8888番/火村にシテヤッタリな事をしたアリスが、火村に逆襲(倍返し/笑)にあう話

ホタル狩り

 

 

その日たまたま観ていたテレビ。
 いつもだったら絶対に観ない、主婦向けのトーク&情報番組。
 ただ点いていただけのそれに、ふと目を目を向けたのは、よく知った地名が耳に飛び込んできたからだ。
「・・・・・へぇ・・・」
 思わず零れ落ちた声。
 画面を眺めながら、頭の中で立て始めた計画に、私はにっこりと笑って立ち上がった。


『・・ホタルだぁ!?』
 いつもより低い少しかすれた声。
 不機嫌をそのまま形にしたような言葉に、けれど臆する 事なく−−−もっともこの位でどうこう思う位ならはじめから電話等していない−−−私、大阪在住の推理小説作家、有栖川有栖は受話機 を握り締めて言葉を続けた。
「そうなんや。“哲学の道”言うたら君の家から目と鼻の先やん。そういや有名やったけど見た事ないなぁ思うて電話したんや。なぁ、火村行こ」
『いねぇよ、そんなもん』
 ニベもない一言。それにもめげずに口を開く。
「せやってたった今テレビでやってたんや」
『・・・何で夜型の先生がこんな時間にテレビを見てるんだよ』
「3日前に締め切り明けて、ようやく人間らしい生活を 取り戻したとこなんや」
 少し威張った様に言った言葉に電話の相手−−−長年の友人であり、我等が母校、英都大学社会学部の助教授・火村英生−−−は失礼にもフ ンと小さく鼻で笑った。そして。
『そりゃおめでとう。じゃあな』
「ちょ・ちょお待て火村!行こうって言うとるやろ!」
『生憎、螢に興味はないんでね。お前も螢みたいに自分の尻に火がつく前に次の仕事でもしたらどうだ?』
「よけいな世話や!誰が尻に火をつけるっちゅうんや! 大体なぁ!螢は尻に火をつけとるわけやなくて」
『昆虫講義は又今度にしてくれ。とにかく、行・か・な い』
 一言一言を区切る様にいうその言葉が憎たらしい。
「・・・・何で?」
『何でも』
「どうしても?」
『どうしても』
「・・・・・・」
 すでに頭の中に立ててしまった計画が、捨て切 れず受話機を握り締めたまま口を結んだ私が見えたかの様にやがて電話越しに火村の深い溜め息が聞 こえてきた。
『・・お前なぁ、今がどういう時期だが判って電話してんのか?』
「・・時期?」
 はて?一体どういう時期だろう?
 今は梅雨だ。もう沖縄あたりは明けたし、北海道は関係ないとしても、後はまだ全国的に明ける気配はない。だからこそたった今見たその番組に躍らされていると判りながら、締め切り明けと本格的な夏への景気づけに風流にホタルでも眺めて、旬には少し早いビールを飲もうと思って電話をかけたのだ。
 幸い今日は夜も雨の心配はないと言っていた。蒸し暑いならビールも旨いではないか。
『・・てめぇ、忘れ切ってやがるな。遥か昔の学生時代、この時期何をしていたか胸に手を当ててよぉーく考えて
みろ』
 “遥か昔は余計や”という言葉を胸の中で押し留めて、私は言われた通りに律義にも胸に手を当てて考えてみた。
 6月の終わり・・7月にかかる・・夏の前・・学生・・・・・
「!!試験か!?」
『ビンゴ。という訳だ。判ったら大人しく文筆活動に励んでろ。区切りがついたら連絡する、じゃあな』
「待っ・待てや!」
『・・何だよ』
「1日位ええやん。なっ?何だったら俺、○×位つけるの手伝おか?」
『・・・・・・あのなぁ・・人の講義の試験をク○ン式かなんかの添削と同レベルにするんじゃねぇ・・』
「・・・せやって行きたいと思ったらどうしても行きたくなってんもん」
『一人で行け、一人で』
「一人でホタル鑑賞しても空しいだけやん・・』
 次第に泣き落としめいてきた言葉に火村はまたしても大きな溜め息をついた。そして。
『そんなに俺と行きたいのか?』
「えっ?」
どうしても俺としか、行きたくないって言うなら考えてやってもいいぜ?』
「!!!」
 瞬間、火村の意地の悪い顔が頭に浮かんだ。
 これは完璧にキレかかって、からかって遊んでいる。
 熱くなる頬。開き掛けて、けれど何も言えずに閉じた口。
 いつもの私だったら“アホ言いなや!”と怒鳴りながら受話機を叩き付けている所だが、今回の私は一味違うのだ。そんな見え見えの台詞にのせられはしない。半月近くもの修羅場から生還を果たした作家を舐めてもらっては困る。こんな素晴らしい計画をむざむざ棒に振るような事が出来るわけがない。
『アリス?』
「・・うん・・行きたいんや。火村と行きたい。せやから行こ?」
 ああ、口が曲がる・・
 けれどこの勝負はどうやら私の勝ちの様だ。
 一瞬の沈黙の後、受話機越しに聞こえてきた3度目の大きな大きな溜め息。
 やがて火村は半ば自棄クソに、けれど確かに「判ったよ・・」と口にした。

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「・・・・ホタルは居らんし人が多過ぎや」
「そんなの始めから判っていた事だろう!?」
 銀閣寺から若王子神社に至る疎水沿いの小径。
 桜も有名だが、初夏の夕暮れに飛び交う螢も有名なここに、それを目当てにやってきたのは初めてだった。
 テレビの画面で見たどこか幻想的な風景。
 行きたいと浮かれていた気持ちとそれを実行させたという満足感・・までは良かったのだがいかにせん人が多すぎるのだ。
「多分お前と同じような奴があっちにもこっちにも居たんだろ」
 小さく肩を竦めて火村はキャメルを取り出した。
「で?どうするんだ?螢を拝むまで歩き続けるか?」
 ユラリと立ち昇る白い煙。
 人は多いは、道は狭いは、宵闇で歩き辛いは、修羅場から抜け出てきたばかりの私にとって2キロ近いこの道をこのまま歩き続けるのはどう考えても自殺行為だった。
 けれど、でも・・・
「見る・・絶対に見る」
「おい・・」
 誰がどう見ても意地でしかない言葉。それに火村が呆れた様に眉を潜める。
 それに気付きながら私は更に歩調を早めて。
「・・・っうわっ!」
「アリス!」
 小さな小石に足をとられてバランスを崩した。
 その途端持っていたキャメルを放り出す様にして差し出された手。けれどその手はがっしりと私の腕を掴むとそのまま小径を外れて見知らぬ路地に引きずって行ってしまう。
「お・・おい!ちょお火村!どこ行くねんて・おい!」
「うるさい。意地になったって仕方ないだろ。帰るぞ」
「・・・せやってまだ螢見てへんもん!」
「アリス」
「無理言うて来たのに口惜しいやないか」
 ギュッと唇を噛み締めると次の瞬間クスリと小さな笑い声が聞こえた。
 驚いて顔を上げた途端映った、ひどく優しげな火村の顔。
「又連れて来てやるよ」
「・・・・火村?」
「又一緒に来てやる。だから帰ろう」
「・・・・・・」
 恥ずかしくて、けれど何だか涙が出る程嬉しくて思わず俯いてしまった私に火村はもう一度クスリと笑った。
 そして・・・。
「−−−−−−−−!!」
 掠めるような口付け一つ。
「ほら、帰るぞ」
「・・か・・帰るぞやない!いきなり何すんねん!ここをどこやと!」
 そうここは大盛況の哲学の道からは少し離れているとはいえ、誰の目に触れるか判らない野外なのだ。
それなのに・・・!
 夜目にも赤い顔が判るだろう私に火村はいつものニヤリとした笑いを浮かべ、次に一瞬だけ瞳を見開いた。そうして次になぜだクスリと小さな笑いを漏らす。
「!・・人の話を・」
「大丈夫だ、アリス」
「・・・何がや!」
「見てたのは螢だけだったらしいぜ?」
「・・えっ?」
 宵闇の中フワリと揺れる小さな灯。
「・・・あ・・」
 たった1匹だけのそれはテレビの画面で見るよりもずっと儚くて、けれど優しい光景だった。
「良かったな。目標達成だ。ほら、帰るぞ。今度は俺の方も満足させて貰わねぇと」
「え・・?」
「何たって俺じゃなきゃ駄目だとまで言って呼び出したんだ。勿論そのつもりだったよな?」
「・・・そのつもり・・・って・・」
 ヒクリと顔が引き攣った。
「判らないのか?」
 そう言ってニヤリと笑い返して来た顔が嘘寒くて、思わずフルフルと首を振った私に、火村は新たなキャメルを取り出してもう一度ニヤリと笑う。
「だよな?」
「!!ひ・火村!?」
 その途端、手を取って歩き出した火村に私は最後の足掻きを口にした。
「い・・・忙しいんやろ?」
「大丈夫だ、一日位。ご指名を断るわけにはいかねぇもんなぁ。何たってどうしてもだから」
「・・・・・・・・・・・・・」
 やっぱりこの勝負は私の敗北になるらしい。
 しかもこの調子だと“どうしても俺と来たかったんだよな”と100年位は言い続けそうだ。
(ううううう・・・・・・)
 思わず頭を抱えたくなってしまった私の耳に聞こえてきた火村の声。
「おい、早く歩かないとここでするぞ」
「!!!!!」
 何をどうすると言うのだ!!!
 これ以上はないというほど瞬時に顔を赤くした私に、火村はクスリと笑った。そして。
「なぁ」
 プカリと立ち昇る紫煙。
「ホタルが光るのは求愛行為だぜ?それも知っててのお誘いだったんだろう?」
 宵闇の中で火村のキャメルがオレンジ色の光を放つ。
 そう、確か光を出すのはオスなのだ。
 ユラユラと光り輝きながら闇の中で伴侶を探すホタル。
「・・・・・・・・・・・アホ」
 言った途端もう一度塞がれた唇。
 先ほどよりももう少しだけ深くなったそれに、次いで「早く帰ろう」と耳元で囁かれて、私は
 上機嫌の助教授の手をそっと握り返した。 

エンド


お・・・お待たせしたわりにどうよー・・・・・な話に。
えっと、この話は5年くらい前のコピー誌の焼きなおしです。そこかしこに修正が入ってます。
ご存じなかった話ならいいんですけど・・・・。
“してやったり”にはなっていると思うんですが、“倍返し”には程遠いかも・・・・・(>_<)
でも甘さはかなりアップしているんですよ。という事でお許し戴けると・・・・。