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1.Allegro vivo | 2.ピアノを始めたきっかけ | 3.エラール・コンサート | 4.モーツァルト・シリーズ

1.Allegro vivo / オーストリア国際室内楽音楽祭

音楽祭の期間は?:コンサートは毎年8月初旬より9月中頃までウィーン北西部の町ホルン「Horn」を中心とした各町で開かれる。マスタークラス(講習会)はホルンで8月初旬 から全部で三週間行われる。

音楽祭の場所は?:ウィーン北西部、チェコと国境を接するニーダーエステライヒ州のホルン「Horn」。このあたりはヴァルトフィアテル(waldviertel)といってオーストリア有数の森林地帯である。

この音楽祭に参加するようになって何年経つか?:7年

何をしているか?:コレペティトゥーア(弦楽器、管楽器等のマスタークラスの生徒の伴奏)及びマスタークラスを開いて、主にヨーロッパ(オーストリアやドイツの)生徒にピアノを教える。

どんな国の人が音楽祭に来るか?:約半分はオーストリア人。あと、ドイツを中心とするヨーロッパの人、ハンガリ、ルーマニア、ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ギリシャといったバルカン方面からの参加者も目立つほか、アルメニア、カザフスタン等中央アジアからも参加者がいる。日本からもここのところかなりの数の方が参加している。殆どが音楽院の生徒および卒業生だが、基本的にオーディションが無いせいもあって時々アマチュアの方もやってくる。

音楽をする上での日本との意識、方法の違いは?:私の感じることは、大きく言って、日本人は音楽を以下に形良く整えていくか、ということに着目しているが、ヨーロッパ、特にオーストリアは、極端に言うと、音楽を言葉の一形態と捉えているように思う。

日本人が自分の音楽をより精錬しようとするとき、響きの個々の部分がどれだけ美しくあるか、メロディラインが美しい形をなしているか、ということに注目し、音楽の瞬間を静止したものとして捉えようとする。もちろんヨーロッパ人もこういったことに無関心ではないのだが、彼らは何よりも、音楽を、朗読やせりふと同じ語りかけとして理解している。これが根底にある。いかに語りを意味のあるものにするか、これは自分にとってだけでなく、聴いている聴衆にとっても、であるが、ここから、楽譜を読む、すなわち解釈するという事が成り立つ。

音楽の流れの中で、音の意味を捉えていくことの、根底にあるもう一つの違いは、拍節、拍動の捉え方である。これは、舞踊(ステップ)、および言語の感覚から来るものであろう。

音楽の流れの中で、拍動を感じながら、音楽の朗誦、呼吸法、そしてそれにあった技術、体の使い方を見つけていく、これが彼らの音楽へのアプローチである。

向こうのピアノの学生の様子は?:外国の生徒(音大生)を教える機会に恵まれているが、必ずしも上手な子ではなく、それだけに、学んできた道程が日本とまったくうことがあらわになり、興味深いものを感じている。そういう子は大抵、日本流の見方をすれば「テクニックの基礎が不十分」ということになってしまうが、(何しろ向こうの音大生でもハノンやバイエルを知らない生徒が意外と多いのだ)自分の指とあれこれ格闘しながら、ところところとても美しい表現がある事を感じる。これは、彼ら特有の音定款。

ヨーロッパにおいては、まず自分にとって今弾いている曲がどうなじむかといったことが根底にあるように思う。何か高い目標(規格)を目指してトレーニングを重ねるということは、かなりレヴェルの高い生徒や、自分にとってそれが大事なことだと理解し、決心した場合でありうるが、こういった日本流の「勤勉さ」はヨーロッパ人にはないようである。

外国の学生に伴奏をつけていて何を一番感じるか?:外国の学生といっても、技術的にも十人十色であり、様々である。ただ、本質的に彼らが、音楽のイントネーション、音程感に素晴らしいものを持っているような気がしてならない。これはあわせているときに、実に自然なアンサンブルになる下地である気がする。

音楽祭で音楽をやっていて、音楽の喜びを感じる瞬間とは?:例えばコンサートで弾いて、お客様の拍手を頂戴したとき。というのも、ヨーロッパ人は演奏に対する反応が実にダイレクトで率直なのだ。それは客席の反応にもすぐ現れる。終演後に全然面識のない人が、わざわざ楽屋に来て、手を強く握りながら「今日の演奏にどんなことを感じたか、自分にとってどんなだったか、等々」熱心に話してくれる。自分の演奏が、肌の色も、言葉も違うこれらの人達の心をともかくもほんの少し動かし、何かを考えさせる、ということは、何か不思議でもあり、また嬉しいことでもある。

音楽会にはどんな人が聴きに来るの?:オーストリアの音楽会は、同時に社交場である。奥さんと連れだって、或いは家族、仲間でやってきて、休憩時間には飲み物を片手におしゃべりに余念がない、といった光景を見る。それだけに、音楽会というものが、生活にとけ込んでいるといった印象が濃くなる。もちろんこちらでも、若い人のクラシック音楽離れといったことは耳にする。しかし、スーツを着た年輩の男女に混じって、皮ジャンにスキンヘッドやモヒカンといったいでたちの若者が客席にちらちら混じって見えるのも事実だ。個人の志向が多様なあり方が可能なヨーロッパならではの光景ともいえる。

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2.ピアノを始めたきっかけ

4歳の頃だったか、父が家にあったリードオルガンを教えてくれたのが、音楽事始めであった。誠に残念なことに、どうやって楽譜が読めるようになったか覚えていない。おそらくバイエル終了程度のことまでは出来るようになったのだろう。

しばらくして、家の近くだった池上の本門寺で少年聖歌隊を募集したことがあり、親に連れられてオーディションを受けに行った。歌の楽譜だったら譜面もちゃんと読め、リズムも音程もきちんと歌えたらしいのだが、大変声が悪く、審査の先生から、「君、風邪ひいているんだよね」といわれて受かったらしい。とにかくここから始まる聖歌隊の活動は変声期まで続き、自分の音楽の基礎というか、良くも悪くも下地を作ったと思っている。
 合唱を始めてしばらくして、たぶん親が相談したのだろうが、先生が自分にピアノを習わせた方がいいのではないかと言った。それで小学校2年の時、近所のピアノの先生についてピアノを習うことになった。最初に習ったのは、ハノンとブルグミューラーだったと記憶している。バイエルはある程度オルガンが弾けたせいか、やらなくてよかった。
 それからしばらくは普通の子と同様の習い事として、特に練習が好きだったとも思えず、ともかくピアノを続けていた。学校で女の子の話題の一つに、ピアノがどのくらい弾けるかという事があり、「エリーゼのために」という曲が弾けるとえらく羨ましがられていたが、さてその「エリーゼのために」がどんな曲かというのも知らず、といった具合である。ただピアノのレッスンはそう嫌いでなかったようで、多分練習してこないとかで、時々お目玉頂戴したこともあったが、いやではなかったようだ。

聖歌隊の方は、楽譜がよく読めたことがあってか、アルトのパートリーダーを務めていた。合唱団の活動としては、聖歌隊の勤めのほかに、年1回の定期演奏会、また「東日本少年少女合唱連盟」のハレルヤコーラス、合宿その他、楽しい活動が続いていた。

この頃、父にもらったレコード再生装置で音楽を聴くのも好きなことだった。ブルーノ・ワルターのモーツァルト「ジュピター」、オイゲン・ヨッフムの「運命」などを何回もかけて聴いた。

……続く

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3.エラール・コンサート

工事中

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4.モーツァルト・シリーズ

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