迷宮 〜ラビリンス〜 13

 洞窟内から助け出された望月たちはそのまま病院に検査の為に入院をする事になった。
 唯一、話が出来る僕たちは遅くまで事情聴取を受け、その晩は話を聞いて駆けつけてきた佐々木コック長の知り合いのホテルに泊まる事になった。
 彼は元々1日しか食事を頼まれていなかったのだそうだ。
 因みにその日の夕食は僕たちが昼間たらふく食べたバーベキューの予定だったらしい。
 部屋に着いてベッドに座り込んで僕は大きく息をついた。
「・・疲れたやろ?シャワーでも浴びて休み」
 荷物を置いて同じ様に向かいのベッドに腰を下ろして江神さんが言う。
 けれど立ち上がる事も出来ずに僕はボンヤリと暗い窓の外を見つめていた。
 迷路の様に入り組んだ人の心。
 悲しい呪いに捕まった石原。
 でも・・だけど・・・。
 あの崖の上で、閉じ込められた闇の中で、それでも生きたいと考えられたのは・・。
「アリス・・?」
 何も答えない僕に江神さんが微かに眉を寄せた。
 それに慌てて顔を上げて口を開く。
「・・あ・・あの・・モチさんたち無事で良かったですね」
 何の薬を使われていたのか、洞窟から運び出された時は死んでいるのかと思うほど白い顔をしていたのに、病院に運ばれて検査をしているうちに気付いてからは“このまま事情聴取もOK”や という勢いで・・。
「そうやな」
 言いたい事は本当はこれではない事を僕も、そして江神さんも判っていた。けれど江神さんはそう言っていつもの様に静かに微笑った。
「・・アリス?」
 瞬間、ポロポロと涙が零れ落ちた。
「違・・判らない・・何で・・」
 泣きたい訳ではなかった。
 こんな風に泣くつもりもなかった。
 けれど涙は後から後から溢れ出して、ポロポロと零れて落ちるのだ。
「・・・泣かんでええよ」
「・・・・っ・・」
「泣くんやない、アリス」
 そう、全ては彼の意思だったのだ。
 そうとしか・・言い様がなかった。
「アリス・・」
 目元に落ちた唇に伏せた瞳。
 髪を撫でる手がゆっくりと背中を抱き締めてくる。
「・・江神さん・・」
 こんな風に切なさを埋める様に肌を重ねるのは嫌だと思う。
「・・・アリス」
 こんな風にお互いの温もりで何かを忘れようとするのは好きではない。
 でも・・だけど・・・。
「江神さん・・江神さん・・」
 縋る様に背中に回した手に耳もとで「何も言わんでええよ」という声がする。
 降りてきた口付け。
 触れて、離れて・・又触れて。
「・・・・傷だらけやな・・」
 抱き締められたままベッドの上に倒されて、いつの間にかはだけられたシャツ。その肌の上に残る青い痣に江神さんが眉をひそめる。
「・・・大丈夫・・です・・」
 それは何だか誘っている様な言葉だと思った。
「江神さんが助けてくれたから・・・一緒に生きようって言うてくれたから・・」
 だからここにこうして居られる。
 その言葉は口付けにかき消された。
 熱くなってゆく身体。
 肌を滑る大きな手。
「・・・・っ・・」
「どこか痛むか?」
 上がる息の中でそんな事を聞かないでほしい。
「・・平気・・っ・」
 首筋に、胸に落ちる唇。
 背中を辿る手と、熱くなるそこに触れて絡む指。
「・・っ・ふ・」
「アリス・・」
 名前を呼ばれて瞳を開く。
「ん・・ぁ・・っ・」
 ユラリと揺れて歪む大好きな顔。
「好きや・・」
「っ・・え・がみ・さ・・あ・」
 息が上がる。
 身体が熱くなる。
 重なるその身体にしがみついて、声を上げて。
 そして・・・。
「アリス・・・」
 再び聞こえてきた呼び声とついで重なる唇に僕はゆっくりと瞳を閉じた。

 どこかで、波の音がした−−−−−−−−−−−。


「絶景かな、絶景かな!!」
 青い空と青い海。
 その青さに良く映える幾つもの岩礁。
 断崖絶壁の続く海岸線の岬の先端。そこからの眺めは格別で野猿が生息すると言われている島もよく見える。
「いやー生き返る!こうして見ると日本は広いなぁ」
「・・何言うてんのや。じじぃ入っとるで」
「うるさい、お前に言われたかないわ」
 病院を1日で退院をして、両先輩は元気だった。
 検査と事情聴取を受け、無事無罪放免−−この言い方は少し変だけど−−になった二人と、僕と江神さんの4人はビンボー根性宜しく、言直しと称して伊豆半島の最南端に位置する石廊崎にやってきた。
 午後の日差しに映える灯台。
 常春の地と呼ばれるそこはこれから春を迎えるというのに気が早くブーゲンビリアやハイビスカスが咲いている所さえある。伊豆もここまでくると南国ムード満点という感じだろうか。
「よっしゃ!ほんなら次はジャングルパークに行くか!」
 言いながらブンブンと右手を回す織田に僕と江神さんは思わず顔を見合わせて小さな笑いを浮かべた。
 そう、退院したばかりだというのに事情聴取を早々に終わらせて貰った二人は−−−昨日の僕たちの話以上の事は当り前だが判らなかったからだ。もっとも犯人である石原の自白めいた遺書が見つかっているので、聴取も形式的な物になったのだろう−−−あろうことか海上アスレチックに行きたいと言い出したのだ。さすがにそれは止めた方がいいと説得しここにこうしているのである。
「ポリネシアン料理ってどんなんやろな?」
「さぁ・・火でもついとるんやないか?」
「あのなぁ!そんなんどうやって食えっちゅうんや!」
 相変わらずの漫才めいたやりとり。
 それが嬉しくて、だけどやっぱり視線が痛い
「ほら、アリス!グズグズしてたら置いてくで!?」
「はい!今、行きます!」
 言いながらパッと走り出して、僕はもう一度だけその海を振り返った。
 伊豆最南端の海。
 ここからならば、あの星が見ることが出来るのだろうか?
「アリス!バスや!バス!!」
「わー!待って下さい!!」
 早春の伊豆半島。
 春特有の暖かな優しい風と、どこか夏に近い青い空と青い海に別れを告げて僕たちはバスに乗り込んだ。

−−−了−−−



長い長い話でした。最後までお付き合いいただいて有り難うございました。
感想などお聞かせ下さると嬉しいです。