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ジャクリーン・ストーン『Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism (本覚と中世日本仏教の変容)』について
宮田幸一 創価大学
東洋哲学研究所紀要第18号  2002

1 はじめに

 今夏、2ヵ月半ハーバード大学ライシャワー日本研究所の客員研究員として在外研究をしてきたが、8月中旬にプリンストン大学でストーン教授(以下敬称略)に会って、上記の著書の内容に関する、いくつかの疑問について答えていただくことができた。この著作は中世日本仏教に関する多くの先行業績を集大成した1999年に出版されたストーンの労作であるが、英語文献で、しかも専門性が高いため、一般の読者にはほとんどその内容が知られていないので、ここでその内容を概説し、あわせてその意義について検討してみたい。
 この著作は全体として三部構成になっており、第1部「諸見解と諸問題」で、第1章「『本覚思想』とは何か」で、本覚思想をめぐる諸学説を検討し、第2章「天台本覚思想と鎌倉新仏教:競合する諸理論」で、天台本覚思想と鎌倉新仏教との関係についての従来の定説を検討している。
第2部「中世天台世界」では、第3章「秘伝の文化」で天台本覚思想を生み出した文化的社会的背景が示され、第4章「解釈学、教義、『観心』」で、天台本覚思想の特色が考察され、第5章「天台本覚思想と鎌倉新仏教:再評価」で両者の関係に関して従来の見解とは異なる相互交流的見方を提示している。
第3部「日蓮とその後継者たち」では、第6章「日蓮と新しいパラダイム」で日蓮と天台本覚思想との関係について考察し、第7章「法華―天台交流と日蓮本覚論の出現」で日蓮滅後の日蓮法華宗と天台法華宗(特に関東天台)との関係から、日蓮法華宗内部での本覚思想文献の形成が考察されている。私の個人的関心は第3部にあるが、この議論自体がそれ以前の議論を前提としているので、必要な範囲で第1部、第2部の内容を概説しておこう。

2 第1部の概要

 第1章では、本覚思想のルーツとして、中国撰述とされる『大乗起信論』や華厳、天台の中国仏教と、平安初期から中期にかけての日本仏教、特に日本天台の思想的展開を考察している。私が興味を持った後者について少し述べたい。ストーンは最澄、円仁、円珍、安然は「本覚」という用語を稀にしか使用しなかったが、平安後期から展開される中世本覚思想を、4つの点で準備したことを論じる。
 第1点は法華経の密教化である。最澄は密教を法華経に含む意味で円密一致を主張したが、円仁、安然は密教優位の立場で円密一致を主張し、この傾向は法華経、天台教学を密教的観点から解釈する傾向を生み出した。
 第2点は仏の再定義である。法華経寿量品に説かれる久遠本仏は、文字通りに解釈するならば、菩薩行の後で成仏したから、始まりを持ち、また長遠であっても寿命が尽きれば涅槃に入る仏である。しかしこの久遠本仏は無始の法身仏である毘盧遮那仏(大日如来)と同一視され、久遠本仏は無始無終とされた。
また法身仏はすべての現象に内在するから、凡夫も本質的には仏でありうる。それゆえ存在論的には、悟りを得た者と悟りを得ていない者との間には、なんらの区別もありえない。安然の時代に、もしくは安然自身によって編纂されたと考えられている偽経の『蓮華三昧経』の最初の部分である「本覚讃」はこの思想を述べており、この「本覚讃」は天台本覚文献によく引用された。
 第3点は現象世界の肯定(valorization)である。中国天台思想では現象(事)の観察から真理(理)の普遍性を探究したが、事と理の二分法は密教と結合すると、新しい意味を持つようになった。空海は現象世界が法身説法の現れであり、三密の修行により自身に法身を顕現できることを主張した。このことにより密教的修行の観点から、理は法身、すなわち己心に内在する無時間的な原型(paradigm)という意味を帯び、事は実際の修行の中でのその身体的時間的に模倣するあるいは表現することという意味を帯びた。
また理は、修行においては、心により視覚化、観想化された仏であり、他方、事は仏壇に安置された仏像という意味をも持つようになった。またここから法華経は意密を説く理密にすぎないが、大日経は印と真言も備えた事密であるという台密における区分が生じた。密教修行における印と真言という現象世界の出来事は法身の聖なる行為と言葉として価値的是認を持つようになった。法華経方便品の「是法住法位・世間相常住」は現象世界が聖なる世界であることの文献的根拠として、後の天台本覚思想の中で多用された。
 第4点は修行の短縮化、易行化である。奈良仏教は成仏のための歴劫修行を主張していたが、空海は、現在では偽作とされる『菩提心論』を根拠に『即身成仏義』を著し、哲学的には法身と修行者とに共通する六大の普遍性を根拠にして、即身成仏を主張した。ほぼ同時期に最澄は、密教を根拠にするのではなく、法華経提婆達多品の竜女の即身成仏をあげて、法華経の功力を根拠にして、即身成仏を主張した。後に即身成仏を一生成仏とみなし、凡夫にも到達可能であるとする傾向が生じた。中世天台文献には一念成仏という思想さえ見られるようになった。
 第2章では天台本覚思想と鎌倉仏教との関係について3つの見解を紹介し、それらに共通の天台本覚思想に対する想定を考察し、その想定に対してストーンは疑問を呈する。第1の見解は島地大等に代表される、天台本覚思想を鎌倉仏教の母体とみなす見解である。第2の見解は、鎌倉新仏教は天台本覚思想を否定することによって新しい宗教運動を展開したという見解である。第3の見解は田村芳朗に代表される、後期の鎌倉新仏教は天台本覚思想と法然の念仏選択思想からから弁証法的に(=複雑な思想的対決により)出現したという見解である。
 ストーンはこれらの見解は、天台本覚思想に対して共通した4つの想定を持っているとする。第1に、本覚思想は仏道修行の必要性を否定したという想定である。第2に、本覚思想は知的な抽象性に関心を持っていたという想定である。第3に、本覚思想は絶対的、無批判的な現世肯定であるという想定である。第4に、本覚思想は僧侶の堕落の主要な原因でもあり、またその現われでもあるという想定である。ストーンはこれらの想定が正しいならば、どうして中世から近世にかけてほぼ600年にわたって本覚思想が繁栄したのか、説明が困難であることを指摘し、これらの想定が正しいのかどうか、資料的な吟味を加える必要を主張する。

3 第2部の概要

 第2部の「中世天台の世界」の第3章「秘伝の文化」では、平安末期から鎌倉時代にかけての政治的、社会的、経済的背景と秘伝の文化との関係が論じられている。本覚思想は恵心、檀那諸流によって秘伝という形で発展、伝播していったが、その原型は平安中期の東密、台密における密教儀礼の分派、秘伝化に求められる。平安仏教界に摂関家や皇族出身者が門跡として流入すると、その門跡の継承パターンは世俗の家督の継承パターンと同様なものになり、公地公民から私的荘園制への大きな流れの中で、寺院資産、儀礼、教義の私物化、家業化が進行した。天台本覚思想もこのような私物化を基礎とする秘伝の文化の流れの中で発展していったが、このことは必ずしも黒田俊雄の顕密体制論における、本覚思想は顕密体制のイデオロギー的現れであるという主張を正当化するわけではない。
本覚思想は鎌倉時代には、京都から関東へと伝播したが、都天台が修法、儀礼と一体化していたのに対して、関東天台では論議、教義的な研究が中心であった。都天台は顕密体制の本流に関係していたが、関東天台は、顕密体制とはある程度まで距離を置いた独自の展開を示している。中古天台は平安初期の上古天台とは内容的にかなり違った発展を示すので、「旧仏教」と言うより、むしろ鎌倉新仏教と並ぶ、新仏教の一つの形態としてかんがえるべきであるとストーンは主張する。
 第4章「解釈学、教義、『観心』」では、天台本覚思想で強調される観心主義的解釈は「観心」という瞑想的宗教体験、修行に基づく教義の新しい解釈方法でありうるが、それが「四重興廃」の教義により絶対的権威を与えられると、『三重七箇大事』に見られるように、その視点から従来の天台教学を再組織化するという方向へ発展していった。したがって天台本覚思想を天台教学の衰退と見ることは、誤りであるとストーンは主張する。
 第5章「天台本覚思想と鎌倉新仏教:再評価」では、『真如観』『三十四箇の事書』を資料に、天台本覚思想と鎌倉新仏教との共通のパラダイムを持つことを強調する。
第1には、成仏を長い修行の後の目標とする段階的思想を否定し、悟りが一瞬において生じうるという非段階的思想(nonlinearity)を持つこと、第2に成仏は多様な修行に基づくのではなく、唯一の修行方法または心構えによってのみ獲得できるという唯一条件的思想(single condition)を持つこと、第3にその修行方法や心構えは成仏に至る多くの段階の初歩的行為ではなく、すべての悟り、功徳を含む包括性(all-inclusiveness)を持つという思想を持つ。第4にこの唯一の修行は、あらゆる衆生の成仏の可能性を保証するから、いかなる悪業も成仏の障害とはならないという悪人成仏、悪人往生の思想を共通に持つ。
これらの共通な新思想は、鎌倉仏教に大きな影響を及ぼし、中世仏教の主流となっていった。それゆえ天台本覚思想を、鎌倉新仏教の母体と考えたり(matrix theory)、鎌倉新仏教の否定対象と考えたり(radical break theory)、天台本覚思想と法然の念仏選択思想から後期鎌倉新仏教の出現を主張し(dialectical emergence theory)、天台本覚思想を、修行を無視した観念的な堕落した思想運動と考えることは、歴史的にも、思想的にも成立せず、むしろ両者を共通のパラダイムを持つ、二つの新しい仏教運動と見なす相互交渉的立場(interactive theory)で考える必要があることをストーンは強調する。

4 第3部の概要

 私にとって最も関心のある第3部において、まずストーンは第6章「日蓮と新しいパラダイム」で、日蓮と天台本覚思想はともに中世の新しい成仏概念、非段階的成仏概念のパラダイムから出発し、異なった社会的、制度的脈絡の中で、異なった思想的主張をしたという、彼女の相互交渉的立場を述べる。ストーンは日蓮には二つの救済論的方法 (soteric modalities) があることを指摘する。
日蓮の外面的な救済方法においては、末法という時代において法華経流布のために自分の命をかけて、他者の宗教的誤りを厳しく正す折伏を行い、それが引き起こす迫害に耐えることにより、過去世に犯した法華経誹謗の罪を償い、未来の成仏の原因を作るという修行方法であり、これが日蓮の代表的な思想として後世まで継承されてきた。
他方日蓮には天台本覚思想と共通の、内面的な救済方法もあり、それは末法においては、法華経への信と唱題行によって、即身成仏できるという修行方法である。後者の思想は日蓮が学んだ台密の伝統との連続性を示している。この唱題行の瞬間に成仏を実現しているという思想は、中世日本仏教の新しい非段階的な成仏概念を示している。
日蓮の成仏思想は、天台大師智の一念三千論、とりわけ十界互具論に影響を受けている。智は法華経では成仏の原因の位である九界と結果である仏界とが同時に一念に含まれているという諸法実相論を説いたが、この思想は中世日本天台では因果倶時論として解釈され、日蓮も『開目抄』『観心本尊抄』ではこの思想を採用している。後の過激的な天台本覚思想家たちは、教相としての法華経は文字通りには有始有終であり、観心の一念三千論は法華経を超越するという四重興廃説を主張したが、日蓮は観心は教相と一体であるとして、法華経への信を主張した。
 九界が仏界を具有するという因果倶時論はストーンによれば存在論的言明にすぎず、迷いの凡夫は、仏と同様に世界を見たり、行動したりはできない。迷いの意識を変えるには修行が必要であり、智の一念三千論は仏性を実現するために修行方法として内観的観法を説く。
それに対して日蓮は、智の修行方法が末法においては無効であり、その意味では理 (principle) にすぎず、自分の修行方法は事 (actuality) であるとして差別化を図った。『観心本尊抄』では、事は密教の事相という意味で使用され、唱題や本尊は密教的な真言 (mantra)、 曼荼羅 (mandala) として理解され、後には題目、本尊、戒壇という三大秘法が霊鷲山において久遠釈尊から末法のために上行菩薩に直授されたという思想も説かれるようになった。

 題目は二つの観点から分析されている。題目は、仏の教えを全て包括するものであり、天台における観心修行は末法においては唱題行に含まれるという点が第一の論点である。
第二の論点は仏種という概念であり、これは智の『法華玄義』の種熟脱の議論に基づき、法華経を種として成仏するという思想は、日蓮ばかりでなく、中世天台文献にも見える。両者の違いは日蓮が仏種を題目として規定したことにある。種熟脱の思想は段階的な修行方法を意味しているようにみえるが、日蓮においては、因果倶時によって、種熟脱は同時に生じうる過程であり、種即脱という思想が日蓮に見られるとストーンは主張する。
 本尊については、日蓮においては儀式のための物理的聖像という用法とその聖像が体現している原理または実在という用法が区別される。後者においては、さらに本仏と法華経が本尊として言及されている。この両者は矛盾するように見えるが、本仏は久遠仏であり、法報応の三身であるから、本仏と法としての法華経とは同一のものの二つの側面であるとストーンは主張する。
日蓮滅後法本尊と仏本尊との論争が生じたが、日蓮在世には教団が統一された本尊を持つべきだという見解はまだ生じていないとストーンは見ている。日蓮の曼荼羅本尊は台密の影響によるが、絵曼荼羅ではなく、文字曼荼羅であるのは、密教のサンスクリット文字曼荼羅の影響だろうとストーンは推測する。
 戒壇については『三大秘法抄』の真偽問題とは別に、日蓮が朝廷によって認可された戒壇の建立を想定していたとストーンは判断している。晩年に現れた霊山浄土思想については、現世に実現すべき仏土と来世に行く霊山浄土とは対立せず、霊山浄土とは曼荼羅に描かれた世界を来世まで投影し、そこに亡くなった信者たちを含めた概念であると考えてもよいだろうとストーンは言う。
 以上のような日蓮の宗教思想を検討した後で、ストーンは日蓮と鎌倉仏教の新しいパラダイムとの関係を考察し、非段階的思想に関しては、唱題の瞬間に、本仏の本因本果が含まれているから、悟りが実現されているという思想が日蓮に見られるとストーンは解釈している。ストーンは信仰の持続を日蓮が強調したのは、将来の目標としての成仏に至る進歩としてではなく、たえず現在において悟りにアクセスできるという意味であるとしている。専修思想については、唱題という行為を含む法華経への信仰のみが悟りへの唯一の方法とされている。包括性については、法華経の題目に仏のすべての教えが含まれるという日蓮の考えが指摘されている。また罪障思想に関しては、日蓮教団においては、伝統的な僧侶の妻帯禁止などの戒は守られていたが、日蓮は唱題によりすべての悪道への罪障は消滅することを強調し、末法無戒を主張した。これらの点から日蓮が鎌倉仏教の新しいパラダイムを共有していたことをストーンは確認する。

 第7章においては、 室町時代の天台本覚思想と日蓮法華宗との相互交流が検討されている。日蓮滅後東国の日蓮法華教団は地方の地頭クラスが保護者となり、一族の繁栄を祈り、氏寺を建立し、地頭の息子達がその寺院の住職となる傾向が強かった。それに対して関西では、日蓮法華宗は新興の都市商工業者の支持を受け、町衆文化の形成に大いに影響を与えた。
また日蓮の門流の本家争いからさまざまな教義論争が生じたが、その最大のものは一致勝劣論争であるが、これは上古天台ならびに中世日本天台との関係に関する対応の相違でもある。関東における日蓮法華宗のライバルは川越仙波を拠点とする関東恵心流の天台本覚思想であった。富木常忍と論争した了性房は関東に恵心流を初めて伝えた河田谷信尊であると推測され、彼は口伝書『河田谷傍正十九通』を編纂していた。彼の弟子円頓房尊海は仙波に恵心流の談義所を設置し、それが関東天台本覚思想の中心拠点となっていた。
仙波の入門書である『初心勧学抄』には権実一致が主張され、日蓮法華宗の権経否定を批判している。開会の思想の解釈に関して、仙波側は他の経も一乗、法華経に包括されるから、他の経の修行も法華経の修行であるという解釈(絶待開会)をしていたのに対して、日蓮法華宗側は、法華経は他の経典を超えるから、他の経典の修行をすることは、法華経の独自性を失うことだという解釈(相待開会)をしていた。仙波側が絶待開会の立場を強調したのは、日蓮法華宗側の相待開会の主張に対抗するためであったと見られる。
また止観勝法華の教義は色々な中世天台口伝書に見られ、新しい中古天台の教判である四重興廃をもとにした教義であった。尊舜の『二帖抄見聞』等によるとこの教義は特に仙波に独特の教義であった。
この教義に対して日蓮法華宗の京都本覚寺真如院日住は『御書抄』で止観勝法華の教義は比叡山の恵心流では承認されなかったことを伝えている。中山日全は『法華問答勝義抄』で静明の弟子政海が止観勝法華の教義を初めて主張したが、比叡山では否定されたことを伝えている。日全の議論は日蓮法華宗が止観勝法華の思想を強く批判していたことを示している。日朗門流の日伝は『十二因縁抄』で四重興廃の教義を強く非難していた。身延日進は四重興廃を批判するために日蓮に仮託して『立正観抄』を偽作したと推測されている。このように室町初期においては特に関東天台本覚思想と日蓮法華宗とが激しく対立していたことが文献的に示された。
 しかし14世紀後半になると日蓮法華宗と関東天台本覚思想との交流が頻繁に行われるようになった。日蓮法華宗の学僧たちは智、湛然、最澄の文献の正しい理解を折伏のためにも必要とし、その学習のために仙波談義所に行った。
また天台宗の学僧で日蓮法華宗に改宗する者も多かった。これらの元天台僧たちはその学識を認められて、日蓮法華宗の主要な本寺に設置された学問所の学頭に任命された。例えば身延の学頭であった元天台僧和泉房日海は自分の学んだ天台本覚思想の影響のもとで日蓮の教義を解釈した。また身延七世の上行院日叡も本覚思想の影響を強く受けていた。天台口伝法門の文献が身延に保存されていたのは、両者の良好な関係を示している。一致派の教学において重要な役割をはたした身延11世行学院日朝も仙波の学頭であった元天台僧を師僧にして出家し、その本覚思想の影響を強く受けていた。彼は四重興廃の止観勝法華の止観を題目と解釈して、四重興廃説を日蓮法華宗の教義に取り込んだ。
 日蓮法華宗内部における門流の本家争いは自派の優位性を強調するために、本覚思想の濃厚な口伝文献を捏造し続けた。富士門流においては、止観勝法華は、文底=題目は文上=法華経を超えるという解釈となって現れた。そして題目の教主と法華経の教主とが区別され、日蓮本仏論という特殊な教義が現れた。構造的には天台本覚思想で見られた智の己心の悟りは釈尊によって説かれた法華経を超えるという思想によく似ている。種勝脱、修勝証(因勝果)、上行勝釈尊という思想は天台本覚思想に見られる観心流の解釈方法を示している。富士門流と天台宗との交流は三位日順、日時、日有に見られた。
 ストーンは豊富な文献考証により、日蓮滅後の天台本覚思想と日蓮法華宗との思想的交流、相互影響の強さを示し、彼女の鎌倉新仏教と天台本覚思想との相互交流という見方の典型的な事例としている。

5 本書の意義

 私は仏教の専門家ではないので、本書の学問的意義を論ずる資格はないが、私の問題関心上には大きい意義を持っている。私の個人的関心は創価学会の思想的意義を現代の文化、社会の中で解明するということにあるが、創価学会がその母教団である日蓮正宗の伝統的教義に固執していることに関しては、以前から疑問を持っていた。特に明治以降の仏教学や日本仏教の学問的成果と、それらの学問が成立する以前の室町、江戸時代に形成された宗学の間には大きなギャップが存在することを、創価学会が無視しつづけることは困難であろうと思っている。(注1)
 日蓮正宗の宗学への批判は、まず現代の日本仏教研究者の文献学的考察から生じている。浅井要麟、執行海秀などから始まる日蓮遺文の文献学的考察が明らかにしたことは、現在日蓮遺文として使用されている文献には、通常の歴史学における文献考証の基準から見ると、明らかに日蓮自身の著作とは認められない文献が数多く含まれているということであった。室町時代に日蓮に仮託されて偽作された日蓮遺文が、その後の宗学形成期に日蓮自身の思想を示す文献として使用され、日蓮宗各派の宗学の基礎となっていた。
 現代の日蓮研究は、このような歴史的経過によって虚実混合している伝統的日蓮思想観を、どのような方法論によって日蓮自身の思想を明らかにするかという反省から生じている。その一つの方法論は、歴史学的にも珍しい事例である豊富な日蓮の真筆文献を基礎にして、そこから日蓮の思想を再構成しようという試みである。
私個人としては、現存の真筆文献に、曽存が確実であると判断できる文献、ならびにこれまでの文献学的考証からその信憑性が高く評価されている直弟子の写本文献まで、使用可能な文献であると考えている。孫弟子の時代になると各門流の本家争いが激化し、日興の甥の日代が日蓮滅後60年頃に作成されたと見なされる『法華本門宗要抄』を偽書であると書いていることや、身延3世日進が『立正観抄』を偽作したと見なされていることから、孫弟子写本文献は要注意文献として扱うべきだと考えている。
 このような立場から見ると、日蓮正宗の宗学は、文献学的には偽作の可能性が高い『本因妙抄』『百六箇抄』などを文献的根拠として成立していることが、明らかになる。(注2)
 さらにこの文献学的考察が思想的考察と結びつき、これらの偽書の可能性が高い文献が、天台本覚思想と類似した思想を示していることから、本覚思想を示す文献はすべて偽書であり、日蓮は本覚思想を否定していたという解釈も生じた。
しかしこの解釈にも無理があった。日蓮が、最初の著作とされる『戒体即身成仏義』において台密思想の中で展開された天台本覚思想を持っていたことは明確であり、その本覚思想を自己批判して、唱題行を提唱したと見なすことも可能ではあるが、『開目抄』の本因本果論や『観心本尊抄』の己心の仏界論は、天台本覚思想と共通する思想と見なされうるので、日蓮に本覚思想がなかったという解釈は極端であると見なされた。
 その後関東天台本覚思想の研究が注目を浴び、それと日蓮教団との関係が歴史学的に考察されると、両者の思想的交流の事実が明らかになり、日蓮本覚思想文献の作成が歴史的脈絡の中でその蓋然性が強く示された。
 ストーンの研究はこれらの先行業績を集大成し、天台本覚思想と鎌倉新仏教の共通の思想的パラダイムを示し、また天台本覚思想の歴史的形成過程を鎌倉、室町期に求めることにより、両者の相互交流という新しい見方を提供したが、このことは今後の日蓮ならびに日蓮教団研究の基本的見方を示すものと私は見なしている。
 私はストーンの日蓮解釈や日蓮教団解釈を基本的に支持するが、長い間わからないままになっていたいくつかの疑問点があり、プリンストンで直接彼女に質問し、教えを求めたことがある。
一つは宗教体験と宗教制度との関係に関わる問題であるが、日蓮が立宗宣言をした後の真筆文献に『不動愛染感見記』があるが、そこには「生身愛染明王拝見正月一日日食之時」「生身不動明王拝見自十五日至十七日」と書いて、不動、愛染の絵が描かれ、「自大日如来至日蓮二十三代嫡々相承 建長六年二十五日」「日蓮授新仏」と書かれている。私はこの文献は日蓮が立宗宣言以後も台密の制度に則り、新仏という人物に、ある種の相承を行ったことの証明書ではないかと推測しているが、このような文献が台密文献にも他にもあるのかどうか、またこの絵像は日蓮自身が描いたのか、それとも絵師に描かせたのか、またこの絵像は日蓮が直接夢想などの宗教体験を得て、それを描いたのか、それともすでに様式化された絵像が存在して、それを描いたのにすぎないのか、という問題である。不動、愛染は後の日蓮の文字曼荼羅にもサンスクリット文字で書かれる特殊な意義を持っており、日蓮の宗教体験がそこに反映しているという解釈が主流であるが、私個人はそのような宗教体験が欠如した生き方をしているので、日蓮のメンタリティ、ならびに当時の文化状況を理解する意味で何か先行研究があるのかどうか質問したが、特に思い当たる研究は知らないが調査してみるという回答をいただいた。
 次に日蓮が修学時代にどのような宗教思想を持ったグループと関係していたのかという問題である。本書でも日蓮の修学時代のことはほとんど分からないことが述べられ、当時の延暦寺総学頭の恵心流の俊範が念仏批判を明確にしていたことと、日蓮の出自が低かったため俊範とは直接的な師弟関係を持つことができなかったであろうこと、それゆえ文献を通じて仏教を学ぶしかなかったことが示されていた。本書でも日蓮は開会の思想に関して相待開会の立場を採用し、それは後の仙波の絶待開会と対立したことも述べられているが、日蓮は『唱法華題目抄』では「予が流の義」と述べて、爾前の円を嫌う理由を挙げているが、これは日蓮がこの相待開会の立場を関西において、特に園城寺系の思想グループから学んだ可能性を示唆しているが、そのような思想グループが天台宗の中に存在していたのか、文献的に確認できるかどうかを尋ねてみたが、まだ確認されていないとの回答であった。
 次に日蓮はある時期から日蓮阿闍梨と自称し、阿闍梨号を使用するようになるが、鎌倉時代において阿闍梨号の使用に関してどのような制度があったのか、一定の資格を得て、年限が来れば、自称しても構わない制度であったのか、それとも授与の制度があり、そこで何らかの機関によって授与されるのか、という問題である。後者であれば、日蓮が阿闍梨号を使用するまで、制度的には日蓮が天台宗に所属していたことが天台宗側からも認知されていたことを示すものであり、また日蓮の直弟子達が阿闍梨号を使用する場合にもその制度が有効であれば、日蓮教団が天台宗教団からどれほど独立していたのかという問題を考えるヒントになるかもしれない。これについては天台宗の制度史に詳しい先生の研究に何かあるかもしれないという回答であった。
 次に日蓮の非段階的成仏思想という核心部分に関して、私は唱題即悟りという非段階的成仏思想と、唱題行という修行の結果、将来成仏するという段階的成仏思想とが、日蓮の中には同時に混在しているのではないか、という疑問を投げかけた。その理由は『観心本尊抄』で己心に仏界が存在することを証明するために、日蓮が挙げた事例は、印度の釈尊と、中国の儒教の伝説的人物である尭、舜が「万民において偏頗無し、人界の仏界の一分なり」と限定的に認められていることだけであり、事実上成仏の困難さを認めていると思われることにある。初期の『戒体即身成仏義』では悟りがいかにも容易なように考えていた日蓮が『観心本尊抄』では成仏の現証という場面で、人類史上たった一人しか挙げることが出来なかったということは、己心に仏界を具えているという存在論的場面と、それを現証として示すという実践論的場面とを区別していると私は解釈しているが、それについてどう考えるかという問題である。
それに関しては、この両面が区別されているというより、両面が実践上でも含まれている、それは日蓮の成仏論の二面性でもあり、法華折伏・破権門理に励み、それによって難に会い、過去の謗法を滅罪して仏界に至るという外的側面も確かに大事だが、題目を唱えた瞬間にも仏界にアクセスできるという内的側面に相即して、日蓮の「受持即成仏」の思想には両方が含まれている。今まで西洋の研究では外的側面に力点が置かれていたが、鎌倉新仏教の「新パラダイム」との関係を示すため、内的側面に焦点を当てたという趣旨の回答であったと私は理解している。
 そのほか現代における宗教、特に仏教の可能性について貴重な教示をいただいたが、本書とは直接関係無いので、ここでは割愛する。夏休みの貴重な研究時間を割いていただき、私の不躾な質問にも丁寧に、しかもすべて日本語で答えていただいたことについて、ストーン教授には深く感謝したい。ただ帰国後原稿締め切りまで一月しかなく、授業と校務と家事の間に、急いで書いたので、本書の理解に関して不十分で、場合によっては誤りがあると思われるが、その点に関してはお許し願いたい。

(注1)歴史的に見るならば、創価教育学会は牧口の『尋問調書』に示されるように、日蓮正宗の信仰に価値創造論を加えた在家仏教団体であった。しかし戦後戸田城聖が創価学会の独自の宗教法人資格を取得するために日蓮正宗と合意した3項目により、創価学会は日蓮正宗の教義を信奉することを義務づけられた。
戸田や池田大作は日蓮仏法を現代の文化状況に適合させるためにさまざまな現代的解釈をしてきたが、日蓮仏法の教義解釈権については、第1次宗門問題後に確認されたように、日蓮正宗の教導権を認めざるを得ず、日蓮正宗の教義を検討することは不可能であった。
第2次宗門問題以後、法主の権限をめぐる教義的解釈問題などから、日蓮正宗教学への学問的検討が可能となり、2002年には創価学会の規則から正式に日蓮正宗への言及部分が削除され、教義的にも独立した。
今後創価学会が独自の教義を再構築するにあたって、私は、仏教、日蓮思想、歴代会長による現代的解釈の3つを統合する必要があると考えている。その場合に、現代の仏教学、歴史学の成果をある程度踏まえて現代の学説に大きく離反しないようにすべきだと考えている。
(注2)私は偽書とされる文献について、日蓮個人の思想ではないが、日蓮の思想のある面を展開した文献として、日蓮仏法に含めることは十分に意味のあることだと考えている。それは大乗仏典が釈尊個人の思想を記述したものとは認められないが、釈尊の救済思想を展開した文献として重要なものであり、仏教の思想的遺産として十分に役立っているということと重なる。
宗教を創唱者個人の思想に限定するのは歴史学的には意味のあることかもしれないが、宗教が社会、文化に果たす役割を考えれば、後世の解釈、付加部分も重要な宗教の要素なのである。

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