ホイアン・ミーソン
ホイアンは中国・インド・イスラムを結ぶ海上交易の中継拠点として栄えていた。
また朱印船で日本人が訪れ日本人街が形成されていたが、鎖国令ですっかり
衰退してしまい今は來遠橋(日本橋)などがわずかに名残をとどめているにすぎない。
今残っている旧市街はその後華僑によって作られたもので中国風の寺院が
各所に残っている。
來遠橋、通称日本橋:日本人が作った。
旧市街
シクロに乗って街を散策
華僑の建てた寺院の線香
ミーソン遺跡
4世紀ごろチャンパ王国がヒンドウの神、シバ神を祀ったことから始まっている。
アンコールワットを彷彿とさせるような塔が廃墟のなかにそびえているがアンコールワット
よりその歴史は旧い。
保存状態は決してよくないが、まさにヒンドウの寺院である
休憩所でアプサラダンスを踊っていたがアンコールワットを思い出す。