愛しい人へ

たまき


大阪府警の捜査一課に熱血刑事が一人。
名前は森下恵一。イタリアのデザイナー・ブランドのスーツがトレードマークの、ジャニーズばりの容姿とスタイルを誇る彼を、私、大阪在住の推理作家、有栖川有栖は敬愛を込めてハリキリ・ボーイと呼んでいる。
「有栖川さん」
大学からの親友であり、目下ちょいとわけありの関係にもある火村のフィールドワークに同行するうちに親しくなったこの愛すべき青年に、思いがけないところでばったり会った。
私の散歩コースの一つ。天王寺公園にほど近い慶沢園の橋の上だ。
「あ、森下さん。こんにちは」
ちょっと慌ててしまった。なぜって、今の今まで私が考えていた事といったら・・・
「何をご覧になっていたんです?」
ハリキリ・ボーイは元気一杯、溌剌という言葉はこういう人の為にあるのだと思えるほどの軽快さでひょいと私の背後を覗き込む。
「あー。有栖川さん、もしかして、ボートに乗りたくなったんじゃありませんか?」
…そのとおりだよ、明智君。いや、森下君。
三十半ばも過ぎた男が池のボートに乗ってみいなどと、我ながらちと恥ずかしい。一人で乗るのもうらぶれた寂しい中年の見本みたいで嫌だし、といって恋人にはそんなこと頼めないし。頼んだが最後、思いっきり馬鹿にされて嫌味の百や二百は軽く言われるに決まっている。
だけど乗りたいものは乗りたいのだ!と思っていたところに現れたのが森下刑事だった。
「じゃ、二人で乗りましょう!」
なんのてらいもなく全開の笑顔を見せる青年の眩しさといったら。
「僕も乗ってみたくなりました」
「え、ほんま?」
「ほんまです。行きましょう行きましょう」
森下君、ええ奴や〜。今度酒でも奢ってやろう。
スキップしたくなるくらい、うきうきした気分で貸しボート屋へ行き、
「いいですよ、これくらい。僕が払います」
金を払ってもらった。
「ほな俺が漕ぐわ」
とオールを水の中に突っ込んで前進させようとしたけれど思うように動かず、
「僕の方が体力ありますから」
見かねたのかさっさと代わってくれた。
「一緒に漕いでもいいんですけど、規則ですからねぇ」
「二人で漕いだらあかんのやね。知らんかった」
「バランスの関係でしょうね」
男二人が並んで座ってボートを漕ぐというのもうすら寒いものがあるし。
「森下さん上手いね。もしかして、ここには彼女とよく来るの?」
「来ませんよ。今まで母親の買い物に付き合わされてたんです。同窓会に着ていく服を買うとかで朝から呼び出されて。昼飯は奢ってもらいましたけどね」
さすがは好青年。親孝行もしっかりしているようだ。見習わねば。
「男二人で乗ってるなんて、あんまりゾッとせえへんね。可愛い彼女でのうてごめんな」
他はアベックか親子連れ、昼寝を楽しむサラリーマンらしき人の姿ばかりだ。
「僕は楽しいですよ。有栖川さんは僕と乗るの嫌でしたか?」
「そんなことないよ。けど森下さんやったら、俺みたいなおっさんと乗らんでも…」
「有栖川さんのどこがおっさんなんです?僕ら、傍目には同じくらいに映ってるんやないのかなぁ」
朗らかに笑って言ってくれるが、それはそれで少しばかり問題である。
「森下さんとは10も違うんやで」
我ながら貫禄ないけれど。
池に映る自分の姿に溜息をつきたくなった。
「そうなんですよねぇ。10も違うんですよ。もっと早く生まれていればなぁ」
「はいぃ?」
いきなり空を仰いで動きを止めた森下君に少々面食らう。
「どうかしたん?」
ボートは池のど真ん中。周りには他に誰もいない。
「…森下さん?」
長い脚が私の脚に触れた。膝の上に両肘をつき、組んだ指の間から私を見上げる瞳の色が気になった。気分でも悪いのだろうか。
「有栖川さん…」
「どうしたん?もしかして、船酔い?」
何かマヌケな事を言っただろうか。森下君はおかしそうに笑う。
けれどもその笑いもなんだか乾いているようで・・・
「もう、吐いちゃいますね」
うんうん。苦しいのは無理せん方がええ。はようゲロって楽になり。
 
「僕、あなたが好きです」
 
 
 
あなたがすきですあなたがすきですあなたがすきです…
 
 
 
頭の中にその言葉ばかりが巡り巡って…
 
「ありがとう」
超マヌケな言葉を紡いでいた。
 
目の前で森下刑事がくすくす笑う。
これはもしかして…。
「森下さん、俺のことからこうた?」
畜生。年上の男をからかうなんて。悪趣味や。
アルマーニのスーツがトレードマークのハンサム刑事。今日はトレーナーとジーンズという軽装だが、元がいいのでバッチリ決まっているのが憎らしい。
「僕の一世一代の愛の告白ですよ。からかうだなんて」
さらさらした髪が風に揺れた。どこかのセンセとは対照的な爽やかさだ。
「笑うてるやん」
一世一代の愛の告白がお笑いになってどないすんねん、と突っ込んでみる。
まったく。近頃の若いもんは言葉の使い方がなってない。などと歳よりじみた感想とともに。
「力が抜けたんです。有栖川さんが全く予想外の反応を示してくださるから。もっと嫌な顔をされると思っていました」
指で梳く前髪がさらさらと…。
うーん、やっぱりいい男は何をやってもサマになる・・・なんて言ってる場合か。
「びっくりしてどう反応してええんかわからんかったんや」
まだ疑惑が晴れたわけではないぞ、森下君。
「驚きました?それじゃ、全く僕の気持ちに気づいておられなかったんですね」
僕の気持ち? 僕の気持ちって、僕の気持ちってなんですか?
「…って、ホンマに、マジに言うてはるん?俺のこと好きって、その…そういう意味で?」
「そういう意味で、です」
おいおい、ちょっと待ってくれ。言うてる意味がわかっとんのか?
森下君、君、国語の成績どうやったん?などと突っ込みかけたが、あまりに真剣な目の色に圧倒されて・・・
「俺、10も年上やで?」
再びマヌケな台詞が飛び出す。そういう問題じゃないだろう。
こういう時こそ年上の貫禄見せたらんかい!
「それくらい、今の世の中不思議じゃないでしょ」
そんな爽やかに答えられても…。
「でも俺、男やし…」
「それも不思議じゃないですよ今時」
う。確かに。
いやいやいや。それはそれ、これはこれ。えーっと、だから、つまり・・・
え〜っっ!!!本気かいな君?
「けど、あの〜、その〜…」
ちょっと待ってくれ。こういうの初めてで、その・・・心の準備が…。
「迷惑ですか?」
迷惑やないけどパニックです。
「俺にはその…決まった相手が…っていうのもおかしいな。えーっとぉ、なんちゅうたらええんかな〜、あのな…俺には…そのぉ〜、好きな奴が…」
うわわっ、照れるっ!超恥ずかしいっっっ!
だから君の気持ちには応えられない、なんて陳腐な台詞、腐っても職業作家、使うわけにもいかなくて…けど他にうまい言い回しが思いつかない。あああああ〜っ、俺のあほあほあほ〜。
「知ってます」
貧弱な頭を抱え込んでいると、仰天するるような台詞が返ってきた。
あまりにあっさり言われて、まじまじとその顔を見てしまった。
――― 俺の好きな奴を知ってる?
たらーりと背中に一筋の汗。どきどき、ばくばく心臓の音。
「あの…知ってるって…好きな奴がおるってことを?それが誰かっちゅうことも?」
まさかそんな…いくらなんでも…嘘やろう???
「火村先生でしょう」
ちゃらら〜ん、ひゅるるるるる〜。
ひえぇぇぇぇぇ〜っっっっっ!!!
あああああ〜〜〜。そうか〜。頭が真っ白とはこういう状態をさすのか・・・。
なーんて現実逃避している場合か!
私のパニックをよそに、青年刑事は淡々と続ける。
さすがは府警のホープだ森下君!先輩諸氏の教育が行き届いてるようで。
「そんなのバレバレですよ。っていうか、お二人とも別に隠そうとしてないでしょ?」
あの〜、刑事さん、バレるような態度もとってないつもりなんでけど…。
「火村先生なんか露骨に牽制してこられますしね」
ひっ、火村のアホ〜っっっっっ!京都に向かって放つ怨念!
「僕が有栖川さんのこと見てるでしょ。そしたら必ず僕の視線を遮るような位置に立たれるんです。僕にしか見えないようにあなたの肩や腰を抱いたりするし。あ、これ見よがしにあなたの髪にキスしたこともありましたよ」
そそそそそ、そんなことがあったんか。知らんかった〜。
――― 火村、危ない奴!…今更やけど。
「可愛いなぁと思いました。望みはあるかな、とも」
可愛いって火村が? いやそれよりも、望みって望みってなんやねん。
「だって火村先生がそんなに僕を意識するってことは、先生はあなたの気持ちに不安をもっているってことでしょう?あなたが自分の物だという揺ぎ無い自信があれば、火村先生の性格からして僕なんか歯牙にもかけないと思うんです」
そ、それはそうかも…。
けどそれって、火村が俺を信用してないってことか?そんなん考えたこともなかった。
あ…なんか、すごい…ショックや。
「ねえ有栖川さん、僕は全く対象外ですか?」
ちょっと、ちょっと待ってくれ。今、そんなこと言われても俺・・・
あっ、ちょっとタンマや。ちょお待って。何すんねん。
「ほら。こんなにドキドキしてる。あなたを思うと、いつもこんな状態なんです」
思った以上に大きくて力強い掌につつまれた私の手が、森下の心臓へ導かれ、そして唇へ・・・。
ちょ、ちょう!森下さん!人が見るうぅぅぅ〜〜〜っっっっっ!
「アリスさん、真っ赤ですよ」
ああああ、あたりまえやっっっ!
10も年下の男に手にキスされて、平気のへの字でおれるかいっ!
「混乱してはります?」
当たり前なこと聞くな。
「ここ、一種の密室ですよね」
う・・・何がいいたいんや?
「ここで僕がせまったら、あなたに逃げ場はないわけだ」
せまる?せまるって、せまるって、せまるって何じゃ〜?????
「せせせせ、せまるうぅぅ〜っショッカぁ〜」
顔を硬直させたまま、混乱しきった私は突然懐かしいテーマソングを口ずさんでいた。
我ながらアホである。
そして、そんな私を目の前にした森下刑事は、目を点にした一瞬後、腹を抱えて笑い出した。
「なんですかそれ〜っっっ」
照れ隠しに、ふんぞり返って言い返す。
「知らんのか。これやから最近の若いモンは。不滅のヒーロー、仮面ライダーのテーマソングや!」
「は、ははははは。アリスさんらしぃ〜!」
「なんやねんそれ。俺らしいってどういうこっちゃ」
「火村先生とやったらここからその話で盛り上がるんですね」
「そらまあ、あいつとは同い年やからショッカーて何?なんて聞かんわな」
思いっきり馬鹿にされるかもしらんけど。
「羨ましいですよ。本当に。なんで僕ももっと早く生まれなかったのかなぁ」
「何を言う。君なんか物心ついた時からビデオも電子レンヂもあったんやろ。家族間の熾烈なチャンネル争いなんか知らんやろ。黒電話なんか見たことないんとちゃう?」
「そういう話、いっぱい聞かせてくれますか?」
仮面ライダーの話をか?
「仮面ライダーでもウルトラマンでも。あなたのことならなんでも」
憂いを含んだ微笑に、少しばかり胸がきゅんとなる。う。これはちょっと、ヤバイかも。
「…俺のこと好きって、友達としてやのうて?」
そんなこと、今ぶり返してどないする!まったく、我ながらどうかしてる。けど…
「友達として…なんかじゃありません。一人の人間として、あなたが好きです」
見上げる瞳は怖いくらい真剣で…
「迷惑ですか?」
笑いに流すわけにはいかなかった。
森下君、君、その憂いを含んだ瞳で何人の女を泣かせてきたのだね?
「森下さんみたいな人に好かれて迷惑なわけないでしょう」
泣き出しそうな微笑に、またもや胸の奥がずきん。ええ男は何をやってもサマになるなぁ。
「俺は…火村とは違った意味で、森下さんのこと好きやよ。実力行使に出られると困るけど。でも森下さんは理性ある刑事さんやし、それはないと安心してもええよね?」
いい年をした大人の男として、けじめだけはつけておかねば。森下君にも、自分にも。
「火村を犯罪者にしとうないし」
『火村』の一言で森下君の笑顔が目に見えて変化した。
「怖いこと言いますね〜。それって、脅迫ですか?」
何かふっきれたような、明るい笑顔。
そう。君とはこうやって笑いあっていたい。だから…
「人聞き悪いなぁ。単なる魔よけの護符や」
魔をもって魔を制すって感じやな。
「うーん。ものすごーく効果ありそうですねー」
「そらもう、怨霊退散、効果絶大や」
――諸刃の刃やけど。
「学業成就にも効きそうです。でも家内安全、商売繁盛、交通安全はどうかなあ」
「商売繁盛はないわ。あいつ、いつもピーピーしとるから。安産祈願もあかんやろし」
二人でひとしきり笑いあったところで岸の方から私たちの乗ったボートの番号が呼び出された。
「ああ、もう時間やね。そしたら岸まで、もう一漕ぎお願いできますか」
「了解。ではアリスさんの重みをこの腕に感じながら、心を込めて漕ぎますよ」
「あ、なんかヤラしいな、その言い方」
「それで我慢するんですから許してください」
漫才のようなやりとりをしながら森下君がオールを力いっぱい水面に入れた時だった。
船頭さんのポケットから携帯電話の着信音。
「ちょっと失礼します」
すっと顔が引き締まったところをみると府警からの緊急連絡かもしれない。
『おう。休みのところ悪いな森下。コロシや』
案の定、船曳警部の聞きなれた声が。
緊張しかけたその時、私のポケットからも六甲おろしが響いた。
森下君の携帯に心を奪われていた私は、着信表示をよく確認もせず…
『火村先生もちょうどこっちへ来てはってな。これから同行してもらう』
「えっ。火村もおるんか?」
「あ、アリスさん、もう繋がってますよ、その携帯!」
「え、あっ」
そして地を這うような火村のバリトンが。
『…アリス。おまえ今、森下と一緒なのか?』
なんという間の悪さ!
顔を見合わせた私と森下君を嘲笑うように、
「52番、52番さん。そこの男性二人連れ、時間ですので急いでボートを岸まで戻してくださ〜い」

 
――― 非常なアナウンスは、もちろん火村の耳に届いているのだろう。
 
 
 
 
 
 
「あんまり複雑な事件やのうてよかったな」
事件現場から大阪府警、そして自宅へと向かう車の中で、火村は私に終止無言を貫き通した。森下君には私でさえ肝を冷やすほどの凄まじい殺気を孕んだ視線を投げてよこしたくせに。
その森下君は、現場の緊張感を必要以上に盛り上げている火村のオーラを物ともせず、堂々と捜査に加わっていった。さすがは府警の期待の星、と言いたいところだが、私の側を離れる前に、私の肩をぽんと叩いていったのが火村の神経を逆撫でしたように思うのは気のせいだろうか。
マンションの部屋へ入るなり、いきなり火村が私をドアに押し付けた。
「どういうことだよ!」
「ちょお、火村。痛いって。まだ靴も脱いでへんやん。話はコーヒーでも飲みながら…」
予想されていた事だが、私の言葉は火村の唇によって乱暴に遮られる。
「…んっっ」
「なんで森下なんかと…」
「待てや。ちゃんと説明するて言うとるやろ」
まったくもう。これが普段ポーカーフェイスかまして偉そうな事言うてる男のすることか。
火村を押しのけてキッチンへ行く。火村もしぶしぶリビングに向かう。
さて、どこからどこまで話したらええもんか…。
「洗いざらい全部吐け。隠し事しやがると只じゃおかない。どうやっても口を割らせてやるぞ」
「君なあ、もうちょっと穏やかな物言いができんのか。どっちが年上かわからんな」
「今誰と比べた?」
ぎろりと睨まれて肩をすくめる。そんなもん、聞かんでもわかってるくせに。
「森下君とは偶然会うたんや。俺がボートに乗りたいなーて思うてる時に」
「なんで偶然会うんだよ。しかも、おまえがボートに乗りたいなーと思っている時に!」
そやから、それが偶然なんやろう。疲れる奴。
「だいたいなんであいつが天王寺界隈をうろついてやがるんだ!」
「お母さんの買物に付き合うて近鉄百貨店まで来てたんやて」
「なんで近鉄なんだよ!梅田に行けば阪急も阪神も大丸もある。難波にだって高島屋があるし、心斎橋には大丸もそごうもあるだろ!」
「知るか、そんな事。心斎橋のそごうは営業しとんのか?」
「…………」
「…………」
一瞬の空白。そうそう。ちょっとは頭冷やせや。
「森下となんかあっただろ」
きたきたきた。よーし。このままちょっと苛めてやるとしよう。
「何かって?あ、ボートの代金出してくれた。一時間ずっと漕いでてくれた。森下君昔、カヌーやってたんやて。知ってた?」
「なんで森下なんかとボートに乗るんだよ!」
「君乗ってくれへんやん。森下君は乗りたいて言うた。俺も乗りたかった。それだけ」
「なんか言われただろ?」
「べつに」
「嘘つけ。じゃあなんであいつ、今日に限っておまえの事、有栖川さんじゃなくてアリスさんなんて呼ぶんだよ」
やっぱり気がついていたか。私もちょっと戸惑ったが、まあいいかと黙認していたし。
「好きだって言われたろ?」
わかってるなら聞くなや、そんなこと。恥ずかしい。
「なんて応えたんだ?調子のいい事言って森下をつけ上がらせたんじゃないのか?」
「ヘンな事言うな。俺にはちゃんと好きな人がおるて言うたわ」
「ふん。けど、きっぱり拒絶はしなかったってわけだ」
………ま、まあ、そういうことになるんかな。
「ええやん、そんなん。森下君かて君と俺の事知っとったし、別にこれ以上どうなるもんでもないやろ。なんでそんなに目くじらたてんねん」
「不安なんだよ」
「………」
森下に言われてからずっと気になっていた事。それを今、火村の口からはっきり言われるなんて。かなりの衝撃をかろうじて耐える。
火村は俺を信用してない。俺の気持ちを信用しきれていない。
「おまえがズルズル森下に引き摺られるんじゃないかと不安なんだ」
なんでやねん!
そら、ちょっと森下君の一途さにほだされかけたのは事実やけど…
何がそんなに不安なんや。俺の事、ほんまは全然信用しとらんのと違うんか。
「前例があるからな」
思いがけない事を言われて耳を疑う。
「どういう意味や」
「おまえが情に流されやすいってのは経験上、俺が一番よーく知ってるってことだよ」
「いつ俺がっっっ!」
「俺の時がそうだったろ?!」
「…………」
今日はいったい何度脳がブリーチされるのだろう。
「俺の時だって、おまえ、簡単に許したじゃないか」
どこか拗ねた調子で火村が言う。
「俺の事好きだって自覚があったわけじゃないだろ。なのにおまえは…」
「ちょっと待て!」
人を淫乱みたいに。勝手な事ぬかすな!
「酔っ払った俺を押し倒したんは君やろ!」
忘れたとは言わさんぞ!
「ああそうだよ。けどおまえ、抵抗しなかったじゃないか」
酔っ払っとったんじゃ。力入らんかっただけやろが!
それをいい事に好き勝手しくさったくせに、この極悪変態ド助平野郎!
「本気で嫌ならもっと暴れるはずだ。それをしなかったのは、俺が好きだったんじゃなくて、好奇心に負けたんだろうが」
「…………」
そ、それは………全面否定できないかも…。
私も作家のはしくれ、相手は火村で身元もわかってるし…酔っ払ったあげくの醜態ってことで笑ってすませることもできるかも…などと、頭の隅で考えなかったとは…残念ながら…断言できない。
「そらみろ」
火村は突然思い出したようにキャメルを取り出し、無言で忙しなく煙を吐き続けた。
「おまえ、あいつのこと気に入ってるだろ?」
確かに嫌いではない。なんといっても誰かさんと違って性格がいい。元気一杯で、見ていても気持ちのいい好青年だし。男前やし。
「あいつがキスしたいって言ったら拒めるか?」
「そんなん言うはずないわ」
あちらは健全な青年なのだ。どこかのやさぐれ不良助教授とは違って良識もある。
だけど…
森下君とキスしたら、煙草の味なんかせぇへんやろな。まさかレモンの味がするはずもないけど、イメージとしては爽やかグリーン系か。若いからお肌もつやつやで、そうや、唇も火村より弾力ありそうやな。そういえば火村以外とのキスなんて、何年ぶりやろうか…
「おいっ!」
「いったあぁぁぁ!殴ることないやんけ!」
「恋人が目の前で他の男の事考えてニヤけてるのに黙ってられるか!」
「ええやろ別に。実害無いねんし」
「あってからじゃ遅いんだよ!」
「森下君は君とは違う」
「馬鹿!あいつだって男だぞ。好きな相手を欲しいと思うのは当然だろうが」
そうか?どうもイマイチ実感がない。
確かに告白されたし、仮面ライダーも歌ったが、彼のイメージはあまりにも清潔で、そんなドロドロしたものとは程遠いような…火村が嫉妬するようなことではないと思うが。
おっと。忘れるところだった。肝心要の問題だ。
「君は俺が信用できんのか?」
「あん?」
なんだその人を馬鹿にしたような目は。
「森下君にそこまで拘るのは、俺の事ちっとも信用しとらんからなんか?」
返答次第じゃ只じゃおかない。このまま森下君に乗り換えてやるからな。
「俺以上におまえを理解してる奴は世界中どこにもいやしないさ」
「自惚れんな。返事になっとらん」
「おまえは俺に惚れてる。俺がおまえに惚れてるようにとは言えないかもしれないけどな」
可愛くない言い草だ。やっぱり森下君に乗り換えるべきか。
「ほんならそれでええやろ。なにをぎゃあぎゃあ騒ぐねん」
「だがおまえには、すこぶるやっかいな性癖があるんだよ」
やっかいで変質的な性癖の持ち主はおまえの方や。その上嫉妬深いなんて最悪やで。
「職業柄仕方ないだろうし、それでなきゃ作家なんてやってられないだろうさ。だから非難する事もできやしない。それが俺を苛立たせるんだよ!」
「はっきり言えや。俺の何が気に入らんねん」
「なんでも首を突っ込みたがる好奇心と、何時間でも別世界へ行ってしまえる妄想力だ!」
「……………」
予想もしなかった返答に頭の中は真っ白け。その私の隣で火村がこれでもかと煙を吐き続ける。
「えーっと…あの〜」
どういうリアクションをすればいいのかわからず、馬鹿みたいに口をぱくぱくさせる。
「俺の目の前で森下の事を考えてるってだけでも我慢ならないのに、この作家先生は自分の頭の中でいろーんな事を体験なさる。それくらいならまだいいさ。だけど情に流され易い上に好奇心まで旺盛なセンセイが、いつ『物は試し』と森下と懇ろになるんじゃないかと思うと気が気じゃない」
アホか。こいつは。
「君なあ、俺にかて貞操観念も理性も常識もあるんやで」
「それ以上にあるのが好奇心だろ。森下がうるうるした眼でおまえとキスしたいなんて言ったら、おまえきっぱり拒めるのか?」
…状況にもよるな。それに…
「キスくらいいいかも、なんて考えてるだろ」
う…。こいつ、エスパーか?
「軽いキスのつもりでも、あっちは若いし体力もある。激情にまかせてそのまま突っ走られるに決まってる」
「森下君は君と違う。そんなことせぇへん」
「強引に事を運ぼうとはしないだろうさ。そんなことすりゃ嫌われるって自覚はあるだろうしな。けど、真剣に掻き口説かれたら、おまえ、流されない自信があるのか?」
………。
森下君の腕の中で、どアップの森下君に甘い言葉を囁かれたら…ちょっと腰にくるかも。
「いったあぁぁぁっっっ!なんべんも殴るな!」
「お前の脳みそに手ぇ突っ込んであいつの記憶を根こそぎ掴み取りたい気分だぜ!」
「そんな心配せんでも俺にはその気はないから大丈夫や」
「この件に関しては信用できない」
「あほ!君の心配する俺の妄想力がちゃんとブレーキかけてくれるわ」
森下君は確かに好青年だが、私にとっては恋人とはなりえない。
なんで火村にそれがわからないのか不思議だ。
「キスくらいはええわ。けど、その先に進むのは俺のプライドが許さん」
マヌケな火村の鼻先をぴんと弾いてやる。まーったく。なーにが俺の事を理解してるや。
「見かけはどうあれ俺はもうオッサンや。不健康な生活しとるし、身体のあちこちもたるんどるやろ。その俺が、あんなぴちぴちした若モンと裸で抱き合うなんて、いやそれよりも、自分の貧弱な裸を見られるて思うただけでも鳥肌や。寒すぎる。そんなカッコ悪いこと、死んでもできん!」
さあさ、皆さん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
世にも珍しい、英都大学が誇る若き助教授の百面相でございます〜。
「俺かて男なんやで。君以外の男に欲情されても嬉しないわ」
眼をぱちくりさせた火村って案外可愛いかも。すぐに助平丸出しの顔になるのが難やけど。
「俺に欲情されるのは…嬉しい?」
それも時には困りもんやけど、ま、今日のところはそういう事にしといたろ。
「君とはタメやし、長い付き合いやし、お互いの阿呆な事もみんな知っとる。今更虚勢を張る必要もないけど、森下君に対しては、俺にかて男の見栄っちゅうもんがある」
「…俺は特別なんだな?」
「あたりまえやろ。君にとって俺が特別なように、俺にとっても君は他とは違うんや」
あー、出血大サービスやで、ほんま。明日になったら唇腫れるとんのと違うやろか。
「アリス…」
こんなデロデロな助教授の顔って、俺以外には見たことないやろな。
「今夜は泊まっていってもいいだろ」
初めからその気のくせに。ここで俺があかんて言うたらどんな顔するんか試してみたいけど、それは又の機会にしょうか。
 
答えるかわりに素早く唇を押し付けて…。
 
やっぱり爽やかとは言い難い、煙草の匂いがした。


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○月×日
 
高島屋で買物に付き合えという母に、阿倍野近鉄以外は嫌だと押し切った。
そのおかげでアリスさんと会えた。ラッキー。
しかも、ついに告白!アリスさんに気持ちを伝える!快挙!
今はまだ火村先生のものだけど、そんなのは気にしない。
慌てず騒がず、一歩一歩前進だ!これからですよ、アリスさん。
必ずあなたのハートをつかんでみせます!
ネバーギブアップ!
今日もあなたの写真を胸に眠ります。
今夜も夢の中で会いましょうね。いい夢が見れそう。
では、お休みなさい。ちゅっ。

Fin
 


ひゃー、有り難うございます!!まさかこんなに素敵な有栖が戴けちゃうなんて夢のようです。勝手にリンクを貼らしてもらっただけなのに。何だか『棚からぼた餅』というか・・・もうもうもう・・・仮面ライダーの歌を歌う有栖がチョー好きです!!
でも、あれをきちんとした音程で歌える自分に、しかも歌の終わりの『仮面ライダー1号・本郷猛は改造人間である・・・』という台詞まで浮かんでくる自分がちょっと悲しくなりました。あはははは・・・ちなみに私はV3が好きでした。
しかし、火村先生が・・・・・・ごめんなさい、大笑いでしたヽ(´・`)ノ フッ…
いやもう・・・君はそうしてアリスを手に入れたんだねみたいな。
たまきさま素敵な3人を有り難うございましたm(__)m