深沈たる 3月 下旬 編



3月21日(水) 新しい人たち

        色々と忙しくなってきた。本日は大掃除の日なので、情報処理室もたまっていた多量のパソコン雑誌も
        一気に片付ける。本当はこの部屋から動く予定だったのだが、来年も常駐になりそう。その後学年会議の
        予定なのだが、我が3学年は特になし。しかし私の場合、分掌が変わるので引継のため、様々な書類、
        データを取りまとめるのに終われる。今まで総務部で、主にデータ部門担当だったので(例えば生徒の
        住所録などの個人データ、年間行事予定のデータ等)それを次の人に引き継ぐために、きちんと整理し
        なければならない。次の人が使いやすいようにファイルをきちんとリネイムしたり、フォルダ毎にまとめ
        なおしたり、けっこう手間です。おまけにやりかけのファイルやら、思わぬところに紛れ込んでいた
        ファイルが見つかったり、または大事なファイルがどこへ保存したかわからなくなり、ラベルのない
        フロッピィを片っ端から開けてみたりと、意外に手間がかかりました。そんな中、総務部部長のM先生が
        いきなり来て「これが来年度用の訂正校。よろしく。」と生徒名簿の訂正版を手渡される。これって
        来年度の総務部の仕事では...と思ったのですが、来年度私が抜けた後の総務部は、どうやら今まで
        コンピューター処理化が一気に後退しそうな雰囲気なのです。せっかく扱いやすいように私が2年間
        かけてエクセルやらアクセスでデータベース化したものが、コンピューターを扱えそうな人が一人も
        いなくなり、どうやら宝の持ち腐れ状態の危機。それを懸念してM先生は、O−TEACHERが
        まだいるうちに来年の仕事までやらせておこうという魂胆...。仕方ありませんね、これも年度内の
        仕事ということで(泣)

        さてそれと同時進行して来年の学年の仕事も本格化。同じ学年にバリバリの達人H先生がいるので
        どうやら私はお手伝い中心でよさそう。新入生のクラス分けも順調に進んでいるらしく、私の方は
        せいぜい新入生の電話番号を全部入力したぐらい。でもその他色々やることもあり、副担任として
        縁の下で頑張らねば。

        さてここからが今日のメイン(長すぎ(^^;))実は今度国語科は3名の先生が転出して、2名転入して
        来ることになった。(ちなみに転出されるのはJ先生、A先生、Y先生)これで実は私が国語科で
        一番の古株(来年度で8年目)になってしまった。来年度こそ転勤しようと心に誓う(笑)その新しく
        来る2名の先生が本日の午後見えられた。それが...何とそのうちの一人は実は前任校で一緒だった
        先生なのだ。I女史(多分40歳ぐらい)...。私がまだ教員成り立てで、ぺーぺーの時、大変
        お世話になった先輩の先生なのだ。まだ右も左もわからなく、社会人としての自覚にも欠け、大学生
        気分が抜けきれず、礼節もわきまえない、よーするにただのアホ新人だった頃の私をよーく知っていて
        よく指導していただいた先生なのだ。よく怒られ、注意され、指導された。ある意味とても頭の上がら
        ない先生なのだ。いつもドジな私を指導してくれて、とても有り難かったのだが、ある意味どちらかと
        いうと苦手な部類の方なのだ。まさかこんなところで再び再会するとは...。

        そして午後に本校に挨拶に見えられた。懐かしき8年ぶりぐらいの再会。相変わらず昔と同じように
        毅然としておられた。私の方が緊張してしまい「おっ、おっ、お久し振りで...す。」と詰まって
        しまった。本校の様子や来年度の予定など簡単に説明してとりあえず終わり。でも最後に一言。
        「O−TEACHER、私も丸くなったわよ。」だって...。普通丸い人は自分から言うか?この
        一言でまたびびってしまいました(笑)もうひとかた見える予定だったのですが、早々に退散。Y先生
        たちに誘われ、憂さ晴らしにテニスなんぞをしてしまいました。その間にもうひとかたのT先生が見え
        られた様子。ご挨拶できなかったのですが、M先生曰く「いやし系の人」とのこと。今度の国語科は
        硬軟の取り合わせとなりそうです。私も一年間おとなしく過ごしましょう(笑)


3月22日(木) 終わりは始まり

        本日はまず机椅子の大移動。1、2年生は来年みな進級するので、教室なども変わる。そのため新しい
        教室へ机や椅子、ロッカーなどを運んで大移動。それにともなって下駄箱の位置なんかも変わる。我々
        旧3年職員は下駄箱の清掃のお手伝い。2年生の美化委員を使って、旧3年生の下駄箱の中に掃除機を
        かけたり雑巾掛けしたり。みんなよく働いてくれてとてもきれいになりました。そんな様子を見ながら
        J先生と感慨深げに会話。「うちの学校もだいぶ変わったね。こんなによく生徒が動くようになって
        本当に良くなったものだ(しみじみ)」確かに私が8年前に転勤した頃はすごーく大変だった。だいたい
        こんな机椅子の移動をするだけの日程の時なんて、生徒がさぼって1/3ぐらい来なかったものだ。
        また机とか椅子の移動を指示しても、ちんたらちんたらなかなか進まず、逃げ出さないように見張って
        いたり、怒鳴りながら無理矢理やらせたものだ。欠席が多く、その分の残った机の移動も仕方なく
        職員がやったり、下駄箱移動で泥だらけになった昇降口を後から掃除したものだったっけ。それに
        比べると雲泥の差。生徒がよく動いて作業をやる。うちも良くなったものだ。

        逆に悪くなったのはなんでしょう?本日はいよいよ大詰めの成績会議がありました。これは進級
        させるかどうかの大事な会議。1、2年生の担任の先生は戦々恐々。果たして留年者はどれほど
        でるのか?けっこういろいろ紛糾し、特定の科目や担当者にちょっとおいおい的なことがあったり
        揉めました。泣いて馬謖を斬る状態も数名出て、無念の担任もあり。改めて評価ということの
        難しさを感じる。しかしこればかりは何でもありというわけにもいかないのも事実。うーむ。

        そして午後から新学年会議!はじめての新スタッフによる顔合わせ。新人ありベテランありで、
        実はけっこうバランスの良い、なかなかやる気のある構成と見た。ベテランの担任もなかなか
        有能な人ばかりなので、けっこう特色あるクラスが作れそう。まずは最初に早急に動かなければ
        いけない係り決め。すかさず学年会議の司会者に立候補。私が仕切ります(笑)ていうか、S主任は
        司会しながら考え込んでしまうので、毎回会議が長くなるので(^^;)そしてその後はクラスナンバーと
        副担任決め。いろいろ考えて私は新人のS先生の副担任に。ベテランってほどではないけれど
        お力になりましょう。その後クラス分け作業の下準備にはいる。すでに切れ者H先生が芸術選択や
        入試の点数、男女比などで仮分けをしていてくれたので作業は楽勝。これで新クラス決定!...と
        簡単にいかないのがクラス分け。実はS主任、このところ地元の中学校を回って、今度入ってくる
        1年生についての情報収集済み。この子はこういう子、リーダーシップが取れるから委員長向き、
        このことこの子は同じクラスにすると一緒にさぼる、この子は経済的に大変、この子の親は要注意、
        リーダー向きではないけれど仕事はよくやる等々。そういう情報を加味しながらこの後、微調整を
        するのだ。それは明日。いよいよ4月が足音が...。


3月23日(金) クラス分けしている終業式

        本日は終業式。やっと本年度もラストを迎えお疲れさまーっ!と言いたいところだが、本日も全然
        忙しい。本校の場合、来年度の教科書販売は、本日校内にて行う。ゆえに通知票もらった後もバタバタ。
        その後、各新学年などがクラス分けの最終調整に入った様子。どこも色々あるようでみんな忙しそう。
        私も新1学年として微調整に加わり、その後4月からの入校教育(新入生のオリエンテーション)の
        打ち合わせなどをしてほぼ先が見えました。午後から名簿作りや調査書や様々なデータなど仕分けして
        担任も俄然やる気が出てきたか?

        さて私はそれと平行して、各学年から旧クラスから新クラスへの名簿移行の準備に取りかかる。
        本当来年度の総務部の住所録係の仕事だが、抜ける手前、年度内に下準備だけしようということで
        クラス替えして誰がどこのクラスへいくのか、各学年を回ってデータをもらい受け、それらを
        名簿用に手直しする作業に約3時間。途中ミスなどを見つけ注進にいったりして、またまたバタバタ。
        ある意味これが情報部初仕事か?明日から春休み。


3月26日(月) 閑散とした春休み

        春休み中です。本来ならずーっと研修予定なのですが、仕事の引継のため登校。相変わらず春休みと
        なると学校は閑散としています。部活に来ている生徒か、時間割作成のための教務部の先生か、はたまた
        転勤予定で私物を片付けている先生ぐらいしかいません。どことなく春休みというのは物悲しい。
        出会い、別れ、配置転換、仲の良かった先生方と別れたり、今までやっていた部署を離れたり、ちょっと
        ブルーになるこの時期。

        さて私は来年度の総務部の新しい先生が苦労しないようにと、本来新年度にやるPTA会員名簿の
        作成などにいそしみました。しかし...各学年からもらったデータにミスがどんどん出てきて困り
        もの。辞めたやつの名前が残っていたり、理系のクラスにいるはずなのになぜか文系クラスに紛れ込んで
        いたり、もらったデータがよくわからん。その確認をしようと各学年のクラス編成係の先生を探すも
        来ていない...。他学年のこととなると、生徒の異動やクラス編成など、全然わからないので、結局
        たいして進まず。やれやれ。何のために来たことやら。それでも他の細かい仕事などをとりあえず
        終わらせ、何とか新学期を迎えられそうかな?また忙しくなりそうだけど、とりあえずここで
        リフレッシュしましょう。


3月28日(水) 頑張れさくぴー

        今朝新聞の別刷りで、転勤者の一覧が載った。今年も私の名前はない(泣)それはそれとして、これを
        見るとなんかとても感慨深い。いつもはじからはじまで見て知人の名前を探す。『そうか、あの人はここへ
        行くのか。』『えっ!?この人、ここ?また大変な学校じゃん。可哀相...。』『あっ、ここになったか。
        良かったなぁ、地元へ帰れて。』等々。その人達の異動先を見て色々思う。そんな中にけっこう懐かしい
        人の名前などを見つけると、その当時のことが思い出されちょっとノスタルジィ。ただ思うのはみなさん
        お元気でということのみ(ちょっとうらやましい人もいるけど(^^;))その中でまた初任同期組が一人動いた。
        私が初任の学校で同期だったやつは、私も含めて5人いる。とてもバラエティ豊かで個性的な男5人組
        だった。当時はみんな独身で、訳もなく集まっては騒ぎ倒し、良い青春時代を送った同士でもある。8年前
        全員一緒に異動して、誰も大変な学校へ2校目として転勤した。離れていてもみんな大変なんだと、私的には
        ある種の連帯感を持ち続けていた。そのうちの一人は2年前に3校目へ転勤し、今回また一人転勤した。
        しかしその異動は行政職へ。彼は同期の中でも特別優秀で、様々な活動に参加していて県への覚えもめでた
        かった。その実績を買われての異動だろう。新しいところへ行っても頑張って欲しいと切に願った。
        さて同期組でまだ転勤していないのは私を含めて3人。来年はどうなるのでしょう。


3月29日(木) 作文秘話

        今だから書けるネタを一つ。とある年度の入試の国語の問題で、200字の作文の問題が出た。これを書くと
        どこの県かわかってしまうのだが(笑)こんな問題だった。「外来語」「共通語」「方言」の中からひとつの
        タイトルを選び、2段落構成で、始めの段落はそれにかかわる体験を、2つ目の段落ではその体験から考えた
        ことを、150字以上200字以内で書けという問題が出たのだ。

        まぁ、大方出題者は、日本という国の言語における寛容性、流動性、また地方性など、言語の持つ文化性に
        ついて書いて欲しいという狙いだったような気がする。もちろん方言の良さとか外来語の氾濫みたいなことを
        書いてくるだろうという目論見らしかった。

        でもそれはレベルが高い方の学校の話。うちみたいな底辺校ときたら珍解答続出。採点しながら大笑いさせ
        られてしまう解答ばかりですごかった。例えばこんな解答が多かった。

          「うちの中学校には外人の先生が来て、時々英語を教えています。私もああいうふうにペラペラと
           英語をしゃべれるようになりたいです。」
          「友達に中国の人がいますが、私が中国語をもっとわかれば、もっと仲良くなれるのにと思いました。」

        タイトル...「外来語」...。これってもしかして外国語のこと?じゃあ...。とどめはこれ。

          「中学校の社会の時間で、江戸時代のところで、長崎にあった出島とかのことを習いました。」

        おおっ、やっと外来語らしい内容。と思いきや「そこで『鉄砲』という言葉が伝来したと習いました。」
        おいおい!鉄砲って日本語だろ!こいつは完璧に種子島という鉄砲伝来と混同している...。

          「おばあちゃんが方言を話すと何を言っているのか全然わかりません。方言は秘密の言葉だと
           思いました。」...マジかよ。

          「うちの田舎の方言に『悪い子はいねぇーか、鬼が来るぞ』という方言があります。」それって秋田の
           なまはげのやつじゃん。それにそれって方言じゃないぞ!地方習俗だぞ!

          「方言はわからないから必要ないと思います。」いきなり地方否定か!

          「バスケをしているときにコーチから『バウンド!バウンド!』と言われ、僕はバウンドパスをしろと
           言うことなのかと思っていたら、よく見ると僕のズボンのベルトがはずれていました。コーチが
           言っていたのはズボンのバンドのことでした。この時言葉には色々な意味があって難しいなぁと
           思いました。」...タイトル「共通語」....。

        もうこれに至っては狙ってるとしか思えない。内容は笑えるし最終的にタイトルにかすってもいない。
        採点していた先生方大爆笑。こんな作文ばかりでした。でもこんな珍解答どうやって採点するのかって?
        どれだけ笑わせたかで(うそ)(笑)


3月31日(土) 心の行間

        昨日の夜、近くに住む弟夫婦に呼ばれて、甥と姪の誕生日パーティーへ行って来た。甥っ子と姪っ子は
        二卵性双生児で超未熟児で生まれた。医者からは「片方はあきらめてください。」と言われるほどの難産で
        生まれてきた。それが昨日で5歳。子供のいない自分は、赤ん坊の時から色々手伝ってきた。母親が病弱
        だったため、うちの両親が預かることも多く、私も夜中に何度もミルクをやったりしてきた。今でも休みの
        日には一緒に遊んであげることも多く、ある意味本当の自分の子供のような感じさえある。もちろん弟夫婦の
        子育ての大変さには全然及ばないが、この子達の成長に一役買っていたという実感はある。それが昨日の
        5歳の誕生日を迎え『こんなに大きくなったのか』とちょっと感慨深くなった。

        これがもし本当の自分の子供だったら、もっと感動が深いのではないだろうかと思った。親ってすごいと
        つくづく思った。子育てって本当に大変だと思った。世間の親たちがとても偉く思えた。もちろん自分の両親にも
        感謝したが(^^;)そんなことをわかったとき、今時の高校生も本当の意味で大人になるのだろうなと思った。
        子供という立場しかわからないから、色々トラブル・衝突が起こる。今時の子達は、人の心を推し量る力が
        弱いと思う。仲の良い友達の気持ちでさえ、よく理解していないことが多い。なんでそう思うかな?ということも
        よくある。仲の良い友達でさえそうなんだから、もっと離れている人間の気持ちなどわかろうともしない。
        親の気持ちさえも。人の立場や心情を理解する力。それが欠けている。そういう見えにくい相手の気持ちを
        理解できる大人になって欲しいと、甥っ子と姪っ子を見ていて思った。そしてそれを教えるのが大人であり
        先生であり、国語の教員かなとも思った。心の行間を読める人になれるように。

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