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赤い繭 21

 ポッカリと浮かび上がった意識。
 身体は泥のように重くて怠いが意識はひどくすっきりとしていた。
「・・どうした?」
 開いた瞳にかけられた声。
 どれだけ眠って−−というよりも気を失って−−いたのだろうかと小さく頭を動かすと火村から「まだ夜明け前だ」という声がかかった。という事は2.3時間は熟睡していたらしい。
「・・・・吸えばええのに」
 ベッドの背凭れに寄りかかるようにして何かを読んでいた
 火村に有栖は幾分かすれてしまった声でそう言った。
「・・もう昨日になったから平気やで」
「・・・・・・」
 何を言っているのか。一瞬だけ考えて火村はクスリと笑いを漏らした。火村は先刻“今日くらいは”と言ったのだ。それは本当に日付が変わるギリギリのやりとりだった。だから吸ってもいいと言っているのだろう。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
「どうぞ。くれぐれも火事にならんような」
「お前ほどドジじゃねぇよ」
「・・ほんまに一言多いで自分」
 有栖の小言を聞きながら火村は何時間ぶりかのキャメルを口に銜えて火を点けた。ユラリと立ち昇る白い煙。
「・・・・・なぁ・・」
「ああ?」
「最後にもう一つだけ聞いていいか?」
「・・・・・何だ?」
 最後、というのは忘れろと言った火村に対しての有栖なりの気遣いであり、けじめなのだろう。読んでいた書類をパサリと脇に退けて振り向いた火村に、有栖はゆっくりと口を開いた。
「足を切り落としたのは何となく判るんや。死んだと思っていた男が動いて、驚いて、逃げられんように足を切るって言うのは理解は出来る。でも、手を“どうせだから”切るって言うのは納得行かへんねん。せやって、彼は一人でって言うてたけど、多分二人でやった事やろ?けどそれかて大変な作業やないか。ついでで出来るもんとちゃう。何かわけがあった気がするんや。あと、手首も」
「一つじゃなかったのか?」
「同じ事やん」
 いっそ素っ気無い有栖の物言いに火村は苦笑に近い笑みを落として口を開いた。
「それじゃあ、まず手から。お前の言う通り理由があった。言わなかったか?菜月と克彦の祖父・安三は戦争で片足を失くし、晩年は残った右足もほとんど動かない状態になっていた」
「・・・・・・・」
「判らないか?彼等は知っていたのさ。足がなくても手だけで人間は移動出来ると」
「・・・あ・・・」
 小さく声を上げた有栖に火村は更に言葉を続けた。
「次に手首。これは屶で切られたものと切り口が異なる。俺はおそらく菜月が持ち帰り、隠しておける大きさに修正して残りを捨てたんだと思う」
「・・・・・・何の為に・・?」
「男はある意味彼女にとっての初恋で、幼い頃まで住んでいた『東京』だったのさ。けれど聞かせれ続けた母親と同じ事は出来なかった。それでも忘れる事も出来なかった。阿倍定は知っているだろう?」
 それはあまりにも有名な女囚だった。愛した男を殺し、その男根を持ち続けていた女。
「それと近いものもあるかな。まぁ違うと言えば違うが。とにかく、持ち帰った右腕は大きすぎて隠す場所に困る。そこ
で手首から先を切り落とした。今回克彦は菜月のアパートに立ち寄っている。多分それを持ち出したんだろう。納得いきましたか?」
「・・・・・・」
「・・・推論だ。死んだ人間の事は判らないし、彼女の事は彼女にしか判らない」
「ああ・・・そうやな・・」
 答えた有栖の脳裏に鬼女・紅葉が浮かんだ。
 その昔、小さな村を騒がせた女の顔は、いつの間にかあの時の壮絶なまでの鮮やかな笑みを浮かべた菜月となり、その腕の中には赤い繭玉が抱えられていた。
 繭玉は内側から赤く仄かに輝いて、何だかひどく、ひどく幸せそうに見えた。


「色々とありがとうございました」
 ペコリと頭を下げた足立に有栖もまた頭を下げた。
 小さな村をその日のうちに駆け抜けた衝撃。今回の結末に驚いて、戸惑って、悲しんで、けれど足立はそれを“始まり”に変える決心をしたのだと言う。
 警察はとりあえず克彦の遺書を自白として菜月の取り調べを進めてゆくらしい。
 「昨日の約束をぜひ実行しにいらして下さい」
「ええ。その前に少しジョギングでもして体力をつけておきます」
 有栖の言葉に足立が笑う。
 辛い過去は忘れるのではなく、乗り越えて行くものだ。きっと足立にならそれが出来る。
「じゃあ」
「お気を付けて。それから、蕎麦屋の親父さんが有栖川さんに謝っておいてほしいと。ひどい事を言ったと。今度いらした時は大盛りを御馳走するそうです」
「ははは・・楽しみにしていますとお伝え下さい」
「火村さんも本当に有難うございました」
「いえ、私は何もしていません。お元気でお過ごし下さい」
「・・・有難うございました」
 深々と頭を下げた足立の目にはうっすらと涙がにじんでいた。それにもう一度頭を下げて、有栖たちはゆっくりと車に乗り込んだ。
「・・・さてと、行くか」
「ああ、これ以上休んでいると本当にクビになりそうだからな。今日帰るって言ったら“講義には間に合うんですか?”
だとさ。長野から何時間かかると思っているだ。全く宮仕えの辛さだな。お陰で明日は講義もないのに出勤だぜ」
「普段の行いやな、先生。あんまり休講が多いから教務課の心証が最悪なんや。菓子折の一つでも持って行くか?」
「普段の行いうんぬんはお前にだけは言われたくないね。他人の事を言う前にまず担当者に胃痛を起こさせるような所業を改めろよ、先生」
「・・・・・・」
「それで?今度の新作はどこを舞台にするんですか?また新しいところを取材しないといけないなぁ。その時は営業期間を確かめてからにしろよ」
「やかましいわ!!」
 走り出した車。
 押し殺したような火村の笑いに有栖が怒鳴る。
 初冬の信州。
 鬼伝説を秘めた山々をもう一度だけ瞳に焼きつけて・・。
 二人は戸隠村を後にした。

Fin


終わりました。長い話でしたがお付き合いくださいまして有り難うございました。感想などありましたら聞かせて下さいませ。

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