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Gloria 10 .
記憶を無くしていた事がある。
勿論好きで無くしたわけではなく、自分自身でもよくは覚えていないのだが、取材旅行に行ってバスの事故に巻き込まれたらしい。
九州の方に出かけたのは覚えているが、バスに乗った事やそのバスが事故を起こした事は全く覚えていない。
うっすらと覚えているのは病院の風景と心配そうな両親の顔。そして、疲れたような恋人の顔だけだ。
もっともその時の彼とは恋人と呼べるような関係ではなかったのだが・・・。
ともあれ、記憶のなかった1ヶ月間の記憶。
自分であって自分ではなかった時間。
その間の自分は一体何を考えて、彼に抱かれていたのだ
ろうか ・・・
「えっとな・・・」
大阪、夕陽丘のマンションの一室でその部屋の主である推理小説家・有栖川有栖は非常に困っていた。
「・・・・・・」
「だからその・・ほんまに嫌とか言うんやないねん」
「・・・・・・」
「・・嫌やないけど・・・その・・えっと・・」
繰り返されるしどろもどろの言葉。
好きだと言った。
好きだと言われた。
罪があるならば共犯者になって一緒に背負うと、今は記憶の中に沈んでしまった意識の中で言った事は、今の自分の中にもきちんと残っている。
だが、しかし、けれども・・・・。
「・・・もっと飲むか?正体が判らなくなりたいっていうならそれでもいいぜ?」
「!!」
それにいい加減うんざりしたような声でそう言ったのは長年の友人であり、恋人・・という新たなポジションを獲得したばかりの英都大学社会学部助教授の火村英生だった。だがしかし、男前のその顔は頬の辺りが微かに赤くなっている。
誰が彼の顔にそんな事をしたのか。
「・・だから嫌なら」
「嫌やない・・!」
「・・・・アリス・・」
「ほんまに・・・嫌なわけやない・・」
何が何してどうなっているのか。
ようするにベッドの上、着ていたシャツのボタンも3つほど外されているそんな状況なのだ。
大きく開いた肩口から見えている鎖骨のライン。
日に焼けていないそこは容易く跡が残る事を火村はもう知っていた。だが・・。
「造幣局の通り抜けに行ったら。そう言ったよな、アリス」
「・・・・・・」
行ったら、何なのか。
つまりはそういう事である。
今更と言えば今更なのだが、火村といわゆるそういう関係になった事を有栖は正確に言えば知らない。
バスの事故に巻き込まれて記憶を失った1ヶ月間。その間の事は思い出したような、けれどその反面、未だに夢の中の出来事であるようなそんな曖昧さで有栖の中にとどまっている。
もっとも元の記憶を取り戻した当初は、その間の事は全く覚えていなかったのだ。
だが、朝起きるとひどく切なくて悲しくて、そしてこれは罰なのだとどういう事なのか判らないまま納得をしている自分がいる。そんな日が続き、先程火村が口にした『造幣局の通り抜け』がきっかけで有栖は記憶のなかった時の記憶を思い出した。
なぜそこに火村と行きたかったのか。
火村が好きだと言った事。
火村に好きだと・・・愛していると言われた事。
一緒に花見に行こうとこの男らしくない誘いを受けた事。
溢れ出すように思い出した。
だが・・・全てを思い出したわけではなかったのだ。
抱かれていたという事は何となく判るような気がしたが、それはあくまでもその間に存在していた『有栖川有栖』の記憶であって、おかしな言い方かもしれないが、今の有栖の記憶ではない。
もっとはっきりと言ってしまえば、自分が長年の友人であったこの男が自分をどんな風に抱き、自分がどんな風に抱かれていたのか、有栖はよく覚えていなかったのだ。
騙されたのだという意識はあった。思い出したいなら抱かれろと言われたような記憶・・というか、感覚のようなものは残っている。だが、それだけだ。
だから戸惑った。
全てを思い出したと思ったその日。
火村を好きだという気持ちは自分でも驚く程当たり前に有栖自身の中に下りてきたし、火村が記憶のない自分を騙すようにして抱いたという事に関しても、嫌だったとか、許せないとも感じなかった。
そして、改めて一緒に共犯者になろうと、お互いの身体を抱き締めて、誓いのような口付けを交わして、そのまま
押し倒されて・・・愕然としたのだ・・
『・・や・・!』
『アリス?』
それは有栖が知らない男の顔だった。
たった今、好きだと自分の口で言ったばかりなのに、当たり前のように慣れた仕草で自分を抱き込む火村に、有栖はまるで『はじめて』を怖がる少女のような気持ちになってしまったのだ。
『・・・・俺・・』
『・・・どうした?』
『覚えてない・・・』
『・・・え・・?』
『・・・嫌やないけど・・嫌や・・』
『ちょ・・ちょっと待てよ。どういう事だ?』
火村は困惑をしていたが、有栖もまた困惑をしていた。
つい先程、あの時の自分が良かったと言われてももう一緒になってしまったからなどと言ったくせに、いざそんな雰囲気になった途端、抱かれる事の記憶・・つまり火村とのセックスの記憶があまりにも曖昧で、馬鹿にされてしまうかもしれないが、恐ろしいような、自分の意識の中では初めてなのに、それをその間の自分と同一直線上とされてしまう事への憤り・・うまくは言えないがそんな思いが有栖の中に溢れてきたのだ。
『アリス?』
『・・・思い出したと思ったけど・・俺・・』
『・・・・・』
黙ったままの火村の表情は硬かった。
その顔を見つめて有栖は再び口を開く。
『好きだと思う。それはほんまや』
『アリス・・』
『君が・・好きや。それはほんまに俺の気持ちやねん。けど・・』
“抱かれる”という行為にまで思考がうまく結びついていかない。
記憶を失っていた時の自分はどんな気持ちでこの男に抱かれたのだろう。
どうしてそれ程までに、何を思い出したかったのか。
自分の記憶を取り戻したいという思いはそれほどまでに強い思いだったのだろうか。勿論それを受け入れたのは相手が火村だったからに違いないと思うのだけれど。
『・・・俺は・・』
『判った』
『火村!?』
短くそう言って身体を起こした火村に、有栖は思わず引き攣ったような声を上げてしまった。
それに小さく笑って火村は有栖の身体を引き起こす。
『馬鹿、何て顔をしているんだ』
『・・・・だって』
お互いに好きだと思う気持ちがあって、お互いにそう告げた後にそういった行為があるのはある意味自然な事だと有栖は思う。更にその行為が実際には“初めて”ではないのに、火村にとってはわけの判らない感情で拒否されたわけで・・。
『抱きたくないって言ったら嘘になるけど、はじめが思い出したいならなんて騙して、その後が嫌がっているのに無理矢理強姦するみたいじゃ洒落にならないだろう?』
『・・・・・・』
強姦だなんて別にそんな風に思っているつもりはなかった。ただ自分の知らない自分と、そして初めて見るような火村に怖くなっただけで・・・。
『・・・ほんまに嫌なわけやないねん・・』
俯いてしまった有栖の言葉に火村は小さく笑ってキャメルの箱を取り出した。
『二度と触れられないと思っていたんだ。その気になるまで待つさ』
『・・・・・・・』
点けられた火。
吐き出された白い煙。
『・・・週末・・』
『・・?』
『うちにきて・・花見の打ち合わせをしよう?』
小さな有栖の声に火村はそっと顔を向け、口にしていたキャメルを引き寄せた灰皿の上でトンと揺らした。
パラリと落ちた短い灰。
『・・・・・いいのか?』
『うん・・・』
意味はきちんと伝わったらしい。
そう、それまでに自分の気持ちをもう少し整理しよう。きっと今、こんな風に考えてしまったのは欠けていた記憶を思い出し始めたばかりだからだ。もう少し落ちついたらきっと・・。
そんな風に思っていた有栖の計画は見事に失敗した。
週末を迎えても有栖の気持ちは収拾がつかないままで、本当に自分でも馬鹿かと思ってしまうほど、今度はそれを意識し過ぎてしまったのである。
そして・・その日、有栖は造幣局の通り抜けに行ったらその後で・・と泣き出しそうな顔で二度目の約束を取りつ
けて・・・・現在に至っているのである・・。
「とにかく・・・これじゃあ本気で強姦だ」
「・・・・」
確かにそうである。
よりによって抱き締めてきた火村の腕を有栖は思いきり振り払って、あまつさえその頬を叩いてしまう結果になってしまったのだ。嫌なわけではないと言い訳めいた事を並べ立てても説得力などある筈がない。
「無理矢理しなくちゃいけないわけじゃないしな」
「・・・・」
「飲み直そうぜ?正体をなくしても襲ったりしないから安心しろよ」
そう言ってベッドを下りてしまった火村に有栖は本気で泣き出したいような気持ちになった。
そう・・火村と抱き合う事が本当に嫌なわけではないのだ。ただ、時間があれば収拾がつくと思っていた思いは反対に時間があればあるだけ更に色々な事を考えてしまう結果になってしまったのである。
本当にどうしてそんな風に考えてしまうのか自分自身でも判らないのだが、記憶のなかった間の自分と、今の自分をなぜか切り離して考えてしまうのだ。
そしてもしも・・と比べてしまう。
もしも・・・そちらの方が良かったと思われたら・・。
そんな事を火村が思う筈がないと判ってはいるけれどなぜか比較をしたがる自分がいる。
そうして更に思うのだ。今までそんな素振りを見せなかったのに、どうして火村は記憶のなかった自分を抱いたのか。なぜ記憶を取り戻したいなら抱かれろなどという事を言ったのか。
もっとはっきりとその時の事が思い出せれば火村の気持ちが判るかもしれないが、断片的で、あやふやで、今のままでは好きだと思う自分自身の気持ちまでもが判らなくなってしまう。
今日だってそうだ。約束していた造幣局の通り抜け。有栖自身も楽しみにしていた筈だったのに、綺麗に咲く桜の花も、驚く程の人ごみも、なんだか全てが遠くて、他人事のようだった。
「・・アリス?」
ベッドから動かない有栖を振り返って火村は小さな溜め息をつくとゆっくりと踵を返して、ベッドの端に腰を下ろした。
「アリス」
「・・・・」
途端にピクリとする身体。それを見ない振りをして火村は言葉を繋ぐ。
「聞いていいか?」
「・・・・・」
「何を考えている?」
「・・・・・」
そんな事を言われても有栖に今の気持ちが言える筈もなかった。だが、答えが返ってこない事など判っていたかのように火村はそのまま言葉を続けた。
「俺はお前が何度も言っているように、俺との事を嫌じゃないと思っているのは判っているつもりだ」
「・・・・」
「でも、お前がその時の・・・俺とセックスをしていた時の記憶がなくて、急にこんな風になったようで、不安だったり、割り切れないような気持ちを抱えているのも判ると思う」
「・・・・」
それはどこか言い聞かせるようなそんな響きを持った言葉だった。その言葉にどう答えていいのか判らないまま黙っていた有栖に火村は再びゆっくりと口を開いた。
「・・俺に抱かれるのは怖いか?」
「!」
「抱きたくないわけじゃない。だけど無理矢理抱きたいわけじゃない」
その途端、有栖の顔がクシャリと歪んだ。
「アリス?」
「・・あいつの方がええんか?」
「・・・え?」
聞こえてきた小さな声は、聞き覚えのあるような言葉だった。一体何を言われているのか。訝しげな顔をする火村に有栖は顔を歪めたまま再び口を開いた。
「ごちゃごちゃごねるような俺よりも・・記憶のなかった時の俺の方が」
「!!」
瞬間甦る、あの時の有栖の言葉。
『君も記憶のある俺の方が大事なんや!』
泣き出しそうに歪められた顔と震えていたような声。
『ほんまはその手も、その声もみんなみんな“俺”のもんやあれへんねん。それが辛いんや。・・アホや・・俺・・』
記憶を失っていた時の有栖もそんな事を言っていた。
(こいつは・・・本当に・・)
思わず漏れてしまった溜め息に有栖がどこか悔しそうに顔を上げた。それに何をどう言っていいのか考える間もなく有栖が再び声を出す。
「確かに抱かれるって事にある意味の抵抗感はある。あるけど・・でも・・そうやなくて、自分でもアホみたいやって思うけど、考え出したら止まらなくなる。好きだって気持ちは本当なのに、それすらが判らん様にさえなる。記憶のなかった俺はどうして君に抱かれたんやろう。どうして君は俺には抱かせろって言わなかったんやろう。抱かれてあっちの方がいいとか言われたらどないしよう」
「馬鹿か」
「!馬鹿言うな!アホゥ!・・ほんまに考えれば考える程不安になる。俺は抱かれたらどうなるんやろう・・」
小さくなる有栖の言葉に火村はもう一度、今度は胸の中で深い深い溜め息を落とした。
本当にどうしてこんな風に思えるのか。あの時の有栖の言葉も驚いたが、まさか今の有栖にもこんな事を言われるとは思わなかった。
「・・・お前はお前だろう?」
あの時に言えなかった言葉を口にして火村は有栖を見つめた。そして・・。
「どうしてお前たちはお互いにお互いの事を気にするのかな」
「・・たちって・・え・・?」
「覚えていないのか?記憶のなかったお前も、記憶のあるお前の事をひどく気にしていた」
「・・・・・」
「明日起きたら“自分”が消えてしまって元通りのお前が居て、みんなが良かったって言う。誰も“自分”が居た事など覚えていない。そんな事も言っていたな」
「・・・・・」
それは初めて聞く“自分”の姿だった。記憶の中のもう一人の自分。
「お前を俺に返さない。そんな事も言われたな」
「・・返さないって・・・」
一体どういう事なのか。訝しげな表情を浮かべる有栖に火村はフワリと笑って言葉を繋げた。
「でもな、アリス。記憶があっても、なくても、俺にとって“有栖川有栖”は一人しかいない」
「・・・・・」
「お前はお前だ。そうだろう?アリス」
それはまるで熱烈な告白のような言葉だった。次の瞬間思わず顔を赤くして俯いてしまった有栖に火村は今度はクスリと声を立てて笑った。
「そこで照れるなよ」
「・・うるさい!君が・・君がアホみたいな事言うからや」
「アホはひどいなアリス。これでも真面目に口説いているんだぜ?」
「くど・・」
「お前が自分自身に嫉妬していたんなら、俺はもう待つ必要はないだろう?」
「・・嫉妬って・・」
「違うのか?」
「・・・・・」
「好きだ」
「!」
「あの時のお前を否定するわけでも、求めているわけでもない。ただ・・・」
「・・・・・」
「ただ、あんな風にはじめてしまった関係をやり直す事が出来るならと思っているのはお前だけじゃない」
一度言葉を途切れさせ、一気にそう言うと火村は黙って真っ直ぐに有栖を見つめた。
訪れた沈黙。
ドクンドクンと身体の中で鼓動が大きく、早くなっていくのが判る。
『お前はお前だろう?』
今度こそその言葉はストンと有栖の中に落ちてきた。
そう、火村を好きだと、そして、自分を騙したと思っていた彼の共犯者になろうと思ったのは記憶があろうがなかろうが、確かに自分だった。
「!!アリス!?」
その瞬間、有栖は目の前の身体に抱きついていた。
頭の上から聞こえる驚いたような声。それがおかしくて、なぜか嬉しくて、抱きついたまま有栖はそっと顔を上げて口を開く。
「・・なぁ・・俺も聞いてもいいか?」
「・・・何だ?」
「いつから俺の事好きやったんや?」
「!!」
「いつから好きだと思ってた?」
「・・・・・」
それは何の脈絡もないような、けれど今の有栖にとってはとても大切な事だった。
「・・さぁな。気付いた時にはもう気になっていたからな」
「・・・・・」
「触れるつもりはなかったが、触れたい思っていたさ。多分・・ずっとな・・」
「・・・そっか・・」
記憶がなくなる。そんな事がなければ本当に自分は火村の思いに気がつかずにいたかもしれない。そして火村もまた、その一歩を踏み出さなかったのかもしれない。
ようやくここに来て有栖は自分の気持ちがハッキリとしたような気がした。
記憶のなかった時の自分と本当に一緒になれたそんな気もした。
勿論全ての記憶が戻ったわけではない。悔しいが火村とその時の自分しか知らない記憶もある筈で、きっと自分を火村に返さないと言った彼もそんな気持ちだったのかもしれない。そして、それを嫉妬と呼ぶなら確かにそうなのかもしれない。
けれど、火村を好きだと思う気持ちは、もう間違いようもなく本当の事だから。
「しようか」
「!」
「俺もあの時の自分を否定しないし、今の自分と比較しない。けど・・もう一度・・」
始めからやり直そう・・・
そんな言葉を呟くように口にしてそっと目を閉じるとゆっくりと重なってくる唇。
「・・・アリス」
「・・・・・うん・・好きや・・」
そうして二人はお互いの背中に手を回した。
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小さなノックの音に続いて開かれたドアの音。
「アリス。朝食・・って言っても昼だが準備が出来たぞ。大丈夫か?」
次いで聞こえてきたバリトン。
どんな事があっても必ず夜は明け、朝は来る。
“ブランチ”と言えば聞こえがいいが、昼過ぎまで起きれなかった・・というのが真実である。その原因を作った男はいつもとあまり変わらないような表情でドアのところに立ったままこちらを見ていた。
「・・・・・大丈夫に見えるなら君の目は立派な節穴や」
比較はしないと思ってもついつい記憶のなかった時の自分はよくこんな事に耐えられたなと有栖はベッドの中でしみじみと思ってしまった。
『・・や・・!・火村・・そんな事したら・・あか・・あ・・っ!』
思い出すだけで顔から火が噴き出そうな記憶の数々。
(・・・ううう・・・ほんまに信じられへん・・)
何となく・・知識はあっても、実際にするのでは雲泥の差がある。しかもその知識だけならともかく、どうにも余分な事というか、その時の記憶がないと思っていた割に感覚的に覚えているようなところもあって・・・。
(・・やっぱり初めてで・・3度はせぇへんよな・・普通)
やりたい盛りの高校生でもあるまいし・・。
そんな事を考えながら有栖は赤い顔ではぁ・・と息を漏らした。その途端。
「アリス?」
「!!」
いつの間に来たのか、ベッドのすぐ脇で聞こえた声に有栖は思わず身体を震わせてしまった。途端に腰の辺りから背中にかけて走る鈍い痛み。
「・・・っつぅ・・」
「急に動くなよ。ちょっとばっかり無茶をしたからな」
「・・・・・・」
あれのどこがちょっとばかりだったのか。ニヤリと笑う顔を有栖はジワリと涙の滲んだ瞳で睨みつけた。
「何がちょっとばっかりや、無茶苦茶やアホ」
「おいおい、俺のせいだけじゃないだろう?最後の方は結構・」
「!!!やかましい!!たたたた・・・・」
再び襲ってくる痛みに有栖は今度こそ枕に顔を埋めてしまった。自分の痴態を他人から聞く事程恥ずかしいものはない。
訪れた沈黙。
けれどそれは重いものでも不快なものでもなかった。
抱かれる事で何かが変わるかもれない気持ちもあったけれど、火村が好きだと思う気持ちと同じ位、それは自然に有栖の中に満ちていた。もっともそれを言葉で表せと言われたらうまくは言えないのだが。
「・・・・なんか君には記憶がなかった時も無茶されてた気がする」
悔しさ半分、恥かしさ半分でそう口にすると火村はクスリと笑って「心外だな」と返してきた。そして。
「優しく面倒をみてやったぜ?迷子になったお前を探しに行ってやったり」
「迷子ぉ!?」
それも初めて聞く話だった。思い出したと思っていても本当に知らない事が結構ある。
だが・・・・。
「でもその後外に出るのを目一杯阻止したやろ!」
「!・アリス?」
「・あ・・あれ・・!?」
そう、この話は今聞いたばかりの話だったのだ。それなのにどうして自分がその後の火村の行動を知っているのか。
新たな沈黙。
やがて有栖はポツリと口を開いた。
「・・・ほんまに俺、ちゃんと一人になっとるんやな。自然に出てきた」
「・・そうか」
「うん・・」
カーテンの隙間から差し込んでくる光の筋。
きっと窓の外には青い空が広がっているのだろう。そうしてしばらくすれば青葉の季節がやって来る。十数年前にこの男と出会った季節が巡ってくる。
「なぁ・・」
「ああ?」
短い呼びかけに返ってくる短い答えがなぜかひどく嬉しくなる。
「起きる」
「・・・起きろよ」
「起こして」
「ふざけるな」
「身体が痛いんや」
「日頃の運動不足のせいだろう?」
「!!誰が・・いたたた・・」
その途端襲ってきた3度目の痛み。それを見て火村の口から小さな溜め息が落ちた。
「・・・ったく・・仕方がないな。大人しくしてろよ」
ゆっくりと抱き起こされ、ついでフワリと身体が浮き上がった。
「火村!?」
「出血大サービス」
どうやら浮かれているのは何も自分だけではないらしい。
ニヤリと笑う顔に。
一瞬遅れてクスリと笑って・・・。
“ずっとこいつの隣にいよう。俺たちも共犯者やからな”
胸の中のもう一人の自分にそう呟いて、有栖は「好きや」と囁くように口にすると少しだけ甘えたようにその首に緩く腕を絡めた。
fin
はいお疲れ様でした。後日談、一挙にアップでございます。
後日話を書くまでに数年の間が開いている為、前の話と違和感があったりしたらとも思ったのですが、結構皆さんが楽しんでいただけた感想をいただきました。
人の記憶というものはその人を作っている大きな要素です。
でも記憶があってもなくても同じ人を愛したいと思う気持ちがあってほしいと思うのでした。
そんなまさしく同人女的な発想ですが、気に入っていただけると嬉しいです。
長い話にお付き合いくださいまして、改めてありがとうございました。