After days

  

「・・・・いらっしゃい」
「よぉ、元気だったか?先生」
 大阪・夕陽丘のマンションの一室。
 702号室の住人である推理小説作家の有栖川有栖はドアを開けたままヒクリと顔を引きつらせてとりあえず笑いを浮かべてみた。
 それを見ながら京都・北白川在住の英都大学社会学部助教授、火村英生はニヤリと笑って持っていた寿司屋の包みを上げて見せた。
「良かったな、また猫になってなくて」
 玄関に入ってドアを閉じた途端の言葉は他人が聞いたら何を言っているか全く判らないだろう。
 けれど、有栖にとってみればそれはきっと一生忘れられない記憶になる出来事だった。
 そう・・。もう10日以上前になるが、有栖はうす茶色の小さな子猫だった。
 別に夢の話でも、妄想でも、気が触れているわけでもなく、そして勿論いきなり猫になってしまうという特異体質なわけでもなく、何故か突然猫になってしまったのだ。慌てて、焦って、泣いて、途方に暮れて・・・。
 ともかく紆余曲折の末、無事に人間に戻ることが出来たのは4日前の事で、その『紆余曲折』の中、今、目の前にいる男から「好きだ」等と告白されあまつさえ有栖自身も「好きや」等と答えてしまったのだ。
『週末に行くから、覚悟しておいてくれ』
 4日前に火村はそう言って有栖にキスをした。
 何の覚悟なのか・・・・。
 流石に30もとおに過ぎていれば判りたくなくても判る。ただでさえ火村は有栖を好きだと言っているのだし有栖も又火村が好きだと言ったのだ。
 めでたく両思いとなれば、今更「それじゃあデートから」なんて事になる筈がない。が、しかし、だからと言って十代の所謂“サカリ”の時期のようにガツガツとされてもそれはそれでやはり、火村の言うところの【覚悟】とやらが必要になってくるわけである。
「なるか、アホ。あんなん一度でたくさんや。階段下りるのに一つ一つ飛び降りるんやで?すぐ腹は空くし、眠くなるし・・・」
「でも可愛かったけどな」
「・・・・・・・そーですか。そりゃどうも」
「誉めてるんじゃない。子猫に対する一般論だ」
 廊下を歩きながらいけしゃあしゃあとそう言う火村に有栖はムッとしてリビングに入った。
 その後に続いて入りながらソファの上に鞄とコートを役と火村は小さく眉を寄せた。
「何だ、もう食ったのか?」
 キッチンの方のテーブルに乗せられている幾つかの皿。憮然とした火村に有栖は慌てて口を開いた。
「まだ途中。だって君遅いんやもん。八宝菜。味は結構イケてるで」
「どうせ“何とかの元”って奴を使ったんだろう?」
「当たり前や。それ寿司やろ?それも並べて一緒に食お」
「ビールはお前持ちだぜ?」
「すぐ飲むか?」
「当然」
 それは本当にいつもと変わりないやりとりだった。
 【覚悟】という言葉に堅くなっていた有栖は徐々に普段の調子を取り戻してゆく。
 本当は少しだけ怖かったのだ。
 その行為はともかく、好きだと言われて好きだと返して、その事で自分たちの関係がどう変わってしまうのか。
有栖にとってそれは大問題で、こんな事を口にしたら絶対に笑われてしまうが、もしかして火村の事しか考えられなくなったらどうしようとか、反対にもの凄く干渉されるようになったらどうしようとか、一度で飽きられて捨てられたらどうしたらいいんだろうとか、又はその反対に一度でこりごりになってしまったらどうしたらいいんだろうとか、自分でも「アホか」と思うような事まで考えて、考えて、考えてしまったのだ。
 だから今日、こうして火村がいつもと変わりなく居てくれる事が今の有栖にはとてもとても有り難かった。
 特別に何か変わらなくてもいいんだと言われているようで思い切り肩に入っていた力が抜けてゆくような気がした。
「あれ?もう空や。なぁ、まだ飲むか?」
「んー?どうするかな」
 寿司と八宝菜と付け合わせの漬け物などで夕食を終えリビングのソファの方に場所を移して飲みながら、有栖はお互いに3本目の缶ビールが空になったのに気付いて口を開いた。
「つまみもあれへんな。あ・・確かチー鱈が冷蔵庫に」 そう言って立ち上がった有栖の手を火村はグイと引き寄せた。
「おい、危ない!何するんや」
「ちょっと大人しく座ってろよ。本当に猫でも人間でも落ち着かないヤツだな」
 火村のその言葉に有栖は小さく口を尖らせた。
「やかましい。猫、猫言うな。大体君がいかに猫に対しては甘い男か俺は改めて思い知らされたで」
「へぇ、何も優しいのは猫にだけじゃないんだぜ?何ならお前も膝の上に乗ってみるか?」
 半分だけソファに腰掛けていたような不安定な姿勢のまま更に腕を引かれて有栖は火村の腕の中に倒れ込んだ「・・・火村!」
「何だ?」
「酔ってるな、アホ!離せ!」
 ドクンドクンと早まる鼓動。不安定な体勢のまま抱き締められて有栖は火村の腕の中でジタバタとしながら目の前の胸に手をついて身体を起こした。その途端。
「酔えるか、馬鹿」
「・・・火村?」
 その声は何となく、有栖が猫の時に聞いたものと同じような響きを持っていた。
「・・覚悟は出来たのかよ」
「あ・・・」
「・・・好きだ」
「・・火村・・」
 3度目の口づけは今までの触れるだけのようなものとは違う、深いものになった。
 入り込んできた舌が逃げ掛けた有栖のそれを追いかけて捉えて絡みついてくる。
「・・ん・・ぅ・・は・・」
 離れて思わず息継ぎをした途端再び重なってくる唇に
漏れ落ちる吐息。それすらも奪うような口づけにうっすらと涙を浮かべながら有栖はすでにソファの上に押し倒されて、のし掛かってくる男の胸をドンと叩いた。
「・・・嫌や・・」
「アリス」
「・・せめてシャワーくらい浴びさせてくれ」
 赤く上気した顔は、けれど嫌悪の表情はなかった。
「一緒にはいるか?」
「・・・嫌や、アホ」
「じゃあ仕方がない。俺が先に入って寝室でお前を待ってる」
「火村?」
「じゃないと風呂場に押し掛けていきそうだからな」
 身体の上から重みが退いて、有栖は風呂場に向かって歩き出したその背中に有栖はこれ以上赤くはなれない顔で小さく「ガキ」と毒づいた。
 
 
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「遅かったな」
「そうでもないやろ」
 ベッドの上に腰を下ろしてニヤリと笑う男に有栖は小さく顔を俯かせて一歩、また一歩と近づいて行った。
「何で律儀にパジャマを着るんだか」
「うるさい。そんなん・・・」
「脱がせるのも醍醐味って?」
「・・・変態オヤジみたいやで」
「言ってくれる」
 クスリと落ちた笑いと同時にそっと手首に触れた指先に有栖は少しだけ困ったような顔をして目の前の男を見た。トクントクンと早くなる鼓動はきっと掴まれている手から火村に伝わっているに違いない。
 けれど部屋の中にサイドランプの灯りしかついていないのは多分火村なりの心遣いなのだろうと有栖は胸の中で一つ深呼吸してゆっくりと口を開いた。
「・・・は・初めてなんやからな」
「アリス?」
「無茶したら嫌いになる・・・かもしれへん」 
「・・・・そりゃ大変だ」
「痛いのも御免や」
「ご配慮しましょう」
 手を掴む指に少しだけ力が込められた。
 後はどんな事を言い出すのか。そんな火村の顔に有栖はギュッと唇を結ぶ。
 一秒。二秒。三秒・・・。
 普段は短い筈の時間なのに何故かひどく長く感じる沈黙の中「アリス」と名前を呼ばれた瞬間・・・。
「なら・・・好きにしろ、アホんだら!」
 赤い顔で猫のようにしがみついてきたその身体を火村はひどく幸せそうな顔で受け止めた。
 そしてそっとそっと、先程の激しすぎる口づけとは比べものにならない程優しく、頬に、額に、唇に、耳に、きりもなく口づけを落としてゆく。
「アリス・・」
 それはなぜか切ない声だった。
「・・・アリス・・」
 スルリと背中に滑り込んだ少しだけ冷たい手にビクンと震える身体。
「・・ん・・ぁ・・火村・・」
 長い指がパジャマのボタンを外してゆく。
 すぐに露わになった胸に寄せられた唇に又身体が跳ねる。
「は・・ゃ・・あっ・」
 ドクドクと耳の奥で早鐘のような自分の鼓動が聞こえた。そしてそれに重なるどこか甘えたような、自分の声に何故かジワリと涙が滲む。
「・・や・・そこ・・あっあっ・・」
 胸の突起を舌で転がされ、指で押し潰すようにこねられて有栖は喘いだ。
 それが恥ずかしくて唇を噛むと、すぐさまそれを解くように口づけられて、今度は熱くなり始めているそこに
指を伸ばされる。
「や!・・あ・・火村っ!・・」
 触れられた途端瞳を見開くとあやすような口づけがそこここに落ちてきた。
 それにぎゅっと背中に腕をしてしがみつくとクスリと小さな笑い声が聞こえてきて、ついでスルリとパジャマのズボンを下着ごと取り去られてしまう。
「ひ・・むら・・」
「・・そんな顔するなよ」
「・・・だって・・」
「馬鹿・・煽られるだけだ」
 告げられた言葉に有栖はフイと顔を背けた。
 けれどその次の瞬間、再びそこに指を絡められて有栖は小さく息を詰める。
「や・・あ・火村・・あ・っ・ん・ん・・」
 身体が熱くなる。
 切りもなく漏れ落ちる嫌になるほどの甘い声。
「も・・はな・・て・・イク・・あ・火村!あかんて・火村!いやや!だ・め・・!」
 けれど勿論火村がそれを聞く筈がなく、それどころか勃ち上がったそれを口に含まれて有栖は悲鳴に近い声を上げる。
「やだ!やめ・・い・やぁぁぁっ!そんなんしたらもうせぇへん!火村!・っ・や・あ・あ・・ああぁぁ!!」
 ハァハァと零れる息。
 熱を吐き出してぐったりとなった身体を抱きかかえる火村を有栖は赤い顔でキッと睨みつけた。
「信じられへん!!あんな事・・」
「馬鹿、普通だ。悪いけど俺はお前からしたらもっと凄い事をする」
 怒鳴る有栖に火村は悪びれもせずに平然とそう言い返した。
 それに一瞬だけ茫然として有栖は思わず「考えさせてくれ」と言ったが勿論火村はそんな事をさせなかった。
「だから覚悟をしておけって言っただろう?」
「・・・・・・」
「お前が言った通り痛くないようにする為だ。我慢しろよ」
 ヒクリと引きつる頬。
 やがて部屋の中に啜り泣きのような喘ぎ声と「堪忍してくれ」と言う有栖の懇願する声が響いて、そうして火村はゆっくりとその欲望を有栖の中に埋めたのだった。 
 
 
 
 
 



 
 
 
 ひどく優しく背中を撫でる大きな手。腕の中に抱き込まれるようにして微睡みながら有栖は今にも眠りに落ちてしまいそうな意識の中で小さく毒づいた。
(全く・・信じられへん・・あんなとこ舐めて、指入れて、それで・・入れるなんて・・)
 もっと凄い事と火村が言ったように確かに有栖にとってそれは凄い事以外の何ものでもなかった。
 男同士のそれではそこしか使いようがないけれど、それでもまさかこんな風にされてこんな事になるとは思ってもみなかったのだ。
(ほんまにこいつはどこでこういう知識を仕入れてくるんや・・・)
 多大な羞恥と共にそんな事を考えてると火村がそっと髪に口づけてきた。
「アリス?・・痛むのか?」
 心配する位ならするなと言いたいが、生憎叫びすぎて痛む喉のこれ以上の使用は避けたいと有栖は思った。
「・・・眠ったのか?」
 言いながら覗き込んできた途端吐息が頬を掠めて今更のその恥ずかしさに少しだけ顔を俯かせると、目の前の胸に顔を寄せる事になり、有栖はますます恥ずかしくなった。
「・・・おやすみ」
 こめかみに落ちた口づけ一つ。
 本当に何とも恥ずかしくて、甘い男だ。もしかするとまだ猫と勘違いしているのかもしれない。
 そんな事をトロトロと考えながら有栖はそれでもまぁいいかと思う自分に気がついた。
 そうして記憶の中に残る「ニャー」という小さな声を思い出しながら有栖は今度こそゆっくりと意識を手放した。

終わらせてくれ・・・



 
はははは・・・いや・・別に裏に入れるようなものでもないんですけど、猫本だったことを考えるとつい・・
こうしてステップアップをしたんです。この人達。ということでお楽しみ戴けていれば幸せ!!