今年の正月は、いつもの正月とちょっとばっかり違っていた。
 否、ちょっとばっかりどころではない。
 かなり違った、と言った方がいいのだろう。
 何が、どう、違ったのか・・。
「・・・・うぅぅぅ・」
 温かいベッドの中で小さく唸りながら眉を寄せて、大阪在住の推理小説作家、有栖川有栖は微かに顔を赤く染めた。
 勿論、例年と特別何かのアイテムが違ったわけではない。
 大晦日は自分のマンションで年越しそばを食べて、その後は酒を飲みながらグダグダと一年間の総括と称して話をする。
 しかもその相手も例年と同じ、学生時代からの友人である、英都大学社会学部助教授の火村英生であり、更にBGM代わりにつけっぱなしになっていたテレビもこれまたいつもと同じ紅白歌合戦だった。
 そして年が明けてからは、昼過ぎに起き出して、火村が持ち込んだおせちをつつきつつ、内容がどれも一緒のテレビを眺めながらぼんやりと年末に読めなかった本などを引っ張り出して読んでみたり、懲りもせずに初詣はどうするなどと誘ってみたりして・・・・。
 そう。空間的にはいつもと変わらなかったのだ。
 だが、違ってしまった。アイテムが変わらなくても変わってしまったその理由。
 それは有栖には十分過ぎるほど判っていた。
 大きく変わっていたのは自分の・・・もとい、自分たちの気持ちだ。
 『長年の親友』
 そんな関係に、何とも恥ずかしいような、こそばゆいような、わーっと叫んでしまいたくなるような『恋人』という修飾語が付け加えられたのは秋の終わりだった。
 お互いに言うつもりのなかった思いにお互いに気が付いて、抱き寄せられて、その背中に手を回して、引き寄せられるように口づけたら、止まらなくなった。
 もっともその後は大変で、立って歩くのも辛ければ、しばらくの間はトイレに行くのが恐怖だったという笑うに笑えないエピソードがあるのだが、
それでも、なんでも、喉元過ぎれば何とやらで実はこれまでの間には、片手程はそんな経験をしていたりしたのだ。
 だが、しかし、けれど・・・・。
 言うのも恥ずかしいが、恋人になって迎えた初めての正月。
 有栖は今まで生きてきた中で初めてという経験をした・・・否、させられた。
 元旦に、いつものように昼過ぎまでベッドの中にいたのは総括がてらに飲んだ酒のせいではなくただ単に身体が辛くて起きられなかったからだ。
 まさかこの年でテレビから流れる除夜の鐘を聞きながら押し倒されるとは思わなかったし、そこここに口づけを受けながら新年を迎える事になるとは思ってもみなかった。
 あまつさえ、『あけましておめでとうございます!』というアナウンサーの声にハッと我に返って、とりあえず身体の下に抱き込まれたまま挨拶をした後、どこか憮然とした火村に寝室に連れ込まれて、所謂『姫始め』で起きあがれない元旦の朝(正確に言えば昼)を迎えるなどとは本当に夢にも思っていなかった。
 しかも、更に・・・・。
「おい、そろそろ起きれるか?」
 カチャリと開いたドア。
 そう言って顔を出した恋人に、有栖はキッと眉をつり上げた。
「・・・どの口がそう言うことを言えるんや?」
「昼だぜ?今日も雑煮でいいんだろ?」
 有栖の問いに、けれど火村は小さく肩を竦めるだけでそう問い返してきた。
 そうなのだ。今日も、というからにはその前がある。
 ゆえに、本日は元旦ではない。
 更に、その翌日の2日でもない。
「・・・・・」
「雑煮は嫌なのか?」
「・・・・・・」
「何とか言えよ」
「・・・・・・」
「夜はカレーにでもしてやるよ」
「・・そういう事とちゃう」
「じゃあどう言うことなんだ?」
 訪れた沈黙。
 口に銜えた煙草から細く上がる白い煙。
「・・・・起きあがれない」
 根負けしたように有栖は新年3度目の言葉を口にした。それに小さく笑って一旦ドアの所から消えると、火村はすぐに戻って来て、今度は部屋の中に入ってきた。
 どうやら吸っていたキャメルをリビングの灰皿の上に置いてきたらしい。
「・・ったく、至れり尽くせりってヤツだな」
 言いながら捲られた布団。思わず寒さに顔を顰めて「ふざけるな!」と声を上げた有栖の身体を火村は素早く温かな毛布にくるんでゆっくりと抱き起こした。
「ここに持ってきて食べるか?」
「嫌や、そんでもって又君に押し倒されたら敵わんわ」
「言ってくれるじゃねぇか」
「昨日の既成事実があるからや!このボケ!!っ・・たたた・・・」
 そうなのだ。新年が明けてすぐから明け方近くまで、あれほどいたしてしまったというのに、その夜にも火村は有栖を押し倒した。
 そうして昨日、1月2日のやはり昼すぎ。運んできてやると言われ、身体の怠さに首を縦に振ったら、食べ終えた途端、ベッドの中に逆戻りをさせられたのだ。その後どうなったのかは言いたくないし、更にその夜に何があったのか思い出すのも嫌だった。とにかく、昨日はほとんどベッドから出られなかったのだ。
 そして本日1月3日。
 今日こそはそんな生活はしたくない。
 本を読んでいても怠くて、辛くて、眠たくなってしまうなんてとんでもない話だ。
 寝正月という言葉はあるがそれは絶対に自分の今の状態とは違った意味の筈であると有栖は胸の中で誓うようにして、痛みに涙の滲んだ瞳を上げた。
「無理は禁物だぜ?」
 言いながらニヤニヤと笑う顔が憎たらしい。
「一番無理させとんのは誰や!」
「俺は期待に応えてるだけだ」
「期待なんかしとらんわ、アホ!!昨日もその前も予定が台無しや!大体俺は初夢さえ見てへんのやで!3日や、3日。1月3日!!それやのに初夢もまだ見られへんなんて間違うとる!」
「夢も見ないほど熟睡っていうのもいいじゃねぇか」
「!!ふざけるな、夢も見られへんほど疲れさせとるんのは君や!君!!!大体、初夢もそうやけど、初詣はどないすんねん。嫌やでどこにも行かんで松の内が終わるのなんて!」
 自分で言いながらその可能性の高さにゾッとして有栖はヒクリと顔を引きつらせた。
 いくら年末に半月近く会えなかったという事実があるにしても、この状態はないだろう。
 言うのは不本意だが、お互いそんなに若くはないのだ。これでまた今押し倒されたらとんでもない事になる。
 そんな有栖の胸の内を知ってか知らずか、火村はベッドに腰を下ろすと口の端を上げてニヤリと笑った。
「初夢に初詣ねぇ・・・」
 ふわりと鼻を擽るキャメルの匂い。
「見なきゃ見ないでもいい気がするけどな。一富士二鷹三茄子だったか?山も鳥もついでに茄子もどうでもいいな。初詣は論外だ」
「日本人としておかしい」
 きっぱりとそう言いきった有栖に火村は小さく肩を竦めた。
「おかしくても何でも、俺はこのまま二人っきりで過ごす方がよっぽど有意義だと思うけどな」
 言いながら近づいてくる端正な顔。
「・・・・・そ・・それは・・けど・・初詣くらいは」
 何だかまずい。これはまずいと有栖は思った。
 思わず後ろに引こうとすると、いつの間にか肩に置かれていた手に力が込められる。
「無神論者が行っても仕方ないだろう?」
「い・・一年に一度くらい顔出しても罰は当たらんで?」
「信じてないものに罰も何もねぇよ。まぁどうしても行きたいってぇなら午後から連れてってやるよ。そこでいいんだろう?」
 そこ、とは勿論四天王寺の事だ。
 生憎有栖もそれ以上の遠出が出来る体力は残されていなかった。
「うん・・」
「よし、それじゃあ飯でも食おうぜ?抱いて行くか?」
「・・・いらんわ、アホ」
 「そりゃ残念」と言って火村はゆっくりと立ち上がった。それを見て有栖はほっと強ばっていた身体の力を抜いた。
 ヤバイ状態だったがどうやら昨日の二の舞は踏まずにすみそうだ。
 だがしかし、それを見逃す火村ではない。
 立ち上がってもまだ肩に置いたままだった手を引くようにして倒された有栖は、あれよあれよという間にベッドの上に押さえつけられてしまったのだ。
「ちょっ!火村!!ふざけんな!も・出来ひんって!」
「へぇ・・何を?」
「!何って・・せやから・・その・・何でもいいから放せ!」
「嫌だ」
「火村!・・ったたた・・ほんまに・・もぅ」
「アリス」
「・・・っ」
 近づいてくる顔。
「こ・・」
「こ?」
「これ以上したら壊れる!絶対に壊れるからな!」
「!!」
 落ちた沈黙。
 やがて火村はパタリと有栖の肩口に顔を埋めてしまった。
「火村?お・・重いんやけど・・」
「・・・・お前、それだから期待させてるってぇんだよ」
「何が、どこが、期待やねん!腐っとる!」
「腐らせてるのはお前だ、馬鹿」
「馬鹿言うな!もういいから放せって」
「嫌だ」
「火村!」
 グルリと一周回って帰ってきた会話。
 どうにもふやけている。
 本当にこのままでは人間として駄目になってしまうかもしれない。
「・・・初詣・・つ・・連れてってくれるんやろ?」
「ああ。連れて行くさ。これから飯も食う。夜にはカレーも作ってやる」
「・・・なら・・放せって・・火村」
 トクントクンと重なる鼓動。
 先刻、火村自身がくるむようにしてかけた毛布を、今度はそっと剥がしてゆく。
「・・言ってる事とやってる事がちゃうで」
「・・キスだけだ」
「・・・っ・」
 低く告げられた言葉通りにゆっくりと重なった唇。
 啄むように何度か触れて、離れて、繰り返される口づけに息が上がり始める。
「・・・アリス」
「・・ふ・っ・」
 漏れ落ちてしまった吐息の甘さに有栖は思わず顔を赤く染めた。それを見て、火村はクスリと笑いながら約束通りに身体を起こす。
「よし、じゃあ飯だな」
「・・火・村?」
「初詣も行くんだろう?」
「行く!」
「ついでに今晩は初夢も見せてやるぜ?」
「え・・?それって・・」
 それはもしかして・・・。
 けれどそんな有栖の声にならない声が聞こえたかのように火村は再びニヤリと笑った。
「心配するなよ。ちゃんとこの続きはしてやるさ。そうしてその後でいい夢が見られるように耳元で富士山、鷹、茄子と囁いてやるぜ?」
「!!!ふざけるな!そんなんせんでええわ!」
「遠慮すんな」
「するかアホゥ!!」
 部屋の中に有栖の怒鳴り声が響いた。

*************************

 その翌朝。
 有栖は珍しく午前中にパッチリと目を覚ました。
 だがしかし、身体はやっぱり怠くて痛かった。 勿論それは、隣で眠っている恋人のせいである。
 昨日・・・。
 初詣に行った。
 カレーも食べた。
 そして・・・。
『アリス・・』
『や・も・・やぁぁ・・』
『ここ、だろう?』
『・・・っ・・』
『声を抑えるなよ』
『・・ぁ・・ん・・やだ・・もう・・あぁ!』
 約束(?)通りに夜にはまた押し倒された。
 更に ・・・
 いっそ鮮やかに甦る記憶。
 バフッ!!
 いきなり叩きつけられた枕に火村はもの凄い勢いで起きあがった。。
「!・・何するんだ!」
「知るかアホゥ!」
 けれどそれとは対照的に、真っ赤な顔で怒鳴った途端、布団にガッチリとくるまってしまった有栖に火村は頭を抱える事になる。
 流石の名探偵も恋人の初夢の内容までは思いつかなかったのだ。
「おい、いきなり何なんだ!」
「うるさい!!」
「アリス!」
「君は一体どんな技を使うたんや!!」
「・・はぁ!?」
 1月4日。朝。
 痴話喧嘩から始まった一日。
 やっぱり今年の正月はひと味違うと有栖は布団にくるまりながらしみじみとそう思っていた。
 一体今年はどんな年になるのだろう。
「・・・寝ぼけてるのか?」
「これ以上ないくらいクリアーや!」
 そう・・。思い出したくない夢の内容まではっきりと思い出してしまうほど。
「いい加減にしろよ、アリス」
「勝手に出てきて、好き勝手すんな!」
「・・・お前、やっぱり寝ぼけてるだろう?」
「寝ぼけてへんわ!」
「じゃあ何なんだよ!」
「自分の胸に聞け!」
「ああ!?」
 
 さて、有栖がどんな初夢を見たのか。
 その後、火村がどうやって機嫌を取ったのか。
 
 とにもかくにも、恋人同士の二人にとってこの正月は『勝手にやってろ!』な初春となったのだった。

エンド


せめてお正月らしいのをと思いまして…。
と言うことで今年もよろしくお願いします。