ホタル狩り----初めてのキス♪----

「ホタル!?」
 声を上げたのは我等がEMC−−−英都大学推理小説研究会−−−の紅一点、マリアこと有馬麻里亜だった。
「・・・試験期間だって言うのに相変わらず悠長ね、アリス」
 呆れた様な仕方がないと溜め息をつく様なその言葉に僕は思わずムッとした。
 その表情を見て経済学部コンビの片割れ、織田光次郎が口を開く。
「まぁ、まぁ、マリアもそんな身も蓋もない言い方せんと。で、アリス何でいきなりホタルなんや?」
 すっかり馴染みの喫茶店で、これ又定番のタラコスパゲティを食べながらの問いかけに僕はボソボソと口を開い
た。
「今日出掛けにテレビがついとって、そこで“哲学の道 にホタルが居るって言うてたんです。やから・・」
「ああ、初夏の風物詩とか言うて結構有名らしいな。なんやアリス見た事なかったんか?」
「モチさんは見た事あるんですか?」
「俺はそんな所に行かんでもホタルなら嫌っちゅう程見とるから」
 経済学部コンビのもう片方。望月の実家は和歌山の白浜に近い南部という所だ。確かにホタルは居るだろう。
「僕も夜店とかで売られているのは見た事あるんです。でも・・」
 あんな風に水辺を飛び交うホタルは見た事がなかった。勿論、麻里亜の言う通り、今が試験期間中である事は十分判っている。
 でも暗くなりがちの試験期間だからこそ、なのだ。もっとも高校の様にきちんと時間割りが決められていて集中して筆記試験があるというのならば僕だってこんな事は言い出さない。
 決められた期間は結構長く、レポートであったり筆記であったり後期にまとめてだったりするから少し息抜きをしたいなぁと思ったのであって・・。
「ホタルねぇ・・・確かに風流やけど今日はあかんわ。明日はノートの持ち込み禁止の筆記なんや」
 空になった皿に行儀悪くカランと音を立ててフォークとスプーンを置いて織田は苦しげな表情で頭を抱えた。
「試験期間が終わって、レポートも提出したら行けるんやけどなぁ」
 そうしたらすぐに長い長い夏休みに入ってしまうではないか。大体そんなに待っていたらホタルも居なくなってしまう・・気がする。
「私も明日は論文の試験があるから」
「えっ?」
 麻里亜の言葉に僕は思わず顔を上げた。それにクスリと落ちた笑い。
「安心して、アリスの取っていない選択科目だから」
「・・・・・」
 朝、テレビを見た瞬間に立てた計画はどうやら日の目を見ずに潰れそうだった。唯一何も言わなかった江神さんは、スパゲティを食べ終
わった後、黙々とキャビンをふかしている。
「・・まぁ、そんなに気を落とすんやないって。ホタルが見たいなら別のポイント捜したるから。そしたらビール片手に納涼ツアーと洒落こもう」
 望月の言葉に僕はコクリとうなづいた。
 それをきっかけに立ち上がって、店を出る。
「アリス」
「はい?」
 カランとベルを鳴らして店を出た途端、掛けられた声に僕はクルリと後ろを振り返った。
「この前、読みたい言うてた本。手に入ったけど持ってくか?」
 新しいキャビンを取り出しながら江神さんの言葉に少しだけ考えて僕は「はい」と答えた。ホタルは駄目だったけれど本が読めるならまぁいいかと思ったのだ。
 麻里亜たちと分かれてそのまま江神さんの下宿に寄るべく僕はゆっくりと歩き出した。
 梅雨の晴れ間の眩しすぎる白い光。
 もうすぐそれは夕焼けの茜色に染まり、やがてくっきりと月を浮かべる夜になるだろう。
(・・・・・・みんなノッてくると思うたんやけどな)
 そう、今日だって久しぶりに会えたのだ。だから顔を合わせられる日にあんな番組を見たのはまさしく天啓(大げさだけど)と思っていたのに。
「・・・そんなに行きたかったんか?」
「え?」
 突然聞こえてきた言葉に僕はいつの間にか俯いていた顔を慌てて上げた。
 視界に入った少し困った様な優しい微笑み。
「いえ・・あの・・」
「行くか?」
「えっ?」
「みんなで行きたかったんやろ?それは出来ひんかったけど俺と二人でもええ言うなら付き合うぞ」
「・・・・・・江神さん」
 “うん?”と尋ねる様に小さく首をかしげると長い髪が揺れた。
「アリス?」
 呼ばれた名前にトクンと鳴った鼓動。
「いいんですか?」
「何がや?長い試験期間、一日位息抜きをしたかてバチは当らんやろ?」
「!!」
 浮かんだ微笑みに次の瞬間、僕は思わずその身体に飛びついていた。その言葉はまさしく自分が思っていた事だった。それが何より嬉しくて僕は往来でここがある事をスッパリと忘れてしまう。
「お・おい!アリス!?」
「行く!行きましょう!!」
 言った途端、子供をあやす様な顔で江神さんはポンポンと僕の頭を叩いた。
 暑い、暑い京都の夏、一歩手前。こうして僕たちは二人でホタル狩りに行く事になった。

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「・・・・どこから人が湧いてくるんや・・」
 思わずうんざりとした様に呟いてしまった僕に江神さんが限りなく苦笑に近い笑みを浮かべた。
 勿論、身動きがとれない程混んでいる訳ではないが、それでも狭い道に人の姿が絶えないというのはやっぱりそれなりに疲れてしまうものなのだ。
「諦めて帰るか?」
 チラリとこちらを見て江神さんが言った。それに一瞬だけ考えて僕は口を開く。
「帰りません。こうなったら何が何でも見て帰ります!」
 一度は駄目になり掛けた計画にこうして付き合って貰って、それでいて諦めて帰るなんて情け無さ過ぎるじゃないか!
 勢い込んでそう言った僕に、江神さんはクスリと笑って「ほなもう少し先に行ってみよう」と歩き出した。
 サラサラと流れる水の音。
 月明かりに照らされた小径。
 大体、偏に“哲学の道”と言っても日は2キロ近くあるのだ。そのどの辺りがホタルのポイントなのか聞いていなかったのは完全に僕のミスである。
 歩いてゆくうちに僕の胸の中に申し訳ないという気持ちが込み上げてきた。
 いつまでも付き合わせていないでさっさと諦めた方がいいのではないかという先ほどとは真反対の考えが頭を寄切る。そう、僕はこうしているだけで実は結構嬉しかったりするけれど江神さんはどうなのだろう?
「・・・あの・・」
「アリス、見つかったらしいぞ」
 口を開き掛けた途端聞こえてきた声に慌てて指差された方に顔を向けると小さな人集りが見えた。
 どうやらホタルが居るらしい。
 そこに近づいて僕たちは他の人間同様首を伸ばす様にして覗き込んだ。けれど目当ての物は中々見つからない。
「見えたか?」
「・・・・見えません」
 これでは大道芸人に群がる群集と一緒だ。しかしも物が小さいだけに始末におえない。
「ここに居ったんや、もう少し先に行けば又居るかもしれへんぞ?」
 促す様に言いながら歩き出した身体。その後を追いかける様にして再び歩き出しながら僕は思わず溜め息を漏らしてしまった。
「何やアリス。疲れたんか?」
「・・いえ・・あの・・もうええです。帰りましょう」
「見たくないんか?」
「見たくない訳やないですけど、これ以上付き合うて貰うの悪いし」
 僕のその言葉に江神さんは少しだけ驚いた様な顔をして、次にフワリと優しい微笑みを浮かべた。
「俺はこういうのは別に嫌いやないぞ?もっともアリスがもう嫌やて言うなら帰るけど?」
「嫌やなんて・・」
 先ほどの人集りがいい堰止めになったのか、とりあえずホタルを見て満足した人間が多かったのか、小径を歩く人影はほとんど見えなくなっていた。
「ほんならもう少し頑張ってみるか?」
「・・・・はい」
 再び歩き出した足。僕がうなずくと江神さんは小さく笑いながらカサリとキャビンを取り出した。
 見上げれば夜空にくっきりと浮かぶ月。
 その途端−−−−−−−。
「あ・・・・」
「・・良かったな、アリス。ホタルや」
 フワリフワリと浮かぶ小さな光。それはそんなに多くはなかったけれど、ひどく幻想的な光景だった。
「江神さん、ほらそこにも・」
 嬉しくなってその場に近づいて僕はクルリと後ろを振り返った。瞬間、トクンと鳴った鼓動。
 淡く、フワリと浮かんで消える小さな光とそこに立つ江神さん。それはまるで・・・・
「・・・・・っ!」
 思わず慌てて駆け戻って僕はギュッとその腕を掴んだ。
 驚いた様に呼ばれた名前。それにそっと顔を上げて。
「どないしたんや?」
「・・・・江神さんが消えてしまう様な気がして・・」
 小さな小さな僕の声に一瞬遅れて笑い出しながら江神さんは「そないな事ある筈ないやろ?」と言った。
 そして・・・。
「−−−−−−−−−!」
 サラリと揺れた長い髪。触れて離れた温もりに目を閉じる事も出来ないまま僕は茫然として目の前の顔を見つめていた。
 −−−−−−−僅かな沈黙。
 それを破ったのは江神さんだった。
「ホタル狩りに付き合うた駄賃な」
「!!!!!」
 クスリと笑う飄々とした顔にカーッと熱くなる頬。
「あ・あのですねぇ!」
「大丈夫や、アリス。見てたんわホタルだけやから」
「・・・・・・・」
 そういう問題と違うと思うんですけど 。
 でも・・だけど・・・
「帰ろか?」
「・・・・・・・はい」
 何事もなかったかの様なその表情が少しだけ口惜しくて、けれど他に何を言う事も出来ずに、僕は一瞬だけ早く歩き出したその背中を追いかけて並ぶ。
 キャビンの香りの初めてのキス。
 そんな事があったのに、この隣に居たいと思う自分の気持ちに少しだけ呆れて、驚いて。
 僕は赤い顔のまま、隣を歩くその人のシャツの裾をそっとそっと握り締めた。

えんど


同じ設定で作家編も書きましたが、そちらは手を加えてキリリクの方にアップ致しました。
なんか江神さ〜〜〜〜ん!!!って感じ・・・・