蒼々たる 1月 上旬 編
1月1日(月) 箱の中のお正月
明けましておめでとうございます。本年もこの「高校教師の憂鬱」をご贔屓のほどよろしく
お願いいたします。とは言ってもだいたい盆暮れ正月、ほとんど変わらぬ暮らしをしている
私なので、21世紀になってもたいした感慨はございません、ハイ。でもまぁ、国語の教員
なぞをやって、いちおう古典なんかも教えたりすると、節気や季節感や年中行事にも詳しく
なり、やはり節目節目の行事なんかには意外に敏感になったりするもので、今年ももう
正月か...なんて当たり前のことを思ったりするわけです。でも昔に比べ(こういうと
爺臭い)正月と言ったって、別に独楽も回していない凧も揚げてない。ましてや羽子板
なんて皆無に等しい。私の小さい頃はゲイラ・カイトぐらいはやったものですが。それに
2日ともなれば、大きな店はもう平常営業しているし、昔感じた正月三が日の、何とも
言えぬ静寂感というか、日頃あんなに騒がしい町がシーンとして、空気も澄んでいて、
その雰囲気が、お正月だという実感を与えてくれたものだった。しかし今となってはねぇ。
今日もジョギングして、家の近くを走ったが、もう車がバンバン走り、お店はやっていて
どこへ行ってしまったんだろう、日本のお正月は、と思いつつ走っていた。年賀状はほとんど
パソコンで作られたらしく、宛名も印字、もちろんデザインもカラープリンターできれいに
印刷されている。人のことは言えないが、何の添え書きもなく、やたらきれいなだけの
年賀状は、会社がらみのよう。日本のお正月もどんどん変容していくのだなぁ。でも唯一
日本のお正月の伝統を守っていたものがある。それは、あきれるほどコテコテの演芸を
飽きもせずにやっている、正月のテレビ番組だけ。今、ここでしか日本の真のお正月は
見られないかもしれない。まさにパーチャルな時代になってきましたね。
1月2日(火) クラス文集を打つ
実はめったに自宅で仕事をやらない主義の私が、今回の休み、仕事を持ち帰っている。
それは何かというと、実はクラスの卒業文集の原稿(笑)卒業なんて3月という、全然先の
話だが、少しずつやっておかないと、絶対間に合わないという自分の性格を熟知しての
こと(^^;)いちおう無理矢理生徒に書かせたので、それをワープロ打ちしようと持ち帰って
いたのだ。生徒もいい迷惑である。まだ2学期の途中で、卒業なんて実感もないのに、
「今までありがとうございました。みんな元気でね。」なんて書かせられたわけである
から(笑)でもとりあえず生徒の原稿と、何人かの奇特な先生たちの贈る言葉が回収できた
ので、この冬休みちまちま打っているのだ。
しかしそれにしても生徒の原稿打ちは疲れる。だって本当に意味がない内容が多いんだもの。
少しはそれらしく書けばいいのに、まるで友達への手紙のようで、軽すぎる内容ばかり。
こんなの本当に残してしまって良いのだろうかと思うものばかり。それに話し言葉ばかり。
「みんな元気ピー!」とか...。でもそれぐらいならまだいいが、中にはワープロ入力を
崩壊させる絵文字記号がたくさんあって怖い。たとえば「ちょ→楽しかった。」「ひろりんへ☆」
ぐらいは変換がきくからまだいい。でもハートマークや流れ星マーク、絵文字の氾濫には
まったくお手上げだった。おまえたち、ワープロで打つからなって言ったじゃないか(泣)
おまけにあっちこっちにイラストが入っているので、改行や段落なんて、あったもんじゃ
ない。漢字の間違いなんぞはご愛敬の最上級(笑)でもこういう文章は、かえってワープロで
打つより、そのまま直筆で印刷した方が、その雰囲気が出て良いのではないかと、しばし反省。
じゃ、なんのために持って帰ってきたのだろう(爆)
1月3日(水) 書くことがない日
昨日の夜は、毎年恒例の、親戚一同が集まる大宴会が実家であったため、少しヘロヘロ。
もちろん私は下戸なので、二日酔いというわけではないが、人がたくさん来て(総勢19人!)
その接待で疲れてしまった。小さい子供たちもたくさんいたので、お年玉を強奪された上に、
一緒に遊んであげて、それもより疲れを増しました。
そして本日は、またまた自己研修ということで、ひたすらお勉強。ちょっとばかり情報処理の。
こういう静かで時間がまとめて取れる時じゃないとね。そんな日でした。
1月4日(木) 生まれて初めて救急車に乗った!
と言っても別に急病になったのは私ではない。乗ったのは3歳になる甥っ子。付き添いで、
生まれて初めて乗ってしまった。と言っても、子供の時憧れていたほどわくわくはしなかったし、
別に乗ってみても、中味は心電図などがついているただのバンであった。
さて事の起こりはと言うと、一番下の弟夫婦の依頼による。その弟夫婦には3歳と1歳半の
二人の男の子がいる。で、その二人の子を実家で今日一日預かってくれということになって
いた。それは弟たちがゴルフコンペに出るため(^^;)でも年老いた爺さん婆さんだけでは大変
なので、一番暇な私も借り出されたのだ。それだけなら子供二人の面倒を一日見るだけで
済んだのだが、それに加え、他の甥姪(ともに4歳)も遊びに来ていたからさあ大変。子供
4人でドタバタ騒ぎはじめて大騒ぎだったのだ。私もクウガの敵役となって戦ったり
して(笑)もう午前中の時点でヘロヘロだったのだ。
しかし事故はその時起こった。3歳の甥が二階でみんなで遊んでいた。そしてベッドから
飛び降りたりして遊んでいたのだった。その時ドスンと落ちて、急に「痛い、痛い。」と
泣き出したのだ。そんなの小さい子供だから、ちょっちゅうあっちをぶつけて痛いと言って
泣いたり、こっちをぶつけて大声を出したりと、そんなことは日常茶飯事なので、いつもの
ように「大丈夫、大丈夫。」と言っていたが、一向に泣きやまない。そしていつもと比べて
ちょっと泣き方も変。全然動けないでいる。「どうしたの、カズくん、ここが痛いの?」と
足をさすろうとすると、まさに火のついたように泣き叫ぶ。これはおかしい。お袋も私も
びっくりして、見て見るも、どうやら腰か足をやったらしい。骨が外れているか何かかと
思った。でも痛がって動かせない。かかりつけの医者に片っ端から電話するも、ほとんどが
まだお休み。仕方なく救急車を呼ぶ。そこで付き添いとして私も乗ったのだ。しかし大事な
甥っ子の緊迫した様子に、救急車の内部を観察する余裕もなし(当たり前)すぐ近くの
病院に運ばれる。
そしてレントゲンの結果、左足の大腿骨がぽっきり折れていた...。これじゃあ痛いはず。
すぐ処置をしないといけないので即入院。子供なので手術よりも伸ばしてくっつける処置を
する。足を固定して全治1ヶ月の重傷。3週間近くは要入院。弟に連絡を取りたくとも、
ゴルフ場のために携帯の電波が届かず四苦八苦。それでも何とか連絡が取れてすぐ戻って
くる。やれやれ。
確かに大怪我だけど、きちんと治ると聞いてちょっとほっとした。でも1ヶ月も足を
つられたまま入院生活なんて、3歳の子供には不憫。思わず涙ぐむ。でも本人は、途中
あんなに泣いたにもかかわらず、看護婦さんには「ウルトラマンごっこでジャンプした
けど着地に失敗したの。」と冷静に説明(^^;)子供って、こういう親の隙をついたり、
年末とか医者がやっていないときに限って、熱を出したり怪我をしたりするものと相場が
決まっていますよね。とりあえず可愛い甥っ子に振り回されつつも、心を痛めた一日
でした。
1月5日(金) 何もなし
昨日の甥っ子の大怪我から一夜明け、午前中お見舞いに行くも、あまりの痛がりようで、
可哀相で思わず泣けてくる。子供が辛い思いをするのは耐えられない。そのため一日中
気がふさぐ。その後、自分のためにお年玉として、いきつけの中華料理屋で、いつもより
奮発して100円高いメニューを頼む(なんと小市民(笑))そして本日は何も手に
つかずぼーっとしていました。
1月6日(土) 無為な冬休み
そろそろ時間帯を戻さねば仕事に差し支えそう。9日から学校なので、のんびりしすぎて
いる。朝も普段は5時には起きている人が、8時まで寝ている。寝る時間はたいして
変わらないのだが(笑)早起きは毎日習慣づけるまでが大変だが崩すのは簡単。それでも
こちらは仕事だからしょうがないけど、問題は生徒。果たして3学期の初日。何人の生徒が
きちんと登校できるか。怖すぎる。
また初日から仕事でてんてこ舞いにならないように、本日仕事も少し片付けた。だいたい
自宅で仕事をやろうと思って色々持って帰ってきたが、ほとんどやっていない。唯一少し
やったのはクラスの卒業文集くらい。昔から家に仕事を持ち帰る主義ではないので、やはり
無理があったみたい。それでも今日は3学期に必要な、色々な資料や仕事を片付け、気分的
には少し社会復帰(笑)まだ予定していた量の20%ぐらい。無為な冬休みでした(^^;)
1月7日(日) 散策してきました
たまには気分転換ということで(いつもしているが(^^;))久しぶりに秋葉原探検に行って
参りました。別に何を買おうというわけではありませんが、何となくぶらぶら冷やかすのが
好きなもので(笑)でもいっつもパソコン関係ばかり眺めているわけではなく、その後、
湯島天神、御徒町、アメ横、上野公園あたりをぶらついてきました。この辺りの情緒深い
雰囲気と、アメ横などの猥雑さ、そんな不思議な空間が混じっていて、実はとても好きな
界隈なのです。文学的な史跡や碑も多く、文学作品に縁のあるところも多いしね。その他
にも、冬場は独特の雰囲気を醸し出す不忍池とか、本日は寄らなかったけど鈴本演芸場とかの
寄席とか、実はO−TEACHER、御用達の場所やご贔屓のお店なども回ってきました。
秋葉原ではITという21世紀の躍動を感じ、上野で明治に思いをはせる...うーん、
なんてすてきな電脳文学散歩(笑)でもとっても寒かったです...(^^;)
1月8日(月) 成人の日
成人式に雪とはご愁傷様です。いつかみたいにスニーカーで行ったのでしょうか。でも私の
周りでは、とんと晴れ着も見ず、午前中美容院へも行ったのですが、それらしき人も見ません
でした。まぁ、年齢でしか人をはかれないというのもおかしな話ですけどね。
そういえばまだO−TEACHERが、二十歳になったときは、携帯電話もなく、それなりに
式典なんかに出席して当時の彼女の晴れ着を、カメラでいっぱい撮った記憶があります。
あの時は若かった。今考えると、全然大人じゃなかったですけどね。じゃあ一体いつから大人に
なったのだろう...と考えると、大人の定義をしなければならない。面倒なのでやめ(笑)
さて明日から学校です。憂鬱です。行きたくありません。そう考えつつ早寝をせねばと算段
する私。
1月9日(火) 21世紀の学校、始動(笑)
というわけで始まっちゃいましたよ、3学期。あんなに恐れていたのに(笑)昨日の夜は寝付かれず
寝不足のまま早起きし、色々荷物を詰め込んで、まだほのかに残雪の残る通勤路をひた走る。
毎度長期休業明けはそうなんですが、どうもペースがつかめない。いきなりトップギアで仕事を
しなければならないのですが、持続力がなく、声が出ず、力が入らず、すぐ息切れ。先生という
商売は、つねに自分をハイテンションに持っていけないと出来ない仕事なので、けっこう困りもの。
さて我が女子クラスはどうだったか...。うーむ、まずまずとしましょう。学期末、あまりの
欠席の多さにあきれかえり、落ち込みまくり、怒りまくってお説教した甲斐がちょっぴりあったのか
それとも保護者への連絡が功を奏したのか、欠席は2名のみ。これには満足。その反面、頭髪が
さらにエスカレート。金髪はさすがにいないけど、スーパー茶髪は4、5人あり。これにはまたまた
がっかりくん。でもまだまだ初日。ここでエネルギーを使い果たすと後が続かない。とりあえず
軽くお小言にとどめる。
そしてその後清掃して、始業式。うちの女子たちはいいのですが、一部の男子たちは、まともに
校長の話を聞いていられない。別に騒ぐわけではないのですが、ダラダラ身体を揺すったり
前のやつつにちょっかいを出してくすくす笑っていたり、どうも落ち着きがない。それを見ていて
昨日のニュースでやっていた、成人式での狼藉ぶりを思い出してしまった。中には知事に一喝
されて退場を求められていたり、クラッカーや携帯が鳴りまくったり、その暴れぶりには目を
見張るものがあった。結局こういう生徒がああなるのだなぁと実感。わずか20分足らずの
始業式でもじっとしていられないのだもの。2年後の成人式の荒れようが想像できて心が沈む。
そんなことを考えつつ、もう明日からさっそく授業なので、教材研究などにいそしむ。でもやはり
ここでも根気が続かない。15分もやると飽きてしまう。なかなか集中してできない。あれ?
これって生徒と同じかも...(笑)
1月10日(水) これでも教材研究
喉が痛い。鼻水が出る。これって風邪?(当然)おかしいなぁ、あんなに注意してうがいや
手洗いをまめにしていたのに。これって単なる学校拒否症候群?(笑)しかし、3年生の残り授業も
少ないため、倒れるわけにはいきません。頑張ってます(^^;)
とりあえず本日は授業が少なかったので、何とか乗り切れましたが、明日は色々あって大変。熱で
フラフラする頭を振り絞って、教材研究。特にネタ切れの国語表現は困ってしまい、とうとう
隠しネタの新聞作りにすることにする。これは自分自身で嘘新聞を作るというもの。でもいきなりは
きついので、こんなテンプレートを作り、各自書き込むようにさせる予定。

しかしこういうDTPっぽい作業は、なかなかバランスが取りづらくて難しい。こういう新聞的な
テンプレートはあちこちにあるけど、自分が思うような使いやすいやつとなると、結局自分で
作らなければならない。なんか時間ばかりかかって思うような出来映えにならず。こんなことなら
手書きにすれば良かったか?