火村先生と私  −お騒がせな同居人編− 

『アリスか、俺だ。どうだ生きてるか?』
 相変わらずの口調で受話機の向こうから聞こえてきた声に私はガックリと肩を落とした。
「・・何や君か・・」
 編集者からの電話だと思ったのだ。それを察したかの様に大学時代からの長い付き合いになる友人はクッと喉の奥で笑いを漏らす。
「何だとはご挨拶だな。又締め切りに追われているのか?忙しくて結構なこった」
 にやりと笑うその顔が見えそうで私は思わずグッと言葉を詰まらせた。
 ここでいきなり自己紹介をさせて貰う。私は有栖川有栖。推理小説作家。先記した名前はペンネームでも何でもなく、正真正銘の本名であり、性別は男である。電話の相手は火村英夫。私の母校−−勿論彼にとってもそうなのだが−−英都大学の社会学部きっての若き助教授である。私はこの犯罪学者に『臨床犯罪学者』の肩書きを与えている。因みにそれは私の造語だ。話が逸れ過ぎてしまった。
「悪かったな、それで用は何なんや?」
「何なんやじゃないだろう。さては忘れていやがるな?」
「えっ・・?」
 彼の言葉に一瞬頭の中が疑問符で埋まる。小さく聞こえた舌打ち。
「お前が言ったんだよな。面白い催しものがあるから行こうって。確か今日が最終日じゃなかったか?」
「・・・あ・・・」
 そうだ。確かにそう言った。普段は滅多に行かないデパートで“ミステリー100年史”等というものが開催され、すでに絶版になっている名作本もかなり展示されるというので火村を誘っていたのだ。
「その分じゃ絶望的の様だな。まったく、学習能力のない生産性の低い作家は本当に大変だな」
「・・・・すまん」
 まさに返す言葉もないといった私に火村は少しだけ口調を変える。
「まぁ、いいさ。それで有栖川先生はちょっとはメドが立ってるのか?」
「いや・・それがあかんて言うか・・もうどうにも。それに原稿の事だけやなくて実は・あっ・・落ちる!」
「アリス?」
 いきなりの上げてしまった声に電話の向こうで火村が驚いたような声を返す。
「・・・・すまん。実は成り行きっちゅうか出来心言うか、拾いもんしてな。3日前から同居してんねん」
「同居!?」
「それが又、我壗やし、気紛れやし・・今みたいに皿は落とすわ、ワープロ打ってると邪魔するわ、仮眠とってりゃ上に乗ってくるわで・・こらっ!!こそばゆいから足に触るんやない!」
「・・・おい・・」
「!だから、それはするんやないって!あーもう・・電話してるんが気にいらんらしいねん。すまんな火村。この埋め合わせは必ずさして貰う。じゃあな!」
 久しぶりにかかってきた友人の電話を私は大慌てで切った。その途端、気が変わったというか、気が済んだとでも言う様にクルリと背を向けてスタスタと離れて行く勝手な後ろ姿が憎らしくてついつい声を上げてしまう。
「そういう態度でおるとな、今に泣きを見んねんで!」
 けれど言われたそいつはチラリと振り返っただけでぷいと視線を逸らしてしまう。まるで“何、アホな事言うとるんや”という様に見えてしまうのはすでに妄想の域に入ってきている証拠だろうか?
「あかん・・・そう考える事自体がアホなんや。・・・・・仕事しよ」
 せっかくかかってきた電話だというのになんだか謝ってばかりだった。
「・・・やっぱり慣れへん事はするもんやないな。」
 そう。本当に慣れない事はするものではない催しものは忘れるし、原稿はさっぱり進まないし−−−いつもの事だと言われればそれまでなのだが−−−・・・。
「・・・・っ・」
 ガラにもない溜め息をついて私は仕事に戻るべく書斎のドアに手をかけた。

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 しばらく集中してワープロに向かう事が出来たので頭の中でグチャグチャに絡んでいたアイディアがどうにかまとまったを形を取り始めていた。このままの調子で行ってくれれば何とかギリギリで間に合いそうである。
 ふぅと一つ息をつき、ウンと大きく伸びをして、そのままチラリと時計に目を走らせる。
 火村の電話から4時間近くがたっている。我ながらよく向かっていたものだ。
 途端にひどくコーヒーが飲みたくなって書斎から出ると、それに気づいて眠っていた居候が目を覚まして近づいてきた。先ほどとはえらい違いだ。
「あっ・・そうか。飯がまだやったな。すまんすまん」
 言いながらそのままキッチンに向かう。けれど目当てのそれはほぼ空の状態で私は思わず舌打ちをしてしまった。
「コンビニに行かなならんか。・・まぁ、ええか」
 ついでに自分の夕食の弁当も買ってこよう。
「えーっと・・サイフ、サイフ・・っと」
 そうと決まれば、サイドボードの上に置きっぱなしになっていたそれを手にしてパタパタと玄関に向かう。見送りよろしくついてくる “彼”を振り返って「いい子にして待っとるんやで」と声をかけ、靴を履きかけたその途端、インターフォンが鳴った。
「・・・誰やろ?」
 原稿は明日の朝イチで送る様になっているし、新聞の集金は先週終わったばかりだ。又隣人がカナリアを預けに来たのだろうか?
 小首をかしげながらチェーンをかけたまま私は小さくドアを開いた。
「はい・・どなた・」
「よぉ、先生。原稿は進んでいるか?」
 聞こえてきたよく通るバリトンとチラリと見えた、ニヤリと笑う少し不機嫌そうな顔。
「火村ぁ!?」
 慌ててガチャガチャとチェーンを外すとバンとドアを大きく開ける。
「どないしたんや、一体。何で・・」
「陣中見舞いに来てやったんだろう?誰かさんが約束をすっぽかした上、電話もつれなく切るからよ」
つれなくって・・・まぁ・・そうやけど。
「・・すまん・・」
 思わず又、謝ってしまった私にニヤニヤとしていた友人はふと履きかけの靴と片手に持った財布を見て口を開いた。
「何だどこか出かけるつもりだったのか?」
「え?・・・ああ。夕飯を買いに。悪いな、上がって好きにしててくれ」
すぐに帰ってくるからという言葉を続けようとした途端目の前にデパートの袋がぶらさげられた。
「・・え?」
「陣中見舞いだって言っただろう?手ぶらじゃこねぇよ。ちなみにミステリーなんたらっていうヤツのパンフレットも入ってるから原稿が終わったらゆっくり見るんだな」
 バサリとそのまま渡された袋を受け取って私は半ば茫然と口を開いた。
「・・・見てきたんか?」
「いや、そいつを買っただけだ。お陰でチケット売りのお嬢ちゃんに怪訝そうな顔をされちまった。それでいいだろ?早く上がれよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「どういたしまして」
 持つべきものは友人だ。助かった、という思いと、湧き上がってくる感謝の気持ちに履きかけていた靴を脱いで火村に場所をあけながら次の瞬間、私はハタと思い留まった。駄目なのだ。
「アリス?」
「すまん、やっぱり先上がっててくれ」
「おい・・食事はちゃんと3人分買ってきたぜ?新しい同居人の分も」
 “いるんだろう?”と言う視線にコクンとうなづいて再び靴を履く。
「ああ、今さっき起きたから、リビングで暴れとるはずや」
「・・暴れてる?」
「それにせっかくやけどそれは食べられへんと思う」
「寿司を食えねぇって・・アリス、お前誰と同居してるんだ?」
 顔中に“不愉快で不可解”と書かれているような犯罪学者を見るのは初めてだった。それが不思議で思わず茫然とその顔を見つめてしまう。
「・・誰って・・・」
 その言い方自体が違う気がすると言葉を繋ぐ前にリビングから出てきた話題の主を私は元気良く指さした。
「あれや」
「−−−−−−−−−!!」
 言葉を失った犯罪学者を見たのもこれが初めてだった−−−−・・。

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「普通猫のことを同居人とは言わねぇよな」
「だから、俺は別に同居人とは言ってへんやろ?同居してるって言っただけや」
「・・あーいうのを言い訳してるっていうんだぜ?」
「おい!猫と話をするんやない!」
 結局、火村の持ってきた3人前の寿司折り2人でぱくつき、子猫には僅かに残っているキャットフードと食べられそうな物を少しだけ与える事にした。子猫は小腹が空くそうなので、後で又キャットフードを与えればいい。
 ちなみにそれは火村がコンビニに買いに行ってくれる、という事になっている。
「で、名前は?」
 尋ねられて私は思わず鼻白んだ。その後の言葉が用意に想像できるからだ。
「・・・・チビ」
「作家の先生は名前のセンスがないな」
 うるさい。
 やたらと上機嫌な助教授は、どこから引っ張り出したのか耳かきの綿毛のような部分で子猫をからかい始めている。
 その目の前にトンとコーヒーを置くと「ん」という短い返事が返ってきた。たとえ食ったものが寿司だろうと何だろうとやっぱり何となく飲みたくなってしまうのだ。
「・・やっぱり猫好きの人間は猫の方も判るんかな?」
「ああ?」
「嬉しそうやから」
「・・・・そりゃあ、有栖川先生が仕事が忙しくて遊んでやらないからだろう?飼育ゲームだって構ってやらないとグレたり死んだりするんだぜ?」
 そう言ってヒョイと小さな身体を抱き上げると今度は喉の辺りを指で撫でる。
「大体何だって拾ったんだ?」
「いや・・それが・・・道を歩ってたら蓋のされた小さい箱が落ちてて。中から鳴き声が聞こえるんで開けたらぐったりしたこいつがおったんや。目が合ったらもうおしまいで」
「俺に飼える位だから自分にも飼えると思った」
「そういうわけやないけど・・・」
 本当はちよっとだけそう思った。もっともこのチビすけを見捨ててゆける根性もなかったのだけれど・・・。
 言葉に詰まった私に「まぁそういうのもお前らしいけどな」とボソボソとそう言って火村はそっとキャメルの箱に手を伸ばす。チビすけはいつの間にか彼の膝の上で眠ってしまったらしい。
「でもな、アリス。飼えないなら拾ったらいけない」
 静かな、けれどきっぱりとした言葉だった。
「・・それは、判る」
 この3日間で改めて、しっかりと判った。
 拾ってやったなど、その場の自己満足でしかない。それはどんな命に対しても、とても失礼な事だ。
「判ってるならいいさ」
 カチリと小さくライターが鳴り、くわえた煙草に火が点る。ふぅと吐き出された白い煙。
「・・・ところで締め切りの方はどうなってるんだ?」
 差し出した灰皿を受け取りながら火村はいきなり話題を変えてきた。
「・・ああ?お陰で目安はついてきた。今夜一晩頑張れば朝イチで送って終わりや。ほんまにすまなかったな」
「別に気にしちゃいねぇよ。付き合いが長いとこういう事も多々あるからな」
 本当にこいつは一言多い。
「もっともお礼はきっちり貰うがな」
 えっ・・?言うが早いか掠める様に口づけられて思わずパクパクと口を開けてしまう。
「安心しろよ、締め切りがあるからな、今はこれ以上はしねぇよ。お前の原稿が終わるまでこいつの世話もしてやるし、明日は朝飯も作ってやろう」
 再びキャメルを口にくわえながら「優しいだろう?」と笑う犯罪学者に何か言いたくて。
 でも何も言えなくて。
「・・・・・・・・仕事するわ」
「ああ、頑張れよ」
 ヒラヒラと振られた右手と妙に明るい声に送られてゆっくりと書斎のドアに手をかける。
「・・・ったく・・驚かせやがって・・」
 後ろから聞こえてきた小さな小さなその声に、ふと、何がそんなに彼を驚かせたのだろうと思ったけれど、すぐにそれはどうでもいい事だと思い直す。
 口笛を吹き散らかして、火村がカチャカチャとマメに夕食の片付けを始めたその音を聞きながら、私は今度こそ本当に書斎のドアを開けて・・・・閉じた。
 その瞬間、ニャアと微かな鳴き声が聞こえたような気がした。

Fin


実は私の初の作家編コピー誌です。何か若い感じがします。もの凄く原作を意識して、『私』という有栖の一人称。
でも原作を意識していても関係は最初から友人以上だったのね・・・・。あははははは。いかがなもんでしょうか。
しかしこういう昔の話を見ると遠くに来たな、自分・・・と思いますね・・・。