とある夏の日の出来事

「・・・・お前は一体何をしに来たんだ?」
「・・・・・」
「人の家を訪ねてきて熱を出して倒れるなんてぇのはなかなか出来るもんじゃないよな」
「・・・・・」
「普段の生活態度を見直せ、この馬鹿」
 容赦のない言葉の数々。けれどそのどれにも答える事すら面倒で、大阪在住の推理小説作家有栖川有栖は、この部屋の主である臨床犯罪学者、もとい、母校の社会学部の助教授であり、長年の友人であり、ついでに数年前から恋人でもある火村英生がこれ以上はないと言うほど不機嫌な顔で敷いてくれた布団の上で、これまた火村が乗せてくれた濡れタオルを額に当てたまま小さく唸った。
「ああ?何か言い分があるのか?」
「・・・何もないけど・・水飲みたい・・」
 掠れた声。
「・・そうかよ」
 ブツブツと言いながら火村は立ち上がって台所へと歩いていった。その後ろ姿を、乗せたタオルを捲るようにして見つめて有栖はふぅと溜め息をついた。
 まさか自分自身こんな事になるとは思っていなかったのだ。2日前に終えた原稿。確かにひどいとまでは行かなくともそれなりの修羅場状態にはなっていた。
 が、しかし、あまり外に出ださないのは今に始まった事ではないし、夏のこの時期に食欲が落ちるのも毎年の恒例だ。
 だから一日一食程度で買い出しにも行かずに過ごしてしまい、修羅場明けには見事に空になった冷蔵庫をもはや埋める事すら面倒で、有栖は脱稿祝いでも食べさせてもらおうとのこのこ『釜の底』と称される京都にやってきたのだ。そうしてものの見事に熱中症を起こし現在に至っている。こうしてどうにか火村の下宿に辿り着いたのすら奇跡に思える程だったのだ。
「ほら」
「・・・・ありがと・・あれ?・・手が震える」
 土気色という表現がまさにピッタリの顔でそう言われて火村はチッと舌打ちをすると、それでもひどくゆっくりと有栖の身体を起こし、震える手にコップを持たせてやった。
「・・・これ何?」
「ポカリスエット。ただの水よりいいだろう?」
「・・・ふーん・・今度買っておこう」
「自宅で遭難でもする予定なのか?」
「・・したくないなぁ」
「当たり前だ、馬鹿」
 返した返事が気に入らなかったのか火村は相変わらず憮然としたまま、けれどコップに添える手は放さずに有栖の身体を支えていた。
「大体何だってそんな修羅場明けに電車で来たんだ。車はどうした、ついに廃車になったのか?」
「あほ言いなや。車検や」
「それなら家で大人しくしてろ」
「だって」
「だって?」
 奪われるように取られた空のコップ。苛立ち極まれりと言った火村に有栖はポツリと口を開いた。
「会いたかったんや」
「・・・・・・・」
「修羅場の間中食欲なかったんやけど、さすがに後半はまともな飯が食いたくて、これが終わったら食べに行こうと思うとったから、どうしてもどうしても行かなあかんっていう強迫観念みたいなもんが出来上がってて・・・火村?」
 ようやくまともに口が回るようになってきた有栖は次の瞬間隣でガックリと肩を落とす恋人に気付いた。
「どないしたんや?君も具合が悪くなったんか?」
「……ああ、悪くなりそうだよ。誰かさんのお陰でな」
「俺?」
「他に誰が居るんだ!ったく・・・そこまで熱烈に思って戴けて光栄の極みだな。もう寝ろ」
 言うが早いか火村は有栖を布団の上に寝かしてクルリと背中を向けてしまった。そうしてキャメルを取り出すとカチリとそれに火を点ける。
「火村・・」
「・・・・・」
「・・なぁ、怒っとるんか?」
「・・・・・」
「そりゃ確かに訪ねてきて倒れたのも、飯を目当てに来たのも悪かったけど・・なぁ・・なぁってば」
「もう二度と御免だ」
「え?」
 突然の言葉に有栖は思わず瞳を見開いてしまった。
 けれど続いて聞こえてきた言葉に今度はホッと方から力が抜けてゆく。
「青い顔をして倒れるお前を見るくらいなら大阪まで呼びつけられた方がマシだ」
 相変わらず向けられた背中越しに立ち上る紫煙。
「・・ごめん」
「謝るくらいなら大人しく寝てろ。起きたら何か作ってやる」
「・・・・うん」
 ふぅと息をついて有栖はゆっくりと瞳を閉じた。
 無理をしてでも訪ねてきたのはやはり正解だった。
そう思った瞬間。
「言っておくが専用コック代は高いぜ?自分の不摂生を反省しながらとっとと体力を回復させろよ」
「・・・・・」
 それは一体どう言う事なのだろう?
 尋ねるのも恐ろしくてギュッと目を閉じたまま肌掛けを握りしめた有栖の耳に、先程とはうって変わって機嫌の良い助教授の鼻歌とチリンと小さく鳴る風鈴の音が聞こえてきた。



まぁ・・甘い・・というか・・・こういう感じって実は凄く好きです。
皆様は如何ですが?