富木常忍作 『観心本尊抄私見聞』について

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 以下に公開するのは、『日蓮宗宗学全書』第1巻に収録されている富木常忍作『観心本尊抄私見聞』の訓読文である。このような資料は興風談所の史料システムに収録されているかと思ったのだが、残念ながらまだ収録されていない。それで訓読文を作成しながら、テキストを丁寧に読み込んだ。この著作は弘安六年に富木常忍が作成したと書かれているが、末文には「写本」である旨が記されている。しかしその写本がいつ頃作成されたかについての言及はない。
 文中からいくつかの手がかりを探してみると、p. 172に「録内三十七曾谷抄」という用語があり、『刊本録内』の巻数が表示されている。したがってこの部分は江戸時代に付加された部分であることが分かるが、他の部分についてはよく分からない。ただ全体的な議論の進め方を検討してみると、『観心本尊抄』を、原始天台、すなわち智顗の天台三大部と湛然の注釈書を使用して、解釈し立論している。室町、戦国時代の文献であれば、日本天台(恵心檀那流)の本覚思想文献を頻繁に引用することが特徴的であるが、本書には、それはごくわずかしかない。恵心檀那流に対しては「観心は本迹の外なり、今経は顕説法華にして仏の内証の根本に非ず、独り諸仏の内証なんどと立てたるは深く恵心檀那の謬に著する故に我が宗の観心をも知らざるなり」(p. 158)と批判的である。原始天台によって日蓮の御書を解釈するのは、江戸時代の檀林の影響であるから、この著作も江戸時代の成立かと思われる。
 この著作が注目されることの第一の理由は最後の部分に「御書聞書」があり、その中に「一代大意抄は御書の始めなり、開目抄に五重の教相有り、撰時抄に五段の修行有り、報恩抄に四段の習い有り云々、 立正観抄、観心本尊抄は観正教傍なり、 開目抄は一向教相、当体義抄は観正教傍の御書なり」(p. 179)とあり、もしこの著作が弘安六年であれば、『開目抄』の「五重の教相」に言及した最も古い資料であるということになるのだが、上に述べたように江戸時代の著作であると推定できるから、「五重の教相」の出典としての価値は大きく減じる。
 日興門流の資料では保田妙本寺系の三河日要『開目抄聞書』に「開目抄ハ教相、自元観心本尊抄ハ観心也」とあり、『開目抄』は教相を教示した書であるといる表現はある。また日要の『大田抄聞書』には「池月矣。明ニ亦権実ノ域ヲヒカヘタル重也。故ニ権実本迹ノ筋也。諸御抄ハ観心・開目ノフトコロヨリ出テ御座也。本尊抄ハ観心、開目抄ハ教相也。熟脱ノ筋ヲ遊シタル也。観心抄ハ事行ノ観心ヲ遊シタルナリ」とあり、「熟脱ノ筋」が『開目抄』にも係るのか、それとも『観心抄』のみに係るのかは、文意が判然とはしないが、いずれにしても「権実本迹ノ筋」以外に「熟脱ノ筋」があることは明言されており、これが後に「五重の教相(相対)」と表現されると予測できるが、まだ三河日要にはそのような表現はない。「五重の教相」という表現がいつ頃見られるのかは、今後の課題として残ったままである。
 次にこの『観心本尊抄私見聞』には冒頭に「高祖(日蓮)作 賜常忍」とされる「観心本尊抄略頌」が挙げられ、『観心本尊抄』の思想構造を20の七字句で簡潔に表現している。「私に云く、当流の者は、此の頌を以て行事に誦すべきなり、台教円頓の者の如く常に暗んずべきなり」と述べて、この略頌を暗唱するように指示しているが、中山門流でどのようにこの指示が守られたかどうかについては、私には分からない。
 さらにやはり「高祖(日蓮)作 賜常忍」とされる「観心本尊抄得意抄」が付加され、上記の「略頌」の詳細な説明がある。これは『観心本尊抄』の詳細な科文と見ることが出来るが、このような科文がいつ頃の初見なのかについても私には分からない。少なくとも室町時代の日興門流の三河日要にはまだ見られない。
 以下の訓読文においてSATで出典を確認できた部分については「 」で表示しているが、出典が推測できるのみの部分については(?)の表示をした。SATで全く検索にヒットしなかった部分については、「 」で表示せず、地の文のままで表示した。

(p. 151)
観心本尊抄私見聞 富木常忍

観心本尊抄略頌 高祖御作 賜常忍

一念三千並似文 有情非情皆成仏 己身具足常住尊 末法遣付本尊相
正像与末相違相 一代諸経三段分 大通已後寿量序 一品二半余覆蔵
論機幼貧孤禽獣 教機勝劣重判之 迹本二門末法正 二乗凡夫傍正義
滅後三時末始正 久遠迹本種熟脱 本門三段末法詮 在世末始同純円
但彼已下脱種異 彼一已下行略要 末法修行題目也 地涌正付並諸付

私に云く、当流の者は、此の頌を以て行事に誦すべきなり、台教円頓の者の如く常に暗んずべきなり、右書此の頌の次第生起を図して之を示す。
一 一念三千並似文
(p. 152)
二 有情非情皆成仏
三 己身具足常住尊|―末法遣付本尊相
         |―正像与末相違相|― 一代諸経三段分
                  |― 大通已後寿量序|― 一品二半余覆蔵
                            |― 論機幼貧孤禽獣
                            |― 教機勝劣重判之
四 迹本二門末法正|―|―二乗凡夫傍正義
         | |―滅後三時末始正
         |――久遠迹本種熟脱
         |――本門三段末法詮
         |――在世末始同純円|―但彼已下脱種異
                   |―彼一已下行略要
                   |―末法修行題目也
五 地涌正付並諸付

観心本尊得意抄 高祖御作 賜 常忍

観心本尊得意抄 大に五と為す、一には観心の釈を出し、二には一念三千の情非情に亘る証文を明かし、三には三千常住所化同体己心の本尊の相貌を明かし、四には法華迹本二門の弘通説時の傍正を明かし、五には結要正付並びに諸付属の相を明かす。
(p. 153)
第一に観心の釈を明かすに五あり、
一には一念三千の名目の出処を明かし(摩訶止観従り意在於此に至る)、
二には玄文並びに止観の前の四に三千の名目無きことを示し(問曰玄義従り而為指南等に至る)、
三には玄文等の中に相似の文有ることを明かし(疑曰従り宛然具足に至る)、
四には正観已前は数の方便を重列し実行に非ざることを明かし(問曰止観従り心無異縁に至る)、
五には先代の諸師未だ述べざる並びに末学知らざることを明かす(夫智従り将来可悲に至る)。
第二には一念三千情非情に亘らば草木心有って成仏するやの疑いの問答に五あり、
初めには総じて問答を標し(問曰百界従り本尊無益也に至る)、
二には正しく一念三千情非情に亘るの証文を明かし(疑曰従り縁了に至る)、
三には観心の十界互具の経文を明かし(問曰出処従り仏界所具十界に至る)、
四には彼此の十界に付きて、示し難き人界の色相に理性の十界を顕すことを明かし(問曰自他面従り可信之也に至る)、
五には十界の現量を以て己心に具足するの疑いを問答す(問曰教主従り遍於法界に至る)。
第三には三千常住所化同体の本尊の相貌を明かすに三あり、
(p. 154)
一には爾前迹門の非常(無常?)を明かし(夫始従り未熟に至る)、
二には末法に本尊を遣付する相貌を明かし(此本門従り令出現に至る)、
三には正像と末法と本尊の相違の問答に二あり、
初めに問(問曰正像従り委細聞之に至る)、
後に答えに二あり、
初めに一代諸経に於て総別の三段を分かちて、如来随自の正意を明かし(答曰法華経従り難解正法也に至る)、
二に大通以来の諸仏諸経を以て寿量の序分と為ることを明かし、序正の勝劣を判ずるに四あり、
先ず序正二段を明かし(又於本門従り序分也に至る)、
二に序正勝劣小邪未覆を判じ(自一品二半従り覆蔵教に至る)、
三に機根の賎耻幼貧孤禽獣を明かし(論其機従り禽獣也に至る)、
四に重ねて教機勝劣を判ず(爾前従り小乗経に至る)。
第四には末法の迹本二門に於て弘通説時の傍正を明かすに二あり、
一に迹門
初めに在世に約して二乗菩薩凡夫の傍正義を明かし(迹門十四品従り已下)、
次に滅後の三時に約すれば、末法の始めを以て正とする為る証文を明かし(再往従り迹門如是に至る)、
(p. 155)
二に本門
初めに久遠乃至迹本二門に於て種熟脱を明かすこと文の如く(以本門従り令知等妙に至る)、
二に序正流通倶に末法の始めを以て正と為ることを明かす文の如く(再往従り為詮に至る)、
三に在世末法得益の相違並びに要法の異を明かすに三あり、
一に在世滅後に約して種脱の異を明かし(在世従り以下)、
二に在世滅後に約して要法の異を明かし(彼一従り已下)、
三に末法修行は題目に限る並びに弘通の師を選択する証文(問曰其証従り何況他方乎に至る)。
第五には結要の正付諸付の相を明かすに五あり、
一には地涌の菩薩を召して付属するの所以を明かし(神力品従り久遠故也に至る)、
二には地涌の結要付属を正とする経釈を明かし(如是十神力従り無量神力等に至る)、
三には総じて地涌等の諸の大菩薩を嘱累するの文を明かし(次下嘱累従り還可如故に至る)、
四には?拾遺嘱の由を明かし(薬王品従り遺嘱是也に至る)、
五には地涌出現の時尅を明かす(疑曰已下)。
(p. 156)
観心本尊抄私見聞 弘安六年太歳癸未卯月五日之を始む 常忍坊之を註す

私に云く、此の抄は文永十年太歳癸酉卯月二十五日佐州自り教信房に賜う、御送り状に云く、「此の書は難多くして答少なし、未聞の書(事)なれば耳目驚動すべきか、説い他見に及ぶとも三四人座を並びて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の意有らず、国難を顧みず、後(五)五百歳を期して之を演説す、乞い願はくは一見を歴る末輩の師弟倶に霊山浄土に詣りて三仏の顔貌を拝見上らん」と云々、 問うて曰く、未聞の書と、未聞の意如何、 答う、前代未聞の未聞なり、 問うて云く前代とは仏滅後正像に四依出現して何ぞ此の義を宣べざるか、就中天親、竜樹何も記せり、豈に此の意を知らずや、 答えて云く、天親、竜樹は正法の後の五百年の四依なり、然れば内鑑冷然し給えり、外適時宜の方に権大乗を弘通して一乗を弘宣し給はず、南岳、天台は法華経を修行し給うと雖も迹門の一分、之を弘通して本門を弘通し給わざれども、其の外の論師人師在在に出世して枝葉を論談を為すと雖も根本内証の実義を知らず、故に未聞の抄と云う等云々、
〇問うて云く、題名の文点如何に之を談ずべきや、 答う、如来滅後後五百歳に始めたる本尊を観心するの抄と之を読むべきなり、 問うて云く、始めに如来とは三身の中には何れぞや、 答えて云く、法華経の心は三身即一身の応身なり、其の故は滅不滅を論ずるが故なり、  問うて云く、後五百歳は何なる経に出でたるや、 答えて云く、大集経に之有り、後の五百歳にば已前の二千余年の白法隱沒して法華経の大白法計り広宣流布すべし、故に始めたる等云々、但し是れは法華経本門の正宗寿量の一品に於てのことなり、 問うて云く、細字の「世間と如是とは一にして
(p. 157)
開合の異なり」等云々、此の意如何、 答えて云く、三千は開なり、如是は合なり、是を開合の異とは云うなり、亦た此の抄の大文段に五有り、五箇の章の下に五五三二五の文段有り、又二四二三三の小文段之有り、第一には観心の釈を出だす、此の章の下に五有り、第二に一念三千情非情に亘る証文を明かす、此の章の下に又五有り、第三に三千常住所化同体己心の本尊の相貌を明かす、此の章の下に三有り、第四に法華迹本二門弘通説時の傍正を明かす、此の下に二と為す、第五に結要の正付並びに諸付属の相を明かすに又五と為す、一一の細科文段之を略す、此の文段と本書と倶に整束して常忍に賜わる、然るに予未だ微志を尽くさず等云々、之に依って粗ぼ之を註す云々、
第一に観心の釈を出だすとは、摩訶止観の第五「夫一心」等の文なり、 「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具して百法界なり、一界に三種の世間を具し、百法界に三千種の世間を具して此の三千一念の心に在り、若し心無くんば而已、介爾も心有れば即ち三千を具す」、乃至初一念の一心なり、意は八識元初の一念なりとは不退常住の心なり、此の心心相続して依正の二法転変す、故に止の五に云く、「此の三千一念の心に在り、若し心無くんば而已、介爾も心有れば即ち三千を具す」等云々、弘決に云く、「無心而已とは心の無ならざることを顕わす、介爾と言うは、謂く刹那の心なり、無間相続して未だ曽て断絶せず、纔(わずか)に一刹那に三千具足す」等云々、又云く、夫一心の一心とは六識の心と云えり、八識とは総無明の体なれば善悪の総体なり、此の一心とは迷妄の衆生の善悪分別の心即ち三千不思議の妙境妙智と打ち顕わるを規模と談ずるなり、故に此の一心とは六識の分別を一心と為すなり、少しの違目なり同じとなり、 問うて曰く、観心とは何れぞや、 答えて云く、観心とは権実二教の法体なり、先ず
(p. 158)
蔵教は但空無為の観なり、通教は体空、別教は畢竟空、円教は第一義空なり、此れ等は皆な観心なり、法華経の肝心に又二種有り、己心を観ずるは理なり、題名を唱えるは事なり、本迹二門の観心とは是れなり、迹門は理、本門は事観なり、 問う、本門の観心の体は何に物ぞや、 答う、三千の観は則ち題名なり、 問うて曰く、夫れ三千とは如何、 答えて云く、三千とは先ず十法界の一界に十界を持すれば百法界なり、其の一に各々又十如を具すれば千如なり、此の千如三種の世間を持すれば三千世間なり、是は理なり、題目は事なり、 問うて云く、三千観とは其の体如何、 答えて云く、妙法蓮華経なり、「妙即三千、三千即法」(釋籤)とは此の意なり、此の法を一心三観とも一念三千とも称し給えり、 問うて云く、其の証如何、 答えて云く、顕戒論に云く、「一心三観を一言に於て伝う、菩薩の円戒を至信に於て授く」等云々、 心要(?)に云く、「六塵の境六作の縁を歴る並びに是れ因縁生の心なり」(漢光類聚?)、常に一心三観を用いて之を観る即ち是れを如来の行と名づく等云々、「本迹未分の処を観心と名づく、或いは根本法華の内証即ち観心」(漢光類聚?)等云々、或いは「観心の大教興れば本迹の大教を亡ぼす」(立正観抄?)等云々、以ての外の僻見なり、上古自り是の如し、但し天台妙楽乃至伝教は爾らず、此の妙法の外に更に観心無し、其の故は此の妙法は万法の総体己心の全体なり、弘決に云く、「一家の観門は永く所説に異にして一切十方三世の若しは凡若しは聖、一切の因果を該摂すること良に具を観ずるに由る、具は即ち是れ仮、仮は即ち空中なり」等云々、是の如して観心有り、観心は本迹の外なり、今経は顕説法華にして仏の内証の根本に非ず、独り諸仏の内証なんどと立てたるは深く恵心檀那の謬に著する故に我が宗の観心をも知らざるなり、一心三観とは妙法なり、一念三千も妙法なり、籤の三に云く、「若しは境若しは智、同じく一心に在り、故に須らく更に明かして以て妙行を顕わすべし」云々、是れ則ち天台宗の止観なり、
(p. 159)
〇御書に云く、「問うて云く、玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて云く、妙楽云く、明かさず」等云々、 玄義に相似の文を明かす、玄の二に云く、「又一法界に九法界の千如是を具す」と等云々、文句に又相似の文を明かす、文句第一に云く、「又十法界を具すれば、一界又十界十界各是の如し(十如是あれば)、即ち是れ一千なり」等云々、
〇御書に云く、「問うて云く、止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて云く、之無し、問うて云く、其の証如何、答えて云く、妙楽の云く、故に止観に至りて正しく観法を明かすに、並びに三千を以て指南と為す」と云々、 私に云く、玄義、文句、並びに止観の前の四巻に三千の名目を明かさず、但だ相似の文を明かす、第五(弘決)に云く、「正観に望めば全く未だ行を論ぜず、亦二十五法に歴て事に約して解を生じ、方に乃ち正修の方便と為るに堪えたり、是の故に前の六をば皆な解に属す」等云云、二十五法とは、正行の三千の本意を得るが為めのみ、観解に非ず等云々、止の五に云く、「前の六重は修多羅に依りて以て妙解を開き、今は妙解に依りて正行を立つ」文、要記(止観輔行捜要記?)に云く、今妙解依等とは、諸の声聞の如き位極果に登り、五味を経歴し調熟槌砧し、法華の中に至って三周云々、弘決の五に云く、「偏麁に簡ばんが為の故に妙解と云う」等云々、正しく第七の正観に至りて三千の名目之を明かす、 問う、其の正修止観とは何ぞや、 答えて云く、十乗観以て十境を観ずるなり、所謂十乗とは、一には観不思議境、二には起慈悲心、三には巧安止観、四には破法遍、五には識通塞、六には修道品、七には対治助開、八には知次位、九には能安忍、十には無法愛、是れなり、十境とは一には陰入界、二には煩悩境、三には病患境、四には業境、五には魔事境、六には禅定境、七には諸見境、八には慢境、九には二乗境、十には菩薩境云々、此の十法成乗の観を用いて、今三千の妙行を成し、初住の因位に入るを得、是を名づけて止観の解行証と為すなり、
(p. 160)
〇御書に云く、「夫れ智者の弘法は三十年・二十九年の間は玄文等の諸義を説き、五時八教百界千如を明かし、前五百余年の間の諸非を責め、並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す」等云々、 私に云く、教門は五時、観門は三千なり、此の百界千如三千世間の法門は、天竺の論師並びに震旦の南三北七未だ之を述べず、但だ天台智者のみ独り此の義を弘めたまう、「大論すら尚お其の類にあらず、震旦の人師何んぞ労わしく語るに及ばんや、此れ誇耀に非ず、法相の然るのみ」等云々、
〇御書に云く、「墓ないかや天台の末学等」云々、 私に云く、天台己証の一念三千を華厳の澄観之を盗んで華厳経に入れて肝心と為し、真言宗の善無畏之を盗んで大日経の肝心と為す、伝教云く、「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯ず」等云々、
〇御書に云く、「還つて彼等が門家と成る」等云々、 私に云く、震旦の一行、日域の慈覚智証等なり、章安大師の「斯の言若し墜ちなば、将来悲む可し」と是れなり、 問うて云く、私に云く、一念三千の法門を信じて何の詮有りや、 答えて云く、即身成仏するのみにあらず、十界の依正倶に成仏するなり、経に云く「諸法実相」云々、籤の六に云く、「己証の遮那の一体不二なること、良に無始の一念三千に由る、三千の中の生陰二千を正と為し、國土の一千を依に属す、依正既に一心に居す、一心豈に能所を分かたんや、能所無しと雖も、依正宛然なり」云々、弘の五に云く、「當に知るべし身土」云々、輔行の第二に云く、「若し正境に非ざれば、縱い妄無くも、亦た種を成せず」等云々、恐らくは一念三千無くんば、何に仏説なりとも十界の依正の成仏之有るべからずと釈し給えり、前四味並びに法華経の迹門、天台の玄、文、止観の前の四には之無し、
(p. 161)
第二の章段一念三千の情非情に亘りて成仏の為めと云うこと、 此の文段の下に二の難信難解を釈し給えり、一には教門、二には観門なり、其の教門とは、四十余年の間は二乗闡提永不成仏と言うを打返して二種の敗種成仏す、華光如来乃至云々、次には観門の難信難解とは、一念三千の法門なり、意ろは草木国土の上に色心の因果を立て、成仏を論ずるなり、是れ能成の衆生成仏せば所成の国土豈に成仏せざらんや、依正不二の成道とは是れなり、依正互に具して三身四土の儀式備えたり、依正各別ならば何なるをや草木成仏の法門とせん、中陰経に云く、「一佛成道して法界を觀見すれば、草木國土悉く皆な成佛す」と云々、宝積経に云く、「一切の草木樹林の無心なるも、如來と作りて身相具足すべし」等云々、依報は所具なり、正報の成仏を説くなり、何れも実には草木の成仏に非ざるなり、種々の異義之有りと雖も、当宗の所談は草木の当体無作三身なりと之を談ず、法界体性智此れを総ず、能々相伝すべき法門なり、 問う、草木如何が発心修行して成仏すべきや、 答う、色心因果之を思うべし、総じて木石無心と談ずることは小乗家のことなり、大乗円門の習いは諸法実相と会して真如なりと談ず、如何ぞ非情と云わんや、桜梅桃李の開花落葉に四季を知る、是れ心無きや、 跋提河の八本の樹四本は涅槃を歎じて枯る、是れ心有りと覚えたり、説い無心なりとも本門の意は三身なり、当体本理なり、本書に云く、「草木の上に色心因果を置かずんば木画の像を本尊と恃み奉ること無益なり」云々、草木の発心修行菩提涅槃顕露なり、萌は発心なり、枝葉は修行を指すなり、紅葉は菩提なり、落葉は涅槃なり、止の五に云く、「国土世間に亦た十種の法を具す、所謂悪国土の相性体力等」云云、釈籤の六に云く、「相は唯だ色に在り、性は唯だ心に在り、體力作縁は義心色を兼ぬ、因果は唯だ心なり、報は唯だ色に約す」云々、金?論に云く、「乃ち
(p. 162)
是れ一草一木一礫一塵各々一仏性なり、各々一因果ありて縁了を具足す」等云云、此の文は十如是に因果の二法有ることを釈するなり、(草木茂華譬浅近也、実依正不二也)、 尋ねて云く、止観の第一の色香中道の十義大綱口伝如何に意を得べきや、義(恵心流)に云く、大綱口伝之有り、草木成仏の本意は十義の第一第二なり、第一には用の三身を本意と為すなり、第二は体の三身に約して之を釈す、体用不同なり、第三より已下は此の体用の三身の能く法門の事理因果依正等に約して之を釈するなり、第三より已下は三身の外全く別法無きものなり、此れ龍禅院の座主御房(顕真?)の口伝なり、 又義に云く、口伝十義の上に破文正義の二義を以て一一に之を釈す、故に第一第二は体用に約す、草木の報応を兼ねて知り分別す心無からんや、故に体用の三身に約するに非情の草木も三身も倶に法界に遍する相を釈するなり、第三より以下は悉く自他宗相対して之を釈す、事は他宗理は一家の意なり、又迷情に従うが故に依正を分かつ方は他宗なり、理智に従うが故に依即正の辺は一家なり、是の如く十義悉く第九第十にて破立同時に釈するなり、一家の所談は事理に非ざるなり云々、総じて四教に通じて事理有りと意得るべきなり、次に他面に十界を具する自り下は寿量品一向に過去常計り之有り、但し常住不滅の四字は未来常住なり、釈に云く、本迹二門悉く昔と反す難信難解の四字は未来常住なり、章安の云く(観心論疏)「何んぞ解し易きことを得べきや」云々、伝教の云く(守護國界章)、「此の法華経を最も難信難解と為す随自意の故に」云々、十界互具の経文出処明鏡なり、見る可し見る可し、
〇問うて云く、御書に「夫れ在世の正機は過去の宿習之厚き」の意如何、 答えて云く、在世の正機は大通十六王子の覆講法華の所化に三類有り、六百万億那由他恒河沙の衆生を三類に分ける時、初めの類は当座に得道し、第二第三は滅後に送らるるなり、
(p. 163)
第二類は今日の三周の声聞等なり、第三は在世に未だ得道せず、正像に贈らん四依の大士に値い小権の座に縁して益を得る故に王子の結縁を指して過去宿習之厚しと書きたまうか、 仰せに云く、法華経に結縁する者は小乗の益を得ざるなり、是れを以て釈(法華文句記)に云く、「若し法華を聞きて令得初果を得せしめば即ち法華一部の文義倶に壞しなん」と云々、故に止の三に云く、「若し初業に常を知ることを作さずば、三藏の歸戒羯磨悉く成就せず、若し此の釋を作らば、大小の兩經に於て義に相違無し」云々、 弘の三に云く、「今日聲聞の禁戒を具すること良に久遠の初業に常を聞くに由る、若し昔し聞かずんば小すら尚お具せず、況んや復た大をや」云々、玄の九に云く、「廢三顯一とは此れ正く教を廃す、其の情を破すと雖も若し教を廃せずんば樹想還て生じ、教に執して惑を生ず、是の故に教を廃し正直に方便を捨て但だ無上道を説く、十方佛土の中には唯だ一乘の法のみ有り、二も無く亦た三も無し」云々、 籤の九に云く、「樹想還生等とは、所詮の實理は猶お一根の如し、能詮の權教は猶お杖葉の如し、若し其れ縁に逗する諸教を廃せずんば、則ち千枝萬葉の如し、(權)想還て生ず、想生ずるを以て故に其の實本を亡ず」云々、当世の学者善悪の教を師とし邪正を弁えざることは、過去三五の下種の本縁を忘じし故なり、阿含の益総じて大小両経の益は過去の法華経結縁の故に依るなり、全く権教の得分に非ず、上の釈解しつべし、種熟脱之を思うべし云々、 義に云く、不待時の法華は今の開顕の法華経にて破せらるべきなり、其の故は開顕の義之無きが故なり、 尋ねて云く、若し開権せざれば妙の名立せざる云々、絶待妙不思議の一法の開会今の経の上の開会なり、待絶二妙の開会は倶に法華一部の上の開会とは大僻見なり、此れに付いて見聞類聚の要文之有れども之を秘す、 問うて云く、仏に値い覚らざる者は阿難等の辺に得益する者の之有りや、之有る辺は何れの意ぞや、是れ書写するに字を謬れるか、意推(おもいは)かるに上に仏に値うと云う値の字有り、阿難等に遇うと云う遇の字阿難等の上に置くべきなり、値遇と下しおかん為めなり、御筆に書写する時字を誤りたまうか、是の辺は謂れ無き字なり、
(p. 164)
心得られず云々、 仰せに云く、仏の御使いとして阿難、須跋多羅(須跋陀羅)を教化す、此れ阿難等に値て得道する者なり、五百世の昔阿難の母なり、須跋陀羅は女なり、過去に縁有る故なり、又四十余年の間仏所に詣でず云々、
〇御書に云く、「利根の菩薩凡夫等の華厳、方等、般若等の諸大乗経を聞きて縁と為して大通久遠の下種を顕示する者の之多しなり、例せば独覚の飛花落葉を観じて教外に得道するが如き是れなり」云々、 是れ不待時の法華の益なり、約教一往の義なり、開顕の法華にて奪なり、三五下種とは、小権の二経を縁と為して過去の種子を打開く処をば果熟易零の機、開顕の筵を待つ程無く機熟せる故に爾前の筵を借りて益を承るまででこそ之有れ、其の経の益とは尽未来まで意得るべからずと云うこと、経文釈義の面顕然たるなり、 釈(弘決)に云く、「良由久遠」乃至「況復大耶」云々、寿量品の記の本末を見る可し悉くあり、約教の随他意の釈料簡すべき処なり、教外の得道とは、止の三に云く、「久く善根を植えて今生に円教を聞かずと雖ども、了因の毒任運に自ら發す、故に理發と名づく」云々、迦葉任運に自ら発する人か、是れ大通の第二周なり、今日の第二周には光明如来なり、
〇御書に云く、「過去に下種結縁無き者権小に執着し、設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず、自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ、或は華厳大日経に同じ、或は之を下す、此等の諸師は尚お儒家外道の賢聖自りも劣れるなり」云々、 是は華厳の澄観、真言の善無畏、慈覚、恵心等なり、彼の宗の配立能々合すべし、天親菩薩の云く、
(p. 165)
過去の謗法の障りの故に不了義に執着す云々、
〇御書に云く、「堯舜等の聖人は万民に於て偏頗無し、人界具足の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身と見る、悉達太子は人界自り仏身を成ずるなり、此れ等の現証を以て之を信ず可し」云々、 不軽というは釈尊なり、礼拝は三因仏性を行ずと等云々、不軽というは初住の仏身か、釈尊は三蔵の仏身か、堯王舜王とは、万民を慈しむこと偏頗無し、故に仏界の一分なり、仏菩薩の六度四弘は慈無量心自り起る、父母念子というは慈悲なり、法は行の任(依)ずべき所なり、慈無量心は然からざるものなり云々、
〇御書に云く、「教主釈尊は三惑已断の仏なり、又十方世界の国主一切の菩薩二乗人天等の主君なり」云々、 三界の衆生に於て主師親の三義を兼ねたまえば皆な所従なり、総じて三世の諸仏の本仏にて御座す尊特なれば、五住二死を頓に断じ、果極円満し、妙覚朗然の月澄みて生死の黒闇を照らし給えるをや、
〇御書に云く、(因位下)、「過去の因行を尋求せば、或は能施太子、或は儒童菩薩、或は尸毘王、或は薩?王子、或は三祇百劫、或は動喩塵劫,或は無量阿僧祇劫、或は初発心時、或は三千塵点等の間」云々、 太施太子は海中に入りて宝珠を没し、薩?王子は飢えたる虎に身を施すと大集経に見えたり、尸毘王は鳩に代わりし等は所謂化他門なり、三蔵の菩薩の三祇百劫は自行なり、次に動喩塵劫とは通教の菩薩の修行成就なり、次に無量阿僧祇劫とは別教の修行の相なり、初発心時とは、円教の菩薩の証果の相なり、三千塵点とは、本書の上に又迹門爾前の意を以て之を論ぜば、
(p. 166)
教主釈尊は始成正覚の仏なり、本門に望めば迹門の大通仏尚お始覚の仏なり、夫の三千塵点とは云々、
〇御書に云く、(果位下)「果位を以て其の教主を論ぜば」 三十四心断結成道は劣応身の仏なり、八忍(因)八智(果)九無碍(因)九解脱(果)合して三十四心の智なり、次に通教の教主は一念相応の慧を以て余残の習気を断じて勝応身と成るなり、劣に望めば勝応身なり、一念相応の慧とは、空智是れなり、余残とは見思の煩悩の習気なり、別教の教主は他受用地住已上に被らしむる受用報身なり、次に円教の三身即一の法身なり、此の経の三身の起は宝塔品に始まれり、
〇御書に云く、「迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る、或は小身大身と見る、或は盧舎那と見る、或は身虚空に同じと見る」云々、 意は三身を以て四土に配当する証拠なり、
〇御書に云く、「十方台上の盧舎那」とは、 葉上の釈迦のことか、華厳経に云く、故に能く身を分かち兼ねて十方に悉く菩提樹王の下に現ず云々、分身に於て三義有り云々、
〇御書に云く、「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一滴と大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方界の文殊観音等に対向すれば猿猴を以て帝釈に比するに尚及ばざるが如し」 凡そ地涌は権に出没を現ずる従果向因の菩薩なり、迹化は大通より已來た従因至果の菩薩なり、本化は三惑已断の大士、法性の淵底を極め、玄宗の極地に居して濁悪当世我等が為の救護なり、本有の菩薩なり、其の菩薩は常修常証無始無終の大薩?なり、娑婆の衆生に於て
(p. 167)
自熟熟他本縁の三義を満たし給える結縁成就の導師にて御座すなり、争か迹化と同位等行の菩薩と云わんや、菩薩に始覚本覚之有り、天台宗に云く、何れの菩薩も同体なりと、是れ以て外の邪義なり、種実雑乱せる故なり、之を思うべし云々、寿量の記(釋籤)に云く、「補處の智力界數を分かち知らず、況や塵を知らんや」と、若し爾らば所詮天台宗の配立に執して実相同なんど云える当宗の人々は、天台の正意に背き高祖の正意に違いて数通の書を破る者なり、高祖の再興も由し無きなり、其の故は仏本経に正像末の四依を定めたまえり、其の中に末法に正と為る処は久遠実成の菩薩なり、始覚の迹門(化)に同じて云えること大いなる誤り、無間の業なるをや、先ず天台の前三後三の釈あり、開目の人々之を見よや、本経を読まん人総別の三段之を知らん、或いは又総別の付属如何が料簡するや、或いは教相を知らず、権実を知らず、四教五時五味の施化をも知らず、教機をも知らず、時国相応の義は申すに及ばず、実相にも似ず、権実にも似ず等なり云々、当世の自他宗倶に意得るべきなり、先ず教主が久遠実成の本覚の仏ならば随って能持の人も所持の法も久成の本法なるべきなり、法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付すとは此の意なり、久成法の言は始成の法有りと見えたり、処々の御経釈義見る可し、本迹を習うべきに大綱相伝有り、一切の法門大意自り入文判釈と取り寄せて習う可し、本迹二門に於て三段あり、序も又之を各別にす、迹門は爾前に異なり本門は迹門に勝たる序なり、妙楽(文句記)釈して云く、「迹事は浅近(非遠)なれば文殊に寄すべし、本地(久本)は裁し難し、故に唯だ佛に託す」等云々、宝塔の涌出、多宝の遠来、地涌の出現、弥勒の疑請、大事なりと意得、
(p. 168)
〇御書に云く、「此れ(之)を以て之を思うに、爾前の諸経は実事なり実語なり」云々、 問うて云く、此の意如何、 答えて云く、難文なり、十界互具一念三千をば我等が己心に付成して問難を起すなり、之に付きて十界三千の諸法は我等が己心の体と定め難しと云える証文に、爾前の諸経を出だし給う総標の御語なり、意は他経には九界を妄法と嫌い、仏界独り勝たりと沙汰す、故に十界但だ己心の一念と云わざるなり、法華経の諸経に勝たる二十の大事之あり、(松浦姫此の書沙汰あり、歌道解すべし)、
〇御書に云く、「天台大師云く、天親竜樹内鑒?然たり外には時の宜きに適い、各権に拠れる所なり、而るに人師偏に解し、学者苟も執し、遂に矢石を興し、各一辺を保(まも)ちて、大に聖道に乖けり等云云」 此の文に二意有り、問う、如何、 答う、釈に云く、「口雖説權」(玄義)とは各権拠る所の意なり、「不違實法」(玄義)とは内鑒冷然の意なり、「偏解学者」(止観)とは南三北七の諸人師一辺を執して、如来一代の随他随自の隋宜のことを知らざるを釈するなり、「矢石」(止観)の文は書の意聞くべし、
〇御書に云く、「華厳経大日経等は、一往之を見るに別円四蔵等に似たれども、再往之を勘うれば蔵通二教に同じ未だ別円に及ばず、本有の三因之れ無し、何を以て仏の種子を定めんや」等云々、 父子の天性と云うは小権の経に之無し、華厳大日経は与えれば蔵通に同じく、奪いては外道の法の類いなり、釈(弘決)に云く、「法華以前(已前)は猶お是れ外道の弟子なり」と、此の意なり、本有三因とは我等が三因仏性久遠自り以来具足せり、然りと雖も打開くこと之無く衆生の心性に覆蔵せり、此の経に値い上りて開けり、 問う、其の証如何、 答う、経に云く、「欲令衆生開佛知見」等云々、爾前の縁に逗する諸経には之無しと、
(p. 169)
〇御書に云く、「所詮一念三千の仏種に非ずんば、有情の成仏、木画二像の本尊、有名無実なり」云々、 今経の意は非情草木等も色心因果を兼ねるが故に等云々、仰せに云く、国土世間尚お是の如し、何に況や衆生界に於ておや、天台(玄義)云く、「若し衆生に佛の知見無くんば、何んぞ開を論ずる所あらんや、當に知るべし佛の知見は衆生に蘊在せり」文、章安云く(觀心論疏)、「衆生に若し佛の知見無くんば、何んの悟を解(論)する所あらんや、若し貧女藏無くんば何んの示す所あらんや」等云々、義に云く、寿量品には双非を説いて双照を説かず、双非は中道の正体なり、双照は用なり、体用共に有るが故なり、 無量義経の文は自ら経文を出だしたまう拝すべし云々、
〇御書に云く、「薩とは具足に名く」等云云、 文の意は流沙自り西の具の義を云う時、胡法には六を以て具足と為すと云々、或いは六は具の義と云う一義之有り、
〇御書に云く、「寿量品に云く、然るに我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身無始の古仏なり」、 抑も釈尊の因位の時何れの仏の所に於て得道したまうや、 答えて云く、真如法界の仏に於て覚道するなり、 一義に云く、己心の仏の所と云々、意は己心の仏性真如法界の仏の所に於て覚道するなり、一義に云く、己心の仏の所と云々、意は己心の仏性真如仏性に値いて本有の三身打開きたまう、 一義に云く、自然覚了の仏の所と云々、自受用身なり、 釈(伝教大師?)に云く、「一念三千即ち自受用身、自受用身とは出尊形佛」等云々、又云く(弘決)、「當知身土一念三千、故成道時稱此本理、一身一念遍於法界」云々、 武内大臣とは六代の臣下なり、
(p. 170)
年三百四十歳隠れる処を知らず云々、
第三の大章段に三世常住所化同体己心の本尊の相貌を明かす下、
〇御書に云く、「今此の本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり、仏既に過去にも滅したまわず、未来にも生ぜたまわず、所化以て同体なり、此れ則ち己心の三千具足三種の世間なり、迹門十四品に未だ之を説きたまわず、法華経の内に於ても時機未だ熟せざる故か」云々、 意は此の娑婆世界とは、寂光本有の国土なり、釈(文句記)に云く、「豈に伽耶を離れて別に常寂を求めんや、寂光の外に別に娑婆有るに非ず」等云々、義例(止観義例)に云く、「故に知ぬ、心體即ち常寂光なり、寂光と諸土と二無く別無し、遮那の身と土と相い稱い、法と報應と一體にして差無し」矣、能居所居一体なるが故に身土別無しと云う義なり、教主既に真如の仏なり、土も又た真如寂光なり、弟子も又た真如相続の弟子なり、三土は垂迹の土なり、本従り迹土を垂るるなり、爾前迹門の教主の土は各別なり、彼れは無常の土、無常の教主なり、此れは本門の因果にして各別なり、玄の九に云く、「今經迹中の師弟の因果と衆經と同有り異あり、本中の師弟の因果は衆經に無き所なり」云々、記の一に云く、「本有の故に無始、常住の故に無終なり」等云々、玄の七に云く、「若し迹因に執して本因と為せば、斯れ迹を知らず、亦た本を識らず、天月を識らずして但だ池月を観るが如し」云々、伝教大師云く、本門成常は天中の月、迹門は水中の月云々、
(p. 171)
〇御書に云く、「其の本尊の為体本時(師)の娑婆の上に宝塔空中に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏、釈尊の脇士に上行等の四菩薩」等云々、 之に付いて当家の相伝之有り、書に出だすが如し云々、此の観心本尊抄の外に、本尊の口伝日朗日興等に相伝之有り、日朗への相伝は名越谷、日興の相伝は富士に在り、又た常忍坊に相伝有り、此れ等の意か、
〇御書に云く、「十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」云々、 三変浄土を指すなり、宝塔品の儀式なり、故に涌出品の記(文句記)に云く、「機會し權開すれば土變じて表と為る、故に顯本しぬれば純ら諸の菩薩なり、淨土毀れざれども、而も衆は燒と見る」云々、意は三変浄土も真実の顕本以後は浄土なり、報仏の如来の真実の浄土なるが故なり云々、
〇御書に云く、「始め寂滅道場自り終り般若経に至る」等云々、 総別の三段之有ること常の沙汰の如し、三世の仏説を皆な法華と名づくるの意なり、或いは通じて一大を指して倶に妙法と名づく云々、(上略本書可見)、又た記(文句)の一に云く、「序(品)從り安樂行(品)に至るまでの十四品は、迹に約して權を開して實を顕わし、踊出(品)從り経を訖までの十四品は、本に約して、近を開いて遠を顕わす(開権顕実)」(守護國界章)と云々、
〇御書に云く、「其の教主を論ずれば始成正覚の仏、本無今有の百界千如を説く、已今当に超過せる随自意の難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六王子の時仏果の種子を下す、進んでは法華経(華厳経)等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず、但だ毒発等の一分なり、二乗凡夫等の前四味を以て縁と於(為)し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり」等云々、 意は以前の記の如く不待時(不字無用)の法華なり、文句の四に云く、「爾前に悟らず必ず法華を待って悟る者を、
(p. 172)
名づけて待時と為し、法華の前教に已に解する者をば不待時と名づく」等云々、爾前得道の有無は已前の如し、弘の三に云く、「謂う所は久遠に必ず大無き者は、則ち令小乘の秉法をして成ぜざらしむ、本無きを以ての故に諸行成ぜず、樹の根無ければ華果を成ぜざるが如し」云々、約教一往の日益有りと雖も、約部の時は爾前の益を許さず奪せらるるが故に云々、玄の二に云く、「前に(先)に方便の教を施せば、大教起ることを得ず、今ま大教若し起れば方便の教絶す」云々、玄の二に云く、「問う、仏(何)意絶を以て妙を釈するや、答う、(?だ)妙を喚えて絶と為す、絶は是れ妙の異名なり」等云々、今経独一妙と釈し給えり、秀句に云く、「約教の時は爾前に益を許し、約部の時は尚お涅槃を破す、況や余教をや」等云々、又た云く、「約部は随自意、約教は随他意」と云々、 問うて云く、下種の体は何に物ぞや、 答えて云く、玄の一に云く、「此の妙法蓮華經は本地甚深の奧藏なり、(中略)三世如來の證得せる所なり」云々、因果同時の妙法当体の本有の蓮華なり、三身の功徳を妙法蓮華経と名づく、三世如来の証得したまえる所なりと云々、抑も爾前得道の根性の融通の者は前四味に益を得て、不融の者は四味の調熟を蒙る、二人倶に久遠下種の者なり、爾前にして其の経の筵を借りるなり前の如し、諸釈を見るべきなり、弘の七に云く、「若し教旨を論ずれば法華は唯だ開權顯遠を以て教正意(主)と為し、獨り妙と名るを得ること意此に在り」と云々、 御書(録内三十七曾谷抄(曽谷殿御返事))(刊本録内?)に云く、「若論教旨と書かれて候は法華経の題目を教旨とは書かれて候、開権と申すは五字の中の華の一字なり、顕遠と書かれて候は五字の中の蓮の一字なり、独得妙名と書かれて候は妙の一字なり、意在於此と書かれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりと書かれて候ぞ、此れを以て知るべし,法華経の題目は一代経の神、一切経の眼目なり」文、 爾前迹門は本仏の施権なり、下種は本門妙法蓮華経なり、
(p. 173)
迹門とは大通以来三千塵点のことを迹門と名るなり、久遠の初めには全く迹門無きかな、久遠実本自り垂るる所の中間今日の迹なり、若論教旨の釈の意、爾前迹門は宗教、本門は宗旨なり、開權顯遠為教正意とは五時五味の主は但だ本門に限る処々の多釈を以て料簡すべし、之を略して書に載せず云々、 仰せに云く、天台宗と法華宗と教相各別なり、当宗の教相は爾前は施権なり、迹門は開権なり、此の本門は廃権の体なり、是れを本門正意の教相とする意なり、天台宗は迹門を立て施開廃を建立するなり、深く意得べきなり、教旨とは本門なり、弘の七の「若論教旨」の釈の意、三世仏説の主なり、若破若立皆な是れ本門なり、爾前迹門本門三重の施開廃の説は本経の文に明白なり、其の上天台伝教の釈の旨分明なり、又た弘の七に云く、「既に涅槃の逢(遥)に法華を指せるを引く、故に知ぬ法華は醍醐の正主為ることを、所以に經に秋收冬藏に喩う、涅槃の時に至るに猶お?拾の如し」と、弘の八の本に云く、「勝従り劣を起すは、即ち是れ施權、劣従り勝を起すは、即ち是れ開權、跨節に義を明かすは不可思議なり」と云々、文句の九に云く、「種種の因を行じ、種種の果を獲、種種の通を現じ、種種の衆を化し、種種の法を説き、種種の人を度す、總じて如來の壽命海の中に在り、海中の要は法性と智と應なり、喉襟目(?)、異に非ずして是れ何ぞ」云々、記の九に云く、「法性は法身、智は即ち報身、應は即ち應身」云々、寿量品に云く、「或説己身、或説他身」と云々、教釈の意、釈尊五百塵点劫より已來番番成道を唱え種種の因の修行、種種の神通を現じ、種種の説法、所有の万善万行諸波羅蜜、自行の功徳、化他の功徳、如来寿量海の中より修し出だし給えり、記の九に云く、「若し法身常住の壽無くんば、因果歸無し、故に知んぬ諸經の諸行の不同なる、皆な今經の常住の命に入る、此の常住の命、一體の三身、遍く一切を収む」文、経釈顕然たり、寿量の本仏久遠自り以来
(p. 174)
世世成道を唱え番番に迹を垂れ、本地の正味は妙法蓮華経なるは、仏果の種子と定め給うこと解すべし、 釈は且らく迹中の大通を指して種と為し、漸及び不定に寄すと雖も余経を以て種と為せずと釈せるも、終に本門に落居するなり、其の故は迹門の成仏は種子無し、開示悟入は是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し已ぬれば即ち本の要を成すと釈したまえり、記に云く、「権を禀けて界を出るを名づけて虚出と為す、三乘は皆な三界を出でざること無く、人天は三途を出んが為めならざること無し、並びに名づけて虚と為す」等云々、権実相対して之を判ずれば迹門勝る、本迹相対の時は本勝れ迹劣る、況や前四味等の諸経に於ておや、其の故は本門は迹の情を破す、「然我実成仏已來」等云々、文句の九に云く、「此の文は正しく破近顯遠を用う、破近は情を謂う、廢近顯遠は近教を廃するなり」云々、十界の因果を打ち破る時、本因本果の妙法と打ち顕わるるを寿量品の肝心とするなり、玄の一に云く、「衆聖の權巧を発して本地の幽微を顕わす」云々、
〇御書に云く、「又迹門並びに前四味無量義経涅槃経等の三説は、悉く随他意にして易信易解なり、本門は三説の外の難信難解にして随自意なり」云々、 迹門すら尚お本門に望むれば随他意の説なり、況や前四味をや、爾前と迹門は同有り異有り、本門は一向に異なり、三身を明かすと雖も爾前迹門は同じ辺にして殊ならず、未だ無常を免れざる教主の土は権土なり、機も又た未断惑の人なり、迹中の三一は功一期に高きなり、本は是れ本地総別諸経に超過するなり、迹門の円は超八の円なり、本門の円は然らず、独一の本覚の事円なり、権実論判の円に非ず、されば三説の外を教の正主と為し、独り妙円を得るなり、抑も天台宗並びに法華宗の諸人の廃立は、爾前迹門本門観心と四条五重の勝劣を立つ、本迹に浅深有れども未分の観心是れなりと云々、当家相承の正意は爾らず、爾前は教相なり、本迹の三五塵点も教相なり、此の上は則ち妙法蓮華経の観心なり、然れば題名の外に観心を求め、
(p. 175)
一代の教教を破し観心を破して、若し別に観心を尋ぬれば、達磨の偏観、恵心檀那の観心なるべし、本地難思の境智の妙法蓮華経の事観を置きて別に観心を尋求する者は、盲目なる者の杖を以て月を指し、犬の木玉の音に吠るに似たり云々、 問うて曰く、法華経の題目を観心と云える証拠如何、 答えて云く、「法華経の旨を讃して不思議の十乗十境待絶滅絶の寂照の行等を成す」(弘決)云々、妙法蓮華経とは万法の総称、我等が心法の全体なり、此れに迷惑して知らず、心の起所を観ずとは、徒とも申す方無きことなり、されば教相をも知らず、観心をもしらず、開会も知らざるなり、若し本迹同といわば爾前も同じきか、本迹の目を開かば、三世常住なり、再往は無作三身、三世料簡なんど云えること、仏眼を開くことは究竟円満の仏の知見なり、迷情の凡夫の目前は然らざれども、是の如く存し開は解行の妙法なり、 弘の五に云く、「佛果已に滿ずれば、事に従いて説くに、已に十界を具し、初地初住は分に十界を具す、乃至凡夫は但だ是れ理具」と云々、金?論に云く、「衆生は但だ理、諸佛は事を得る、衆生は但だ事、諸佛は理を証す、是れ則ち衆生は唯だ迷中の事理有り、諸佛は具に悟中の事理を有す」等云々、総じて万法一如、諸法実相は諸法皆空なんどと断惑証理せる二乗と、別円二教の仏菩薩の所見なり、此の如き沙汰は口にて云えども、事を証する者は無し、所詮は果満の上の振舞なり、初住の菩薩は分に証し、衆生は理を具足せり、
〇御書に云く、「一品二半自りの外は小乗教、邪見教、未得道教、覆蔵教と名く、其の機を論ずれば徳薄垢重、幼稚、貧窮、孤露にして、禽獣に同じなり、爾前迹門の円教すら尚お仏因に非ず」等云々、 私に云く、小乗教とは、迹門には五百塵点甚大久遠と説かず、故に小乗教なり
(p. 176)
本地の正味を説かず、故に邪見教なり、仏果の種を説かず、故に未得道教なり、文句に云く、「昔の方便行は未だ實道の益を得ず」云々、久遠の実本を覆うが故に覆蔵教なり、小邪未覆の四字は迹門の法体を挙ぐるか、徳幼貧孤の四字は機なり、上の小乗教の小乗は三蔵教の小乗にては無きなり、記の九に云く、「果門に対すれば近を楽しむを以て小を楽しむと為す」等云々、文句の九に云く、徳薄「垢重とは、見思未だ除かざるなり」と釈し給う、妙覚の膚を知らざるが故に幼稚とは、迹門は近因の位なるが故に果成は初住なるべし、妙覚に望むれば初住は幼稚なり、貧窮とは寿量品の玉を得ざるが故なり、無価の宝珠なり、孤露とは孤露の二字をばみなしごと読めり、知んぬ二仏の中間、滅後未来末法の我等か、迹門は師弟の遠本を得ず、本地難思の境智の極位を知らず、故に畜生に同じなり、妙楽の云く、「若し父の寿の遠きことを知らずんば、復た父統の邦に迷い、徒に才能と為すと全く人の子に非ず」等云云、此れ等なり、爾前迹門の円教尚お仏因に非ずとは、記の五に云く、「彼の本文に望めば圓すら尚お方便なり、況んや復た偏をや」云々、爾前迹門の円教は下種に非ずと云々、
第四に法華経の迹本の二門弘通説時の傍正を明かすに二とす、先ずは迹門に於て二意有り、所謂在世と滅後となり、本書の面が明鏡なり、次に又た本門に三意と為す、初めに久遠乃至迹本二門に種熟脱を明かすこと文の如し、次には序正流通倶に滅後末法の始めを正と為す、三には在世滅後の末の得益を明かす、遠種の熟脱は前に記するが如し、久遠下種の者は在世に之を脱し、在世下種の者は正像に脱するなり、今末法に入りて初めて為に下種す、権実の機悪となること威音王仏の像法の如し、迹化の菩薩は慧命相続の為なり、本化は下種の導師なり、遣使還告は四依是れなり、 題目の五時は下種となる証文如何、 問うて云く、閻浮提とは何にごとぞや、 
(p. 177)
答えて云く、此れには勝金と云う、大論の三十五巻に云く、閻浮は樹の名なり、此の州の上に此の樹林有り、林中に河有り、底に金沙有り、閻浮檀金と名づく、此の果落ちて金と成るが故に、又た起世経に云く、須弥の南畔に吠琉璃樹あり、閻浮州の中に映して皆な青色なり、此の州の大樹を閻浮提と為す、其の樹縦広七千由旬、下に閻浮檀金聚有り、高二千由旬なり云々、 不失心とは、涅槃経の二十二に云く、「如來世尊諸の病者を見たまいて、常に法藥を施したまう、病者服せざるは如來の咎には非ず」云々、寿量品に云く、「今留めて此に在く」云々、照る月の光を胸に持ちながら迷う心は曇りなりけり、重酔軽酔の二之有り、重酔は隔生即忘、軽酔は不忘なり、観行相似に沙汰有るなり、四依とは大経の第六如来性品なり、正法の四依は小乗、像法の四依は権大迹門、末法は本化の菩薩なり、
〇御書に云く、「四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現し、大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現し、三に迹門の四依は多分は像法一千年、少分は末法の初なり、四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し、遣使還告は地涌なり、是好良薬とは寿量品の肝心たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬は仏尚お迹化に授け給わず、何に況んや他方をや」云々、 問うて云く、序品と神力品との五重玄如何が意得るべきや、 答えて云く、本迹二門の題名の勝劣なり、釈に云く、「初の名の中に三法を総ずるを以ての故に、三法の始末一部に亘るが故に、何となれば、一部の中か本迹に過ぐることなし、本地の總別は諸説を超過し、迹中の三一は功一期に高し」等云々、輔正記に
超過諸説等とは、一には則ち前十四品に超え、二には則ち一代の教門に超え、一一の名一一の句並びに諸経に異なり、故に己今当等と云う云々、迹中の三身は一代一部に約する殊勝なり、
(p. 178)
本地の三身は三世に異に殊勝なり、此の釈に三法とは三身なり、名中とは名玄義なり、本迹の論談は名玄義に委悉なり、神力品は教の次第に約するなり、序品は行の次第に約するなり、総題の名勝劣秘すべし秘すべし、二七の題名は寿量品の題名を顕わすなり、釈の意なり、付属とは本門の五重玄なり、疏(法華文句)に云く、「總じて一經を結するに唯だ四のみ、其の樞柄を撮りて之を授與す」等云々、文句の九に云く、深法を付属せんが為に、十種の大神力を現したまう等云々、四句の要文合すべし、
第五に結要の正付並びに諸付属の相を明かすに五あり、(此の書外別口伝有り、大概之を註す、御掟なり)、 神力品に云く、「爾時千世界微塵等菩薩」云々、意は是れ付属を明かす、所以に外の付属は三千三百萬億那由他恒沙の大会の中にして此の深法を付属するなり、地涌の菩薩は涌出品に出でて、嘱累品に下方に還り、分身と多宝とは各々本土に還りたまい、土も又た穢土に覆す、二処三会と申すは是れなり、下方とは何の下ぞ、今云く、釈して云く(法華文句)、「法性の淵底、玄宗の極地なり、故に下方と言う」等云々、経に云く、「下方空中住」云々、 私に云く、第一義空の空中には上に非ず下に非ず、中道法性の虚空の奥蔵に住し給うなり云々、
〇御書に云く、「此の四(大)菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は(聖)僧と成つて正法を弘持す」等云々、 意は法独り輝かず、当に王法の威を借るべき道理なり、国中に謗法有らば賢王之を対治すべし、例せば阿育大王の十万八千の外道を殺すが如し、有徳王の無量の破法の者を害するが如く、禁むべきを接せん、爰こ尤も理りなり、摂折二門の機同じく兼備すべし、悪を破するが故なり、例せば仏の在世の如きは、神力を信じて益を得る者之多く、又た法を聞きて益を得る者之多し、摂折二門の機に依るべきことを知るものか、
〇御書に云く、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内に此の珠を裹みて末代幼稚の頸に懸けさし無、四(大)菩薩此の人を守護し給うこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍るに異ならざる者なり」、
(p. 179)
此の妙法蓮華経は三世の諸仏の万善万行を束ねて五字と為し、一毫未断の我等に与え給えり、未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前し、三身の功徳を満たし、我が如く異なること無し、我が昔の所願の如く、今は已に満足せん等と云々、略して之を註す、
観心本尊抄見聞(要文経文に付き、七十二之有り、別に之を註す)
弘安六年太歳癸未卯月上旬五日之を始む
大文段 五五三二五 小文段二四二五五
謹言 御書聞書
問うて云く、撰時抄の教行証の修行の重の義如何、 答えて云く、多義有りと雖も、先ず一義に於ては、此の御書は仏法を学する法は時を先にす云々、然れば地涌の五種行の時は後の五百歳、法は本法の題、機は本未有善の機、時機相応せり、此の上に修行する三大秘法なり
 報恩抄の証の義如何、 答えて云く、一歩も行かずして三祇を超え、頭を常に飼わずして無見頂相を得る云々、難行苦行一分もなく此の身に直ちに三大秘法を証得し奉る果報は、竜樹天親にも超えたり、此の御書一向証ならず、証を肝要として又た教行有り、余も之に準じて之を知るべし、 開目抄は文永九年一向教なり、報恩抄は建治二年一向証なり、撰時抄は建治元年一向行なり、一向教とは教観共に有り教正観傍なり、
(p. 180)
自余之に準じて意得るべし、 一代大意抄は御書の始めなり、開目抄に五重の教相有り、撰時抄に五段の修行有り、報恩抄に四段の習い有り云々、 立正観抄、観心本尊抄は観正教傍なり、 開目抄は一向教相、当体義抄は観正教傍の御書なり、
観心本尊抄後五百歳始と云う、此の始の字は御本尊の未曽有の未と一意に習い合するなり、
(写本に云く)茲抄は中山開基日常聖人御述作なり、類本之無き間之を書するなり、
(編者云く) 一七九頁大文段已下は後人の添加か、且らく版本に従って茲に載録せり。






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