相馬氏の独り言


「今晩和、相馬さん」
 ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべながら入ってきた男。
 彼が自分よりも2歳も年上だと知った時は本当に驚いたものだと相馬明人はもう幾度も思った事実を今更ながらのように思いつつ、にっこりと笑って口を開いた。
「今晩和、有栖川さん。お元気でしたか?」
「お陰様で。相馬さんの方は前に仰ってた大きなプロジェクトが動き始めたんですか?」
 言いながら向かいの席に腰掛けた男は有栖川有栖。 この大阪に住む推理小説作家である。
「ええ。しばらくはこちらでの暮らしになります」
「大変そうやなぁ。けど、そしたら今度はちょくちょくご一緒出来ますね」
 笑いながらそう言う有栖に相馬は小さく顔を綻ばせた。本当にこの推理小説家は素直で、純粋で、思わずその笑顔を守ってやりたくなってしまう。
 決して彼自身には、儚い様な印象も、弱々しさも無いと言うのに、それでも何でもその笑顔を見ると自分までもが幸せな気持ちになって行くような気がするのだ。それ故に、守ってやりたい。
「相馬さん?」
 思わず黙ってしまった相馬に有栖は不思議そうな声を出した。
「ああ・・すみません。でも有栖川さん。そんな事を言ったら心配をする人がいるんじゃないですか?」
 少しだけ意地の悪い笑みを浮かべると、有栖は何を言われているのかまるで判らないと言う表情を浮かべた。そうして十数秒。
「・・!!!!」
 いきなり火がついたように真っ赤に染まった有栖の顔に相馬は思わず吹き出してしまった。
「・・相馬さん!」
「失礼。いえ、あんまり見事な反応をなさるのでつい・・。ではその分では今日は『朗報』をお聞きできるんですね?」  相馬の言葉に有栖は赤い顔を更に赤くしてジャンケンに負けた子供のような顔で睨んでくる。
「・・ほんまに・・どんどんイケズになっとるんちゃいます?」
「そんな事はないですよ。昔からこういう性格です」
 そう言って再びににっこり笑った相馬を見つめ、もとい、睨んだまま有栖は「嘘や」と呟いた。

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 有栖と相馬の出会いは今から2年ほど遡る。
 薄暗い小さなバーで一人グラスを傾けていた有栖に相馬が声をかけたのだ。
 その頃の有栖は火村への自分の思いに気付き、その思いを告げることもどうすることも出来ずに持て余していた。だから声を掛けられた時、有栖は驚きと同時にショックを覚え、真剣な顔で相馬に尋ねた。
『私はそう言ったような・・・その・・男性から声をかけられるような、そう言う人間に見えるんでしょうか?』
 その問い掛けに相馬は言葉を失って、次の瞬間ゲラゲラと笑い出し、ついでこう口にした。
『声をかけてしまったのは、もしかすると私もそう言う人間だからかもしれません。私も、男が・・と言うわけではなく、好きな彼がいます』
 そうして驚く有栖に相馬はこう問い掛けた。
『その恋は苦しい恋なんですか?』
 だから有栖はもう一度相馬に尋ねたのだ。
『この気持ちはおかしなものだとは思いませんか?』
 真っ直ぐに向けられた視線。そして・・・・
『誰かを好きになるって言う気持ちにおかしいもおかしくないもないでしょう?』
 その日から二人は同じ思いを持つ“同胞”となった

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 タイミング良く運ばれてきた料理の数々。
 この店は以前有栖が料理も酒も旨いと絶賛をした店だった。だから今回再び大阪にやってきた相馬から誘いが入った時、有栖は「又、あの店に行きたいなぁ」と思わずそう言ってしまったのだ。
 あの日と同じく料理はとてもおいしかった。
 運ばれてきた白ワインも銘柄は違うようにも思えたが口当たりも優しく、よく冷えている。 ただ唯一あの時と違うのは・・・・。
「そう言えば、有栖川さん。今日は彼は呼ばれなかったんですか?」
「・・へっ?」
「嫌だなぁ。忘れちゃったんですか?ちゃんと朗報を聞かせる約束をしたでしょぅ?」
 食事が半分も進んだ頃に、相馬は何気ない口調でそう切り出した。
 途端に目の前の有栖がゴホゴホとむせる。
「大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫やないですよ。いきなり何て事言うんですか!」
 うっすらと涙を溜めてむせる微かに赤く染まった顔に相馬は思わずクスリと笑う。
「いきなりじゃないですよ。ちゃんと言ったでしょう?彼もどうぞって」
 グラスを傾けながらそう言うと有栖はムッとした子供のような瞳を向ける。
 再び零れた笑い。
(彼がからかう気持ちが判るよなぁ・・)
 そう。一度だけ見た有栖の思い人。
 2年間ずっと有栖の言葉だけで聞いていた男は有栖が語っていた通りでもあったし、何故有栖が気付かなかったのか頭を抱えたくなってしまうほど有栖だけを見つめる瞳を持っていた。
「ほんとに忘れちゃったんですか?うまくいったら朗報を聞かせて、ちゃんと紹介してくれるって約束したじゃないですか」
「してませんて!」
「ああ、違った。彼に自己紹介して貰うんでしたね。有栖川さんの場合」
「そ・そんなん出来へんて言うたやないですか!」
 ワインのせいだけではない赤い顔がひどく慌てて言葉を紡ぐ。
 怒ったような、困ったような、焦りまくった顔が可愛くて、おかしくて・・・・。
「やっぱり呼んでなかったんですね。じゃあ正解だったな」
「・・・正解?」
「英都大学社会学部の助教授、火村英生氏」
「・・・え・・俺・・大学名まで・・」
「だって有栖川さん母校で助教授をしているって仰ってたでしょう?それで、その前には英都大学のミス研だったって。私にもこれくらいは推理が出来るんですよ。ほら、いらっしゃった。こちらです!」
 言いながら上げられた手に有栖は驚いたように後ろを振り向いた。
 果たしてそこにいたのは・・・。
「!!」
 真っ直ぐに近づいてくる見慣れた顔。
「ひ・・火村・・」
「遅くなりました。今日はわざわざお招きいただきまして」
「いえ、こちらこそ。お忙しいところを恐縮です。有栖川さんに是非ご一緒にとお誘いしたのですがどうも声をかけていただけないようなご様子でしたので、失礼かとは思いましたがご連絡させていただきました。 どうぞおかけになって下さい」
 幾分引きつったような蒼い顔をした有栖の横に火村はカタンと小さな音を立てて腰を下ろした。
 ついでやってきたウェイターに「ビール」と注文をする。
「さて、有栖川さん。ご紹介いただけますか?」
「・・・・・・」
 相馬の言葉に有栖はチラリと隣に座った男を見ると何故来たのだと言わんばかりにふいと視線を逸らしてしまった。
 思わず漏れ落ちた2色の笑い。
「それでは私の方から自己紹介を。相馬明人と申します。こちらで企画の方を担当しております」
 差し出された名刺を火村は軽く会釈をして受け取った。その途端運ばれてきたビールのジョッキに、ウェイターが行ってしまうのを待つようにして、相馬は再び口を開く。
「まず、先日は失礼いたしました」
 一度切った言葉に、その意味を理解したのはやはり火村だけだった。
 そのままもくもくと料理を口に運ぶ有栖の隣でほんの一瞬だけ動いた表情を見て相馬は更に言葉を続ける。
「有栖川さんとは2年程前にひょんな事で知り合いまして、それ以来、本社が東京なのでこちらに出張に来た時など、食事や酒をお付き合いして戴いています」
「そうですか」
「今日は本当は有栖川さんから先生のご紹介をしていただく筈だったのですが、こちらが出過ぎたことをしてしまってご機嫌を損わせてしまったようで・・・」
「ああ、気になさらないで下さい。こいつのこんなのはしょっちゅうですから。もう少し腹が膨らめば陽気になるか眠くなるかのどちらかになるでしょうから。後は放っておいても機嫌が悪かったことなど綺麗さっぱり忘れてますよ」
「!!ちょっと待て!!どうして君はそういう」
「本当のことだろう?」
「ちゃうやろ!?もっとこう友人を労るような、そういう言葉がかけられんのか?」
「いつも労ってやっているだろう?修羅場の時に食事を差し入れてやったり、部屋を片付けてやったり、生きてるのか死んでるのか生死の確認の電話もしてやっているし至れり尽くせりじゃねぇか」
「!!もうええ!君にそう言うデリケートな事を求めた俺がアホやった」
 目の前で繰り広げられる、おそらくいつものことであろうやりとり。それにクスクスと笑って相馬はグラスを傾けた。  そう。先程有栖に言ったように確かに相馬は英都大学の電話番号を調べ、火村英生という助教授にコンタクトを取ったのだ。
 ただそれは今日・この店で・7時に有栖と会うと言うことを告げて、よろしければと一言を添えただけのものだったのだ。
 けれどそれでも彼は来た。
「さて、それでは私の自己紹介はこれくらいにして。次はどうしましょう?有栖川さん」
「・・・・・・・」
 向けられた眼差しに浮かぶ、どこか楽しげなその色に有栖は思わず胸の中で舌打ちをする。
 訪れた沈黙。
 突き刺さる視線。
 そして・・・・。
「仕方のない奴だな」
「火村?」
 聞こえてきた溜め息混じりの言葉に有栖は一瞬だけやはり持つべきものは友だと思った。
 前回の約束とも言えないような約束を聞いていない火村が自分で自己紹介をしてくれればそれはそれで済んでしまうではないか。
 だが、しかし・・・・。
「では、とりあえずお礼を申し上げた方がよろしいでしょうね」
「・・・・何言うて・」
 キョトンとしてる有栖と、楽しげな相馬と、ニヤリと笑う火村。
 三者三様のその中で、有栖は思い知らされる事になる。
 そう・・・火村はやっぱり火村だった。
「有栖川の友人から恋人に昇格した火村です。よろしく」
「!!!!」
 有栖の声にならない声が上がる。 
 瞬時にこれ以上赤くはなれないと言うほど赤く染まった顔がおかしくて、可愛らしくて・・・
「心臓の発作がおきなくてよかったですね、有栖川さん」
「相馬さん!!」
 笑いながらそう言う相馬に有栖が怒鳴る。
「おい、お前はいつから心臓が悪くなったんだ?」
「!!やかましい!!どれもこれもみんな君のせいや!!アホんだら!!!」
「・・・店内で大声を上げるなよ」
「上げさせるような事を言うたんやどこのどいつや!」
「本当のことしか言ってないぜ?」
「なおさら悪いわ!」
 目の前で始まったどうしてもノロケとしか言えない痴話喧嘩。
 それを聞きながら相馬は程良く焼けた子羊肉を口に放り込んだ。
 そうして次の瞬間・・・・
 一足先に歩き出した同胞に「お幸せに」と小さな声でエールを贈ったのだった。

エンド



オリキャラの相馬さん。気に入ってくださっている方が多くてビックリです。キリリクの方でも上がっているのよね・・
有り難うございますm(__)m