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長い恋〜もう一つのsimple〜 4

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「はい、有栖川です」
『相馬です』
「!!相馬さん!?」
 クリスマスが押し迫ってきた頃、有栖には一つの心配事が発生していた。だが、それは勿論相馬には判る筈もなかった。
『はい、先日はどうもありがとうございました』
「いや・・こっちこそ・その・・・」
 何と言っていいのか判らない。そんな有栖の顔が見えているかのように相馬はクスリと笑った。そして。
『サイン会の日程が決まったようですね』
「へ・・?・・ええ〜〜!何で知っとるんですか?」
 驚いたような顔が見えるような有栖の言葉に相馬は再びクスリと笑う。
『書店の壁に張り出してありましたよ。今月の日程って。残念ながらもうサイン会の整理券の配布は終了してしまっていましたが。凄いですね。すぐになくなったって店員の方が言ってました』
「・・そんな・・。ああ・・でも・そうですか・・」
 どこかホッとしたした色を滲ませた返事。それを聞きながら相馬は言葉を繋げた。
『でもクリスマスイブに仕事で東京なんて作家さんも大変ですね』
「ええ・・まぁ・・。けど平日やし、相馬さんかて仕事でしょう?」
『そうですね。さすがに休みは取れません。火村先生もまだ休みじゃないんですか?』
「・・・多分」
 一瞬遅れた返事。だが、それで相馬にはピンと来てしまったらしい。
『・・もしかしてまだ火村先生にはサイン会の事言っていないんですか?』
 書店でその日程を見た時に、チラリとそんなことを思ったのだ。勿論そんなことは相馬が心配するようなことではないが、かの助教授はあまり面白くはないだろうなと、もっとも仕事だから仕方がない事ではあるが、まさかそれを伝えていないとは思わなかった。
「いえ・・い・言おうと思っているんやけど、なんや忙しいみたいで連絡も来ぇへんし。こっちもちょっと原稿があって。でもほんまにそろそろ連絡をしようかなと思うてたんです。けど元々クリスマスを気にする男やないし。別に会う約束をしているわけでもないし・・」
『会わないんですか?』
「・・そういうわけやないけど・・その・・イブやのうてクリスマス当日にでも会えたらいいかななんて思ってみたりしてはいるんですけど・・・・・・・・・・あ〜〜・・・勘弁して下さい」
 有栖の言葉に相馬は小さく苦笑を落とした。
『別に苛めているつもりはありませんよ。でもやっぱりそうやってちゃんと言った方がいいと思いますよ』
 そう、有栖を何よりも大事に思っているだろう、彼の恋人がそれを判ってくれないとは思わないが、それでも人生の中に不変のものがあると思えるほど、相馬は甘い考えは持っていなかった。そう・・・小さな擦れ違いが重なるうちに大きな歪みになってしまうこともある。
「はい・・」
 素直に返事をした有栖に相馬は自分の中の老婆心を笑った。そして。
『ところで有栖川さん』
「・・はい」
『会いましたよ』
「・・・・・は?」
 いきなりの話題転換に有栖が間が抜けたような声をあげた。
『この前、有栖川さんが本当に好きならちゃんと言った方がいいって言ってくれたでしょう?だから、勇気を奮い起こしてちゃんと会いに行ったんです』
「!!・そ・・あ・・うん・・」
 それで?と聞くを寸前で押し留めたようなその返事に相馬はできる限りのさりげなさを装って口を開いた。
『逃げられてしまいました』
「・・え・・」
『顔を見た途端クルリと背を向けて真っしぐらに』 
「・・・」
 言葉を失ってしまったらしい有栖に相馬は言葉を続けた。 
『さすがにびっくりしてね、翌日もう一度、チャレンジしたんですけど声をかけようとした途端、まるで幽霊にでも会ったような表情をされましてね、同じく逃走』
「・・・・・・・」
『こうなると引けないような気分になって、数日おいて3度目のチャレンジをしてみたんですが、逃げ出そうとした手を思わず掴んだら「触るな」って怒鳴られました』
 そう言って相馬は思わず笑ってしまった。 本当にあれはすごかった。だが、受話器の向こうの有栖はとても笑える雰囲気ではなかったらしい。声が聞こえなくなってしまった電話口に向かって相馬はその名を口にした。
『有栖川さん?』
「・・・・はい」
『そんな風に黙り込まないで下さい』
「・す・・すみません・・」
『逃げ出されたり怒鳴られたりしたけど、私はやっぱり会って良かったと思ってますよ』
「・・・うん」
『外見は少し変わりましたけどね、でも私が知っている彼とあんまり変わっていないような気がして、実は少し嬉しい気持ちなんです』
「・・・・・・・」
『何しに来たんだって向こうが言ってくるまで少し回りをチョロチョロしてみようかなと思う位には浮かれているんですよ。それにね、こんな時間に電話をしたのは、実は先程会社の近くでそれらしい人影を見かけたからなんです。ちょっとこれは希望が持ちたくなるでしょう?』
 そうなのだ。さすがに触るなと言われ、これ以上仕事を途中で抜け出すことも叶わなくなり、もう一度『会う』意味を考えようと思っていた矢先、会社の近くでその姿を見かけたのだ。
 彼と別れた後も相馬は引越しをしていないし、職場も変わっていない。だから彼が相馬の居場所をつきとめるのは簡単なことなのだ。
 もっともその簡単である筈の事が今まで一度もなかったのは真実で、今回のそれも立て続けにやってきた昔の男が、パタリと姿を見せなくなって気になったのか、それとももう二度と姿を見せるなと最後通告をしに来たのかは判らない。けれど自分たちの間で止まっていた時間が動き出したことは確かだ。
「・・・・相馬さんは」
『はい?』
「やっぱり強いなぁ」
 有栖の言葉に相馬は少しだけ苦いような笑みを浮かべた。
『そうですか?単なる天邪鬼なのかもしれませんよ?会うまでは怖かったけれど、引かれると追いかけたくなる。でもね、引き際は間違えちゃいけないなと。それくらいの分別はあるつもりです』
「・・・・・・うん・・」
 それはちゃんと判っている。『会う』事を決めた時点で相馬が1番はじめに戒めたことだ。はじめることが前提ではなく、終わることを想定しているのかと思う自分もいたが、物語の全てがハッピーエンドではない事は遠の昔に判っていたし、有栖には“朗報”などと言っていたが、寄りを戻す事だけが幸せなわけではないのだ。
『サイン会は当日はこっそり覗きに行きますね』
 再び変えた話題に有栖は「こっそりやのうて声をかけて下さいよ。でも花束は勘弁して下さい」と返してきた。
 多分有栖もそのことを感じてはいたのだろう。
『判りました。それで有栖川さんはその日の内に帰る予定なんですよね?』
「ええ。でも打ち上げがどうとか言っていたので、もしかすると翌日の朝になるかもしれません」
『ああ、出版社の方とですね。残念。じゃあお誘いするのは次の機会にしましょう』
「また大阪の方にいらっしゃるでしょう?今度こそ相馬さんに負けないようにいい店を探しておきますよ」
『楽しみにしています。では、とりあえずはクリスマスイブに』
「はい」
 有栖の短い返事を聞いて相馬はそっと携帯を切った。
 思わず溜め息のように漏れた息。
 時間までと停めていた車から降りて、相馬はその顔を仕事のものへと切り替えた。


同じシーンでも視点によって結構印象が違う感じでしょうか。