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狂鬼恋歌16

 秋晴れの見本のように青く晴れ渡った空。
 一日遅れの台風一過の空の下、童子荘前の赤鬼の人形の前で僕はペコリと頭を下げた。
「色々とお世話になりました」
「いえいえ、何も出来ませんでしたよ。こんな事がありましたけど・・・又遊びにいらして下さい・・」
「ありがとうございます」
 うっすらと涙をにじませた小出に僕たちはもう一度揃って頭を下げた。
 それを見つめながら、何だか熱くなる瞼を隠す様に僕はグルリと丹後の山々を見回すと、ゆっくりと『川辺邸』の方を振り返った−−−−−−−−。

 朝、起きるとベッドには江神さんの姿がなかった。
 慌てて階下に下りると予測通りに書庫に居る。
 「起こしてくれたら」とひとしきり文句を言ってそのまま作業に雪崩れ込み、昼を少し過ぎた頃に僕たちは完了の喜びを噛み締めたのだ。けれど、でも・・・
「そう言えば、面白いもんとか言うてはりましたよね?それって一体何なんです?」
 ブランチと称するレトルト食品を口に運びつつ尋ねた僕に
 江神さんがクスリと笑う。
「そら、勿論“宝”やろ?」
「見つかったんですか!?でも・・どこに・・」
 書庫の中にはそれらしいものはなかった。一体どこで見つけたのだろう?
 目は口ほどにものを言ったらしい僕に江神さんは少しだけ行儀悪く手にしていたフォークで上を差した。
「・・・2階・・?」
「何や、アリス。ほんまに気付かなかったんか?寝室の大きさとリビングを差し引いた1階部分の大きさを比べたら自ずと答えは出るやろ?」
「−−−−−−!!」
 勿論、すぐに答えは出た。寝室の奥にある子供めいた秘密の部屋。そうして数分後、僕は宝の山の中でさっそうと物色を始めたのだ−−−−−−−−−。

「先生にもよろしくお伝え下さい」
「判りました」
 江神さんの言葉を待っていたかの様に後方でパァーッとバスが警笛を鳴らした。発車の時刻なのだ。
「ほんまに・・・もう少ししたら紅葉も見頃を迎えます。春も新緑でええところなんです」
「ええ、ぜひ。千丈ガ嶽にまだ登っていないので」
「はい!・・はい・・待ってます。ほんなら身体に気をつけて」
「小出さんも。ああ、それから夕食を作って下さった方にも宜しくお伝え下さい」
「はい」
 幾分日が傾き始めた山々を背に、僕たちはバスに乗り込んだ。プシューッと言う音を立てて締まるドア。
ゆっくりとバスが動き出す。その窓の外で手を振る白髪混じりの気のいい男に僕たちはもう一度頭を下げた。
「・・・・・いい人でしたね」
「ああ」
「・・・・又来ましょうね」
「そうやな」
 眼前に見えてきた吊橋に、まだ心は揺れるけれど、でもきっと彼女は助かる。鬼は去ってしまったのだから。
「それにしても、ほんまにすごい宝でしたね」
 にっこりと笑って口を開いた僕に江神さんがクスリと笑った。
「川辺教授に頼んだら又、貸してくれはるでしょうか?」
「取りに行けとでも言うんやないか?」
 小さく開けた窓から吹き込む風が、江神さんの長い髪を揺らす。
「そしたらモチさん達も誘ってあげましょうね。きっと二人ともびっくりしますよ」
 僕の言葉に江神さんは一瞬だけ間を置いて「そうやな」と笑った。
「江神さん・・?」
「うん?・・・いや・・アリスはほんまにモチたちの事が気になるんやなと思うて」
「!!」
「俺としては“また二人で来ましょうね”の方が嬉しかったんやけどな」
 思わず絶句をしてしまった僕の目の前で江神さんはプーッと勢いよく吹き出した。
「え・・江神さん!又からかってますね!」
「・・いや・・ほんまの事や」
「知りません!もう!!」
 バスは走る。鬼の山を後にして。
“むかし丹後の大江山、鬼ども多くこもりいて−−−−−”
 窓の外に流れて行く秋色に染まり始めた風景。
 傾いた日に照らされた山々を一瞬だけ振り返って。
 そうして僕は、ゆっくりと、けれどしっかりと、視線を前へと戻した。



長い話。最後までお付き合いくださいまして有り難うございました。

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