推理小説家の誕生日

「それじゃ、まずは先に又一歩老境に分け入った君に」
 小さく上げられたガラス製のぐい呑み。
「めでたくすぐ追いついた先生に」
 青い切り子細工のぐい呑みを同じように上げて、英都大学社会学部助教授火村英生は目の前の長年の友人であり、数年前から恋人になった推理小説家、有栖川有栖の顔を見てニヤリと笑うとそれをクイと煽った。
「・・・ったく相変わらずやなぁ」
「ばーか、それを言うならお前の方だろう?毎年毎年芸もなく同じような事を言いやがって」
 言いながら火村は空になったぐい呑みの中に手酌で酒を注いだ。それを見て有栖が眉を顰める。
「ちょっとピッチが早いんやないか?」
「うるせぇ、黙って飲ませろ。仕事でこの所飲んでる暇がなかったんだ。
 幾分うんざりしたような表情を浮かべる火村に有栖は小さく溜め息をついた。
 この話題についてはちょっと触れたくない。
 そう・・。今日は有栖の3×回目の誕生日である。
『同業者にいい和風のレストランを教えて貰ったんや』と3月の半ば頃に何かの話の中で言った有栖の言葉を覚えていたらしい火村は、4月のお互いの誕生日の話が出た時に『そこのフルコースを奢れよ』と電話口で言った。
 何故自分の誕生日もあるのにそんな高価なものを・・・と言えなかったのはひとえにそれ以前のとんでもない大失態があったからだ。
 抱えていた締め切りを延ばしに延ばして、有栖は偶然マンションを訪れた火村に衣食住の立て直しどころか、大阪駅まで取りに来るという編集者に出来上がった原稿のフロッピーを渡す事まで頼んだ。他人から言わせれば【そこまで甘やかすか!?】と言う状況だが、実際はそれどころではなかったのだ。
 編集者に出来上がったという電話をした時点ですでに有栖の体力は限界を超えていた。
 だから、火村が大阪府警に用事がなければ、そしてそれが終わった時にそう言えば締め切りがどうとか言っていたけど出来たのかあいつはと思わなければ、更にここまで来たついでに寄っていくかと思わなければ、待てど暮らせど大阪駅に現れない有栖に『やっぱりまだだったんですねぇ・・有栖川さん・・・』と夕陽丘のマンションを訪ねた哀れな編集者が
すれ違ったのかと大阪駅と夕陽丘を往復した後に管理人を巻き込んで推理小説作家の干物を見つける事になっていたに違いない。
 が、しかし、とにもかくにも火村に発見された半死状態の有栖はベッドに押し込まれながら無事に気のいい編集者に原稿を渡す事が出来た。そしてその後、般若のような顔をした火村に病院に連行され、3日間、栄養失調で点滴を受ける事になったのだ。
 まさに過去最悪の事態に火村の機嫌は下がりっぱなしで『こうなる前に呼べ!!この馬鹿!!!!』と医者の前で怒鳴られた時はさすがに身の置き所がなかった。
 と、そんなこんなで有栖は火村の申し出を一も二もなくOKした。
 二人の都合を考え合わせて、火村の誕生日に件の和風レストランで食事を刷るべく予約を入れた。
 だが、その前々日、今度こそはと頑張って頑張って、本当に頑張って短編の原稿を上げた有栖の元にかかってきた電話は火村からのキャンセルの電話だった。
 急な学会が入った。それは仕方のない事である。
 けれど、でも、理性で納得出来ても、感情がついてゆけない時もある。
 結局拗ねた有栖は自分の不注意から熱を出し、あろう事か火村の誕生日に寝込むことになり、予定を繰り上げて戻ってきた火村は自分の誕生日に熱を出した恋人の面倒を見る事になったのである。


ーーーーーーー『仕切直しだ。お前の誕生日に予約を入れ直したからな』


 どうやってその店を調べたのか、火村は有栖が予約をキャンセルしたその店に、有栖の誕生日に予約を入れ直した。
 その日は忙しいと言って火村の誕生日に会う事になったにもかかわらず、だ。
 そうして熱を出している有栖に向かってこう宣言したのだ。


ーーーーーーー『これは貸しだからな、俺の誕生日にこうして働かせるんだ。この貸しはお前の誕生日にきっちりと返して貰うからな』

 多忙な助教授は熱を出した有栖の面倒を見るだけ見て、京都に帰っていった。
『じゃあな、アリス。7時に店で。遅れるなよ』

 
 ニヤリといつもの笑みを浮かべて出ていった男は、きっちりと仕事をこなして来たらしく、現在に至っているのである。


 料理は本当に美味しかった。
 静かな住宅街の中にひっそりとあるような、こじんまりとしたレストランなのだが、どことかという有名ホテルで腕を振るっていたというシェフが独立して始めたのだと紹介をしてくれた同業者が言っていた。
 季節の素材を使った和洋折衷。けれど品の良さを感じさせるコースに舌鼓を打ちながらよく冷えた日本酒を傾けて祝う誕生日。
 しかもーーー大きな声では言えないがーーー恋人と一緒というのはひどく幸せな事だと有栖は運ばれてきた梅のシャーベットを一匙掬って口に入れた。それを見て火村が小さく眉を顰める。
「何だよ、もうデザートを食ってるのか?」
「・・・・・・・・せやかて食事もしたし。よぉ冷えててうまいで、これ」
 言いながら有栖はもう一口、シャーベットを口に入れた。
「仕方ねぇな、このくらいにするか」
 そう言って火村は炊き込みご飯にようやく手を付け始めた。それを見て有栖はホッと息をつく。
 黙って飲ませろと言われたが、思いがけない程のピッチの早さに内心ドキドキしていたのだ。飲むと言う事を想定して二人とも電車で来ていた。タクシーを店先まで呼びつけて酔っぱらいを押し込むというのも避けたいし、何よりタクシーを降りた後、7階の有栖の部屋に酔っぱらった火村を運ぶのは至難の業だ。一応ここの支払いは有栖と言う事だが、今日は有栖の誕生日なのだ。よもやまさか、火村の誕生日に熱を出して看病をさせたお返しに
有栖の誕生日に酔っぱらいの世話をさせるというつもりではないだろう。
 シャーベットが終わる頃にタイミング良く出されたコーヒー。
 それにミルクを入れていると、ちょうど火村もシャーベットに舌鼓を打っていた。
「な、うまいやろ?」
「ああ」
「作れるか?」
「・・・・・・一流シェフと同レベルにされても困る」
「そらそうやけど、又食べたいやないか」
「来ればいいだろ?」
「・・・・シャーベットだけ食うのはかなり勇気がいる」
「馬鹿。食事もしろ」
「アホ。そんなにしょっちゅう来れるか」
 他愛もないやりとりの末、二人はレストランを出た。
「あーうまかった。ご馳走様でした。悪いな、お前の誕生日なのに」
「・・・・・・・・いいえ。どういたしまして。ったく・・思ってもいない事口にするな」
「・・心外だなぁ」
「アホ」
 言いながら街灯のポツポツと灯る道を二人は並んで歩いてゆく。
「どないする?」
「もう少し飲むか?」
「アホ。ちゃうわ。電車にするか、タクシーにするかや。飲むんやったらうちでにしてくれ。君を背負って7階まで上がる気はない」
 呆れたような有栖の台詞に火村はひょいと肩を竦めて「冷たいな」と嘯いた。
 夜空に浮かぶ少しだけオレンジがかったような細い月。
 それを見つめながらキャメルを取り出した火村は、次の瞬間ふと思いついたようにもう一度有栖を振り返った。
「そう言えば、俺は何も用意してなかったな」
「何を?」
「誕生日のプレゼント」
「は・・?」
「食事は看病代としても、何もないのは気が引ける」
「・・・・・・ああ・・・そう」
 やはり酔っている。この突飛さが酔っぱらいだと有栖は頭を抱えたくなった。こうなったら一刻も早くうちに帰って、ビールでも飲ませて寝かせてしまうに限る。
 当初の予定では会えないはずの日だったのだ。それをやりくりしてこうして来てくれただけでも嬉しい。勿論そんな事は死んでも口には出さないが。
「したら今度の修羅場明けにでも又来てくれればええよ」
 有栖の言葉に火村はクスリと笑った。
「また倒れるつもりかよ」
「・・あれはさすがにこりごりや」
 見えてきた大通り。
 あそこまで行けばタクシーも捕まるだろう。有栖とて素面な訳ではないのだ。ここはもうタクシーで帰ってしまおう。そう考えた途端、横からグイと手を引かれた。
「危ない!何すんね・・」
 バランスを崩した身体。同時に火村のしてやったりというような笑い顔が見えて、その次の瞬間には腕の中で掠めるような口づけをされていた。
「・・・・・・・・・・アホんだら!公道で何するんや」
「誰も見てねぇよ」
「そう言う事やなくて」
「じゃあ、どう言う事だ?」
 いけしゃあしゃあとそんな事を言う男を有栖は少しだけ赤い顔で睨みつけた。
 とにかくとにかくとにかく!!早く連れて帰ろう。
「プレゼント」
「・・・はぁ?」
「言っておくけど、返品不可だ」
 言うが早いか、火村は離れようとする有栖の身体を抱きしめていた。
「・・・・おい・・・」
「ちなみに今なら、明日の朝食付きでお得だ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 耳元を掠める甘い声。
「酔っぱらい」
「あれくらいで酔うかよ」
「どうだかな」
 抱きしめられた腕のぬくもりが嬉しいのは自分もきっと酔っているからだと有栖は思った。

 ハッピーバースデー。
 今日の日を感謝します。

「・・・・ついでにここからのタクシー代もつけてくれ」
「せこいぞ、推理小説家」
「やかましい」
 クスクスと漏れ落ちる笑い声。再び歩き出した二つの影を細い三日月だけが空から見ていた。

おしまい♪




ハッピーバースデーアリス!!!\(^_^)/

何となく助教授も幸せになってしまいましたが、まぁここは幸せのお裾分けと言う事で、皆様には砂でも吐いておいていただきましょう。
何としてもアリスの誕生日に新作をアップしたかった。どうやら実現できそうです。
やれやれ・・・ご感想がありましたら聞かせてね。