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ただひたすらにワープロを叩く。
 『打つ』というより『叩く』という表現の方が正しいのはこの場の状況が状況だからだ。
“頼みますよ、有栖川さん〜! 
 耳の奥に残る情け無さそうな、切羽詰まった声。
 そんなことは言われなくても十分分かっているのだ。
 分かっているけれど・・・。
「今回は俺のせいばかりやない・・!」
 思わずポツリと漏れ落ちた声を聞きつけたかの様にカチャリと開いたドア。
 そして次の瞬間呆れた様な、馬鹿にした様な声が聞こえてきた。
「何一人でブツブツ言ってんだよ。気味悪いからやめた方がいいぜ。それに蛇足だけどな、毎回毎回進歩の無い事してないでたまには余裕で仕上げたらどうだ?」
「うるさい!他人事だと思って!!君に言われへんでもそないな事は分かってるんや!」
 手は止めず、振り返りもせずにそういう私に長年の友人である火村英夫はもう一度呆れた様に笑った。
「分かっていても出来ないと・・」
「!あのなぁ!!」
 さすがにムッとして振り返ると火村は取り出した煙草に火をつけるところだった。
「うん?」
 チラリと向けられた視線と、フゥッと吐き出された紫煙。
「大体なぁ、てめぇがボケた事をしてるから俺の所にお前の編集者から電話がかかってくるんだろう?泣きそうな声で“有栖川さんはそちらに伺っていらっしゃいますでしょうか?1週間も連絡がとれないんです!”だぜ?一瞬頭の中に『締め切りに追われた作家の孤独死』なんて三流の見出しが浮かんだ俺の気持ちが分かるか?」
「勝手に人の事殺すんやない!」
 どこまでも失礼な奴だ。
 そんな私を見て火村は小さく肩を竦めた。
「そう言うならもう少し冷蔵庫の中身をどうにかしろ。餓死と言われても文句が言えない状況だぞ」
「分かった。ご忠告感謝する。やから灰皿のあるところで吸え」
「はいはい。頑張って下さい先生。後でコーヒー位は入れてやるからよ」
 ヒラヒラと振られた右手にパタンと閉じたドア。
 クソーッ・・!これが上がったら絶対に文句を言ってやる!
 新たな誓いを胸に私は再びワープロに向かった。
 
 
 遅れ馳せながら自己紹介をする。
 私は有栖川有栖。冒頭からのやりとりで何となく気付いた方も居ると思うが只今締め切りに追われている推理小説作家である。
 で、先ほどからチラチラと嫌味を言っているのが私達の母校で犯罪心理学の教鞭をとる火村助教授。
 私達の、というのはすなわち私と彼が大学時代からの友人であるという事だ。蛇足だが。
 今回の原稿はアンソロジー用の短編で私にしては珍しくトリックも、ストーリーの構成も、きちんと整理をされていて後はワープロに頭の中にあるそれらを打ち込むばかりとなっている、まさに火村に言われずとも余裕のある仕上がりになる筈のものだったのだ。
 それがどうして人の好い編集者を泣かせてしまう様な事になったのかと言えば・・・。
「・・・・ったく最悪や・・」
 思わず漏れ落ちた言葉。
 それに気付いて溜め息をついて私は3週間ばかり前の事を思い出していた−−−−−・・・。
 


 
 
 それは突然の出来事だった。
 概して『出来事』というものは突然起こるものなのだが、それでも今までの人生の中でこのテの事は初めてだった。
 インタビューというあまりやり慣れない事をした為と珍しく午前中に起きた為、その夜はまだ9時を少し回ったところだというのにベッドの中でゴロゴロとしていたのだ。そこに電話がかかってきた。
 この時間にかけてくるのは私の生活リズムを掴んでいる友人連中だとショボショボする目をこすってコードレスのスイッチを押す。
「はい、有栖川です」
『アリスガワさん・・?』
「?・・そうですけど?」
 変な感じだった。間違い電話とも少し違う言ったことをそのままなぞって口にした様な声。
『アリスガワさん、寝てました?』
「え?・・あ、いえ」
 そんな寝ぼけた声を出していただろうか?私は慌ててベッドから起き上がった。
「大丈夫です。あの・・失礼ですがどなたですか?」
『分かりませんか?』
「・・は?」
 分からんから聞いとるんじゃボケ!と言いそうになる口を必死に押さえて私は受話機を持ち替えた。
「あの・」
『お一人でしょう?』
「はい?」
『少し遊びませんか?』
「・・・・」
 これは・・・もしかして・・ちょっと待て・・
『今、何を着てますか?ベッドの上で何をしてたの?』
「−−−−−−−−!!」
 勿論その場でブツリと電話を切った。
 カマをかけられたのだと分かっていてもカーテンを思わず閉め直しさえしてしまった。
 けれどそれは一度では済まなかったのだ−−−−−・・・。
 

 
 
(ほんまに世の中には酔狂な人間が居るんやな)
 うんざりしたように思いつつそれでも手は休む事なくワープロを叩く。
 とにかくどういう理由であれ、これ以上人の好い担当に迷惑はかけられない。
 本来の締め切りは2日も前に過ぎているのだ。
 一週間ぶりに生き返らせた電話で聞いた心配と不安を抱えた片桐の声。これで落としたらちょっと東京に足を向けられない。
「“・・・・と口にして彼はゆっくりと背を向けた。”と・・・出来たぁ・・!」
 言いながらそれをそのままフロッピィに移して私はワタワタと書斎を出た。
「終わったのか?」
「ああ、あとは送るだけや」
 すでに直接宅急便の営業所に電話をして手筈は整えてある。なんとかビジネス便の最終にのれるので朝イチで片桐の元に届くだろう。
「コーヒー飲むか?」
「ああ。すまんな」
「どういたしまして」
 読んでいた本をテーブルの上に置いて立ち上がった火村の後ろ姿を見ながら私は胸の中でホゥと一つ溜め息をついた。なんだかんだと言いながらこの友人は心配をして様子を見にきてくれたのだ。勝手に殺されたのは腹が立つがコーヒーで水に流してやろう。
 肩の荷がおりた人間は寛大になるものらしい。
 鳴ったドアフォンに宅配業者と確かめて用意しておいたそれを渡すと私は心の底から安堵の溜め息を零した。
「玄関先でくつろいでないで座って飲めよ、先生」
「ああ」
 言われた通りにリビングのソファに腰を下ろして入れてもらった暖かいコーヒーをすする。
「メチャメチャ旨いわ。あー生き返る」
「そりゃ良かったな。ところでアリス」
「うん?」
 ガサガサと新しいキャメルの箱を開ける長い指。
「どうして電話を切ったんだ?」
「・・・・・・」
「いくらそそっかしいお前でも一週間も電話が不通になっていたら気が付くだろう?」
「・・そそっかしいは余計や」
「尖るなよ。まさか原稿の催促をされるのが嫌だったとか情け無い事は言わねぇよな?」
「当り前や!」
「なら、なんで電話を止めた?」
 真っ直に見つめてくる黒い瞳。
 重くなる口を小さく動かして、けれど何も言えない私に火村はゆっくりと口を開く。
「アリス」
 たった一言名前を呼ばれただけだった。
 言えないのかと詰め寄られたわけでもなく睨みつけられて脅されたわけでもない。
 でも、だけど・・・。
「・・・・・・悪戯電話がひどくて・・」
「悪戯電話?いつから」
「3週間位前から」
「脅迫めいた内容なのか?」
「ちゃう。・・・・その・・」
「アリス?」
 言い淀んだ私に火村は小さくなったキャメルをすでに一杯になっている灰皿に押さえつけながら微かに眉を寄せた。
「・・・なんや・・」
「何だって?」
「せやから、変態電話!!」
「−−−−−−−!」
 絶句した友人にこうなればの勢いで私は今までの経緯をまくしたてる様に口にしていた。初めての時の事、2度目の事、更にエスカレートしてくる内容の事・・・・。
「あんまりひどいんで4度目か5度目の時説教たれたんや!こんな30も過ぎたような野郎の所にアホな電話するんやないって。したら・・」
「そうしたら?」
 イライラとした火村の声。
「もっとひどなった」
「当り前だ、この馬鹿!!!そういう奴は相手をしてくれる奴の所には何度でもかけてくる」
「俺は一度だって相手なんかしてへん!!」
「話をしてくれるっていう意味だ!ったく・・ちょっと大人しく仕事をしているかと思えば馬鹿な事に巻き込まれていやがって・・!」
 吐き出すようなその言葉にカチンときて私は思わず口を開いた。
「別に君に助けて欲しいって言ってるわけやない!」
「あーそーかよ!じゃあこれからずっと有栖川先生は電話のない生活を続けるわけだ。その度に俺は片桐だかなんだかに泣きつかれると」
「!!悪かったな!迷惑かけて!」
 売り言葉に買い言葉。血管がぶちぎれさうな程声を上げた瞬間電話が鳴り響いた。
「・・・ほら、お呼びだぜ」
「・・・・・・・・言われへんでも聞こえてるわ」
 イライラとする言葉。イライラとする気持ち。
 受話機をとって耳に当てて。
「・・・はい」
『久しぶりだね。どうして電話を切ってたの?』
 聞き慣れた神経を逆なでするその声に全てお前のせいだと怒鳴ろうと口を開き掛けた途端、いきなりいつの間に近づいたのか火村が後ろから人の口を塞いで抱き締めてきた。
(−−−−!何すんねん!!!)
『どうしたの?何か喋ってよ。アリスガワさん』
 喋りたいのは山々なんだと思った。どうしても一言怒鳴り飛ばさなければ気が済まない!
だがしかし・・!
「−−−−−−っ!」
 スイと首筋に寄せられた唇に私は声にならない声を上げた。
(ちょ・・火村・・!?)
 一体何を考えているんだこいつは!!
「・・っ・」
 スルリとシャツの中に潜り込んでくる大きな、少しだけ冷たい手。
 それにビクンと身体を震わせて不自然な格好で振り返るけれど、火村の表情は見えない。
『・・ねぇ・・』
 ネットリと纏りつく様な声がゾワゾワと背筋を寒くさせた。そしてその声を聞いているかの様に火村の手がゆっくりと肌を滑る。
「・・っ・!!」
 耐え切れずブンと力任せに動かした手は、けれど難無く封じられてガタガタと受話機を落としながら私はものの見事にリビングの床に転がってしまった。
「・・っう・・何するんや!やっ・・ひ・」
 ユラユラと揺れる受話機が視界の端に映った。
 有無を言わせずにのしかかってくる身体と、重なる唇に目暈がする。
 勿論−−−何が勿論なのかもう判らないが−−−火村とこういう事がなかった訳ではない。けれどどうして今こんな風にされなければならないのか!?
「や・め・・・いい加減にし・嫌や!!」
 押さえ付ける様にしてベルトにかかった手に私はすでに繋がったままの電話の事も忘れてそう口にしていた。
 けれどそんな事でやめて貰える筈もなく火村はベルトを外しファスナーを下ろしてそこに指を忍び込ませる。
「嫌やて言うてるやろ!!やめろ!アホんだら!!っ・う・ぁ・!」
 無遠慮に動く指。
「・・は・・ぁ・・や・・いやや・・」
 無遠慮に這う唇。
「ん・・んん・・やめ」
 涙が出そうになった。ただでさえ変態電話を受けて腹を立てたり落ち込んだりしていたというのになんでこんな目に合わなければならないのだろう!?
「痛い・・」
 言うのも恥ずかしいところに触れた指に怯えたように震える身体。
「痛かねぇよ・・」
 それに半分笑いながら耳もとでボソボソとそう返す男を涙の浮かぶ瞳で睨みつけて。
「痛い!痛い!痛い!!」
 悔しくて子供の様にそう口にした自分に火村は今度こそ小さく声を立てて笑った。
「・・・・もう・・嫌ゃ・」
 そこをほぐすように蠢く指に情け無くも涙がこめかみを伝って流れる。
「まだ痛い事なんかしてねぇだろ・・」
 囁く様にそう言ってゆっくりと抱え上げられた足にヒクリと頬が引き吊る。
「・・堪忍して・」
 こんな状態でやられたら、ただでさえ体力が低下しているのだ。2.3日は確実に起き上がれなくなってしまう。
「お前が悪いんだぜ?」
「なん・・で」
「俺の知らない間に悪戯をされていた」
「そんなん・・俺のせいやない・・っ・・」
 乱暴に塞がれた唇に声がくぐもる。
「・・観念しな」
「・・あ・・」
 足が抱え上げられて大きく開かれた。そしてその瞬間ぶら下がったまま受話器が視界に入り今までの会話が全て聞かれていた事に今更ながら気付かせられる。
「二度とさせるなよ」
 低く唸るような声が聞こえた。
「嫌・・嫌や、嫌・・ほんまに・・やめ」
 フルフルと振った首に床の上で髪の毛がザリザリと音を立てる。そして・・・。
「−−−やぁぁぁぁぁっっ−−!!」
 突き立てられた熱に悲鳴じみた声を上げた瞬間、火村はあろう事かぶらさがっていた受話機を手に取ってゆっくりと口を開いた。
「おい、聞こえてるか、変態野郎。今度こいつに手を出したらてめぇをぶっ殺してやる!!」
 そうして次の瞬間私の耳に発信音のする受話機が押し当てられた。

 


 
 
「信じられん奴!!」
「何でだ?良かったじゃねぇか。これで二度とかかってこないぜ。悪戯電話の果てに“ホモの痴話喧嘩”に巻き込まれて死にたい奴なんざそうは居ねぇからな」
「・・・・そういう問題か?」
「そういう問題だろ?全て万々歳じゃねぇか」
 どこがだ、どこが!
 言いながら機嫌良くキャメルをふかす友人に胸の中でそう毒付いて私はガックリと肩を落とした。
 大体こいつは“ホモの痴話喧嘩”というフレーズが気にならないんだろうか!?いや、それ以前にどうしてそういう発想が生まれるんだろう!?
「アリス?」
 よほど嫌そうな顔をしたのだろう。いぶかしげな顔で覗き込んできた火村に私は小さく首を横に振った。
「とにかく・・ホモうんぬんはどうであれ電話の事は一応感謝しとく。ただしもうあんなんは絶対にごめんや」
「まぁな。でも迫真の演技だっただろう?もっともあれ位で殺人犯になる気はねぇけどな」
 どこまでが演技なんだと言いたかったがそれを口にすると墓穴を掘りそうな気がして私は代わりにふぅっと大きな溜め息をついた。
 なんだかとてつもなく疲れ切ってしまったのは気のせいではない筈だ。
「さてと、もう9時過ぎか。腹が減ったな」
 キャメルを銜えたままいっぱいになった灰皿を持って立ち上がり、ゆっくりとキッチンに向かう背中。
「無茶したからな、夕食くらいは作ってやるよ、先生」
 聞こえてきた声に・・。
「・・・当り前や!」
 憎まれ口を言う様に返して。
 そしてその次の瞬間、私達はなぜか吹き出すように笑い出していた。
 
 
 
 こうしてめでたく私のうちの電話は復活を遂げた。

Fin





えーっと・・この話はコピー誌とオフの両方に載せた、割合初期の作品です。
で、今回裏のコンテンツに載せるにあたりちょっとばっかりそれ仕様にしてみました。
ええ、ちょっとばかりですが(;^^)ヘ..
はいそこの彼女、コピー誌とかと見比べてどこが変わったのかチェックしないように。