--- や・く・そ・く ---

「ああ?なんやて!」
『でかい声で怒鳴るなよ。耳が壊れる』
「壊れてもええからもう一度言え」
『……どういう理論だ。ったくクーラー病一歩手前の作家先生はどうやら耳がイカレ始めているらしいな』
「四の五の言わずに言い直せ!」
受話器に向かって怒鳴りつけているのは大阪在住の推理小説作家・有栖川有栖だった。
『うるせぇな。何度言っても内容は変わらねぇよ。お前さんの企てた“京の夏を味わう鱧料理の夕べ”ってヤツは延期だ』
「企てるとはなんや!」
『うるせぇな。有栖川先生が立案された計画を日延べしていただきたいんですよ。これでいいですか?』
それに嫌味なほど丁寧に答えるのは京都在住の社会学部助教授火村英生である。
 賢明な読者様は大体予想を付けられていると思うが
ようするに約束のキャンセルである。
「・・・・よけいムカつく」
『おい、いい加減にしろよ。俺だって好き好んで東京まで仕事になんか行きたくないんだ』
「・・・・どうせ、ホテルも足代も自分持ちやないんやろ。ついでに食事なんかもついていたりして」
『当たり前だ。そうでなきゃ誰が社会学セミナーなんて訳の判らん講習会に代理で出るんだ。しかもその臨時講師役のお陰でこっちはもう3日も徹夜に近い状態なんだぞ』
 憮然とした声と同時に小さく聞こえてきたライターの音。どうやらチェーンスモーカーである助教授が苛立ち紛れにキャメルに火を点けたらしい。
 その様子までもがありありと浮かんできて有栖は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ようするに・・・君は俺との約束よりも、ホテルと新幹線と食事の方を選んだんやな・・・」
『・・・・・今の言葉はちょっと神経を疑うぜ?』
「疑いたければ疑うたらええやろ!人がどれだけ・・」
『仕事だろ』
「ああ、そうやな。そうでした!!くだらん理由でグチグチ言うてすみませんでした!」
『俺は別に取り止めにするって言ってるんじゃないぜ?日延べをしてくれって言っただけだ。違うか?』
「夏休みだからいつでも大丈夫とか言ったヤツのいい加減さに呆れとるだけや。東京も暑いやろうから気ィつけて行ってらっしゃい」
『・・・なんだよ。そんなに鱧が食いたかったのか?』 
 何処かうんざりとしたような火村の言葉に。
「一遍死んだれ!このクソボケ!!!」
 思い切り怒鳴って。
 何かを叫んでいるような受話器を有栖は勢いよく叩きつけた。


「・・・・あほらし・・・」
 ぼんやりとそう呟いて有栖は座っていたソファにゴロリと転がった。
 テーブルの上には自棄になって開けたビールのアルミ缶が3本。ちなみに銘柄はスーパードライとエビスとバドワイザーという統一性の無さだ。
 そのせいなのか、それともまだ怒りが冷めていないのか、ただの寝不足からか、視界がクラリと揺れて思わず眉間に皺が寄る。
 『京の夏を味わう鱧料理の夕べ』等というベタなネーミングは火村が付けたものだった。自分はかかってきた電話にただ「鱧が食いたい」と言っただけだ。
 そう・・久しぶりにかかってきた火村からの電話。 実はその少し前は有栖の締め切りが有り、その更に前は火村が試験だのレポートだので忙しくまとも会う暇がなかった。電話でさえも約半月ぶりというそれで火村は有栖に言ったのだ。「生きていたか」と。そして「何か食いに行こうぜ」と。
 だからそう言った。
 こうして決まったその約束を、面と向かっては言えないけれど、有栖は楽しみに、とてもとても楽しみにしていたのだった。
 だから決まった日付に重なるようにあったエッセイの原稿も、短編も驚くほどのスピードで書き上げたというのに。勿論それは有栖がやるべき事であって早く終わるに超したことはないものなのだけれど、それにしたって・・・
「そんなに鱧が食いたかったのかはないやろ」
 それではまるで自分だけが、有栖だけがあの男に会いたかったようではないか。
「・・・会いたいなんて・・言えるかアホ」
一応自分たちは『恋人』という間柄なのだ。
 それなのに・・・・・。
 ポツリとそう呟いて有栖はソファの上で寝返りを打った。こうなったら火村の言う通りに食欲の権化と化して鱧でも何でも一人で食ってやる!!!
 そう思った瞬間ドアフォンが鳴った。それは一度で鳴りやまず立て続けに鳴り続けている。
「・・・誰やこんな時間に・・」
 ムッとしたまま起きあがって有栖は未だに鳴り続けるそれに玄関へと急いだ。そうして怒りのままにガチャリと勢いよくドアを開く。
「どこのどいつ・!・・・火村!?」
「よぉ、よくも途中で電話を切ってくれたな」 
 顔中に不機嫌を張り付けた男の言葉に、有栖は思わずその顔を見つめてしまった。そうしてふわりと笑みを浮かべて。
「来たから、許したる」
「ああ?」
「それと・・・これ、店の電話番号。延期の連絡は君が入れるんやで」
 僅かな沈黙。
 お互いにお互いの顔だけを瞳に映して。
 そうして・・・。
「・・わかったよ」
 降参のポーズをするように両手を上げる恋人に有栖はもう一度、今度はひどく幸せそうな微笑みを浮かべながら目の前の身体に抱きついた。 

     エンド


えーっと・・・甘くて軽い話です。気に入っていただけたら幸せ♪