Valentineの溜め息 4

「こんなに降るとは思わなかったな」
 キャメルを吹かしながらカーテンの開いたままの窓を見て火村はそう言った。
 ガラスは白く曇ってしまっているが、確かに先程より風が出てきているようで外はまるで吹雪のようになっている。
「・・・・まだいい時に来たんやなぁ・・・」
 火村に入れて貰ったお茶を手にしながら有栖もまたぼんやりと外を眺めてしまった。
 自然訪れる沈黙。
 そんな中でついつい部屋の中に視線を走らせてしまった自分にうんざりとしたように有栖は小さく俯いた。
「アリス?」
「・・・・え?」
「何かあったのか?」
「・・・・・・・何かって・・・何や」
「・・・・いや・・・何か大人しいからさ」
「失礼やな。お茶飲んどるんや。そんなベラベラ喋れるか」
「・・・・・ああ、まぁな」
 そうして再び途切れた会話。
 一体自分たちは何をしているのか。思わず小さく溜め息を付いてしまった有栖に火村は吸っていたキャメルを灰皿の上に押しつけて有栖の隣に移動した。
「火村?」
 思わず上げてしまった声と同時に額に当てられた大きな手。
「何!?」
「いや・・・やっぱりおかしいから雪まみれになって熱でも出たのかと思って」
「アホ。これくらいで熱が出るか」
「ああ、熱はないな。冷たいくらいだ」
 額に手を当てたまま喋る火村に有栖は顔を赤く染めながら「判ったら離せ」とそっけなく口を開いた。
 けれど火村の手は離される事なくそのまま赤く染まった頬へと移動してしまう。
「ちょ・・火村・・」
「ここも冷たいな、アリス」
「そんなん・・・雪の中歩いてきたから・・」
「夜までは待てるつもりだったんだけどな」
「火村?」
 上げた瞳に絡む視線。
 掠めるように触れた口付けに慌てて身体を離そうとするとかえって腕の中に抱き込まれてしまった。
「唇もまだ冷たい」
「火村・・・・」
 ドクンドクンと早まる鼓動。
 もう片手では足りないほど抱かれているけれどこの感覚にはまだ慣れない。
 触れてくる指先に泣き出したいような羞恥心が生まれてくる。それでいてずっと触れていて欲しいと思う自分を持て余す。そんな感覚にいつになったら慣れるのだろう。
「夕食、鍋でいいか?」
「え・・・・・あ・・・うん・・」
 唐突なその質問に訳も分からず頷くその間にも切りもなく落ちる口づけ。
「じゃあ用意しておいてやるから」
「え・・なに・・・・火村?ちょっ・・何・火村!」
 容赦なく畳の上に押し倒されて重なってきた身体に何が何だか判らずに口を開いて・・。
「・・・・顔見たら我慢できなくなった」
「・・・・・・・・あ・・アホ・・」
「お前が煽るからだ」
「いつ俺が!・・ぁ・・や・・・手ぇ冷たい・・」
 引き出されたシャツの中に入ってきた指に有栖は思わずビクリと身体を身体を震わせた。
「すぐ熱くなる」
「・・・・信じられへん・・・っ・・ん・・・は・・・・・んん・・・」
 抜き取られてしまったセーター。
 すっかりはだけられてしまったシャツ。
「意識しすぎるのは煽っているのと同じだぜ?」
「・・そんな・・の・・・・」
「しかも何があったのか話もしない」
「や・・・」
 ジーンズのジッパーがゆっくりと下げられる音に煽られる羞恥心。
 そうして差し入れられた指にビクリと身体が大きく震える。
「アリス・・・」
「・・・ぁ・・・・」
 動き出す指。
「隠し事はなしだ。何があった?一昨日の電話の時は変わりなかったよな?昨日か?今日か?俺には言えない事か?」
 矢継ぎ早の質問はいつもの火村とは確かに違うと有栖は思う。
 会えなかった時間を火村もまた気にしていたのだろうか?
「・・やぁ・・あ・・ひむら・・・」
 そんな甘ったるい事を考えながら自分でも嫌になるような甘い声を上げて有栖はそっとその背中に腕を回した。

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「俺の鱈や」
「早い者勝ち」
「やかましい!・・・・っ・・・痛・・・いぃぃ・・・」
「・・・・・・・ほら、取ってやる。貸せよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
 差し出された右手。それに自分の取り皿を乗せて有栖はふぅと息を吐き出した。
 あらぬところが恐ろしく痛むのは、目の前の男のせいだ。
 トンと置かれた皿に野菜の他に鱈がドンと乗せられているのを見て有栖は何とも言えない気持ちで箸を持ち直した。
そう・・・・・・結局何だかんだと一度だけでは済まず2度3度と挑んできた火村に有栖は意識を飛ばしてしまった。何と言ってもまだ数が数えられるほどの事なのだ。まして顔を合わせたのが一週間ぶりで、こうしたのはさらにその前まで遡らなければならない。
 慣れろと言うのは土台無理な話だ。
「・・・・悪かったよ。その・・まだ飲めるか?」
「・・・・飲む」
 鱈ちり鍋とビール。
 冬らしいこの組み合わせに飲まずには居られない。火村に会うと言う事も楽しみだったのだが、火村と飲む事もとても楽しみにしていたのだ。
 まだ少しだけ残っている一本目のビールを一口流し込んで有栖は柔らかく煮えた白菜をふうふうと冷ましながら口に入れたると新しいビールを取りに立ち上がった火村の背中をぼんやりと眺めた。
 その後ろ姿に小さく零れた溜め息。
 有栖の様子がどこかおかしいと火村は抱いている間も何度か問い掛けるように口にした。
 それは多分火村とこういう関係になる前に有栖が自分の気持ちを隠していたという過去があったからだ。
 そしてあろう事か有栖の友人を睨みつけたりもしていたらしい。
 火村も自分と同じなのだろうかと有栖は思う。
 どこかおかしいと思う有栖を心配したり、あるいは何かに不安になったり嫉妬をしたりしているのだろうか。
「・・・・おい、やっぱりお前おかしいぞ。ちゃんと隠さずに言えよ」
 ドンと目の前に置かれた缶ビール。それは有栖がコンビニで買ったものだった。その視線に気付いて有栖が何かを言う前に火村が口を開く。
「ああ、袋の中に入れっぱなしだったから冷蔵庫に移したんだ。他にもつまみが入っていたけど出すか?」
 問い掛けられた瞬間ドクンと鳴った鼓動。
 袋の中には“あれ”も入っていたはずだった。
 端から見れば何の変哲もない板チョコ。
 けれど、普段あまり買わないようなそれを火村はどう思っただろう。
 本当に彼は今日がValentinedayだと知らないのだろうか。
 それとも単に興味がないだけだろうか。
「ああ、そうだ。それからこれも入ってた」
「!!」
 思わずギリリと痛む胸。
 けれど言いながら出されたのは婆ちゃんから貰った小さなチョコレートの包みだった。
 途端にホォと息をつくと火村はニヤリと笑って口を開いた。
「Valentinedayだろ?隅に置けないな、アリス」
「え・・・・?知ってたんか?」
 よもやまさか火村の口からそんな言葉が出るとは思っていなかった。
驚いたように小さく瞳を見開いた有栖に火村は口元に笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「ああ、まぁな。それで、誰に貰ったんだ?」
 そう言って火村は持ってきたばかりのビールに手を伸ばすとプルトップを開けた。
 部屋の中にプシュッという小さな音が奇妙に響いて、それが何だか苦しくて有栖は目の前の顔から僅かに視線を逸らすと持っていた缶ビールを思わず握りしめてしまった。
「・・・・・・・・・そんなん・・・君こそどうなんや?ようさん貰うたんやろ?」
 自分の声は震えていないだろうか?
 そんな事を考えた有栖に火村はいっそ素っ気ないような口調で「まぁな。貰ったぜ」と告げた。
「・・・・・・・・・ふーん・・・」
「気になるか?」
「別に」
「怒ったのか?」
「何で俺が怒らなあかんねん」
「ふーん・・・・・」
 聞こえてくる先程の自分と同じような気のない声。
 それを聞きながら残りのビールをゆっくりと口に流し込むとひどい苦みが口中に広がった。
 鍋の熱で少しだけぬるくなったビールの後味の悪さ。そうして次の瞬間、何故か有栖の脳裏に昼間の女性達の顔が甦った。
『お願い、火村君に渡して』
「・・・・・・・・・・・・・」
 こんな事なら全員まとめて預かって目の前につきだしてやれば良かったと有栖は思った。
 断って、こだわって、自分も渡そうかとか、会いたい気持ちだけでいいのかとか、名前も判らない女性達に嫉妬したり、不安なったりとグルグル回っていた自分は何なのか。
 大体火村も火村だ。
 普通そんなものを貰うだろうか。
 そりゃあ自分は今日がValentinedayだとは気付いてなかったし、彼女たちに言われるまでは火村にチョコレートを渡す事などこれっぽっちも思っていなかったが、それでも今日会うと判っているのになぜそんなものを貰えるのか。その感性が判らない。
「・・・モテる男は大変やな。確か来月に“お返しの日”があったから忘れずに・・・火村?」
 言いかけた言葉を遮るようにして掴まれた手に顔を上げると怒ったような、どこかムッとした表情にぶつかって有栖は思わず言葉を失ってしまった。
 僅かな沈黙。
 やがて火村が小さな溜め息を落とした。
「馬鹿」
「!何やいきなり」
「貰った相手はお前と同じだ」
「はぁ・・?」
 思わず上げてしまった声に火村は掴んでいた手を放すと少しだけ苛々したように何かを投げて寄越した。
「何なんや、一体・・・・・・・って・・これ・・・」
 それは有栖が婆ちゃんから貰ったものと同じ小さな花の飾りとリボンで飾られた小さな包みだった。
「他には貰ってない」
「・・え・・・・あの・・・・」
「本命のヤツが買っているくせにいつまで経っても寄越しやがらない」
「・・・・・・買ってるって・・・」
 何が一体どうなっているのか。
「これは俺が貰っていいんだろう?アリス」
「!!!!」
 火村の手の中にあるのは先刻買った赤いパッケージの板チョコだった。
 その包みと同じように瞬時に顔を赤く染めた有栖に火村は今度こそニヤリと見慣れた笑みを浮かべた。
「・・・それは・・・えっと・・・その・・・」
「電話がかかってきて、約束した日をカレンダーで見たらご丁寧にも『St.Valentineday』だと書いてあった。まさかとは思ったけどクリスマスの時に誰かさんは結構浮かれて騒いでいたから馬鹿馬鹿しいとは思いながらそれでももしかしたらと期待した。でも帰ってきたらお前はまだ来ていないし、来たら来たで様子がおかしい。だからこの日に会う事になったのは単なる偶然だったのかと思ったし、それ以上に何があったのか気になった。それでついつい手を出して反省しつつ落ちていた袋の中身を詰め替えていたらそいつが出てきて、また急浮上だ。ところが今度はたくさん貰ったんだろうなんて聞いてきやがる。だから待つのは止めたんだ。これは貰ってもいいんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 きっとこの日に恋人からこんな風にチョコレートを貰う男はこいつしかいないだろうと有栖は思った。
 思いながら、嬉しくて、おかしくて、そしてどこかくすぐったいようなそんな気持ちになって笑いが零れる。
「おい・・・」
 唸るように上げられた声。
 そのムッとしたような顔を見つめながら有栖は勝手極まりないと思いつつ胸の中で昼間の彼女たちに“ごめんな。気付かせて貰ってなんやけど、やっぱりこいつもチョコも渡せへんわ”両手を合わした。
「アリス?」
 眉間に寄せられた皺。
 それさえが愛おしいと言ったら目の前の男はなんて言うだろう。
「なぁ・・」
「ああ?」
「本命チョコがこんなんでがっかりやったか?」
「ばーか」
「!だから馬鹿って言うなっていつも言うとるやろ!」
 そんな有栖の言葉を聞きながら火村は持っていた板チョコを包みのままパカリと半分に割ると銀紙の中から現れたそれをひとかけらだけつまんで自分の口の中に放り込んだ。
「火村!?」
「甘いな」
「・・・・そら・・チョコやし」
「馬鹿そう言う意味じゃねぇよ」
「・・え・・何・・・火村・・!」
 言うが早いか重ねられた唇。
 驚いて開いてしまった口にスルリと舌が滑り込んでビクリと身体が震えた途端走った鈍い痛みに有栖は小さく眉を寄せて呻く。
「・・・っ・・・つう・・・」
 けれどそれは吐息のようにも聞こえてしまい、残念ながら傍若無人な恋人の腕を緩める事は出来ず、かえって抱き締める手に力を込められる結果になった。
 繰り返される『甘い』口づけ。
 そうしていつの間にか抱き寄せられてしまった腕の中で「な?甘いだろう?」と笑うその声を聞きながら有栖は今日が今日で会って良かったなどとあの喫茶店の2階で降り出した雪を見つめて考えた事と180度も違う事を思いつつ小さな、けれど甘い溜め息を零して「・・・・アホ」とひどく幸せそうに呟いたのだった。

Fin
 
 


あはははははは・・・終わりました。伸びたらめでたくHも付いちゃいました。
それにしても火村別人。私の中の彼はこんな事を言う人ではないんだけど、まぁ、若いからいいか。
たまにはこういう我慢きかない風の火村もいいかもしれない。有栖の可愛さ倍増だから(/--)/
と言う事で感想あったら下さいね。