寝正月

「今年はとにかく寝正月をする!!」
 長年の友人であり、数年前から恋人でもある母校の助教授火村英生手製の年越しそばを食べながら、大阪在住の推理小説作家・有栖川有栖は何の脈絡もなくいきなり高らかにそう宣言をした。
 それはもうあと少しで日付が変わる、なし崩し的についているテレビの『紅白歌合戦』が大トリのクライマックスを迎えると言う時間で、その宣言を聞きながら火村はそれを言うなら“今年の正月”ではなく“来年の”だろうというツッコミを胸の中で入れつつそばを啜って「へぇ」と小さく返事を返した。
 有栖のこういう突拍子のない行動は付き合いが長いぶん慣れている。
 下手に揚げ足をとって機嫌を悪くさせる必要もない。何しろ火村にとっても【寝正月=初詣に引っ張り出されない】というのは実に魅力的なものだったのだ。
「何やその“へぇ”っていうのは」
「いや、どうした風の吹き回しなんだと思ってさ。今年はクリスマスもなかったしな」
 火村のその言葉に有栖は思わず眉間に皺を寄せて唸った。
 そう。自業自得と言えばそれまでだが、有栖は年末ギリギリまで原稿を抱えて唸っていた。
 上がるはずだったクリスマスの前に原稿が上がらずイベント好きの恋人が泣く泣く『クリスマス』を諦めたのは火村も良く知っていた。
 もっともまさかその原稿がその後も押して押して押しまくり、東京から引きつって目の下にクマを2.3匹飼っている様な担当者がやってきて2日間拘束されたあげく、確認をする間もなくフロッピー毎奪われるようにして持ち去られた事までは流石の火村も思いつかなかっただろう。
 そうしてその後、ベッドにダイブして、58時間ぶりにベッドでの睡眠を貪って、目覚めたのはすでに『大晦日』と呼ばれる日にちだった等とは口が裂けても言えない。
 勿論それに関しては有栖自身、信じられないほど驚いた。
 年が明けてなくて本当に良かった。
 ベッドの上で呆けたまま思ったのはまずそれだった。
 長年作家をやっていれば年末進行というものがある事は有栖もよく判ってはいる。
 けれど判っていたからと言って筆が進むものではないというのもまた道理なのだ。
 そんな事を言ったら口の悪い恋人に鼻で笑われるのは目に見えているのでこれもオフレコだが、とにかく
人には言えないような時間を寝ても、今の有栖には初詣だ何だと出だす勇気も体力もなかった。いくら寝ても寝足りないというのが本音だ。
 あの睡眠時間はこの時間に火村と紅白を眺めつつ、飲んで、そばを食べただけで使い切ってしまった。
 だから又ひたすら寝て体力を回復しよう。
 確かにイベント事は好きだが、全て体力があればこその話だ。
 命を削って(大げさだが・・)初詣に行っても仕方がない。クリスマスも神頼みも残念だけど次回に期待だ。
 そんな事をつらつらと考えてしまった有栖の耳に火村の呆れたような声が聞こえてきた。
「おいおい、黙り込むなよ。そんなに原稿が押したのか?大体お前いつ脱稿したんだ?」
 そばを食べ終えて銜えたキャメルに火を点けた火村に有栖は再び眉間に皺を寄せた。
「別に・・そんなん・・とにかく!今年はどこにも行かない。ほんまに寝正月するからよろしく」
「・・・よろしくって何をよろしくされるんだ?」
「そんなん決まっとるやん。家事一般って事や」
 ケロリとそう言って有栖は勝敗の集計に入っている画面に視線を移した。
「ああ、もう終わりや。除夜の鐘はこの後の『ゆく年来る年』で聞いたらええな。君のとこやったら窓を開けておけば色々聞こえるんやけどな。なぁ、お茶欲しい」
「・・・自分で入れろ」
「いやや。動かれへんもん。お茶。渋めのでお願いします」
「ふざけるな。正月休みは平等だ。そばを作ってやったんだ。そっちこそお茶くらいふるまえよ」
「・・・いーやーやー・・お茶、お茶が飲みたいー」
「アリス・・」
「あ、除夜の鐘や。うわ寒そう。雪やで、雪!」
 クルクルと変わる話題に火村は思わずこめかみを押さえてしまった。画面には確かに寒そうな雪景色が映っているが、あまりにも脈絡が無さ過ぎる。そして悲しいかな、こうなってくると何をどうしても有栖が自分の意見を譲る事はないだろうと言うのも火村には判ってしまうのだ。
「・・・覚えてろよ・・」
「何?」
「何でもない」
 短くなったキャメルを灰皿の上に押しつけて火村はゆっくりと立ち上がった。
 それを横目で眺めつつ有栖はすぐさま「ついでに婆ちゃんのおもたせの漬け物も食べたい」と声を出す。
「持ってきたのは俺だ」
「でも持たせてくれたんわ、婆ちゃんやろ。今度行ったらよぉお礼しとかなあかんな」
「・・・・・」
 何となく、判りたくもなかったが何となく、火村はぐうたらな亭主に殺意すら抱く主婦の気持ちが判る様な気がした。
 その途端・・・・。
「あ、12時や。明けましておめでとう。今年もよろしく」
 聞こえてきた声に火村はお茶の葉を入れていた手を止めて思わず有栖を見た。そうして次の瞬間、ニヤリと笑ってリビングに戻る。
「あれ?どないしたんや?お茶は?」
「お湯がなかったから沸かしたら淹れてやるよ。ついでに正月うちの家事全般も引き受けてやる。クリスマスのなかった可哀想な推理小説家にせめてものプレゼントだ」
「・・・・・そらどうも・・」
 言いながらニヤニヤと笑う火村に有栖は思わずヒクリと顔を引きつらせた。
 火村が有栖の行動や表情で有栖自身の状態がおおよその見当を付けられるように、有栖も又、長い付き合いの中から、火村の事が判ってしまう事があるのだ。
 この笑いは何か良くない事を考えている。
 おそらく有栖にとってあまりよろしくないタチのものだ。自分はちょっとばかりやりすぎてしまったのかもしれない。
「いや・・・その・・・全般言うても、正月やから掃除かはせぇへんし、食事もほら、君が持ってきてくれた婆ちゃんのお重があるし・・・」
 反発する磁石のようにジリジリと近づいてくる火村からジリジリと逃げる有栖の背中がトンとソファの箸に当たった。
「ひ・火村?」
「遠慮するなよ。ちゃんと協力してやるさ。寝正月だろう?奇遇だな、俺もそうしたいと思っていたんだ」
「!!!!」
 そう言った途端重なった唇に有栖は声にならない声を上げた。
「ご要望通り、寝て過ごそうぜ?アリス」
「ね・・寝る意味が違う!!俺は純粋に眠りたいんや!」
「だから、眠らせてやるよ」
「違う!」
「違わない。寝て過ごせば寝正月だ。初詣もどこにも行かない。お前がそう言ったんだぜ?」
「火村!!」
 クスクスと笑う火村の声と同時にゴーンというテレビの中の除夜の鐘が部屋の中に響く。
「やめ・・ほんまに・・」
 言っている間にも脱がされてゆく服とソファの上に押し倒されて重なる身体。
「・・ここでやったら、次は寝室な。何たって寝正月だから」
「あ・・や・・」
「いい正月だな、アリス」
「・・アホぉ・・!」
 小さな悪態が、煩悩を払う筈の鐘の音をバックに甘い喘ぎに変わるまでにそれ程時間はかからなかった。

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ううう・・・
まぁいつも通りというか。多分こんな感じなんじゃないでしょうか。
こんな二人同様、今年もよろしくお願いします(^_^;)