---☆ 熱を出したアリスの話 ☆---



「すみません・・・」
 もう何度目か判らなくなった台詞。
「アリス・・」
 その度に向けられる優しい、けれどどこか困ったような瞳と声。
 それに何故かホッとして、もしかしたら自分はそれを期待しているのかもしれない等と僕、英都大学法学部2回生の有栖川有栖は熱でラリった頭でそんな事を考えていた。
 首から上は息をするのも億劫なほど熱くて、身体はゾクゾクとする寒気が襲う。
 せめてどちらかに統一してくれればもう少し対処のしようがあると思う辺りがやっぱりおかしい。
「謝るんわもうええって言うとるやろ?粥を煮たけど食えるか?」
 そう言いながら小鍋を片手に枕元に座ったのはこの部屋の主、江神さんこと江神二郎。
 同じ大学の文学部4回生で、同じ推理小説研究会の部長であり、実は昨年の冬あたりからただの先輩後輩以上の関係であったりもする彼と、今日は先日仲間内で話題に上がった曼珠院の“幽霊の掛け軸”なるものを見に行く筈だったのだ。それなのに・・・・
(熱を出して寝込んでいるなんて・・・・)
「アリス?」
「・・・・あ・・・あの・・・ちょっと無理・・です・・・」
 多分今何かを口にしたら間違えなくリーバースをしてしまうだろう。
 半分ヨレヨレの僕の言葉に江神さんは「そうか・・」と言って再びゆっくりと立ち上がった。
「すみません・・・」
「・・アリス、その台詞は聞き飽きた」
「・・・・・・・・・・すみません・・・」
 すでに処置なしとでも思ったのか江神さんは一つ溜め息を落としてクルリと背を向けると鍋を持ったまま台所に向かって歩き出した。その背中を布団に横になったまま眺めて、僕はジワリと熱くなった瞼を慌てて薄手の掛布団で隠した。
 熱があるとどうも涙腺が弱くなるものらしい。
「・・・ちょっとでも食えたらええんやけどな」
「・・・・・・・・・・」
 いつの間に戻ってきたのか江神さんは再び僕の枕元に腰を下ろしていた。そうして額に乗せてある手ぬぐいを取るとそっと手のひらをそこにあてる。
「・・・・まだだいぶあるな」
「・・・・・・・」
「腹を出して寝てたわけでもないのにな」
 言いながらクスリと小さく笑う顔。
 そう・・・江神さんの言う通り何か特別なことをしたわけではない。明日(もう今日だけれど)の事とか、信長さん達から聞いた話とか、本の話をしながら飲んで、純粋に寝ただけだ。(ここで純粋に・・と強調するのも何だかちょっと・・何だけれども・・)それなのに起きたら熱が出ていた。
「・・・・・・・・・幽霊のバチでもあたったんでしょうか・・」
 情けなさ過ぎる僕の言葉に江神さんは一瞬言葉を失って、次の瞬間勢いよく吹き出した。
「江神さん!」
「・・ああ・・・すまん・・・・まさかそうくるとは思わんかった・・・・っ・・・」
 謝りながら目尻に涙を溜めて笑いを堪えているというのは全然誠意が感じられないと思う。
「・・・・・・・・・もうええです。全部僕が悪いんや。出掛けられへんかったのも、熱を出したのも、せっかくの休日が台無しになったのも、江神さんが煙草を吸われへんのもみんなみんな僕が悪いんや!!」
 無意識だろう、胸ポケットに伸びた手が見慣れたパッケージを取り出しかけて戻すのも僕はもう何度か見かけていた。
「アリス・・・・」
 呼ばれた名前に含まれた苦笑に近い色。それに気付いて僕は何だかひどくひどく情けない気持ちになってしまった。
 せっかく二人で出掛ける予定をしていたのに。それなのにこんな風に熱を出して、あまつさえ看病なんかさせているなんて・・・!
「寺も掛け軸も逃げんからまた今度行けばええよ」
 言い聞かせる様な言葉と同時に額に当てた手がゆっくりと、まるで幼い子供にするように髪を梳いて撫でる。
「いややもん・・。今日行きたかったんやもん・・・」
 ああ・・・本当にこれでは子供以外の何ものでもない。けれど気持ちとは裏腹に感情は物の見事にコントロール不可能になっている。
「あの辺はそんなに観光スポットやないし、シーズンになっても混むことはないで?」
「・・・・・・・けど・・・」
「大体そんな季節はずれに幽霊を見たがる物好きもそうはおらんやろうしな」
「・・・・・・・・・」
 それは・・確かにそうだろう。
 やはり幽霊と言えば季節的には夏だ。秋が深まり、やれ紅葉だ何だと騒いでいる時期にわざわざ幽霊の掛け軸を見に行くというのはずれている・・・というよりもかなりひねくれ者の域に入るのではないだろうか。
「納得できたか?」
 小さく傾げた顔と同時に長い髪がパラリと肩口から零れた。
「・・・・でも・・・」
「なんやまだ何かあるんか?」
 再び漏れる小さな笑い声。
「でも・・・今迷惑を掛けている事は変わりないですよね・・」
「アリス?」
「・・・すみません・・・ほんまに・・」
「・・・・・・・」
「・・こんな風に看病させて・・・煙草も吸えへんで・・・。あの・・・大丈夫ですから。もう少し熱が下がったら帰・・」
「判った」
「え?」
 僕の言葉を遮るようにそう言って江神さんはいきなり立ち上がった。
「俺が居ったらアリスは謝って気を遣うて休まれへんて事やな」
「!!!!!」
 どうしてそういう事になってしまうのだろう。
 突然の展開にパニックを起こす僕の目の前で江神さんはスタスタとドアに向かって歩いて行く。
「!ど・どこに行きはるんですか!?」
 こんな時に、こんな風に、こんな言葉だけを残して置いていかないで欲しい。
 自分でも驚くような声を出して慌てて起きあがった僕に江神さんは次の瞬間クスリと笑って戻ってきた。
「どこにも行かんよ。熱があるのに追いかけてきそうな奴を置いて行かれへんやろ?」
 言いながら緩く抱き寄せてくる腕。
 ポンポンと背中を打つその手が優しくて、こんな単純なひっかけにかかる自分が恥ずかしくて、僕はギュッその身体にしがみつく。
「・・・・・・驚かせたな」
「知りません・・・・」
 耳を擽る優しい声は微かな笑いを含んでいた。そして・・・・。
「なぁ、アリス」
「・・・・・・」
「お前は謝ってばかり居るけど、俺は今の状況を結構楽しんでいたりするんやで?」
「・・・・・・・・江神さん?」
 突然の告白に僕は胸に伏せていた顔をそっと上げた。一体この人は何を言い始めるのだろう?
「熱を出して辛いアリスには申し訳ないし、不謹慎やと思うて黙ってたんやけど・・・・これって何やお互いを独り占めしとるみたいやろ?」
「!!!!!」
 クスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。
(・・・江神さんて、江神さんて、江神さんて・・・!!!)
 今の台詞で僕の熱は確実に1度は上がったと思う。
 こうなったらもう、しっかりきっかり面倒を見てもらおうではないか!
「で、アリスはどう思う?」
 覗き込んでくる少しだけ悪戯っぽい瞳は多分、熱のせいだけではない僕の赤い顔が映っているのだろう。
 だからせめて毅然と睨み返して。そして・・・・・。
「しっかり治るまでよろしくお願いします!」
 そうしてその瞬間、尊敬して止まない大好きな先輩、もとい7つ年上の恋人は吹き出す笑いを堪えつつ「任せておけ」と言いながら抱き締める腕の力を強くしたのだった。

おしまい


はははは・・・久しぶりに甘々全開色の江神さん。
やっぱり江神さんは捕らえどころがなく、甘やかしぶりが大きいのがいいですねぇ。
ああ、こんな先輩兼恋人欲しいッス・・・・