そんなことを2時間ほどしていると時間が来たので、いよいよ前任校へ向かう。車で20分くらいの距離。でも9年間通い慣れた風景が 見えてくると、なぜかジーンとしてくる。あんなに嫌がっていたはずなのに帰ってくるとホッとする。これがふるさとというものなのか。 職員玄関には相変わらずまだ離任した先生たちの名札が付いていて、いまだ忘れられていないというか、ただ仕事が遅いというか、そんな 感じ。少し早めに着いたので、国語科へ顔を出す。ちょうどLHRの時間帯だったので、先生方はいなかったが、とりあえず以前頼まれていた M井先生のノートパソコンと国語科のパソコンの調子を見るが、どうもうまく起動しなくて直らない。こりゃ再インストールしなければダメかも...。
そんなことしているうちに集合時間が来て応接室へ。離任した先生たちが集まる。いちおう新総務部長のA澤先生より式次第の進行の 説明があるが、みんな長くいた人ばかりで、一家言ある人ばかりだから「ここはこうした方が良い。」とか「そこは礼をしないで 拍手のまま下がった方が良い。」と、勝手に言い出すものだから、パニックになったA澤先生が「もう私の言うとおりやってください!」と 言う始末(笑)もちろんみんな住み慣れた学校へ戻ってきて、ハイテンションになっているおふさげですが。
まずは会議室で先生方へ2分間の挨拶。私は3番目。みんなそれぞれ思い入れがあるが、ここでは軽くスピーチ。私も新任校で担任して、 けっこういっぱいいっぱいですと話しました。そして引き続き体育館へ。ここからがメインの離任式。生徒一同を前に壇上に上がり、 一人ずつ思いの丈を語っていく。全部で14人もいるので、一人5分としても1時間を優に超えてしまう。だから一同で短めにと 申し合わせていたのだが、いきなりトップバッターの校長が超長い!いちおう目安として在校年数×1分が限度、それより短ければなお良しの はずだった。校長は2年いたのだから2分くらいが目安だったが、いきなり8分くらい話す。それも今まで全校集会や始業式で話した 話をすべて振り返るという長話。壇上で聞いている私も呆れてしまいました。次はU先生。相変わらずの説教トークで一同引きまくり(笑)
そしていよいよ私。何を話そうか全く考えていなかったので、超動揺。とりあえず自分の学校を誇りに思えということと、実際にかかわってきた 新3学年の生徒にエール。恵まれた学年にいるんだということを自覚し、特に学年主任のS賀先生に付いていけ!絶対間違いはないから!と メッセージを送りました。果たして伝わったのでしょうか。途中ちょっと嗚咽してしまいましたけど(恥)
その後延々と他の先生たちの話が続く。もう持ち時間なんて関係なく、もうやめてというくらい長話する人あり、はたまた涙まみれになる人ありと 1時間20分も続く離任式が終わりました。最後に花束をもらい花道を退場。感無量でした。その後、元副担任をやったクラスよりお呼びが かかりクラスへ。色紙をもらいみんなで記念撮影しました。そして廊下へでで見ると沢山の生徒が待ち受けていました。「O−TEACHER、 なんで行っちゃうの!卒業まで一緒にいて欲しかった!」「先生じゃないと古典、赤点取っちゃうよ!」「私の担任してくれるって言っていたのにー、 裏切り者ー」と沢山の生徒に言われました。もうまさに教師冥利に尽きる瞬間。本当にこの学校の先生で良かったと心底感じる至福の時でした。 中でもちょっとヤンキーで普段全然授業でもグータラしていたお姉ちゃんたちが寄ってきた時にはびっくり。「先生...行っちゃうんだ...。 私たち全然真面目に授業やってなくて点数も悪かったけれど、先生の授業は好きだったよ。」と言われた時には思わずもらい泣きしてしまいました。
そして沢山の生徒からメッセージの手紙をもらい一緒に記念写真を撮りました。別に自慢するわけではありませんが、O−TEACHERは 女子にとても人気があり、別れを惜しみに来てくれた生徒の90%は女子でした。本当は男子も好きなのに...(爆)おかげで 女子高生の携帯番号とメールアドレスが山ほど手に入りました(爆)どうもここの生徒は、とても人懐っこくて、特に私なんかを友達みたいに 感じているのか、「メールちょうだいね。」のメッセージを多数もらいました。そして例の女子クラスだった卒業生も2人駆けつけてくれて、 わざわざお別れを言いに来てくれました。本当にありがたかったです。そういう良い生徒たちに囲まれた9年間だったと痛感しました。
そして夜の部(長っ!)近くのホテルで歓送迎会。ここでは新しい先生も交えて大宴会。途中から離任する先生を紹介するメッセンジャーがいて、 私にはM井先生が話してくれました。過分なお褒めの言葉をいただき恐縮至極。軽妙洒脱なんて褒めすぎ(笑)そして私からも最後の お別れの言葉。ここでは無礼講ですから昔の暴露話を含め、感謝の気持ちとありがとうの言葉を言いました。皆さんに出会えたのも 単なる偶然ではなく何かの必然だったのだと話しました。職場に恵まれて本当に良かったと感謝のみ。でも離任者が多くて予定時間を 過ぎても全然終わらない(^^;)大エンドレスでした。その後2次会にも顔を出し、S藤先生と恋愛話に盛り上がったのも御愛嬌。でも この話は楽しかったので、また今度しようね、S藤先生!(笑)
帰りの車の中で涙が止まらなかった。こんな感傷的な男とは自分でも思わなかった。年のせいか涙もろくなっているのも差し引いても、 やっぱり言葉では言えない思いが、9年分あったのだなぁと自己分析。すべてきれいごとで片付けるつもりはさらさらないが、 あれだけ大変な思いをしたのだから、もう大概のことには平常心で臨めると自負心がある。その時は教員を辞めたいと何度も思ったが、 今となっては全て血肉となり、経験としてプラスになっている。憎らしいけれどもその分愛着も一入だった学校でした。 多分一生忘れられない学校でしょう。こういう超底辺校での経験は、私の教員人生でも宝物となりそうです。今はただ ありがとうという言葉だけが心の中に残っています。
9年間本当にありがとうございました。
で、空き時間はひたすら教材研究。何をどこまでやればいいのか皆目見当もつかないので、とりあえず4単位ものの古典だけは、 多分すぐ予習が追いつかなくなることが懸念されるので、頑張って少しずつやっておく。そんなわけで古典の授業はいまだ呼吸がつかめず、 このくらいのペースでいいのか、速すぎるのか遅すぎるのか、文法事項もどの程度までやればいいのかわからず、かといって生徒の方も シーンとしてただ聞いているだけなので、息詰まるような中、ただ一人喋り切るのみ。5限目は初めての2年生の現文の授業。いきなり 明るいクラスで元気よし。このくらいの方が私的には合うかも(^^;)
そして6時間目は委員会の時間。今年度は委員会の顧問に付いていないので、とりあえずホッ。でもとてもじゃないが、クラスのこと 授業の準備だけでいっぱいいっぱいで、とてもじゃないがその他のことまで手が回らない。テニス部もまだほとんど顔を出せないし 教務部の仕事は内容すらわかっていない。学年に至ってはS先生が「O−TEACHER、進路補習についてはこういう段取りで...。」と 言われるままで「はい...。」としか答えられない始末。まっ、今年一年は悪いけれど戦力にならないものと思って各方面に 頭を下げ続けるしかないかも。
でもちょっと思うこと。この学校では色々なことを決めるには、各方面へ色々お伺いを立てるというか、手順をきちんと踏まないと なかなか進まないということを感じた。前任校ではあまりに独走しなければ、それぞれの裁量で事後承諾で進める仕事も多かったが、 この学校では、その目的やら手順やらがけっこう重視されていると感じた。もちろんそれはとても大切なことなのだが、あまりに それが煩雑でかえって仕事を増やしているのでは?と思うシーンも時々ある。これがシステムの違いというものだろうが、けっこう 負担になりそうな予感。とりあえずこの学校の先生はとてもよく仕事しています。それだけは言える。
さて実は今日、もうひとつ心配の種があったのです。それはPTAのクラス理事。明後日学年懇談会、クラス懇談会があるのですが、 それまでに各クラス2名のクラス理事を決めなければならなかったのです。こういうのは学校によってシステムが様々で、例えば 前任校では前年のPTA理事が後任も強引に決めてくれて、教員側はほとんどノータッチで理事が決まるという超楽なシステムだったのです。 しかしここは違って、クラス担任が一軒一軒電話して、お願いしますと頼み込むという作業をやっているらしいのです。事前に 役員をお引き受けいただけないか、もしダメなら理由も書いてくださいというアンケートを配ったところ、ほぼ全ての保護者が、 「下の子の役員を引き受けましたので。」とか「勤めているもので無理です。」とか「介護がありますので辞退させていただきます。」など 様々な理由で断ってきたのです。もうこうなると絶望的ですが、総務部の方はただひたすら「各クラス2名お願いします。」と いうばかり。またそこそこPTA活動も盛んらしく、なおさら頼みづらい状況もある。ましてや新参者の私なんか、保護者誰一人として 知らないので、それこそお手上げ状態である。聞くところによると、ある担任の先生は出席番号1番の子の保護者から電話を かけ続け、次々断られ最後40番まで行ってもダメだったらしい。そこで再び2巡目に入り再度かけ直して、それこそ全ての親が 捕まるように、自宅に帰って夜遅くまで電話をかけ続け、頭を下げてお願いして無理矢理決めたらしい。もうこうなると飛び込みの セールス並みの大変さである。ていうかそこまで担任が頑張らないと決まらない状況らしい。確かに子供も高校生くらいになると、もう 保護者の方もあまり学校に関わってこないし、PTA活動に熱心な親も皆無になってくる。だからなかなか決まらず担任は皆苦労していると いう話を聞いて、とても気が重かったのだ。
ところがである。今日の空き時間にさっそく電話をかけ始めたところ、これがまたうまい具合にビンゴだった!一人は昨年やっていたという 情報により、うまくいけば今年も引き続いてお願いできないかと頼み込んだところ、何とかOKをもらった。続けて適当にかけたところ、 その親が娘のことで色々心配していたらしく「是非学校へ足を運んでいただき、お母さんとも顔つなぎができていけば、色々ご相談にも 乗れますし...」というと「では誰もいなければ...」と何とかなりそうな気配で、目途が付いた。やれやれである。こういう ところにエネルギーを使うのもけっこう担任としては大変なのだ。でも気がかりなことがひとつ片付く気配なのでホッ。
そして放課後は学年会議。遠足のこと、コース選択のこと、進路ガイダンスのこと、色々話し合われた。そこで感じたのは、例年通りという 感じではなく、この学年からどんどん変えていこうという雰囲気が強かったこと。けっこう旧態依然としてあまり意味がなさなかった 様々なやり方を、少しずつ意味のある方向へ変えていこうという意見が多かった。私も聞いていて『よく今までそういうやり方で やってきたなぁ...』とちょっと不思議というか唖然とするものも多かったので。まっ、私は新参者なので、不思議に思うことも多いが、 少しでもやりやすいやり方で進めて欲しいと思う。ていうか担任裁量で自由にやっちゃいけないの?と思うところも多々あったけど、 郷に入っては郷に従えか?とりあえずまだまだ勉強することばかりです。あー、一日が長い...。
もちろん今日も授業がありました。とうとう初めて「情報A」の授業をやってしまいました。て言うかいただけですけど(^^;)私はティーム・ ティーチングのサブ扱いで、ほとんどI先生がやってくれるので、それを参観していただけです。2時間連続の授業なのですが、そのうち はじめの1時間だけが私の割り当てで、2時間目は家庭科のH先生にバトンタッチするだけです。それもまだ初回なので、普通教室で レクチャーしてアンケートを取って、その後コンピュータ室へ移動させただけ。なんということもなく終わってしまいました。まだ どういう感じでやるのかお互い手探り状態ですから、お手伝いできるのは先のことになるでしょう。
帰りのSHRで校外学習係から報告あり。遠足は横浜で班別行動、男女混合の班を組み色々回ることになりましたと報告あり。こういうのも きちんと係が話し合いに行き、その結果をきちんとみんなの前で報告できるなんてすごい。うーん、自分たちで何でもできるのね。
そして放課後明日の学年懇談会の資料の綴じ込みを行い、個人的に学級懇談会の資料を軽く作り、本日は終了。まだ世慣れていなくて 疲れがたまります。
そしていよいよ本日のメインのクラス懇談会。会場を教室へ移して懇談懇談。クラス40名中18名参加。普通こんなに来るのでしょうか? 1年次の入学式当初なら話はわかるが、2年のこの時期にクラス半分近くも来るなんて...ちょっとびっくり。新しい担任だと思って 不安になって顔を見に来たのでしょう。とりあえず軽く自己紹介をお互いにして、まずは懸念のPTAクラス理事の決定。はじめに2名ほど 根回しておいたのでスムーズに決定(ホッ)そしてここからクラスの様子などを話しながら、軽く私のクラス経営方針の所信表明演説(爆) それほどのものではないが、いちおうこういうところは家庭と連携してやっていきたいということをいくつか。その後は雑談形式で、ご家庭で 悩んでいることなどをあげてもらい、みんなで「うちの場合は...」みたいな話をしました。どこの学校のPTAでもありがちな、 「門限って何時頃にしたらいいんでしょうか?」「部活ばっかりで全然勉強しないんですけど...」「学校のことは全然言わないんですけど」的な 話は、当然お約束のように出る。でもそこは進学校、「予備校はいつぐらいから通えば?」とか「もう少し読書して欲しいのですが」みたいな 話も出る。でも一番驚いたのは「先生は国語の先生ですから、是非敬語の指導とか日本文化みたいなものに接するような指導をして欲しいです。」と いう話が出たこと。なるほどそういう勉強的な要望もあるのですね。なんかそっから話が発展して「学級文庫でも作って、お互いに 読書する環境を作っていけば...」なんてところまで波及。うーん、親まで意欲的。こういう話をする懇談会をしたことがあまりなかったので、 ちょっと新鮮でした。とりあえず出来る範囲で頑張ります、ハイ。でも比較的和気藹々とした感じでスムーズに終了。とりあえず第1関門 クリアと言うところでしょうか。でも本当は保護者と綿密に連携を取ることが、実はとても大切なことだと、よーく今までの経験で わかっていますので、今後もこういう機会を持ちたいと思いました。でもちょっと緊張(^^;)
3時間目の情報の授業では、ネットワークトラブルが頻発していて、うまくプリントアウトできなかったり、サーバへ保存できなかったりと、 色々大変でした。私はサブなのですが、とりあえず色々な生徒のところへ回り対応し、少しだけお手伝い。うーん、先が思いやられますね。 そして4時間目は教科会議。けっこう色々話し合うことが多くて時間がかかりました。教育課程、教育実習生、特色化選抜の試験内容等々、 この学校はこういうものが教科に下りてきて教科サイドで話し合われているらしい。だから時間割上にきっちり教科会議の時間が設定されているのか。 まっ、普通の学校はそうなんだろうけれども、前任校では人数的に設定できなかったもので、学年へ下ろすシステムだったもので、これも ちょっと新鮮。
そして午後2連発。死ぬー。今日は初夏のような暑さで、ただでさえへばっているのに、テンション上げてやらねばならないスタイルの 私としてはけっこう疲れました。でもクラス自体は手がかからないので楽と言えば楽かもしれません。でも前任校の生徒は良い意味でも 悪い意味でも、先生に対してもフレンドリーというか友達感覚というか、人懐っこくすり寄ってきたものですが、ここでは割とドライに あっさりしていて、別に担任に依存はしてこない。うーん、ちょっと寂しいかな。