退廃の 11月 下旬 編
11月20日(金) 俺は湯川専務ではない
最近よく生徒から質問を受ける。授業についてだったらいいのだが、もちろんそんなことではない。
「O−TEACHER、ドリームキャスト買いですかね?」
「O−TEACHER、ドリキャスって面白いんですか?」
だ・か・ら、俺は湯川専務じゃないちゅーの!どうして私にゲームについて聞くのだ!確かに
ゲーム好きなことは認めるけど、私は別にその道の専門家っていうわけではないのに...
でもどういうわけかこの学校では、ゲーム好きの先生として通っている。多分何度か授業中に
今やっているゲームの話をしたのが原因だろう。またたまーに生徒から攻略本などを借りた
からであろうか?でも生徒が思うほどゲームはやっていない。そんなに暇ではないのだ、先生は。
確かにファミコン・スーパーファミコン・セガサターン・プレイステーションと全部持っている
けど(さすがにNINTENDO64は持ってない)だからってわけではないだろうけど、よく
生徒にはいろいろなゲームの攻略法を聞かれる。また裏技を発見した生徒は逐一報告に来る。
一体何なんだか...もうゲーマー・ティーチャーの汚名を返上したい。
「O−TEACHER、ゲーム詳しいんだって?」
「あっ、K先生。いや別に詳しくないですよ。先生までそんなこと言うんですか?」
「いや、別にそういう訳じゃなくて...実はこのゲームやりたいんだけどインストールの
仕方が分からなくて..」
「K先生、これってもろ、エロゲーじゃないですか!」
「いや、うちには子どももかみさんもいるだろ?だから学校のコンピューターでさ!」
日本の教育に未来はない
11月21日(土) いえ、わたしはいいです(すごすぎるぜ開放講座パート5)
今日も開放講座なのだ。いよいよ残すところ今回を入れてあと2回。だいぶ皆さん上達してきました。
我々講師陣もかなり満足。今回は罫線とタブとインデント、及び文字変形イラストの貼り込みなどを
やりました。と、その前にいつものように講師陣(といっても先生達だけど)で昼飯を食べながら
今日の手順の確認などをする予定だったのですが...昼飯が来ない。1時から講座が始まるのに
ラーメン屋が全然来ない。(ちなみにこの昼食代だけが我々の手当です(^^;))いつもなら12時
くらいに昼飯を食べて1時の講義に準備万端の態勢を取るのですが、今日は12時30分を過ぎても
来ない。そろそろ受講者の人たちも来校してきた。あわや昼飯抜きで4時まで講義か!?と思って
いたら、12時55分ラーメン屋到着。やはり出前は当てにならない。あつあつの五目ラーメンを
わずか5分で平らげた。おかげで舌をやけどしてしまった。そのため講義では「はひ、この
けひせんを、まっひゅぐひゅくには...(訳)はい、この罫線をまっすぐ引くには..」と
なってしまった。(ちょっとおおげさ)そして今日は罫線やらタブやらインデントをやったのだが
ちょっと皆さんついてこれなかった。まぁそうだわなぁ、私だってあんまり使わないもん。ましてや
インデントなんて。ちょっと難しすぎましたね、A先生。そこで後半から今度は私が講師に
バトンタッチ。最終回に向けて、何か記念に残るものをと考えた私は、葉書に自分の写真や
イラストを貼り込んで、その上、文字エフェクト(文字の変形)などを入れて、記念カードを自作
しようと考えた。そこで次回完成を目指し、今回文字の変形やイラストのカットアンドペーストを
教えた。これもまた好評。やはり初心者の人には、こういう視覚的な作業って喜んでくれるみたい。
そしてその合間にデジカメで受講者の写真を撮って回った。もちろん自分の記念カードに貼り付ける
ために。ところがきちんと説明をしないでデジカメを持ってそれぞれの人のところへ行ったせいで
撮影拒否が相次いだ。
「すいません、一枚撮らせてください。」(まるでカメラ小僧のようだ)
「いえ、わたしはいいです!」(撮影拒否?)
「えっ?」
「そんな、先生、そんな年じゃないですから...」(へっ?)
「それに今日は変な格好しているし...」(注)ご年輩のおばさん多し
「いや別にそういうんじゃなくて、次回画像を...」
「ちょっとお化粧直してきていいですか...」
だ・か・ら!

11月24日(火) 卒業生こぼれ話
長く先生をやっているとたくさんの生徒を教えることになる。毎年学年が変わったりすると、1学年
40名×8〜10クラス×13年(実際には3年1クールだけど、他学年を教えたり部活動で接する
生徒もいるので)=4000人弱!これだけの生徒と接していたのか!だから当然卒業生も一杯いる。
まぁ卒業してしまえばほとんどの奴が音信不通になるのだが、なかには律儀に毎年年賀状をくれたり
して付き合いが続く生徒もいる。私の場合、前任校で女子テニス部の顧問を”熱血的”にやって
いたので、その頃の卒業生とは未だに交流がある。しかしもう卒業して何年も経つと、生徒と先生と
いうより、普通のおじさんとおばさんなのだが...
その卒業生から披露宴に呼ばれて、日曜日出かけてきた。こういう仕事をしていると、恩師として
頭数合わせによく呼ばれる。まぁおめでたい席だからよほど都合が悪いとかスピーチを頼まれたり
しない限り出席している。まだ30代半ばでもうすでに生徒の結婚式4組ぐらい呼ばれた。今回も
テニス部にいた女の子からのご招待だった。さっきも言ったけど、毎年たくさんの生徒を教えて
いるため、まず卒業生の顔なんか覚えていない。べつに不人情じゃなくてそうしないと今の生徒の
顔と名前が覚えられないからだ。同僚の先生で、卒業生の結婚式に出たはいいものの、最後まで
その卒業生が思い出せなかったと語っていた人もいた。しかし今回は全然大丈夫。よーく覚えている
子だった。結構とぼけていた子だったが和やかな披露宴だった。こういう時教え子の成長を感じ、
つい涙ぐむ....なんてことはなくひたすら喰いまくっていた私でした。スピーチぐらい
ちゃんと聞けって?だって毎回のお祝いのお金も馬鹿にならないんだもの。今年だけで卒業生の
結婚式が4件も...寿貧乏の私であった。
しかし色々な卒業生がいると得することもある。やはりよく面倒を見た卒業生で、ホテルに勤めて
いる子がいる。時々ちょっとリッチにホテルで食事!なんて時に大変重宝させていただいています。
そう!料金を大変リーズナブルにしてもらっているのです、恩師だということで!
いやーラッキーラッキー。先生やっていて良かった。卒業生が色々なところへ就職していると、
その時その時でいろいろ便宜を図ってもらい(まぁ手っ取り早く言うと、安くしてもらったり
色々サービスしてもらったり)嬉しい限り。そういう卒業生に限って名前と顔は忘れないんですよ、
これが(^^;)
11月25日(水) 悪魔の囁き
このところ学校のコンピューターが調子悪い。N○CのPC9801BXだが、MS−DOSで
まだまだ現役で活躍していた。確かにもうだいぶ酷使されていてガタがきていたのは認める。しかし
そこまでやることはないでしょうという壊れ方をした。2、3日前からフロッピィを読み込ませ
ようとすると、やたらアクセスランプが点滅する。いつもならすぐ読み出すのにかなり長くかかった。
その時に嫌な予感はしたのだ。しかし忙しさにかまけて『大丈夫、大丈夫。』と自分に言い聞かせて
いた。保存の時もやたらアクセスランプがチカチカしたが、これも何とかセーフ!こんなスリルのある
読み出し・保存もそうない。そうこうするうちにやっぱりというかついに壊れてしまった。
フロッピィを認識しなくなってしまった。読み出しをかけると「セクタが見つかりません」という
表示が出るようになってしまった。仕方がないので中のファイルだけ別のところへコピーするかと
悠長に構えていたら、『そうか!フロッピィ自体を認識しないのだから無理だ!』ということに気づき、
青くなった。もちろんバックアップなんてとるほど人間ができていない。去年作ってあった膨大な量の
データが見事昇天した。南無。と、ここまではよくある話。フロッピィも永遠ではないから仕方ないと
あきらめていた。ところがである。また2、3日このコンピューターを使っていると、また同じように
フロッピィが壊れた。『ああ、同じ時期に使い始めたフロッピィだから、同じような時期にダメに
なったな。』と、たいして重要でないデータしか入ってなかったもので、妙に落ち着いて考えていた。
その後しばらくこのコンピューターを使っていなかったのである。
ところが先日「O−TEACHER、このフロッピィ壊れたみたいなんだけど...」
「ああ、そういうこともありますよ。フロッピィもそんなに耐久性のあるもんじゃないですから。」
「あーあ、大事なデータが入っていたのに...」
「だから日頃から言っているでしょ。ちゃんとバックアップを取らなきゃダメだって。」
(自分のことは棚に上げて何を言うか!)ところがである。
「あっ!私もフロッピィだめにしたんです。」
「俺もこのフロッピィ、急に読めなくなったんだ。」
おかしい!こんなみんないっぺんに壊れるはずがない!もしかしたら...
「みなさん、もしかしてこのコンピューターでフロッピィ使いました?」(一同頷く)
やっぱり...一番恐れていたことが...このコンピューター、ドライヴがいかれていたのです。
ドライヴの回転するところがおかしくて、読むフロッピィ読むフロッピィの表面に傷を付けて
いたのです。ただ壊れるだけじゃなくてフロッピィまで道連れにするとは...恐るべし。
ちなみに現在まで報告のあった被害フロッピィ6枚。
「あっ!いいところにいたO−TEACHER、悪いけどこの文書うっといてくれよ。」
「ええーっ!僕がですか?先生の仕事じゃないですか。」
「だってO−TEACHERが打った方が早いだろ。元の文章はこのフロッピィに
入ってるからさ、頼むよ。ほらそこのコンピューターうまいことに空いてるしさ!」
「えっ?このコンピューターでですか?(へへへっ)いいですよ。」
「頼むよ。大事な文書だからさ。」
悪魔が囁いてしまいました。

11月26日(木) 先生の朝自習
先生達はホームルームや授業が始まる前に、朝会とか朝の打ち合わせと呼ばれるものがある。
色々な係りからの連絡事項があって、それを生徒に連絡するのである。それは会議室という
ところで毎朝行われている。(まぁ俗にいう職員室みたいなとこで)その私の席の隣にH先生が
座っている。彼は見た目はルパン三世に出てくる次元大介みたいな風貌だが、年は私と同じで
同じ時に転勤してきたので仲がよい。彼は数学科の先生で情報活用というコンピューターの授業を
教えている。ところがこのH先生は、実はコンピューターが大嫌いなのだ。この学校に転勤して
きて、嫌々コンピューターの授業を教えている。だから元々というか全然コンピューターに詳しく
ないのだ。そこで毎朝、朝会の時間になると私に色々質問してくる。今日授業で教えなければ
ならないことをだ。机の上にいつも置いてある「超図解ワード」とか「サルでもできるエクセル」
の本を片手に「O−TEACHER、この書式をこう設定するにはどうしたらいいの?」とか
「この計算を出すにはこの関数でいいの?」とか「なぜこういう手順でやらなければいけないの?」
などなど、毎朝私に質問してくる。まぁ仲良しさんだから丁寧に教えてあげているが、こう毎朝
だと、何かのミニ授業をやっているようである。おまけにH先生はその日の授業でやるポイントと
なることを聞いてくるのだ。H先生曰く「これは口答式の教材研究だ。」と。じゃ、俺は歩く指導書か?
「いや、O−TEACHERは『歩く指導書』というより、『金のかからないマニュアル』って
感じかな?」オイオイ!それはほめすぎだって...えっ?
11月27日(金) 中学生の学校訪問
この時期になってくると、中学生が学校訪問に来ることが多い。中学校の方でも三者面談が終わり
志望校を決めてくる。親も本人も「本当にこの高校でいいのか?」という不安と期待でじっとして
いられないのだ。その志望校最終決定のために、その高校を実際見てみようということになる。
だからこの時期、中学生の高校訪問がすごーく多くなる。私のいる教務室の黒板にも、中学生の
来校の予定がびっしり。ほとんど毎日のように2、3人ずつ来るようになっている。そこは仕事を
しないO−TEACHERであっても、これだけ来校されるとその対応に何度かあたる。そんな時の話。
当然うちの学校の良いところをPRするわけであるが、自慢じゃないがうちの学校は県下でも有数の
教育困難校。つい3年前までは定員の生徒が集まらず、10年近く連続で2次募集するという有様。
しかしここ2年はやっと回復の兆し。少し評判も良くなってきた。生徒も落ち着いてきたし、なかなか
よくなってきたところ。ところが世間の目は、以前の大変な学校というイメージが払拭されていない。
だから訪問してきた中学生もそのことを質問してくる子が多い。
「とまぁ、うちの学校はこういうところがウリなんですよ。(ニコニコ、笑顔を絶やさず)
何か質問はあるかな?何でもいいからどんどん質問して下さい。」
「あのー、ちょっと聞きづらいんですけどー...」
「何ですか?何でもお答えしますよ。」
「あのー、やっぱりヤンキーっているんですか?先輩に聞いたら『あそこはこわい奴ばっかり
いる』っていってたんですけど...」
(少し笑顔がひきつりながら)「ハハハ..まぁ以前はそんな生徒もいたけどねぇ...今は
いませんよ。大丈夫ですよ。」
「本当ですか...でもこの学校の制服着た先輩が駅でタバコ吸ってんの見たこと
あるんですけど..」
(よりひきつりながら)「ハハハ..それはうちとよく似た制服の他校の生徒じゃないかなぁ..
うちは最近そういう生徒、ほとんどいませんよ、大丈夫ですよ。」
「そうですか。安心しました。」
と何とかごまかして、笑顔で玄関まで中学生を送りました。そしてその中学生達が「ありがとう
ございました。」と言おうとした瞬間。すぐ近くで在校生を怒っている、とある先生の大声が響いた。
「おい、お前ら、今度またタバコ吸ったら停学じゃすまねぇーからな!こんどやったら
てめぇーら、退学だー!いいかー!」
「あっ、あっ、ありがとーございましたー」
走り去る中学生。また志望者が減った。
11月30日(月) なっ、何で知ってるの?
本日は学校と関係のない話を。先週の土曜日、大学の後輩の結婚記念パーティーへ行って来た。
実は私は、大学時代とある音楽サークルに所属していてバンドなどをやっていたのです。
(知られざるO−TEACHERの過去!その時の自分で作った赤面オリジナル曲はいつの日か
UPしよう!そしてこの時のおもしろエピソードもまたいずれ...)その時一緒にバンドを
やっていた後輩なのです。当然同じサークルだった先輩後輩とも10年振りぐらいの再会を
したのですが、みんな全然変わっていない...人もいればすごーく変わっている人もいた。
とある後輩(私より2つ下)はすでに髪の毛に著しい退化が始まっており、「すすき化」が
進行中であった。そうかと思うとすごーく痩せた奴もいた。「お前、すごーく痩せたなぁ。」
「ああ、糖尿でねぇ。」やだやだ30代ともなると、久しぶりの話題は、子供の自慢か病気の
自慢。悲しい...その中でも私はみんなから「O−TEACHERは変わらないなぁ。」と
あちこちで言われた。まぁ高校生相手の商売ですからそんなに老け込みませんよ。そんな中、
2次会でカラオケボックスに繰り出した。ここでまた以前の仲間と合流した。その席での話。
かつて後輩だったの女の子がいきなり「O−TEACHER!ushitaroでしょ?」「!!、なっ、
何でそれ知ってんの?」そうなのだ。お気づきの方もいるかと思うが、このホームページ、
アドレスがushitaroとなっているのだ。(メールアドレスも)「見てますよ、ホームページ。」
どっ、どっ、どうして?だって名前だって出してないし、顔写真だって(見苦しいから)モザイク
かけてるし...どうして私だって分かったの?もう13年振りぐらいで会うのに、
このホームページで私の消息をつかんでいたとは...恐るべしインターネット!これからは
あんまり変なこと書けないかなぁ。「へん、何がO−TEACHERよ!昔は変な歌、バンドで
歌ってたくせに...」ひぇーーっ、ごめんなさーーーい!