接吻 6

「内臓が飛び出すかと思うた・・」
「・・・・ピロートークの第一声に色気のねぇ事言ってんじゃねぇよ」
「やかましい!色気なんかあってたまるか!大体誰のせいやと思うてるんや!む・・無茶苦茶や、ほんまに・・!」
「十数年の思いが実ったんだ。少し位加減が出来なくても仕方ないと思うだろう?」
「思うか!ボケ!」
動くと痛む身体を庇いつつ、有栖は赤い顔で目の前の顔を睨みつけた。
結局最後は気を失ってしまって、気付いたらベッドの中。
きちんと身支度までされて、抱き込まれて眠っていたという事実がこれでもかという程恥ずかしい。
「思ってくれてもいいと思うけどな?」
言いながら火村はベッドの上に半身を起こすとゆっくりとサイドボードの上に置いたキャメルに手を伸ばした。
「おい、ベッドの上で吸うんやない。それと、どういう意味や?」
「ああ?」
顔を向けながらもラクダのパッケージから煙草を取り出す指は止まらない
「人の話を聞け!吸うな!」
「うるさい。口を塞ぐぞ」
言いながら銜えられたそれに有栖はついに阻止する事を諦めた。声を上げると腰が痛むのだ。それに今は他に気になる事がある。
「質問に答えへんからやろ。思うてもいいってどういう意味や?」
そう。その言い方に微妙な何かを感じたのだ。
有栖の問いに火村はニヤリと笑って銜えた煙草に火を点けた。ついで、用意をしていた灰皿をわざとらしく見せて一度だけふかしたキャメルをその上に置く。
「加減が出来ないのは仕方がねぇよ。なんたってようやく気付いて貰えたんだからな」
「火村?」
何かを含む言い回し。
そうして火村は
「“運命の恋人”なんだろう?」
「−−−−−−−−−−−!!」
「光栄だな」
「・・・・・・」
誰に聞いたかは聞かなくても勿論判る。
それを話したのは一人だけで、その人間は京都に住んでいるのだから。
「・・・・・・・・だからすぐに判ったんか」
「何を?」
灰皿に置いた煙草を口に戻して火村は有栖を振り返った。
「十年以上も前の事・・あの時もって言うた時、何も聞き返さずにそうだって認めたやろ?朝井さんから話を聞いてたからすぐに判ったんやな」
「さすが推理小説家だな」
「誉められてもこれっぽっちも嬉しないわ!どこで会うたんや?」
「焼いてんのか?」
プカリと吐き出された煙とニヤリと笑う顔。
「誰が焼くか、このボケ!っ−−−−−−−!!」
その途端身体を駆け抜けた痛みに有栖は思わず声にならない悲鳴を上げた。
「偶然府警の前でな。取材だとさ。おい、あんまり無理しない方がいいぜ」
「・・・っ・・」
どの口がそう言うのか。再び怒鳴りたいのをまだ尾をひいている痛みで諦めて、有栖はうっすらと涙の浮かんだ顔を上げた。
「ああ、それから朝井さんから伝言があったんだ」
「・・・何や?」
ズキズキと腰が痛む。胸の中に湧き上がる聞きたくないという思い。
「気色悪い変質者や欲求不満の夢の事なんか忘れて前向きに生きなさいだと」
「・・・・・・・・そりゃどうも」
やっぱり聞かなければ良かった。そんな有栖に火村はふぅと紫煙を吐き出して口を開いた。
「悪い女に瞞されて気付いたら婚姻届をだしているかもしれないから気をつけてやってほしいとも頼まれたな」
「!!!いらん世話や!」
再びズキリと痛んだ身体。それを見て火村は持っていたキャメルを灰皿に押しつける。
「言われないでも気を付けるさ。何たって“運命の恋人”だからな」
ニヤニヤと笑う顔。
緩く抱き締めてくる腕。
きっと事ある毎に火村はそれを口にするに違いない。
「やかましい!・・そんなん・・」
「そんなん?」
切れた言葉を判っているくせに聞き返してくる男を睨みつけて。
「・・そんなん・・・ただの変質者や!!」
真っ赤になって小さく怒鳴り返した有栖に、次の瞬間火村は吹き出すように笑い出した。

「・・・・・いい天気やなぁ・・」
数日前の締め切りもなんとやら、有栖はベランダの柵に顎をのせたままボンヤリとそう呟いた。
「今年は桜は見れんかったけどツツジや藤はまだ間に合うかもしれんなぁ・・」
花を愛でる趣味は有栖にはない。咲いていれば綺麗だと思う程度のものである。もっぱらそれに付随する楽しみの方が大きいのだ。もっとも日本人の多くが自分と同じだと思うのだが。
『この前の原稿中々好評ですよ。雑誌の方が出ましたら送らせて戴きます。この調子で次の短編も宜しくお願いしますね。ただし締め切りが心臓に悪いのは勘弁して下さい』
つい先ほどかかってきた担当者からの電話。
片桐の人の好さげな笑みの後に、なぜか火村の顔を思い出して有栖は慌てて頭を振った。
結局翌日の最終便には間に合わず、その2日後に学会を控えた火村が東京まで運んでくれたのだ。
その為1日早く東京入りをする事になった助教授はベッドの中でワープロと格闘する事になった有栖に「これは大きな貸しだからな」と念を押した。
「誰のせいでこないな事になったと思うとるんや!」
「そりゃあ、今まで原稿をやらなかった、もとい、原稿に詰まっていたてめぇのせいだろう?」
悔し紛れに投げつけた枕を上機嫌で避けた火村は、その日丸1日有栖の世話を焼いて、翌日の昼過ぎに有栖の原稿を 携えて東京へと旅立った。それから5日。どうやら身体も元に戻ってきての冒頭の言葉に戻るわけである。

−−−−−−運命だったの。

精神鑑定に回された女は、判断能力があったと診断されて起訴をされる事が決まったらしい。
“ご機嫌伺い”と称して火村が東京からそれを知らして来たのは一昨日。
「そうか」と答えただけで、有栖も又何も言わなかった。
「・・・・・・・・」

−−−−−運命って、信じますか?

ベッドの中で、有栖はその台詞を事件解決のシーンからラストに移行させた。
そして、少女の問いに答える探偵の台詞も少しだけ付け加えられた。

−−−−−それは自分で切り開くものだと思っています。 ただし・・・・・・

「ただし、そんな風に言えるものもあるのではないかとも 思います。でもそれはほんのきっかけにしか過ぎないものなんですけどね」
自分の生み出した男の言葉を有栖はそっとなぞって口にした。
探偵の言葉に少女は少しだけ判らないという顔をする。
それに気付いて探偵は笑うのだ。

−−−−−ようするに大方は都合よく使われる言葉です。 そう・・・例えば、世間一般で使われる“一生のお願い”程度にね。
破顔する少女。

「・・・・・・今度の本はあいつには見せられへんな」
青い空に向かって再び落ちた呟きに、有栖はクスリと小さな笑いを浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
−−−−−−一週間後。
「無断使用料は高いぜ?」とかかってきた電話にヒクリと顔を引き吊らせた有栖がその後どうなったのか、それは後日談となる。

エンド