を身輪として現じ、その一つが「上行菩薩等」であり、また口輪としての説法、法華経があるとする。身口意の三輪の妙化をまとめれば、「実在の本仏一つに帰着するというのが寿量品の教義である。・・・然るに観念系の思想の影響を受けて、日蓮教学の上に一体三宝を己心本尊の側にうつしたということは、これは先輩の学説が間違っているのである」(p. 40)と述べる。
 そして『勝鬘経』を引用して、法帰依、僧帰依は有限依であり、「第一義に帰依するとは、是れ如来に帰依するなり」(p. 43)と述べる。そして「これは勝鬘経に説かれているけれども、法華経の全体、殊に寿量品の経意に合している、一切経を貫くところの三宝観の帰結である。それが日蓮聖人の開目抄、本尊抄等にあらわれてくる」(p. 44)と補足する。
 次に「九、仏身観の要旨」において、阿含経典は過去仏、未来仏を認めるが、他世界の仏は認めず、現在の釈迦仏によってのみ救済されるという時間的中心が明確である。権大乗経は空間的に他世界の仏を認めるが、この娑婆世界の仏は釈迦仏であるという点は変わらない。法華経は時間的空間的に中心となる仏は釈迦仏であるとする。
 次いで「三身論」を検討し、インドで生まれた釈迦が「応身」であり、その涅槃の後に、応身の釈迦の本身を求めて、「法身」の思想が生じ、さらに「法身」を二つに分けて「人格のある仏」を「報身」とし、人格のない仏を「法身」とする「三身論」が生じたとする(p. 47)。そして「法華経の寿量品に於いては、応身即法身――伽耶成道の釈迦が即是れ久遠の本仏である」(p. 40)とする。そして一切経を通覧すると、方等部の一部の経典、例えば、阿弥陀経、薬師経、大日経等のみが、釈迦以外の仏を立てているのであり、釈迦仏が根本であることは明白であるとする。
 次いで「十、滅後信仰の概観」において、まず釈迦在世追懐の信仰、遺跡崇拝の信仰、仏舎利崇拝が生じ、次いで形像崇拝、すなわち仏像崇拝が生じ、その次に法華経法師品に見られるような経典崇拝が生じ、最後に法華経寿量品に見られるような仏身実在の信仰に到達するが、いずれにしても釈尊への信仰を中心にしているとする。
 次いで「十一、仏教本尊の三方面の考察」において、真理という側面から見ると、寿量品の本佛は実在(時間的永遠性)と普遍(空間的無限性)において、模範的な本尊となりうることを述べる。次いで倫理的にも慈悲を中心に、正義を行う仏であり、信仰者の倫理的努力を要求するとする。最後に救済の側面として、「世間の楽および涅槃の楽」を与えるために奮闘しているので、救済者としても模範的であるとする。以上で仏教全体による考察は終わる。
 
4 日蓮教学による考察
 
 次いで日蓮教学による考察を「十二、法華経に顕われたる本尊」から始め、本多は「日蓮教学は元来法華経に基づいたものであるからして、日蓮聖人がただ勝手な事をおっしゃたのでは信用するに足らない」(p. 62)と述べ、「日蓮聖人の教えに右と左があってどちらを採るべきかという時には、法華経に復って法華経に合した方を採って、法華経の教えに遠ざかったものは軽い義理としてそれを視るということは、当然の事である」(p. 62)と日蓮教学の理解の方法論を述べる。
 そのうえで法華経に見られる本尊として、方便品の諸法実相も、仏の智慧を讃嘆することを記述して、開示悟入を説いて仏の慈悲を説明している。その後の部分も仏の智慧と慈悲を讃嘆し、「法華経の全体を通じて見るというと、みな釈尊の偉大を説明する」(p. 65)ことが強調されており、そのことは如来寿量品、如来神力品に「如来」という用語が使用されていることにも明らかであるとする。
 そして「『如来とは我である』というようなことで、いろいろ小理屈を言って釈迦如来を忘れる者が出てきたけれども、そんなことは後代の間違った議論である」(p. 66)と述べて、己心本尊論を批判する。題目に関しても神力品では四句要法も「如来一切所有之法」など「如来」が重要であることを示しており、「お題目は如来によってその内容が保証されていることを知らなければならない」」(p. 66)とする。
 次いで「十三、遺文に顕われたる本尊」において、さまざまな異論を検討する前に、本多自身の遺文解釈を次のように述べる。まず「イ、本尊の重視」において、『新尼御前御返事』、『観心本尊抄』、『開目抄』『法門可申抄』を引用し、「寿量品の本佛釈迦如来」を根本とすることを述べる。
 次いで「ロ、観心本尊抄」において、1、「本尊為体」以下の部分を、多くの学者は「十界互具」を顕わしていると誤解しているが、明瞭に「三宝式」を顕わしていること、2、三宝の中心が釈尊であることを、「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる」、「此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず」と述べて、明示していること、3、末文の「仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」は釈尊中心であることを述べ、4、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」は「妙法の内容実質は釈尊の御功徳である」ことを示している、という四点により『観心本尊抄』は釈尊中心の思想であることが明らかだとする。これに関連して優陀那日輝が曼荼羅全体を寿量品の仏と解釈したことを、「宇宙神教」(p.71)に陥ったと批判し、「印度応誕の釈迦牟尼仏という有限の釈迦牟尼仏が、そのまま絶対の釈迦牟尼仏である」(p.72)という「応身即法身」を主張する。
 次いで「ハ、開目抄」においては、1、冒頭の「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」は「経典でもなく宇宙の理法でもない、主師親の人格者」を本尊とすべきことを明示している、2、迹門は「仏性論」であり、本門で「本佛顕本」が明かされることが「日蓮教学の一番大事な所」(p.74)である、3、「天月池月」の譬えは、「実在の釈迦」(=時間的永遠の仏=法身)が「この世にあらわれた現身の釈迦」(=応身)であり、「実在の釈迦」が人格を持つ場合である「報身」として顕本したことを表すのであり、4、さらに「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」と「実在の釈迦」が本尊であることを明示していることを述べる。
 次いで「ニ、報恩抄」において、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と釈尊本尊論が明言されているとし、「所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」の部分の「宝塔の内の釈迦」は前文の「教主釈尊」と同一であるとし、両者を別のものとした優陀那日輝や「興門の学者」(p.77)を批判する。
 その他『三大秘法抄』『日眼女造立釈迦仏供養事』『立正安国論』『法華取要抄』『顕仏未来記』『如説修行抄』『神国王抄』『善無畏抄』などを引用して釈迦仏を本尊とすることを主張する。
 次いで「十四、本尊の勧請文」において、本尊としての釈尊を勧請する方法には「言葉と、文字と、木像」との三つがあるが、「言葉は音声のみ」(p.82)だから、文字で顕わされた曼荼羅や木像のように、目で見えるものではないから、表現手段に捉われることがないという利点を持つ。
 そのうえで、本多は日蓮自身が残した勧請文として、『末法一乗行者息災延命所願成就祈祷経文』の次のような勧請文を挙げる。
  「勧請したてまつる本門寿量の本尊
 南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼如来      一礼
 南無証明法華多宝世尊            一礼
 南無自界他方本仏迹仏等           一礼
 南無上行・無辺行・浄行・安立行等六万恒河沙等地涌千界の大菩薩 一礼
 南無開迹顕本法華中一切常住三宝       一礼
 総じて受持者擁護の諸天善神、末法の行者に於て、息災延命・真俗如意・広宣流布・得已満足せしめ給へ。南無妙法蓮華経」
 本多は「これが大聖人の直撰にかかる所の勧請文である」(p.85)と断定する。
 なお勧請文には他に『祈祷経言上』があり、そこでは勧請文は次のようになっているが、本多はこれを採用しない。
「南無平等大恵一乗妙法蓮華経。
 南無霊山浄土久遠実成釈迦牟尼仏。
 南無宝浄世界証明法華多宝如来。
 南無上行・無辺行・浄行・安立行等の本化地涌の大士。文殊・弥勒・普賢・薬王・薬上・観音等の迹化他方の大権の薩?。身子・目連・迦葉・阿難等の新得記の諸大声聞。総じて霊山・虚空二処三会発起影向当機結縁の四衆 乃至 尽虚空微塵刹土古来現在の一切の三宝に申して言く」
 本多は他にもこれに類似した勧請文を挙げ、それらが門流の分裂により勝手に『末法一乗行者息災延命所願成就祈祷経文』の勧請文を改変したものであると批判する。
 次いで「十五、本尊勧請の実例」において、「文字式」「木像式」についての日蓮の実例を検討する。文字式、すなわち文字曼荼羅については「三宝式」であれば、その他の諸尊は多様で構わないとする。また文字式、木像式のような写象式よりも、「活ける釈迦如来の久遠実成、実在」(p.89)が重要であるとし、写象式に関して日蓮門下の本尊論が論争していることは無益で、根拠がないとする。
 そして『真言天台勝劣事』の「凡そ印相尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず設い之を説くとも権実大小の差別浅深有るべし、所以に阿含経等にも印相有るが故に必ず法華に印相尊形を説くことを得ずして之を説かざるに非ず説くまじければ是を説かぬにこそ有れ法華は只三世十方の仏の本意を説いて其形がとあるかうあるとは云う可からず」を引用して、「(三摩耶)尊形」とは写象式のことであり、法華経は尊形には拘泥しないことを日蓮が述べているとする。
 次に木像式に関して釈尊一像でも構わないことを『神国王御書』『妙法比丘尼御返事』を引用して、釈尊一像を本尊としていたとする。また『日眼女造立釈迦仏供養事』の「例せば釈尊は天の一月・諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり」を引用して、本地垂迹により一切の神仏の功徳は「本仏釈迦如来の大恩に推功帰本」(p.96)するとする。また『四菩薩造立抄』の「本仏本本脇士」を受けて、人格的な釈尊が重要なのであり、優陀那日輝のように釈尊を宇宙全体とする宇宙神教は誤りであり、『諸法実相抄』の「妙法蓮華経こそ本佛にて候」も「傍系」すなわち「他宗の影響を受け」(p. 105)たとする。
 次いで「十六、遺文の会通」において、本多は「日蓮聖人の御遺文を見るに就いては、すべての教義に於て正系傍系とでも言うべきことを考えなければ、一切の教義は混乱する」(p.105)と述べ、「『正系』というのは法華経の教旨に基づいて示されたところの教義である、『傍系』というのは他宗の影響を受けて仰るところの教義である」(p.105)と分類する。そして「正系の思想は、前段『遺文に顕れたる本尊』と題しても申し述べた『本尊抄』『開目抄』その他それぞれ有力な御遺文に現れていることが即ち正系である。傍系というのは殊に真言、天台並びに浄土門の影響を受けた思想である」(p.105)とする。
 そして真言の影響を受けた思想として、本多は第一に「曼荼羅思想」を指摘する。本多は「法華経の思想は曼荼羅思想ではないのである。三宝思想、殊に三宝を仏宝の一つに統帰するところの絶対本仏の思想である」(p.106)と述べ、『開目抄』『観心本尊抄』ではそれが明瞭であるとする。そして本多は「曼荼羅思想というのは主なる点が何處にあるかというと、それは妙法蓮華経という真言的の言葉の中に一切が包まれるという思想であって、『妙法曼荼羅供養抄』あるいは『日女抄』等に現れた思想である」(p.106)と解説する。
 そして『日女御前御返事』の「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」という思想は、「真言の『阿字の前には釈迦顔色無し』と言うた言葉と同じ」(p.106)であるとし、「字とか言葉を絶対に見る思想である」(p.106)と批判する。
 また『妙法曼荼羅供養事』に、「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり」とあることを、「印文」とは「印真言」(p.107)のことであり、「婆羅門の思想」から真言に伝わり、「その影響が日蓮聖人の遺文の中にもあるけれども、それは仏教の根本精神から見て重いものではない」(p.108)と傍系思想であることを強調する。
 また『浄蔵浄眼御消息』の「妙法蓮華経の五字・月と露れさせ給うべし、其の月の中には釈迦仏・十方の諸仏・乃至前に立たせ給ひし御子息の露れさせ給ふべしと思し召せ」を引用し、「これはやはり宇宙神的の思想で、妙法蓮華経は全体であるから何でも現れて来る」(p.108)という思想は「皆な真言の影響から来た観念で、法華経の教旨の正系ではない」(p.109)とする。
 そして「これ等はいづれも宗教学上『文字崇拝は庶物崇拝の一種に属す』という宗教学者の評論に該当するのであるから、法華宗が単に文字神聖論を以て進んだならば、劣等なる宗教として世界に広まるどころではない、寧ろ非常に侮辱せられるの日があることを覚悟しなければならぬ」(p.109)と警告する。
 次に天台宗の影響として「十界互具の曼荼羅」という思想を採りあげる。『諸法実相抄』に「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」という思想は「宇宙神論的の思想」(p.110)であり、「曼荼羅の真ん中に妙法蓮華経と書いてあるのはこれは十界の大曼荼羅、十界の依正宛然としてそこに具する」という理解となるとする。類似した思想は『当体義抄』にも「十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」とある。
 また『本尊問答抄』には「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」とあり、「妙法蓮華経を本尊とせよとはっきり書いてある」(p.110)と本多は一往認める。
 しかし本多は「日蓮聖人の遺文の中には、真言影響の思想から曼荼羅式の観念を書かれた所もあるし、天台の影響を受けて、妙法蓮華経が一切を包んでいると言ってそれを鼓吹せられた所もあるし、或いは十界互具の思想で解釈せられた所もある、けれどもそれは第二義第三義に属する思想であって、それを以て帰結することはできないだけのことである。法華の題目を以て本尊とせよと言われたことがこの『本尊問答抄』にあったからといって、その他に釈尊を以て本尊とすることが前に申したように三宝式の本尊となって現れ、勧請文に於ても第一に大恩教主釈迦牟尼仏と言われるのであって、そこには妙法蓮華経も勧請されていないくらいのことである」(p.111)とし、「恰も矛盾に見えるが如きことを、正系傍系ということで考えて行かなければならぬのである、どれもこれも同じように見ようとしたならば、百年遺文を講ずると雖も解決のつくべきものではない」(p.111)、「御遺文の中に於いても自ずから軽重本末というものを見なければならぬ」(p.111)と遺文解釈の方法論に言及する。
 そして本多は『本尊問答抄』の議論が軽いことについて、「迹門の方便品と天台大師の釈などを挙げられて、そうしてこの題目に対する釈迦は『子』という字を以て説明されている、題目が能生の母であって、釈迦はその子である。子の仏、字の中から生まれてくる仏というのはそれは絶対本仏でないことは明瞭である」(p.112)と述べる。また「本尊問答抄は絶対本仏に対することではない、またこの妙法中心の思想というものが絶対の教義でないということを断定すれば事足りるのである。やはりこれは天台系の思想である」と述べて、傍系思想として処理する。
 次いで本多は己心本尊の思想を検討する。『法華初心成仏抄』に「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉り」とあり、また『御義口伝』の「第廿五建立御本尊等の事」に「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」とある。本多は「本尊は自分だというのであるから、そういうことは最初に申した宗教の感応ということをまるで忘れてしまっている議論である。・・・信行を繋ぐ上に、自分が本尊だといようなことでは、信仰合掌は要らなくなってしまう。こういう思想は汎神主義の思想が脱線して起こるのである。これは当時の一般学風の影響であって、真言、天台、禅、いづれも自分が仏だというようなことを主張したのである」(p.113)と批判する。そしてこの汎神論を「平等論」「悪平等といって善悪不二、邪正一如、明暗不二」と呼び、この思想では「道徳も宗教もない」(p.114)とする。
 そして本多は『諸法実相抄』を誤解している学者が多いことを指摘し、「釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うなづき合い給ふ」「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」とあるが、これは「人格の仏に対しては非常な侮蔑的の言葉」(p.117)をもたらす思想であり、「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」という思想を惹起し、「凡夫が本仏だというのは衆生であるから、衆生という中には地獄も餓鬼も人殺しも皆ある、それが本仏である、仏様というのは迹仏である」と解説する。さらに「然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」という凡夫本仏論の議論を、「これが一番善い思想として結論を此処に置かんとするから、日蓮教学が根本からわからなくなってしまうのである、これは皆な汎神論の思想である。・・・仏様が主師親の三徳者かと思ったら、そうではない、こっちの方から三徳を仏様に貸していたのであると、そういう思想というものは非常な間違いである」(p.117)と批判する。そして本多は「凡夫本覚論というものは非常に警戒を要するのである。真言、禅宗、天台、日蓮の誤れる教学は皆なその病にかかっているのである。我が顕本法華宗はそういう病弊を戒めるが為に『顕本』という二字を冠らして、何處までも絶対人格者の本仏を尊敬しなければならぬということの為に、命をかけて闘っているものである」(p.118)と主張する。
 そのうえで『諸法実相抄』の凡夫本仏論は「迹門教義の汎神思想を述べられたので、この御遺文の中でも全然それと違った本仏に感激する言葉が出てくる」(p.118)と述べる。その証拠として後半部分の「(釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず・・・併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり)日蓮は其の座には住し候はねども経文を見候に・すこしもくもりなし、又其の座にもや・ありけん凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり又未来は決定として当詣道場なるべし・・・此くの如く思ひつづけて候へば流人なれども喜悦はかりなしうれしきにも・なみだ・つらきにもなみだなり・・・現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり」と釈尊の与えた試練と救済に感激していることを指摘し、最後に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候」とあり、信心修行を強調しており、この結論部分には凡夫本仏論の要素がないことを指摘する。
 最後に浄土門の影響として、「唱題成仏論で題目を唱えさえしたらよいということは、浄土門の称名念仏の影響から来る」(p.120)とする。
 次いで「十七、異論の解決」において、本尊の人法関係について、「法」の意味が不明確で、「真言風に考えたり、実相風に考えたり、何ということなしに唯だ『妙法』という言葉を乱用している」(p.120)のであるから、法の意味を明示する必要があるとする。そして「『法』には、『教、行、人、理、果』という五つの意味があって、『教(おしえ)』を言い表す場合、『修行』を言い表す場合、『人間』自身を汎神主義に法という言葉で言い表す場合、『真理』を言い表す場合、それから『仏様』を言い表す場合、大体この五つがあるが、しかし日蓮教学上に於ては『法』は『教』である。本当の意味は妙法蓮華経が所謂『法』なのである、則ち法華経を広略要の中から『要が中の要』といってこれを集めたものである、広げれば法華経の全体である」(p.121)と解説する。
 次いで本尊論に関して、「法勝人劣」「人勝法劣」「人法一体」について、「これは何れも間違った思想が伴っている」(p.121)とする。そして「人法一体」について「本体に就いて妙法を実相として、釈尊を宇宙の絶対者として、体に於て一体を説くということは差し支えないけれども、今本尊の問題に入り信行の問題に入って来て左様なことを言うのは間違ったことである」(p.122)とする。
 その「人法一体」の議論で、曼荼羅の「妙法蓮華経」は「妙法蓮華経仏」であり、これが本仏であり、釈迦牟尼仏と書いてあるのは迹仏だという議論、釈迦の本名は妙法蓮華経仏であるという議論等は「素人の議論」(p.122)であり、弘法の『法華開題』の議論であり、日蓮はその議論を採用しなかったとする。
 本多は、「人法一体」の議論の否定は『観心本尊抄』の「仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」に示されているとする。この文で「懸ける人は日蓮聖人であって、これが僧宝である。仏が大慈悲を起すのである、そうして袋の中にこの球を裏んでという、この袋が題目である、末代幼稚というのは我等衆生である、この幼稚の首に袋を懸けさすという、これが妙法である」(p.122)と述べ、また「袋に譬えるから懸けるというけれども、そこに信仰を起すことであるから渇仰の信念である、この妙法の五字一音を通して釈尊の大慈悲に接するのである。これを宗教学上に於ては仲介者というのである。宗教には必ず仲介者を要する」(p.122)と述べる。
 この「仲介者」の概念について、本多は「本仏と我等の接合点にあるものであるが故に、題目は或いは曼荼羅の真ん中に書くこともあるし、書かずに口に唱えさせることもある。・・・要するにこの仏と我等との間に感応を起す所の方法に外ならんのである」(p.124)と述べる。また「今は理解よりも真心の信念を尊ぶが故に、纏めて妙法の五字一音として、これによって汝らを救うということを仰るのである。上から来れば本仏の救いの手である、下から行けば我等の渇仰の手である。これが題目を通して結合するのである。そうしてこの声とこの文字、この南無妙法蓮華経の声が我等の耳に聞こえたとき、仏はそこに来たれりと思え、南無妙法蓮華経の文字を見たとき、そこに本仏在せりと思え、ということである」(p.124)と述べて、仲介者の題目により、「本仏の実在に想い至るということ、これが最も大事な点である」(p.125)とする。
 また本多は「信行を確立する時には、どうしても人格者に向かわなければならぬ。字が有難いの、声が有難いのと言っても、その奥に人格の実在者がなかったならば、その信念は枯れて来るのである。今や日蓮門下の信仰は枯れている、それは実在の人格者たる本仏を忘れたからである」(p.125)と慨嘆し、「本仏を忘れてしまって、唯だ声だけで用が足りる、字だけで用が足りるというのは、浄土門の影響、真言門の影響に囚われて行く思想から起こることである」(p.126)と本仏抜きの妙法尊重の議論を批判する。
 本多は次に日蓮本仏論を検討するが、『四菩薩造立抄』に「本仏本脇士」とあることにより、「上行等の菩薩は本脇士であって本仏ではない、また日蓮を本仏というのは汎神思想の脱線より来るものである」(p.126)と批判する。
 また「宇宙本仏論」について、「妙法蓮華経こそ本仏」という議論から生じるもので、寿量品、開目抄の「報応顕本」の思想から見ると、「低い思想」(p.126)だとする。
 最後に優陀那日輝の『本尊弁』を採りあげて、「十界の曼荼羅その儘が、釈迦一仏であると考えている」(p.126)がそれは『御義口伝』の「南無妙法蓮華経が無作三身の宝号」だという言葉に囚われた「汎神主義が宇宙神教に脱線しているような思想」(p.127)であると批判する。また日輝には「信行」と「観行」とが混線しており、「本尊を拝むのやら、本尊を唯だ参考にするのやらわからんことを言うのである。結局は自分自身が仏であるということを悟らす為に本尊に向こうに置いているのであると優陀那師は言っている。これでは観行の本尊となってしまって、信行の本尊ではない、観行ならば何も本尊などを置かないでもよい、・・・それならば純粋の天台止観の思想である」(p.127)と批判する。そして優陀那日輝の影響が今も日蓮宗の大学にあり、「本仏とは十界の全体である、釈迦牟尼仏は迹仏である、そうして真の本仏は吾が身である、三徳は我等であって釈尊は敬うに及ばぬというのでは、到底衆生済度の能力は出てくるものではないのである」(p.128)と日蓮宗大学(立正大学)の教育内容を批判する。
 最後の「十八、結論」においては、これまでの議論の要典を各節ごとにまとめている。
以上のような本多日生の本尊論は、創価学会の本尊論、あるいはSGIのHPで記述される本尊論とは対極をなすものだと私には思われる。このような議論に対して、どのように応答するのかは、読者諸氏が、本尊をどのように理解しているのかという問題と直結している。私個人の見解はいずれ示すとして、取り敢えず、本多日生の問題提起をここでは紹介するだけにしよう。