3連休でしたが部活…(泣)
長年教員をしていると色々な分掌を経験する。私的には、生徒指導部、特別活動部(生徒会)、教務部、総務部、情報部、進路指導部と 色々渡り歩いてきた。多分やっていないのは、環境衛生(管理厚生)と図書視聴覚くらいかな。色々やりました。
だからある程度どんな仕事内容なのかもわかり、どんなことに気を遣い、どんな苦労があるかもわかる。それぞれ部署ごとに気苦労は 色々あるわけです。
ところが先生たちの中には、そういうことを忖度せず、ミスをあげつらうかのように非難する人もいます。もちろんちゃんとやってもらわねば ならないことはいくらでもあるのですが、そりゃ人間ですからミスはけっこうあります。ところがまるで鬼の首を取ったように、 その分掌の過失を責め立てる大人気ない人もいるのです。
でも色々経験した私から言わせれば、ああ、あれは仕方がないよなとか、あれで精一杯だろう、と思うことはけっこうあります。 そんなにすべてパーフェクトにいくほど簡単でない仕事も沢山あると知ってるからです。内部のことだけでなく、たとえば総務部で言えば 保護者との関係性とかで上手く出来ないこともあります。また金銭的にお金が足りなくてやれないこととか、管理職の意向によって変わることも たくさんあります。それをほとんど考えもせず、他分掌に文句ばかり言う人もいて辟易します。前にあった学年の縄張り争いというか、 自分たちの方がちゃんとやっているという優越感なのか、そういう部分も出てきます。大人気ないなぁと。
いつも思うのですが、ならお前がやってみろよ…ということ。でもそういう人に限って、自分の陣地というか分掌にずっと長くいて プロフェッショナル的な顔でふんぞり返っているものなんですよね。やれやれ。
先生というのは協調性がない。それぞれ自分の授業だけ、自分のクラスだけ…という独立色が強いため、みんなで歩調を合わせて 同じようにしましょうというのが苦手だ。
学年で統一してやりましょうとか、教科全体で同じようにしましょうと言っても、必ず足並みが揃わなくなる。早くやる人、いつまでも やらない人、ちゃんと指示しない人、細かすぎて余計なことまでやりだす人…これだけバラバラな職場も珍しい。
そのせいで他が迷惑することも多いのだが、その独自のやり方とタイミングで何とかなってしまうのがこの仕事。むしろそういう 適当な先生の方が人気があったりするから困る。きっちりやる人の方が不評で、割を食うことも多い不公平な仕事なのだ。
反面、自分のカラーが出せるというか、その人の個性が反映されるというか、ああ、あの学年は××主任の学年だ…とすぐわかったり、 ああやっぱり○○先生のクラスだよね…と一目瞭然だったりする。授業も同じで、ああ、あの先生の教え方だ…とノートを見れば すぐわかる。
それが良いか悪いかはさておき、そういう混沌の中に学校というのはある。教師の個性が反映する職場なのだ。だから全県下で すべて同じで…とトップダウンで言われてもなかなか変わらないのが学校なのである。
今はあまりなくなったが、昔は学校に変な物売りの人たちが良く来た。私もそれで古典文学大系を買わされたが(笑)それならまだしも、 保険屋や教材売りなども今でもまだ時々出入りする。でも昔は印鑑屋、アクセサリー、宝石、眼鏡など、職員室あたりに広げて バッタ屋みたいな人たちもかなり来ていた。部外者立入禁止みたいなのがあまりうるさく言われていない、おおらかな時代だったのだろう。
この前も事務室にいたら、どこかの若い営業の人が飛び込みで何かを売りに来ていた。事務の人に軽くあしらわれ追い返されていたけれど、 先生や学校というところは良いお得意になるのだろう。
そして相変わらず名簿が出回っているのだろうが、電話によるマンション購入や節税対策のオーナー募集などが直接名指しでかかってくる。 忙しいのに本当に迷惑。相も変わらず教員はカモなんだろうなぁ。
総合学習の時間というものがある。これがまた学校によってなかなか違いがある。元々ゆとり的な流れで始まったのだが、何をどうしろという 形式があるようでない。自分たちで主体的に取り組むという概念だけで、具体的なものは学校に任されている。前任校は進学校だったので、 3年生は補習授業に、2年生は修学旅行関係と進路調べなどに使われていた。この学校も進路ガイダンスや頭髪検査などにあてられている。 つまり就職する時恥ずかしくない身なりを整える…という意味で頭髪服装検査(笑)
学校によっては、独自の取り組みで、地域の何かと密着して地域貢献したり、あるところでは部活にそのまま直結していたり、また あるところは放し飼いというのも聞いた。昔の必修クラブと同じで、あまり意味が無くなってきている。で、今では生徒の学力低下に 伴って、そこを授業的なものに当てるところも増えていると聞く。
上の方でお題目的に掲げられても、現場ではなかなかうまく活用できないのである。そのくせアンケート、目標申告、指導計画、 研修などはどんどん増え、準備する余裕もない。ゆとり教育って、先生に欲しいところである。
朝から雪。うちの自宅の周りは5センチくらい積もっていて、ダメかな…と思いきや、雨で溶けつつあり、シャーベット状態なので 何とか行けるだろうと車で出勤。するとある地点を過ぎてから全く積もっていない。どういうこと?同じ市内でも最北と最南では これだけ天気が違う。学校付近はただの雨。やれやれ。
さて、ここからが胸突き八丁、今週が山です。4コマ+放課後に総務部会。部長の私が怠慢であまりきちんとやっていない。 個々に仕事を任せてあまり情報を共有せず勝手に動いている。それがまずいとわかっているのに、忙しさにかまけていますよね。
だからというわけではないが、お互いの仕事の中身を知らない。そして進捗状況も知らない。だから文句のつけようもない。 不手際があってもなあなあで済ませる。そしてうまく引き継がれていないから、毎回齟齬が出る。うちの学校の悪習。 これを直すにはきちんと会議設定とかした方がいいのですがね。
空き時間に校長面接があった。目標申告の紙を前に20分程度の雑談。これって意味があるんですかね。
だいたいこの目標申告についても、何年か前から始まって提出を義務づけられていますけれど、いつまで、何を、どのくらいやるという 具体的なことを記入して出さなければいけないのですが、会社みたいに売り上げに直結するわけではないし、生徒への教育を 具体的数値で達成させるって無理があります。漢字の小テスト平均点を2点上げる、大学に何人入れる、遅刻を半分にする、 文化祭で大賞を取らせる…これってみんな実現可能なわけではない。そしてこれが勤務評定=給料の上下になるなんて…。
見えないところで裏方のフォローをしてくれる先生もいる。前に立って叱って、悪役を買ってくれる先生もいる。事務的なことを 学年のためにやってくれる人もいる。不登校の生徒に親身に話を聞いてあげられる先生もいる。部活で活躍し校名を上げてくれる 先生もいる…多様な人材で成り立っている現場なのに、ただ成果だけで判断するのはなぁ…。
で、その校長面接ですが、校長もある程度やらなければいけないからやっている…という感がある。今年で退職だし、そもそも学校を 改革しようという意欲はない。大過なく過ごせれば、職員のガス抜き程度に…ということなのだろう。お互い時間の無駄のような気がする。 私も総務関係の仕事の整理とか、学校の情報発信の脆弱性とか、部活の訳あり生徒のセーフティーネットの役割とか、色々具申はしているのだが 暖簾に腕押し。やれやれである。