猫と恋人

 ニャーニャーと三重奏になって響く非難めいた声。
 そしてそれと重なるようにボソボソと聞こえてくる声。
「もうええねん・・・」
「悪かった。だから何度も言っているだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「アリス」
「・・俺がどれだけ気まずい思いをしたか火村には判らんのや」
「悪かった。本当に悪かったって」
 そういっている間にも猫たちの鳴き声は止まらない。
「判ったよ。お前たちも悪かった。今えさをやるから」
 足元に絡み付いてくるような飼い猫たちに声をかけると、それすらが気に入らないと言うように再び有栖が口を開く。
「今度君もやってみたらええねん。わざわざ予約をしたイタリア料理の店に行って、連れが来てからお願いしますって言うたにも関わらず、30分以上経ってもその連れが現れず、来ないようなので結構ですとは言えずに一人でコース料理を食べてきた俺の気持ちがどんなもんだったのか。しかももう一人前は店の好意でキャンセルにしてくれたんや。その時に向けられた眼差しがどんなもんやったか、絶対に君も味おうたらええねん!」
 ガルルルル・・・
 まるで逆毛を立てて怒っている猫のような有栖に火村は胸の中で大きな大きな溜息をついた。
 そう、一週間ほど前に「ちょっと気になるイタリア料理の店を見つけたんや」と電話をよこしたのは有栖だった。それにOKと答えたのは火村だ。
 今はそれほど仕事が忙しいわけでもないし、有栖のみつけた店は京都市内で、彼がこれくらいではどうかと言った時間には余裕で到着出来る筈だったのだ。
 だがその日の午後にフィールドワークの声がかかった。
 その時にチラリとまずいかなとは思ったのだ。
 だが、まだ6時間以上もあるし、さらに声をかけてきたのが京都府警だったので、大丈夫だろうと火村はそのままにしてしまったのである。しかし、事件は火村の予想を大きく裏切り、気づけば有栖と約束をした時間は過ぎていた。
「判った・・!全面的に俺が悪い。行けると思ったんだ。でも終わって駆けつけたら店は閉まっているし。合間を見つけて携帯に何度も連絡をしたんだぜ。でも繋がらないかったんだ。おまけに店の電話番号は判らないし」
「店、地下やし。その後はむかついたから電源切ったし」
「・・・・・・・・・・・」
 ムッとしてそういう有栖に火村は再び溜息をつく。
 そのお陰で火村は連絡の取れないまま、駆けつけた件のイタリア料理店がすでに閉まっているのを確かめると、そのまま大阪の有栖のマンションに向かった。その時にはすでに有栖が携帯の電源を切ってしまっているのだろうと思っていたので、とにかく一刻も早く機嫌をとらなければと思ったのだ。
 だが有栖はマンションにはいなかった。何のことはない彼は文句を言うべく、火村の下宿に来て、さらに研究室の方に行って、もう一度下宿の方に向かっていたのだ。そこを運よく見つけた。
 勿論彼は拗ねきっていた。だが、火村の不幸はそれだけではなかった。こんな時に限ってと言うのは申し訳ないのだが、今日は下宿の大家が一泊旅行に出掛けてしまって、彼らの夕食を頼まれていたを火村はすっかり忘れていたのである。とにかく部屋に話はそれからゆっくり聞く。
 けれど話をゆっくり聞ける状況はどこにもなかった。
 すっかりへそを曲げた恋人と腹ペコの猫たち。
「・・・・とにかく、悪かった。だから・・」
 ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 その瞬間、これ以上は待てないとばかりに火村の背中にモモが飛びかかってきた。
「いっ・・!!モモ!!小次郎!足に噛み付くな!判った!判ったから!!」
 これでは話にならない。とりあえず猫たちに餌をやってそれから有栖の機嫌を取ろう。
 だが、しかし・・。
「・・・・・ネコの方を優先させるんやな」
 聞こえてきた暗い声。
「おい・・・・」 
「俺よりも猫たちを優先させるっていうんやな、君は」
「何を言って・・・痛い!ウリ、噛み付くな!モモ、いい加減背中飛び掛るのを止めろ!」
「・・・・・・もうええ。君はそうやってネコと戯れとったらええよ。もう帰る!どうせ俺はネコ以下なんやぁ!」
「・・・・・・・・・・」
 たのむからもう勘弁してくれ。火村は思わず天井を仰いだ。
 きっと今日火村に追い詰められた犯人よりも、今の自分は追い詰められている。
 けれど追い詰められてがっくりとうなだれてしまった犯人よりも火村はアクティブでポジティブだった。
 ムッとしたまま立ち上がりかけた有栖の手を取り引き寄せるとそのまま引き寄せると、何か言いかけて開いた唇をそのまま自分の唇で塞いでしまったのだ。
 これ以上文句を聞くのはごめんだった。謝るのは後でいくらでも謝るが、それよりも何よりも久しぶりに会いたいと思っていたのは火村も同じだったのだ。フィールドワークの最中にこんなにも苛々したのはこれが初めてだったかもしれない。お前が吐けば全てが片付く。そんな気持ちで対峙された犯人は気の毒以外の何者でもなかったが、もとより犯罪を犯したほうが悪いのだ。
「・・・っ・・ふ・・」
 漏れ落ちた小さな声とゆっくりと力の抜けていく身体。
 重ねた唇をゆっくりと離して、耳元で「アリス」と名前を呼んだその途端。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁん!」
 いつまでやってのよとばかりにモモが3度目の攻撃をしかけた。彼女は火村の背中を駆け上がり、そのままガブリと頭に噛み付いたのだ。
「い・・!!モモ!!!」
 火村は思わず頭を振った。
 彼女も振り落とされては大変と必死に火村の顔に爪を立てる。
 僅か数秒の攻防。
 そうして次の瞬間、彼女はどうよとばかりに軽やかに火村の頭から畳の上に降り立った。
「・・・・・・・・・・・・男前やないか、先生」
「・・ふざけんなよ。つう・・」
 頬と額にくっきりとつけられた赤い線。
「・・仕方がないから特別に餌をやってる間は待っててやる」
「有難くて涙が出そうだよ。ついでに後で傷でも舐めてくれれば嬉しいけどな」
「甘えんな」
 有栖の言葉に火村は肩を竦めるようにしてキッチンへと向かった。そうして戸棚を開き、前に有栖が買ってきた猫缶を器に開けた。それに顔を突っ込むような勢いで食事を始める3匹。
「今度奢るよ」
 ポツリと聞こえてきた声。
「もうあの店はごめんや」
「他の、お前の行きたい店でもいいし、好きそうな店を見つけてきてもいい」
 引っ掻き傷をついた顔で神妙にそう言う火村に有栖はついにクスリと笑ってしまった。
「ご機嫌取りか?先生」
「ああ、そうさ。久しぶりに会った恋人に帰るなんて言われて泣きそうなんだ」
 空の猫缶を手にしたまま肩を竦めて火村は更に言葉を続ける。
「機嫌を直してくれるまではとても帰せないな」
 ニヤリ笑った顔。
 それにやられたと小さく顔を顰めて。
「・・・・・・・・それは君の努力しだいやな」
「誠心誠意、心込めて頑張りましょう」
「・・アホ」
 そうして微かに赤く染まった有栖の顔に再びニヤリと笑いながら、火村は引きつった顔の傷に小さく「痛ぇ」と声を出した。


大変、大変お待たせいたしました。
こんなのでいかがでしょうか〜〜〜。情けない感じの火村ですが、気に入っていただけると嬉しいです。





 

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