滂沱涙涙たる 8月 中旬 編
8月17日(金) 家系図
いやー、さぼりまくりましたこの日記。色々あったのですが怠惰がほとんどで、さぼりまくりました。昔から夏休みの宿題は
8/31にあわててやる方だったので(^^;)
というわけで、しばらく書かなかった間のことを思い出しつつ、ご報告します。学校の方はお盆ということで、完全閉鎖なで
これで誰にもうしろ指さされず自宅研修でき(笑)まぁ、ほとんどはうちでゴロゴロしていたのですが、8/11から祖父の
田舎へ帰省していました。約6年ぶりの帰省というかおじいちゃんのうちへ。今回祖父が米寿の祝いをやるというので、
親戚一同大集合して、お祝いの会をやることになったので。うちの父は祖父だけでなく、おばあちゃん(つまり父から
すれば母)も健在で(おばあちゃんは84才)両親共にそろって長生きという、ある意味果報者。そんな二人を子供達一同
孫一同でお祝いしようということだったのだ。その時の詳しい内容はまた別に書くとして、今回はその前段階でのお話。
田舎へ行く前に、父と母と色々相談していたのだが、いちおう父は6人兄弟の2番目という事で、長男で田舎にいる伯父
さんが、すべて段取りもしているし、お祝いの品も用意してあるし、ただ我々は行けばいいだけの感じだった。しかしそれ
ではあまりにも何もしていないで、伯父さんにばかり負担をかけてしまっているので、何かこちらでも手伝いたいと言って
いたのだ。かと言ってお祝いの品やらすべて用意されているので、そういったものとは別に、何か手作りの物をと考えて
いたのだ。母親は趣味で絵手紙(?)というのか、そういうのをやってるので、うちわに自分で絵と一言書いて準備して
いた。ところがうちの父親の方は無趣味なもので困っていた。たまたま父親と色々今回の米寿の祝いのことで話していた
時に「親戚一同集まるんでしょ?いとこの××ちゃんにも会えるなぁ。小さい時よく遊んだんだもんなぁ。そういえば××
ちゃんのところの子供ってなんて名前だっけ?」「確か年賀状は来ていたけどなぁ。あそこは子供が2人いて、名前は..」
「そういえば△△ちゃんのところの子供は?あそこは女の子だったよねぇ?」「うーん、いや男の子だったんじゃないか
なぁ...」と、親戚の話になったのだ。確かに年賀状のやりとりはしているものの、あまりに親戚が多すぎて、いとこの
子供の名前もうろ覚えだし、ましてやいとこのなかで結婚して姓が変わった子なんかは、だんなの名字すら思い出せない。
これじゃあ、せっかく米寿祝いで集まっても、名前すらわからないなぁ...なんて思っていたのだ。
するといきなり父が叫んだ。「そうだ!お前、家系図を作れ!親戚一同お互い名前もわからなくなりつつあるし、何より
爺さんが喜ぶ。こんなにいっぱい増えたんだぞって。お前パソコン得意らしいからちょちょっと作れ。それを人数分コピー
して作って配る。こりゃあいいや。」と勝手に悦に入っている。でも行くのは明日でしょ?マジですか?でもまぁ、けっこう
良い思いつきだと思ったし、さほどのことがないと思いやりましたが、これが大間違い。家系図作りって大変!まず資料集め
からだったんたけど、父親と一緒に年賀状を漁るところから始まった。ところが親戚の中には音信不通な人とか、中には
再婚しているとか、色々あって、きちんとした名前を調べ上げるだけでも一苦労。途中わざわざ田舎に電話して名前を
聞いたりして、なんとか調べ尽くす。さていよいよ入力だが、たかが4代分くらい(祖父→父たちの子供の代→私とかの
孫の代→私たちの子供のひ孫の代)だから簡単だろうとたかをくくっていたのですが、だいたい父たちの子供の代がすごい。
父は6人兄弟のため、そこからの枝分かれというか繁殖(笑)がまたすごい。それぞれそこから子供が2〜3人ずつ枝分かれ
しているので、ましてやその下になるとさらに増えている...。まさにねずみ算式。はじめはワープロで爺さんから
罫線を使って、トーナメント表みたいに作っていたのだが、下へ行くに従ってどんどん増えていって、スペースが無くなって
くる。そのたびに罫線を消して直していく。ところがまた代が一つ下がるとまた増えていくので、またまた上へ戻って
罫線を消しながらバランスを整えていく。なんとか作り上げていくとB4の用紙にも収まりきれない!だって爺さん婆さん
から子供6人、孫16人、ひ孫15人という増え方。おまけにその配偶者とかも書き込んでいるから、とんでもない数。
ここまで作り上げるのに4時間かかりました。やれやれ。ところがそれを父に見せると「こんな小さい字じゃ爺さんが
見えないから、もっとでかい字で作り直せ。」とダメだし。こんなに多くの人数をA4の紙に収め、しかもでかい字で
バランス良く仕上げろって、かなり無理な相談。それでも何とか作り上げる。いやー、大変でした。で、こんな感じ。

でもつくづく思ったけど、私もこういうふうな血のつながりで存在したんだなぁということ。もちろんひとりで生きてきた
わけではないし、父親と母親からつながっているんだけど、元を正せばこのじいちゃんとばあちゃんから、そしてこれだけ
一族が増えているという驚き。そして何よりも一番幸せなのが、みんなほぼ健在で仲が良いこと。こんな仲が良くて、いまだに
こうして集まれる子供達を育て上げてきたおじいちゃんおばあちゃんに、感謝というか尊敬というか、ただただ感動。
この家系図を見ながら、そんな感慨にふけってしまいました。
8月20日(月) 飲み会よりグルメランチ
日記といいながら、先日の土曜日のお話。土曜日に久しぶりにお友達に会って食事に行ってきました。それも美女二人組と
相方と4人で。その二人組美女なのですが、実はもうすでに転勤してしまい、現在は違う学校に勤めているT先生と、もう
一人は事務にいた人で、現在は違うところで働いているI崎さん。たまたまT先生の副担任をやったこともあり、また一緒に
担任などをやっていて、私の現在いる学校にいた数少ないお友達の一人なのだ。そのT内先生とはメル友で、よく転勤先の
愚痴などを書き送ってきていたのだ。そのうち久しぶりに会おうと言うことになり、それなら事務で、私も仲良くさせて
もらっていたI崎さんも誘おうと言うことになったのだ。
さて向かった先は懐石料理のお店。T内先生から「何かおいしいものが食べたい!」というリクエストにお答えして、わざわざ
赤坂でランチの約束。まっ、お値段はそこそこしますがとてもおいしいところ。みんなでわいわい騒ぎながらおいしくいただき
ました。その後懐かしカラオケ大会などをして、楽しい一日を過ごしました。
それで考えたこと。なんか職場の友達というのは不思議だなぁということ。男なら会社の上司やら同僚やらで、飲みに繰り出す
機会は多いようだが、私は下戸なのでほとんど出ない。というかあまり誘われもしないし、時々忘年会やら打ち上げ的なものに
参加するぐらい。いや別に飲み会は嫌いではない。むしろみんなでわいわい騒ぐのは大好きな方。でもそのメンバーがいつも
同じというのはどうかと。仕事が終わってもその延長のような付き合いというのも何かあまり好きではない。それでも楽しければ
まぁいいのだが、酔いが回るにしたがって、職場の愚痴、管理職への不満、あげくに生徒への怒り、他の先生の悪口など、聞いて
いて不愉快になる発言がけっこうある。確かにストレス解消のためだし、ある程度は本音の部分で同調することもなくはないが
けっこうお説教くさくなったり(教員の酔っぱらいに多く見られるパターン)ひどいひとになると、セクハラまがいのHオヤジとか
に変貌してしまう人がいたりして、あまり楽しめないことも多いのだ。私みたいな酔っぱらわなくてもナチュラル・ハイな
人は(笑)楽しい話題で盛り上がりたいのに、どうも教員の飲み会の退廃的というか、場の乱れ方があまり好きではない。話題も
職場の仕事のことが中心となり、やれ生徒がどうだとか、あの先生のあの態度はこうだとか、批判的な話が多くなってきて、
もううんざりすることがある。それがあまり職場の人と飲みに行かない理由の一つなのだ。
それで、どうせ行くなら楽しい方が良いので、また自分の行動範囲というか交際範囲も広がるので、あまり自分の仕事と関係の
ない人たちと遊んだり飲みに行ったりすることの方が圧倒的に多い。その方が刺激的で楽しいしね。でも今回のように本当に
仲の良い人たちなら、同職種でも楽しめますけど(^^;)やっぱり下戸な分、つまみだけあればいいという飲み会より、今回みたいな
おいしいグルメランチの方が肌に合っているようです。まっ、単なる食いしん坊なんですけどね(笑)それにしても引き続いて
行ったカラオケボックスで、I崎さんが歌った「喝采」懐かしすぎです。年ごまかしてませんか(笑)(ちなみにI崎さんは
20代!)