ReturnMatch −−−アリスの逆襲−−−   


それは夏も近づくとある日の出来事。
 昔懐かしいトランプゲームで賭けごとが始まったのは成り行きというか、偶然というか・・・とにかく部室を持たないEMCこと英都大学ミステリー研究会の面々はなぜかはよく分からないけれど『ダウト』に夢中になっていた。
 始めに言い出したのは経済学部2回生の望月周平。 それに面白がって乗ったのは同期の同学部の織田光二郎。
 そして受けて立ってのはサークルの部長でもある文学部4回生の江神二郎だった。
 予測通りと言うように惨敗を期したのは経済学部コンビ。だがしかし、ここから最後のメンバーである法学部1回生・有栖川有栖がこのゲームに参戦したことで風向きは変わってくる。
 有栖はとにかく弱かった。
 連敗記録12という輝かしい成績を残した後輩はまるで喧嘩を売るようにこう言い切ったのだ。
『今度負けたら江神さんの好きにしていいです!!』 かくして始まった13戦目。勿論有栖はお約束通りに負けた。
 そして・・・・。
『何ですか・・今の・・・?』
『何ってキスやろ』
 信じられないようなそれに驚いて、怒って、赤くなって、有栖はこう宣言したのだった。
『絶対に今度こそ勝ってみせます!それで、今度は僕が江神さんにキスをして驚かしてやるんです!!』
 ヘビィなヘビィな宣戦布告は未だもって実行されて
いない・・・。
 
 


 
 
「暑中お見舞い申し上げまーす!!」
 暑い暑い真夏の京都。
 夕暮れになってもうだるようなその暑さをものともせずにドアが開かれるなりそう言ったのは『アリス』こと有栖川有栖だった。
 それにドアを開けたこの部屋の主『江神さん』こと江神二郎は思わず小さく口を開く。
「・・・どないしたんや?」
「だから言うたやないです。暑中お見舞いですよ。ほら、ビールもつまみもたっくさんありますよ」
「・・えらい豪勢やな」
 未だドアノブに手をかけたままそう言う江神に有栖は「へへ」と笑ってガサリと袋を抱え尚した。
「久しぶりに親子のコミュニケーションってヤツをはかったら大当たりでした。親父の方は2万近く擦ったみたいですけど。入ってええですか?」
「ああ。すまん」
 言いながら身体をよけると「失礼しまーす」と部屋に上がる後輩。
 その後ろ姿を眺めながら江神はクスリと笑いを漏らした。どうやら親子でパチンコに行ったらしい。
 チラリと見た時計はまだ6時前。
 おそらく真っ昼間から行われたのであろうそれになかなか砕けた家族だなとか、そんな才能があったとは知らなかった等とつらつらと思いながら、江神は慣れた様子で本を寄せて自分の場所を確保している有栖の向かい側に腰を下ろした。
「それにしても随分な戦利品やな」
「ええ。自分で言うのも何ですけど凄いでしょう?えーっと・・あったほらほら、たこやき!」
「・・・・・・・・・」
「これは玉と引き替えに親父が買うてくれたんです。まだぬくいです。良かったぁ」
「ああ・・・そら良かったな。したらもう飲み始めるか?」
「ええ。江神さんは今日はバイトない言うてはりましたもんね。ちゃんと覚えてたんです」
 何処か威張るようにそう言って有栖はテーブルの上にドカドカと戦利品を並べ始めた。
「さきイカとぉ、柿ピーとぉ、ポッキーとぉ、ビーフジャーキーとぉ、ポテトチップスとぉ・・・」
 一体これは何人分の宴会支度なのだろう。
 どうも今日ははじめから有栖のペースに巻き込まれている自分が居るなと江神は目の前のポテトチップスの筒を手の中で転がす。
「あと、ほらほら江神さん!よっちゃんの酢漬けイカ!それからぁ・・・」
 放っておくとドラえもんのポケット並に出てきそうな予感に江神は思わず口を開いた。
「・・・ほんなら遠慮なくご馳走になるか」
「はい!!」
 ひどくひどく嬉しそうな有栖の返事。
 こうして真夏の宴会が幕を開けた。
 

************** 
 
 
「飲んでますか?江神さん」
「ああ。飲んどるよ」
「・・・・そうかなぁ・・たこ焼きも食べてます?」
「食べてる」
「・・・・・楽しないですか?」
「いや。そんな事はない。何でや?」
「何か・・そんな気がする」
「したらそれは有栖の方が飲んでないからやろ?」
「・・・・そうなんかなぁ」
 何本目かのスーパードライをトンとテーブルの上に置いて有栖はガサガサとドラえもんの、もとい、パチンコ屋の袋を漁り始めた。
「おい、アリス。これ以上出しても食べられへんよ。又今度・・・」
 江神の言葉は珍しく最後まで続けることが出来なかった。
「へっへっへー!!!」
「・・・・あのなぁ・・」
 取り出されたのはまごう事なくトランプだった。
 江神の脳裏に以前の記憶が甦る。
 (まだ忘れてなかったんか・・・)
 何かあるなとは思っていたのだが、まさかこう来るとは思わなかった。
「宴もたけなわになって参りました!ここらで恒例のトランプ大会を始めましょう!!!」
 いつからトランプ大会は恒例になったのだろう。
 もっともすでに酔っぱらい始めている有栖にはそんな事はどうでもいい事に違いない。
「今日はね、こんなについてたから絶対に勝てると思ったんですよ。何します?七並べ?神経衰弱?それともやつぱりここはダウトですかねぇ?」
 言いながら嬉々としてトランプを切る手は非常に危なっかしい。それを証拠にバラバラと畳の上に何枚かが落ちている。
「・・・なぁ・・アリス酔ってる時やなくてしらふの時の方がええのとちゃうか?」
「今日がいいんです。このツキがあるうちに江神さんに勝ってみせる!!」
「・・・・・・・」
 何もそこまでムキにならなくてもと思うのだが、それが有栖なのだから仕方がない。
「リターンマッチです。何にしますか?」
 にっこりと音がつくほどの微笑み。
 思わずそっと漏れ落ちた溜め息。
 そうして持っていた『スーパードライ』を一気に飲んで・・・・。
「・・アリスの好きなもんでええよ」
 どこまでも甘やかしているなと自覚をしながら江神は小さく口を開いた。
 
   

 
 
「・・・・・なんで?」
「・・・さぁ・・なんでやろな?」
「・・・どうして終わったんです?」
「そら・・手持ちのカードが無くなったから・・・かなぁ・・」
「何でなくなるんですか!?」
「・・・さぁ・・・」
 いつか何処かで聞いたようなやりとり。
 頭を抱える有栖の前で江神は銜えたキャビンに火を点けた。
 吐き出された煙がユラリと立ちのぼる部屋の中に有栖うめき声のようなものが響いて、江神は目の前のカードをトントンと綺麗にそろえ始める。
「というわけでトランプ大会はお開きやな」
「嫌です!!」
「・・アリス・・」
「せやって・・・」
「あのなぁ・・・」
「大丈夫です。キャビンなら2カートン交換してきてますから」
「・・・・・・・・・・・」
 今日は勝つつもりで来たのではないのだろうか?
 頭を掠めた素朴な疑問に、江神の口から溜め息が漏れた。
 無邪気でムキになりやすい後輩は負けるたびに自棄酒とばかりにビールを煽っている。
 すでに有栖は6連敗。
 転がる『スーパードライ』は4缶。『モルツ』は3缶。
 トランプも、酒量も限界に近いだろう。
「江神さーん・・」
「判った。したら次で終わりや。ええな。これが最後。勝っても負けても大人しく寝る」
 保父さんの心境で言いながらバサリと髪を掻き上げた江神に次の瞬間、有栖の瞳にジワリと涙が浮かんだ
「アリス・・・?」
「江神さんは迷惑なんや・・」
「・・・誰もそんな事言うてへんやろ?」
「せやって・・・」
 クスンと鼻をすする音がする。
「せっかくのバイトのない日に訪ねてきて・・ほんまは怒ってはるんでしょ?」
「・・・怒ってない。けどゲームはおしまい」
 再びクシャリと歪む顔。
 そして次の瞬間、有栖は実に酔っぱらい極まりない事を口にした。
「それやったら・・江神さんは僕とキスするんが嫌なんや」
「・・・・・・・なんだって?」
「嫌やから負けへんのや」
 ガンガンと痛み出すこめかみ。
 一体この後輩は何をいきなり言い出すのだろう。
 人の気持ちに気づかないにも程がある。
「・・・・それやったらアリスはなんでキスしたいんや?」
 突然の質問に有栖はキョトンとした顔をして江神を見た。
 僅かな沈黙。
 これは絶対に判っていない。
 思わず何度目かの溜め息をつきそうになった江神の前で有栖はフワリと笑って口を開く。
「そら勿論、江神さんを驚かせるためです」
「・・・・・・・」
 二度目の沈黙。
 もう十分にその意図を果たしている事に気付かない有栖に江神はクスリと笑いを漏らした。
「・・・別の意味でもええんやけどな」
「え・・・?」
「なんでもない。ほら、やるんやろ?何にするんや?
又ダウトか?」
 江神の長い指が器用にトランプをシャッフルしてゆく。
 三度目の短い沈黙。
 重なる視線。
「ババ抜き」
「・・・・ババ抜きな」
 二人だけのババ抜きほどアホらしいものはないが子虎になりつつある愛しい後輩の頼みじゃ仕方がない。
 スッスッと分けられてゆくトランプカード。
 扇状に広げられたそれを真剣な眼差しで選んで引いて、繰り返して・・・・・・・・。  
 やがて・・・
「・・・・え・・」
「・・・・ババや・・」
「うそ・・ほんまに?・・ズルしてません?」
「なんで負けるのにイカサマするんや」
「ですよね・・・え・・それやったら・・」
「おめでとう。アリスの執念の勝利やな」
「や・・・やったー!!!!」
「!!!!」
 言葉と同時に飛びついてきた身体。
 一枚だけ残ったジョーカーのカードが一瞬だけ宙を舞って・・・・・その次の瞬間。
「・・アリス?」
「・・・・・・」
「おい・・うそやろ・・・?」
 首にしがみつくように抱きついたままぐったりと動かなくなった後輩は、どう見てもどう見てもどう見ても!熟睡している。
「・・・バツゲームかこれは・・・」
 情けなくも漏れ落ちた言葉。
 こめかみが痛むのは絶対に酒のせいではない。
「・・・ほんまに・・・襲うぞ・・」
 けれどその呟きに返ってくる言葉はなくて。
 ReturnMatch。
 確かにこれはそうとしか言えない所業だと江神はズルズルと落ちてくる身体を抱き留めた。
 そうしてひどく満足げなその寝顔に小さな小さな溜め息を零しつつ、器用にキャビンを取り出したのだった。

 

その翌朝。
 抱きかかえられる様にして眠っていた自分に、とぎれとぎれの記憶を思い起こしてに有栖は蒼白になる。
 伺うようにチラリと上げては外される視線。
 それにフワリと笑ってキャビンに火を点けて。
「理由がなくてもしたい時にキスしてええからな」
「!!!!」
 更に有栖を混乱させながら、江神は小さく吹き出した。

おちない・・・