炯々たる 3月 下旬 編
3月21日(火) 臨戦態勢?
本日の日程は学年集会及び生徒総会。しかし私はそっちのけで成績処理。だって各教科から
出てくる個票(成績の入った帳票)が、やたらめったら間違っていて、その訂正に追われて
いたので。もうみんなちゃんとやってよって感じ。こういうミスをする人は大概いつも
同じ人で、いくらお願いしても毎回同じことを繰り返す...いい迷惑です。そのせいで
私の仕事が増えていく。でもこういう人に限って、その場では謝りながら実は全然解って
いないということがほとんど。やれやれ。
さてその後、いよいよ新旧学年会議が行われた。先刻書いたように、O−TEACHERは
来年度担任復帰!ということで来年のクラス編成及び担任副担任決定の会議が行われたのだ。
うちの学校の場合、コース制を取っているので情報コースクラスと理系クラスを除いて、毎年
クラス替えが行われる。自分の進路にあった授業を選択できるように文Tコース、文Uコース
とか文Vコースなど。生徒の希望を考慮した上でクラス編成が行われてのだ。自分が学生の時は
どのクラスになるのか、仲の良い友達と同じクラスになるのか、担任は誰なのか、とドキドキ
したものだが、こういう裏側を知ってしまうと意外に機械的でびっくりした。単純な成績による
割り振りがほとんど中心。あとは男女比、氏名の重複(例えば田中君が4人も同じクラスに
固まらないようにとか)、リーダーを取れる子がいるかどうか、人間関係で問題がないかどうか
等々。でもやればやるほどこんがらがってしまうので、結局成績均等分けの原案に、多少手を
加えた程度。いよいよ決まったのだ。そして次は誰がどのクラスの担任になるかということ。
実はこっちの方が意外に揉めたりするのだ。当然人間だからいくら担任生徒であっても、相性が
合う合わないは出てくる。合わない担任だと、その生徒にとっても先生にとっても、お互い嫌な
一年間になってしまう。だから前任校ではそのあたりのことをかなり考慮して担任を決めて
いたのだが、うちの学校の場合、どこのクラスを持っても大変さは同じ(泣)ということで
あまり深く考えずにだいたいで決めていた。今回もそれに近い。というよりクラスこそ蓋を
開けてみなければわからないというのが本音。それをみな体験的に知っているから、そんなに
選り好みはしない(笑)さていよいよ担任副担任も決まり臨戦態勢に入りましたか?でも
まだまだ今年度は終わらないのです。
3月22日(水) ひとりでできるもん!
本日は大掃除。私もトイレ掃除に情熱をかけました(笑)さてその後学年会議。うちの学年は
ほとんど揉めることもなく、スムーズにほぼ進級予定。良かった良かった。多少問題のある
生徒もいるけど、なんとかなりそう。
さてそれよりも何よりも新しい仕事が入ってきた。つい先週末成績処理も終わり左うちわ
だったのですが、再度同じことをやらなければならなくなった。というのは、記憶の良いしかも
この日記の愛読者なら(そんな人いるのか?)覚えているかもしれないが、昨年私が教務部に
いたときに四苦八苦していた、ニュー成績処理ソフトが、いよいよ来年度から稼働する予定
なのだ。私がやっていたときは、その力量のなさから、買ってもらったはいいが全然稼働できず
そのままになっていたのだ。非常に反省しています。その後今年度一杯かけて教務部のU先生が
なんとか始動できるところまでやってくれたのだ。多謝U先生。これがうまく動けば、
成績一覧表はもちろん、通知票、進路調査書等々、全て自動的に印刷されてくるのだ。その
前段階として、今年度の学年末の成績を入れておけば、来年度すごーーーく画期的に楽に
なるのだ。というわけでその成績の点数を、この新しいソフトに入力し直すという仕事が
出てきたのだ。
ところが...現2学年の成績処理はほとんど私が一人でやっていたのだ。副担任の先生方は
ほとんどコンピューターがいじれないのだ。だから今回のこの作業も、お手伝いをお願いした
ものの、やり方を覚えてもらうまでにえらく大変なことになってしまったのだ。それでついつい、
それなら自分一人でやった方が...といういつもの安易な考えに走ってしまいそうになったのだ。
でもこれをやると、また私の仕事が膨大に増えてしまうだけだし、いつまでたっても他の先生方が
覚えてくれない...というジレンマ。ここは忍の一字でひたすら我慢してやってもらいました。
いくら時間がかかろうとも。実はこの忍耐の方がえらい疲労だったりするのです。やれやれ。
3月23日(木) 春の嵐の成績会議
いよいよ3学期も大詰め。本日は机・椅子の大移動でした。1年生は2年生に、2年生は3年生に
なるので教室も移動することになります。そうすると各クラスの人数に差があるため、机や椅子に
過不足が出てくる。そのため補充をしたりする作業が必要になるわけで、今日はその作業が
メイン。おまけに来年から1年生が1クラス減って5クラスになるため、空き教室を他の目的に
使えるようにするため、学年室という先生の部屋や、多目的室と呼ばれる部屋などに模様替え
するために荷物やロッカーの大移動が行われたのだ。私もそのお手伝いで、生徒を使って、
机・椅子の移動の指示を行ったりしててんやわんやでした。
しかし何よりかにより、今日のメインは成績会議。年度の最後ですから、単位認定・進級が
かかっている超重要会議なのです。しかし風の噂では1年生の方で色々問題があって、長引くぞと
いうことらしかったので、みんなびびっていました。そんな中、我が2学年は無事みな進級でき
10分とかからずしゃんしゃんと終わり(笑)いよいよ問題の1年生の方へ。案の定、色々と
物議を醸し、紛糾してきた。どうやらその原因は手続きや対応の仕方、はたまた各方面での
考え方の違い、見込み違い等々、複雑に絡み合って揉めてしまったのです。もちろんその内容は
詳しく書けませんが、私が思うに、今までうちの学校がやってきた共通理解していた、様々な
対処方法がだんだんと変容してきたことから来る齟齬のような気がしました。その原因には
生徒のレベルが上がってきたことも一因で、例えば以前は大変な学校だから、教員で揉めてる
暇なんかない!一致団結して事に当たろう!という感じだったのですが、そのトラブルや
大変さの内容が変わってきたので、その対応方法も以前と違ってまちまちになり、共通理解が
図られなくなってきたから、こんなふうに揉めるのでしょう。またそれだけでなく、生え抜きの
教員が少なくなり、大量の教員が入れ替わり、新しい考え方の人も多くなってきたからで
しょうか?うーん、うまく言えないなぁ。ほとんど部外者には全く理解できない話...。
すいません。まっ、いつの時代でも組織や認識は変化し続けるということでしょうか。
それでも長い会議はなんとか終わり、やっとゴールが見えてきました。なんとか春休みに
少しでも楽するために、午後も黙々と仕事に取り組んでいました。新しいクラス編成が見えて
きましたので、その名簿作りをちまちまと...。そうそう、仲良しの事務のOさんも転勤が
決まってしまいました。ちょっと悲しい。お世話になったのでお別れが残念です。こうして
どんどん仲良しさんがいなくなり、私もとってもブルー。
3月24日(金) 別れの時
本日は終業式。やっと1年間の納めの日です。今日の新聞で転勤する先生方の名前が発表され
生徒の方も大騒ぎ。特にこの2学年は6名の担任のうち3名が転勤することになり、生徒の方も
びっくり。終業式の時、司会をやっていたK先生から「今朝の新聞で知っている人も多いと
思うけど、転勤される、お世話になった先生方にちゃんと挨拶しておきなさい。」と言われ
かなりざわついていた。その終業式が終わり体育館から出ようとするときに、とある生徒から
「O−TEACHER、ありがとうございました。」と言われる。おいおい、俺はまだ
いるって!もちろんジョークですけど。でもしんみりする間もなく、来年度の教科書販売があり
昇降口前に生徒が群がって、まだまだ仕事は続いているのです。別れを惜しんでいる暇など
ない(^^;)
そしてその後、私の方はどどーんと仕事が回ってきました(泣)まずは例の新成績処理ソフトへの
2学年全生徒の本日までの出欠統計を入力。教務で担当のT先生はご飯食べに行っちゃったので
代理でやりました(この分の借りは大きいですよ(笑))まぁ、これも来年担任として楽をする
ためには必要なこと。一肌脱いじゃいました。そしてもう一つの仕事は来年度の住所録。正しくは
PTA会員名簿というのだが、これも旧クラスから新クラスへの並び替え作業及び訂正と、
けっこう手間がかかるのです。昨年までは副担任だから、のほほんと4月に入ってからちまちま
やっていましたが、来年担任ともなると4月は地獄の忙しさ。だから今のうちやっておこうと
これもまたひたすらコンピューターの前でカタカタ打ち込む。なんか1月以降、こういう単なる
入力作業→訂正→再入力→エラーチェック→プリントアウト...という仕事ばかり繰り返して
いる気がする。ほとんど事務職ですな、決して専門職ではありませんね(笑)
そんな中、転勤する先生方の荷造りが始まる。とても悲しい。そのうちの何人かは着任が同じで
いわば同期。その人たちがいなくなり、なんか取り残されたような寂しい気持ちになる。もちろん
一番寂しいのは当人に決まっているけど、一番大変な時期をともに戦ってきた戦友のような、
うまくいえないけど、同じような思いを抱きつつ、かけがえのない時間を過ごしてきた仲間たち
なので、胸がふさがる思い。春は別れと出会いの季節と言うけれど、毎年センチな気分になる
私です。年のせいかなぁ。何か惜別の言葉をかけたいのですが、ふだんからおちゃらけた性格
だから、なかなか気の利いた言葉が言えない。「向こうでも頑張って下さいね。」ぐらい。
もっと感謝の気持ちを述べたいのですが、うまく出てこない。春休みに入ってしまうと、みんな
バラバラになって顔を合わす機会もほとんどなくなるので、今日が事実上最後。切ないですね。
3月27日(月) 春休みうだうだ日記
春休みです。学校行ってません(^^;)研修中です(笑)というわけで短いながらも春休み。こういう
時しかゆっくりできないし勉強もできないので、有効に使おうと思っています。ですから
しばらくは春休み中のプライベート話が中心です。さて本日のO−TEACHERは何をして
いたかというと、午前中は医者で薬をもらいに行き、その後ジョギング。もう1年ぐらい走って
ますが、そろそろ桜の季節。ジョギングも気持ちよい。そして午後からはまさに研修、勉強です。
まずコンピューター関係の勉強。少しでもスキルアップのため自己学習。そして次に本職の国語(笑)
このところ忙しくてすっかり読書量が減っていたので、読まずに積んであった本をとりあえず
一冊読破。できれば春休み中に10冊ぐらいは片付けたい。そしてこのホームページの手直し。
そのうちリニューアルできるかな。と、まぁ、のんびりぼけぼけと春休み初日は過ぎていきました。
3月28日(火) 先生という職業
このところ、というか相変わらず先生という職業がマスコミをにぎわしている。そのほとんどが
よからぬ所行のせいですが(^^;)こういう事件とかが起こると本当に風当たりが厳しくなる。まっ、
当然といえば当然なのだが。でも世間一般では大目に見られていることでも、こと教員とか
警察官とか公務員がらみになると、その叱責がきつくなっているような気がするのは私だけ
だろうか。確かに高い倫理性や自制心が求められる職業であるわけだから、常に身を慎むことは
必要なのだが、それにしても一部の人たちのせいで、一生懸命やっている我々まで色眼鏡で
見られるのはとても心外なのだ。
でも時々思うこともある。自分も含め、学校という閉鎖社会で長く生きていると、やっぱり
世間一般の常識からずれていっていると。語弊を恐れずに言わせてもらうと、たいがい学校の
先生になるなんて人は、昔からお勉強ができた人たちの集まりであるわけで、おまけに
学生時代はたいして羽目もはずさず、順風満帆に来た人たちが多い(私も含めて)そんな勉強が
出来た良い子ちゃんたちが、会社という縛りのきつい枠組みにはいることを良しとせず、ほとんど
就労経験のないまま教員になる。教員になればどんな若造でもいきなり先生と呼ばれる身。
いきなり生徒の上(?)に立つ身になってしまうのだ。当然勘違いする人も出てくるのだろう。
この学校という閉鎖社会にどっぷり浸かっていると、時々自分でも普通の感覚が麻痺して
しまうのが解る。一般社会ではとうてい通用しないような非常識が、平然とまかり通るような
ことが起こるのが学校だ。それも一度や二度ではなく。だから学校という場が隔絶され過ぎて
いるため、色々と一般社会との不整合や齟齬が生じるのだろう。私も気を付けないと学校の掟に
犯されてしまう。よくニュースをにぎわせているような学校に関わる問題はほんの氷山の一角。
まだまだ世間常識とずれている旧態依然とした認識は現存している。その中で生活している
生徒も教員も、違和感を感じながら同じことを繰り返している。うーむ、根が深い問題だ。様々な
教員の失態も学校における諸問題も、来るところまで来ている気がする。教育改革とは、まさに
教育制度というシステムの再構築しか手はないような気がする。現場にいる私はそう思うの
だが...。本当はこんな当たり前的な総論ではなく、具体的な事例を出して矛盾点を指摘
したいのだが、こんな場で言うのも差し障りがありそうなのでご容赦(^^;)ただ色々考えなければ
いけないことは沢山あるのですよ。まずは自分から変えていかねばね。....たまには真面目な
O−TEACHER(笑)
3月31日(金) 夢を持ちましょう
しばらくおさぼりしていました。全然学校へ行ってないもんでネタがなくて(^^;)でも今日は
今年度最後なんでとりあえず(笑)
ここ数日プライベートなことで色々あり、精神的に疲れている。自分の人生とか将来とか、そう
いうことに関して真剣に考えているのだ。「何を30代も半ばを過ぎて...」と言われるかも
しれないが、これって大事なことだと思う。自分の10年後、20年後を想像できなければ、
と言うか、どうなりたいかという理想がなければ、今、自分が何をすべきか見えてこないと思う。
年齢に関係なく、自分がどうありたいか、そんなことを真剣に問いかけていた。今週は時間が
あったので、自分に向き合う時間がとれた。様々な人との出会いによって自分の今があると言う
ことも、はっきり確認できた。自分にとって必要なこと、必要な人。そういう見極めって、常に
大切じゃないかなぁと思うのです。小須田部長じゃないけど、いる物といらない物の仕分けは
ある程度必要でしょう(笑)
それでもやはり難しい問題でもある。自分の未来像というのは。年を取ったせいもあるかも
しれないが、生き方がだんだんシンプルになっていくような気がする。あまり小難しい理屈は
考えないで、自分のやりたいようにやる。ただし人に迷惑がかからない程度に。色々なことを
我慢しすぎず、自分の心に忠実に生きていく。これって難しいけど根元的な希求だと思う。
理想の人生みたいなものを思い浮かべられたら、それに向かってシンプルに生きる。それが
私の結論。青臭いことは万々承知。まだ30代ですから(笑)でもそういう自分の未来が
具体的に思い浮かべられない子供たちが、何かと世間を騒がせているのではないだろうか。
「お金持ちになりたい。」「有名になりたい。」それらはなんの具体性も感じられない。
もっと具体的に夢を持てるような世の中が必要なのだろう。子供たちが夢を持てるように
なるためには、まず大人が夢を持てなくては...。だからというわけではないが、私も
ひとつささやかな夢が出来た。何かって?内緒(笑)