------- 愚者の楽園 ---------

「・・・ったく何をしてやがるんだ・・」
 苛々とした様子で英都大学社会学部助教授の火村英生はすでにてんこ盛りになっている灰皿に短くなったキャメルを押しつけると白い煙を吐き出した。
 待ち合わせの時間は遠に過ぎている。
 そう。大体この待ち合わせ時間を決めたのだって火村ではないのだ。
『15日は会えんかったから、26日に会おう』
 今年も花見が出来なかったらしい大阪在住の推理小説作家・有栖川有栖が電話を掛けてきたのは5日ばかり前の事だ。ちなみに4月の15日は火村の誕生日で、26は有栖の誕生日である。
 30も遠に過ぎた男二人が互いの誕生日に会う約束をするなどというのは世間一般的に考えればおかしい。
 というよりももしも自分が他人からそんな話を聞いたらかなり寒いと火村は思うのだ。
 それでも今はどちらかの誕生日に一緒にいる事が当たり前になった。
 火村は新年度が始まって間もない頃で、有栖は不定期に(あるいはやや自業自得的に)忙しかったりして、お互いかどうしても都合がつかない時もあったが、それでもその日は特別で電話をしてみたり、前倒しをしたり、反対にその日の代わりとして後日に会ったりして、その日を意識していた。
 元々【誕生日】などのイベントじみた事が好きなのは有栖だった。
 有栖は春は花見から始まって、七夕、花火大会に夏祭りに大文字焼き、お月見、紅葉狩り、クリスマスに初詣等々・・色々な事に火村を引っ張り回した。
 季節のそれらに互いの誕生日が加わり、そうしてその後バレンタインデーだのホワイトデーだのが加わったのはようするに自分たちの関係が変わったからだ。
 確かに世間一般的に見れば男二人で誕生日も何もないが、それが『恋人の』とつけばまた別である。
 ようするに、学生時代からの親友は、十数年間の付き合いの中で恋人なり、勿論その関係を他人に吹聴する趣味はないが、それでも自分たちの中ではそれはひどく自然なものだったから、火村にとって互いの誕生日はやはり特別なのだ。
 その特別な日。
 東京にカンヅメにされていると言いながらかかってきた電話で有栖は会おうと言ったのだ。
 15日に会えなかったから26日に会おう。
 火村とて忙しくないわけではないが、笑って「わかった」と答えた。そうして「ところで大丈夫なのか?」からかい混じりに尋ねてやった。
 『っていうか・・・そこまで引っ張ったらあかんねん』
 そう言って7時に。場所は有栖のマンション。ケーキを買う店から料理のリクエストまで言いたいだけ言って切れた電話に呆れて、でもこうしてここにきて、言われた通りの事をしている。
 けれど企画者はまだこない。
「・・・・・・・・・ったく」
 先程と同じ言葉を呟いて火村は新たなキャメルに手を伸ばした。
 付けた火に立ちのぼる紫煙。
 それをゆっくりと目で追って、火村はテーブルの上に放り出したままの携帯電話に手を伸ばした。
 先刻掛けた時、有栖はどうやら電源を入れ忘れているらしく繋がらなかった。多分カンヅメの時の状態そのままなのだろうと火村は思った。
 多分・・・・
 そう、多分今頃有栖は焦っているだろう。
 自分の誕生日に焦りまくっている。
 もしかしたら青くなって走っているのかもしれない。
『ケーキはこの前の、ほら、梅田のあの地下の・・・あの店じゃなきゃいやや』
 夕方の殺人的な込み具合の中でこのケーキを買わせたお礼はしっかりともらわなければと火村は思った。
『あとな、和食がええねん!タケノコの煮たのとか、天ぷらは胃に凭れそうやからいらんけど、あ、空豆とかって今頃が旬やろ?あとは・・・カツオって初ガツオ?ああ、でも煮付けも食べたいし・・・」
 ふざけるなと言いながら目の前にはメバルの煮付けがあり、冷蔵庫にはカツオの刺身が入っている。
『ほら、君の誕生日も兼ねてるから、材料費は俺が持つし。だから作ってくれ。そしたら頑張れる』
 そこまで切羽詰まらないうちに原稿をしろと言いたいのを堪えて火村はチラリと腕時計を見た。
「2時間の遅刻だな。ペナルティはどうするか・・・・」
 小さく呟いて、火村はトンと灰皿の上に長くなった灰を落とした。
 その瞬間−−−−−−−。
「ごめん!!!」
 バタンと開いたドアに重なる声。
 ガタガタという騒がしい音がして、リビングに通じるドアが開いた。
「火村!」
「遅い」
 約半月ぶりに会った恋人は少しだけ痩せて見えた。
 思っていた通りの引きつった顔は、けれど走ったせいか青くはなく、赤くなっていた。
「ばか」
「・・・ごめ・・」
「・・・・ったく」
「ごめん・・ほんまに・・・・」
「2時間だ」
「・・・・・・ごめ・」
 クシャリと歪む顔はどこか幼くさえ見えた。
「ケーキは冷蔵庫。煮付けは今温め直してやる。食うんだろ?」
 そう言って火村はキャメルを今にも吸い殻が崩れ落ちそうな灰皿に押しつけて立ち上がった。
「あ・うん」
「荷物くらい置けよ。バカ」
「うん・・・」
「アリス?」
「・・・・ごめんな。ほんまに・・・・その・・・・・誕生日おめでとう」
 言われた言葉に一瞬呆けて、火村は苦笑に近い笑みを浮かべる。
「ばか・・・それはおまえが言われる台詞だろう」
「でも、君の方が先やから」
「・・・・・・バカ」
「・・・・もう・・バカ、バカ言うな」
少しだけ唇を尖らせた有栖に火村はクスリと笑って近づくとそのままフワリと身体を抱き寄せた。
「ひ・火村!?」
「・・・・お帰り。誕生日おめでとう」
「・・・・・・・・・・・・うん」
 コトンと肩口に寄せられた頭。
 伝わるぬくもり。
 自分の誕生日に泣き出しそうな顔をして息を切らして走る人間はあまりいない。けれど何だかんだと言いながら、言われた通りのものを揃えて待っているというのも、それはそれでやはり相当なものだと思う。
「・・・・・お互い様か・・・」
「火村?」
「・・・・何でもない」
 ボソリとそう呟いて、そうして次の瞬間、腕の中から上げられたその顔に火村はそっと口づけを落とした。


いやーベタベタ・・・まぁ企画だから。
アリスのお誕生日おめでとう。でも何で火村の方が幸せになっちゃったんだろう?

ゴメン密室だわ。ブラウザで戻ってちょ