馥郁たる 10月 下旬 編
10月20日(水) 情報化推進の陰には
情報処理室で仕事をしていると、とある講師の先生が入ってきた。この方、50代半ばの英語の
講師の先生。産休の先生の代役としてうちの学校に週3日ほど通ってきている。ほとんど私とは
接点がないはずだが...と、ぼーっとしていると「すいません、コンピューター使わせて
いただいていいですか?うちのコンピューターでテスト問題作ったんですけど、ちょっと手直し
してプリントアウトしたいんですけども。」そういうご用でしたか。こう見えても一応、天下の
「情報処理室」在中の情報処理担当者(笑)コンピューター推進を旗印に掲げる
コンピューター委員会副委員長(笑)、もちろん使ってやって下さい(笑)と、笑っていられたのも
ここまで。口振りからするとかなり出来る方なのかと思いきや全然そうでもなかったのだ。
しばらくはワープロでテスト問題の手直しをしているらしかったが、そのうち「すいませんけど、
英語の入力はどうやればいいんですか?」と質問された。まぁ、自宅のコンピューターと設定が違って
たり、FEPが違えばわからなくなるもの..と思って仕事を中断して教えてあげました。すると
またしばらくすると「すいません、これをもう少し小さくしたいんですけど。」はいはい、縮小ですね。
そしてまたしばらくすると「あのー、印刷はどうすれば...」はいはい、こういうふうにして下さい。
情報化推進も大変だなぁと思いつつも何とか手助けできました。そのおかげで自分の仕事が出来な
かったけど。
そして次の時間授業が終わって戻ってみると、またそのおばちゃん(失礼)がいるではないか。そして
いきなり「すいません、ちょっと間違いがあって訂正していたら、なんか動かなくなってしまって..」
はぁ、どれどれ、ああ、これはこうすれば元に戻りますよ。はい。「じゃあ、ついでに聞いちゃおう
かしら。これなんですけど...」授業が終わって疲れて帰ってくれば、この事態。まぁ、仕方ない
けどね。でも私は選任アシスタントじゃないんですけど...「いやー、他の先生方は何か忙しそうで
聞きづらいし、聞いてみたら『情報処理室にいるO−TEACHERが詳しく何でも教えてくれる』って
聞きましたので...」誰だ?そんなこと言ったやつ!結局この時間も自分の仕事が出来ず、
手伝ったり教えたりして終わってしまいました。
そして再び次の授業が終わって戻ってみると....いるんですよ、やっぱり(笑)「待ってましたわ、
O−TEACHER。私、時間講師だから時間外に働いても手当が付かないんですよ、だからもう仕事を
終わりにしたいんですけど、コンピューターがうまく扱えないし、先生は授業だし、待ってたんですよ。
さっ、早く早く。」自分の都合だけで...本当にトホホですよ。自分でマニュアルでも見てやろうと
いうぐらいの気持ちにならないんですかね?コンピューターのインストラクターも大変だなぁ。こんな
ことなら情報化推進しなくていいや(笑)
10月21日(木) 対策プリントって...
来週の月曜日から中間テストなもので、そろそろ授業の方も区切りが良いところまで終わらせた。
そしてあと1時間くらいしか残っていないクラスは自習にしたりしている。するときまって言われるのが
「O−TEACHER、対策プリントは?」どうもこういうものが必ずもらえるものだと思っている節が
ある。だから対策プリントは本来ない。たまに気が向いて暇なときに(笑)作って、サービスとして出す
こともある、というものだ。それがくれるものと至極当然のごとく思っているからたちが悪い。また
そういうことを言い出すやつに限って授業中ちゃんと聞いていないやつなのだ。まったく困ったもので
ある。今回も特に作らなかった。すると人非人とまで言われてしまう。「先生、俺が赤点とっても
いいんですか?」いいです(笑)「ちょー冷てぇーよ。」と言われようとも...
ところが今回、もう一人の現代文担当のS先生が、独自に対策プリントを作ってくれて
「O−TEACHER、よかったら使う?」とわざわざくれたので、お言葉に甘え、今回は印刷して
配ってあげたのだ。これをやれば少しは点数がとれるだろうと、自習の時間に配ってやらせたのだ。
ところが...これもできないのだ。「先生、この対策プリントの3番って答えは?」とか「この
12番の意味って何ですか?」と、結局質問だらけになってしまった。ちゃんと授業を聞いていて、
ノートを見直せばわかるっちゅうの!そして極めつけのひとこと。
「先生、この対策プリント難しいよ。この対策プリントの対策プリントってないの?」
10月22日(金) 教員も楽じゃない
来年度の全県下の公立高校の募集定員が発表になった。ようするにその学校は来年何人採るかと
いうことだ。受験生にとってはとても大事な数字であることにはかわりないが、実は高校側に
とっても、とても重要な数字なのだ。本校は来年、200名となっていた。今年は240名。
40名の減。ようするに今までは1クラス40名×6クラス=240名だったのが、来年度からは
5クラスになるということなのだ。これは我々末端の教員には全く知らされておらず、当日の
新聞発表で知るところとなった。これはとても衝撃的で波紋を呼ぶ出来事だった。なぜなら我々
教員の仕事に深く関わってくるからだ。当然生徒・クラスが減れば教員も減ることになる。元々生徒が
多いときは(昔は10クラス)それに伴って多くの教員が仕事を分担してやってきた。それが
8クラスになり、6クラスになり、とうとう5クラスになったのだ。少子化の折り仕方ないとは言え、
教員もそれに伴いどんどん減ってきた。しかし基本的に学校の仕事は量的には変わらないのだ。
教師が減ったから文化祭をやらなくしようとか、先生が足りないから修学旅行を無くそうとか当然
そうはならない。今まで5人でやっていた仕事を、今度からは2人でやれということになるのだ。
世間にリストラの嵐が吹き荒れることを考えれば、そんな甘いことはいえないわけだが、それでも
一人の教員が3つも4つも仕事を掛け持ちすることになるのだ。授業なんて当たり前、それ以外に
膨大な仕事を抱え込むことになる。例えば私の場合、国語科の仕事(例えば教科書選定・成績処理・
漢字検定)、総務部(PTA担当・行事予定・学校行事補助・新入生説明会)、学年(成績処理・
修学旅行・行事関係)、コンピューター委員会(ホームページ更新・機器ソフト管理・メンテナンス
・体験入学補助)、部活動(テニス部)、中学校訪問、進学補習に不振者補習、等々。これで担任を
やりつつ生活指導や週15時間の授業、当然そのための予習復習、プリント作り、テスト作り...
本当に忙しいです。会社にたとえると、総務部と人事部と営業と庶務を同時にやれということ?
すべての部署に配属されて、それぞれの仕事をやるということか...
しかしこの状態でクラス減により教員が5人も減ると、この仕事を2人分掛け持つことになる。
死にます(笑)多様化した生徒にきめの細かい指導を、ってお題目ばかり唱えている割には現状は
悲惨なのです。例えば1クラス30人ぐらいにするとか、教員を減らすどころか増やすぐらいのことを
しなければ、どんどん大変なことになりそうです。職員一同とっても暗い気持ちになりました。本当に
どうなってしまうんでしょうね。それでも上の方からは、入試を含めて、より色々な指令がきている
ようで、その件で昨日も臨時職員会議が開かれ、喧喧諤々の論議でした。どうも上層部は余りすぎた
高校と教員をリストラしたいような気がして、我々もいよいよです。はぁー、生き残れるかなぁ。
10月25日(月) 生徒の名前を覚えよう
今日から中間考査。でも今日はその話題ではない(笑)昨日の夜の出来事。昨日の夜、うちの近くに
おしゃれなパスタ店が出来たとの噂を聞いて、そこへ行ってみることにした。実はうちの周りは
昔は何もない本当に田舎だったのだが、数年前に、近くに駅が出来て急に区画整理がすんでからは
あっという間にマンションの建設ラッシュが始まった。そしてその住人を当て込んだ色々なお店が
出来てきたのだ。昔は近所にラーメン屋一軒なかった寂れたところだったのに...(笑)そして
そのおしゃれなパスタ屋でメニューを見ていると...「あのー、失礼ですけどO−TEACHERじゃ
ありませんか?」「へっ?..そうですけど...」「私、××高校の卒業生のNなんですけども、
姉が本当にお世話になって。」といきなり店員のお姉ちゃんが話しかけてきたのだ。あちゃー。
まただ。話してみると、前任校で担任を持っていたクラスの生徒の妹だった。まさか自分のクラス
だった生徒の顔は忘れないが(忘れることもたまにあるけど(笑))いくらなんだってその妹までは
わかりませんよ。お姉ちゃんが3年生で私のクラスだったとき、1年生だったって言われても。その後
姉がお世話になりましたと言われたって、はい、お世話しましたとしか...(笑)その日はけっこう
汚い格好で、髭ぼうぼうで行ってしまったので、かなり赤面ものでした。まさか私を知っている人に
会うとは思ってもいなかったし、学校からかなり離れた地元で、学校関係者に会うなんて...
またまた出入りできない店が増えてしまった(笑)けっこうこういうことってあるんですよ、先生は。
だいたい毎年200名近くの生徒を教えている。それを教員14年も続けていると2000人近くの
生徒を受け持ったことになる。しかしそれを全部覚えているかと言われたら...全然無理。冷たいと
言われるかも知れないが、特に印象の薄い子は名前どころか顔もわからない。せいぜい見たことある
なぁってぐらい。とりわけ女の子は卒業して化粧し始めたりすると識別不可能。(ただし高校時代から
化粧しているやつは認知可能(笑))だからよく駅とかを歩いているといきなり「O−TEACHER!」
とか呼びかけられ、どきっとする。それでもわかればいいが、自分のクラスでもなく、ただ授業で
教えた程度ではよっぽどインパクトのあるやつ以外は忘却の彼方。またそんなやつに限って「覚えて
ます?」とか聞いてくる。わからないというのも気が引けるので、気が弱い私としては、作り笑顔で
「ああっ...」といいながら頭の中のハードディスクから必死でデータを検索するのだが、なかなか
思い出せない。「あの後、私も就職して、今はOLやっているんですよ。」うーむ。就職したやつか..。
「高校時代はバスケばっかりやっていたんで..」むむっ、バスケ部!だいぶしぼられてきたぞ。
「そういえばこの間、やっぱり駅で、元担任のK先生にあったんですよ。」K先生のクラス?という
ことは、学年色が赤の時で=15期生、あの時のK先生のクラスといえば3−4で...検索エンジン
真っ青の、就職and15期生and3−4andバスケ部...とand検索の嵐!頭の中で必死にやっていた
のだが、どうも該当する名前は見つかりませんと出てしまう(笑)うーん、もう一つヒントを!
(クイズか!)「そう言えば私と仲の良かった先生のクラスだったS子どうしてます?」S子と
仲が良かった...あっ!思い出した!たしか...
「山田さんだったよね?」
「安田ですけど!」
10月26日(火) テスト中の巡回
中間考査2日目。今日は自分の教えている3年生の現代文のテストだった。こういう自分の教科の
時は各クラスを巡回して、訂正個所を説明したり、質問に答えたりするのだ。そんなわけでテストが
開始して20分ぐらい経ってから各クラスを回った。今回は珍しく一つも訂正がなく(笑)(以前
ひどいときには解答欄がまるまる5個分抜け落ちていたことあり。これもカット&ペーストの
功罪?(言い訳))生徒からの質問を受けるだけであった。しかしこの質問というのもテスト中、
各クラスへ行き、手を挙げてもらい、その場に行ってごしょごしょ聞き、小声で答えるという、
まるで内緒話のようなのだ。まっ、そのおかげで問題や解答用紙のミスが見つかったりするけど。
しかしこの巡回中の質問もけっこうややこしい。クラスによっては全然聞いてこないところもあるが
めちゃめちゃ手が挙がって、やたら質問してくるクラスもあるのだ。しかし普通の質問なら良いのだが
時々答えにくいことを聞いてくるやつもいる。「先生、ここの答え、こう書いたんだけどあってる?」
そんなこと答えられるわけないだろ!また「問題文のここのところ、なんて読むんですか?」って
読み方を聞いてくるやつまでいる。それも問題だ!授業中読んだだろ!
そうかと思うと、全くわからなくて早々と爆睡しているやつもいる。見てみるとほとんど白紙。よだれに
気をつけてね。そうかと思うと解答用紙に何かひたすら書き込んでいるやつがいる。おお、感心感心と
近寄って覗いてみると、いたずら書きを丹念に細かく書き込んでいるやつもいる。その情熱をテストへ
向けろよ。そうかと思うと解答用紙の裏に、自分の好きなアーティストの歌詞を書き込んでいるやつも
いる。テスト中、巡回していると様々な生徒の様子がかいま見られるのです。
10月27日(水) 特別室な人たち
中間テスト3日目。特に変わったことなし。本日の監督は別室担当。これは何かというと、
事情があって教室で受けられない生徒を、別室で試験を行うというもの。普通は風邪などをひいて
体調不良の生徒が保健室で受けるというのはよくある話だが、これはそれとはまた違ったケース。
実は特別指導中の生徒なのだ。特別指導というのは別名、生活指導ともいうが、早い話、停学中の
生徒だ。校則違反をして停学処分を受け、何日間か自宅謹慎しなければならないのだが、その間に
こういうふうに試験があった場合、自宅ではテストが受けられない。しかしそれでテストを受けさせ
ないというのもまずいので、こうやって普通の教室ではなく別室へ隔離してテストを受けさせるのだ。
停学というのは処分というよりは自分自身への反省を促すための処置であるから、テストに関しても
「受けさせない」ようにするよりも「受ける」ことにより、自覚を促すように配慮されているのだ。
そんなわけで別室の試験監督をやったのだが、これも相変わらず暇である。やることがない。普通の
クラスでの試験監督なら人間ウォッチングでもしていれば、多少の暇つぶしにもなるのだが、広ーい
教室にポツンと停学中の生徒と私だけでは、何もすることがない。試験が始まるまでの数分間、
お互い何もしゃべらずじっと開始のチャイムが鳴るまではとっても気詰まり。かといっていきなり
「お前か、煙草吸って停学になったやつは?」なんて聞くわけにも行かないし...まっ、そんな
わけでとってもやりづらい試験監督なのです。
10月28日(木) 女王様の御み足
中間考査最終日。昨日までたいして書くネタがなかったのだが、ある時には一日でどどーんと出る
ものなのです。本日もネタ的には3つほどありました。で、そのうちのひとつ。今日の2時間目に
2年生は修学旅行の事前指導として(もう修学旅行!)スキーウェアと靴のサイズあわせがあった。
うちの学校の修学旅行は体験学習型で、2年次に行われ、1月の下旬に秋田のスキー場へ行き、
専門のインストラクターが各班についてくれてスキー実習を行うのだ。このスキー修学旅行は
本県ではけっこう多くの学校がやっており、前任校を含めると5回目のスキー修学旅行となる。
その上、そのスキー場というのが県下御用達なのか知らないが、4度とも同じ場所なのだ。まぁ、
初心者が滑りやすくて、あまり一般客に迷惑がかからなくて、宿の値段がチョボチョボというと
決まってくるんでしょうけど..。まっ、こう見えてもO−TEACHER、スキーはそこそこ
滑れます。で、ほとんどの時間はインストラクターに任せっきりだし、担任でもないわけで
今回はとても気が楽なのです。そんなわけで今回のスキー修学旅行は意外と楽しみなのです。
しかしほとんどの生徒は全くの初心者。用具すべて一式レンタルして一から教えてもらうという案配。
でも3日もするとみんな滑れるようになるから、若さって怖い(^^;)まっ、初めのうちだけ天下
ですけど(笑)
で、サイズあわせなんだけど、これが毎回大変。女子はウェアを試着するのが遅いわ、自分の
サイズよりもあきらかに大きすぎるものを選ぶわで、もうてんてこ舞い。いくらそんなダブダブな
ものを着ても、スキー場では動きづらいし、風が入って寒いと言ってもだだをこねる。スキー場の
寒さを甘く見ている。男子は男子でスキーウェアを着て転がりまくっているし...(笑)
そして問題なのはスキーブーツ。ほとんどのやつが履いたことがない。履き方、バックルの締め方、
サイズの合わせ方、脱ぎ方、何度も言っているのに聞いてないやつがやっぱりいるんですよ。
「O−TEACHER、これどうやって履くの?」
「だから〜、後ろのバックルをはずして、後ろ側を少し開けて...」
「きゃー、この靴ーっ、なんか変ー、キャハハハハ。」
「・・・・」
「先生、靴脱げないー、やってー」
「もう、これぐらい自分で出来ないとスキー場じゃ困るぞ。だからこのバックルをはずして..」
「やー、O−TEACHERが足、触ったー!セクハラ教師ーっ!」
「・・・・」
「先生、どうやるの?」
「ちゃんと聞いてろよ、まったく。こうしてこうやるの。」
「バックルに手が届かないー、先生締めてー。」
「もうー自分でやれよな。はい、閉めたぞ。かかとと指先はどう?」
「ちょうどいい。あれー?今度は脱げない。どうしたらいいの?」
「ほら、ここを押すとはずれるだろ、はい、足抜いて。」
「締まっているから脱げない。転んじゃいそう。ちょっと先生、肩貸して。」
「きゃー、S子、ひざまづいたO−TEACHERの肩に手を乗せて、なんか
女王様と家来みたいじゃない?」
殺す!
10月29日(金) 転勤にまつわる話 その1
正確には昨日のネタですがご容赦。昨日の朝、白い紙が配られた。来た来た!来たよ!今年も
とうとう(笑)何が来たかって?平成11年度末人事異動個人調査票という赤紙ですよ(笑)いわゆる
転勤希望とかを書く紙です。毎年毎年何度提出したことか...(泣)これってとっても
重いものなのですよ、教員にとって。そもそも教員の転勤とはどうなっているのか?という
ところから、一般の人にはわからないと思うので、少しレクチャーしたいと思います。みなさんも
学生時代、いきなり先生が転勤しちゃったり、何か知らないけど急に担任が替わったりという
経験があると思いますが、実はこの人事異動に深く関係があるのです。
他県のことは知らないがうちの県では、いちおう人事異動の方策というものが毎年発表される。
まぁ大概はお題目で、「全県的な視野で...」とか「教育的効果を配慮して...」とか
「学校運営の適正を図るため...」などと書かれているが、そんなことよりもより具体的が
関心がある。ご存じの通り、子供の数が減って高校・教員の数も余ってきた。あんまり
計画性のない教員採用をしてきたものだから、急に子供の数が減ってそれに合わせて教員採用の
数も減らしてきた。そのため年々若い教員がいなくなり、はっきり言って年輩の先生ばかりが
いっぱいになってきた。初任者なんて希少動物扱いですから(笑)教員人口ピラミッドもだんだん
上に偏り、はっきり言っておやじおばさん先生ばかりとなりつつある。当然生徒との世代の
ギャップは広がるばかりで、昔なら若い先生とかがいて活気があったのだが、今となっては学校か
福祉施設かわからない(失言)そのせいで50過ぎても運動部顧問なんて当たり前...なんて
弊害も出てきた。まっ、これは別の問題ですけど...。
というわけで普通、学校というのは幅広い年代の先生たちが混在して運営されて行くわけです。
年輩のベテランの先生、若手の活気ある先生などがバランス良くいて、始めて学校がうまくいく
わけです。ところがだんだん教員の年齢層が上がってきたので、転勤してきた先生も転勤する
先生もお達者クラブ同士...なんてことばかりになってきたのです。「うちの学校は運動系の
部活動が盛んだから是非若い先生を。」と管理職が望んでも、転勤してくる先生は年輩者ばかり。
そういうアンバランスな状態がここ数年続いているのです。だからいちおう転勤希望とか出しても、
なかなか通らなかったりするわけです。
それに加え、本県の悪しき弊習がある。それは人事異動の停滞が甚だしいのだ。ようするに
良い学校に転勤した先生は、楽だから転勤したがらない。大変な学校(うちみたいな俗に言う
「教育困難校」)はみんな転勤したがる。でもその空きの椅子がない。良い学校に転勤した人は
良い学校ばかりをはしごして、大変な学校へ転勤した人は毎回大変な学校をたらい回しにされる。
そんな弊習がかつてあったのです。そこで県の方は高校をランク付けし、一定期間したら強制的に
良い学校から大変な学校まで循環させて転勤させるというふうにしたのです。しかし以前は校長の
力が強く、実力のある校長が事実上人事権を握っていて、思うように転勤ができなくて色々問題に
なったりもしました。でもこのところ、だいぶ県の人事課の意向が通るようになり、例えば
同一校12年以上の人は全員異動するとか、そういうことがやっと実行されるようになって
きました。だからうちみたいな大変な学校は、今まで転勤したくてもなかなかできかった。
いわゆるトレードされてくる人がいないため(大変な学校だという評判のため希望者がいないので)
同じ学校勤続10年以上なんて人がごろごろいたのです。それでも最近は少しずつ転勤できるように
なってきましたが...
さて今年はどうなんでしょう。私もすでに6年目ですが、同じ国語科に10年以上の人が2人も
いるためお鉢が回ってきそうにありません。だっていきなり同一教科から3人もいなくなるなんて、
仕事の継続性に支障をきたしますからね。やれやれ、今年もまだ年季があけそうにありません。
10月30日(土) 評判を落としているのは
絶好の秋日和に恵まれて本日は強歩大会。これは何かというと、学校から約25キロを歩き倒すと
いう地獄の、いやいや心地よい汗の中に達成感を感じられる素晴らしき行事である(笑)生徒は
9時に出発し、途中にある5ヶ所の関門でスタンプを押してもらいながら、友達と喋りつつ、また
お弁当を食べつつ、歩け歩け大会である。まっ、普通に歩くとだいたい3時頃には帰ってこれます
けど。以前私も一度だけ歩いたことがありますが、さすがに25キロは辛く、足が痛くて痛くて
数日間マリオネット状態でしたけど(笑)二度と歩こうとは思いませんけど...で、先生達は
分担してチェックポイントの関門やら、交通量の多いところで交通安全指導やらをやるのです。
で私は今年も第1関門(生徒通過予定時間9:30〜10:30)と第7関門(生徒通過予定時刻
11:30〜15:30)の2ヶ所掛け持ち...つまり一日中外で立ち番というわけ。第1関門では
次から次へ来る生徒へスタンプを押しまくり、第7関門では、足が痛くなり殺気立っている生徒を
なだめ励ましつつ、頑張りました。決まって生徒が言うのは「いいな、先生は歩かなくて。」
でも朝から夕方までただひたすら立っているというのも結構つらいんだぞ。そして生徒は学校へ
戻ると、PTAの人たちが朝から用意してくれていた豚汁が待っているのです。以前は
お母さん方が沢山集まってくれて、とてもよい交流だと思っていたのですが、今年から総務部
PTA担当となると、準備や後片付けがえらい大変で、ありがたいけどこれもまたしんどいなぁと
思いました。
さてそこで今日は第7関門での話。もうそろそろラストのヤツが通過してやっとお役ご免かなと
思っていたときのこと。疲れた顔でぞろぞろ歩いていく生徒を応援していると、「これはいったい
何をやっているんですか?」と通りすがりの二人のおばあちゃんに話しかけられた。そこで
「これは強歩大会といって...」と説明したのです。するとその二人のおばあちゃん、とても
感心してくれて「頑張ってね、あと少しだよ。」とちょっとの間、声援を送ってくれたのです。
すると今まで疲れまくって顔つきまで狂歩大会に(笑)なっていた生徒たちも、見ず知らずの
おばあちゃんに応援され、ニコッて笑い返したり、普段はまったくのけばいコギャル軍団も
「ありがとう。頑張るよ。」と答えて『おおっ、素晴らしき地域社会との交流!』などと
喜んでいたのです。
ところがちょうどそこへ最後尾に付いている、体育科のK先生の車が通りかかった。このK先生
超怖い先生としてとっても有名。そしてこの最高尾の車、通称「あおり係」として、
ちんたらちんたら歩く生徒を、時間内に到着させるため、後ろから煽る、いやいや励ましつつ(笑)
行く係なのだ。で、いつものようにそのあおり係のK先生が、車の窓から顔を出し、大声を
出しながら私たちの前を通過した。
「ほら、てめぇら、とろとろ歩いていないでさっさと行けよ、このボケ!いままでずっと
ダラダラ歩いているんだから、最後ぐらい走れ!あんまりとろとろ歩いていると轢くぞ
このヤロウ!」
今まで応援していたおばあちゃんたちも目が点になってしまいました。学校の評判を落として
いるのは生徒だけではないらしい。