このところあすなろ大会というテニス関係のミニ大会のため、あちこちの学校へ行っております。これは各学校のテニスコートを 使ってやる初心者大会なのですが、そのためここ数日で同じ県内の公立高校4校ほど行きました。そこで感じるのは、やはりどこへ 行っても、その学校独自の雰囲気というか臭いの違いということ。
例えば校門一歩中へ入ってみると、まずくだらないことなのですが、停まっている車の様子。多分その学校の先生達の車だと 思うのですが、台数がすごく多い学校とかもあります。『おおっ、沢山の先生が来て仕事しているのね。』と思ったりします。 そうかと思うと全然なかったり...(^^;)『この学校は昔ながらの「夏休み期間」なのかなぁ。研修が簡単に取れるのかなぁ。』などと 思うところもあります。ある学校では外車率が異常に高くてびっくり!たまたまかもしれないけれど(何かの会合で外から 他の人たちが来ているだけかもしれませんが)そういうところもありました。
また学校の作りが全然違って迷うようなところも多々ありました。体育館がいきなり校門の真ん前にあったり(普通校舎が前じゃ?) 行けども行けどもテニスコートが見つからなかったり(単なる方向音痴?)その他、部活で登校している生徒が異常に多い学校があったり、 そうかと思うと本当に閑散としていて、入っていいの?とためらわれるくらいひとけのないところもありました。きれいな校舎の学校、 ぼろっちぃ学校、本当に千差万別です。でも一番違いを感じるのは、時々すれ違う、その学校の先生と思われる人たち...。 某高校、先生のサンダル率100%(笑)まっ、夏ですからね(笑)
どうして小さい「わ」とか「ぃ」を、多用するんでしょうか?例えばこんな感じ。「(次の試合の)控ぇに わ入っているんですけど、試合にわまだ入らなぃみたぃですょ☆☆」
以前からとても気になっているのですが、ちょっと違和感。もちろん「は」をわざと「わ」にしているのはわかるのですが、携帯で 変換できる小さい「ぁ」や「ぃ」も、文脈に関係なく多用されております。携帯文字から新しい言語感覚が生じているという意見は よく耳にするし、顔文字のみならずヘタ文字(ギャル文字?)(例えば、「おはよう」は「才(よчoぅ」、 「さようなら」は「±よ宀ナょら」等)が一部で跋扈しているのは知っております。でも普通の女子高生も(いわゆるギャルでなくても) かなり普通に流布しているんだなぁと実感しております。もちろん普通の言葉でメールする子もいますが、それは私が先生だからということを わきまえてのことであって、友達同士では、こういう使い方をけっこうしているようです。
ここから別に何らかの社会的現象を考察しようという気はさらさらありませんが、これが、おそらく何かの表現に(例えば作文やら 小論文)影響が出てくるんだろうなぁと思います。国語教師としてちょっと考えさせられました。顔文字くらいは私も使いますが、 単に「可愛いから。」という理由だけで、こういうふうに変化していくのは、文語から口語へ、そして新しいものへと生まれ変わる 狭間なのかも...。とまぁつれづれに思うO−TEACHERでした。
あのー、張り切るのは良いんですが、これで夏休み明け復元できるのでしょうか(泣)
そこで手続きをして発行してもらおうと受付へ行ったのですが...。そこの管理というか担当をしているのが、おそらく シルバー人材なのか、いつも機嫌の悪いおじいさんなのです(何度も行っているので知っている)私が登録証の発行を お願いすると、いきなり「免許証とかある?」といきなりブスッとした物言い。「あのー、近隣センターで聞いたら 身分証明書でも良いと言われたのですが...。」「身分証明書?ちっ、それでもいいよ。」と言われる。この説明の パンフレットには身分証明書でもいいと書いてあるのに、なんか私が悪いみたいな対応...。でもまぁ大人ですから、 そこは怒らず「すいませんねぇ。」と言いつつ下手に出る。すると「えっ!コピーじゃないの?(身分証明書の)現物出されても 困るよ。コピーじゃなきゃ。」って、どこにもそんなことは書いていないし、言われてもいないんですが...。 「しょうがないなぁ。とりあえずカードは発行するけど、コピーはすぐ持ってきてよ。いいね!?もうホントに...(ブツブツ)」
これって私が悪いんですか?
釈然としませんが、これ以上機嫌を損ねても、あとあと困るので謝りつつカードを発行してもらう。これで市内各所にある 端末やらネットで、コートの予約が出来ることになったのだ。でもあんなに愛想が悪い人を雇っているなんて、 あちこちから文句が出ないのかしら。そんなことを思いました。
そしてもちろん本日も学校で仕事。うちのクラスの生徒が4、5人文化祭の準備で作業をしていました。ちらっと見に行きましたが お邪魔なようで早々と退散。相変わらず女子主導で物作りに励んでおりました。細かい作業に汗を流しつつ働いている姿を見て、 こういうお金にもならないことに一生懸命になれる瞬間はそうないよなぁ...でも張り切るのは良いのだけれど、 もう少し綺麗に片付けて欲しい代なぁ...後片付けが面倒臭くなる代なぁ...なんてオヤヂっぽい否定的な感想を持ってしまいました。 いや、まずい。そんなふうに思ってしまうと、上のような始終何かに不満を持って怒っているオヤヂになってしまうと 自己を省みるO−TEACHERでした。