ラブ・らぶ・LOVE


「デートがしたい」
「・・・・何やて?」
「・・・・・・デートがしたいんです」
 本とCDとレコードに囲まれた西陣の下宿。適度に散らかった部屋の中で夕食兼飲み会の残骸をテーブルの上に残したまま、敷かれた布団の上に寝そべってのいゆわるピロートークなどと言われる場面で口にされた言葉に、英都大学文学部4回生の江神二郎は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 その顔を見て、たった今、件の言葉を口にした年下の恋人、英都大学法学部2回生の有栖川有栖はしどけない姿でいささか乱れた布団の上に横になりながら拗ねたように唇を尖らせる。
「アリス?」
「そんな顔しなくてもいいでしょう?」
「・・・そんな顔ってどんな顔や?」
「驚いたって言うか、困ったって言うか、意外って言うか、面倒って言うか・・」
「随分忙しい顔やな」
「・・・・・・・・」
 クスリと返された小さな笑い。それに又少しだけ機嫌を下げて、有栖は布団の中にもごもごと潜り込んでゆく。
「デートってどんなデートなんや?」
「知りません」
「言うてくれへんと判らんわ。何たってデートなんてした事がないからな」
「嘘ばっかり・・」 
「ほんまや」
 しれっとした口調で布団を被ったままの頭だろう辺りを撫でてくる長い指に、有栖はクスリと笑って少しだけ赤くなった顔を覗かせた。
「それで、どんなデートがしたいんや?」
「えーっと・・・・映画とか見たり・・」
「・・・うん?」
「どこかで食事したり・・」
「・・・」
 畳の上に転がっているキャビンに伸ばされた指がピタリと止まった。
「あとは・・・うーん・・と一緒に街を歩いたり・・」
「・・・アリス」
「はい?」
「聞いてええか?」
「はい」
「それっていつもしとる事とどこが違うんや?」
「は・・・?」
 そう言われてみれば確かに、二人で映画を見た事も、食事をした事も、街を歩いた事もある。
「えー・・・・っと・・」
「何か見たい映画があるんか?」
思わず眉間に皺を寄せた有栖に、江神は気を取り直したように口を開いた。けれど・・・。
「いえ・・・特に・・」
「そしたら何か食べたいものが」
「・・・・これと言って」
「・・・・・・・街を歩いてどないするんや?」
「・・やっぱり本屋と古本屋巡りでしょうか・・・」
「・・・・・」
 さすがにここに来て有栖は青くなっていた。『デート』はしたいのだ。けれどどういう『デート』と言われれば今までした事と大差はないどころか同じ事しか浮かんでこない。
 それでは今までしてきた事が『デート』だったのかと言えば、そうだったともそうではないとも思えるのだ。
「・・・・・・」
 黙り込んでしまった有栖に江神は畳の上のキャビンを今度こそ手にして、ゆっくりと布団の上に身体を起こした。
「江神さん?」
「うん・・・?」
 カチリと点けられた火。鼻を掠めるいつもの匂い。
「したら映画を見て、食事をして、街を歩くのでええのか?」
「・・・怒ってはります?」
「何でや?」
「だって・・」
「怒る筈ないやろ?せっかくの有栖からデートのお誘いや。実はちょっと浮かれとる」
「・・嘘ばっかり」
思わずクシャリと泣き出しそうに顔を歪めた有栖に江神は煙草を口に銜えたまま、長い指でグシャグシャと有栖の髪を掻き回す。
「わぁ!江神さん!何するんですか」
「ひどいな。俺はそんなに嘘つきなんか?」
「・・・嘘つき、やないです」
「よし」
 短い返事を残して離れてゆく指。その指のぬくもりが少しだけ恋しくて、有栖はもそもそと身体を動かして布団の上に、正確には、上半身だけを起きあがらせた江神の膝の上辺りにコトンと頭を乗せた。
「アリス?」
「もう一つだけええですか?」
「なんや?」
「デートらしく大学以外の所で待ち合わせしたいんですけど」
 思わず浮かんだ小さな笑い。
 勿論江神が年下の恋人の可愛らしい“お願い”を断
る事はなかった───────── ……

 アホアホアホ俺のアホーッ!!!!
 阪急電車の中で有栖はただひたすら、まるで念仏宜しくその言葉を胸の中で繰り返していた。
 ありがちと言えばこれ程ありがちという話だが、夕べは寝付けなかったのだ。ようやくうとうとしてきたのが4時近くでハタと気付けば恐ろしい時間になっていた。慌てて家を飛び出して特急に飛び乗って・・・(うううう・・・ギリギリや・・)
 待ち合わせは11時。河原町までは約40分。そして今は10時25分。
(自分で言い出しておきながらアホやアホアホアホ!)
 チラリと時計を見てはギリリと唇を噛んで胸の中で叫ぶ。端から見たらイッちゃっている以外の何ものでもないが、当人にしてみれば他にどうにもしようがない状態なのだ。
 幾度目かの“発作”の後で電車は大宮を出た。
 何とか2.3分の遅れで済みそうである。
 遅れてしまう事は避けられないがそれでも最小限のものでくい止められた。ホッと息をついて有栖は空いていたシートに腰を下ろした。
 後はとにかく無事に着いてくれ。
 と、その瞬間・・・・
「・・・え・・?」
 電車が奇妙にスピードを落とし、やがてピタリと停まってしまった。勿論ここは駅ではない。こんなところに信号があるのだろうか?そう考えて、次になんでよりによってこんな時に停止信号になるのだと理不尽な怒りを見えない信号機にぶつけた有栖の耳に信じられない車掌のアナウンスが聞こえてきた。
『只今、烏丸駅に停車中の電車がドア故障の為、発車を見合わせております。お急ぎの所大変申し訳ございませんが、しばらくお待ち下さい』
「・・・・・・・・嘘やろ・・」
 一瞬頭の中で真っ白になった。
 ついで“しばらくってどのくらいなんや”と呆然とした頭のまま考える。
「・・・・江神さん・・」
 目にした腕時計の針は約束の時間の10分前を指していた。多分そろそろ彼は駅に着くだろう。
 一体どれくらい待たせてしまうのか。
 どれくらいそこで待っていてくれるのだろう。
「・・・・・・・最悪や・・」
 こんな事ならデートをしたいなんて言うんやなかった。ジワリと熱くなる瞼とツンと痛くなる鼻の奥に有栖は慌てて俯いた。
 せめてこの電車が駅で停まっていてくれれば他の交通手段をとる事が出来るのに・・・・。
 ギリリと噛んだ唇のどこかが切れてしまったらしく口の中に僅かに血の味が広がった。
(・・・・江神さん・・・)
 情けなくて、口惜しくて、悲しくて、ごちゃ混ぜの思考を抱えたまま、有栖はただ涙が零れてしまう事だけを抑える事で精一杯だった。

 電車は23分後にようやく運転を再開した───…


「・・・アリス」
「・・・・」
「ほら、もう機嫌を直し」
「・・・・」
「怒ってへんよ。何度も言うとるやろ?電車が止まったのはアリスのせいやないって判っとる」
「・・・・・・」
「そない泣いたら目が溶けるで」
「溶けてもいいです」
「俺は嫌やなぁ」
「・・・・みんな僕が悪いんです。え・映画が観れんかったのも、食事が出来んかったのも、街・・歩け・・なかっ・・・うっうっ・・電車が止まったんも僕のせいやぁ・・」
「あのなぁ・・・」
 相変わらずの西陣の下宿。結局30分以上も遅れてもの凄い勢いで改札を潜り抜けた有栖は、壁に寄りかかったまま文庫本を読んでいた江神に向かって謝罪の言葉と共に抱きついたのだった。そしてその瞬間、堪えていた涙が溢れ出し、先程有栖自身が言っていたように映画も、食事も、街を歩く事も何もかもを放り投げて西陣の下宿にやってきた。
 いつもと変わらないどころの騒ぎではなく、いつも以上にどうにもならない事になってしまった。
 涙でグシャグシャになっている有栖に江神は駅の構内放送で電車が遅れた事を知っていたと告げた。
そしてだからそんなに謝らないでいいのだと言った。
 けれど優しくされればされる程どうにも身の置き所が無くなってゆく様な気がして、有栖はついに顔を上げられなくなってしまった。そして下宿に着いてもそれは変わらずに、それが更に江神に気を遣わせている事になってしまってますますどうしようもなくなっている。まさに堂々巡りである。
「目の腫れが治まったら映画ぐらい見に行こか」
「・・・いいです。もう」
「したら食事だけでもするか?」
「・・・いいです」
「本屋くらいは付き合えよ」
「・・・・」
「アリス?」
 クシャリと髪を撫でられて再び止まっていた涙が零れ出す。それを見て江神は有栖の頭を抱えるように自分の肩口に引き寄せた。
「俺は結構デート気分を味わっていたんやで?」
「・・・・・・江神さん?」
「こんな風に誰かを待っているって言うのも悪くはない。むしろ楽しい気がした」
「・・・・・・・・」
「きっとアリスはもの凄い顔をして来るやろうから、そうしたら何て言ってやろう。頭の中で色々考えてた。まさか泣き出されてここに帰ってくるとは思わなかったけどな」
「・・・すみません」
 再びシュンとなった恋人に江神はもう一度クスリと微笑った。
「謝るな。これでも俺はまだ浮かれとるんや」
「江神さん?」
「気になっていたんやけど、外ではちょっと出来んからここに来たのは正解やったな」
「・・え・・・?」
 言うが早いか覗き込んできた顔と唇に触れた指先に有栖は思わず目を見開いてしまった。一体何が始まるのか。
「噛んだんか?」
「え・・?」
「切れとる」
「な・・に・・」
 指が触れた唇が一瞬だけ痛んで、次に考える間もなく重ねられた唇に涙が止まった。
 ドクンドクンと早まる鼓動。
 熱くなってゆく顔。
「・・・・っ・・」
「消毒」
「・・・あ・・」
「舐めると治るんや」
「そ・・そんなん・・自分で舐めれるやないですか」
「それじゃつまらんやろ」
「そういう問題ですか?」
「そういう問題や。だからここに帰ってきて正解」
確かにこれはここに来て正解だったと有栖はまだ火照る顔で思った。その目の前でにっこりと笑いながら江神は「もう一度するか?」と有栖に問い掛ける。
「・・・え・遠慮します」
「そら残念。さて、そしたら次はどうする?仕切直して映画に行くか?それとも食事をとって街でもぶらつくか?」
 シャツのポケットの中から取り出されたキャビン。
「・・・とりあえず・・」
「うん?」
 カチリと点けられた火。
 立ちのぼる紫煙。
「何か食べて・・・ここで本を漁るっていうのはどうでしょう?」
 おずおずと口を開いた有栖に江神は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
 僅かな沈黙・・・・。
「最高にオツなデートやな」
「はい」
 フワリと微笑う顔に、まだ赤い瞳のままフワリと笑い返して。
 そうして有栖は了解の印に近づいてきた顔にそっとそっと瞳を閉じたのだった。

砂を吐くよなハッピーエンド


えーっと・・・何も言うことは・・・・はははは・・・・タイトル通りでしたでしょ?