滂沱涙涙たる 8月 上旬 編
8月3日(金) 心のレベルアップ
夏休みもあっという間に1/3が過ぎてしまい、何もしないままぼーっとだらけきっております。自宅研修中につき、特に
ネタがないので、思いつくまま適当に書きます。
さて生徒は夏休みということではじけまくっているだろうが、いつもこの長期の休みというのは生徒自身を変える。いわゆる
高校デビューしたり、はたまたすっかり引きこもり状態になったり、一学期の時には考えられないような変貌を遂げる
時期でもある。一学期はとてもおとなしい子が、二学期の始業式で金髪厚化粧で来るというケースも過去にあった。何が
ここまで変えるのかというほど。
それで思うのだが、この夏休みというのは、自分の価値観というか色々な物の見方が激変するときでもあるのだ。今まで
真面目で良い子ちゃんだった子が、本当の自分探しをし始めて、自分の今までの殻を脱皮したりする。それはとても良いこと
なのだが、その自分探しも、結局友達や色々なメディアに踊らされている場合が少なくない。そしてまた極端に走って
しまう。だからいきなり大変身したりする子が出てくるのだ。
でもこういう自分探しは大事なことだから、ある程度必要だと思う。生まれて初めてパーマをかけるちょっとした冒険。
友達だけとの旅行、ひと夏の出会い等々、大人になるための大切なステップだと思う。でもいつも思うのだが、そういう
行動の飛躍に比べて、心の方の成長が追いついていって無いような気がする。私はあえて言いたい「心のレベルも
上げろ!」と。少しずつ経験値を重ねて、身体の方のレベルは上がっているかもしれないが、どうも心のレベルが付いて
いってない気がする。例えば勉強でも部活でも、練習によって学力、技術は上がっていく。でも果たして心のレベルは
年齢相応に上昇しているのだろうか?その中には友達とのつきあい方、親との距離感、自分を客観的に見る力、そして何より
善悪を見極める力。こんなことをしたらどうなるかという想像力。こういうものがきちんと見極められる心のレベルは
上がっているのだろうか。いざというときの勇気も、そして自分自身をセーブすることも、心のレベルが上がっていないと
出来ないのだ。どうであろうか?
さて生徒諸君は、この夏休み、心のレベルアップが進んでいるかな?
8月5日(日) ドラえもんも大変だ
ネタがないのでプライベート話を。今日、甥と姪を連れてドラえもんのドキドキ大冒険に行って来た(^^;)これは新高輪
プリンスホテルの飛天の間(よく芸能人が披露宴をやっているところ)で、ドラえもんのさまざまなアトラクションというか
遊べるコーナーが作ってあり、夏休み、遠くへ連れて行けないお父さんお母さん向けの、子供ご慰労イベントなのだ。
なぜこれに行ったかというと、新聞屋の勧誘でチケットをもらったので、せっかくだから連れて行ってあげようということに
なったのだ。大人一人1300円もするものだったが、タダなので財布もあまり傷まないし(笑)
しかし私はこういう子供(ちなみに甥と姪は5才の双子!)を連れて遊びに行った経験がほとんどないので、とても大変だった。
まず出かけるまでに一苦労。遊んでばかりいて、なかなか着替えをしなかったり、おもちゃをいっぱい持っていくと言い出したり
また電車で1時間ぐらいなのだが、途中でのどが渇いたとか言い出したり、駅の名前を大声で読み出して周囲にひんしゅくを
買ったりと、いやー、子供を持つ親の大変さが身にしみました。特に子供の世話を全然していない父親気分(笑)
さてやっと着くと、もう目の色を変えてダッシュ。途中色々な張りぼて(?)の人形やら、さわると色々声が出たり光ったり
子供が喜びそうな仕掛けがたくさんあり、当人たちはえらく喜んでいた。途中にエアでふくらませた大きな山に登れるところとか
あり、果敢に上っていたり、柔らかいボールがたくさんあるプールみたいなスペースで玉入れをしたり、とにかくはしゃぎ回って
いた。まぁ、本人達が楽しいならいいか...と思って周りを見ると、周囲には同じような親子連れが多数。でもお父さん達の
顔が誰も疲れ切っていました(^^;)途中ドラえもんショーがあり、それも見てきたのですが、本人達は司会のお姉さんの言葉に
いちいち頷いたりしていて、ほーっ、けっこう真剣に話を聞くんだなぁなどと思ったりしていました。そういえば私も小さい頃
よく親に、後楽園ゆうえんちの仮面ライダーショーとか、ウルトラマンショーに連れていてもらったなぁと、ふと思い出し
ました。そう考えると自分がいかに親に可愛がってもらったのかということが思い出され、感謝の気持ちに包まれました。
さてそんなかんなで、同じコースを飽きもせず3周ほどして、とりあえず本人達をなだめ無事帰還(笑)途中一緒に食事を
して保育園話などを聞いたりして、楽しいお出かけは終わりました。いやー、でもとっても疲れましたよ。世の親たちは
本当にえらいとつくづく感じた一日でした。でも最後に言った甥っ子の一言にびびりました。
「ねぇ、おじちゃん、今度はデジモンショーに連れて行ってね。約束だよ。」
8月7日(火) FFX終わる
本日無事FFX終了。いやー、今回も楽しませてもらいました。根っからのゲーマーで、RPG好きですから、この大作を
やらないわけがない。元々ファミコンのドラクエ1から、それこそFFTから、RPGと名の付く物はやり倒していた筋金入りの
RPGフリークですから、今回の物も期待していました。いやー、マジで良かったっす。どちらかというとドラクエより好きです。
今回はグラフィックばかり喧伝されていましたが、フルボイスがけっこう来ていました。もちろんバトルも良かったし、何より
緻密で素晴らしいシナリオ。相変わらず泣かせてもらいました。感動一入。
やっぱり日本のゲーム文化はすごいとつくづく関心。このグラフィックのすごさは並でない。ただ一部分のきれいさだけを
取り出すなんて、そんなことは出来ないくらいの出来映え。爆発シーン、影の作り方、風にそよぐ草、特に水の表現力。いやはや
これぞ世界に誇れる最高峰の技術。天晴れ(笑)特に今回も際だったのが、その世界観。今回のアジアンテイストの世界も
グッド!いつもFFをやっていて嬉しいのは、どっぷり感情移入できるところ。今回も色々考えさせられました。特に父と子の
関係なんて...。そしてあちこちに散りばめられたエピソード、キャラクターの造形力、様々な価値観、やる人によって
色々読みとれる様々なテーマ。恐れ入りました。待った甲斐があったというもの。ありがとう、SQUARE!(笑)
もうこうなるとゲームは下手な小説や映画を越えてしまっていると実感。こういうものを見て、体験した子供達の感覚は
どう発達していくのだろうと考えてしまった。こんなすごいゲームやったら、下手な小説なんて太刀打ちでき無いなぁと思う。
よくゲームは一人の世界で、コミュニケーションができなくなると、変にゆがめられているけれど、こういったパーチャル・
リアリティの中でも、感情の体感とか、人を思いやる感覚というのは学べるのではないかと思う。もちろん生身の人間とやる
コミュニケーションとは違うけど、ひとつのシミュレーションとは成りうる。おまけに人類愛やら、他人への気遣い、献身、
友情、果ては科学の進歩の危うさ、倫理観、種族の価値観の違いの喚起、自分にとって乗り越えなければならない絶対的な壁
(今回はシンというものでした)もうこれでもかというてんこ盛りのメッセージを読みとれる。やはりゲームは青少年に
お勧めだ!(笑)そして次作からはとうとうオンライン化するらしい。そうなると、ゲームの弊害と呼ばれていた、孤独化を
一歩進めたオンライン上のコミュニケーションが必要となってくる。
確かにメールや携帯だけでコミュニケーションが取れるとは思わないが、こういうところからのアプローチもありなんじゃ
ないかとおもう。ゲームをどうこう言う前に、是非世の先生達にもFFをやってもらいたい。こういう体験をした子達が、
私たちの生徒なのだから。
先日、宮崎駿夫作品の「千と千尋の神隠し」を見てきたが、こちらの方も圧倒的な世界観というか、想像力の凄さを感じた。
こういう文化のすごさこそ、もっともっと世界に広めるべきではないか。FFもそうだし、宮崎駿夫シリーズもそうだが
こういう原体験を持つ若者が、これからの日本の社会を創造していくのだろうなぁと感じた。その時は、日本はどういう
文化を持つ国になっているのだろう。その時、果たして国語教師として、どういうことを教えていくのだろう。ある意味
マニアのものとなりつつある文学を扱う仕事として。この先、どう文学の持つ魅力を伝えていくべきなのだろう。ああいう
圧倒的なメディアの前には、その存在自体すら危機感を持ってしまう。もちろん本というか読書が死に絶えることは
ないだろうが、だんだんその影響力が弱体化していくことを危惧してしまう。よく文学は想像することに良いところが
ある、行間の楽しさこそ文学だと、したり顔で言う人も多いが、こういう様々なメッセージ性の持つメディアに触れて
しまうと、文学の持つ限界まで感じてしまう。文学だって疑似体験の一種なのだ。追体験するという点ではゲームと
変わらない。もちろんそのおもしろさは互いに違うところにあるから、競合はしないのだけれど、最近あまりにも魅力に
乏しい本が多いため、ますます読書離れに拍車がかかっても仕方がないかも。これから国語の教員として、とういうふうに
すべきか、考えさせられるゲーム終了後でした。
でもやっぱりすごいよ、このゲーム。怪物だ。こんな感動、最近読書ではしていない...。
8月8日(水) それでいいのか校内LAN!
本日は久し振りに出勤(^^;)このところ急ぎの仕事がなかったので、ほとんど自宅に持ち帰り、ちまちま片付けていました。
しかし今日は大事な日。それは校内LAN敷設にかかわる業者&県担当者が来たからなのだ。なにもこんな夏休みど真ん中に
来なくてもいいのに...(泣)そこで仕方なく情報部の私とN先生は、その打ち合わせやら、校内の案内やらで忙しく
仕事しました。
いやー、この暑い中、校舎内をぐるぐる歩き回り疲れました。設計担当の人が6人ほど見えて、まるで大名行列。勝手に
各準備室に忍び込み、外部の人に教員の整理整頓の悪さをアピールしているような感じ(笑)そこで色々話をしてみてわかった
驚愕の事実!すんごい中途半端な校内LAN計画なのだ。まず一番驚いたのは校務用サーバーの件。当然校務用と言うからには
各準備室から成績を入力したり、色々なデータを共有したり...と、そういうイントラを想像していたのだ。ところが
ぎっちょんちょん、そうではなくただ1台サーバを職員室に置き、それと校長室の1台をつなぐという、マンツーマンの
形態なのだ。それってLANって言うの?ただ8ポートのハブを置くので、後は勝手に職員室内でつなげということなのだ。
でもうちの学校は職員室らしきものがなく(会議室はあるがふだん先生たちは各準備室にいる)仕方なく成績とかのデータを
入れておくので、教務室に設置することになる。こんな話聞いていないよ。だって各準備室にも情報コンセントをつけるって
言ったじゃない!するとそれは情報サーバにつなげられるコンセントとのこと、これはコンピュータ室を始め、生徒の教室にも
すべてつけられる。つまりインターネットは各先生方の準備室でも生徒の教室からも見られるようにはなるのだ。ただし
コンピュータとコードがあれば...。これは文部科学省の管轄なので、配線のみ。つまり教室に置くコンピュータやら
コードはついていない!おいおい、またいつもの外側だけ優先かよ。ハードだけ設置するから、あとは各校でやれってか?
やれやれ。でも末端の機械とか通信費とかは、県の方で予算をつける予定があるとも、ちらっと言っていたが信用出来ない。
そしてもうひとつ驚いたこと。それはなんとメールサーバは置かないと言うことなのだ!ということはインターネットは
出来るけどメールが送れないという驚愕の事実!なんでだよ!?何か理由がよくわからない。ホームページは見られるけれど
メールの送受信が出来ないなんて、なんかすごくない?今時メールができないなんて、サーバを立てる意味がないじゃない!
何ためのファイアウォールなんだ?管理が大変だからか?ウィルスが怖いからか?おいおい、これってとっても困るよ。
じゃあ、その情報サーバの役割は何のためだろう。学校のホームページでも置けってか?でもそうなると各学校で作っている
ホームページのurlはみんな変わって困るだろうし、メールも受け取れないんじゃ使う意味もない。うーん、上の考えている
ことは全くわからん。
そんなわけで何か期待していた校内LANとは全然違う感じで、本当に使えない形になりそう。それでも情報部としては
工事のこととか、ゆくゆく各教室からのネットが出来るようにするための準備とか、当然サーバの管理とかの仕事が増えて
くるのであろう。やれやれである。あーあ、2学期以降の気が重い。