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           優陀那日輝『本尊略弁』の構成と諸問題

目次
1 『本尊略弁』の意義
1-1 現在の日蓮宗の本尊論
1-2 日蓮宗の本尊論の問題点
2 『本尊略弁』の構成
3 「眼前の迷惑」――曼荼羅の中の「南無妙法蓮華経」は何の名前なのか
3-1 「南無妙法蓮華経」は久遠実成無作三身の仏の名前
3-2 仏本尊を教示する諸御書
3-3 十界曼荼羅全体が久遠実成無作三身を表現している
3-4 一般的本尊論と三大秘法の本尊論との表現の差異
3-5 仏本尊論の諸御書の検討
4 「心底の迷惑」――仏軽法重か仏重法軽か
4-1 「如来秘密神通之力」の強調
4-2 現代仏教学の定説との相違
4-3 法重思想の諸経典の会通
5 「学問の迷惑」――その(1)「経文の迷惑」 経典からの論証問題
5-1 『法華経』法師品の起塔供養の文の解釈
5-2 『法華経』神力品の起塔供養の文の解釈
5-3 寿量品の仏供養の文
5-4 本門寿量品の本尊と迹門法師品の本尊との相違
5-5 大石寺日寛の類似の議論
6 「学問の迷惑」――その(2)「祖判の迷惑」 『本尊問答抄』の問題
6-1 『本尊問答抄』の迹門の引証
6-2 『本尊問答抄』と浄顕房の未熟
6-3 実義未説の『本尊問答抄』
6-4 立教の「深旨」としての仏本尊
7 『本尊略弁付録』における『本尊問答抄』への追加の考察
7-1 本尊の名相体の三義
7-2 『本尊問答抄』の「題目本尊」の五義
7-3 『本尊問答抄』は初心者のために名相体の相(形態)のみを論ずる
7-4 『観心本尊抄』は正宗分、『本尊問答抄』は流通分
8 『本尊略弁』を考察する場合の前提
8-1 創価学会の曼荼羅正意説と日蓮正宗の人法一箇論との相違
8-1-1 牧口常三郎の法重思想
8-1-2 日寛の人法一箇論の特徴
8-1-3 日輝、日寛に共通する人本尊論の論拠
8-1-4 曼荼羅の「南無妙法蓮華経 日蓮」を論拠とする人法一箇論は日寛にはない
8-1-5 日有の時代の他門流の人法一箇論
8-2 信頼できる御書の読解、解釈問題
8-2-1 『開目抄』の場合
8-2-1-1 文底の文についての諸見解
8-2-1-2 『開目抄』に示される文底の文
8-2-2 『観心本尊抄』の場合
8-2-2-1 『観心本尊抄』の二種類の本尊
8-2-2-2 広宣流布時に仏像を造立するという日興門流の見解
8-2-2-3 『観心本尊抄』と一尊四士論
8-2-3 『報恩抄』の場合
8-2-3-1 『報恩抄』の諸テキストと読解問題
8-2-3-2 池田令道の他のテキストの示唆
8-2-3-3 前文の「教主釈尊」と後文の「釈迦」との関係
9 「眼前の迷惑」の議論の検討
9-1 「或説己身或説他身」と「名字不同年紀大小」の引用
9-2 日輝の人本尊論のテキスト問題
9-3 『日女御前御返事(御本尊相貌抄)』のテキスト問題
9-4 三大秘法の本門の本尊
9-5 南無妙法蓮華経は仏の名前か、法の名前か
9-6 曼荼羅と三大秘法の本尊としての教主釈尊との関係
10 「心底の迷惑」の検討
10-1 智顗の『法華玄義』の理事
10-2 日蓮の理事の通常の解釈
10-3 『注法華経』の「本門の理」の議論
10-4 智顗の『維摩経玄疏』の「理事」
10-5 『法華玄義』における「本時」の使用例
10-6 日蓮は智顗の議論の「本迹不思議一」を意図的に省略し、本迹の理の勝劣を示す
10-7 湛然の『法華玄義釋籤』の迹門実相論の意図的な無視
10-8 本門の理=「事円」は迹門の理=「理円」よりも勝れていることを暗示
10-9 本門の「事円」とは本因・本果・本国土を顕す「まことの一念三千」
10-10 「如来秘密神通之力」の使用
10-11 日蓮は不軽菩薩の礼拝行を、人本尊信仰の根拠としているわけではない
10-12 法仏関係と「南無妙法蓮華経」の対象問題
10-13 日輝の仏を本尊とする議論は成立しない
11 「学問の迷惑」――その(1)「経文の迷惑」の検討
11-1 日輝の寿量品の引用の問題
11-2 日蓮の法師品の引用目的 
12 学問の迷惑」――その(2)「祖判の迷惑」の検討
12-1 日輝の「私の義に非ず」を「随他意」と読む無理な読解
12-2 『本尊問答抄』で迹門を引用したのは本文寿量品に論証する経文がなかったから
12-3 望月歓厚『日蓮教学の研究』の本尊論への影響
12-4 『本尊問答抄』は『報恩抄』に対する疑問に答える書
12-5 『本尊問答抄』を基本にして『報恩抄』『観心本尊抄』を読み直すべき



1 『本尊略弁』の意義
1-1 現在の日蓮宗の本尊論

 私は現在創価学会の本尊論構築に向けて研究を進めている。私自身は日興門流の系譜を引いているので、日興の曼荼羅本尊正意説を支持しているが、その場合日蓮自身の文献で曼荼羅本尊正意説を根拠付ける信頼の置ける文献は『本尊問答抄』であると考えている。しかし、他方で『報恩抄』には明確に三大秘法を説明して、次のように述べられる。
 
 一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし1

 このように明確に三大秘法を説明して、「本門の教主釈尊」を本尊とすることを明確に示している。
 この曼荼羅本尊と教主釈尊本尊との関係をどのように考えたらいいのか、という問題に関して、私は、1、日蓮自身の信頼できる文献によって、どのようなことが言えるのか、という問題を、「本尊問答抄について」という論文で考察した。この考察に対して、日蓮宗法明教会の村田征昭は「『本尊問答抄』をめぐって」という論文の中で、優陀那日輝の『本尊略弁』を使用して、『本尊問答抄』は「随他意・未顕真実の法門」であると批判して、『本尊問答抄』の価値を、『報恩抄』よりも低く見る見解を示した。
 その後、私は、2、日蓮仏法の継承者たちは、この問題をどのように考えてきたのか、ということを調べようとして、望月歓厚の『日蓮宗学説史』を、本尊論に注目して、再び読み始めた。彼の研究によれば、身延中興の師とされる室町時代の行学日朝は、法勝人劣思想によって(p. 125)、「一辺首題の曼荼羅」(p. 124)ならびに「十界曼荼羅」(p. 123)を正本尊とし、釈迦仏像は傍意として容認したにすぎないとされる。この法勝人劣思想は、江戸時代初期の受不施派の指導者として日蓮宗全体を牽引した一如日重、寂照日乾、心性日遠にも継承され、一致、勝劣を問わず、法勝人劣思想による曼荼羅本尊を正本尊とする思想が大勢であった。江戸時代中期の一妙日導は『祖書綱要』を著し、それまでの法勝人劣思想を否定し、人法一体論を積極的に主張した(p. 775)。江戸時代後期に、草山元政の影響を受けた本妙日臨が『本尊問答抄』を一往の説(p. 856)として、法本尊正意説を否定したことを受けて、優陀那日輝が久遠実成釈尊=無作三身こそが根本の本尊であることを主張し、『本尊問答抄』の曼荼羅正意説を論駁した。
 磯野本精の『日蓮宗教義大意』(1913)には、次のように述べている。
 
 古来人法二種の本尊に於いて異を説く者は、心性遠師、観如透師、年譜攷異師等であり、人法の同を論ずる者は寂照乾師、綱要導師、優陀那輝師、桓叡智師等である。上来の諸師も中で乾、遠、透、諦、耆、賢、智等は法本尊論者であり、導輝二師の如きは人本尊論者である、而して其の人本尊説を大成せしは優陀那老和上であって是れ確かに宗門に於ける本尊論上の偉功と言わねばならぬ。(p. 249)

 磯野は、明治以降の日蓮宗の本尊論が久遠実成釈尊論になる最大の理論家として、優陀那日輝の功績をあげている。(大正時代の磯野本精の『日蓮宗教義大意』は当然のことながら、現在のような文献学的研究を受けて書かれた著作ではないが、それだけに優陀那日輝の議論を受けた近代日蓮宗の教義の様相を良く窺える著作であり、これと望月歓厚の『日蓮聖人の教義』を比較することにより、文献学的研究を受けて、望月が優陀那日輝の議論のどの部分を修正し、どの部分を継承して、現在の日蓮宗の教義を作り上げたのかを、検討する材料となる。)
 このような本尊論に関する歴史的経過を見るならば、現在の日蓮宗の本尊論は、久遠実成釈尊を本尊とするということであるようだが、実は日蓮宗の公式HPには、日蓮宗宗憲第2条に「本門の本尊」とあるだけで、久遠実成釈尊本尊論への言及がない。日蓮宗勧学院監修の『宗義大綱読本』には、次のようにある。
 
 本門の本尊は、伽耶成道の釈尊が、寿量品でみずから久遠常住の如来であることを開顕された仏である。宗祖は、この仏を本尊と仰がれた。そして、釈尊の悟りを南無妙法蓮華経に現わし、虚空会上に来集した諸仏諸尊が、その法に帰一している境界を図示したのが大曼荼羅である(p. 76)
 
 ここでは、久遠実成釈尊が本尊であると明記しているが、同時に曼荼羅にも本尊の項目で言及しているから、曼荼羅も本尊とするようである。
 また、このようにもある。
 
 本尊の実体 本門の本尊の実体は日蓮宗宗憲の第1条に明記してある通り、「久遠実成本師釈迦牟尼仏」である。これは報恩抄に三秘の第一として「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」と述べられた定言のとおりである。(p. 85)
 
 宗憲第1条は本尊について述べた文ではないので、この表現は誤解を生じやすいが、日蓮宗の本尊論が『報恩抄』の記述に依存していることだけは明示された。さらにこのように述べる。
 
 本尊の形態 この本門の教主釈尊を本尊として表現する場合、聖人は五種の様式を用いられた(p. 87)
 
 そして、首題本尊、釈迦一尊、大曼荼羅(一塔両尊四士の木像も含む)、一尊四士、一塔両尊四士(報恩抄に教示される)を挙げる。そして、このように述べる。
 
 同じ観心本尊抄の中で、本尊段では大曼荼羅、流通段では一尊四士であるから、両者は一法の異表現である。この点は報恩抄では本尊を示される時、もっとも明瞭に表示される。「一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」と。「所謂」の前段は釈迦一尊、後段は二尊四士である。しかし、釈迦一尊は「本門の教主」であるから必ず四士を脇士とする。二尊四士は前にも述べたように一塔を予想するから、大曼荼羅の上段部分である。そして、この両者は「所謂」で結ばれるから、一尊四士と大曼荼羅とは聖人の内意においては同一御本尊の異表現に外ならない。(pp. 91-92)

 その上で、両者の差異について大曼荼羅は「本仏釈尊の内観の世界の表現である」(=所証の世界)(p. 92)とし、一尊四士は「能証の仏」であるとする。そして、「所証と能証との表現差であるから、どちらの表現を本尊として安置するかは行者の環境によるところであって、何れが正、何れが副でもない。」(同)とする。さらに註において、『日蓮宗読本』(望月歓厚が編集責任者)、『大崎学報』104号を参照するように指示している。
 
1-2 日蓮宗の本尊論の問題点
 
 この議論の最大の問題点は「この両者は『所謂』で結ばれるから、一尊四士と大曼荼羅とは聖人の内意においては同一御本尊の異表現に外ならない」という論理が成立するのかという問題である。事実上二つの本尊様式があるから、宗務行政上両者を認めてしまえという議論はそれなりに分かりやすいが、この議論は「所謂」は前と後ろとを同じであるとする表現だと断定している。現在では「所謂」は「世間で言うところの」、英語の「so-called」「what is called」「what they call」の意味で使用されるが、『法華経』ではそれとは違った使用法が見られる。
 日蓮が毎日読誦した方便品には次のようにある。
 
 唯佛與佛乃能究盡諸法實相。所謂諸法如是相。如是性。如是體。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。2(唯仏と仏とのみ乃(いま)し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂る諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり)3(p. 108)
 
 ここでの「所謂」は前文の「諸法実相」を受けて「その謂う所は」「その意味は」「すなわち」という意味で使用し、前文の「諸法実相」について後文で詳しく「諸法如是相」など十如是で説明している。「諸法」の「実相」が「諸法」の「十如是」であるということは『法華経』方便品の独自の見解であり、「世間で言うところの」という意味は全くない。『法華経』方便品の「所謂」の用法は、前文の語句を受けて、後文でその意味を詳述するという役割を示している。
 そのことを確認した後で、日蓮の「所謂」の使用例を検索すると日蓮初期の著作である『唱法華題目抄』には次のような用例がヒットする。
 
 大通智勝仏法華経を説き畢らせ給いて定に入らせ給いしかば十六人の王子の沙弥其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給いけり、其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず当座に悟をえし人は不退の位に入りにき、又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の位に入らずして三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり。

 ここでは「所謂」は「その謂う所は」「その意味は」の意味で使用されている。前文の「法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の位に入らずして三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る」が誰なのかは不明だから、後文で「舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり」と具体的に人名を挙げて、「所謂」の前文部分を、後文部分で説明している。
 あるいは『立正安国論』では「所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。」という用例があるが、ここでは「所謂」は「(『涅槃経』で)謂う所の」の意味で使用されている。つまり、この場合は「所謂」で結ばれる『涅槃経』で説かれる「覚徳」比丘は「迦葉仏」のことなのですよという意味で使用されており、両者が同じであると言えば言えるが、力点は説明されるべき「覚徳」という前段の言葉を、「迦葉仏」という後段の言葉で説明するという機能を示す意味で使用されている。一々引用しないが、『守護国家論』の三例も同様に前段を後段で説明している。また、佐渡期の『開目抄』の「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」も同様な用法であると考えられる。
 もしこの用法を『報恩抄』に適用すれば、前文の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」という表現の意味を、後文の「宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」という表現で説明したというように解釈できる。つまり「本門の教主釈尊を本尊とすべし」ということは一尊四士という表現様式を意味しているのではなく、曼荼羅の上部部分(「宝塔」=題目宝塔=中尊、「内の釈迦多宝」=両尊、「外の諸仏」=分身、「並びに上行等の四菩薩」=本化四士(磯野上掲書、本尊座配、pp.225-231))を意味しているという解釈も成り立つだろう。これはあくまでもある文章がどういう意味かを問題にする読解という論理的な作業=国語学の問題であり、宗教教義の解釈問題とは別問題である。
 さらに『宗義大綱読本』には「聖人の内意においては同一御本尊の異表現に外ならない」とあるが、どうしてこの本の執筆者に日蓮の心の中が分かるのか、と突っ込みを入れれば、多分、「そのように私は理解しているからだ」という答えしかないだろう。文字によって表現されたテキストの意味は、執筆者の意図した意味に限定されるものではなく、読者が執筆者とは異なった歴史的文化的コンテキスト(脈絡、背景)によって解釈した意味も、テキストの意味でありうる、つまりテキストの意味は一つに収斂しないで絶えずコンテキストにより差延(differance)を引き起こすというのが、デリダのテキスト解釈理論である。『報恩抄』の文章の意味を執筆者である日蓮の意図した意味に収斂しようとしても、その意味が日蓮の意図した意味であることを論証する作業は、日蓮によってではなく、読者=解釈者によってなされるのであり、その論証は、同時代の他の読者に対して、同意を求める作業でしかない。少なくとも私は『宗義大綱読本』の執筆者の論証作業は成功していないということを、「所謂」という言葉の使用法という点から示している。また、「他人の心」というブラックボックス問題を引き起こすような『宗義大綱読本』の記述は、哲学的に見ても、問題の多すぎる表現となっている。
 本尊の表現様式として異なる、一尊四士と曼荼羅を同一の実体である「久遠実成釈尊」の異なった表現とする『宗義大綱読本』の議論はそれほど説得力があるとも思えないし、それで片付くなら、日蓮宗各派の数百年にわたる本尊論争は一体何だったのかという思いが生ずるのは、私一人ではあるまい。永い間、曼荼羅の実体は「久遠実成釈尊」ではなく、「本法」もしくは「要法」としての「妙法蓮華経」とされてきた。『宗義大綱読本』が曼荼羅の実体は法ではなく、釈尊だとする議論の歴史的淵源をたどれば、江戸時代末期の優陀那日輝の議論に大きく依存しているようだ。しかし、江戸時代と現在では日蓮の文献資料に関する使用方法についてのルールが大きく違い、はたして日輝の議論は現在でも使用可能なのかを検証する必要があるだろう。ところが、『本尊略弁』に関してはネット検索すると三原正資の「妙宗本尊弁考-御本尊の意義を考える-」(日蓮宗現代宗教研究所『所報』第27号)がヒットするくらいで、それほど検証が進んでいないようだ。それで本論文では優陀那日輝の『本尊略弁』の論理構成を詳細に辿り、そこにどのような問題が内在しているかを検討しよう。

2 『本尊略弁』の構成

 日輝は『本尊略弁』の始めの部分で、次のように述べている。

 初めに迷惑を破し、次に正義を明す。初めに迷惑を破すとは、案ずるに人多く我が宗の本尊、其の体仏なりや、法なりやと云うことに迷いて、多くは法を以て本尊とするが正意なるべしと謂へり。其の迷いの根元三あり。一に眼前の迷惑、二に心底の迷惑、三に学問の迷惑なり。眼前の迷惑とは、大曼荼羅の正中に、五字七字の題目を書して、左右に釈迦多宝等を列ね、随て木像の本尊も、亦両尊の中央に首題を顕す、是なり。心底の迷惑とは、法は諸仏の師とする所にして、法は勝れ、仏は劣れり。本尊は最勝なるに依るべしとなり。学問の迷惑とは、是に二あり。一に経文に迷い、二に祖書に迷うなり。経文に迷うとは法師品等なり。祖書に迷うとは本尊問答抄等なり。然るに問答抄は専ら本尊を論じ給える御書なるに、題目を本尊とするが、法華経の行者の正意なりと云い、殊に法仏の優劣を論じて、法は勝れ仏は劣れる旨を顕し給えり。故に法を本尊とするが、我が宗の正意なりと。是、学問に依りて迷惑を生ずるなり。今此の三惑の昏昧を破して、無明の眠りを警覚すべし。(377-378)4 
 
 このように、全体の構成を明らかにしている。それによると、日蓮宗の本尊問題に関して、「我が宗の本尊、其の体仏なりや、法なりや」という論争が続き、多くの人は「法を以て本尊とするが正意なるべし」と考えているが、日輝はその考えを「迷い」、誤りであると考え、その誤りの根元として、「一に眼前の迷惑、二に心底の迷惑、三に学問の迷惑」を指摘する。
 「眼前の迷惑」とは、日輝は現在の日蓮宗とは異なり、一尊四士ではなく、曼荼羅を本尊として考えているが、その曼荼羅には中央に「南無妙法蓮華経」と書かれ、「左右に釈迦多宝等」が書かれ、また木像に関しても、この曼荼羅を手本にして、「南無妙法蓮華経」と書かれた題目宝塔が中央にある、一塔両尊の形式になっているので、「南無妙法蓮華経」という法が文字曼荼羅あるいは木像の中心であるという印象を持ちやすいが、これが誤りであるとする。
 「心底の迷惑」とは、「法は諸仏の師とする所にして、法は勝れ、仏は劣れり。本尊は最勝なるに依るべし」という『本尊問答抄』に影響された考えを指し、日輝はこれが誤りであると主張する。
 「学問の迷惑」とは、『法華経』の文章の中から、法を信仰すべきという法師品の文などを文証として、法本尊を主張する誤りと、日蓮の文献の中から、特に『本尊問答抄』を根拠にして、法本尊を主張する誤りを日輝は指摘する。以下において、日輝の議論を詳細に述べる。

3 「眼前の迷惑」――曼荼羅の中の「南無妙法蓮華経」は何の名前なのか
3-1 「南無妙法蓮華経」は久遠実成無作三身の仏の名前

 「眼前の迷惑」についての議論で日輝はこのように述べる。

 第一に眼前の迷惑を破するを言わば、本尊に書き給える所の題目は、即ち久遠実成の仏体なることを知らず。故に迷いを生ずるなり。然るに法が即ち仏なりと云う義には非ず。直ちに久遠の仏体を、題目を以て顕し給うなり(378)

 多くの人は「南無妙法蓮華経」は法の名前であると考えているが、実は「久遠実成の仏」の名前であるという議論をする。その理由として『法華経』には「或説己身或説他身」とあり、久遠の仏の「形相」が定まらず、また「名字不同年紀大小」とあり、久遠の仏の名前も定まっていないということを挙げる。
 また日蓮は『三大秘法抄』において、久遠実成の仏について、このように述べている。

 寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点、当初已来の、此土有縁深厚、本有無作三身の、教主釈尊是なり

 日輝は、「寿量品に建立する所の本尊」は「本有無作三身」の仏「教主釈尊」であることを示していることを指摘する。さらに寿量品についての『御義口伝』にはこのようにある。
 
 無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり
 
 「無作の三身」=「久遠実成釈尊」の「宝号」が「南無妙法蓮華経」であることを日輝は指摘し、「南無妙法蓮華経」は久遠実成無作三身の仏の名前であるという議論を展開する。
 また、日輝は『観心本尊抄』に「其の本尊の為体、本時の娑婆の上に、宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏」とあり、また、「正像に未だ有らざる寿量品の仏、末法に来入して、始めて此の仏像を出現せしむべきか」とあることを指摘し、日蓮は曼荼羅の中央の「南無妙法蓮華経」を指して、「寿量品の仏」「仏像」と呼んでいるとし、上の議論を補強する。

3-2 仏本尊を教示する諸御書

 さらに日輝はこのように述べる。

 余の御書に法を本尊とする文ありといえども、余書を取りて、本尊抄を捨つべけんや。況や本尊抄のみには非ず。報恩抄、開目抄、四菩薩造立抄、三大秘法抄等の、諸の軽からざる大切の御書に、仏を本尊と定め給えり(379)

 日輝は『観心本尊抄』『報恩抄』『開目抄』『四菩薩造立抄』『三大秘法抄』などが仏を本尊とすると述べていることを指摘する。そして、「余書に法本尊の説ある者は、隋他意の語、未顕真実の法門なり」と述べて、日蓮の御書の中にある法を本尊とすべしという議論は「随他意」「未顕真実」の議論であるとする。
 また、『報恩抄』にはこのようにある。

 一には日本乃至一閻浮提、一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし

 日輝はこの文の解釈に関して、このように述べる。

 本門の教主釈尊を本尊とすべしとは、久成無作の本仏にして体の仏なり。釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等とは、脇士の仏菩薩にして、垂迹別相の用の仏なり。体の本仏を顕すには、五字七字の妙題を以て之を顕し、用の迹仏を顕すには釈迦牟尼仏と書して、多宝と相対し、脇士とし給うなり。(379)

 「本門の教主釈尊」とは『三大秘法抄』で「本有無作三身の教主釈尊」と表現される仏であり、その仏は「五字七字の妙題」すなわち「南無妙法蓮華経」という名前によって表現されるのであり、またその仏は『諸法実相抄』で「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」と述べられていることを考慮に入れれば、「釈迦・多宝」の二仏を「用の仏」とする、「本仏」「体の仏」としての「妙法蓮華経」=「久遠実成本有無作三身の教主釈尊」なのである。
 
3-3 十界曼荼羅全体が久遠実成無作三身を表現している
 
 次いで日輝は『日女御前御返事』についてこのように述べる。
 
 日女抄(外二十三 十二)に云く、「多宝塔中の大牟尼世尊、分身諸仏、すりかたぎたる本尊なり。されば首題の五字、中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座し、釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ」、乃至「一人も漏れず、此の本尊の中に住し給う。妙法五字の光明にてらされて、本有の尊形となる、是を本尊とは申すなり。経に云く、『諸法実相』是なり」。乃至「伝教大師云く、『一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり』」文。「大牟尼世尊」とは報恩抄に「本門の教主釈尊」と云うに同じ。本尊抄に「正像に」「未だ有らざる」「寿量」品の「仏」と云う是なり。されば「首題五字中央にかかり」とは本尊抄に「塔中妙法蓮華経」と云うに同じ。報恩抄には此の言を略せり。三秘並に明かす文なる故に、単に本尊を明かす文に異なるなり。本門の題目を出だして南無妙法蓮華経と云うに濫せざらしむるなり。「出尊形仏」の文を出だして結び給えるも、十界の曼荼羅が即ち仏体にして、久成の本仏の形相なることを示し給うなり。(379-380)

 ここで日輝は「多宝塔中の大牟尼世尊、分身諸仏、すりかたぎたる本尊」という表現を「十界の曼荼羅が即ち仏体にして、久成の本仏の形相なることを示し」ているということだと解釈し、その論拠として伝教大師の『秘密荘厳論』5の「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」(なおこの文は『御義口伝下』「寿量品廿七箇の大事」の「第廿二 自我偈始終の事」でも引用されている)を挙げ、「出尊形仏」は十界の諸衆によって表現されると考えているようだ。先には曼荼羅の中央の南無妙法蓮華経が久遠実成無作三身を表現していると述べていたのに対して、ここでは十界曼荼羅全体が久遠実成無作三身を表現していると述べている。
 
3-4 一般的本尊論と三大秘法の本尊論との表現の差異
 
 さらに『日女御前御返事』では「首題五字中央にかかり」、『観心本尊抄』では「塔中妙法蓮華経」と述べて、「南無妙法蓮華経」が仏の名前であることを示しているのに、なぜ『報恩抄』では「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と述べて、「南無妙法蓮華経を本尊とすべし」と述べられていないのか、ということに関して、『観心本尊抄』『日女御前御返事』もともに三大秘法の中の「本門の本尊」を述べているのではなく、一般的に本尊を述べているから、「南無妙法蓮華経を本尊とすべし」ということを述べているが、三大秘法の中で「本門の本尊」と「本門の題目」を分けて論じなければならない場合には、「本門の題目」について例えば『報恩抄』では「三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」と述べて、「本門の題目」を「南無妙法蓮華経」と唱えることだとしているから、「本門の本尊」の説明に「南無妙法蓮華経を本尊とすべし」と述べれば、題目と本尊との間に混乱が生じるから、それを避けるために、三大秘法を説明する中では、「本門の本尊」は「教主釈尊」と述べ、三大秘法を区別しない場合には「南無妙法蓮華経」を本尊とすると述べているのだと日輝は説明する。
 
3-5 仏本尊論の諸御書の検討
 
 次に日輝は『四菩薩造立抄』を検討し、「一御状に云く、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼ねて聴聞し候いき」とあるのは、仏を本尊とすることを日蓮が教示していると説明する。
 次に『開目抄』を検討し次のように述べる。
 
 又開目抄(内三 十一)に云く、「寿量品を知らざる諸宗の学者は畜生に同じ。不知恩の者なり」。乃至妙楽大師は寿量品の仏を知らざる者は、「父統の国に迷える才能ある畜生」と書けるなり。又云く、「天台宗より外の諸宗は本尊に惑えり」文。この抄の意も寿量所顕の本仏の本尊とすべしと云う意なり(380)
 
 『開目抄』では主師親三徳を具備した寿量品の久遠実成釈尊をテーマにし、しかもそれを「本尊」との関連において述べているから、「寿量所顕の本仏」を本尊にするよう日蓮が教示した御書であると日輝は解釈する。
 これらの文献を根拠にして、日輝はこのように述べる。
 
 上来の文義を以て、題目の本尊が取りも直さず、寿量の教主久遠実成の釈尊なることを知るべし。然るに釈迦牟尼仏と書き給わざることは、用の迹仏に簡ばんが為なり。而も三大秘法を定め給う時は、久成釈尊と銘じ給う。是第二の本門の題目に簡ぶ為なり。故に名を立てるには仏と名づけ、体を顕すには首題を以てし給う。然れども久遠の本法を取るに非ず。久遠の本仏を取るなり。所謂寿量所顕の、無作三身の本仏是なり。但、久成の三宝は法仏一体なりと雖も、毫厘の違いに似て、千万の得失あり。人法の別によりて、迷悟の大事を誤る。故に聖人出世の一大事なり。択ばずんば有るべからず。(380-381)

 曼荼羅の中央の「南無妙法蓮華経」が「寿量の教主久遠実成の釈尊」を指しているのであり、「南無釈迦牟尼仏」と書かないのは、「用の迹仏」である「釈迦・多宝」と区別するためであると説明する。そして、三大秘法に分けて論じる場合には「久成釈尊」を本尊とすると述べているのは「本門の題目」と区別するためであると説明する。だから三大秘法で本尊の名前を挙げる場合には「教主釈尊」と本尊の根源である本仏の名称を明示し、本尊=本仏の実体を示すためには「南無妙法蓮華経」と表示するのだと日輝は説明する。この場合「南無妙法蓮華経」は「本法」の名前ではなく、「久遠の本仏」の名前であると日輝は注意を喚起する。そして、「久成の三宝は法仏一体」ではあるが、「南無妙法蓮華経」が法の名前でもあり、仏の名前でもあるという所謂「人法一体」論に対して、人法を区別することが「聖人出世の一大事」であるとまで主張する。
 そして、日輝はこのように述べる。
 
 今問うに、大曼荼羅と三秘の中の本尊と同じとせんや、異なるとせんや。同じと云わば、何ぞ人本尊に非ずと云うや。若し異なると云わば、三秘中の第一たる本尊は何処にあるや。又大曼荼羅は三秘の外とせんや。又法は正意にして仏は傍意なりと云わば、三秘中には傍意を挙げ給うとせんや。又本尊抄に「地涌出現して、閻浮第一の本尊、此の国に立つべし」と云えり。閻浮第一の傍意の本尊を立て給うと云うべしや。又本尊抄報恩抄三秘抄等は正意を明かし給わずと云わんや。(381)

 『報恩抄』で三大秘法の「本門の本尊」を「教主釈尊」としていることを論拠に、曼荼羅は人本尊(仏本尊)を表現していることを主張する。さらに仏本尊ではなく法本尊を根本とする考えを、三大秘法の本尊との相違、また『観心本尊抄』で「閻浮第一の本尊、此の国に立つべし」という主張との整合性、そして、仏本尊論を展開している『観心本尊抄』『報恩抄』『三大秘法抄』の重要性を強調して、法本尊論の困難さを指摘する。
 最後に日輝は次のように解釈する。
 
 先ず須く知るべし、三秘中の第一たる本門の本尊は、一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。祖師師恩を報ぜんが為に究竟の本師を本尊として、日本乃至一閻浮提の大師と成り給う。報恩抄の明文と、我が祖出世の一大事を顕発し給いて、正像未有観心証道の随自意の語たる、本尊の抄に慇懃に開示し給える明文に隠れ無き、我が宗一同の本尊は、但是久遠の本仏、大曼荼羅の当体たる人本尊なりと知るべし(381-382)
 
 『報恩抄』『観心本尊抄』を根拠に、「我が宗一同の本尊は、但是久遠の本仏、大曼荼羅の当体たる人本尊なりと知るべし」と述べて、久遠実成無作三身の仏を本尊とすることを述べ、しかも曼荼羅はその「人本尊」を表現したものだと解釈する。

4 「心底の迷惑」――仏軽法重か仏重法軽か
4-1 「如来秘密神通之力」の強調

 次に日輝は「心底の迷惑」について次のように述べる。

 第二に心底の迷惑を破するを言わば、夫れ仏は軽く法は重しと云うは、迹門諸経の文義なり。仏は重く法は軽きが、本門寿量の義旨なり。故に無始無作の三身を顕して、仏を三千の万法の正体とするが、一経の肝心、究竟の実義なり。故に仏の尊重なることを顕して、証道の極意とし、一経の大事とするなり。(382)

 「仏軽法重」は迹門の見解であり、「仏重法軽」が本門の見解であるとする。 日輝はその根拠として智顗の『法華文句』の「如来秘密神通之力」の次の注釈を引用する。

 祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密。又昔所不説名爲祕。唯佛自知名爲密。神通之力者。三身之用也。神是天然不動之理。即法性身也。通是無壅不思議慧。即報身也。力是幹用自在。即應身也。佛於三世等有三身。於諸教中祕之不傳(「秘密」とは、一身即ち三身なるを名づけて「秘」と為し、三身即ち一身なるを名づけて「密」と為す。又た、昔説かざる所を名づけて「秘」と為し、唯だ仏のみ自ら知るを名づけて「密」と為す。「神通之力」とは、三身の用なり。「神」は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。「通」は是れ無壅不思議の慧、即ち報身なり。「力」は是れ幹用自在、即ち応身なり。仏は三世に於いて等しく三身有り、諸教の中に於いて之を秘めて伝えず)(p.1102)6

 智顗の議論を援用して、『法華経』以外の諸経には「寿量の三身を秘して説かず」と述べて、『法華経』本門寿量品の意義は仏が三身を具備していることを明かすことにあるとする。そしてこのように述べる。
 
 久遠の本仏は所詮の体なり。妙法五字は能詮の名なり。故に五字の名を以て無作三身の宝号と定むるなり。豈に名は尊重にして、体は軽賤なるべけんや。所詮人は軽く法は重しと謂うが元品の無明なり。自体の尊重なることを知るが、本門寿量の旨帰なり(382)
 
 寿量品で示された久遠実成無作三身が「所詮の体」であり、妙法五字は「能詮の名」に過ぎないという議論を展開する。そのうえで「所詮人は軽く法は重しと謂うが元品の無明なり」と述べて、「人軽法重」思想を「元品の無明」とまで批判する。
 さらに日輝は、次のように不軽菩薩の事例を挙げる。

 故に常不軽は四衆を礼して本尊とせり。常不軽の三字は本門精要の妙旨なり。良に凡夫の情に従うが故に、法を貴んで人を軽くするなり。無始の本仏、悟達の聖人は、法よりも人の尊重なることを通達知見するなり(382)
 
 不軽菩薩も法ではなく、人を本尊としたと主張する。そのうえで原理的な考えとして、日輝はこのように述べる。
 
 抑抑人の為に法を立てるにてこそあれ、法の為に人を造るに非ず。仏は能証なり。法は所証なり。仏は体なり。法は用なり。仏の心用を理法とし、仏の口用を教法とし、仏の身用を行法とす。仏は大乗能乗の人なり。法は大人所乗の車なり。良に人ありてこそ車も入用なれ。人無くんば、何ぞ法を用いん。人の体を知らんが為の法なり。人の徳を顕さんが為の法なり。人は本なり実体なり。法は末なり仮用なり。・・・仏が久遠より常住なれば、此の法も貴きなり。久遠の法を主宰し受用し説示する久遠の本仏なり。所詮法と云うは仏の徳なり。本を悟らずして末を貴むは、権迹の方便なり。根本の尊体を悟るが本門の開悟なり。故に本門は証道の実義、成仏の直旨、立教の本意なり。人は万法の精霊、天地の宗主なり、法界の根元なりと悟るが、成仏の実義なり。故に仏有っての法なり。人有っての教行理なりと悟るが法華の宗趣なり。是を知らずんば、永く本尊を知ること能わず。是を悟らずんば永く成仏すべからず。(382-383)

 このように法よりも仏が根本であることを日輝は主張する。
 
4-2 現代仏教学の定説との相違
 
 特に日輝が「仏は体なり。法は用なり。仏の心用を理法とし、仏の口用を教法とし、仏の身用を行法とす」と述べていることは、現代の仏教学の常識に反する見解となっている。中村元は『バウッダ』の「第一部 三宝=全仏教の基本」の中でこのように述べている。
 
 原始仏教においては、「法」の権威が最高のものであり、「仏」の上に位していた。たとえば、「縁起の理法」について、決まり文句として次のようにいう。――この縁起の理法は「永遠の真理」である。「如来が世に出ても、あるいはいまだ世に出なくても、この理は定まったものである」。如来は、ただこの理法を覚って「覚り(等正覚)」を実践し、衆生のために宣説し、開示しただけにすぎない、という。このように仏教では、永遠に妥当する法の権威を尊重する。神もブッダの説いた法を讃嘆して、信奉する。ゆえに、ブッダは永遠の理法を説いたのであって、新しい宗教を創始したのではない。ブッダは普通名詞であって、幾人あってもかまわない、ということは、この点からも理解されるのである。(『バウッダ』p.34)

 この見解が仏教学者の主流の見解となっていると思われる。優陀那日輝はこのような法重仏軽思想を爾前迹門の思想と見做し、本門の思想は仏重法軽思想であると主張するが、ある程度近代仏教学を受用していると思われる現代の日蓮宗の学者たちは、優陀那日輝の説を支持するのか、中村元の説を支持するのか、どちらなのだろうか。
 
4-3 法重思想の諸経典の会通
 
 次に日輝はこのように述べる。
 
 問うて云く、法を本とし、仏を末とすることは、普賢経涅槃経等に分明なり。又「依法不依人」と云えり。何ぞ相反するや(383)
 
 日輝はこのような反論を想定し、それに対して次のように述べる。

 答えて云く、経に「依義不依語」とて義を正として文に泥むべからずと見えたり。又記に云く、「無文有義智者用之(文無くとも義有らば、智者は之を用ゆ)」7と云えり。義を以て本とすべし。況や明文了義に依りて人本尊を立てるをや。又経に「依了義経不依不了義経」とて、寿量顕本の了義経に依りて迹門涅槃等の不了義経に依らざるべしと誡め給えり。又「依智不依識」とて随智の了義を用いて、方便施設の識に依らざれとなり。況や今は人師の説に依るに非ず。本門顕了の説による。亦「依法不依人」に非ずや(383)

 このように仮想された反論の無効性を主張する。この議論で日輝が「依法不依人」という論法に「依義不依語」という論法を対置させたことは注意すべき論点であろう。そのうえで日輝は『法華経』寿量品の経文を引用してこのように述べる。

 故に文に云く「我実成仏已来我常住在此説法教化」又云く「自我得仏来常説法教化」又云く「諸仏如来法皆如是」と。豈に仏は先に存し、法は後に在するに非ずや。仏は体にして法は用なるに非ずや。当に知るべし、仏は本にして法は末なり。本を明かすが故に本門の教とす。南無妙法蓮華経は無作三身の宝号なりとは祖文分明なり。故に知りぬ仏経祖判文義顕了なり。知るべし、本門の題目は因なり用なり。本門の本尊は果なり体なり。寿量品の御義に云く「無作三身の所作は何物ぞと云う時、南無妙法蓮華経なり」文。所作とは作用なり。体用分明なるに非ずや。故に知るべし、本仏は法の父母なり主なり。迹仏は法の子なり臣なり。今は本仏を本尊とす(384)

 日輝は、「仏軽法重」という「心底の迷惑」に対して、「本仏は法の父母なり主なり。迹仏は法の子なり臣なり」という真逆の思想を展開する。

5 「学問の迷惑」――その(1)「経文の迷惑」 経典からの論証問題
5-1 『法華経』法師品の起塔供養の文の解釈

 日輝は第3の「学問の迷惑」を「経文の迷惑」と「祖書の迷惑」との二つに分けて、初めに「経文の迷惑」についてこのように述べる。

 第三に学問の迷惑を破するに、先ず経文の迷惑を破するを言わば、法師品に云く、「在在処処、若説若読若誦若書、若経巻所住之処、皆応起七宝塔、極令高広厳飾、不須復安舎利」(在在処処にて、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻の住する所の処には、皆な七宝の塔を起て、極めて高広厳飾ならしむべし。復た舎利を安んずることを須いず。)(p.363)文。文意は七宝の塔を起て、法華経を供養すべし。仏舎利を安置することを須いじとなり。然るに直ちに次の文に其の所以を釈して云く「所以者何、此中已有如来全身(所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す)」文。文意は応身砕身の舎利を用いず。其の所以は法華経の中に法身全身の舎利之有る故なりと云うことなり。法華経所詮の理は法身なり。経文は法身の舎利なり。当に知るべし、文の表は法を供養する様なれども、意は如来の法身を供養する義なり。(385)

 日蓮は『本尊問答抄』でこのように述べている。
 
 問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや
 
 日蓮がこのように述べた後に、論拠となる経文として引用した法師品の起塔供養の文の解釈に関して、通常は「不須復安舎利」に注目して、「舎利」=仏を本尊とするのではなく、法華経=法を本尊とする論拠として使用されることに対して、日輝は、それに続く文の「所以者何、此中已有如来全身」に注目して、「経文は法身の舎利なり。当に知るべし、文の表は法を供養する様なれども、意は如来の法身を供養する義なり」と述べて、この経文は「法」ではなく「法身」を供養することを述べた文であると解釈した。
 
5-2 『法華経』神力品の起塔供養の文の解釈
 
 また神力品の結要付属に関連した部分に起塔供養の文がこのようにある。

 如來一切所有之法。如來一切自在神力。如來一切祕要之藏。如來一切甚深之事。皆於此經宣示顯説。是故汝等於如來滅後。應一心受持讀誦解説書寫如説修行。所在國土。若有受持讀誦解説書寫如説修行。若經卷所住之處。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆應起塔供養。所以者何。當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提。諸佛於此轉于法輪。諸佛於此而般涅槃(如来の一切の有つ所の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事は、皆此の経に於いて宣示顕説す。是の故に汝等は、如来の滅後に於いて、応当に一心に受持・読誦・解説・書写し説の如く修行すべし。在る所の国土に、若しは受持・読誦・解説・書写し、説の如く修行すること有らば、若し経巻の住する所の処ならば、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹の下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆な応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。諸仏は此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏は此に於いて法輪を転じ、諸仏は此に於いて般涅槃したまう)(pp. 572-573)

このことについて、日輝はこのように述べる。

 神力品も亦同意なり。文に云く「是中皆應起塔供養。所以者何。當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提。諸佛於此轉于法輪。諸佛於此而般涅槃」文。法華経修行の当処、如来の三徳を成就し、又生処、得菩提、転法輪、入涅槃、四処道場の仏の功徳を具足するが故に、法華経並びに行者を供養すべしと云う意なり。縦い法は能生なり、仏は所生なる故に、法を供養すれば、自然に仏を供養するになる故、法を供養すれば別に仏を供養するに及ばずと云う文意にもせよ、法を供養すれば、自ら仏を供養するになると会釈する底意を推せば、本より仏を供養すべき者と云う意を含む。故に文の裏には仏を供養せよと云うことを含むなり。(385)

 神力品の文の通常の理解は「若有受持讀誦解説書寫如説修行。若經卷所住之處」に注目して、「法華経並びに行者を供養すべしと云う意」であると解釈しているが、「所以者何」以下で、「法華経修行の当処、如来の三徳を成就し、又生処、得菩提、転法輪、入涅槃、四処道場の仏の功徳を具足する」とその理由を明らかにしているのであり、「法を供養すれば、自ら仏を供養するになると会釈する底意を推せば、本より仏を供養すべき者と云う意を含む。故に文の裏には仏を供養せよと云うことを含むなり」と日輝は述べて、法供養の底意として仏供養が想定されていると主張する。

5-3 寿量品の仏供養の文
 
 さらに寿量品において仏供養について述べているとして、日輝はこのように述べる。

 況や本門寿量品には、「広供養舎利」と云い、又「一心欲見仏」と云えり。十界三千の仏なる故に「広供養」と云い、衆機一同の供養なる故に「広供養」と云う大曼荼羅是なり。観心本尊の仏なる故に、「一心欲見仏」と云うなり。(外二十五 初 他受用一 二十五)8況や良医の譬えは常住の本師久遠の父を見るを本意とせり。故に「咸使見之」の文を以て譬えを結せり。所詮「即成就仏身」が如来の本懐なる故なり。故に寿量品は直ちに本仏を本尊として供養せしむるなり。(385-386)

 日輝はこのように述べて、「寿量品は直ちに本仏を本尊として供養せしむるなり」と結論づける。

5-4 本門寿量品の本尊と迹門法師品の本尊との相違

 さらに続けて日輝はこのように述べる。
 
 故に(寿量品の)御義口伝に「倶出靈鷲山」9の文を大曼荼羅の依文とせり。亦是大曼荼羅は即ち是本仏なるの一証なり。故に本門寿量の本尊は迹門法師品に同じからず。直ちに仏を表として本尊を立つべき経文なり。当に知るべし、大曼荼羅は久遠の本仏、霊山虚空の衆僧と倶に「一心欲見仏」の行者の前に出現し給えるの相なり(386)
 
 日輝は、曼荼羅本尊は本仏を顕しており、「故に本門寿量の本尊は迹門法師品に同じからず。直ちに仏を表として本尊を立つべき経文なり」と述べて、本門寿量品の本尊と迹門法師品の本尊とは異なると主張する。

5-5 大石寺日寛の類似の議論

 ちなみに大石寺日寛は『文底秘沈抄』においてこのように述べている。

 今此等に准ずれば、法は是れ諸仏の主師親なり、那んぞ人法体一と云わんや。若し明文無くんば誰人か之を信ぜんや。
   答う、所引の文、皆迹中化他の虚仏、色相荘厳の身に約す、故に勝劣あり。若し本地自行の真仏は、久遠元初の自受用身、本是れ人法体一にして、更に優劣有ること無し。今明文を出して以て実義を示さん。
   法師品に云く「若しは経巻所住の処、此の中已に如来の全身有り」云云。天台釈して云く「此の経は是れ法身の舎利」等云云。宝塔品に云く「若し能く持つ有らば、則ち仏身を持つ」云云。普賢観経に云く「此の経を持つ者は、則ち仏身を持つ」云云。文句第十に云く「法を持つは即ち仏身を持つ」云云。又涅槃経に如来行と云い今経に安楽行と云う。天台文の八・六十五に、之を会して云く「如来は是れ人、安楽は是れ法、如来は是れ安楽の人、安楽は是れ如来の法、総じて之を言わば其の義異ならず」云云。記の八の末に云く「如来涅槃、人法名殊なれども大理別ならず、人即ち法の故に」云云。会疏十三・二十一に云く「如来は即ち是れ人の醍醐、一実諦は是れ法の醍醐、醍醐の人、醍醐の法を説く。醍醐の法、醍醐の人を成ず。人と法と一にして二無し」云云。略法華経10に云く「六万九千三八四、一々文々是れ真仏」云云。諸抄の中「文字是れ仏」と云云。御義口伝に云く「自受用身即一念三千」。伝教大師、秘密荘厳論に云く「一念三千即自受用身」等云云。報恩抄に云く「自受用身即一念三千」。本尊抄に云く「一念三千即自受用身」11云云。宗祖示して云く「文は睫毛の如し」云云。斯の言良に由有る哉。人法体一の明文赫々たり。誰か之を信ぜざらんや。(『富要』3-85)

 ここでは日寛は、日輝と同様な文献を使用して法華経=法身=仏身という議論をしている。
 
6 「学問の迷惑」――その(2)「祖判の迷惑」 『本尊問答抄』の問題
6-1 『本尊問答抄』の迹門の引証

 最後に日輝は次のように述べる。

 次に祖判の中に最も迷惑を生ずる者、正しく本尊問答抄なり。今別して此の書の疑滞を破し、余は例して知らしむ。此の書全篇専ら本尊を論じ、又佐後の撰にして、而も文の末に本化の上首、弘通の本尊たるべき、文相分明なり。故に学者此の書を会せずんば、必ず三秘の本尊に迷惑を生じなん(386)
 
 このように、『本尊問答抄』が法本尊説の根幹であるから、人本尊を主張するために、学問的に批判しておく必要性を日輝は強調する。
 そのうえで日輝はこのように述べる。
   
 文(内九 十六)の初めに云く、「問うて云く、末代悪世の凡夫、何物を以て本尊と定むべきやと。答えて云く、法華経の題目を以て本尊と定むべきなり」文。文分明に題目を本尊とせり。然るに次下に「問うて云く、何の経文、何の人師の釈にか出たるや」と問うて、答えに法師品起塔供養の文および涅槃経如来性品の「諸仏所師所謂法也」等の文を引く。次に天台法華三昧の文を引証とせり。又云く「是私の義に非ず。上に出す処の経文並びに天台大師の御釈を本とする計りなり」文。是則ち法体は題目を出し給えば、全く本門の本尊なりと雖も、引証は但だ迹の文を引きて本の文を引かず。又迹化の弘通を所依とせり。「私の義に非ず」とは随自意に非ざる意を含めり。迹門並びに天台の義に依るのみとは随他意の語未顕真実の趣なり。(386-387)

 『本尊問答抄』の論証においては、「是則ち法体は題目を出し給えば、全く本門の本尊なりと雖も、引証は但だ迹の文を引きて本の文を引かず。又迹化の弘通を所依とせり」と指摘しているように、迹門である法師品の引用、法華経ではない涅槃経の引用、迹化の菩薩である天台大師の『法華三昧』の引用によって、「法華経の題目を以て本尊と定む」ことが論証されているだけであり、本門寿量品の経文は引用されておらず、それゆえ「私の義に非ず。上に出す処の経文並びに天台大師の御釈を本とする計りなり」という『本尊問答抄』の一文は、「随自意に非ざる意」を含んでおり、「随他意の語未顕真実の趣」であるとして、日蓮の本意ではないことを示していると主張する。

6-2 『本尊問答抄』と浄顕房の未熟

 未顕真実、随他意の『本尊問答抄』を日蓮が書いた理由として、日輝は次のように述べる。

 然る所以は、対告衆浄顕房、其の機未だ生(なま)しきが故に、但権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べ給うなり。然るに諸宗皆仏を以て本尊として、法本尊の例無きが故に、法華三昧を引き給うなり。然るに又云く「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文に依れり。此は法華経の教主を本尊となす。法華経の行者の正意には非ず。上に挙げる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり」文。文に法華儀軌を会し給うことは浄顕房もとより真言の学者故に、彼人の疑いを遮し給うなり。法華行者の正意なりと宣うことは、題目の正体は本是寿量所顕の本仏なるが故なり。而も本仏なることを明かし給わざることは当機未熟の故なり。故に文中都て権実相対の法門のみなり。然れども此の一段の文、最も学者の迷惑に堕する所なり。余文の明鏡を以て照徹するに非ずんば、誰か無明を免れんや。(387)

 つまり、『本尊問答抄』を与えられた浄顕房が「其の機未だ生しきが故に」、すなわち日蓮の教義理解に関して未熟であったためであり、また彼が拠点としていた清澄寺が真言の寺であり、真言教学の影響を受けていたために、その真言教学を破折するために、わざわざ不空の『法華儀軌』を引用して、「此は法華経の教主を本尊となす。法華経の行者の正意には非ず」と日蓮は述べているのだと説明し、そのうえで「上に挙げる所の本尊(=法華経の題目)は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり」と日蓮が述べていることについて、日輝は「題目の正体は本是寿量所顕の本仏なるが故なり。而も本仏なることを明かし給わざることは当機未熟の故なり」と述べて、題目の正体は「寿量所顕の本仏」であるのだが、浄顕房が未熟であるために、そのことについては、日蓮は説明しなかったと日輝は解釈した。

6-3 実義未説の『本尊問答抄』

 また、『本尊問答抄』の最後の部分の記述について、日輝はこう述べる。

 又文の末に云く、「此の御本尊は世尊説き置かせ給いて後二千二百三十余年の間一閻浮提の内に未だ弘めたる人候らわず。漢土の天台、日本の伝教、粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず。当時こそ弘まらせ給うべき時に当たりて候へ。経には上行無辺行等こそ出でて弘めさせ給うべしと見へて候へども、未だ見へさせ給はず。日蓮は其の人に候はねども、粗意得て候へば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの、口ずさみにあらあら申し候いて、況滅度後のほこさきに当りて候なり」文。上に法華三昧を引きながら「天台粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず」と宣う事は、通途の直ちに法華経を本尊とするに同じからず。寿量所顕の法体たる題目なる事を密かに示し給うなり。而も分明に寿量に依らず、又神力品をも引かざる事は、略略本化弘通の大法なる事を示して、其の実義は未だ宣い給わざる故なり。但迹仏に簡んで本門の本尊を示して、其の法体は還って未だ本仏なる事をば明かし給わざるなり。(387-388)

 『本尊問答抄』の冒頭の「法華経の題目」を本尊とするべしという議論を受けて、末尾に日蓮が図顕した曼荼羅本尊に言及し、しかも「天台粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず」と述べていることは、「通途の直ちに法華経を本尊とするに同じからず。寿量所顕の法体たる題目なる事を密かに示し給うなり」という意味だと日輝は解説し、この本尊とは「寿量所顕の法体たる題目」すなわち久遠実成無作三身の仏であることを暗示しているのであるとする。しかも「而も分明に寿量に依らず、又神力品をも引かざる事は、略略本化弘通の大法なる事を示して、其の実義は未だ宣い給わざる故なり」と日輝は述べて、寿量品も神力品も引用していないのは実義すなわち、曼荼羅の中央の題目は久遠実成無作三身の仏であることを明示していないのであり、その理由は迹門の教主、インド応誕の釈尊と区別するために題目を本門の本尊として『本尊問答抄』は議論を展開しているが、その「法体」が「本仏」すなわち久遠実成無作三身の仏であることを明かしていないというように日輝は解説する。
 
6-4 立教の「深旨」としての仏本尊
 
 さらに日輝は『本尊問答抄』と『報恩抄』『観心本尊抄』との関係についてこのように述べる。

 然るに先に既に師恩を報ずるに約して、閻浮一同の三秘を掲示せる報恩抄と、正意分明なる寿量所顕の本尊を顕せる出世一大事の本尊抄に、人本尊を定め給う。二書の明文を以てこの書の未顕真実を照却せば、何の疑罔か有らん。豈に彼の正説を閣いて却って此の書の略示を取るべけんや。而も二書の法体全く別に非ず。但当書の本尊の題目、即ち報恩抄中の寿量の本仏なり。此の書は表に随いて、法に約し、彼は裏に随いて、真仏を點示し給う。法師品の文に含める、裏底の法身を開顕すれば、即ち久遠の本仏なり。当書迹文所依の法本尊を開するに、即ち彼書所顕の本仏、人本尊と成るなり。十界の凡夫を開するに、即ち久遠の本仏なることを表する、大曼荼羅の法門なり云々。当に知るべし、此の抄は、応仏迹仏に対する故に、法を取るなり。三秘の本尊は、本仏法仏に約する故に、仏を取るなり。是即ち法の所顕にして所生に非ず。(388)

 すなわち、『報恩抄』『観心本尊抄』は「人本尊」を明示しているのであり、『本尊問答抄』が迹門法師品を論拠にして、「法本尊」を主張しているのは、法師品の表面的な意味(法本尊)と奥底の意味(法身本尊)との区別を踏まえるならば、『本尊問答抄』の「法本尊」は『報恩抄』の「人本尊」へと「開」顕されると説明する。そのうえで日輝は結論として、このように述べる。

 凡そ諸文に仏を本尊とし、及び高祖伊東に感得し給える、御一代の本尊たる釈尊等は、皆久成の釈迦、寿量所顕の本仏なり。其の余の題目を本尊とするは、皆無作三身の宝号に約して、題目を挙げて本仏を顕すなり。其の余の脇士とする仏は釈迦多宝を始め、皆迹仏応仏なり。此の義を得て、往きて祖文を見れば、文として通ぜざる処なし。(釈迦多宝の脇士属不は、下に至りて弁ず)我宗の本尊、二種の別ありと謂うは、祖意に達せざるなり。豈に二種の所尊を立て、初心を迷惑せしむるの理あらんや。但聖語従容にして解し易からざることは、深く所以有るなり。具に下に弁ずべし。然るに不二なる故に首題に約して本仏を顕すのみ。而も法に則する仏を取りて、仏に即する法を取らず。此れ良に立教の深旨なり。必ず迷惑を生ずることなかれ。問答抄を弁じおわんぬ。(388-389)

 つまり、仏を本尊とする御書は、「久成の釈迦、寿量所顕の本仏」を本尊とするという意味であり、題目、法を本尊とする御書は、「無作三身の宝号」としての題目を本尊とする意味であり、「脇士とする迹仏」は「釈迦多宝を始め、皆迹仏応仏」であると日輝は説明する。このような解釈をもって、御書を読むと、矛盾したところは何もなく、二種類の本尊があるという間違った解釈の余地はないとする。しかも重要なのは「不二なる故に首題に約して本仏を顕すのみ。而も法に則する仏を取りて、仏に即する法を取らず」と仏本尊が中心であり、それが「立教の深旨」であるということだとする。

7 『本尊略弁付録』における『本尊問答抄』への追加の考察
7-1 本尊の名相体の三義

 『本尊略弁』の校訂者新井日薩(久遠寺七十三世・日蓮宗一致派初代管長)(1831~1888)は『本尊問答抄』についての議論の後に、「校者云く、問答抄を弁ずること、恐らくは義未だ尽くさざるに似たり、故に付録に至って更に之を弁ず、学者よろしく参看すべし」(389)と注記して、『本尊略弁付録』の議論を参照するように指示している。『本尊略弁付録』の構成については最初に「付録に五科あり。一に略して本尊得意の要を結し、二に重ねて本尊問答抄を弁じ、三に祖書綱要の説を議し、四に随身の立像を議し、五に釈尊の形像を安置することを論ずるなり」とあるように、5つに分かれているが、『本尊問答抄』は第2の項目で論じられている。
 『本尊問答抄』についての議論を考察する前に、日輝は「本尊得意の要」を簡略に述べるが、これは『本尊略弁』の「迷惑を破す」に続く、「正義を明す」で展開されている議論の結論をまとめたものである。その結論について日輝はこのように述べる。

 第一に略して本尊得意の要を結すとは、久成の釈尊を立名とし、妙経の題目を形相とし、行者の自体を実体と定むるなり(419)

 ここで、「久成の釈尊を立名とし」とは、本尊は久遠実成無作三身の教主釈尊であるという意味であり、「妙経の題目を形相とし」とは、「妙経の題目」すなわち南無妙法蓮華経を中心とした十界曼荼羅を「形相」、形態とするという意味であり、「行者の自体を実体と定むる」とは、唱題修行を行う修行者の心身に十界が顕現しうるという意味である。

7-2 『本尊問答抄』の「題目本尊」の五義

 この名相体の三義を明示した後で、日輝はさらにこう述べる。

 第二に重ねて本尊問答抄を弁ずとは、或人云く、祖師本尊抄報恩抄等に、既に分明に釈尊を本尊とす。然るに重ねて最後の問答抄に、一向に題目を本尊と定め、殊に釈迦多宝等を立つるは、法華行者の正意に非ず。題目を本尊とするは、法華行者の正意なりと云えるは、何なる所以ぞと案ずるに、一に諸仏所師の妙法を本尊と定めて、諸宗超過の本尊なることを顕す。是は他宗に対する義なり。二に釈尊を本尊とする時は、行者の正意あらわれ難く、題目を本尊とする時は行者自己の全体の本尊なる正意顕れ易し。是は初心の行者に本尊の実体を知らしむるの便宜なり。三に所観の本尊と能観の正行と其の相全同なれば、唱題修行の時甚だ便宜あり。是等の義に依りて、本尊の正体を分明ならしむ。且つ前来本尊抄報恩抄等にては、本尊の相貌、初心に分弁し難く、久成釈尊教主等の言に惑いて、其の正意を失わんことを恐れ、重ねて泛濫なき様に、問答料簡して重ねて分明に開示し給うなるべし云々。此の濫を、簡義を加えれば四義なり(已上或説)。今更に云く、問答抄に専ら法師品に依り、法華三昧に准じて論じ給えるを見れば、天台大師迹門に依りて、一部を本尊とし給えるに対して、宗義は本門の意に依り、根本法華本有常住の題目五字を本尊と定め給う意もあるべし。此の義は本迹相対の意なり。是を加えて五義とすべし。是にて重ねて法本尊を立て給える疑いは消えたり。或説尤も依用すべし。(419-420)

 ここで「或人云く」として、『観心本尊抄』『報恩抄』で「釈尊を本尊」とすることを述べているのに、なぜ『本尊問答抄』で「題目を本尊」とすると述べているのかということを説明するための4つの理由を挙げているが、残念ながら日蓮宗の教学に委しくない私にはこの「或人」が誰であり、その説がどの著作に示されているのかは分からない。どなたかに御教示をお願いする次第である。
 4つの理由の第1は次のように述べられている。

 一に諸仏所師の妙法を本尊と定めて、諸宗超過の本尊なることを顕す。是は他宗に対する義なり(419)

 真言教学に影響を受けている義浄房に対して、天台宗の法本尊論を対置して、他の宗の本尊より勝れていることを教示するということであり、このことは『本尊略弁』でも詳説されていた。
 第2の理由は次のように述べられている。

 二に釈尊を本尊とする時は、行者の正意あらわれ難く、題目を本尊とする時は行者自己の全体の本尊なる正意顕れ易し。是は初心の行者に本尊の実体を知らしむるの便宜なり(419)

 「本尊得意の要」で「行者の自体を実体と定むる」と述べているように、十界を修行者の身心に顕現するためには、教主釈尊を本尊とすると言うよりも、南無妙法蓮華経を本尊とすると言うほうが、理解しやすいということである。
 第3の理由は次のように述べられている。

 三に所観の本尊と能観の正行と其の相全同なれば、唱題修行の時甚だ便宜あり(419)

 ここでは、「能観の正行」である「南無妙法蓮華経」という唱題修行と「所観の本尊」である十界曼荼羅の中央の「南無妙法蓮華経」が対応しているので、修行がスムーズに進むということを述べる。
 第4の理由は次のように述べられている。

 本尊抄報恩抄等にては、本尊の相貌、初心に分弁し難く、久成釈尊教主等の言に惑いて、其の正意を失わんことを恐れ、重ねて泛濫なき様に、問答料簡して重ねて分明に開示し給うなるべし云々。此の濫を、簡義を加えれば四義なり(已上或説)(420)

 ここでは、『観心本尊抄』『報恩抄』では教主釈尊を本尊とすることを述べているために、「本尊の相貌」が十界曼荼羅であることが「初心」の信仰者にはわかりにくく、「久成釈尊教主」の言葉に迷って釈尊の仏像を本尊とするというように誤解が生じやすく、その誤解を防ぐために、仏像ではなく、十界曼荼羅を本尊とすることを明らかにするためだとしている。
 この「或る人」の4つの理由に、さらに日輝はこのように述べる。

 今更に云く、問答抄に専ら法師品に依り、法華三昧に准じて論じ給えるを見れば、天台大師迹門に依りて、一部を本尊とし給えるに対して、宗義は本門の意に依り、根本法華本有常住の題目五字を本尊と定め給う意もあるべし。此の義は本迹相対の意なり(420)
 
 『本尊問答抄』では迹門法師品、天台大師の『法華三昧』を論拠として、「天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』」と述べているように、迹門に立脚した天台大師は「法華経一部」全体を本尊としたのに対して、「法華経の題目を以て本尊」とすると述べているのは、「本門」に立脚して「根本法華本有常住の題目五字」(この言葉は久遠実成無作三身の教主釈尊の宝号と日輝は考えている)を本尊とするという本迹相対という理由もあると日輝は指摘する。この5つの理由を挙げることによって、日輝は、「是にて重ねて法本尊を立て給える疑いは消えたり」と結論づける。

7-3 『本尊問答抄』は初心者のために名相体の相(形態)のみを論ずる
 
 その上で『本尊問答抄』の文意に関してこのように述べる。
 
 さて法師品涅槃経普賢経等を引き、寿量品を引き給わざることは、顕了なる文に依りて便宜に従うなるべし。法華三昧天台大師に依拠し給うことは、他宗に対して先例を強くし、法本尊を専らにせんが為なり。報恩抄等には言は釈尊なれども題目を正体とする義なる故に、前後の二説相違に非ず。本尊抄報恩抄等は義を顕すを正意として、人本尊を立て給うなり。問答抄は形態を正意として其の義を論じ給わざるなり。就中、本尊抄は文義意倶に備えて、名相体顕然なれども、初心には其の旨を得難き故に、問答抄には一向に義趣を論ぜず、唯法華の行者の正意とのみ云い給うなり。予が人本尊を主張するは、祖師の本意を顕し、其の実体を開示せんが為なり。人法二説なれども、実は唯一種の本尊にて、其の旨元より決定せるなり。所詮名相体の三に約して決了すれば、解行滞らざるなり云々。(420-421)


 『本尊問答抄』で「法師品涅槃経普賢経」を引用しても、寿量品を引用していないのは、これらの文が本尊について「顕了なる文」であり、議論に役立つからだとし、「法華三昧天台大師」の説に依存するのは、「他宗に対して先例を強くし、法本尊を専らにせんが為なり」であるとその理由を述べる。『報恩抄』で「教主釈尊を本尊とすべし」と述べていることに関しては、「言は釈尊なれども題目を正体とする義」であるから、『本尊問答抄』と『報恩抄』とは矛盾していないとする。そして、『観心本尊抄』と『報恩抄』では本尊の「形相」「形態」ではなく、「義」すなわち本尊とは久遠実成無作三身の教主釈尊であることを表わすために「人本尊」を立てるのであり、『本尊問答抄』はその「義」を明らかにすることなく、単に「形相」「形態」を論じているにすぎないとする。『観心本尊抄』には「本門の教主釈尊」を本尊とするという「義」「名」ならびに十界曼荼羅という「形相」「形態」、さらには修行者の己心に十界が顕現できるという「体」が文章によって明示されているが、「初心者」には「名相体」の三義は理解しがたいので、『本尊問答抄』では「義」「名」の議論をせずに「形相」「形態」のみを論じて、十界曼荼羅を本尊とすることを述べているとする。日蓮宗の本尊論として人本尊と法本尊の二種類があるように見えるけれども、「実は唯一種の本尊」すなわち人本尊であり、本尊論に関しては「名相体」の三義を踏まえて考察すれば、何の矛盾もないとする。

7-4 『観心本尊抄』は正宗分、『本尊問答抄』は流通分

 以上のように『本尊問答抄』と『観心本尊抄』『報恩抄』との議論の整合性について議論した後で、日輝はこう述べる。

 さて正しく本尊を造立するには、必ず二尊四菩薩乃至諸尊具足せる大曼荼羅を図して全く宗家の正本尊と意得るべし。委しくは広弁12の如し。問答抄は形相の正主を顕すまでなり。真の形相は大曼荼羅を正体とし、本体とし、本尊抄を究竟の旨帰とすべし。本尊抄は正宗の説なり。問答抄は流通分なり云々。諸寺院に安置せる形像は大曼荼羅を模取たるなり。寺院は荘厳を正意とする故、木像を用いるべきなり。自行の便宜は書写の曼荼羅にしくは無し。委しくは広弁の如し。(421)

 本尊としては「南無妙法蓮華経」のみの「首題本尊」ではなく、十界の諸尊を勧請した曼荼羅本尊を「宗家の正本尊」とすることを述べ、寺院安置の仏像は「大曼荼羅を模取」するように指示し、寺院の本尊の場合は、「寺院は荘厳を正意とする故、木像を用いるべき」であり、修行者が自宅等で修行する場合には、「自行の便宜は書写の曼荼羅にしくは無し」と述べて、十界の書写曼荼羅を本尊とするように指示している。

8 『本尊略弁』を考察する場合の前提

 優陀那日輝の『本尊略弁』は江戸時代末期に作成されたために、現在のような文献学的研究の水準から見ると、日蓮真撰とは学問的には認められない資料も使用しているが、その論理構成における議論の展開には大きな瑕疵はなく、現在の日蓮宗の教学に大きな影響を与えていることにも、それなりに納得がいく。私は日興門流の系譜を継承する創価学会に所属し、日興の曼荼羅本尊正意説を支持しているので、日輝の本尊論との関係は微妙なものがある。日輝が「さて正しく本尊を造立するには、必ず二尊四菩薩乃至諸尊具足せる大曼荼羅を図して全く宗家の正本尊と意得るべし」と述べて、日興と同様の曼荼羅本尊正意説を述べている点には全く賛同している。

8-1 創価学会の曼荼羅正意説と日蓮正宗の人法一箇論との相違
8-1-1 牧口常三郎の法重思想

 牧口常三郎初代会長は『創価教育学体系』第2巻「第5章 価値の系統 第6節 宗教と科学・道徳及び教育との関係」でこのように述べている。

 内道と自称する仏法から観た外道の教へは勿論、仏法中に於ても法華経以前の教説即ち四十余年の諸経に停滞する宗派は、信仰の対象が人格的の神又は仏と名づける具現的の本体であって、之を崇拝する各個人の意識の内に構成する所の或る物に外ならないから、科学の対象とし理想とする真理、法則とは全く異って居るのである。乃ち宗教と科学の背反する所以で、従って道徳とも一致せぬ所以である。然るに法華経に於ける肝心はその名題の表す通り「法」であり、これを賛嘆した「妙法」であり、泥中から出た純潔清浄な法に遵った生活をなして法を具現した仏に譬えた「蓮華」、これを又教説した「経」であり、これに賛嘆帰入するのが「南無」であり、即ち「南無妙法蓮華経」であって見れば、全世界の科学者の憧憬して向ひつつある所と合致するものではないか。(『牧口常三郎全集』135-359)

 これを受けて、創価学会は、信仰対象は、仏ではなく、普遍的な法であると考えてきた。教義的には日蓮正宗の日寛の人法一箇論14を建前としては継承してきたが、日寛の人法一箇論の背景には、人本尊として日蓮御影像(祖師信仰)を、法本尊として曼荼羅を信仰対象とするという歴史的信仰伝統があったが、創価学会においては、牧口初代会長の自宅に、ある時期から日蓮御影像が安置されていたという事例、また『尋問調書』の中で堀日亨の『日蓮正宗綱要』を使用して、牧口が日蓮正宗の本尊について、法本尊=曼荼羅を説明した後で、人本尊(=仏本尊)として「末法には人格者としての日蓮大聖人を信じ奉って木像にも絵像にも作って、なお生きておられる如く敬い奉るのであります」(10-197)と述べている事例を除けば、日蓮御影信仰は日蓮正宗から創価学会に継承されなかった。
 戸田城聖第2代会長が、後の日蓮正宗管長となる細井日達が住職をしていた常在寺から御影本尊を撤去させたという事例15を考慮に入れれば、御影信仰は意図的に創価学会の信仰の儀礼から排除されたと見ることができる。
 
 8-1-2 日寛の人法一箇論の特徴
 
 日寛の人法一箇論は、人本尊としての日蓮御影像、法本尊としての曼荼羅という二つの本尊があったから、それを統合するために人法一箇論を必要としたが、その議論は望月歓厚の『日蓮宗学説史』に「本尊論は実際的には人法二本尊の並立にして、一体の義ありてその実なし」(p. 649)と評価されているように、その人法一箇の有り様は「人即法」の曼荼羅本尊、「法即人」の日蓮御影像という二つの異なった本尊を「即」で結び付けただけの御都合主義でしかない。
 例えば、日寛は『観心本尊抄文段』の別の箇所においてこのように述べる。
 
 問う、宝軽法重抄に云く「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像を・かきつくれる堂塔いまだ候はず」等云云。この文は如何。答う、またこれ人法体一の深旨を顕すなり。謂く、下種の法華経、我が内証の寿量品の釈迦仏の形を文字にこれを書けば、即ち大曼陀羅なり。木画にこれを作れば蓮祖聖人の御形なり。故に「かきつくる」というなり。(『富要』4-285、『文段集』p. 532)

 「下種の法華経、我が内証の寿量品の釈迦仏」を文字で表現したものが曼荼羅本尊であり、木像、絵像で表現したものが「蓮祖聖人の御形」すなわち日蓮御影像であると述べている。
 この文章に引き続いて、日寛はこのように述べている。
 
 問う、本尊問答抄の意は、但「法華経の題目を以て本尊とすべし」と云云。何ぞ蓮祖の形像を以てまた本尊と為すや。答う、「法華経の題目」とは蓮祖聖人の御事なり。蓮祖聖人は即ちこれ法華経の題目なり。諸法実相抄に云く「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」等云云。具には予が末法相応抄の如し云云。(同)

 日蓮御影像を本尊とすることは、『本尊問答抄』の「法華経の題目を以て本尊とすべし」という議論と矛盾するではないかという問いに対して、『本尊問答抄』の議論を踏まえて回答するのではなく、全く無関係な文献である『諸法実相抄』の「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」を使用して、「法華経の題目」=「妙法蓮華経」は「本仏」=「下種の法華経、我が内証の寿量品の釈迦仏」=日蓮のことであるから矛盾しないと回答する。この議論は日輝が「妙法蓮華経」を久遠実成無作三身の名前とした議論と同じ論理を使用している。
 日寛の人法一箇論は『報恩抄』の「教主釈尊を本尊とすべし」という文は「法即人」の表現であり、『本尊問答抄』の「法華経の題目を本尊とすべし」という文は「人即法」の表現であり、人法一箇だから両者に矛盾はないという議論だが、現実には「法即人」の日蓮御影像と「人即法」の曼荼羅の二つの本尊があることを、人法一箇論という理論で消去することはできない。そもそも日蓮自身が人法一箇論を持っていたかどうかは不明な問題であり、こんな人法一箇論という無理な形而上学的議論を使うくらいなら、仏法には三帰依があるのだから、仏帰依の対象として日蓮御影像、法帰依の対象として曼荼羅という議論を使った方がよりすっきりするだろう。
 創価学会は幸いにして日蓮御影信仰を日蓮正宗から継承せずに、曼荼羅本尊への信仰のみを継承したから、人法一箇論という怪しげな議論を前提にして、日蓮仏法を解釈する必要はない。まだ日蓮正宗からの教義的自立を獲得する途上であるから、多くの混乱が予想されるにせよ、日蓮正宗の様々な教義的しがらみから解放されて、御書を文意に即して正確に理解する可能性が開かれたことは間違いがないだろう。

8-1-3 日輝、日寛に共通する人本尊論の論拠

 日輝は曼荼羅本尊について『三大秘法抄』と『御義口伝』の次の二つの文に注目する。

 寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり

 第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事 文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量なり、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。 御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり
 
 日輝は前者を五百塵点成道の久遠実成無作三身の教主釈尊と解釈し、後者から「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」の部分に注目して、「南無妙法蓮華経」は久遠実成「無作三身」の「教主釈尊」の「宝号」すなわち名称であると解釈して、曼荼羅本尊の中央の「南無妙法蓮華経」は法の名前ではなく仏の名前であるという議論を展開した。
 他方、日寛は前者の文の中の「五百塵点の当初」に注目して、『観心本尊抄文段』でこのように述べる。

 問う、三大秘法抄に云く「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」と云云。この文は如何。答う、この文の意に謂く、我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即ちこれ久遠元初の自受用身、本因妙の教主釈尊これなりという文なり。故に「五百塵点の当初」という。即ち勘文抄の「五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時」等の文と同じきなり。(『文段集』p. 530)

と、「無作三身の教主釈尊」とは「久遠元初の自受用身、本因妙の教主釈尊」すなわち日蓮のことであり、後者の文の「無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」に注目して、「無作の三身」=「末法の法華経の行者」=日蓮の「宝号」が「南無妙法蓮華経」であるという議論を展開する。
 日輝、日寛の結論は久遠実成無作三身と久遠元初無作三身とで相違するが、どちらも『三大秘法抄』『御義口伝』を論拠として「南無妙法蓮華経」が人本尊の名称であるという議論を展開している。両者とも現在のような日蓮遺文の文献学的研究が進んでいない状態で、日蓮の御書とされる資料を使用して論証しているが、多分現在の学者たちは彼らの論証を正当とは認めないだろう。『三大秘法抄』は初見が日時写本の1397年であり、日隆写本は1408-9年とされている16。『御義口伝』の初見は一致派日像門流の円明日澄の1492年『法華経啓運抄』の引用とされている。現在の日蓮研究者の多くは、日蓮個人の思想を研究するための確実な資料としては、日蓮の真蹟遺文、また記録、写本等で曽存が確実であった遺文、真蹟遺文等との照合によって信頼性が高い直弟子写本を認め、孫弟子写本については論争中であり、手堅い研究者は孫弟子写本を使用しない。その所属する宗派の先師、高僧の議論であっても、文献学的研究手法によって疑義が生じる議論は、そのまま容認することはない。

8-1-4 曼荼羅の「南無妙法蓮華経 日蓮」を論拠とする人法一箇論は日寛にはない

 なお曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と大書されていることを論拠に人法一箇論を主張する人をしばしば見かけるが、「南無妙法蓮華経日蓮」で日寛の六巻抄、文段集を検索すると、『取要抄文段』の「また蓮祖聖人の宝号をも南無妙法蓮華経というなり。故にまた云く『南無妙法蓮華経日蓮の御房日蓮の御房と喚び侯はん』(取意)等云云。」(『富要』4-380)などがヒットするが、これは『撰時抄』の「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、日蓮の御房・日蓮の御房とさけび候はんずるにや」を日寛がまとめた文である。曼荼羅の中の「南無妙法蓮華経日蓮」を論拠に人法一箇を主張する箇所は、日寛にはないようだ。
 また、『取要抄私記』にはこのようにある。

 されば末法の本尊とは、本門の南無妙法蓮華経・日蓮大聖人これなり。これ我等が為の能引なり。十界の聖衆は、これ日蓮体具の十界の聖衆なり。日蓮体具の十界を顕す時に、釈迦・多宝等の十界の聖衆を書き顕し給う者なり。されば能具の人、既に下種の法主なる間、所具の釈迦・多宝等の十界の聖衆も皆悉く生身の妙覚の仏なり。本有の菩薩なり。本有の声聞なり乃至本有の提婆なり。然れば則ち、本門下種の南無妙法蓮華経・日蓮聖人より外に全く一法もなし。依って南無妙法蓮華経・日蓮聖人を以て本尊と為し、能引と為るが故に「所化以て同体なり」とは遊ばされたり。但し、観心本尊抄の文は一往、文の上を遊ばされたり。全く文底の大事を遊ばされず。されば自ら未だ遊ばされざることわりなり。若し御自身に、我を以て本尊とせよと遊ばされたらば、何れの人か之を信ずべけんや。此を以て文底に秘して、文の上を遊ばされたり。されば当家の習う法門はこれなり。然るに一致宗は、吾が祖を習い失うて本尊に迷う。如何が成仏すべけんや。されば撰時抄下三十八に云く「上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて各各声をつるべて南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、日蓮の御房・日蓮の御房とさけび候はん」云云。また報恩抄下三十四に云く「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」文、已上。この御書に「本門の教主釈尊」とは、久遠名字の釈尊なり。これ則ち今日の日蓮聖人、倶体倶用、但一体の御形なり。依って末法には我が身を本尊とせよという事を「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とは遊ばされたり。然れば則ち今日の宝塔の中の釈迦・多宝も、この本仏の臣下・大臣なり。況やその已下をや。是を以て「釈迦多宝」已下とは遊ばされたり。全く今日の応仏昇進の釈迦・多宝を以て本尊とせよと遊ばされたるには非ず。爾るを一致の輩、脱仏を以て下種の本尊と為すといえるは、瓦を以て玉と為し、石を以て金と執するに似たり。されば撰時抄の御文体は、上も下も智者も愚者も、末法に入って上行出世の後は、一切の仏菩薩、一切の明神・天神等をなげすてて、但声をばかりに「南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、未来を救い助けたまえ」と唱うべしという事なり。聖人知三世抄に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」云云。(『文段集』789)

 「末法の本尊」が「南無妙法蓮華経・日蓮聖人」であると述べて、曼荼羅の十界の聖衆が「日蓮体具の十界」であると述べながらも、曼荼羅中央の「南無妙法蓮華経・日蓮」には言及することなく、『撰時抄』『報恩抄』の議論へと移行していく。つまりここでは曼荼羅中央の「南無妙法蓮華経・日蓮」から人法一箇の議論を展開していないのである。

8-1-5 日有の時代の他門流の人法一箇論

 なお『本尊論資料』にはAN174の日朗門流の筆者不明の相伝書『御本尊相伝』があるが、そこにはこのようにある。

 問首題の下に必ず日蓮判と遊ばす義如何 答日向門徒には法華堂をば皆御影堂と習うなり。その故は首題の下に日蓮と遊ばしたるは妙法全く我が身なりといえる御心中なる旨なり。左右の脇士はまた日蓮聖人の脇士なり。諸堂みな御影堂なりと申す伝なり。また首題の下に御名を遊ばすは人法一体能弘所弘不二なることを顕すなり。真間流の人は大聖人の大の字を制して書くなり。定めて人法一体の意なり。その故は地湧の四大士と中央の首題と引き合わせて習うに、首題は空大なり、四菩薩は四大にて、その義通ずる故に空大妙法と聖人とは全く一体となれば、日蓮空聖人という意にて大聖人と書くなり。大は空の義の故なり。」(『本尊論資料』 p.314)

 後に日蓮正宗で主張される本尊の首題と日蓮を一体にして人法一体と解釈するという議論が、既にAN174年、日有の時代に日朗門流、日向門流や真間門流には存在していたことを示している。日有自身には人法一体の議論はまだないし、日寛にも曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と大書していることを論拠に人法一箇論を展開している箇所がないということは、このように主張する人は、知ってか知らずか、分からないが、日朗門流、日向門流、真間門流の議論を使用しているのであり、この議論が、日蓮、日興の議論とは無関係であることを示している。
 なお堀日亨の『日蓮正宗綱要』にはこのようにある。

 本尊の出現に、霊格としてと、人格としてとの両面がある。すなわち法の本尊と、人の本尊とである。法の本尊というのは、誰の智慧ででも、やや考えがつく、真如とか真理とかの、一層精選せられた、事の一念三千の不思議の境界で、これが妙法の曼荼羅である。その姿を文字にあらわしてある。真中に『妙法蓮華経 日蓮』と書いて、これが曼荼羅の中心となる。その左右周囲に、十界の代表者の仏菩薩から、世界を守る神神、妙法を伝えてきた人人までも並べてあるのは、中心となる仏の霊格を示したもので、中心の光明に照らされて、みなみな仏になるべきことを示したものである。
   次に人の本尊というのは、法報応の三身が、たがいに融通する上での自受用報身如来である。久遠の智徳を表面として、内面では、法身仏とも、応身仏とも交渉するのである。それが末法には、人格者としての日蓮大聖人と信じ奉って、木像にも絵像にも作りて、なお生きておわすごとく敬い奉るのである。
   この自受用身の人格に、妙事の三千の法がそなわっているところが、人即法の本尊であり、三千の法の自受用身(に)そなわっているところが法即人の本尊である。この互具一体のところを、人法一箇とも一体ともいって、われらの帰依し奉るべき仏さまと仰ぐのである17。
 あるいは、密かに考うれば、御曼荼羅の中心の南無妙法蓮華経は法で、日蓮判は人であるから、これが人法一体である。こういえば、一重の一体ですむのに、曼荼羅の前に御影をおくときは、二重の一体となる勘定であるけれども、人法を即離するのは、理の当然で、またこれには一般の仏像を安置せし余情を引くことにもなり、常識の上から追慕の意にもなる。人間名字の本宗では、それがよいのではなかろうか。しかし、人情を超越した理智の非常に進んだ非人間には、この信仰の必要はないということにもなかろうかと思うのである。(中略)
   また、この本尊を普通の三宝、すなわち仏法僧に区別するとき、仏と相とは宗祖、法は妙法曼荼羅として、一体三宝に見ることもあるが、古くより仏は宗祖、法は曼荼羅、僧は御開山を代表として、その御影を加うることがあり、これを三宝式とも、古くは三幅一対なんどといってるが、宗祖開山の時代にありうべきものでない。目師已後にできた儀式かも知れぬ。これは一般の通儀でなく、特別の式と見るべきであろう。(謄写版 1952年 p.17)

 堀日亨は日寛の伝統的な人法論を継承して「人即法の本尊」として日蓮御影を、「法即人の本尊」として曼荼羅を述べていると解釈できるが(ただし『観心本尊抄文段』に「人即法の本尊とは即ちこれ自受用身即一念三千の大曼陀羅なり。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり」とあるのとは逆になっているが)、「密かに考うれば」と追加の考察をして、曼荼羅中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」を人法一箇と解釈するという議論を提唱している。この議論は、日蓮正宗においては、堀日亨から始まったと考えるのが妥当であると思われるが、堀日亨が『本尊論資料』に引用されていた他門流の人法一箇の議論を知っていたかどうかは不明である。
 高橋粛道は『御影本尊論』において、「曼荼羅を法本尊、御影を人本尊とする人法一箇論は、人法が一幅の曼荼羅に存在するという教学が浸透するにつれ、末寺や塔中では曼荼羅一幅の奉安様式に一律化していったようで御影本尊論は忘れかけられていった如くである」と述べているだけで、この新しい教学が誰によって始められたかについては何も述べていないが、堀日亨の『日蓮正宗綱要』にあるという確認だけはできた。
 また、御影の安置に関して、堀日亨は「人間名字の本宗では、それがよいのではなかろうか」18と述べて、容認している。さらに「しかし、人情を超越した理智の非常に進んだ非人間には、この信仰の必要はないということにもなかろうかと思うのである」とも述べて、「人情を超越した理智の非常に進んだ非人間」には御影信仰は必要ないともしているが、現在御影信仰を全く持たない創価学会の会員が、堀日亨の予言した「人情を超越した理智の非常に進んだ非人間」であるということはないだろう。むしろ仏ではなく、法を根本と考える人々が増えたという社会的文化的変化によって説明可能なことであるだろう。

8-2 信頼できる御書の読解、解釈問題

 現在生存しない過去の人物の思想を解明するという作業は、当人に直撃インタビューできないのであるから、その思想を書き述べた文献資料、伝記資料、残された遺品などの歴史史料から、再構成するという作業でしかなく、その作業による成果の検討も、現在の研究者相互の批判に委ねられるしかない。その場合資料として何を使用するのかという合意なしには実り多い議論は期待できないから、取りあえず信頼性の高い資料のみを使用して、日蓮の思想としてどのようなことが言えるのかということを解明しようとしているのが現段階である。しかしながら、多くの研究者は既になんらかの門流の教義になじんでいるために、自覚のないままに、その門流の見解で資料を読んでしまうということがしばしば生じる。

8-2-1 『開目抄』の場合
8-2-1-1 文底の文についての諸見解

 私自身は日興門流の系譜を引く創価学会に所属していたから、『開目抄』の「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」という文章の「寿量品の文の底」という場合、寿量品のどの文の底なのかという解釈に関して、本因妙の文、すなわち「我本行菩薩道」の文だという日寛の見解を長い間受け入れてきたが、第1次宗門問題以降、日蓮正宗の教義を本格的に研究しようとして『富士宗学要集』を読み進めていく中で、三位日順が『法華開目抄上私見聞』でこのように述べているのを発見した。

 問て云く一念三千の法門・本門寿量の文底に沈めたりと云云、然らば何の文を指すや、答て云く経に云く如来如実知見三界之相○非如非異不如三界見於三界○云云19(『富要』2-87, 88)
 
 明確に「寿量品の文の底」を「如来如実知見」の文としているのを発見して、日寛の見解と違うことに気が付き、変だなと思った。
 さらに読み進めていくと、日有の講義録である『下野阿闍梨聞書』にはこのようにある。
 
 仰せに云はく・西山方の僧・大宝律師来りて問ふて云はく日尊門徒に開目抄に云はく・一念三千の法門は本門寿量品の文の底にしづめたり云云是は何れの文底にしづめたまふやと云ふ時、日有上人仰せに云はく日昭門跡なんどには然我実成仏已来の文という、さて日興上人は此の上に一重遊ばされたるげに候、但し門跡の化儀化法・興上の如く興行有つてこそ何の文底にしづめたまふをも得意申して然るべく候とて置きければ、頻りに問ふ間だ興上如来秘密神通之力の文底にしづめ御座すと遊ばされて候、其の故は然我実成仏已来の文は本果妙の所に諸仏御座す、既に当宗は本因妙の所に宗旨を建立する故なり彼の文にては有るべからず、さて如来秘密神通之力の文は本因妙を説かるゝなり。(『富要』2-152)

 日有は、日順、日寛とも異なる「如来秘密神通之力」20としていることを発見して、日寛の相伝自体を疑うようになった。

8-2-1-2 『開目抄』に示される文底の文

 さらに『開目抄』をできるだけ先入見なしに読み進めていくと、実は日蓮自身が『開目抄』にその回答を与えていることに気が付いた。文底に関する議論は次のような文脈で述べられる。
 
 但し此の経(法華経)に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。 一念三千は十界互具よりことはじまれり
 
  この文章全体の中で、回答の手がかりを見つけようとすると、当然「二箇の大事」が重要になる。
 その「二箇の大事」については、『開目抄』ではこのように述べている。
 
 華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず。

 「二乗作仏」=「迹門の一念三千」、「久遠実成」=「まことの一念三千」と明快に述べている。したがって「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」という文は、「まことの一念三千」の法門は寿量品の文、すなわち久遠実成を表わす文の底に沈めているという意味だと全体の文脈から解釈できる。
 それでは久遠実成を表わす文として『開目抄』ではどの文が引用されているかというと、さきほどの「二箇の大事」に関する引用文の直前にこのように述べている。
 
 教主釈尊此等の疑を晴さんがために寿量品を・とかんとして爾前迹門のきき(疑義)を挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、正しく此の疑を答えて云く「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。

 と、「我実成仏已来」の文であると明示しているのである。
 この寿量品の文は天台大師智顗の『法華玄義』では「本門の十妙」の内の「本果妙」の文として挙げられている文である。智顗は『摩訶止観』では一念三千を論じる場合、方便品の十如是の文章を使用して、議論を展開するが、その場合寿量品の文は使用されていない。しかし、『法華玄義』では「本門の十妙」として、「本因」「本果」「本国土」の三妙について寿量品の文を引用して説明している。日蓮はこの中の「本果」の文を使用して、久遠実成の文であるとし、この文によって「まことの一念三千」が表れるとしているのである。それゆえに「但我が天台智者のみこれをいだけり」という文は、天台大師の『法華玄義』の寿量品の「本果」妙の文によって「まことの一念三千」が表れるということを日蓮が意味していると考えられる。
 このような『開目抄』の読解は、先入見なしにテキストを読んでいけば、多くの人に発見できると思われるが、『開目抄』は多岐にわたる論点満載の論文であるから、一つ一つの論点を、文章に即してきちんと読解することが困難であり、つい先人の解釈に従って読解してしまうということが生じて、日興門流の解釈におけるように、混乱が生じてしまう。
 
8-2-2 『観心本尊抄』の場合
8-2-2-1 『観心本尊抄』の二種類の本尊

 このような混乱は、『観心本尊抄』の読解においても生じている。多くの学者は『観心本尊抄』には2種類の本尊が教示されていると考えている。『観心本尊抄』にはこのようにある。
 
 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る。

 多くの学者はこの部分では日蓮自身が作成した文字曼荼羅が本尊として教示されていると解釈している。
 しかし、その文に続く部分にはこのようにある。
 
 正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

 ここでは、「脇士」の話をした後で、「寿量の仏」「此の仏像」とあり、さらに「余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊」に対置して、「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」とあるから、「寿量の仏」=久遠実成釈尊とその「脇士」=四菩薩を示していると解釈し、この部分は一尊四士を本尊とすることを教示していると多くの学者は解釈している。
 さらに『観心本尊抄』の末尾に近い箇所ではこのようにある。
 
 此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す、聖武天皇・東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。

 「本門の釈尊を脇士と為す」という部分では、日蓮正宗と日蓮宗では大きく読み方が違うので、ここでは論じないが、聖徳太子の四天王寺建立と阿弥陀仏造立、聖武天皇の東大寺建立と盧舎那仏造立、伝教大師の延暦寺建立と薬師仏造立を述べて、「伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず」をあるのは、伝教大師が「四菩薩」造立をしていないことを示して、暗に久遠実成釈尊造立と「四菩薩」造立を示唆したと多くの学者は解釈している。
 四天王寺、東大寺、延暦寺と比肩される、この一尊四士を本尊とする寺院の建立の時期は、上記引用文の前にこのようにある。
 
 今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」

 日蓮としては「末法の初」(それは『大集経』の第五の五百歳と想定される)に四菩薩が「賢王」「僧」となって出現し、「広宣流布」が実現される時であると考えていたと推測できる。

8-2-2-2 広宣流布時に仏像を造立するという日興門流の見解

 この広宣流布の時に仏像を造立するという見解は、日興の高弟である重須学頭三位日順の『本門心底抄』にこのようにある。
 
 行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し21・戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず」(『富要』2-34、『宗全』2-346)

 また、日興の弟子で京都布教に功績のあった日尊の弟子の日印が『日代上人ニ遣ス状』のなかで次のように述べている。
 
 所詮伝説に云はく大聖人(日蓮)御記文に帝王御崇敬有りて本門寺造立以前には遺弟等曽て仏像造立すべからず云云、故上人(日興)も同前云云、実義何様に候や生替の身にて候へば先例存知し難く候」(『富要』5-48、『宗全』2-410)
 
 日興門流の伝説を「帝王御崇敬有りて本門寺造立以前には遺弟等曽て仏像造立すべからず」と述べて、この見解が正しいのか、日興の甥の西山日代に尋ねているが、それに対して西山日代は『宰相阿闍梨御返事』でこのように述べている。
 
 抑も御尋に付き所存注し申すべしと雖も両聖人御本意御書等顕然に候の間、末学の自立了見中々に存じ候、此くの如きの事御遷化以後定めて出来すべく候の間、兼日の御置文御遺誡等明白の処、門徒一同に御違背候の間、大聖(日蓮)御法立の次第、故上人(日興)御真筆等棄て置かるゝ事返す返す無念の事に候、但し御弘通の趣き今の如くんば所存同じ申し候、中に仏像造立のこと本門寺建立の時なり、未だ勅裁なし、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめたまうべきの由御本意なり、ご本尊の図はそのためなり、只今造立過無くんば私の戒壇建立せらるべく候か、若し然らば三中(『宗全』「井」園城寺)の戒壇尚以て勅裁無し六角の当院(上行院の仏像安置)甚た謂れ無き者なり」(『富要』5-50、『宗全』2-234)

 ここでは、日蓮、日興の意向によって、国主が帰依する広宣流布のとき、本門寺戒壇に曼荼羅本尊の図に従って仏像を造立せよと述べている。これらは『観心本尊抄』の広宣流布の時に、仏像を造立するが、その場合、曼荼羅本尊を木像化するということを念頭に置いていることを示している。
 日興門流においては『富士一跡門徒存知の事』の「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」という木画の仏像造立を禁止する曼荼羅本尊正意説が主流であったから、上記の三位日順の広宣流布の時に曼荼羅を木像化して仏像を造立するという『本門心底抄』の説に対して、堀日亨が『富要』で頭註をつけて「仏像安置と云々、順師未だ興師の真意を演暢せず。後人此文に滞ることなかれ」(『富要』2-34)と述べて、仏像造立は日興の真意ではないと批判しているが、その批判の妥当性については疑問符がつく。曼荼羅本尊正意説を根拠づける御書に関しては、『富士一跡門徒存知の事』では「唯御書の意に任せて」と述べるだけで、どの御書かは具体的に述べていないが、その次の「妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し」という文は『本尊問答抄』の冒頭の「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」という文を連想させるものであり、『本尊問答抄』を根拠にしてこのような曼荼羅正意説を主張していることが推測できるが、『本尊問答抄』が仏像造立を禁止しているかどうかは解釈が難しい。したがって仏像造立を明確に禁止している御書はないとすると、日順、日代の見解も『観心本尊抄』の解釈の一つの可能性として残るだろう。

8-2-2-3 『観心本尊抄』と一尊四士論

 望月歓厚に代表される日蓮宗に関係する日蓮研究者は『観心本尊抄』の「寿量の仏」「仏像」の記述は全体の文脈から「一尊四士」の仏像本尊の造立を意味していると解釈しているが、花野充道は「日蓮の本尊論と『日女御前御返事』」(『法華仏教研究』第14号)で「日蓮の遺文には『本門の教主釈尊を本尊とすべし』という説示はあっても『一尊四士を造立して本尊とすべし』という説示は、ただの一つも存在しないという事実を、ここで確認しておきたい」(p. 29)と述べて、『観心本尊抄』を精密に読めば、「一尊四士」の明示はないことを指摘した。
 私は『観心本尊抄』を読めば、一尊四士の暗示は明白なのだから、日蓮も本尊としての教主釈尊を一尊四士とすることを容認していたと解釈していたし、その解釈の背景には日興が「日興の義」として「一尊四士」を容認していたが、その文献的根拠は『観心本尊抄』であろうと推測していたことがある。しかし、花野の指摘を受けて、もう一度『観心本尊抄』を読むと、確かに明示はなかったので、もう一度一尊四士説を考察しなおす必要を認めた。
 その頃、大黒喜道が「佐渡の日蓮聖人――大曼荼羅本尊のこと――」(『佐渡日蓮研究』第3号)の「四、『本門の本尊』と釈迦仏像本尊」において、「『本門の本尊』である釈迦仏像本尊が順縁に基づいた本尊であるならば、その釈迦仏像と鋭く対峙する大曼荼羅の方は逆縁世界を指向する本尊であると見るのは、極めて自然なことでありましょう」(p. 96)と順縁広布の本尊=仏像、逆縁広布の本尊=曼荼羅という見解を発表した。そして、「基本的な大枠として、《大曼荼羅本尊=逆縁》と《釈迦仏像本尊=順縁》とが、あたかも手の表と裏のような関係をもちながら、時には大曼荼羅本尊が表になり、時には釈迦仏像本尊が表にでるという揺れを示しながら、最後まで共存して行きます」(同)と述べて、二種類の本尊論が日蓮の中で共存していたと大黒は考えている。大黒は釈迦本尊が一尊四士の造立であると解釈して、曼荼羅全体の木像化であるとは解釈していない点で、私とは異なるが、順縁本尊、逆縁本尊という区別は、日順、日代の見解が、日蓮、日興の見解でもあるという論理的可能性を示唆していると思われ、その見解に沿って、『観心本尊抄』を読んでみようとした。
 一尊四士は脇士によって釈尊の仏格を示すことができるから、四菩薩が脇士としてあれば、その仏像が久遠実成釈尊=寿量品の教主釈尊の仏像であることを示すことができるが、しかし、一尊四士だけでは教主釈尊が何を説いたのかは示すことができない。しかし、曼荼羅本尊は南無妙法蓮華経が中央にあることにより、それが上行所伝の末法の要法であることが明示されうる。その意味では一尊四士は不十分な教主釈尊の表示であり、曼荼羅の木像化(特に主要な一塔両尊四士の造立)のほうが、十分な教主釈尊の表示でありうるだろう。一尊四士は『観心本尊抄』の寿量品の仏像の最低限の必要条件しか満たしておらず、曼荼羅の木像化が十分条件を満たすと思われる。現在、身延山久遠寺の本堂の木像本尊は、曼荼羅を木像化した本尊(立体曼荼羅)であるが、日蓮は広宣流布の時には、そのような曼荼羅の木像化がなされると想定していたかもしれない。もっとも日蓮は寺院に仏像を安置することを当然とする文化の中で宗教活動をしていたのであるから、仏像建立を容認していたと思われるが、仏像建立を偶像崇拝とみなす文化の中で宗教活動をするのであれば、仏像建立の必要はないと私は考えている。

8-2-3 『報恩抄』の場合
8-2-3-1 『報恩抄』の諸テキストと読解問題
 
 問題はさらに『報恩抄』の文の解釈問題にも波及する。
 
 問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしと・いうこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり、日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳。

 日輝は三大秘法を表わす文では本尊について「教主釈尊を本尊」とすることを述べているのは、三大秘法では題目に言及せざるをえないから、本尊の項目で題目=妙法五字に言及すると混乱を生じるので、「教主釈尊」という用語を使用していると説明している。だがそのように言う背景には「教主釈尊を本尊とする」ということが曼荼羅を本尊とするということと同じ意味だという解釈があり、花野充道も同様な見解を持っているが、日輝は人本尊中心説だが、花野は日蓮正宗の伝統を継承して人法一箇説のようだ。
 ところで『報恩抄』の三大秘法について記述した文には真蹟が残っていない。日蓮宗妙蔵寺HPに次のような記述がある。
 
 真蹟=断片二行、山梨一瀬妙了寺蔵。二紙二七行、池上本門寺蔵。断片二行、高知要法寺蔵。断片二行、東京本通寺蔵。断片六行、京都本禅寺蔵。『日乾目録』によると四巻二九紙・表裏記載の真蹟が身延に曽存していたが、右の真蹟断片のうちの三片を含む分は日乾当時すでに闕失しており、結局、右の現存真蹟は身延より散逸したので、かえって明治八年(一八七五)の焼失を脱れ、現存し得たことになる。かくて本抄の真蹟の全容を拝することはできぬが、幸い身延山二一世寂照院日乾による真蹟対照本が京都本満寺に現存し(写真版が本満寺より発行され、世に流布)、『縮冊遺文』・『定本遺文』はこれを底本として『高祖遺文録』所収本を訂正出版したものである。また富士大石寺一九世日舜22の康安二年(一三六二)の写本を堀日亨が伝えるという。

 『昭和定本』の校訂に関して堀日亨所蔵の「舜師本」も使用されていることはその注記に示されている。日興門流に伝わる舜師本には「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」ではなく、「四菩薩」という文字が欠如しており、「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の脇士となるべし」とある。
 『昭和定本』では「脇士となるべし」の主語が、文法上「釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等」なのか、「外の諸仏・並に上行等」なのか、「並に上行等」なのかよく分からず、また「釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等」を脇士とした場合、その脇士に対応する主仏は「所謂」の前文にある「本門の教主釈尊」と思われるが、その「本門の教主釈尊」と後文にある「釈迦」とは同一の仏を指すのか、別の仏を指すのかという読解上の問題が生じる。
 「舜師本」では「釈迦多宝・外の諸仏・(が)並に」「上行等の」「脇士となるべし」と読解できるから、「釈迦多宝・外の諸仏」が脇士であり、主仏は「上行等」となる。しかし、このような読解を導く「舜師本」のテキストとしての信頼性については、『昭和定本』が真蹟対照本である「乾師本」を底本としていることと比べれば、著しく劣ることは明らかであろう。しかもその読解により、通常は釈尊が主仏で上行が脇士であるのに対して、上行が主仏で釈尊が脇士となるという文意が示されるが、このような文意が日蓮の他のテキストとの整合性を考慮に入れると受け入れがたいものがあることを多くの学者たちは認めるだろう。

8-2-3-2 池田令道の他のテキストの示唆

 池田令道は『富士門流の信仰と化儀』の「第七章 富士門流の本尊観」の「II. 未断惑の上行菩薩」において、日有の『連陽房雑々聞書』の次の文を引用する。
 
 上行等ノ四菩薩ノ体ハ中間ノ五字ナリ、此ノ五字ノ脇士ニ釈迦多宝ト遊ハシタル富体ヲ知ラズシテ上行等ノ四菩薩ヲ釈迦多宝ノ脇士ト沙汰スルハ、中間ノ妙法蓮華経ノ堂体ヲ上行菩薩ト知ラザレバコソ、軈テ我即身成仏ヲ知ラザル重デ侯ヘト御伝コレ有リ云云。」(『富要』2-140、『歴法』1-374)

 池田はこの文を解説して、次のように述べている。
 
 この聞書を拝して、まず了解しうることは、日有上人の時代には報恩抄のこの御文をめぐって、上行菩薩を釈尊の弟子とみるか、それを越えて上行菩薩=妙法蓮華経の当体とみるかにより、他門と当家との異義が生じ、それがただちに双方の本尊観の相違にもなっていたという事実であります。前者をとれば、一尊四士(釈迦如来と四菩薩を奉安する本尊形式)、両尊四士(釈迦如来・多宝如来と四菩薩を奉安する本尊形式)などの造仏本尊となり、後者をとれば曼茶羅本尊を正意とすることになります。
 本仏論においても、前者は教相文上の立場におりますから釈尊本仏になり、後者は、観心文底の立場から上行本仏となり、それがすなわち日蓮本仏を導き出す根本思想になっているのであります。ところで、日有上人の薫陶を受けた左京日教師は、この報恩抄の当該部分の読みについて次のように述べられています。「然るに報恩抄の事は釈迦多宝を上行等の四菩薩の脇士とあそばすを日向日頂御書を片仮名又は漢字に書きなすより御文言をも書き失へり当宗に闇かりけるか、三箇の法門を悪く取なして宝塔の中の釈迦多宝、上行等の菩薩を脇士とすべしと書けり、ノとヲとの仮名一つの違い致し御書かなまじりなるを片かなにす私語を備へたり、他門徒の御書には在世の釈迦を本尊とすると思ひて書きなせるか、本門三箇の秘法は寿量品の文底に秘し沈め給へり」(『富要』2-313) この日教師の指摘は、本文の日有上人の説とほぼ同じであります。日向、日頂は「ノ」を「ヲ」に改め、次下の「なるべし」を「為」の字に書き改めて「すべし」と読ませた、これ偏えに釈尊を本尊とするために、上行菩薩をあくまでも釈尊の脇士にしなければならないという考え方から生じたところの誤りである、というものでしょう。
 「ノ」の字を「ヲ」の字に書き改めたか、あるいは「ヲ」の字を単に書き加えたかして、上行菩薩をあくまでも釈尊の脇士に位置づけ、釈尊本仏を強固ならしめようとした、というのが日教師の指摘です。報恩抄の大聖人真筆が数カ所に、しかも断片でしか伝わらない現在(三大秘法を説かれた当該部分の真筆はありません)では、この部分の読みを明確に決定付けることは出来ませんが、さりとて日教師の指摘を何等根拠の無いものとして葬り去ることも到底できません。
 それというのも、富士門流には、四世の日道上人、五世の日行上人と同時代人であった下之坊日舜師による報恩抄の古写本が伝えられ、その写本には、「所謂宝塔の中の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の脇士となるべし」と明記されているからであります。この写本は、康安二年(1362)二月七日の奥付けをもつものですが、康安二年といえば、日興上人が入滅されてまだ三十年足らずのことでもあり、この報恩抄の御文の読みは、或いは日興上人の付された訓点を伝えたものではないかとも推測し得るからであります。少しうがち過ぎた見方かも知れませんが、奥付けの書写年月日「二月七日」が日興上人の祥月命日に当たっていることも、日興門流の報恩抄の読みを後世に伝える意図が日舜師にあったのではないか、との推測を私に与えるのです。
 事実、この写本には、「民部阿闍梨日影に之を授与す、応永九年卯月十一日、日時花押」という授与書が付されており、六世日時上人より八世日影上人へ、この御書が相伝されているのであります。上代では、この報恩抄の古写本は貫首から貫首へと相伝されるべきものであったのでしょう。冒頭の日有上人の聞書に「御伝コレ有リ」と仰せられたのも、まず間違いなく、舜帥本の読み及びその解説の「御伝」であるでしょうから、富十門流の上代では一貫して報恩抄のこの部分は「上行等の脇士となるべし」と訓じられ、「文底の上行」という法門が伝えられていたことが分かるのであります。(263-266)

 左京日教の指摘によれば日向、日頂のテキストでは「宝塔の中の釈迦多宝、上行等の菩薩を脇士とすべし」となっているが、正しいテキストは「宝塔の中の釈迦多宝、上行等の菩薩の脇士となるべし」という文であると主張している。『報恩抄』の「所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」という『昭和定本』並びに『創価学会版御書全集』の文に関しては、「舜師本」の「所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の脇士となるべし」というテキスト、左京日教の言う日向、日頂本の「宝塔の中の釈迦多宝、上行等の菩薩を脇士とすべし」というテキスト、左京日教の言う正しいテキストである「宝塔の中の釈迦多宝、上行等の菩薩の脇士となるべし」というテキストと4種類のテキストがあるということになる。『昭和定本』のテキストの読解が難しいこと、「舜師本」のテキストが「釈迦多宝」が「上行」の脇士となるという他のテキストとは整合しがたい読解を導くことは、既に述べたが、日向、日頂のテキスト、並びに左京日教が正しいとするテキストの読解には難しい問題は何もない。これらの4つのテキストから学者たちが選択するのはそのテキストの由来が真蹟テキストとの関係が深いと認められる『昭和定本』のテキストであろう。

8-2-3-3 前文の「教主釈尊」と後文の「釈迦」との関係
 
 『報恩抄』の解釈に関しては、日輝はこのように述べている。
 
 報恩抄(内七 三十四)に云く、「一には日本乃至一閻浮提、一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」文。本門の教主釈尊を本尊とすべしとは、久成無作の本仏にして体の仏なり。釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等とは、脇士の仏菩薩にして、垂迹別相の用の仏なり。体の本仏を顕すには、五字七字の妙題を以て之を顕し、用の迹仏を顕すには釈迦牟尼仏と書して、多宝と相対し、脇士とし給うなり。(379)

 前文の「本門の教主釈尊」とは、「久成無作の本仏にして体の仏」であり、後文の「釈迦多宝」は「脇士の仏菩薩にして、垂迹別相の用の仏」であり、別の仏であると解釈している。ただし日輝は曼荼羅本尊の中では、その体の本仏は「五字七字の妙題」によって表現され、用の迹仏は「釈迦牟尼仏」と表現され、「多宝仏」と対にされているとする。
 日興門流の日寛は『取要抄私記』においてこのように述べている。

 報恩抄下三十四に云く「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」文、已上。この御書に「本門の教主釈尊」とは、久遠名字の釈尊なり。これ則ち今日の日蓮聖人、倶体倶用、但一体の御形なり。依って末法には我が身を本尊とせよという事を「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とは遊ばされたり。然れば則ち今日の宝塔の中の釈迦・多宝も、この本仏の臣下・大臣なり。況やその已下をや。是を以て「釈迦多宝」已下とは遊ばされたり。全く今日の応仏昇進の釈迦・多宝を以て本尊とせよと遊ばされたるには非ず(『文段集』799)

 と、前文の「本門の教主釈尊」とは久遠元初本仏日蓮であり、後文の「釈迦」は「今日の宝塔の中の釈迦」すなわち久遠実成釈尊であるとして、別の仏だとしている。
 現在の日蓮宗に教学的に大きな影響を及ぼしている望月歓厚の『日蓮教学の研究』を見てみると、望月は『観心本尊抄』の考察において、本尊段の「塔中妙法蓮華経」とあるのは、本門教主釈尊が上行に結要付属した「要法」=教法であり、「本門八品の本尊は妙法蓮華経を塔中の中尊とし、釈迦多宝を左右尊とし、本化の四菩薩を脇士とする本尊相」(p. 166)であるが、「釈迦多宝が中尊であり五字の妙法は本尊ではない」(同)とし、妙法五字は曼荼羅の中では中央に書かれているが、立体的には「教授の法であるから仏の前、若しくは仏の下にあるべし」(同)と述べる。本尊段では曼荼羅本尊に言及しながらも、それ以降の流通段では専ら仏像に言及しているのは、「『本尊為体』の本尊は在世結要付属の儀相であって、これを在末相対して本門寿量の本尊として造立するには一尊四士の尊形に於いてするが、『本尊抄』の真意である思うものである」(p. 168)と述べて、曼荼羅本尊は在世の本尊、一尊四士は末法の本尊という区別をする。
 この議論を前提にした後で、望月は『報恩抄』に「教主釈尊を本尊とすべし」という文と「所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」という曼荼羅本尊を連想させる文が両方述べられている理由として、「末法の本尊、即ち『本尊抄』の一尊四士本尊と同体の『本門の教主釈尊を本尊とすべし』との大断定を示しながら、つづいて『所謂』として『宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏』」(p.169)を述べているのは、『報恩抄』と同時に授与した曼荼羅本尊に言及しただけであり、「釈尊本尊は不動の大断定である。次下の二尊は授与の大曼荼羅の諸尊をこの内に包摂したもので、二尊の形像を教主釈尊の相貌として認めたのではない」(同)と述べる。「所謂」の前文で一尊四士に言及し、後文で曼荼羅の諸尊に言及している理由として、望月は「『所謂』の語は同一同体を云々するのではなく、類似、若しくは近似の事例を挙げて説明する語である」から、違っていてよいのだとしているようだ。
 その上で日蓮の「釈迦一仏絶待本仏思想」に言及し、『報恩抄』の「宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」の部分の読解として、「『報恩抄』も亦多宝・諸仏・四大菩薩を並びに脇士とする文意とも窺えるのである」(pp.169-170)と述べて、「脇士となるべし」の主語は「多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩」であり、「多宝」の前の「釈迦」は主仏であって「脇士」ではないというように述べている。この読解では前文の「教主釈尊」と後文の「釈迦」は同体でありうる。
 これらの重要な御書の読解問題については、本論文ではこれ以上論究することはしないで、別稿に譲るとして、日蓮の信頼できる御書として確定している遺文についてさえ、多様な読解、それに基づく多様な解釈があるのが、現状である。このような現状に、さらに信頼性の低い遺文を使用して議論を展開したら、学者間でも合意を得ることは、より一層困難になるだろう。

9 「眼前の迷惑」の議論の検討
9-1 「或説己身或説他身」と「名字不同年紀大小」の引用

 日輝は曼荼羅本尊の中央の「南無妙法蓮華経」は「法」の名前ではなく、「仏」の名前であることを、法華経寿量品の「或説己身或説他身」と「名字不同年紀大小」とを引用して、論証の一助としている。
 「或説己身或説他身」を検索してみると、『観心本尊抄』に「経に云く『或説己身或説他身』等云云即ち仏界所具の十界なり」とある。
 また、『諌暁八幡抄』には、このように述べている。
 
 又第六の巻に云く『或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示し或は己事を示し或は他事を示す』文観音尚三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや
 
 さらに『日眼女造立釈迦仏供養事』(曽存、日法『本迹異目』に引用(『宗全』1-144))にはこのようにある。
 
 法華経の寿量品に云く「或は己身を説き或は他身を説く」等云云、東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏・上行菩薩等・文殊師利・舎利弗等・大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星・阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる・天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月・諸仏・菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり。

 これらの引用で、『諌暁八幡抄』『日眼女造立釈迦仏供養事』はともに諸仏、諸神の本地は釈尊であるという議論として解釈できる。
 「名字不同年紀大小」を検索してみると、『聖愚問答抄上』(直弟子日像の『曼荼羅相伝』(『宗全』1-229)に引用))にこのようにあるだけである。
 
 同巻に云く(見宝塔品第十一)「我仏道の為に無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」と、此の文の意は又釈尊無量の国土にして或は名字を替え或は年紀を不同になし種種の形を現して説く所の諸経の中には此の法華経を第一と定められたり
 
 ここでは釈尊が様々な名前の仏、菩薩として教えを説いてきたということを述べている。
 たしかに『法華経』寿量品では、釈尊が様々な名称の仏、菩薩として教えを説いてきたということが述べられ、日蓮もそのことを認めているが、寿量品の教主釈尊を日蓮が氏名不詳(「名字不同」)という議論をしているわけではない。日蓮は「教主釈尊」という名称を多用し、必要な場合は「久遠実成の釈迦如来」「久遠実成の円仏」「久成の円仏」(『守護国家論』)「久遠実成の釈迦仏」(『報恩抄』)「久遠実成実修実証の仏」(『一代五時鶏図』)「法華経本門久成の釈尊」(『曾谷入道殿許御書』)「久成如来」(『頼基陳状』)と呼んでいる。これらの表現は多少のバリエイションがあるが、同一の仏を指していることは文脈上から確定している。(日蓮正宗系のみが特殊な解釈しているが、このことはここでは論じない。)

9-2 日輝の人本尊論のテキスト問題

 日輝は『三大秘法抄』の「本有無作三身の、教主釈尊」という表現と、『御義口伝』の「無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」という表現から、久遠実成釈尊の名称が「南無妙法蓮華経」であるという議論をするが、『御義口伝』を使用して、日蓮個人の思想を究明しようとする学者は現在では皆無であると思われるし、『三大秘法抄』についても、使用を差し控える学者が大多数であると思われる。
 また、日輝は『観心本尊抄』の本尊段の「塔中の妙法蓮華経」と、その後の文の「寿量品の仏」「此の仏像」を同一視し、日蓮は曼荼羅の中央の「南無妙法蓮華経」を指して、「寿量品の仏」「仏像」と呼んでいるという議論をしているが、多くの学者は本尊段の表現は曼荼羅本尊について記述しており、後文の「寿量品の仏」「此の仏像」は寿量品の教主釈尊の仏像について記述していて、別の対象に言及していると読解、解釈している。
 さらに日輝は、「報恩抄、開目抄、四菩薩造立抄、三大秘法抄等の、諸の軽からざる大切の御書に、仏を本尊と定め給えり」と述べて、『報恩抄』『開目抄』『四菩薩造立抄』『三大秘法抄』などが仏を本尊とすると述べていることを指摘するが、『報恩抄』は「教主釈尊を本尊とすべし」という仏本尊論が明記されているが、同時に「所謂」以下で曼荼羅本尊に言及しているとも解釈できるので、両論併記と考える学者が多い。『開目抄』は仏本尊論であるが、これは『観心本尊抄』の著作以前の書であるから、曼荼羅本尊への言及がないのは当然である。『四菩薩造立抄』『三大秘法抄』については日蓮真撰を疑う学者が多いので、これを論拠に日蓮個人の思想を議論するのは控えるべきであろう。このように検討してくれば、日輝の挙げる重要御書で、明白に仏本尊のみを本尊とする御書はないと言えよう。
 また日輝は、『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」という文の解釈に関して、「本門の教主釈尊」=「久成無作の本仏」=「体の仏」、「釈迦多宝以外の諸仏並びに上行等」=「脇士の仏菩薩」=「垂迹別相の用の仏」という議論を展開するが、「体の仏」「用の仏」という議論は『諸法実相抄』にしか見られず、初出が『日朝録外』であることを考慮に入れれば、この議論が日蓮個人の議論であるとは認められないだろう。

9-3 『日女御前御返事(御本尊相貌抄)』のテキスト問題

 次いで日輝は建治三年八月に係年される『日女御前御返事』を採りあげて議論するが、『日女御前御返事』も初出が『日朝録外』であり、文献学的信頼性に欠ける。確かに十界の衆生が「妙法五字の光明にてらされて、本有の尊形となる、是を本尊とは申すなり」と述べて、曼荼羅本尊の意義を説明している数少ない文献ではあるが、これを日蓮個人の思想であるとは認めるには困難がある。花野充道は前記「日蓮の本尊論と『日女御前御返事』」において、「八葉の心蓮華」「日女御前の御身の内心に宝塔品まします」という「心蓮華」、「宝塔」という「本有の尊形」と類似した思想を述べる、弘安元年六月に係年されるもう一つの『日女御前御返事』が真撰であることを根拠として、建治三年八月に係年される『日女御前御返事(御本尊相貌抄)』も真撰であることを論証しようとしている。しかし、「実相の深理本有の妙法蓮華経」という典拠不明の智顗、あるいは湛然の文を引用していること、最澄の「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」という文を引用しているが、この文は『御義口伝』に1か所のみ引用されるだけの文であり、日蓮の引用として適切かどうか疑われる文である。
 花野はこのように述べている。
 
 これは最澄の『秘密荘厳論』の文であると言われるが、この文以外には伝わっていない。年代的に見て、叡山における日蓮の学師(直接の師であったとは考えられないが)と推論される俊範の『一帖抄』にも、「山家大師釈して云く、一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり、と文。此の道理を以って、報身を以って正意と為すと習うなり」(天全九-四三)と説かれていることから、当時、この章句が伝教大師の釈として伝えられていたことがわかる」(p. 17)

 このことから、日蓮の引用である可能性を主張している。しかし、日蓮以後叡山に留学した三位日順の著作には「自受用身」という用語は偽撰とされる『本因妙口決』に四か所使用されているだけであり、「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」の引用はないから、日興門流にはこの引用がなかったと思われる。この点で、建治三年八月に係年される『日女御前御返事(御本尊相貌抄)』を日蓮真撰とするには問題があると思われる。

9-4 三大秘法の本門の本尊

 次に三大秘法を分けて論じるときには、本門の題目との混乱を避けるために、『報恩抄』のように「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と述べているのだという日輝の議論には説得力があると思われる。三大秘法に関する信頼のおける文献の表現を見れば、『法華行者逢難事』には次のようにある。
 
 天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう
 
 ここでは「本門の本尊」とあるだけで、具体的には述べていないが、「四菩薩」が並列して述べてあるから、教主釈尊の仏像であると考えられている。『法華取要抄』には次のようにある。
 
 問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり
 
 ここでは、「本門の本尊」について具体的に述べられていない。結局三大秘法の中の「本門の本尊」について具体的に述べているのは、『報恩抄』だけである。
 「本門の本尊」で検索してみると、『観心本尊抄』の次の文がヒットする。
 
 像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり
 
 ここでは、「事行の南無妙法蓮華経の五字」は唱題行を意味していると思われるが、「本門の本尊」がこの文脈で何を意味しているかは不明であるが、これに続く文で「四菩薩」造立を暗示しているとも読めるので、「寿量の仏」を意味していると考える学者が多いようだ。
 先に挙げた『法華取要抄』の文では「本門の本尊」が何を意味しているかは不明であるが、末文にこのようにある。
 
 是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か
 
 これをを読めば、広宣流布の時の三大秘法成就を念頭においていると思われるから、『観心本尊抄』の記述から推測すれば、広宣流布の時に建立される大寺院に安置される仏像とも解釈できよう。
 『顕仏未来記』に次のような文がある。
 
 爾りと雖も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり
 
 ここにおいて「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」とは指示対象が異なると読めば、「妙法蓮華経の五字」は唱題行であろうし、「本門の本尊」は広宣流布との関係で述べられているから仏像本尊とも解釈できる。あるいは「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」は同格、言い換えと読解すれば、「本門の本尊」は「妙法蓮華経の五字」の本尊、すなわち曼荼羅本尊と解釈されるだろう。
 この『顕仏未来記』の解釈問題に参考になるのが『法華行者逢難事』であるが、そこには次のような文がある。
 
 天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう
 
 この「本門の本尊」は「四菩薩」と並置されているから、仏像本尊とも解釈できる。少し後(『定』では前)の文にはこのようにある。
 
 秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云。 夫れ在世と滅後と正像二千年の間に法華経の行者・唯三人有り所謂仏と天台・伝教となり
 
 この文は、『顕仏未来記』の次の文を連想させる。
 
 伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く
 
 ここから、『顕仏未来記』は『法華行者逢難事』を踏まえて著述されたという推測も可能かもしれない。そうであるならば、『顕仏未来記』の「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」の部分は、『法華行者逢難事』の「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」の部分の簡略した表現であると解釈可能であろう。
 これらの検討を踏まえれば、「本門の本尊」は「教主釈尊」の仏像である可能性は高いが、その具体的な形態が、一尊四士なのか曼荼羅全体の木像化なのかは確定できない。
 
9-5 南無妙法蓮華経は仏の名前か、法の名前か
 
 日輝はこのように述べる。
 
 上来の文義を以て、題目の本尊が取りも直さず、寿量の教主久遠実成の釈尊なることを知るべし。然るに釈迦牟尼仏と書き給わざることは、用の迹仏に簡ばんが為なり。而も三大秘法を定め給う時は、久成釈尊と銘じ給う。是第二の本門の題目に簡ぶ為なり。故に名を立てるには仏と名づけ、体を顕すには首題を以てし給う
 
 しかし、「題目の本尊が取りも直さず、寿量の教主久遠実成の釈尊」であることは証明されていない。
 『報恩抄』には次のようにある。
 
 問うて云く法華経・一部・八巻・二十八品の中に何物か肝心なるや、答えて云く華厳経の肝心は大方広仏華厳経・阿含経の肝心は仏説中阿含経・大集経の肝心は大方等大集経・般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経・雙観経の肝心は仏説無量寿経・観経の肝心は仏説観無量寿経・阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経・涅槃経の肝心は大般涅槃経・かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目・其の経の肝心なり、大は大につけ小は小につけて題目をもつて肝心とす、大日経・金剛頂経・蘇悉地経等・亦復かくのごとし、仏も又かくのごとし大日如来・日月燈明仏・燃燈仏・大通仏・雲雷音王仏・是等の仏も又名の内に其の仏の種種の徳をそなへたり、今の法華経も亦もつて・かくのごとし、如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復・一切経の肝心・一切の諸仏・菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり
 
 ここには、「妙法蓮華経の五字」が「正法」であるという記述はあるが、それが仏の名であるという記述はない。
 『曾谷入道殿許御書』にもこのように述べられる。
 
 爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり
 
 ここでは、「妙法蓮華経の五字」が神力品の結要付属の「法」であることを示している。私には「妙法蓮華経の五字」を仏の名前として解釈しなければ理解できないような文を、信頼できる文献の中には発見できない。
 
9-6 曼荼羅と三大秘法の本尊としての教主釈尊との関係
 
 日輝はこのように問題提起する。
 
 今問うに、大曼荼羅と三秘の中の本尊と同じとせんや、異なるとんせんや。同じと云わば、何ぞ人本尊に非ずと云うや。若し異なると云わば、三秘中の第一たる本尊は何処にあるや。又大曼荼羅は三秘の外とせんや。又法は正意にして仏は傍意なりと云わば、三秘中には傍意を挙げ給うとせんや。又本尊抄に「地涌出現して、閻浮第一の本尊、此の国に立つべし」と云えり。閻浮第一の傍意の本尊を立て給うと云うべしや。又本尊抄報恩抄三秘抄等は正意を明かし給わずと云わんや(381)

 私の回答は「大曼荼羅」は「三秘の中の本尊」=「教主釈尊」を含むのであり、「教主釈尊」は釈尊一仏でも、一尊四士でも表現できるが、より完全には曼荼羅全体の木像化によって表現できると考える。さらに日蓮自身は「人本尊」「法本尊」という用語を使用していないし、この用語は曼荼羅本尊と釈尊本尊とを別のものであると考えることによって生じた誤解を生じさせる用語である。
 したがって「法は正意にして仏は傍意」というのは『本尊問答抄』の議論であるが、その『本尊問答抄』において次のようにある。
 
 問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。 問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり
 
 しかもその理由を次のように述べている。
 
 其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、問う其証拠如何、答う普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり」等云云、此等の経文仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり。

 しかしこのように「法勝仏劣」の思想を述べていながら、すぐ次の文で「然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」と木像、画像23の仏像の作成を想定した議論をしている。だから日蓮は『本尊問答抄』においても木画の仏像作成を禁止はしていないと解釈できるだろう。だから、「法華経の題目」と「釈迦」との勝劣の問題と、曼荼羅本尊と仏像本尊の勝劣問題とは直接には関係しない。なぜなら曼荼羅を手本にして木像化をするということもあるからだ。その場合、文字曼荼羅が木像化した曼荼羅より勝れているという議論を『本尊問答抄』の中に見出すのは困難である。言えることは文字曼荼羅であれ、木像化した曼荼羅であれ、「法華経の題目」(木像化した場合は題目宝塔)が「釈尊」より勝れているということだけである。また、日蓮は曼荼羅の中の「法華経の題目」と「釈迦」の勝劣について論じていると解釈可能であるが、曼荼羅自体が法本尊であるという明示はない。また、「法華経の題目」が「要法」=教法なのか「本法」=理法なのかという議論もない。
 『観心本尊抄』の本尊段における曼荼羅本尊を、日蓮は紙幅または絹地に漢字、梵字の文字曼荼羅で表現したが、それのみを曼荼羅本尊の表現様式として制限した記述はない。日蓮滅後、久遠寺で日向が絵師に絵曼荼羅を描かせたことを日興は記述しているが、その際に日向が羽目を外して醜態を晒したことを非難はしているが、絵曼荼羅の作成自体を非難してはいない。このことから、文字曼荼羅を画像、木像で表現することについて直弟子の間では一定の了解があったと思われる。それは当時の寺院の本尊が殆ど仏菩薩の木像、画像であったという文化的背景が大きいと考えられるし、日蓮自身もその文化的背景を容認していたと思われる。(もっともこのように日蓮の遺文を解釈したとしても、現在の文化状況において、曼荼羅の木像化を推進すべきかどうかは、別の議論になる。私は牧口常三郎が考えたように、木画の仏像は制作者の想像によるところが大きく、文化的制約が大きすぎるので、木像化がなくても、信仰が可能であれば、制作する必要はないと思っている。)
 最後に日輝は「報恩抄の明文と、我が祖出世の一大事を顕発し給いて、正像未有観心証道の随自意の語たる、本尊の抄に慇懃に開示し給える明文に隠れ無き、我が宗一同の本尊は、但是久遠の本仏、大曼荼羅の当体たる人本尊なりと知るべし」と述べるが、これは『報恩抄』『観心本尊抄』の日輝なりの読解の結論であり、別の読解も可能であることから、この結論は妥当性を持たないと私は見做している。
 
10 「心底の迷惑」の検討

 次に日輝は「心底の迷惑」について「仏は軽く法は重しと云うは、迹門諸経の文義なり。仏は重く法は軽きが、本門寿量の義旨なり」と述べて、爾前迹門は法重を強調するが、本門は仏重を強調するとする。日輝はその論拠として智顗の『法華文句』に「如来秘密神通之力」の注釈として、「佛於三世等有三身。於諸教中祕之不傳」とあることから、『法華経』以外の諸経には「寿量の三身を秘して説かず」と述べて、『法華経』本門寿量品の意義は仏が三身を具備していることを明かすことにあるとする。そして、日輝は寿量品の意義を説明した後で、寿量品で示された久遠実成無作三身が「所詮の体」であり、妙法五字は「能詮の名」に過ぎないという議論を展開し、「所詮人は軽く法は重しと謂うが元品の無明なり」と述べて、「人軽法重」思想を「元品の無明」とまで批判する。

10-1 智顗の『法華玄義』の理事

 智顗も日蓮も本門寿量品の意義を久遠実成釈尊の顕本に見ていることは明白であるが、智顗と日蓮では久遠実成釈尊の顕本の意義についての解釈は異なる。智顗は『法華玄義』の「本門の十妙」を説明するに先立って、「本迹」には「理事本迹」「「理教本迹」「教行本迹」「体用本迹」「実権本迹」「已今本迹」という六種類の意味があるという説明をする。智顗は久遠実成釈尊の顕本によって「已今本迹」を説明し、このように述べる。

 六約今已論本迹者。前來諸教已説事理。乃至權實者皆是迹也。今經所説久遠事理乃至權實者。皆名爲本。非今所明久遠之本。無以垂於已説之迹。非已説迹。豈顯今本。本迹雖殊不思議一也。文云。諸佛法久後要當説眞實。(六に今已に約して本迹を論ずとは、前來の諸教に已に事理、乃至、權實を説くは、皆な是れ迹なり。今經に説く所の久遠の事理、乃至、權實は、皆な名づけて本と爲す。今、明かす所の久遠の本に非ざれば、以て已説の迹を垂るること無し。已説の迹に非ざれば、豈に今の本を顯わさん。本迹は殊なりと雖も不思議一なり。文に云く、「諸佛の法は久しくして後、要ず當に眞實を説くべし」と。)(p. 684)

 久遠実成を説く法華経後半14品を本門とし、始成正覚に留まる前半14品を迹門とするのは、已今本迹(爾前迹門=「已」法華本門=「今」)という意味においてであることを明示する。
 しかし、六種類の本迹を明らかにする冒頭の部分で、「本者理本即是實相。一究竟道。迹者除諸法實相。其餘種種皆名爲迹。(本とは、理本なり。即ち是れ實相一究竟の道なり。迹とは、諸法の實相を除いて、其の餘の種種を皆な名づけて迹と為す)」(p. 682)と本迹の究極的な意味を明らかにし、「実相一究竟道」=「諸法実相」こそ「理」「本」であり、その他はすべて「迹」であるとする。そのうえで「理事本迹」について、このように述べる。
 
 一約理事明本迹者。從無住本立一切法。無住之理。即是本時實相眞諦也。一切法。即是本時森羅俗諦也。由實相眞本垂於俗迹。尋於俗迹即顯眞本。本迹雖殊不思議一也。故文云。觀一切法空如實相。但以因縁有從顛倒生云云。(一に理事に約して本迹を明かすとは、無住の本從り一切の法を立つ。無住の理は、即ち是れ本時の實相眞諦なり。一切の法は、即ち是れ本時の森羅俗諦なり。實相の眞本に由りて、俗迹を垂れ、俗迹を尋ねて、即ち眞本を顯わす。本迹は殊なりと雖も、不思議一なり。故に文に云く、「一切の法を觀ずるに、空如實相なり。但だ因縁を以て有り、顛倒從り生ずるのみ」(安樂行品第十四)と、云云)(p. 682)

 ここでは、「無住の本」「無住の理」を「本時の実相真諦」とし、それは迹門安楽行品の文の「空如実相」とも関係づけられているから、迹門方便品の十如実相=諸法実相との関連で理解され、方便品の諸法実相論が「本」「理」であり、それ以外の「森羅俗諦」は「迹」「事」であるとする。そのように考えれば、本門の久遠実成という「事」も「迹」であるとして、「理事本迹」から諸法実相論=「理」「本」と久遠実成論=「事」「迹」との関係を理解するという誤解が日蓮死後の一致派の議論に見られるが、これは後述するように湛然の「体用」論によっても強化された。
 
10-2 日蓮の理事の通常の解釈
 
 ところが、日蓮は理よりも事を重視し、智顗の「理事本迹」の考え、「理」=「本」が勝れ、「事」=「迹」が劣っているという考えを逆転させる。『観心本尊抄』には次のようにある。
 
 像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず
 
 ここでは、一念三千に「理具」と「事行」との区別を導入する。そして「理具」よりも「事行」が勝れているということを述べる。
 この考えはまた『治病大小権実違目』では、このように述べられている。
 
 法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応・勝応・報身・法身異れども始成の辺は同じきぞかし、今本門と迹門とは教主已に久始のかわりめ百歳のをきなと一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし

 ここでは、本門と迹門との相違を久遠実成に求め、「教主」=果、「弟子」=因、「土」=国土という久近本迹を基本にしながら、末尾においてこのように述べる。
 
 一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なり
 
 ここでは、智顗の一心三観という「一念三千の観法」=「理」=「迹門の一念三千」、日蓮の唱題行=「事」=「本門の一念三千」という対比を用いて、「事」=「本」=勝、「理」=「迹」=劣という智顗とは逆の考えを述べる。
 日蓮がなぜ理よりも事を重視したのか、その理由はよく分からない。しかし、先の『観心本尊抄』の部分の後にこのようにある。
 
 所詮円機有つて円時無き故なり。今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地?倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり。

 ここでは、南岳・天台等が出現した像法時代は法華経を理解する機根はあったが時が来ていなかったので迹門を中心に弘めたが、日蓮はこの社会の様相、すなわち従来は仏教的信仰の主体者とは言えなかった、文字を読めない、即ち経典を読めない(読誦できない)多くの人々が、法然の称名念仏思想に影響を受けて、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える「権実雑乱」の世相を見て、円時、つまり法華経、それも称名念仏に対抗しうる唱題行が弘まる時を感じたので、この妙法蓮華経を弘めるのであると述べている。つまり像法時代には、時間的、経済的に余裕のある一部の教育を受けた人々によってのみ可能であった、法華経に説かれる五種の妙行や『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』に説かれる一心三観の観念観法という修行方法でもよかったが、末法時代には、修行主体が大衆化し、文字の読めない人々にも修行可能な方法=事行が必要であることを日蓮が痛感したからだと思われる。
 また、『撰時抄』の冒頭にはこのようにある。
 
   夫れ仏法を学せん法は必ず先ず時をならうべし
 
  日蓮が「時」を何よりも重視したことは間違いない。
 あるいは『観心本尊抄』で、このように述べる。
 
 十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。

 「現証」重視という日蓮の発想が、理よりも事を重視する考えに導いたのか、あるいは、それは逆なのか、よく分からない。いずれにせよ、日蓮が本門=事、迹門=理とし、本門を重視したことは確かである。
 
10-3 『注法華経』の「本門の理」の議論
 
 しかしながら、最近布施義高が「『注法華経』『迹本理勝劣事』をめぐって」(『法華宗宗学研究所所報』第24輯)において、日蓮が本門の理を構想し、迹門の理より勝れているという考えを持っていたことを、『注法華経』に日蓮が書き入れた「迹本理勝劣事」(迹本の理の勝劣のこと)という標目に続く智顗、湛然らの著作からの一連の引用の考察によって示そうとしている。従来は本門=事、迹門=理という理解が主流であったが、布施は本門の理と迹門の理を対置するという新しい解釈方法の可能性を提示した。
 この指摘を受けて、『法華玄義』の「理事本迹」の記述を読むとこのようにある。
 
 無住之理。即是本時實相眞諦也。一切法。即是本時森羅俗諦也。(無住の理は、即ち是れ本時の實相眞諦なり。一切の法(諸法)は、即ち是れ本時の森羅俗諦なり。實相の眞本に由りて、俗迹を垂れ、俗迹を尋ねて、即ち眞本を顯わす。)(p. 682)
 
 ここでは、「無住の理」=「本時の実相」=「理」=「本」、「本時の諸法」=「事」=「迹」となっている。
 「無住」については『法華玄義』の「第2章 顕体」の「第7節 遍く一切の法の体と為す」にこのようにある。
 
 當知苦集世間善惡因果。道滅出世一切因果。悉用實相爲體。淨名曰。從無住本立一切法。此之謂乎。(當に知るべし。苦・集は世間の善惡の因果、道・滅は出世の一切の因果なり。悉く實相を用て體と爲す。『淨名』に曰く、「無住の本從り一切の法を立つ」。此の謂か)」(p. 888)
 
 「從無住本立一切法」でSATを検索すると、『維摩詰所説経』の次の文がヒットする。
 
 又問。顛倒想孰爲本。答曰。無住爲本。又問。無住孰爲本。答曰。無住則無本。文殊師利。從無住本立一切法(又た問う、顛倒の想は孰れを本と爲すや。答えて曰く、無住を本と爲す。又た問う、無住は孰れを本と爲すや。答えて曰く、無住は則ち本無し。文殊師利、無住の本從り一切の法を立つ)
 
 この文の後に天女が天華を降らして舎利弗をからかうエピソードが描かれるが、「無住」の意味はここだけではよく分からない。
 
10-4 智顗の『維摩経玄疏』の「理事」
 
 智顗の『維摩經玄疏』を「從無住本立一切法」で検索すると、「經説隨縁高下難測。是以今須辨本迹也。(經説は縁に隨いて高下測り難し。是を以て今須く本迹を辨うべきなり)」と述べて、『法華玄義』の六重の本迹の中の「已今本迹」を除いた五重の本迹について説明していて、その中の「理事本迹」について、このように述べている。
 
 一約理事明本迹者。此經云。從無住本立一切法。今明不思議理事爲本迹者。理即不思議眞諦之理爲本。事即不思議俗諦之事爲迹。由不思議眞諦之理本故有不思議俗諦之事迹。尋不思議俗諦之事迹得不思議眞諦之理本。是則本迹雖殊不思議一也。(一に理事に約して本迹を明かすとは、此の經に云く、「無住の本從り一切の法を立つ」と。今、不思議の理事を明かすを本迹と爲すとは、理は即ち不思議の眞諦の理を本と爲す。事は即ち不思議の俗諦の事を迹と爲す。不思議の眞諦の理本に由る故に、不思議の俗諦の事迹有り。不思議の俗諦の事迹を尋ねて、不思議の眞諦の理本を得る。是れ則ち本迹は殊なりと雖も、不思議一なり)。

 ここには、『法華玄義』の「理事本迹」と類似した文章がある。『法華玄義』で「無住の理は、即ち是れ本時の實相眞諦なり。一切の法は、即ち是れ本時の森羅俗諦なり」と述べている部分は、『維摩經玄疏』では「理は即ち不思議の眞諦の理を本と爲す。事は即ち不思議の俗諦の事を迹と爲す」と述べられて、『法華玄義』の「理」=「本」の特色が「本時の実相」にあることが理解できる。
 
10-5 『法華玄義』における「本時」の使用例
 
 「本時」で『法華玄義』を検索すると、多くの箇所がヒットするが、「(二) 本門の十妙」の「Ⅱ 本門の十妙を明かす」の「(1)略釈」にこのように使用されている。
 
 四本感應者。既已成果。即有本時所證二十五三昧。慈悲誓願機感相關。能即寂而照。故言本感應也(四に本感應とは、既に已に果を成ずれば、即ち本時に證する所の二十五三昧、慈悲・誓願、機感相い關かること有りて、能く寂に即して而も照らす。故に本感應と言うなり)(p. 688)
 
 七本眷屬者。本時説法所被之人也。如下方住者。彌勒不識即本之眷屬也(七に本眷屬とは、本時の説法被らしむ所の人なり。下方に住する者の、彌勒も識らざるが如きは、即ち本の眷屬なり)(p. 688)
 
 八本涅槃者。本時所證斷徳涅槃。亦是本時。應處同居方便二土。有縁既度。唱言入滅即本涅槃也(八に本涅槃とは、本時に證する所の斷徳涅槃なり。亦た是れ本時の應、同居・方便の二土に處して、縁有れば既に度し、唱えて滅に入ると言うは、即ち本涅槃なり)(p. 688)
 
 ところでこの「(1)略釈」には「本初」という類似した用語も使用されている。
 
 一略釋者。本因妙者。本初發菩提心。行菩薩道所修因也(一に略釋とは、本因妙とは、本初に菩提心を發して、菩薩の道を行じて、修する所の因なり)(p.686)、
 
 二明本果妙者。本初所行圓妙之因。契得究竟常樂我淨。乃是本果(二に本果妙を明かすとは、本初に行ずる所の圓妙の因もて、常樂我淨を契得し究竟するは、乃ち是れ本果なり)(p.687)
 
 ここでは、久遠実成釈尊が菩薩道を修行していた時期を「本初」と表現し、仏果を得て成道した時、あるいは説法した時を「本時」と表現しているようだ。
 「Ⅰ 本迹を釈す」においては「理教本迹」について別の説明をしている箇所ではこのようにある。
 
 若理教爲本迹者。指理爲本。攝得本初之境妙。指教爲迹。攝得本時之師教妙。兼得本師十妙(若し理教を本迹と爲さば、理を指して本と爲し、本初の境妙を攝得す。教を指して迹と爲し、本時の師の教妙を攝得し、兼ねて本師の十妙を得)(p. 685)
 
 ここでは、仏によって覚られる前の「理」=「本」を「本初の境妙」とし、覚られた後の「教」=「迹」を「本時の師の教妙」というように区別して使用している。
 このように『法華玄義』の議論を見ていくと、「理事本迹」で「理」「本」としているのは、久遠実成を説く前の迹門方便品の「諸法実相」ではなく、久遠実成を説いた本門寿量品の「本時の」「諸法実相」であることが分かる。しかし寿量品には「本時」の「諸法実相」という表現はない。この問題については後で詳論しよう。
 
10-6 日蓮は智顗の議論の「本迹不思議一」を意図的に省略し、本迹の理の勝劣を示す
 
 「本時」=「久遠実成の時」に注目して、日蓮の『注法華経』の「迹本理勝劣事」における『法華玄義』関係の引用を検討すると、最初に『法華玄義』の「Ⅱ 本門の十妙を明かす」の「(7)麁妙を判ず」の次の文を引用する。
 
 又若未發迹顯本者。但解迹中事理之麁妙。終不能解本中之事麁。況解本中之理妙。彌勒尚不達。何況餘人(又た、若し未だ發迹顯本せずば、但だ迹の中の事理の麁妙を解するのみにして、終に本の中の事麁を解すること能わず。況んや本中の理妙を解せん。彌勒すら尚お達せず。何に況んや餘人をや)(p. 723)
 
 ここでは、「本門の理妙」が「迹の中の事理の麁妙」や「本門の事麁」より勝れていることを指摘する。
 次いで湛然の『法華玄義釋籤』のこの文の注釈である次の文を引用する。
 
 若不先將迹門開顯。且判麁妙與本所證更無差別。如何得知迹中之妙不及本麁。以不約開顯待絶等判。但約久遠實成以論。故中間今日若麁若妙皆非先得。是故先得麁亦名妙。中間今日妙亦成麁(若し先に迹門の開顯を將て、且く麁妙を判じ、本の所證と更に差別無きに不ずんば、如何ぞ迹中の妙は本の麁に及ばざることを知るを得ん。開顯待絶等に約して判ぜざるを以て、但久遠實成に約して以て論ず。故に中間今日、若しは麁、若しは妙、皆先得に非ず。是の故に先得は麁も亦と妙名づく。中間今日は妙も亦麁と成る)」(富士学林『訓読法華玄義釈籤会本下』p. 265)
 
 ここでは「迹中之妙」=「中間今日の妙」が「本麁」より劣っていることは、「久遠實成」=「先得」という論点によって示されることが述べられている。
 ただし『法華玄義』の引用において、先の引用文の次下にはこのようにある。
 
 若發迹中之事理。即顯本中之事理。亦知由本中之事理。能垂迹中之事理。迹既由本則本妙迹麁既有本迹之殊。故言麁妙。妙理則非迹非本。不思議一也。理教教行體用權實已今等亦如是(若し迹の中の事理を發して、即ち本の中の事理を顯わさば、亦た本の中の事理に由りて、能く迹の中の事理を垂るることを知る。迹は既に本に由れば、則ち本は妙、迹は麁なり。既に本迹の殊なり有るが故に、麁妙と言う。妙理は則ち迹に非ず、本に非ず、不思議一なり。理教・教行・體用・權實・已今等も亦た是くの如し)。

 この「妙理則非迹非本。不思議一也」という一致派がよく使用するの部分は引用せず、本迹の麁妙、勝劣の部分のみを引用している。
 次に『法華玄義』の「Ⅱ 本門の十妙を明かす」の「(6)三世に約して料簡す」から次の文を引用する。
 
 問破十麁顯十妙。則無明惑盡一實理彰。今更破迹妙爲麁顯本爲妙。破何惑顯何理。答無明重數甚多。實相海深無量。如此破顯無咎(問う。十麁を破して十妙を顯わせば、則ち無明の惑盡き、一實の理彰わる。今、更に迹の妙を破して麁と爲し、本を顯わして妙と爲す。何れの惑を破して、何れの理を顯わさん。答う。無明の重數甚だ多し。實相の海は深く無量なり。此の如く破顯するに咎無し)(p.720)
 
 ここでは「實相の海」は深く、無量なので、迹門の妙(「一實の理」、その中には十如実相も含まれるだろう)を破して、本門の妙(「本時の実相」)を開顕する必要を述べたものと解釈できる。
 『法華玄義』のこの部分の記述は「已今本迹」の次の記述を受けた文である。
 
 若約已今論本迹者。指已爲迹。攝得釋迦寂滅道場已來十麁十妙。悉名爲迹。指今爲本。總遠攝最初本時諸麁諸妙。皆名爲本(若し已今に約して本迹を論ぜば、已を指して迹と為し、釋迦の寂滅道場より已來の十麁・十妙を攝得して、悉く名づけて迹と為す。今を指して本と為すに、總じて遠く最初本時の諸麁・諸妙を攝して、皆な名づけて本と為す)(p.684)
 
ここでは、「已」=爾前迹門の経、「今」=『法華経』本門を区別する「已今本迹」を日蓮が本迹論の中で重視していたことを示唆する。そして「最初本時の諸麁・諸妙を攝して、皆な名づけて本と為す」として、「本時」の重要性を指摘している箇所も含まれるのである。
 次に伝円珍記『玄義要略』の次の文を引用する。
 
 問。実相為体為性為修。答。迹門従性起修。以修証性為体。本門如来久証実相為体。故体即妙法。妙法即修性。修性即実相。実相即本迹通二門也(問う、実相を体とせんや、性とせんや、修とせんや。答う、迹門は性より修を起こし、修を以て性を証するを体となす。本門は如来の久証の実相を体となす。故に体は即ち妙法、妙法は即ち修性なり。修性は即ち実相、実相は即ち本迹二門に通ずるなり」(大黒喜道編著『訓下本 注法華経』p. 336)

 迹門の実相と本門の実相を比較して、本門では「如来久証」の「実相」を体とし、そこにおいては修性一体であるが、迹門の実相では修性が不即であることを指摘している。
 
10-7 湛然の『法華玄義釋籤』の迹門実相論の意図的な無視
 
 次に『法華玄義釋籤』の「長壽?是證體之用」が引用されるが、この引用の前後を含めて引用すれば、次のようである。
 
 迹門正意在顯實相。故以所顯之理與諸部文以辨同異。本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽?是證體之用未是親證實相體也。(迹門の正意は實相を顯すに在り。故に所顯の理を以て、諸部の文と以て同異を辨ず。本門の正意は壽の長遠を顯す。長遠永く異なるなり。故に用いて之に比す。實相は迹門に在って辨じ竟ると雖も、今須く同を辨ずべし。故に今但、實相同の邊を取るなり。長壽は?是れ體を證するの用なり。未だ是れ親しく實相の體を證せざるなり)(『訓読法華玄義釈籤会本上』p. 41)

 湛然の議論は迹門には実相があるが、本門には実相がなく、「長寿」=「久遠実成」は「体」すなわち迹門の実相を証明する「用」の役割しかないという議論であると誤解され易い。日蓮死後に迹門の実相論を「本」とみなし、本門の久遠実成を「用」とみなす「体用本迹」によって本迹一致を主張する人が多く見られたが、それは湛然の解釈に対するこのような誤解に影響されたからだと言えよう。
 ちなみに三位日順の『雑肝見聞』には、次のようにある。
 
 問て云く迹門正意在顕実相・本門正意顕寿長遠云云、然らば実相は迹門の高名と聞えたり如何、答て云く是れは且く機に趣いて諸法実相ぞと説きし事を迹門に明し・久成事を本門に云ふは是の如く釈するなり、本門が家の実相・迹門に浮びたるにてこそ有れ、そこにて云ひ出し玉ひし処を且く云ふ斗りなり。(『富要』2-110)

 本迹一致を主張する他門流において迹門の実相論を重視する見解があったことを示している。(また偽撰とされる『本因妙口決』にも、「迹門正意在顕実相」が引用されて「迹化の習として迹門正意在顕実相と談し中道実相を法華の正体とす、 実相は一経に通ずと雖ども方便品を所依と為す」と述べられている。)(『富要』2-80)いる。)
 ところで、『法華玄義釋籤』の「長壽?是證體之用」は『法華玄義』の「第一部 七番共解」の「第1章 標章」の「第2節 弁体」の次の文の注釈である。
 
 出世法體亦復如是。善惡凡聖菩薩佛。一切不出法性。正指實相以爲正體也。故壽量品云。不如三界見於三界。非如非異。若三界人見三界爲異。二乘人見三界爲如。菩薩人見三界亦如亦異。佛見三界非如非異。雙照如異。今取佛所見爲實相正體也(出世の法體も亦復た是の如し。善惡、凡聖、菩薩、佛の一切は法性を出でず。正に實相を指して、以て正體と爲すなり。故に壽量品に云く、「三界の三界を見るが如からず、如に非ず、異に非ず」と。三界の人は三界を見て異と爲し、二乘の人は三界を見て如と爲し、菩薩の人は三界を見るに、亦如亦異にして、佛は三界を見るに、非如非異にして、雙べて如異を照らすが若し。今、佛の見る所を取りて、實相の正體と爲すなり)。(pp. 57-58)

 『法華玄義』においては寿量品の「不如三界見於三界。非如非異」の文を、「実相正体」とすると述べていることを受けて、「非如非異」という実相の正体は、方便品の十如実相と同じであり、それを証得したうえで、長寿という用、働きを得たのであり、長寿ということは他では説かれないから、『法華玄義釈懺』では「本門正意顯壽長遠」と述べたのであり、本門に実相がないということではない。
 ちなみに菅野博史の作成中の『法華玄義』の現代語訳を以下に記させていただく。
  
 出世間の法体もまた同様である。善悪、凡聖、菩薩、仏などのすべてのものは、法性を出ない。ちょうど実相を指して、正体とするのである。それゆえ、寿量品には「三界(欲界・色界・無色界の三種の世界で、衆生の輪廻する範囲)[の衆生]が三界を見るようではなく、[三界の事象がすべて]同一であるのでもなく、[たがいに]相違するのでもない」とある。三界の人は三界を[たがいに]相異するものと見なし、二乗の人は三界を同一であるものと見なし、菩薩の人は三界を同一でもあり相異するものでもあると見なし、仏は三界を同一であるものでもなく相異するものでもないと見なし、同一性と相異性のどちらにも光をあてるようなものである。今、仏の見る対象を実相の正体として取りあげる。
 
 そして、『法華玄義』のこの部分についての『法華玄義釈懺』の注釈は上述した部分よりも長く、その部分の議論を見なければ、湛然の議論の意図が分からない。その部分の全体を挙げる。
 
 次引同中二。先引壽量同。次引二論同。初文又二。出方便文以辨同。初文中云不如三界者不同三界人所見也。故三界人但見異相。二乘見如如即空也。佛菩薩可知。所以但引壽量不引他部者。他部已與迹實相同。故下文云。今經迹門與諸經有同有異。異謂兼帶。同邊不殊。故不須引。然下文云本門與諸經一向異。恐人疑云。若意異者體等應殊。故今引之令知不異。所言異者。所謂遠壽諸經永無故一向異。若爾本門亦有實相同邊何故不名有同有異。答。迹門正意在顯實相。故以所顯之理與諸部文以辨同異。本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽?是證體之用未是親證實相體也(次に同を引く中に二。先に寿量を引いて同じ、次に二論を引いて同ず。初めの文に又二。初めに寿量を引き、次に方便の文を出して以て同を弁ず。初めの文の中に、不如三界と云うは、三界の人の所見に同じからざるなり。故に三界の人は但異相を見る。二乗は如を見る。如は即ち空なり。仏菩薩は知るべし。但寿量を引いて他部を引かざる所以は、他部は已に迹の実相と同じ。故に下の文に云く、今の経の迹門と諸経と同有り異有り。異は謂く兼帯なり。同の辺は殊らず。故に須く引くべからざるなり。然るに下の文に云く、本門と諸経と一向に異なるなり。恐らくは人疑って云わん。若し意異ならば、体等も応に殊るべし。故に今之を引いて異ならざることを知らしむ。言う所の異とは、所謂、遠寿は諸経に永く無し、故に一向に異なるなり。若し爾らば本門も亦実相同の辺有り。何が故ぞ同有り異有りと名づけざるや。答う、迹門の正意は事相を顕すに在り。故に所顕の理を以て、諸部の文と以て同異を弁ず。本門の正意は寿の長遠を顕す。長遠永く異なるなり。故に用いて之に比す。実相は迹門に在って弁じ竟ると雖も、今須く同を弁ずべし。故に今但、実相同の辺を取るなり。長寿は祇是れ体を証するの用なり。未だ是れ親しく実相の体を証せざるなり)(『会本上』p. 41)
 
 菅野博史・松森秀行の作成中の『法華玄義釈籤』の現代語訳を以下に引用させていただく。
 
 次に同じ[趣旨の経論]を引用する[段]の中に二[段]がある。まず寿量[品]を引用して同じ[趣旨]とし、次に[『十地経論』と『中論』の]二つの論書を引用して同じ[趣旨]とする。最初の文に、さらにまた二段がある。最初に寿量[品]を引用し、次に方便[品]の文を提示して、同じ[趣旨であること]を弁別する。最初の文の中に「不如三界」(三界のようではなく)とあるのは、[欲界・色界・無色界の三種の世界は、]三界の人の見るものと同じではないのである。よって三界の人は[三界の]相異する様相だけを見る。二乗は[三界の]同一性を見る。同一性とはとりもなおさず空である。仏・菩薩は理解できるだろう。ただ寿量[品]だけを引用して他の部を引用しない理由は、他の部は迹[門]の実相と同じであるからである。よって[『法華玄義』の]以下の文に「今の『経』(『法華経』)の迹門と諸経とは同じ[内容]もあり、異なる[内容]もある」とある。異なる[内容]は[円教以外の教えを]兼ねたり、帯びたりすることをいうのである。同じ[内容]の立場は異ならない。よって、引用する必要が無い。しかしながら、[『法華玄義』の]以下の文に、「本門は諸経と全く異なる」とある。恐らく[ある]人は疑って、もし意義が異なるのであれば、体等も殊なるはずである、というだろう。よって、今、これを引用して異ならないことを知らせよう。「異」というのは、いわゆる[仏の]久遠の寿命(『遠寿』)は諸経にはずっとない。よって「全く異なる」。もしそうであれば、本門にもまた実相という同じ立場があるのに、なぜ「同じ[内容]もあり、異なる[内容]もある」と名づけないのか。答える。迹門の正しい意義は、実相をあらわすことにある。よってあらわされる理によって諸[経の]部の文と[その]相違点を弁別する。本門の正しい意義は、[仏の]寿命が長遠であることをあらわす[ことにある]。[仏の寿命が]長遠である[点]は、[諸経と]ずっと異なっているので、これと比較する。実相は迹門において弁別し終るけれども、今、[『法華経』と諸経との]同じ[内容]を弁別する必要があるので、今、ただ実相と云う同じ立場を取りあげるだけである。[仏の]長遠な寿命はただ体を証得した働きであるだけであり、まだ自分で実相の体を証得するのではないのである。

 この部分の後にはこのようにある。
 
 斯乃總二經之雙美。申兩論之同致。顯二家之懸會。明今經之正體也(斯れは乃ち二經の雙美を總べ、兩論の同致を申べ、二家の懸會を顯わし、今經の正體を明かすなり)(pp. 58-59)
 
 ここでは、「二經」即ち法華経迹門と本門の実相同、「両論」即ち『十地経論』と『中論』との実相同、「二家」すなわち「論家」と「天台家」の実相同を表現し、この「第2節 弁体」の末尾には次のように述べている。
 
 一切世間治生産業皆與實相不相違背一色一香無非中道(一切世間の治生産業は、皆な實相と相い違背せざるが如し。一色一香も中道に非ざること無し)(p.60)
 
 ここでは世法と仏法の実相同をも主張する。これらの智顗、湛然の議論では実相同を重視する議論が中心であるため、「本迹の理(実相)の勝劣」という日蓮の目論見は論証しにくいのであるが、日蓮はあえて実相同の部分を引用しないで、本門の独自性を表現する「長壽?是證體之用」のみを引用している。
 
10-8 本門の理=「事円」は迹門の理=「理円」よりも勝れていることを暗示
 
 次に日蓮は『法華玄義』の「私序王」の次の文を引用する。
 
 夫理絶偏圓。寄圓珠而談理。極非遠近。託寶所而論極。極會圓冥事理倶寂(夫れ理は偏圓を絶すれども、圓珠に寄せて理を談じ、極は遠近に非ざれども、寶所に託して極を論ず。極會し圓冥じて、事理倶に寂なり)(p. 38)
 
 さらに、それの注釈である『法華玄義釈籤』の次の文を引用する。
 
 理絶等者既開顯已絶偏圓名。爲形華嚴方等般若偏圓對明。往結法華絶待之縁今寄圓珠而譚絶理(理絶等とは既に開顯し已れば偏圓の名を絶す。華嚴・方等・般若に、偏圓對して明すことを形(たくら)べんが為なり。往(むかし)、法華の絶待の縁を結べり。今、圓珠に寄せて絶理を譚ず)(『会本上』p. 21)
 
 この二つの引用は迹門の「衣裏珠」の譬え、「寶所」「化城」の「遠近」が論じられており、本門の理と迹門の理の勝劣とは直接関係がない。布施は次のように述べて、引用の意図を推察する。
 
 けれども、絶言絶思の不可説絶待理が、如来の随自意不偏の《円珠》、円の因果に通徹する円体、名相に応じた可説の教理(円理)に託され表徴されることを彰示したもので、《迹本理勝劣》が有相可見の教体に約した所論であることを、摘録、強調する意図が存したと推される(「『注法華経』『迹本理勝劣事』をめぐって」p. 288)
 
 『注法華経』の「迹本理勝劣事」の最後の引用は、『法華玄義』の「序王」の次の文である。
 
   一期化導事理倶圓(一期の化導は、事理倶に圓かなり)(p. 36)
 
 と、それに対する注釈である『法華玄義釈籤』の次の注釈である。
 
 顯本爲事圓開權爲理圓。又化事已周名爲事圓。本迹理顯故云理圓(顯本を事圓と爲し、開權を理圓と爲す。又化事已に周きを名づけて事圓と爲し、本迹の理顯る故に理圓と云う)(『会本上』p.18)
 
 ここでは特に、迹門の「開権」顕実が「理円」であり、本門の開迹「顕本」が「事円」であると明記され、日蓮の引用意図としては、本門の「事円」は迹門の「理円」よりも勝れているということを暗示しようとしたと思われる。
 これらの引用によって、本門の「事円」、「如来久証実相」、「本中の理妙」を、迹門の「理円」、「迹の妙」と対置させるという日蓮の引用意図は明白である。智顗が本門の「事円」をどのように考えていたかは不明であるが、それが「本中の理妙」と等しければ、それは「本門の十妙」を指すと考えられる。智顗は「本門の十妙」を説明する場合、しばしば「本時」という言葉を使用しているが、これは「理事本迹」の「無住の理は、即ち是れ本時の實相眞諦なり」という文の「本時」と対応して、「本時の實相眞諦」が「本門の十妙」として提示されていると解釈することもできる。
 
10-9 本門の「事円」とは本因・本果・本国土を顕す「まことの一念三千」
 
 それでは、日蓮は本門の「事円」をどのように考えていたのであろうか。一つは『開目抄』の「まことの一念三千」の説示を「事円」の説示と解釈することが可能であろう。『開目抄』ではこのように述べる。
 
 華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり、此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。

 ここでは、「迹門の一念三千」「二乗作仏」と「まことの一念三千」「本門の久遠」とを対置している。本門に入って「発迹顕本」することにより、「始成正覚」=「四教の果」さらには「四教の因」を破り、「爾前迹門の十界の因果」を破り、「本門の十界の因果」を教示する。このことにより「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて」それにより「真の十界互具・百界千如・一念三千」が示されるとする。ここで「真の・・・一念三千」が「無始の仏界」「無始の九界」の「十界互具」によって示されるという「無始」という用語が突然出現することに注目すべきであろう。久遠実成という特定の時の成仏によって「無始」の「十界互具」が示されることが「真の・・・一念三千」を示すことになるのだという議論である。
 この『開目抄』では久遠実成という果位のできごと=「本果」を手掛かりに「真の・・・一念三千」の議論を展開するが、まだ「本因」「本国土」には言及していない。「本因」「本果」「本国土」を含む「真の・・・一念三千」は『観心本尊抄』の所謂「四十五字法体段」でこのように述べられる。
 
 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり
 
 ここでは「本時の娑婆世界」=「常住の浄土」=本国土、「仏」=本果、「所化」=本因が示され、しかもこの「己心の三千」は「既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」という一念三千の姿であり、それが「本時」という『法華玄義』で「本門の十妙」を説明する時にしばしば使用される言葉とともに示されている。
 「本時」で検索すると信頼できる御書では『小乗小仏要文』に『法華玄義』の「六 本説法妙」の引用と、「三 本国土妙」の引用があるだけである。これだけ使用頻度の少ない「本時」という用語が『観心本尊抄』の重要な箇所で使用されるということは、その箇所が『法華玄義』の「本時」の使用例を踏まえているからだと言えよう。智顗が『法華玄義』の「理事本迹」で「無住の理は、即ち是れ本時の實相眞諦なり」と述べた「本時の實相眞諦」は何かということを、日蓮は「已今本迹」を手掛かりに、「本門如来久証実相」(伝円珍記『玄義要略』)に見て、『観心本尊抄』の「四十五字法体段」でその実相=「本門の事円」=「本門の妙理」を示したと解釈することができる。
 以上、長々と本門の理と迹門の理の勝劣について論じてきたのは、本門寿量品が何ゆえにすぐれているかということの考察に必要だからだ。本門の特徴を久遠実成の仏の顕本と見ることには誰も異存がないであろうが、それがどのような意味を持つのかはさまざまな解釈がありうる。湛然の『法華玄義釈籤』においては「迹門正意在顯實相。・・・本門正意顯壽長遠。・・・長壽?是證體之用。未是親證實相體也」と述べられ、「実相」は迹門方便品の「十如実相」にあり、寿量品の久遠実成はその十如実相という「体」を示すための「用」に過ぎず、久遠実成には「実相」がないという誤解を生み出し、それが一致派教学に影響を与えたことは明らかであり、日輝も寿量品の意義は久遠実成釈尊が「三身」具備であることを示すことに在り、そのことを示す寿量品の文は「如来秘密神通之力」だという議論を展開している。
 
10-10 「如来秘密神通之力」の使用
 
 ところで、「如来秘密神通之力」で御書検索をかけると、日向、日進作の『金綱集』に類文があり、多少の信頼性がある『真言見聞』に引用されているだけであり、その他には、『御義口伝』『御講聞書』『百六箇抄』『三大秘法抄』『草木成仏』『諸法実相抄』とかなりの発展形態の本覚思想を示す、信頼のおけない御書ばかりである。つまり日蓮は寿量品の「如来秘密神通之力」を重視しなかったのであり、ここに寿量品の特徴を見出そうとする日輝は日蓮思想を正しく理解していないということになる。
 「如来秘密神通之力」は、日蓮滅後に久遠実成釈尊を「久遠実成実修実証の仏」(『一代五時鶏図』)ではなく、「無作三身」と解釈する傾向が強くなり、それを示す寿量品の文を探す過程で発見された文であり、日蓮思想にはなかった文であると言えよう。そして、この傾向は『三大秘法抄』の古写本を作成した慶林日隆、それと同時代の大石寺9世日有の議論にはっきりと示されている。
 それ以前の、例えば、三位日順の『本門心底抄』にはこのようにある。
 
 亦同品に如来秘密神通之力等と示す、秘密の二字は一身即三身名為秘・三身即一身名為密と釈成す、能化の教主已に是れ三身即一の如来なり、所説の法門寧ろ三学即一の妙戒に非ずや(『富要』2-35)
 
 ここでは、『法華文句』の注釈を使用しているだけで、特に深い意味を見出してはいない。
 日順はまた『従開山伝日順法門』において「無作三身」についてこのように述べている。
 
 私に云く無作三身と云ふ事・土岐(富木)には煩悩苦の三道にて授らるなり、迷即三道の流転・悟即果中の勝用と云ふ釈にて意を得べきなり、只法躰自爾にして三謗融妙にして已と現する所を軈て其まま相応するを以て無作の三身とは申すなり、地躰無作と云ふ重には三身と云うべきも無きを爾前迹門の有作の三身に対して無作三身と云ふ文なり、又此三身とは十界の三身と口伝するなり、仏界は法身中諦なり、六道と菩薩界は仮諦なり、二乗は応身空諦なり、迹門の三身は法身は中・報身は空・応身は仮なり(『富要』2-96)

 もしこのテキストが日興の講義を基にしたテキストであれば、日興の段階で「無作三身」が使用されているということになるが、「地躰無作」「十界の三身」「口伝」という用語が日興の教示であることを疑わせるし、何よりも「私に云く」とあって、日興の教えではないとしているので、日興の代には「無作三身」の議論は表立ってはされていなかったと思われる。
 また「土岐には煩悩苦の三道にて授らるなり、迷即三道の流転・悟即果中の勝用と云ふ釈にて意を得べきなり」の部分は冨木常忍に与えられた『始聞仏乗義』の次に引用する議論が「無作三身」を示していると日順は解釈している。
 
 種の一字に二あり、一には就類種二には相対種なり、其の就類種とは釈に云く「凡そ心有る者は是れ正因の種なり随つて一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手は是れ縁因の種なり」等云云、其の相対種とは煩悩と業と苦との三道・其の当体を押えて法身と般若と解脱と称する是なり、其の中に就類種の一法は宗は法華経に有りと雖も少分又爾前の経経にも通ず、妙楽云く「別教は唯就類の種有つて而も相対無し」と云云、此の釈の別教と云うは本の別教には非ず爾前の円或は他師の円なり、又法華経の迹門の中・供養舎利已下二十余行の法門も大体就類種の開会なり、問う其の相対種の心如何、答う止観に云く「云何なるか聞円法なる生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱なりと聞くなり三の名有りと雖も而も三の体無し是れ一体なりと雖も而も三の名を立つ是の三即ち一相にして其れ実に異有ること無し、法身究竟すれば般若も解脱も亦究竟なり般若清浄なれば余亦清浄なり解脱自在なれば余亦自在なり一切の法を聞くこと亦是の如し皆仏法を具して減少する所無し是を聞円と名く」等云云、此の釈は即ち相対種の手本なり其の意如何、答う生死とは我等が苦果の依身なり所謂五陰・十二入・十八界なり煩悩とは見思・塵沙・無明の三惑なり結業とは五逆・十悪・四重等なり、法身とは法身如来・般若とは報身如来・解脱とは応身如来なり我等衆生無始曠劫より已来此の三道を具足し今法華経に値つて三道即三徳となるなり。

 この『始聞仏乗義』の「相対種」の議論が「無作三身」を示していると日順は解釈しているが、日蓮自身はこの議論を「無作三身」とは述べていない。この『従開山伝日順法門』は日順が叡山留学によって「無作三身」論を学び、それを日蓮のテキスト解釈に利用したことを示している。
 また、日順は上記引用箇所の後でこのように述べている。
   
 一、二乗成仏と無作三身と一と云ふ事如何、示して云く二乗成仏は迹門の理の成仏に名るなり、其理の成仏は竜女の歎仏の偈を釈するに智法身に称ふ故に深達と名づくと云つて是即二乗成仏の理成の明証なり、擬宜誘引・弾呵淘汰の座席を経て従因至果迹門不変真如の理躰に相応する所を二乗成仏とは云ふなり、無作三身とは法門の従果向因の重なり、されば本迹両義に設たる重では二乗成仏と無作三身とは異るべし、本迹一致の筋・或は止観の重になればなり。

 ここでは、「従因至果」「迹門不変真如」「無作三身」「従果向因」「本迹一致」「止観の重」などという日蓮の代にはされなかった議論がされるようになったことを示している。
 日蓮の御書の中である程度信頼のおける孫弟子日代の写本がある『諸宗問答抄』に次のように「無作三身」が引用されている。
 
 本朝の根本大師の御釈に云く「有為の報仏は夢中の権果・無作の三身は覚前の実仏」と釈して阿弥陀仏等の有為無常の仏をば大にいましめ捨てをかれ候なり」
 
 この引用が日蓮自身の引用であるかどうかは、疑問の余地がある。阿弥陀仏批判を無作三身論と関係づけて議論している御書はこれだけであり、しかも日代は日順の講義を受けていたので、この議論が日順の「無作三身」論に影響された可能性もある。
 あるいは日道の『御伝土代』にも次のように、久遠実成釈尊が「無作三身」であることを示した文がある。
 
 本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧祇劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍成数の本仏なり(『富要』5-11)
 
 日道も日順と同時代人である。
 このように孫弟子の間では「無作三身」論はしばしば見られる表現になるが、まだ「如来秘密神通之力」を無作三身と関係づけた議論は見られない。
 これに対して「我実成仏已来」は『開目抄』『観心本尊抄』の重要な箇所で引用され、『守護国家論』『真間釈迦仏御供養逐状』『小乗小仏要文』らの信頼のおける御書にも引用されている。特に『真間釈迦仏御供養逐状』にはこのように述べられる。
 
 釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや、「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり
 
 ここでは、富木常忍による釈迦仏造立を「己心の一念三千の仏」の造立とまで評価している。日輝は「我実成仏已来」を『本尊略弁』の中では1か所しか引用せず、重視していない。
 
10-11 日蓮は不軽菩薩の礼拝行を、人本尊信仰の根拠としているわけではない
 
 次に日輝は不軽菩薩の事例を挙げて、このように述べている。
 
 故に常不軽は四衆を礼して本尊とせり。常不軽の三字は本門精要の妙旨なり。良に凡夫の情に従うが故に、法を貴んで人を軽くするなり。無始の本仏、悟達の聖人は、法よりも人の尊重なることを通達知見するなり(382)
 
 そして、不軽菩薩も法ではなく、人を本尊としたと主張する。
 しかし、「不軽」「礼拝」で検索すると『御義口伝』を除けば、「日朝録外」が初出の『松野殿御返事』の次の箇所しかヒットしない。
 
 此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し、過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや、此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり、或は「若実若不実」とも説かれたり、之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり。

 ここでは「一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし」を論拠にして礼拝行をしたという説明になっている。
 『崇峻天皇御書』の次の末尾の文はよく知られているようだ。
 
 一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ
 
 しかし、その御書の始めの部分には「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には『我深く汝等を敬う』涅槃経には『一切衆生悉く仏性有り』」と述べて、その後の箇所で「殿は一定・腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ」と述べて、四条金吾が怒りっぽく、それが言動に現れることを訓戒し、「いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」などと、さまざまな用心を細かく指導したうえで、「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」と述べた後で、上記の末尾の文に至る。だから末尾の文は単純に不軽菩薩の礼拝行を讃嘆した文ではなく、迫害を賢く避けるための言動の必要性を強調した文である。
 日蓮は不軽品を勧持品と並べて論じ、法華経布教の故の迫害を強調するが、信仰者の不用意な言動による迫害の惹起を諌めてもいるのであり、日輝のように不軽菩薩の礼拝行を、人本尊信仰の根拠としているわけではない。
 
10-12 法仏関係と「南無妙法蓮華経」の対象問題
 
 次に日輝は法と仏の原理的関係について、
 
 仏が久遠より常住なれば、此の法も貴きなり。久遠の法を主宰し受用し説示する久遠の本仏なり。所詮法と云うは仏の徳なり。本を悟らずして末を貴むは、権迹の方便なり。根本の尊体を悟るが本門の開悟なり。故に本門は証道の実義、成仏の直旨、立教の本意なり。人は万法の精霊、天地の宗主なり、法界の根元なりと悟るが、成仏の実義なり。故に仏有っての法なり。人有っての教行理なりと悟るが法華の宗趣なり。是を知らずんば、永く本尊を知ること能わず。是を悟らずんば永く成仏すべからず(383)

 「久遠の法を主宰し受用し説示する久遠の本仏なり」「仏有っての法なり」という議論の久遠実成釈尊の証悟した実相において久遠の法を見るという論点は、『観心本尊抄』の「四十五字法体段」の趣旨とも適合すると思われる。
 日蓮はこのように述べている。
 
 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり
 
 ここでは、本国土である「娑婆世界」が「常住の浄土」であり、仏が「既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」、無始無終であることを述べているが、このような実相は「本時」という久遠実成の釈尊の覚りにおいて、覚られる世界であり、それが「己心の三千具足」という表現によって示される。この「己心」は久遠実成釈尊の「己心」であることを第一義とするが、「所化以て同体なり」の表現によって、久遠実成の釈尊によって化導される衆生の「己心」でもありうる。その意味で日輝が「仏有っての法なり」と言うのは、日蓮の法仏思想の一面を正確に述べていると言える。
 しかしながら、『観心本尊抄』ではその法体段に続いて次のように述べる。
 
 此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う
 
 ここでは、その本門の実相、法体の「肝心」として「南無妙法蓮華経の五字」を示し、それを結要付属したことを述べている。
 日輝は「南無妙法蓮華経の五字」を本尊としての仏の名称だと主張するが、『観心本尊抄』では、それに続けてこのように述べる。
 
 其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る。

 ここでは、後に日蓮が文字曼荼羅として表現する本尊が示される。
 日輝はこの文字曼荼羅の中央の「南無妙法蓮華経の五字」を仏の名称として解釈するから、文字曼荼羅も無作三身の仏の姿を表現していると解釈する。既に指摘したように日蓮が「南無妙法蓮華経の五字」を仏の名称として使用した、信頼のおける御書は一つもない。
 日輝の主張に反し、結要付属された「南無妙法蓮華経の五字」が法の名称であることを示す文献はいくつかある。
 『観心本尊抄』には結要付属に関してこのように述べている。
 
 道暹云く「付属とは此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す何が故に爾る法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云
 
 道暹の引用文の中で、付嘱された妙法五字が「久成の法」であると述べている。それに続く文でこのように述べている。
 
 夫れ文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子・観音は西方無量寿仏の弟子・薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子・普賢菩薩は宝威仏の弟子なり一往釈尊の行化を扶けん為に娑婆世界に来入す又爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば末法の弘法に足らざる者か
 
 ここでは、文殊等の菩薩は「本法所持の人」でないから付属されなかったと述べて、付属される妙法五字が「本法」であることを示す。
 また、『曾谷入道殿許御書』にはこのようにある。
 
 爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり
 
 ここでは、結要付属された「妙法蓮華経の五字」が「所属の法」の法であることを明示している。
 
10-13 日輝の仏を本尊とする議論は成立しない
 
 次に日輝が仏を本とすることは「寿量顕本の了義経」によってであり、「迹門涅槃等の不了義経」によるのではないという議論は、既に述べたように、日輝は寿量品の「如来秘密神通之力」の文によって、仏を本尊とすることを主張したことを指すが、この議論は日蓮自身の「如来秘密神通之力」の積極的な引用が見られないことによって、日蓮の議論とは無関係であるが示されたと思われる。
 最後に日輝は法華経寿量品の経文を引用してこのように述べる。
 
 故に文に云く「我実成仏已来我常住在此説法教化」又云く「自我得仏来常説法教化」又云く「諸仏如来法皆如是」と。豈に仏は先に存し、法は後に在するに非ずや。仏は体にして法は用なるに非ずや。当に知るべし、仏は本にして法は末なり。本を明かすが故に本門の教とす。南無妙法蓮華経は無作三身の宝号なりとは祖文分明なり。故に知りぬ仏経祖判文義顕了なり。知るべし、本門の題目は因なり用なり。本門の本尊は果なり体なり。寿量品の御義に云く「無作三身の所作は何物ぞと云う時、南無妙法蓮華経なり」文。所作とは作用なり。体用分明なるに非ずや。故に知るべし、本仏は法の父母なり主なり。迹仏は法の子なり臣なり。今は本仏を本尊とす(384)

 「仏軽法重」という「心底の迷惑」に対して、「本仏は法の父母なり主なり。迹仏は法の子なり臣なり」という真逆の思想を展開するが、これは「南無妙法蓮華経は無作三身の宝号なり」という『御義口伝』の議論を根拠にしているが、今日においては、『御義口伝』を使用して、日蓮個人の思想を根拠づけることは、学問的なルールとしては認められていない。
 しかしながら、寿量品の経文を論拠に「豈に仏は先に存し、法は後に在するに非ずや。仏は体にして法は用なるに非ずや。当に知るべし、仏は本にして法は末なり」という議論は有効でありうる。ここにおいて法は仏の教法という意味で使用されており、結要付属された妙法五字も久遠実成釈尊の教法であるという見解が、日蓮自身の見解でもありうるからだ。
 しかし、問題は妙法五字が教法=要法か、理法=本法かということではない。現在議論の的となっているのは、一般的な法仏関係ではなく、本尊論との関わりにおける法仏関係であるからだ。少なくとも『観心本尊抄』では妙法五字は法として理解され、その法の本尊として曼荼羅が示されているということは論理的に明らかである。それに続く部分で「寿量の仏」「仏像」が論じられているが、曼荼羅の中に「寿量の仏」が勧請され、日蓮は仏像の造立をある程度積極的に認めていたのであるから、曼荼羅の中の「寿量の仏」が仏像化されることを期待していたのであり、それは単に「寿量の仏」一体のみならず、脇士の「四菩薩」も造立されることを想定していたが、日蓮にとってそれは曼荼羅が文字曼荼羅として表現されるか、木像(例えば久遠寺本堂の「立体曼荼羅」)によって表現されるかの相違に過ぎず、本尊としての曼荼羅の考えには何の影響も与えることはない。
 故に「第二に心底の迷惑を破するを言わば、夫れ仏は軽く法は重しと云うは、迹門諸経の文義なり。仏は重く法は軽きが、本門寿量の義旨なり」という日輝の議論は、日輝の挙げる論拠とは別に、日蓮自身の見解でもありうるが、それは本尊論とは直接関係しない。
 
11 「学問の迷惑」――その(1)「経文の迷惑」の検討
11-1 日輝の寿量品の引用の問題
 
 日輝は次のように述べる。
 
 第三に学問の迷惑を破するに、先ず経文の迷惑を破するを言わば、法師品に云く、「在在処処、若説若読若誦若書、若経巻所住之処、皆応起七宝塔、極令高広厳飾、不須復安舎利」文。文意は七宝の塔を起て、法華経を供養すべし。仏舎利を安置することを須いじとなり。然るに直ちに次の文に其の所以を釈して云く「所以者何、此中已有如来全身」文。文意は応身砕身の舎利を用いず。其の所以は法華経の中に法身全身の舎利之有る故なりと云うことなり。法華経所詮の理は法身なり。経文は法身の舎利なり。当に知るべし、文の表は法を供養する様なれども、意は如来の法身を供養する義なり(385)

 確かに法華経は教法であり、法華経で説かれる「理」を「法身」と解釈することは可能であり、「所以者何、此中已有如来全身」を理解しようとするときに「全身」を「法身」と解釈する日輝の議論に矛盾はない。
 また、日輝は次のようにも述べる。
 
 神力品も亦同意なり。文に云く「是中皆應起塔供養。所以者何。當知是處即是道場。諸佛於此得阿耨多羅三藐三菩提。諸佛於此轉于法輪。諸佛於此而般涅槃」文。法華経修行の当処、如来の三徳を成就し、又生処、得菩提、転法輪、入涅槃、四処道場の仏の功徳を具足するが故に、法華経並びに行者を供養すべしと云う意なり。縦い法は能生なり、仏は所生なる故に、法を供養すれば、自然に仏を供養するになる故、法を供養すれば別に仏を供養するに及ばずと云う文意にもせよ、法を供養すれば、自ら仏を供養するになると会釈する底意を推せば、本より仏を供養すべき者と云う意を含む。故に文の裏には仏を供養せよと云うことを含むなり(385)

 このことにもそれなりの説得力があると思われる。
 あるいは『守護国家論』にこのようにある。
 
 又云く「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写すること有らん者は当に知るべし是の人は即ち釈迦牟尼仏を見るなり仏口より此の経典を聞くが如し当に知るべし是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」(普賢菩薩勧発品)已上此の文を見るに法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり。

 このことから、法華経の供養がそのまま仏の供養になるのだという日輝の議論も全く根拠がないわけではないだろう。
 しかし、日輝が次のように述べていることに対しては疑問が生ずる。
 
 況や本門寿量品には、「広供養舎利」と云い、又「一心欲見仏」と云えり。十界三千の仏なる故に「広供養」と云い、衆機一同の供養なる故に「広供養」と云う大曼荼羅是なり。観心本尊の仏なる故に、「一心欲見仏」と云うなり。(外二十五 初 他受用一 二十五)況や良医の譬えは常住の本師久遠の父を見るを本意とせり。故に「咸使見之」の文を以て譬えを結せり。所詮「即成就仏身」が如来の本懐なる故なり。故に寿量品は直ちに本仏を本尊として供養せしむるなり。

 「一心欲見仏」の御書での引用は、『義浄房御書』の次の文に限られる。
 
 寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し
 
 『義浄房御書』は初見が1473年の日健写本であり、また内容的にも「一心欲見仏不自惜身命」によって「寿量品の事の一念三千の三大秘法」が根拠づけられるという議論は他に見られず、また「寿量品の事の一念三千の三大秘法」の用語は、類語が『諸法実相抄』の「本門寿量品の事の一念三千の法門」、『御義口伝』の「第廿五建立御本尊等の事 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」という文に「寿量品の事の三大秘法」があるだけであり、日蓮真撰とするには疑問が残る。
 「広供養舎利」に関しては日蓮の引用は全くない。だから寿量品は「常住の本師久遠の父を見るを本意とせり」という日輝の議論を認めたとしても、「寿量品は直ちに本仏を本尊として供養せしむるなり」という議論は、日蓮の御書の中にはない。
 また法師品、神力品の経文に関する日輝の議論はそれなりに説得力を有すると思われるが、日蓮自身の引用意図は、日輝の議論とは別である。
 
11-2 日蓮の法師品の引用目的 
 
 日蓮初期の著作である『唱法華題目抄』には次のようにある。
 
 問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。

 ここでは、法華経あるいは一遍首題の本尊に言及している。『月水御書』にもこのようにある。
 
 又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば日ごとにし候
 
 この文を「七つの文字を拝し」とは一遍首題の本尊に向かって一日3回、「南無一乗妙典」と1万遍唱題していたと読解できるかもしれない。今日現存している「今此三界」本尊は一遍首題本尊の流れを汲むのかもしれない。いずれにしても、法華経あるいは題目を本尊とするのは、具体的な経文を述べていないが、法師品、神力品であることを明示している。
 そして、『本尊問答抄』ではこのように述べている。
 
 問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す」等云云。

 法師品の引用は「法華経の題目を以て本尊と」することの論拠であり、仏を本尊とすることの論拠としては使用されていない。
 なお日輝はここでは論じていないが、『本尊問答抄』には『涅槃経』の経文も証拠として挙げられている。
 
 涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云
 
 この『涅槃経』の文はまた『乗明聖人御返事』にも引用されている。
 
 相州の鎌倉より青鳧二結甲州身延の嶺に送り遣わされ候い了んぬ、昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり、今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と、法華経の第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや。

 ここでは、『法華経』属累品の経文を引用して、経供養が仏供養よりも勝れていることを述べている。
 これらの日蓮の引用から、日蓮は仏供養よりも経供養を重視していたのであり、日蓮は仏を本尊とすることを積極的に認めていたが、「妙法五字」の本尊である曼荼羅本尊と比較した場合は、仏本尊は劣ると考えていたようだ。
 日輝は最後に次のように述べる。
 
 故に(寿量品の)御義口伝に「倶出靈鷲山」の文を大曼荼羅の依文とせり。亦是大曼荼羅は即ち是本仏なるの一証なり。故に本門寿量の本尊は迹門法師品に同じからず。直ちに仏を表として本尊を立つべき経文なり。当に知るべし、大曼荼羅は久遠の本仏、霊山虚空の衆僧と倶に「一心欲見仏」の行者の前に出現し給えるの相なり(387)
 
 ここでは、『御義口伝』の記述を論拠に、曼荼羅本尊は本仏を顕していると日輝は言う。
 さらに日輝は次のように主張する。
 
 故に本門寿量の本尊は迹門法師品に同じからず。直ちに仏を表として本尊を立つべき経文なり(387)
 
 日輝は「本門寿量品の本尊」と「迹門法師品の本尊」とは異なると主張するが、『御義口伝』は論拠にならないから、この議論も無効である。
 
12 学問の迷惑」――その(2)「祖判の迷惑」の検討
12-1 日輝の「私の義に非ず」を「随他意」と読む無理な読解

 日輝は『本尊問答抄』の冒頭に続く論証の部分についてこのように述べている。

 「問うて云く、何の経文、何の人師の釈にか出たるや」と問うて、答えに法師品起塔供養の文および涅槃経如来性品の「諸仏所師所謂法也」等の文を引く。次に天台法華三昧の文を引証とせり。又云く「是私の義に非ず。上に出す処の経文並びに天台大師の御釈を本とする計りなり」文。是則ち法体は題目を出し給えば、全く本門の本尊なりと雖も、引証は但だ迹の文を引きて本の文を引かず。又迹化の弘通を所依とせり。「私の義に非ず」とは随自意に非ざる意を含めり。迹門並びに天台の義に依るのみとは随他意の語未顕真実の趣なり(386-387)

 このように、『本尊問答抄』が「随他意」「未顕真実」であると主張する。
 だが、「私の義に非ず」を「随他意」であると読解するのは、かなり無理な読解である。この文が使用されるのは次の文脈の中である。

 疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり

 しかも上記の文の後にこのようにある。

 但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による、是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに 法華経を本尊とすべし、不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり

 「私の義にあらず」は日輝の言う「引証は但だ迹の文を引きて本の文を引かず。又迹化の弘通を所依とせり」ではあるが、「法華三昧を以て案ずるに 法華経を本尊とすべし、不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり」と述べて、「上に挙ぐる所の本尊」=「法華経の題目を本尊」とするという主張は、日蓮一人の主張ではなく、「釈迦・多宝・十方の諸仏」も賛成しているという文脈上の意味は明白である。

12-2 『本尊問答抄』で迹門を引用したのは本文寿量品に論証する経文がなかったから

 日蓮が迹門法師品、涅槃経如来性品を引用したのは、ここでは引用されなかった本門神力品の起塔供養の文を除けば、仏像ではなく経を本尊とすることを論証する経文がなかったからであり、本門寿量品を引用していないと批判するのは、ないものねだりであろう。日輝の言い分としては寿量品の「広供養舎利」「一心欲見仏」によって仏を本尊とするという議論は明白だとするのだが、これ等の文を使用して仏本尊を論証する議論は日蓮には見られないのだから、寿量品を使って本尊を論証するには文献的に信頼できない『御義口伝』を利用するしかないが、その議論は無効である。日蓮の迹門の文、涅槃経の文の引用を過小評価しようとする日輝の議論は最初から破綻している。
 日輝は『本尊問答抄』が「随他意」「未顕真実」であるという前提から出発するから、なぜそのような書を著したのかという理由についてこのように述べている。

 然る所以は、対告衆浄顕房、其の機未だ生しきが故に、但権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べ給うなり。然るに諸宗皆仏を以て本尊として、法本尊の例無きが故に、法華三昧を引き給うなり(387)

つまり対告衆の浄顕房の機根が「生しき」(未熟)であるからだと説明する。次いでこのように述べる。

 然るに又云く「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文に依れり。此は法華経の教主を本尊となす。法華経の行者の正意には非ず。上に挙げる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり」文。文に法華儀軌を会し給うことは浄顕房もとより真言の学者故に、彼人の疑いを遮し給うなり。法華行者の正意なりと宣うことは、題目の正体は本是寿量所顕の本仏なるが故なり。而も本仏なることを明かし給わざることは当機未熟の故なり。故に文中都て権実相対の法門のみなり。

 ここでは、「上に挙げる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり」という文について、「法華行者の正意なりと宣うことは、題目の正体は本是寿量所顕の本仏なるが故なり」であり、しかも直接「寿量所顕の本仏」を本尊とするよう教示しなかったのは、「当機未熟の故」であるとする。
 
12-3 望月歓厚『日蓮教学の研究』の本尊論への影響
 
 日輝のこの議論は、望月歓厚の『日蓮教学の研究』における本尊論にも影響を与え、望月はこのように述べている。
 
 本抄は古来粉粉の議論を重ねて対告は清澄の浄顕房義浄房等なるによって所論は権実相対の重に止まり、未熟の機である真言教徒に対して法本尊を示したるのみと会通するは『本尊略弁』である。然るに本抄に先立ち健治二年七月同じく清澄の大衆に示して、道善御房の墓前に一遍読み、その後は度々読み合わせよと教示された報恩抄の明瞭な仏本尊との相違を如何に解釈すべきか。同一授与者に二年後は全く反対な指示を与えたとは考えられないではないか。(pp. 156-157)

 さらに、曼荼羅が「守り」として授与されたことを述べた後で、再び『本尊問答抄』について、このように述べる。
 
 真言の徒が、聖人授与の曼荼羅に対して有つ疑問について、仏に対して妙法曼荼羅を強調した特殊の事情から、特に妙法本尊を主張した特定のもの(p. 164)
 
 普遍的に実体的に、特定の場合や特殊の意義に拘束されずに、本尊を説示した遺文と対比して、特定の個人を所対として授与した曼荼羅について説示されたものを選択取捨する理由が成立し得ないであろうか(p. 164)
 
 望月は、『本尊問答抄』は真言教徒に対する対機説法であり、無視することができると主張する。
 望月は『報恩抄』では「教主釈尊」を本尊とすることを明示しているから、その文を釈尊一仏、あるいは『観心本尊抄』の議論を参考にして、一尊四士と解釈し、曼荼羅の木像化を全く想定していないから、『本尊問答抄』が日蓮の本意を述べた「随自意」ではなく、真言教徒に対応した「随他意」の議論だという日輝の議論を継承していると見てよいだろう。
 
12-4 『本尊問答抄』は『報恩抄』に対する疑問に答える書

 だが、問題は『本尊問答抄』が、『報恩抄』を与えられ、「教主釈尊を本尊とすべし」と教示されながら、妙法五字が中央に書かれた曼荼羅本尊を同時に授与された浄顕房が、『報恩抄』の議論と曼荼羅本尊との関係はどうなっているかについて疑問を生じたことに対する回答の書が『本尊問答抄』の執筆意義であると見ることができるということを前提にして議論しなければならないということである。前にも引用したが『本尊問答抄』にはこのようにある。
 
 此は法華経の教主を本尊となす。法華経の行者の正意には非ず。上に挙げる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり
 
 この文は、『報恩抄』の「教主釈尊を本尊とすべし」という教示を念頭において、それを明確に否定しているという自覚が日蓮にあったと思われる。
 だから、日蓮はこのように述べる。

 何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや、答う彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす其の義あるべし、問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。 問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。

 駄目押しの議論をして、日蓮の主張は「仏と天台」と同じ主張なのだと述べている。
 『一代五時鶏図』で天台宗の本尊として「久遠実成実修実証の仏」を挙げ、「久成の三身―応身、報身、法身―無始無終」を述べて、天台宗の本尊が経以外にあることを知っていながら、『報恩抄』ではその仏を本尊とすることを教示したのにもかかわらず、敢えてその仏を本尊とすることを教示せず、経を本尊として教示したのは、曼荼羅本尊の意義を明確に教示する意図があったと思われる。
 そして、上記の文につづいて仏を本尊としない理由をつぎのように述べる。
 
 其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、問う其証拠如何、答う普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏は是に因つて五眼を具することを得たまえり仏の三種の身は方等より生ず是れ大法印にして涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田応供の中の最なり」等云云、此等の経文仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり。

 ここでは、「仏は所生・法華経は能生」という『涅槃経』如来性品と同趣旨の文を法華三部経のひとつである『普賢経』の中から探し出して、論拠とする。
 しかしながら、釈尊の仏像を本尊とすることを完全に否定しているわけではないことをこのように述べる。
 
 然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり
 
 仏像造立を、仏像の開眼供養の必要性を認めることによって、示している。
 望月は『本尊問答抄』が「特殊の事情」において作成された御書であることを強調するが、その特殊性の最大のものは「真言教徒」に対する教示ということにあるのではなく、『報恩抄』の「教主釈尊を本尊とすべし」という主張と曼荼羅本尊との関係を説明するということにあり、この事情を踏まえれば、逆に『報恩抄』の議論を『本尊問答抄』の趣旨に従って読み直すという作業が必要となるだろう。
 
12-5 『本尊問答抄』を基本にして『報恩抄』『観心本尊抄』を読み直すべき
 
 また、『本尊問答抄』の末尾の部分について、日輝はこのように述べる。
 
 上に法華三昧を引きながら「天台粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず」と宣う事は、通途の直ちに法華経を本尊とするに同じからず。寿量所顕の法体たる題目なる事を密かに示し給うなり。而も分明に寿量に依らず、又神力品をも引かざる事は、略略本化弘通の大法なる事を示して、其の実義は未だ宣い給わざる故なり。但迹仏に簡んで本門の本尊を示して、其の法体は還って未だ本仏なる事をば明かし給わざるなり(388)
 
 ここで「寿量所顕の法体たる題目」とあるのは、『本尊問答抄』の前半では「釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり」と述べて、智顗が法華経を本尊とすることを教示していたと明白に述べていたのに、ここでは「天台粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず」とそれとは矛盾したことを述べているのは、曼荼羅が単に「法華経の題目」を本尊としているのではなく、「寿量所顕の法体たる題目」すなわち久遠実成無作三身の釈尊を本尊とすることを暗示しているのであり、その「法体」が「本仏」であることを明示していないことを示していると日輝は解釈する。
 だが、既に述べたように妙法五字の題目が「寿量所顕」の久遠実成無作三身を指すという議論自体が成立していないのであるから、この日輝の議論も無効である。「天台粗知ろしめして、聊か弘めさせ給わず」の部分は、「まことの一念三千」について「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」という部分と対応して、本因、本果、本国土について『法華玄義』で明瞭に述べながらも、それに基づいた「まことの一念三千」については説示せず、天台は「まことの一念三千」を論拠とした本尊を明示することがなかったということを日蓮は述べていると考えられる。
 日輝はまたこのように述べる。
 
 閻浮一同の三秘を掲示せる報恩抄と、正意分明なる寿量所顕の本尊を顕せる出世一大事の本尊抄に、人本尊を定め給う。二書の明文を以てこの書の未顕真実を照却せば、何の疑罔か有らん(388)
 
 『報恩抄』『観心本尊抄』が「人本尊」を明示し、『本尊問答抄』の「法本尊」の「未顕真実」を示しているとするが、『報恩抄』『観心本尊抄』が人本尊を示しているというのは日輝の解釈であり、それ以外の両論併記という解釈もありうるので、この結論は言えない。
 また、日輝はまたこのようにも述べる。
 
 但当書の本尊の題目、即ち報恩抄中の寿量の本仏なり。此の書は表に随いて、法に約し、彼は裏に随いて、真仏を點示し給う。法師品の文に含める、裏底の法身を開顕すれば、即ち久遠の本仏なり。当書迹文所依の法本尊を開するに、即ち彼書所顕の本仏、人本尊と成るなり(388)

 日輝は、法師品起塔供養の経文を経供養を勧めた文ではなく、経に内在する法身供養を勧めた文と解釈することによって、『本尊問答抄』の「法本尊」は『報恩抄』『観心本尊抄』の「人本尊」となると主張するが、起塔供養の日輝の解釈は日蓮の起塔供養の解釈とは異なっており、この議論も日蓮思想に関する議論としては無効である。
 日輝は最後に結論としてこのように述べる。
 
 凡そ諸文に仏を本尊とし、及び高祖伊東に感得し給える、御一代の本尊たる釈尊等は、皆久成の釈迦、寿量所顕の本仏なり。其の余の題目を本尊とするは、皆無作三身の宝号に約して、題目を挙げて本仏を顕すなり。其の余の脇士とする仏は釈迦多宝を始め、皆迹仏応仏なり。此の義を得て、往きて祖文を見れば、文として通ぜざる処なし。(釈迦多宝の脇士属不は、下に至りて弁ず)我宗の本尊、二種の別ありと謂うは、祖意に達せざるなり。豈に二種の所尊を立て、初心を迷惑せしむるの理あらんや。但聖語従容にして解し易からざることは、深く所以有るなり。具に下に弁ずべし。然るに不二なる故に首題に約して本仏を顕すのみ。而も法に則する仏を取りて、仏に即する法を取らず。此れ良に立教の深旨なり。必ず迷惑を生ずることなかれ。問答抄を弁じおわんぬ(389-390)

「久成の釈迦、寿量所顕の本仏」を本尊とするのが日蓮の本義であり、「題目を本尊とする」のは、「皆無作三身の宝号に約して、題目を挙げて本仏を顕す」のであり、両者は矛盾しないと主張するが、「無作三身の宝号」という議論は『御義口伝』の議論であり、信頼できる御書には妙法五字は「法」であることを明示していることとは矛盾しているので、この議論も無効である。
 日輝は追加の議論で、法本尊として曼荼羅本尊を明示した『本尊問答抄』の意義を5つ説明する中で、第4の理由としてこのように述べる。
 
 本尊抄報恩抄等にては、本尊の相貌、初心に分弁し難く、久成釈尊教主等の言に惑いて、其の正意を失わんことを恐れ、重ねて泛濫なき様に、問答料簡して重ねて分明に開示し給うなるべし(420)
 
 日輝は「本尊の相貌」は曼荼羅であると解釈しているが、『報恩抄』『観心本尊抄』では「教主釈尊を本尊とすべし」「寿量の仏」「此の仏像」とあり、釈尊一仏、一尊四士などの本尊形態を想定する誤解の可能性を防止するために、『本尊問答抄』では「法華経の題目」を本尊とすると教示することによって、曼荼羅を本尊とすることを明示しているのだと説明するが、現在の日蓮宗の本尊論は日輝が誤解として危惧した一尊四士の仏像を本尊とするという議論になっている。
 また、第5の理由としてこのように述べる。
 
 問答抄に専ら法師品に依り、法華三昧に准じて論じ給えるを見れば、天台大師迹門に依りて、一部を本尊とし給えるに対して、宗義は本門の意に依り、根本法華本有常住の題目五字を本尊と定め給う意もあるべし。此の義は本迹相対の意なり(420)
 
 日輝は、迹門の本尊は法華経一部を本尊とするが、本門の本尊は「根本法華本有常住の題目五字」を本尊とするという本迹相対の意義があると説明する。
 また、この議論を受けてこのように述べる。
 
 法師品涅槃経普賢経等を引き、寿量品を引き給わざることは、顕了なる文に依りて便宜に従うなるべし。法華三昧天台大師に依拠し給うことは、他宗に対して先例を強くし、法本尊を専らにせんが為なり(420)
 
 日輝が「寿量品」を引用して本尊を論じているとする場合の、寿量品の経文は「広供養舎利」「一心欲見仏」「倶出霊鷲山」などであるが、日蓮の信頼できる御書ではこれらの経文を使用して本尊を論じている箇所はない。日蓮が「法師品涅槃経普賢経」を引用して本尊を論じているのは、その他に引用できる経文がなかったからであり、決して迹門の本尊を明かすために故意に引用を制限していたわけではない。
 日輝はまたこのようにも述べる。
 
 本尊抄報恩抄等は義を顕すを正意として、人本尊を立て給うなり。問答抄は形態を正意として其の義を論じ給わざるなり。就中、本尊抄は文義意倶に備えて、名相体顕然なれども、初心には其の旨を得難き故に、問答抄には一向に義趣を論ぜず、唯法華の行者の正意とのみ云い給うなり。予が人本尊を主張するは、祖師の本意を顕し、其の実体を開示せんが為なり(420)

 日輝は「本尊抄は文義意倶に備えて、名相体顕然なれども、初心には其の旨を得難」いから、『本尊問答抄』では形態を明示しているという議論をしているが、『観心本尊抄』でも曼荼羅本尊の相貌は明示しているのであり、それを無視して、『観心本尊抄』は「人本尊」を教示していると解釈するのは、偏向した解釈である。
 『本尊問答抄』と『報恩抄』『観心本尊抄』とを対立的に見ないという日輝の態度は評価できるが、『報恩抄』『観心本尊抄』が「人本尊」を教示していると一面的に解釈すれば、あとは『本尊問答抄』を人本尊の観点から解釈し直すという作業しか残らない。しかし、『報恩抄』『観心本尊抄』が「人本尊」と「法本尊」の両論併記であることを確認し、『本尊問答抄』が『報恩抄』を踏まえて著述されたという制作事情を考慮に入れれば、『本尊問答抄』を基本にして『報恩抄』『観心本尊抄』を解釈するという作業の可能性も開けると思われる。
1 日蓮のテキストに関しては、SOKANETで検索できるものに関しては、出典を明示しない。
2 漢訳仏典の引用は、SATの原文をそのまま用い、句読点を修正しない。
3 以下、『法華経』の書下し文については創価学会版『妙法蓮華経並開結』[2002年版]を使用し、ページ番号のみを示す。
4以下『本尊略弁』の出典明示は『充洽園全集』第3巻のページ番号のみを記す.

5 早坂鳳城「『六巻抄』の構造と問題点(二) 『文底秘沈抄』本門の本尊編を通して」(日蓮宗現代宗教研究所編『教化学論集』2所収)による。
6 以下、『法華文句』『法華玄義』の書下し文は菅野博史『法華文句』『法華玄義』の訳注を使用し、そのページ番号のみを示す。 
7 『法華文句記』には「今謂有文有義常人用之。無文有義智人用之。有文無義暗者用之。無文無義迷者用之。故經云。依義不依語即此意也」とあるが、SAT検索によれば、『華嚴五教章匡眞鈔』に「妙樂云文義四句無文有義智者用之」とあり、「智人」を「智者」とする写本があったのかもしれない。なお犀角独歩の「日蓮墨筆を読む(535) 華厳五教章要文」に、日蓮真蹟遺文に『華嚴五教章匡眞鈔』の引用文があることを示している。
8 「外二十五 初」の注記は『義浄房御書』の「寿量品の自我偈に云く『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し」という記述を指す。 
9 なお『御義口伝』には、「第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事 御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。 又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」とあり、「倶出靈鷲山」を十界曼荼羅の依文としている。
10 文中の「略法華経」については、「天台大師智顗(ちぎ)の作と伝えられる『頂経偈』の偈頌(げじゅ)には、次のような文があります。 稽首妙法蓮華経 薩達磨分陀利伽 一秩八軸四七品 六万九千三八四 一一文文是真仏 真仏説法利衆生 衆生皆已成仏道 故我頂礼法華経」(日蓮宗廣榮山 蓮華寺のHP)とある。SATで検索しても愚中周及(1323-1409)の『大通禪師語録』の「法華經供養語」に「一一文文是眞佛。眞佛説法利衆生。衆生皆已成佛道。故我頂禮法華經」とあるのがヒットするだけで、「智顗」の作であるとは示されていない。もっとも『法蓮抄』(曽存)には「天台の云く『稽首妙法蓮華経一帙・八軸・四七品・六万九千三八四・一一文文・是真仏・真仏説法利衆生』等と書かれて候。」、『妙心尼御前御返事』(日興写本)に「天台大師の云く『一一文文是れ真仏なり』等云云」とあり、日蓮も智顗の作であると見なしていたようだ。
11 「報恩抄に云く『自受用身即一念三千』。本尊抄に云く『一念三千即自受用身』云云」とあるが、この文言は、『報恩抄』『観心本尊抄』にはない。日寛は『報恩抄』については、「問う、又云く『報恩抄下に云く、日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊と為すべし。所謂、宝塔の中の釈迦多宝以外の諸仏、並びに上行等の四菩薩は脇士と成るべし已上。此の文分明なり』云云。此の義、如何。答う、当山古来の御相伝に云く『本門の教主釈尊とは、蓮祖聖人の御事なり』云云。(中略)今謂く、御相伝に本門の教主釈尊とは、蓮祖聖人の御事なりと云うとは、今此の文意は自受用身即一念三千を釈する故なり」(『末法相応抄下』)と説明している。
また、『観心本尊抄』については、

一、其本尊の為体等文。(中略)問う、辰抄に云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅の大曼陀羅なり。即ち当文是れなり。別体の本尊に亦二義あり。一には人本尊。謂く、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文是なり。二には法の本尊。即ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。この義如何。答う、これはこれ文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い、但在世脱益・教相の本尊に執して以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずる能わず。恣に総体・別体の名目を立て、曲げて諸文を会し、宗祖の意を失うなり。当に知るべし、日辰所引の諸抄の意は、並びにこれ人法体一の本尊なり。人法体一なりと雖も、而も人法宛然なり。故に或は人即法の本尊に約し、或は法即人の本尊に約するなり。人即法の本尊とは即ちこれ自受用身即一念三千の大曼陀羅なり。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の『本門の本尊』、佐渡抄の『本門の本尊』の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり」(『観心本尊抄文段上』(『日寛上人文段集』p.501))

と述べて、『観心本尊抄』の「其本尊の為体」以下で曼荼羅本尊を説明している部分は、「自受用身即一念三千の大曼陀羅」「人即法の本尊」を示していると解釈している。『観心本尊抄文段』と『文底秘沈抄』では、「自受用身」と「一念三千」の順序が逆になっているが、これは、『文底秘沈抄』では、『観心本尊抄』の説明は一念三千を表にしているので、「本尊抄に云く『一念三千即自受用身』云云」と表現していて、『観心本尊抄文段』では「人即法の本尊」にあわせて「自受用身即一念三千」と表現していることによる。
12 優陀那日輝『妙宗本尊弁』
13 以下、牧口の引用は第三文明社の全集の巻数とページ番号のみを記す。
14 それは『観心本尊抄文段』に「人即法の本尊とは即ちこれ自受用身即一念三千の大曼陀羅なり。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の『本門の本尊』、佐渡抄の『本門の本尊』の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり」(p.501)とあるように「人即法の本尊」として「曼荼羅」を、「法即人の本尊」として日蓮御影を本尊とする事実上二種類の本尊を認める議論であった。その日寛の人法一箇論を修正して曼荼羅の「南無妙法蓮華経」=「法」、「日蓮」=「人」として、日蓮御影を人本尊から除外する議論を展開したのが堀日亨の『日蓮正宗綱要』であり、創価学会は日寛の人法一箇論ではなく、堀日亨の人法一箇論を継承している。
15 これは秋谷栄之助によれば、戸田の指摘を受けて、常在寺の本尊安置方式が、御影が前、曼荼羅が後ろに安置される御影堂方式から、日蓮御影、日興像を左右に配置し、中央に曼荼羅を安置する大講堂にみられる別体三宝の安置様式に変えるための一時的な撤去であったということである。
16 以下初見年代は小林正博の『初見年代一覧』による。
17 ここまでの部分を牧口は『尋問調書』で引用した。)
18 なお、「本尊論の再検討」という立正大学『現代宗教研究所所報』第1号(1967年)に掲載された興味深いシンポジウムの記録によれば、この時期においても、日蓮宗の「在家では、お仏壇にお祖師さまの像だけの所が多い。うしろにお曼荼羅をかけさせることをやっているのだが」「実際、祖師信仰の流れでやっているので、それを修正しなければならない、分からせるために、形から入ることが大切だと思う。」という発言が掲載されているが、祖師信仰は日蓮宗、日蓮正宗に共通していたと見ることができる。
19 「非如非異不如三界見於三界」は、智顗が『法華玄義』で、「佛見三界非如非異。雙照如異。今取佛所見爲實相正體也(佛は三界を見るに、非如非異にして、雙べて如異を照らす。今、佛の見る所を取りて、實相の正體と爲すなり)」とあるように、寿量品の「非如非異」という仏の見る所を実相と解釈した文であるとしている 。
20 「如来秘密神通之力」という文を重視するのは、日有、日隆写本がある『三大秘法抄』などの信頼のおけない文献である。
21 もっとも日順は『摧邪立正抄』において、「法華は諸経中の第一・富士は諸山中の第一なり、故に日興上人独り彼の山を卜して居し、爾前迹門の謗法を対治して法華本門の戒壇を建てんと欲し、本門の大漫荼羅を安置し奉つて当に南無妙法蓮華経と唱ふべしと、公家武家に奏聞を捧げて道俗男女に教訓せしむ、是れ即ち大聖の本懐御抄に分明なり」と述べて、日興の見解は富士山に「法華本門の戒壇」の戒壇を建立して、「本門の大漫荼羅」を安置するというものであり、曼荼羅を模して、仏像を造るということは言及されていない。ただ日興が本門戒壇の建立を主張したことは日興の資料から明らかであるが、その戒壇に曼荼羅を安置するように指示した明文はない。日興は複数の日蓮真筆本尊に「本門寺に懸け」「本門寺の重宝」という加筆をしているが、戒壇との関係は不明である。また、この文で「大聖の本懐御抄」とあるが、これが『観心本尊抄』を指すならば、「曼荼羅」安置は「分明」であるとは言えないだろう。
22 「富士大石寺一九世日舜」は後述するように誤り。
23日蓮の「画像」という言葉が、例えば絵曼荼羅のみを意味するのか、日蓮自身が図顕した文字曼荼羅をも含むのかは、不明である。
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