「この論文は1995年『創価大学創立二十五周年記念論文集』で発表され、1997年『牧口常三郎はカントを超えたか』(第三文明社)に収録され、次いで2001年『創価大学人文論集第13号』で英訳され、既にその英文は私のHPでも公開されているが、上記書籍を購入する余裕のない人や英文の理解に困難がある人のために、あらためてHPで発表する次第である。」 (2012.1.29 付加)
この小論で論じたいことは、現代においてある種の宗教的な信仰を持つということが、どのようなことであるのかを、ヴィトゲンシュタインの『確実性について』の宗教観を手がかりに、多少考察するということである。彼がガンで死ぬ直前まで執筆していた草稿は『確実性について』という著作として出版されており、文字どおり彼の絶筆となるのであるが、この草稿の中で彼は世界像の問題について、様々な形で検討している。
世界像とはある文化共同体の成員が持つ世界についての根本的な信念であり、その生活の行動様式に示されているものであると考えてよいだろう。その世界像の事例としてヴィトゲンシュタインは彼自身が持つ科学的な世界像の他に、カトリックの信者が持つ宗教的世界像、さらには未開人の宗教的ともいうべき世界像などを挙げている。
一方ではヴィトゲンシュタインはこの草稿の中で、これらの世界像の相違は根本的なものであり、相互に理解不可能であるかのような議論を展開している。もしこの議論が適切であるならば、科学的な世界像を持つ人々が宗教的世界像を伴う宗教的信仰を持つということがいかにして可能であるのかということに関して理解することが困難になる。
しかし他方ではヴィトゲンシュタインは自分と同じような科学的知識を持つ人も宗教的信仰を持つことも認めている。もしこの議論が適切であるなら、科学的知識とさまざまな世界像との関係は中立的なものであるということになる。彼自身はこの方向への議論を積極的には展開していないし、むしろこれを否定する前者の議論が強調されている。
私としてはヴィトゲンシュタインの議論の道具である言語ゲーム論を利用しながら、後者の議論の展開可能性について検討してみたい。その場合、科学的知識を持つということは「知る」という言語ゲームとして展開されるのに対して、宗教的世界像を持つということは「信じる」という言語ゲームとして展開されるという相違に注目したい。そしてそして「信じる」という言語ゲームにも、日常的な事柄を信じる「信念」という言語ゲームと宗教的な事柄を信じる「信仰」という言語ゲームには区別があると思われるが、その点も考察してみたい。
通常「信じる」ことは不完全な知識の状態を表し、「知る」ことより一段劣った状態であると考えられている。プラトンが不完全な知識であるドクサから完全な知識であるエピステーメーへの向上を考えたように(『国家』478c)、カントも『純粋理性批判』において、最広義の意味での信じることである「信憑 Fuerwahrhalten 」を、「憶見 Meinen 」「信念(信仰) Glauben 」「知ること Wissen 」の三つの段階に分け、信念は主観的には十分な信憑であり、私にとっての確信であるが、知ることは主観的にも、客観的にも十分な信憑であり、すべての人にとっての確実性を持つと述べる(Kant B850)。
信じることは知ることの不完全な状態であるという見解に対して、ヴィトゲンシュタインは異論を唱える。そのための議論の材料に使うのが、ムーアが「常識の擁護」という論文の中で展開している確実な知識の問題であった。ムーアは常識的世界観を構成しているいくつかの命題、例えば自分はある期間存続してきた身体を持っているという命題や、地球は自分が生まれる以前から存続していたという命題に関して確実な知識を持っていると主張した(G.E.Moore p. 33)。
ヴィトゲンシュタインは、ムーアが事例として挙げる「私はここに私の手があることを知っている。」という言明が奇妙な言明であることを、「そもそも生活において、ここに手があるということ(それも私自身の手があるということ)をことさらに確かめる場合があるだろうか」(§9)と述べて、日常生活では生じない言語ゲームであることを指摘し、「私は知っている」という言葉の誤用であると批判する(§6)。
ヴィトゲンシュタインは「『私はそれを知っている』は、しばしば、自分の言明を支持する適切な根拠を私が持っていることを意味する。」(§18)と述べて、ある言明に対して疑問が生じた場合には根拠を挙げる用意があることを宣言する言語ゲームとして使用されることを指摘する。ところが「ここに手がある」という命題は、むしろ「この場合疑いの余地はない」(§58)、「私は揺るがぬ確信を持っている」(§86)と言うことのできる命題であり、疑問が生じない命題であるから、「私は知っている」という表現は有意味に使用されない(§58)。
そのような命題は、探究の結果得られる知識ではなく、不動の確信として信じられている信念であり、そのような信念を基盤にして初めて疑問や探究が有意味に生じるのであり(§151)、この場合の信念を不完全な知識として考えることはできない。ヴィトゲンシュタインはこのような不動の確信としての信念を指摘し、知識と信念と関係についての通常の理解を逆転させる。
このヴィトゲンシュタインの指摘は、フッサールが生活世界の現象学的考察において、自然科学的知識の根底には、日常世界の不動の主観的信念が存在していることを指摘したことと同じ哲学的傾向を示しているとみることができる(Husserl §9)。
ヴィトゲンシュタインは知識を支える不動の確信となっている信念の存在を指摘したが、彼はそのような信念がバラバラに存在するのではないことを、「私の確信は一つの体系、一つの組織をなす」(§102)、あるいは「我々が何事かを信じるようになるとき、信じるのは個々の命題ではなく、命題の全体系である」(§141)と述べる。
そしてそのような不動の確信をなす諸信念を表現した諸命題の体系を彼は「世界像 Weltbild 」と呼び、「この世界像を記述する諸命題は、一種の神話の体系 Mythology に属するものといえよう。」(§95)と述べて、宗教との連関を示唆する。
ヴィトゲンシュタインは世界像が、知的探求の結果得られる科学的仮説とは異なることを、「私は世界像と言って仮説とは言わない。それは彼の探求の自明の前提であって、取り立てて言い表されることのないものだからである」(§167)と述べる。世界像の内容を構成する信念は「根拠のない」(§166)、「正当化」のない(§175)信念であり、むしろ「正当化」がそこで終わる信念、他の信念の「出発点」となっている(§209)信念なのである。彼は、世界像を構成する信念については真偽という言語ゲームが適用されず、むしろその上でそのような言語ゲームが支えられる「基体 Substrat 」(§162)であると主張する。
そしてそのような世界像がどのようにして獲得されるのかということについて、ヴィトゲンシュタインは、「私の世界像は、私がその正しさを納得したから私のものになったわけではない。……これは伝統として受け継いだ背景であり、私が真と偽を区別するのもこれに拠ってのことなのだ」(§94)、あるいは「それは我々にとって絶対に確かであるとは、一人一人がそれを確信するということだけではなく、科学と教育によって結ばれた一つの共同体に我々が属しているということなのだ」(§298)と述べて、ある文化的共同体の中で文化的訓練によって形成されることを指摘する。
彼は世界像が文化的共同体の中で形成されることを述べていたが、そうなると共同体が相違すると当然世界像も相違することになる。その世界像の相違の事例として彼は「人間はかって、王様は雨を降らせることができる、と判断した。それはあらゆる経験と矛盾する、と我々は言う。今日の人間は、飛行機やラジオなどが諸民族を結びつけ、文化を普及させる手段である、と判断している」(§132)と述べて、未開種族の人々の世界像が今日の人々の世界像とは相違していることを指摘する。
このような未開人と現代人の文化的共同体の相違は歴然としているから、その世界像の相違もある程度当然と見なされ得るだろう。
しかしながらヴィトゲンシュタインは同じ文化的共同体に属していると思われる人々の間にも異なった世界像があり得ることを指摘する。彼は「私は勿論、どんな人間にも両親があると信じている。だがカトリック信者は、イエスには母親しかなかったと信じている。また、ふた親なしに生まれる人間も存在すると信じて、一切の反証を受け付けない人もいるかもしれない。カトリック信者はまた、ただの餅でもある情況では全く本質を変えてしまうと信じる一方、あらゆる事実はその反対を証明すると信じているのだ。だからムーアが『これは葡萄酒であって血ではないことを私は知っている』と言えば、カトリック教徒は反駁するかもしれない」(§239)と述べて、宗教を信じている人の世界像は宗教を信じていない人の世界像とは相違する可能性を示唆する。
このような世界像の相違があった場合、異なった世界像を持った人々の間にどのようなことが生じるのかについて、ヴィトゲンシュタインは「その理由を適切と見なさない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。彼らは物理学者の見解を尋ねる代わりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを未開人と見なす。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。――これを『誤り』と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを攻撃しているのではないか(§609)。では我々が彼らの言語ゲームを攻撃することは正しいか、それとも誤りか。勿論人は様々なスローガンを動員して、我々のやり方を持ち上げようとするだろう(§610)。二つの相容れない原理がぶつかりあう場合は、どちらも相手を蒙昧と断じ、異端と罵る(§611)。」と述べて、世界像の相違が敵対的な関係になりやすいことを指摘する。
しかしながらヴィトゲンシュタインは文化的共同体によって形成された世界像とは異なる世界像を持つことが可能であることを、「先に、私は他人を『攻撃』するだろう、と言った。――だがその場合、私は彼に理由を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖が終わるところに説得が来る。(宣教師が原住民を入信させるときのことを考えて見よ。)」(§612)、あるいは「きわめて特殊な条件の基で育ち、地球は五十年前に存在し始めた、と教え込まれてそう信じている人を、想像することはできる。その人に我々が、地球は遥か昔から云々、と教えることも想像できる。――それはつまり、彼に我々の世界像を与えようとする試みである。これは一種の説得によって行われることであろう。」(§262)と述べて、説得により新しい世界像を受容させることが可能であることを指摘する。
この説得についてヴィトゲンシュタインは「世界は自分と一緒に始まったと思いこんでいる王様があっても不思議ではないであろう。いまムーアとこの王様が出会って議論したとして、ムーアは自分の信念の正しさをうまく証明してみせることができるだろうか。王様を自説に転向させることがムーアにはできない、とは言わない。ただこの転向は特別な意味のものであるはずだ。つまり王様は、世界を全く別様に見ることになるのである」(§92)と述べて、説得とは世界を全く別様に見るように訓練することであることを示唆する。
そして説得が最もうまく行くのは子供に対する説得であり、子供は大人にとっては馬鹿げた考えを持つことはあるが、「子供は普通、こういう類の信念に固執することはなく、我々が真面目に言い聞かせればやがて納得するものである」(§106)、あるいは「この事情は、人が子供に神の存在の、あるいは神の非存在の信念をまず植え付けておいて、どちらの信念に対しても後からもっともらしい根拠を持ち出すことができるという事情とよく似ているではないか」(§107)と述べる。
ヴィトゲンシュタインはこれらの説得の事例では、大人が子供を説得する、あるいは科学的知識を持った現代人が、そのような知識を持たない未開人を説得するということをあげ、ある種の力関係において優位に立つ者が劣位にある者を説得することを想定している。
だが異なった世界像の出会いがこのように優位な者から劣位の者への一方的な説得によって解決されるとは限らない。ヴィトゲンシュタインは「人々が理に合う、理に合わぬ、と見なすものは時とともに変わる。ある時代の人々に合理と見えたものが、別の時代には不合理と見なされ、またその逆もある。だがこの場合、客観的な標準はないのだろうか。すこぶる明敏で教養の深い人々が聖書の世界創造の物語を信じている一方で、別の人々はそれを歴然たる虚偽と見なしている。しかも後者が根拠とするのは、前者もよく知っていることなのだ」(§336)と述べて、知識教養の点でほぼ同格の人たちの間にも世界像の相違があり、しかもその世界像のどちらが合理的かどうかを客観的に判断する基準がないことを主張する。
このような主張は既に引用したカトリック信者の世界像とヴィトゲンシュタインの世界像の相違を述べた§239にも明らかである。
だが私にはここでのヴィトゲンシュタインの議論には奇妙な点があると思われる。彼は「カトリック信者はまた、ただの餅でもある状況の下では全く本質を変えてしまうと信じる一方、あらゆる事実はその反対を証明すると信じてもいるのだ。だからムーアが、『これは葡萄酒であって血ではないことを私は知っている』と言えば、カトリック教徒は反駁するかもしれない」(§239)と述べて、カトリックの聖別されたパンと葡萄酒に関する実体変化の教義を取り上げて、それに関してカトリック信者の意見と非信者の意見が異なることを示唆する。
福音書にはイエスが主の晩餐においてパンを割いて、「とりなさい。これは私の体である。」と述べ、また葡萄酒の杯を回して「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である。」(マルコ14・22)と述べたことが記述されている。イエスの直弟子たちはイエスの言葉をそのまま受け取り、聖別された葡萄酒を神の子イエスの聖なる血として宗教的感情に浸りながら飲んだのかもしれない。
そのとき誰かが「それは葡萄酒であって、血ではない。なぜなら血に特有のにおいがしないから。」と反論したら、イエスがどう答えるのか、それは新約聖書には記述されていない。むしろ当時のユダヤ教にも宗教的な食事のタブーが存在していたのであるから、そのような反論がなされるような言語ゲームが存在しなかったのかもしれない。
しかしカトリックの実体変化の教義は上のような反論がなされるような言語ゲームを含む社会的文化的状況の中で形成されてきたのであり、その教義は外見上は葡萄酒であることを認めるが、我々が知らない実体的本質においては聖なる血に変化しているという主張であり、少なくとも外見上の場面においては信者も非信者も意見は一致する。
だから非信者が「これは葡萄酒であって血ではない」ということを主張する場合、信者は「その通り、これは葡萄酒であって人間の血ではない。」と言うかもしれない。この場合ヴィトゲンシュタインが想定するような意見の相違は生じないであろう。
そして、信者は自分にもよく分からない実体変化によりそれが聖なる血(≠人間の血)に変化することを信じ、非信者はそのような実体変化について何も信じないのである。信者はミサにおいて聖別された葡萄酒を飲むことが、宗教的には最終的な救済に与る方法であるという宗教的意味連関において実体変化を信じているが、その場合葡萄酒の実体変化がどのような変化であるのか、物理的変化なのか、化学的変化なのか、などということは念頭に浮かばないだろうし、それを問題にすることは宗教的言語ゲームと科学的探究の言語ゲームとを混同することになるだろう。
このような場面における「信じること」は「ここに私の手がある」という信念とは区別されるべきだろう。実体変化を信じている信者は、非信者がそれを信じないかもしれないということを認めているのであるが、「ここに私の手がある」と信じている者は、相手がそれを信じないかもしれないということを認めてはいないだろう。この点において宗教的「信仰 faith 」と日常的「信念 belief 」との相違を見落とすことはできない。ヴィトゲンシュタインの信念についての議論はこの点で不十分であると思われる。
あるいは旧約聖書の世界創造の記述についても、ヴィトゲンシュタインの言うように信者と非信者との間に意見の相違があるかどうかは一概にいえない。パスカルは旧約聖書の記述を基にして世界創造の年代を計算し、例えばシナの年代記と聖書の年代記の記述が矛盾していることに悩み、司馬遷の『史記』の信憑性を否定したが、これは聖書を歴史記述の書と見なす態度を示している。(『パンセ』§436)
しかし聖書の天地創造をパスカルのように歴史的事実についての記述であると解釈する以外には解釈はないのであろうか。むしろ今日では聖書の天地創造は、自然や、その中に生存する生物はすべて神によって創造された尊い存在であり、人間は神によってこの自然や生物を守る責任を与えられたということを宗教的に表現しているという解釈をとる人も多い。この解釈には宇宙がいつどのように神によって創造されたかという歴史的事実についての言及は含まれないから、現代宇宙論の主張とも矛盾しようがない。(R.ホーイカース、C.ローレス「『創世記』と地質学」p. 248)
ある社会的文化的状況の中で、神による世界創造が文字通り歴史的事実として解釈され、信じられていたとしても、その信念に矛盾する別の信念が存在しない場合は、その信念、解釈は偽ではない。しかし別の社会的文化的状況の中で世界創造について別の信念、解釈がある場合には、神による創造を文字通り事実として主張することは、意見の対立を生じうるし、その状況の中では、その信念は誤っていると判断されるかもしれない。その場合、今まで通り事実と見なす解釈をとるか、事実については関与しない新しい解釈をとるかは、人によって違うであろうが、新しい社会的文化的状況の中でできるだけ摩擦を避けて、しかも宗教的生活を続けようとするなら、新しい解釈を受け入れるようになるだろう。
『確実性について』におけるヴィトゲンシュタインの議論には世界像の相違、対立、説得という場面はでてくるが、異なった世界像が出会った場合に、世界像のある部分の解釈を変容して、異なった世界像を矛盾なく共存させ、場合によっては統合するという場面がない。
宗教は人類にとって古くから伝承されてきた世界像であり、それは人間の生死の意味や、社会的行動の価値付けなどに重要な役割を果たしてきた。近世以降自然科学的知識が増加し、それを基礎にした世界像が支配的になったが、その世界像ではうまく対処できない生活の諸場面があることも確かであり、そういう場面で宗教的世界像が有効に働く生活様式もある。しかしその宗教的世界像が有効に働くためには、生活の大部分を支えている自然科学的世界像と矛盾ないように宗教的世界像を使用する方法も学ばれる必要がある。その方法が学ばれなければ、神殿の神像は神の現れであることが忘れられ、美術的対象として鑑賞されるだけになるだろう。神は死なないけれども、人々は神に背を向けて、神を忘れることが生じるかもしれない(D.Z.Philipps p129)。
パスカル 『パンセ』(『パスカル著作集W』 教文館)
プラトン 『国家』(『世界の名著 プラトンU』 中央公論社)
R.ホーイカース、C.ローレス 「『創世記』と地質学」(『OU科学史U 理性と信仰』 創元社)
G.E.Moore ‘A Defence of Common Sense’ in “Pilosophical Papers”
(Allen and Unwin 1959)
E.Husserl “Die Krisis der Europaeischen Wissenschaften und die Transzendentalen Phaenomenologie” (Husserliana Bd Y ,Martinus Nijhoff 1962)
I.Kant “Kritik der Reinen Vernunft” (Felix Meiner Verlag 1971)
D.Z.Philipps ‘Belief and Loss of Belief’ in “Wittgenstein and Religion”
(St.Martin’s Press 1993)
L.Wittgenstein “Ueber Gewissheit” (Basil Blackwell 1974) 引用は節番号のみを挙げた