誰ヨリモ君ヲ愛ス18

「あー、やっと帰ってきた。ただいまー」
 靴を放り投げる様に脱いで、リビングに飛び込んでの第一声。
 パフンとソファに転がった身体を見て、後から入ってきた火村が呆れた様に眉を寄せた。
「アリス、せめて上着を脱げ。上着を」
「んー・・」
「コーヒーでも飲むか?」
「!飲む!!」
 勢い良く顔だけ上げて返ってくる答えがいかにも有栖らしい。
 荷物をドサリと床に置いて火村は勝手知ったるキッチンに向かって歩き出した。
 その背中を有栖はゆっくりと目で追う。
「・・・・ほんまに帰ってきたんやなぁ」
「何だよ、いきなり」
「・・せやって、病院に警察は来るし、片桐さんは来るし、知らさんでええちゅうのに両親は来るし、真野さんまで来るし、その間縫う様に検査の連続やったし。病気や怪我を治す所があんなに落ち着かん所やなんて詐欺やで」
 そう。本当に大変だったのだ。
 結局手首の怪我だけではなく、有栖は肺炎一歩手前という状態で病院に担ぎ込まれた。そうしてそのまま様々な検査も含めて10日間も入院する事になったのだ。その10日間に連絡の全
くとれなくなった有栖を心配した片桐が、火村の元に電話をかけ続けて今回の事を知り、病院にかけつけてきた。それを皮切りにさすがに、知らせないわけにはいかないだろうと事の顛末をかいつまんで聞かせた有栖の両親がやってきて、更にボヤ騒ぎの途中で突然消えてしまった有栖を心配していた隣人も綺麗な花束を抱えて見舞いにやってきた。
 勿論その間には森下や船曳などが顔を出し、事件の調書を「申し訳ありませんが」と言いながら取って行き・・・。
「そりゃあ、性がないだろ。どっかの馬鹿が、関わるなっていう事件に首突っ込んで誘拐されたんだから。ここにマスコミがプラスされなかった事を船曳警部たちに感謝するんだな」
 その言葉に有栖はソファに転がったままもう一度ガバリと顔を上げた。
「馬鹿って言うなっていつも言うてるやろ!物覚えが悪いんわ年をとった証拠やで」
「ケッ・・!言われたくないならもう少し自分の行動を見直せよ。普通、煙がモクモクしている中を消防士でもない一介の小説家がノコノコ行くか?」
「人命救助っちゅう言葉を知らんのか!君は!」
「“君子危うきに近寄らず”なら知ってるぜ?」
 ニヤニヤと笑う顔。それに「言うてろ、アホんだら」と呟く様に言って有栖は再びソファに顔を埋めた。それを見て火村はコーヒーを淹れる作業を再開させる。
 穏やかな、沈黙。
 事件はパソコンを使った連続無差別殺人事件として報道されたと入院中に森下が教えてくれた。そうして10日あまりがたった今でも、師走の街をその余波が騒がせている。
 けれど、一昨年の事件との関わりや、火村をターゲットにした“復讐劇”であった事、更に有栖が誘拐され監禁されていた事は一切伏せられていた。
 そしてこれからもそれが世間に知られる事はないのだ。もっともそれは有栖たちにとってだけでなく、警察にとっても都合のいい事なのだが・・・。
「アリス」
「うん?」
「コーヒー」
「ああ、おおきに」
 差し出されたコーヒーを受け取るべく、有栖は寝転がっていたソファから起き上がり、そこに座り直した。
 それを待って、ソーサーごと渡すと火村も又ゆっくりとソファに腰を下ろす。
「・・ああ、今日は持ってくるのを忘れちまったが。婆ちゃんがお前に土産を買ってきた」
「土産?どこかに行ってたんか?・・アチッ!」
「落ち着いて飲めよ。娘夫婦の所だ」
「ふーん・・・」
 ヒリヒリとする舌に、フウフウと子供の様に息を吹きながら有栖はカップを口に運んだ。
 その様子を見つめて火村がキャメルを取り出す。
 それはありふれた・・・ひどくありふれた日常だった。
 そしてもう一つ、昨日知ったばかりの事があった。火村は言わなかったが、有栖の両親に火村が頭を下げた事を有栖は母親からこっそり聞いたのだ。病院を出る少し前にその事を言うと。
『お前の遺伝子の繋がりを見た気がするよ』
 火村は苦い笑みを浮かべながらそう言った。有栖はそれを聞きながら「どう言う意味や」ととりあえず突っ込みを入れて、その後で「これでもうフィールドに連れていかん言うたら絶交や」と小学生並みの釘をさしたのだった。
 本当に色々な事があった。
「・・ほんまに・・マスコミが騒いでたら、俺まだ家に帰って来れんかったかもしれんな・・」
 ポツリと漏らした有栖の言葉に、火村は一瞬だけ眉を寄せると「そうだな」と短く返して銜えた煙草に火をつけた。
 そうして次の瞬間、向けられた有栖の視線に気付いて再び眉を寄せる。
「・・・・どうした?」
 言葉と同時に逸らされた瞳。
「アリス?」
「何でもあれへん・・」
「・・・・・」
「ほんま、何でも無い」
「アリス」
「・・・ほんまに・・帰ってきたんやなぁって思うただけや」
「・・・・・・・・」
「帰って来れて良かったなぁって・・」
「当り前だ、馬鹿。帰って来なくてどうする」
「・・うん・・・・」
 コクリとうなづく有栖から火村はそっとカップとソーサーを取り上げた。そうして火をつけたばかりのキャメルを灰皿に押しつけるとそのまま目の前の身体を緩く緩く抱き寄せる。
「・・・・痩せたな・・」
「・・・そうでもないやろ」
「・・すまなかった」
「何で?・・何で火村が謝るんや?」
「・・・・・・・」
「なぁ・・どうして・・謝るんや?」
「・・・・・アリス」
 瞳に映った手首の包帯。傷は確かに塞がった。
 けれど、その傷は残ると医者は言った。
 有栖の手首に残るその傷の様に、今回の事は火村の胸の中にも大きな傷を残したのだ。
 それは有栖にも判った。
「・・・もうフィールドに連れて行かんとか言うたら殴り倒すからな」
 怒ったような有栖の言葉に火村は少しだけ笑って「絶交じゃなかったのか?」と嘯きながらも腕の力を強めた。それに有栖も又ゆっくりとその背中に腕を回した。
“大切なものが奪われたら、人間は奪った相手を憎み、そして自分を責めて、憎むんや。・・・・守ってやれなかったとね”
 何故か有栖の耳に男の声が聞こえた。
“人間は悲しいもんでね、失ってから気付く事が多い”
 そんな風に気付かなくて良かったと有栖はクシャリと顔を歪めた。その表情を見て、火村の顔が又曇る。
「アリス・・?」
「・・・君がわけもなく謝るからや」
「・・・・・・・」
「今回の事はさっき言った通り、俺が勝手に巻き込まれただけの事やろ?捕まったんわ俺の鈍くさかったからや。おかんたちにも、俺にも火村が謝る事ない」
「・・・アリス」
「せやから、絶対にそないな事言うな。俺を・・・遠ざけんといて。俺は・・」
「・・・・・・・」
「守られるとか・・・守るとか・・・そんなん関係ないもん。同じやろ?同じや、火村。君が思うのと同じ様に、俺も・・思うてる」
 あの闇の中で気付いた、どうしてもどうしても伝えたかったそれを有栖はようやく口にすることが出来た。
 緩く抱き合ったままの沈黙。
 やがて・・・・。
「・・・・知ってるよ」
「火村?」
「・・・ちゃんと判ってる。アリス」
 驚くか、笑うか−−−−−−−−−。
 有栖の予想は見事に外れた。
 囁く様にそう言って火村は腕の中の身体を掻き抱いた。
「火村・・!?」
「判ってる、アリス」
「・・・火村?」
「だからそんな顔をするな」
「・・・・!」
「そんな顔を見せるな」
「・・・・・」
「・・・笑ってろよ」
「・・・っ・・!」
 掠めるような口付け一つ。
「・・・・・火・・村?」
 そして再び緩く抱き寄せられた腕の中で、有栖は思わず、一体自分はどんな顔をしていたのだろう?と考えてしまった。
 火村にこんな事を言わせる程ひどい顔をしていたのだろうか?
 “笑っていろ”という台詞は、あの日−−火村に助けられた日−−にも聞いた台詞だ。
 自分が捕らわれている間に、この男は何を思い、何を考えていたのか。
 そして何故「笑っていろ」なのか・・・?
 けれど、有栖の素朴な疑問は、次の瞬間あっさりと答えが出される事になった。
「・・笑ってろ。お前の泣き顔は、苦手だ」
「−−−−−−−!」
 瞳に映った−−−おそらく有栖が初めて見る様な−−−苦虫を噛みつぶしたような恋人の顔。
「・・・・・・・」

 誰よりも−−−−−−・・・

「・・・・・おい・・」
 黙り込んでしまった有栖に、火村は珍しく居心地悪気に口を開いた。

 −−−−−−誰よりも君を愛す。

 フワリと浮かんだ微笑み。
「・・・そりゃ・・初耳や」
 そう言って笑った有栖の顔を、けれど、そうしろと言った本人が2度目の口付けで隠してしまう。 そして。
「・・・・アリス」
 囁かれた名前。
「・・・うん」
 短い応え。
 互いに互いの身体を抱き締めて。
「・・・・・っ・・」
 3度目の口付けは深いものに変わり・・・。
 その夜−−−−−−。
 いつの間にか駆け足で訪れていた冬が、いつもよりも少し早い初雪を大阪の街に降らせた。


はい、本当にお疲れさまでした。2段組で80ページもの話を書いたのは初めてのことで、その当時は死にそうになっていた記憶があります(;^^)ヘ..修羅場ももの凄くて後半は毎晩2時3時まで書き、翌日は仕事。そんな事を10日ほどしたんじゃないかな。生まれて初めて目覚まし時計を無意識で止めてしまい、仕事に1時間ほど遅刻しました。はははは・・・・
えっと、本の後記をそのまま載せますね。
『これは例によって、書きたい台詞だけがポツンポツンとありまして、もっとも当初からアリスには消えて貰おうと思っていたのですが。で・・書き始めようと思った所にプロットを書いてた紙を紛失したんですね。一挙にやる気消失。がしかし、そんな事も言っていられず、犯罪心理学の本を借りに図書館に行ったのはまだ9月の頃だったでしょうか?当初はかなり心理学の部分を動機に絡めて行こうと思っていて、その前振りで、火村の講義風景を書く予定でいたんですよ。が、しかし、犯罪心理学とか犯罪社会学とかその手の本って貸し出してくれないものが多くて、資料の中には入っているんだけど取り扱いできませんと言う表示ばかり。まさか講義風景を書くために高い本を購入するのも何か馬鹿馬鹿しくて貸し出し可能な3.4冊を・・・読みました。拾い読みだけど。で・・・あれです。一応、内容をピックアップしつつ、まとめちゃったりして、久々学生のような気分を味わいましたが(こんな事に約半月もかけちゃったのねぇ・・・・)私の専門分野とはかけ離れたものなので火村先生が変な理論ぶちかましていても笑って許してやってください。だって本だけだから読み取るって言ってもかなり難しいんですもの。友人曰く「読者の人は火村先生が講義をしているより誰かさんに個人授業していたたほうが喜ぶと思う」それは私も思ってるんだよ〜〜〜。まぁ・・そんなこんなで資料がうまく揃わず、私自身が動機を組み立てられる程読みとれなかったので、話の方向を変える事を決意。
そうこうしているうちに、10月がすぎ、さすがに「ちょっとそろそろヤバイんちゃう?」と青くなり(だってこの時点で火村先生はアリスの家で1か月云々とアリスをからかってましたの)そして11月。地図を購入。ええ・・事件現場探しと地名調べをしていたんです。京阪神の大まかな地図と大阪・神戸・京都、それぞれある程度詳しい町名まで載っている文庫型の地図。お陰で私の部屋は3都市の地図だらけ。それを、見比べて、見比べて、見比べて・・・・。トリックとしては(もとい、それとも呼べない代物・・)メチャメチャ幼稚ですがかかった時間と手間だけは膨大!!!その他「ああ、看護婦の知り合いがいたら!」と思うこともありましたが、今更看護婦の知り合いを作るわけにもまして医者に行って「すみません!血が止まらなくなる方法ありませんか?」と聞くわけにもいかず、「確か昔こんな話を読んだことがある」というあやふやなことをしてしまいました。でも現時点で出来る事はしたつもりなのでとりあえず満足です、私』
と・・本当に思い入れのある話なのでした。ちなみにこの後何人かの読者様からどうしてここで終わるのか!ラストが行間のようになっているのはどうしたんでしょう?と言う声があり、ははは・・・と乾いた笑いを零してしまった記憶も。うーん、これはこれでいいんじゃないかなと思ってはいるのですが。いかがなもんでございましょう?よろしければ感想など聞かせてやってくださいませ。

PS・・どうしても、どうしてもそれはないだろうと思うところがありまして、この最終話本当に一部ですが、加筆修正をしております。すみません。でもやっぱりいくらなんでも身内に何も知らせないということはないと思うのよ。なのでその辺りの事が付け加えられています。本をお持ちの方、ご了承下さい。

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