猫とアリスと助教授

『よぉ、生きてたか、先生』
約半月ぶりの、相変わらず毒舌冴え渡る挨拶。
電話から聞こえてきたその声に大阪在住の推理小説作家・有栖川有栖は微かに眉を寄せながら口を開いた。
「生きてたかはないやろ。生きてたかは!生きとるから電話に出るんや。死んどったら電話に出る筈ないやろ!
もしもそれで電話に出たら怖いやないか!!」
“もう少し考えてからものを言え”と言葉を繋げた有栖に電話を掛けてきた京都在住の社会学部助教授・火村英夫はニヤリと笑ってもう一度口を開いた。
『なんだよ。やけにつっかかるじゃないか。さては締め切りを又伸ばし伸ばしにしてるのか?』
「どこまでも失礼な奴やな。お陰さんで原稿は2日前に送ったわ。しばらくは自由の身やで」
どこか威張ったようにそう言う有栖に火村は受話器の向こうでクスリと小さな笑いを漏らした。
『ほぉ、そいつは天変地異の前触れじゃなきゃいいけどな』
「・・・・・嫌味に言いにかけてきたんなら切るで。忙しいんや」
『・・・・おいおい、今自由の身だって言わなかったか?』
「言うた。けどな、・・・って・・おい、どこ行くねん!」
『はぁ・・!?』
「そっちに行ったらあかんて!」
『・・・アリス?』
「・・・ああ、もう・・・したら用がないなら切るけど」
『・・・あ・ああ・・・明日そっちに行く用事があるから飯でも一緒にどうかと思ったんだが・・』
「夜か?」
『ああ・・・』
しばしの沈黙。やがて有栖は溜め息混じりに「あかんわ」と口を開いた。
それを聞いて火村の眉が寄せられる。
『何か用事があるのか?』
本当は訊きたい事はそれではなかったのだけれど、火村は取り合えずそう口にしてイライラとしてきた気持ちを抑えるようにキャメルを取り出して口に銜えた。
「用事・・・はないんやけど・・・・長時間家を空けられへんねん・・」
『アリス?』
それは一体どう言う事なのか。
銜えたキャメルを思わず口から外した火村の耳に再び有栖の「あかんて・・もう・・しゃあないなぁ・・」という声が聞こえてきた。又一つ下がる機嫌。
『アリス』
「あ・・ああ、すまん。せやからちょっと無理や」
なにがどこから“せやから”なのか、およそ文筆業者とは思えない日本語で返した有栖に火村はムッとしたまま銜えたキャメルに火を点けた。
『家を空けられない理由ってぇのは何なんだよ』
「うん・・それがな・・・・って!引っ掻くな!!」
『・・・・・・・』
「うわぁ!!足舐めるなってばっ!!!!」
『・・・おい・・』
すでに火村の機嫌は氷点下だった。その変化にようやく気付いて有栖は困ったような声を出した。
「えっとな・・実はその・・・2日前に猫を拾ってん」
『猫?』
「うん、子猫ってほど小さくはないんやけどモモと比べても一回り以上は小さいな。縞柄の可愛いの。ほんまによぉ慣れてて、首輪もつけとるから飼い猫だと思うんやけど」
『・・・・・・・自分の面倒もみれないヤツが猫をねぇ・・・』
嫌味を含んだ火村の言葉に有栖は受話器を持ったまま小さく顔を顰めた。
「飼うわけやなくて、飼い主が見つかるまで預かってるんや」
『ほぉ・・』
「あ、そうや。外で食べるんやなくてうちに来て食べるのはどうや?そしたら時間も気にしなくてすむし。俺も久しぶりに君の手料理が食べたい」
『俺が作るのかよ』
「・・・俺が作れるもんで良ければええけど。その代わり文句は言うなよ』
瞬間火村の脳裏にレトルト食品が浮かんだ。そう、これは多分、間違いなく、脅し文句なのだ。
『・・・・・・判ったよ。じゃあ8・・いやもう少し前に行けると思う』
「判った。ビールとか飲み物の仕入れは任しといてくれ。猫好きの君にうちの子を見せたるわ」
にっこりと音がつくほどの笑みを浮かべて有栖は「またな」と受話器を置いた。
そう、繰り返しになるがこれは半月ぶりの電話だった。
そして火村が有栖のマンションを訪ねるのは約一ヶ月ぶりの事なのだ。
「・・覚えていろよ、アリス。この貸しは高いぜ」
受話器を置いたその後で、すっかり短くなってしまったキャメルを銜えたまま火村がそう呟いたことなど勿論有栖は知りようもなかった。


「・・・・・・っ・・」
そばを歩く猫に手を伸ばしてスルリとかわされる。
3度目になるアプローチも失敗に終わり、どうやら今度は手に小さな引っ掻き傷をお見舞いされてしまった火村を横目に有栖はニヤニヤとした笑いを浮かべてしまった。
それに気付いて火村が小さく舌打ちをする。
約束通り8時前にマンションにやってきた火村はあれよあれよという間に2.3品の酒の肴にもなりそうな主菜・副菜を作り上げた。
『飯くらいは炊いておけよ』と夕方近くに入ったその電話は有栖の性格と普段の生活を完全に見越したもので『判った』と電話を切ったその足で有栖は米を買いに走った。
とにもかくにも火村の料理は相変わらず美味しくて、それに舌鼓をうってようやく一段落した途端のこの光景。
笑うなと言う方が無理だと思いながら有栖はビールを片手に形ばかりに笑いを堪えていた。
「猫好きの先生も形無しやな」
「飼い主の躾が悪いんだろう。飯を作ってやった恩人に対してする態度じゃない。よく言っておけ」
言いながら肩を竦めて、火村は手の甲に出来た傷をペロリと舐めた。その様子がおかしくて有栖は再び笑いを漏らす。
「・・・アリス」
「いや、猫を飼っていると猫に似てくるんかなぁと思って」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「馬鹿って言うなて言うとるやろ」
「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」
「あのなぁ!」
言いかけた言葉と同時に縞猫はふーっと威嚇をするように毛を逆立てて火村に向かって声を上げた。瞬間止まった時間。そうしてその次の瞬間ゲラゲと大声で笑い出してしまった有栖に火村はムッとしたようにキャメルを取り出して口に銜えた。
「ええ子やなぁ、たった3日でも飼い主がいじめられ徒るんが判るんやな」
そう言って有栖は「おいで」と手を伸ばした。それにまだ子猫に近い縞猫は「にゃあ」と一声鳴いて有栖の腕の中にジャンプをする。
「・・・立派な躾に涙が出そうだぜ」
「お褒めいただいて光栄やな」
笑ってそう言うと何も言わずに火村は白い煙を吐き出す。
僅かな沈黙。
膝の上のぬくもりがグルグルと喉を鳴らしている音だけが聞こえるその中で火村はゆっくりと口を開いた。
「それで、パンツを落として攫ったそいつをどうする気なんだ?」
「!!攫ったんやない!!ついて来たんや!!大体パンツやなくてシャツや、シャツ!!」
ここに来て子猫を拾った経緯は食事ををしながら聞いた。
つまりはこう言う事だった。
修羅場明け溜まった洗濯物を洗って干していた有栖は、迂闊にもシャツをベランダから落としてしまったのだ。
“余所様のベランダに引っかかっていたらメッチャ恥ずかしかったけど、旨い具合に下まで落ちてくれたから大急ぎで拾いに行ったんや”
というわけで、洗い立てのシャツは植え込みの脇にあった。けれどすでにそれで遊んでいるヤツがいた。
それがこの子猫である。お陰でシャツはドロドロになっていたが元はと言えば自分が悪いのだ。シャツを取り返し「じゃあな」と歩き出したが予想に反して子猫は有栖のあとをついてきた。
有栖の話によると周りは見回したが飼い主らしい人間の姿はない。とりあえず外に出し、再び背を向けのだが同じようについてきてしまう。何度かそんな事を繰り返し、仕方がないので飼い主が探しに来るまでと外ですでにドロドロになっているシャツを使って遊んでやっていたのだまずかった。一時間後、すっかり情が移ってしまっていたのだ。
“とにかく不味いと思って少し離れた所に置いてマンションの中に走り込んだんやけど遊んで貰っていると思っているみたいで鉄砲玉みたいに走ってくるんや。でな、無視してエレベーターの所までは行ったんやけどニャアニャア鳴くねん。そのうちエレベーターが来て、ドアが開いて、乗ったらこいつも乗って・・・・「来るか?」って言うたら「ニャア」って鳴くからそのまま乗せてきてしもうたんや”
一体これのどこが攫っていないと言えるのか。
キャメルをふかしながら火村はヒリヒリと痛むようなこめかみを押さえた。
「・・・一応な子猫を預かっているってポスターは作ったんやけど・・」
「・・・おい、まさか電話番号とかご丁寧に載せたんじゃないだろうな」
火村の言葉に有栖はふぅと溜め息をついた。
「載せないと連絡取れへんやん。けどこういう親切行為に対してなんで悪戯電話を掛けてくるヤツっておるんかなぁ」
「・・・・・・・・・・」
有栖の言葉に火村は本気で頭を抱えてしまった。
「見つからなかったらうちの子にしようとは思っているんやけどな。でもそうしたら取材旅行の時とか、修羅場の時とかはやっぱり困るんだよなぁ・・」
膝の上で丸くなってしまった子猫の背中を撫でながら有栖は独り言のようにそう呟いた。
それを聞きながら火村は長くなってしまった灰を引き寄せた灰皿の中にトンと落とした。そして。
「まぁ、昨日も言ったけど自分の面倒もみれないヤツに生き物を飼うのは無理だな」
「・・・・・じゃあ、どうしたらええねん。今更こいつを捨ててくるなんて出来へん」
子供のように口を尖られた途端「ニャア」と有栖の膝の上で子猫が鳴いた。
それに応えるように有栖は「どうした」と言って子猫の身体を抱き上げる。
「君の気持ちが判るわ」
「ああ?」
「ほんまに可愛い。猫がこんなに可愛いもんだとは知らんかった」
「・・・・そうかよ」
フワリと笑いながら有栖は子猫の鼻に唇を寄せた。むずがるように上げられた手に「痛いやろ」と笑いを含んだ声を出す。それを見つめながら吸っていたキャメルを灰皿の上に押しつけた。
ついで吐き出した煙。
「面白くない」
「・・・はぁ?」
「半月ぶりの電話でも足を引っ掻くだの舐めるだの喚いてばかりだし、おまけに長時間家は空けられないときた。訳を聞いて来てみりゃ猫を拾ったと言う。しかも家に来て飯を作れという暴言付きだ。それでも飯の材料を持って1ヶ月ぶりに来りゃ案の定猫の話ばかり。さらに飼うだの飼えないだのと今後の事もはっきりしない」
「・・・・そんなん・・」
「面白いと思うか?」
「・・・・・・・だって君猫好きやろ・・・・?」
「猫は好きでも、恋路の邪魔をされるのは御免だ」
「こ・恋路!?」
「言っただろう?1ヶ月ぶりに来たんだぜ?猫の話よりも俺としては他の話をしたいんだがな」
何をどう言っていいのか。ニヤリと笑う目の前の顔に有栖はヒクリと頬を引きつらせた。
「こいつのせいで門限がついたり、遠出が出来ないのは困る」
「あ・あのなぁ!」
膝の上で子猫がピンと耳を立てた。
「とにかくそのポスターは即刻回収しろ。俺がどうにかしてやる」
「どうにかって・・・」
言いながら近づいてきた火村に有栖は反射的に後退った。それが面白くないと言うように微かに目を眇めると火村は中腰になった有栖の手を思い切り引いた。
「うわっ!!」
目の端で膝の上から驚いたように子猫が飛び退いたのが見えた。そうして次の瞬間、ソファの下、センターラグの敷いてある床の上で火村の上に被さっている自分という状況に気付く。
「なかなか積極的なお誘いで」
「!!!誰が誘ってるんや!!自分で転がったんやろ!手ぇ放せ!!」
「嫌だ」
「あのなぁ・・・」
ガックリと落ちた肩。その間に火村は有栖のセーターの中に手を潜り込ませた。
「!火村!!」
「何だ?」
どうしてこの状況でこんなに冷静な声を出せるのか。いつもと何一つ変わりのない顔をしながら背中を辿ってゆく大きな手。
「や・・め・・・ろって・」
「にゃあ」という子猫の声が聞こえる。それが又有栖の罪悪感めいた羞恥心を煽る。
「さっき引っ掻かれた分も食事の礼もきっちり返して貰うから安心しろよ」
重なる唇。
何をどう安心しろというのか。
セーターの中で火村は器用にシャツのボタンを外してしまった。
「アリス」
前に回って悪戯に長い指が胸を滑る。
「・・・ん・・」
これ以上火村の上に倒れ込んでしまわないように突っ張った手が震えていた。
顎に小さな音を立ててキャメルの香りが残る唇が触れて、離れる。
「・・・・・・・・ここじゃ・・嫌や・・それと・・この恰好も・や・・」
赤い顔で少し苦しそうに見下ろしながら睨んでいる顔が火村にとってどんな風に見えるのか有栖は知らない。
「・・判った」
そのまま抱き寄せられようにして倒れ込みながら、あれよあれよという間に抱き上げられた身体に、有栖はもう何も言う気力はなかった。
当たり前のように寝室に向かって歩き出す足。
器用に片手でドアを開けて。
「心配するなよ」
ひどく優しげに囁かれたその言葉が火村の後ろで心配そうに走り寄ってはうろうろと後戻りするような子猫に向けられたものなのか、それとも腕の中で赤い顔をしている自分に対してのものなのか判らないまま、有栖は下ろされたベッドの上でそっと瞳を閉じた。

ドアの向こうで微かな猫の声が聞こえた・・・・・・・気がした。

そうして3日後、子猫は約束通りに火村が探し出した飼い主の元に戻っていったが、どうやってみつけたのかと言う質問に対して火村は「さぁな」と言うだけだった。


お待たせいたしました。こんなもんで許してくださいませ。ううう・・・それにしてもリクエストって考えていた以上に難しいッスね。このストーリーは随分前に出した同タイトルのコピー誌の設定を使って焼き直しをしたものです。
みどりばさんには了承を得ました。まあ加筆修正と言うよりも違う話になった気がする・・・・・・・・。
いかがなもんでしょ?でもお題はクリアーしたでしょ?
猫とアリスがラブラブで、一応火村が出てきて、有栖が上(オイ・・)で裏有り(一応ね、一応!!!)
ほら私ってば直接的にそのシーンがなくてもなんだかいやらしいそうだから・・・う・・嬉しくないなぁ・・・
という事で、又のキリ番ゲットをお待ちしてます。でも回しちゃ駄目よ(э。э)bうふっ