5月7日のパブロフ

「こんにちはー」
 階下から聞こえてくるやたら元気な声。
「まぁまぁお久しぶりですなぁ」
「ご無沙汰してます。ようやく仕事が片付いたもので。あ、これ。ちょっと遅いけどそれはご愛嬌ってことで。ここの柏餅はうまいって聞いたから」
「いつも気にかけてもろうてすみません。有難くいただきます。あらこんな玄関先ですみません」
「いえいえ、こちらこそ。いますよね?」
「ええ」
 そんな丸聞こえの会話の後、トントンと階段を登ってくる音がして・・
「火村ー」
 名前を呼ぶ声と同時に開いたドア。
「・・ノックはどうした」
「なに言うてんねん。来てるの判ってたんやろ?迎えに出てもええんやで?」
「何が迎えだ、いきなり来やがったくせに」
「ええやん。それとも火村センセは何か用事があったんですか?」
「仕事。誰かさんとちがってGWが開けると色々大変なんだ」
「ふ〜ん。ご苦労さん」
 気のない返事を返しながら有栖は持っていたスーパーの袋を火村の前にどんと置いた。
「・・・・・こんなに柏餅を買ってきたのか?」
「アホか。どこを見たらこれが柏餅に見えるんや。柏餅はこっち」
 そう言って有栖はそれとは別の小さな包みを見せた。
「じゃあこれはなんだよ」
「見て判るやろ?材料」
「はぁ?」
 訝しげな顔をする火村に有栖は袋の中身を取り出し始めた。
「にんじん、たまねぎ、ジャガイモ、豚肉・・さて正解はなんでしょう?」
「・・・・・・・」
 ニヤリと笑う有栖に火村は眉間の皺を深くする。
 これはもう判っている証拠だ。その顔を見ながら有栖は再び口を開いた。
「昨日原稿送ったんや」
「・・・・・・」
「で、死んだように寝て、起きたらものすごく腹が減ってた」
 「そうかよ」という言葉を飲み込んで火村は苦い顔のままキャメルを取り出して火を点けた。
「なにか食べようと思うたんやけど、修羅場中やったから何もあれへんねん」
「・・・・・・・」
 それはたやすく想像がつく。本当にどうしたらここまでと思うほど、有栖の家の冷蔵庫はただの冷たい箱になってしまうことがあるのだ。
「とりあえず何か食べようと思うたんやけど、買いに行くのも面倒で、とりあえず出前にしようと電話機のところに行ったらカレンダーが目に入った」
 ユラユラと揺れる白い煙。
「思う出したらどうしても食べたくなったんやけど、残念ながら今年は日曜日やねん。学食開いてへんやろ?せやからな、作って」
「何で俺が作るんだよ!」
「だってどうしても食べたいと思ったら頭が一杯になってしもうたんや。材料は買うてきたし、肉もな学食とはえらい違いのええやつにした。せやからカレー作って!」
「・・・・・・・・」
 それこそどこででも食べられるだろうに。わざわざ大阪から材料を買ってやってくるのが、有栖の有栖たる所以だろう。
「判ったよ・・・作ればいいんだろう?ところでルーは買ってきてるんだろうな」
「任せとき!これやこれ!昔ながらの定番商品や!」
「・・・・・・・」
 確かにそれは昔からある定番のカレールーだ。
 だが、まさかこの年で『りんごとはちみつ』のそれを食べることになるとは思わなかった。もっともあの時に食べたカレーが『りんごとはちみつ』のそれだとは思えないが、有栖がそれでいいというならば良しなのだ。
 多分・・・これが惚れた弱みという奴なのだろう。
「ま、その分の手間賃はしっかり貰うけどな・・」
「うん?なんや?」
「何でもない。しかしまぁ・・よく覚えてるよな」
 5月7日。
 初めて有栖と出会った日。
 有栖の紡いだ話を初めて読んだ日。
「まぁな。君に初めて奢ってもらった日やし」
「そこかよ」
 やれやれと立ち上がった火村に有栖はにっこりと笑った。
「それにやっぱり、この日のカレーは君と食べなきゃ意味がないやろ?」
「・・・・・・・・」
 思わず火村の足がピタリと止まった。
「火村?」
「・・・・煽りすぎだ。後で手間賃プラスで覚悟しておけ」
「え・ええ!!」
 ニヤリと笑った火村に瞬時に顔を赤くした有栖の声が重なった。

FIN


どうもどうも・・
カレー記念日でございます。
久々にアップです。GW皆様も楽しんでくださいね(э。э)bうふっ