猫の日 

「こんばんわー」
 階下から聞こえてきた声に自室にいた火村は、読んでいた本から訝しげに顔を上げた。
 声は確かに友人であり、恋人でもある有栖川有栖のものだった。だが、今日来るなどという話を火村は聞いていなかった。勿論急に訪ねてくることがないわけではないが、それはどちらかと言えば自分の方である可能性が高いのが事実だった。
 何か京都の方に用事でもあったのか、はたまた行き詰まった原稿から逃げてでもきたのだろうか。それとも会いたいなどと思ったのだろうか。
 だが声はすれども有栖が2階に上がってくる気配はない。
 もしかして幻聴だったのだろうか?
 そんなことを考えていると再び声が聞こえてきた。
「小次郎ー!ウリー!桃ちゃ〜ん!土産を買うてきたで〜!」
 その声に応える様に聞こえてきた猫たちの声と家主の声。
「何やってんだ・・・」
 どうやら久しぶりに会う恋人は自分ではなく、猫を優先されているらしい。そんなことにヤキモチを焼くような年ではないが、それでも面白くないものは面白くない。
 やがて「食べ過ぎたらあかんで。また明日婆ちゃんに貰ってや」と言う声と共にようやく階段を上がってくる音がして、当たり前のように扉が開けられる。
「火村ー」
 現れたいつもと変わらぬ笑顔。
「何してんだ、お前は」
 それについついそう言うと有栖は少しだけ驚いたような顔をして再び笑みを浮かべた。
「なぁなぁ、今日って何の日か知っとるか?」
「ああ!?」
「今日。2月22日」
「知るか」
「猫の日」
 素っ気無く答えた火村に有栖もまた短い答えを返した。
「なんだって?」
「せやから、猫の日。ニャンニャンで猫の日なんやて。今日テレビで言うてて、こりゃ君の家の猫たちに何か持っていかなあかんと思ったんや。喜んでたで、モンプチ」
「そりゃわざわざどうもご苦労さん」
「なんや張り合いのない」
 ムッとした様に唇を尖らせる有栖に火村は胸の中で溜め息を落とした。そりゃ張り合いも何もなくなるだろう。久しぶりにやってきた恋人が会いに来たのは猫たちだというのだから。
 けれど勿論そんなことは顔に出さず、火村は本に視線を戻した。
 そんな火村を見つめて有栖は再び口を開く。
「なぁ・・」
「なんだよ」
「ヤキモチ焼いた?」
「!なんだって?」
「すぐに部屋に来なかったから猫にヤキモチ焼いたやろ?」
 覗き込んでくる瞳は確信犯の色を浮かべていた。
「・・・・・・・・・・・だったら?」
 重なる視線。
「素直に言うたら、大きな猫にもご褒美やらなあかんなと」
 クスリと漏れた小さな笑い。
 そう。会いたかったのはどうやらお互い様なのだ。
「なぁ、猫にヤキモチ焼いたやろ?」
 繰り返された問い。
「焼いたさ。盛大に。来たならとっとと上がって来いってな」
 肩を竦めながら火村はパタンと本を閉じた。
「それで?ご褒美は?」
 ニヤリと笑った愛すべき大きな黒い猫。
 それに「よく言えました」と言いながら有栖はそっとそっと口付けを落とした。

fin

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